No478 アルフォンソ13世/元ネタ解説

Last-modified: 2021-08-12 (木) 14:41:12
所属Armada Española
艦種・艦型エスパーニャ級戦艦
正式名称Alfonso XIII→España
名前の由来Alfonso XIII 当時のスペイン国王(在位1886-1931)
→España スペイン語で「スペイン」の意
起工日1910.2.23
進水日1913.5.7
就役日1915.8.16
除籍日(除籍理由)1937.4.30(機雷に接触し沈没)
全長(身長)140m
基準排水量(体重)15500英t(15700t)
出力Yarrow式石炭重油混焼缶12基Parsons式蒸気タービン4基4軸 15715PS(15500shp)
最高速度19.5kt(36.1km/h)
航続距離10.0kt(19km/h)/5000海里(9300km)
乗員854名
装備305mm50口径連装砲4基8門
102mm50口径単装速射砲20門
47mm単装速射砲2基
装甲舷側:203mm 甲板:38mm 砲塔:203mm 艦橋:254mm
建造所Sociedad Española de Construcción Naval,Ferrol
(スペイン海軍建設協会フェロル造船所 スペイン王国ガリシア州ア・コルーニャ県フェロル)
  • アルフォンソ13世はスペイン海軍が建造したエスパーニャ級戦艦の2番艦。姉妹艦に「エスパーニャ」と「ハイメ1世」がいる。
    エスパーニャ級戦艦は世界最小の弩級戦艦とされており、キャラクターとしてのアルフォンソ13世もロリ戦艦になっている。
  • 米西戦争で敗れたスペイン艦隊の再建を目指して整備され、英仏との関係強化の中で計画が進んだ。
    弩級戦艦の祖「ドレッドノート」の完成から半年がたったタイミングでのスペイン艦隊強化であったことから、スペイン独自の弩級戦艦導入が求められ、305mm連装砲4基を主武装とした。
    1910年2月起工、1913年5月進水。しかしWW1開戦によって装備品調達元のイギリスからの供給が滞り艤装作業も遅延、1915年の完成となった。
  • 英仏寄りに立ち伊墺連合艦隊に対抗するという名目で整備されていたスペイン艦隊であったため、イタリアの中立宣言にともなってスペインも中立化し、アルフォンソ13世はWW1には参加しなかった。
    むしろ彼女の主な任務は、国内における王政反対派の鎮圧であった。
    社会主義者や無政府主義者によってゼネストや革命を呼びかけられ、各地に上陸部隊を輸送するなどしていた。
    もちろん反王政派の鎮圧以外にも、近海での訓練を行ったり、大西洋を渡ってカリブ海にも派遣されたりもした。
  • 1920年以降は、北モロッコのリーフ地方での反乱(第3次リーフ戦争)に対する火力支援作戦を行った。
    これには姉妹艦のエスパーニャも参加したが、1923年8月の作戦中にエスパーニャが難破、さらに嵐で艦が破壊されて喪失してしまう。
    エスパーニャの喪失があったものの、スペインはフランスと協力し上陸作戦を敢行、スペイン艦隊旗艦としてアルフォンソ13世も参加し、リーフ反乱軍に勝利した。
  • 第3次リーフ戦争で活躍したアルフォンソ13世は、その後もバルセロナ万国博覧会での合同観艦式にも参加するなどした。
    しかし、世界恐慌の影響で国内情勢が不安定化、艦の命名元にもなったスペイン国王アルフォンソ13世が亡命してしまう。
    スペイン第二共和政下において国王の名を冠した艦であったことから、アルフォンソ13世は事故喪失した姉の名を引き継ぎエスパーニャに改名した。
    また新政府は、リーフ戦争での赤字削減のためエスパーニャとハイメ1世を予備役送りとし、副砲や高射砲も陸に揚げられた。
    • エスパーニャの近代化改装計画もこのころ存在しており、船体延長、主砲塔の中心線配置、副砲の両用砲化、ボイラーの重油専焼化を検討していたが、世界恐慌による財政的問題+内戦などの政治的問題から失敗に終わっている。
  • 1936年7月に勃発したスペイン内戦では、エスパーニャはフランコ側(ナショナリスト、反乱軍)についた。
    しかしこの当時のエスパーニャは上述の改装計画を修正した改装(1937年実施予定)に向けた部分的改装の途中で、一部の武装が運用できない状況にあった。
    それでも共和国派に対する攻撃に用いられ、また貨物船などを複数隻拿捕してもいる。
  • 1937年4月30日、イギリスの蒸気船を発見したエスパーニャ含む艦隊だったが、エスパーニャが舵を切った先はナショナリストの水雷艇がばらまいた機雷源であり、触雷してしまう。
    随伴の駆逐艦により乗組員が救助されたものの、機雷による破孔が大きかったため浸水がひどく、そのまま沈没した。
    • ちなみに、当時のナショナリスト政府の発表では共和国派の機雷によるものであるとしていたが、1984年のエスパーニャ発見・調査によってナショナリストの機雷によると判明。
      海軍史上最大の自損事故となってしまった。