No509 スクロムヌイ/元ネタ解説

Last-modified: 2022-04-22 (金) 15:20:51
所属Военно-морской флот СССР
艦種・艦型56型駆逐艦
正式名称Скромный
名前の由来Скромный ロシア語で「謙虚な、謙遜な」という意味の形容詞
起工日1953.7.27
進水日1954.10.26
就役日(竣工日)1955.12.30
除籍日(除籍理由)1989.4.25(1990.スクラップとして売却)
全長126.1m
基準排水量3620英t(3060t)
出力KV-76蒸気ボイラー4缶TV-8蒸気タービン2基2軸
72999PS(72000shp)
最高速度34.5kt(63.89km/h)
航続距離17.0kt(31.48km/h)/2150海里(3981km)
乗員268名
装備(建造時)130mm58口径CM-2-1連装両用砲2基4門
45mmСМ-20-ЗИФ機関砲x16(4x4)
533mmПТА-53-56КБ五連装魚雷発射管2基10門
БМБ爆雷投射機6基
装甲なし
建造所ПАО Судостроительный завод<Северная верфь>,Ленинград\Санкт Петербург
(PAO造船社北部造船所(ソ連 第190号海軍工廠) 旧ソビエト連邦レニングラード 現ロシア連邦北西連邦管区サンクトペテルブルク連邦市サンクトペテルブルク)
  • スクロムヌイは1950年代にソ連が建造した56型(コトリン型)駆逐艦の1隻。
    設計としてはネウストラシムイ級(41型)の改良・量産型。
    北方艦隊や大西洋方面艦隊で活動する傍ら、対潜強化改修や対空強化改修などを施されつつ、ソ連崩壊の2年ほど前まで海軍に籍を置いた。
  • 1953年7月にレニングラードにて起工、54年10月進水、55年12月に就役。
    コラ半島に位置する軍事都市・セヴェロモルスクまで回航され、北方艦隊に所属した。
    現地で海上公試をおこなったが、その後56型駆逐艦全体で対潜能力の向上を図る「56-PLO計画」が実施されるにあたり、再び生まれ故郷へ戻り改装工事が施される(~1960年末)。
    改修を終えたスクロムヌイは北海に再展開し、そこで5年ほどを過ごす。
    • この改修で2基あった魚雷発射管のうち後部1基が、また艦尾に搭載されていた爆雷投射機が撤去され、残された魚雷発射管は対艦魚雷・対潜魚雷両方の運用に堪えるよう変更された。
  • 1965年、今度は航空攻撃やミサイル技術の進歩に対応するため防空能力の強化を図る「56-A計画」が実施されることとなり、その対象に選ばれたスクロムヌイはクロンシュタットまで回航、4年以上の大改装を経て防空ミサイルシステムを搭載して艦容も一変させる。
    • この改修では「ヴォルナ」艦対空ミサイルシステムの搭載が決定され、後部主砲塔や40mm自動砲のほとんど、1基だけ残されていた魚雷発射管をも撤去してミサイル装備が設置された(艦対空ミサイル16発を搭載)。
      また無線設備などの更新と合わせて武装配置の最適化を図るべく、前部上部構造を完全に作り直すという気合の入れようであった。
      • ここまで大がかりではないものの、既存艦の改修でミサイル艦を整備する類似例としてジャイアット改が挙げられる。
  • 大規模改修を終えたスクロムヌイはその所属を大西洋に展開する第7作戦艦隊に移した。
    1970年、ビスケー湾にて行われていた大規模演習「オケアン70」*1にも参加していたが、演習中に火災が発生した攻撃原潜「K-8」の救助を行った。
    またその他にも、大西洋沿岸の社会主義国*2を歴訪しソ連のプレゼンスをアピールするなどが行われた。
  • 1980年に入るとスクロムヌイはいったん退役し予備役入りとなるが、1983年には再就役、海軍演習「マギストラル83」に参加し、89年の退役まで活動をつづけた。
    89年に売却・解体のため武装解除の上除籍、90年にイタリアにスクラップとして売り払われた。

*1 バルト・太平洋・黒海・北洋の4艦隊が大西洋と太平洋に分かれ、レーニン生誕100周年を記念して実施された演習
*2 トゥーレ政権下のギニア、カストロ政権下のキューバ、ングアビ政権下のコンゴ(共和国)