No507 アイツヴォル/元ネタ解説

Last-modified: 2022-06-24 (金) 16:06:39
所属Sjøforsvaret
艦種・艦型ノルゲ級海防戦艦
正式名称Eidsvold
名前の由来Eidsvold ノルウェー王国ヴィーケン県アーケシュフース郡アイツヴォル市
起工日1899.5.9
進水日1900.6.14
就役日(竣工日)1901.3.12
除籍日(除籍後)1940.4.9(独駆逐Z21の雷撃により沈没)
全長(身長)94.6m
基準排水量(体重)3645英t(3703t)
出力Yarrow式石炭専焼缶6基直立二段膨張式レシプロ機関2基2軸2軸 4500shp(4562PS)
最高速度17.2kt(31.85km/h)
航続距離不詳
乗員270名
装備アームストロング20.8cm44口径M1896単装砲2門
アームストロング15cm45口径M1875単装砲6門
12ポンド40口径単装砲6門
オチキス4.7cm単装砲4門
45.6cm水中単装魚雷発射管2門
装甲舷側・バーベット・司令塔:152mm 砲塔:127~229mm 甲板:51mm
建造所Armstrong Whitworth, Newcastle upon Tyne
(アームストロング・ホイットワース社ニューカッスル造船所 イングランド国北東イングランド地域タイン・アンド・ウィア州ニューカッスル・アポン・タイン市エルツィック)
  • アイツヴォルは、ノルウェー海軍のノルゲ級海防戦艦の2番艦。艦名はノルウェー憲法が制定された同名の都市から。
    • 「海防戦艦」とは、自国の海岸線防衛を主目的として小型の船体に10inch(254mm)前後の砲を搭載、相応の装甲を施された艦のことである。
      ゲーム内で実装されている「砲艦」カテゴリでは他にグスタフ5世(スウェーデン)、ヴァイナモイネン(フィンランド)、トンブリ(タイ)が該当する。
      • 余談だが、「砲艦」カテゴリでこれらに含まれないものは広く「モニター艦」と称される。
        小型の船体に大口径砲を搭載するという点では海防戦艦と共通なのだが、それでも区分されるのはその建造目的によるとされ、モニター艦は対艦・対地攻撃をより意識したものとなっている。
  • 1899年5月起工、1900年6月進水、1901年3月就役。
    姉妹艦ノルゲとその前級であるハーラル・ホールファグレ級海防戦艦2隻と共に、当時の国家予算の20%である1900万クローネという大金をもってイギリスに発注されたアイツヴォルだったが、就役早々きな臭い出来事に巻き込まれる。
    1814年に隣国スウェーデンとの同君連合に組み込まれて以来独立を失っていたノルウェーが、1905年に連合離脱を打診したのである。
    ノルウェー単体で国民投票を経て新王ホーコン7世を即位させての決定であり、当然これにスウェーデンは反発、一気に両国関係は冷え込むこととなった。
    この状況を受けてアイツヴォルはオストフィヨルドの湾口に陣取り、最悪の展開にも対応せざるを得ない形に。
    最終的には当時のスウェーデン王並びに政府の働きかけのお陰でノルウェーの連合離脱は穏便に済むこととなり、ひとまずの落ち着きを取り戻した。
  • そうこうしている間に世界の技術革新はめくるめく速さで進展、進水後6年にして早くも陳腐化の兆しを見せ始めてしまう。
    追い討ちをかけるがごとく、1907年には世界の戦艦の基準ともなる英戦艦「ドレッドノート」が登場してしまったのであった。
    とはいえ大枚をはたいて手にした海防戦艦、アイツヴォルらは以降も長く大切に運用された。
    1911年には英王ジョージ5世の戴冠式に際して渡英したノルウェー王の御召艦となったり、また第一次大戦中はノルウェーが中立国であったためそもそも砲火を交えないまま過ごしたり。
    戦後も取り立てて何かをするでもなく、そのまま時代は第二次世界大戦に移り変わる。
  • 第二次世界大戦がはじまってから少したって、アイツヴォルはノルゲとともにナルヴィクに移される。
    そして1940年4月9日、ドイツによるノルウェー侵攻作戦=ヴェーザー演習作戦においてドイツ軍と相まみえることになったのだ。
    ちょうどドイツ艦Z21がやってきた折、両艦はともに投錨状態でありすぐさま出撃できる状況になかった。
    そこへドイツ側が「友好的」な艦隊拿捕を提案、アイツヴォル艦上にて交渉を行うこととなる。
    両者ともに艦砲を向けあっての交渉であったがついには決裂、アイツヴォルはすぐさま戦闘態勢に移ろうとした。
    しかしこれを目ざとく発見したZ21はアイツヴォルに雷撃を敢行、3本の魚雷を一挙に食らってしまったアイツヴォルは6名の生存者を残して轟沈。
    こうしてナルヴィクでの戦いの火蓋は切られたのであった。
  • アイツヴォルの残骸は1960年代に引き揚げられ、その錨はナルヴィク戦争博物館の外に、艦の鐘はノルウェーの旧海軍基地であるカーリオハンスヴァーンに移されている。