所属 | Marine nationale |
---|---|
艦種・艦型 | リシュリュー級戦艦 |
正式名称 | Clemenceau |
名前の由来 | Georges Benjamin Clemenceau 20世紀初頭のフランス首相、英仏露三国協商の締結やパリ講和会議において多額の賠償金を主張した対独強硬派として知られる |
起工日 | 1939.1.17 |
進水日 | 未進水*1 |
就役日 | 未就役 |
除籍日(除籍理由) | (1944.8 沈没) |
全長(身長) | 247.85m |
基準排水量(体重) | 35000英t(36000t) |
出力 | Indret式重油専焼缶6基Parsons式蒸気タービン4基4軸 155000PS(152879.6shp) |
最高速度 | 32.0kt(59.26km/h) |
航続距離 | 15.0kt(28km/h)/9500海里(17600km) |
乗員 | 1670名 |
装備(設計時) | 380mm45口径M1935四連装砲2基8門 152mm55口径M1936三連装砲4基12門 100mmM1937連装高角砲6基12門 37mm機関砲x12(6x2) 13.2mm機銃x32 艦載機x4 |
装甲 | 舷側:320mm 甲板:170mm 砲塔:430mm 艦橋:340mm |
建造所 | Arsenal de Brest, Brest (ブレスト海軍工廠 フランス共和国ブルターニュ地域圏フェニステール県ブレスト郡ブレスト市) |
- 1937年、独伊の圧力が強まりつつありいよいよ戦争勃発も間近かといった頃、フランス海軍ではドイツ海軍だけでなくイタリア海軍をも相手取らねばならない状況を鑑み、建造が決定していたリシュリュー級戦艦をもう2隻加えて4隻体制とすることとした(対独・対伊2隻ずつ)。
しかし条約型とはいえリシュリュー級4隻を同時に建造できるほどの造船設備はフランスになかったため、3番艦クレマンソーと4番艦ガスコーニュは起工が遅れた。
その間、この2隻の設計改良が施されることとなる。
- 司令部はこの時、海外の最新鋭艦と比較して、「主兵装の前後分散配置」「副兵装の平射砲・高射砲の分離」という特徴を見出していた。
ダンケルクに搭載されていた130mm両用砲は運用面で難があるとわかっており、思い切って152mm平射砲と130(もしくは100)mm高射砲の混合搭載を検討することとなった。
これらの提案をもとに改設計案が3案提示された。- A案:原設計とほぼ変わらない、小改良案
- B案:艦前方に2基配置していた380mm四連装主砲を前後1基ずつにする案
- C案:380mm三連装砲を前部に2基・後部に1基配置する案
- C案は計画の初期で排水量超過が見込まれたため早々に放棄、結局A・B両案が残ることとなった。
当初はB案で決定となるはずだったが、3番艦クレマンソーの早期起工を果たすには設計作業の難航するとされたB案では間に合わないとし、クレマンソーはA案、ガスコーニュはB案とされた。- ちなみにC案はリシュリュー級の改設計案としては放棄されたが、406mm砲を搭載するとされたドイツH級戦艦の情報が入ってくると再注目を集めるようになる。
この設計案をもとにさらに練り上げられたものが次級たるアルザス級戦艦であった。
- ちなみにC案はリシュリュー級の改設計案としては放棄されたが、406mm砲を搭載するとされたドイツH級戦艦の情報が入ってくると再注目を集めるようになる。
- 小改良案によれば、クレマンソーは姉二人との最大の違いとして副砲配置の変更がある。
従来副砲の152mm三連装砲は艦後部に「品」の字のごとく配置されていたが、それを「両舷1基ずつ・後部中心線上に背負配置で2基」に改められた。
対空砲には密閉砲塔型となった100mm連装砲(リシュリューは開放砲塔であった)と37mm連装高射砲が充てられる予定であった。
また、新型の100mm砲・37mm砲に対応した火器管制装置も搭載が予定された。
これらの副兵装の充実も相まって、乗員は数十名増となった。
- クレマンソーは1939年1月17日、ブレスト工廠にて起工された。
造船場所を確保できなかったため、同日進水を果たしたリシュリューの船台にて早速建造が始まった。
今まで以上にドイツとの緊張関係が高まりを見せていたため、突貫工事で43年末の完工を見込んでいた。 - しかし同年9月の大戦勃発によって、リシュリューの完成を優先して工員がそちらへ動員され建造は中断。
12月の建造再開から翌40年6月までの間で船体工事の進捗10%に留まり、そしてドイツに艦もろとも建造所が接収された。
Schlachtschiff R(戦艦R*2)と改称されたクレマンソーは、その後完成も検討されたが資材や人員不足から放棄。
しかし建造ドックを空けるために中途半端ながらも建造が進められ、一応進水はした。
そして防空火器を搭載した防空砲台となったのち、ドイツUボートの一大拠点となったブレスト停泊地の閉塞船となった。
最期は1944年に連合軍の爆撃によって撃沈、戦後浮揚され解体となった。- 戦艦としての生を得られなかったクレマンソーだが、その搭載が予定されていた主砲はドイツが鹵獲・沿岸砲として用いたのち、戦後ジャン・バールの完工の際に用いられた。