No484 アンソン/元ネタ解説

Last-modified: 2021-10-23 (土) 01:53:58
所属Royal Navy
艦種・艦型アドミラル級巡洋戦艦
正式名称HMS Anson
名前の由来George Anson, 1st Baron Anson(1697-1762)イギリス海軍提督 1740-44年の世界周航達成で国民的英雄として知られる。また英国海軍軍人として、第二次英仏百年戦争においては対フランスの植民地での勝利に大きく貢献した。
起工日1916.11.9
進水日未進水(1917.3.9 建造停止 1919.2.27 建造中止)
就役日(竣工日)未竣工(同上)
全長(身長)262.3m
基準排水量(体重)45470英t(46200t)
出力Yarrow式重油専焼缶24基Brown-Curtis式蒸気タービン4基4軸 144000shp(145997.2PS)
最高速度32.0kt(59.26km/h)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/7500海里(16668km)
乗員820名
装備(設計時)15inch45口径Mk.I連装砲4基8門
4inch45口径Mk.V単装高角砲4基4門
21inch魚雷発射管水上8門水中2門
装甲舷側:5~12inch 甲板:1~5inch 砲塔:11~15inch バーベット:12inch 艦橋:9~11inch
建造所Vickers-Armstrongs Limited,Elswick,Newcastle upon Tyne
(ヴィッカース・アームストロング社ニューキャッスル造船所 イングランド国北東イングランド地域タイン・アンド・ウィア州ニューカッスル・アポン・タイン市エルツィック)
  • アンソンはアドミラル級巡洋戦艦の1隻。1番艦フッドのほか、アンソン、ハウ、ロドニーの計4隻が計画・起工されたものの、最終的にはフッドのみが就役した。
    これら4隻は艦級名の通りアドミラル=提督の名からとられており、未成に終わった3隻の艦名は次世代の戦艦(ネルソン級2番艦ロドニー、キング・ジョージ5世級4番艦アンソン/5番艦ハウ)へ受け継がれた。
    • 級名も艦名も同じで非常に紛らわしいが、1880年代に建造されたアドミラル級戦艦の方のアンソンではない。
  • 1915年、イギリスはクイーン・エリザベス級の次級戦艦の検討を行っていたさなか、ドイツが速力30ノット・15.2inch(38.6cm)砲搭載のマッケンゼン級大巡洋艦(=巡洋戦艦)3隻を建造しているという情報を手に入れる*1
    既存のレナウン級やカレイジャス級も速力こそあれ装甲が貧弱で、このままでは対応できないと考えられたため、時の艦隊司令官ジョン・ジェリコー提督は、30ノットの速力を誇る巡洋戦艦を整備すべきと提案した。
  • 提出された各種設計案の中で、小型ボイラー搭載による排水量削減と射撃管制に必要十分の砲数を備えた案が採用され、1916年4月19日にフッド、ハウ、ロドニーが、6月13日にアンソンが発注された。
  • 1番艦フッドは5月31日、つまりユトランド沖海戦勃発の日に起工された。
    この戦いでイギリスの巡洋戦艦が3隻沈没した事態を受け、アドミラル級の各艦は作業が中断。
    防御力の向上を中心とした設計改良を経て9月1日にはフッドが改めて起工されるも、他の3艦は未だ中断されたままであった。
    というのも、ドイツUボートの封鎖下にあった1917年のイギリスには巡洋戦艦以上に商船や護衛艦が求められており、そちらに資材や労働力が持っていかれていたのである。
    しかしながらユトランド沖海戦の戦訓を採り入れた設計作業はなお続いており、もし建造再開できていたならフッド以上の防御力を有していたと言われる。
  • ドイツ新型巡洋戦艦に対抗して生まれたアドミラル級であったため、いざという時のために備えてフッドだけは建造が続けられた。
    度々姉妹艦の建造再開も取りざたされたものの、他の造船計画を変更してまでして整備すべきでないと戦時内閣が却下。
    結局アドミラル級のアンソン、ハウ、ロドニーはライバルたるドイツのマッケンゼン級が全艦建造中止となったことに加え、設計改良自体も不十分であったことから、建造が取りやめられてしまった。
    そしてもはやイギリスが目を向けていたのは落ち目のドイツではなく大建艦計画を始めかけていた日米であった。
    その対抗心の発露として次級たるG3級巡洋戦艦が計画されることになる。

*1 誤報、実際は速力28ノット・35cm砲搭載で4隻建造