所属 | Regia Marina |
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艦種・艦型 | コマンダンテ・メダリエ・ドロ級駆逐艦 |
正式名称 | Comandante Margottini |
名前の由来 | Carlo Margottini 駆逐艦「アルティリエーレ」艦長、英軽巡との交戦時に戦死し、武功金章を受章 |
起工日 | 1943.3.10 |
進水日 | 1944初頭*1 |
就役日 | 未就役 |
除籍日(除籍理由) | 1944.9.23(航空攻撃で沈没) |
全長(身長) | 120.7m |
基準排水量(体重) | 2100英t(2133t) |
出力 | Thornycroft式重油専焼缶3基Parsons式蒸気タービン2基2軸 60000shp(60832.2PS) |
最高速度 | 35.0kt(64.81km/h) |
航続距離 | 20.0kt(37.04km/h)/3300海里(6100km) |
乗員 | 指揮官15名 乗組員262名 |
装備(建造時) | OTO135mm45口径M1937単装砲4基 ブレダ37mm54口径M1939単装機関砲x12 533mm魚雷三連装発射管2基6門 爆雷投射機2基 機雷x52 |
装甲 | なし |
建造所 | Cantiere navale fratelli Orlando, Odero Terni Orlando, Livorno (オデーロ・テルニ・オルランド社オーランド・ブラザーズ造船所 イタリア共和国トスカーナ州リヴォルノ県リヴォルノ) |
- 「マルゴッティーニ」ことコマンダンテ・マルゴッティーニは、イタリア未成駆逐艦の1隻。
戦争におけるイタリア軍の劣勢により建造は順調でなく、イタリア降伏後はドイツが鹵獲し仮進水させられ、最終的に連合国の空襲で沈没した。
- マルゴッティーニの属する「コマンダンテ・メダリエ・ドロ級」とは、対空兵装と航続距離の不足が問題となっていた前級「ソルダティ級」*2を大型化、機関増強と対空強化を図った新世代の量産型駆逐艦(予定)で、建造当初から水上捜索レーダー(Gufo)を搭載することが決定していた。
- 話を戻すが、メダリエ・ドロ級では135mm単装砲の最大仰角を大きく取った改良・高角砲型を搭載、また対空砲として既存の20mm機関砲から更に口径を大きくした37mm機関砲を複数設置し、全体的に対空能力が向上した。
また航続距離延伸を企図して機関が増強され、ソルダティ級と比較して約50%の性能向上が見込まれた(代償として船体の大型化と最高航速の低下があった)。 - こうした設計のもと計20隻が計画された当級は、都合3回に分けられて発注され、8隻・8隻・4隻の小グループとなったことでそれぞれの設計もやや異なることとなった。
- マルゴッティーニの属した第1グループ*3は単装主砲4基・対空単装機関砲12基で、艦橋上部に水上捜索レーダー付射撃指揮装置を1台設置することとなっていた。
一方第2・第3グループでは主砲が1基増設され、また対空機関砲は単装12基から四連装2基に加えてドイツ2cm四連装Flakが1基の計12門に、そして射撃指揮装置が1台増設される予定であった。
しかし第3グループの4隻は、機関のシフト配置による生存性向上などのさらなる改良が施された設計だったにもかかわらず、資材不足で進水予定が大きく遅れ、最終的に小型駆逐艦に相当するアリエテ級水雷艇8隻に置換されて計画消滅となってしまった。
- マルゴッティーニの属した第1グループ*3は単装主砲4基・対空単装機関砲12基で、艦橋上部に水上捜索レーダー付射撃指揮装置を1台設置することとなっていた。
- 次世代型の駆逐艦として設計が進められたメダリエ・ドロ級だったが、その起工は一番早くても1942年12月とかなり遅く、43年も中盤に差し掛かると連合国軍のイタリア空襲や侵攻が頻度を増してきたこともあり、建造進捗は芳しくなかった。
当然ながら同年9月にイタリアが降伏する時点では1隻たりとも進水できておらず(せいぜい進捗2割がいい所であった)、建造中だった駆逐艦はドイツが接収・ほとんどが解体されることとなった。
マルゴッティーニは進捗が比較的良かったこともあり、船台を空けるために建造が進められ、1944年初頭に仮進水を果たす。
だがあくまでも場所空け以外の目的はなく、結局放置されたマルゴッティーニは建造所のあったリヴォルノが空襲に晒された際に標的となり、9月に沈没した。