No517 リューベック/元ネタ解説

Last-modified: 2023-07-09 (日) 00:41:08
所属Bundesmarine
艦種・艦型120型(ケルン級)フリゲート
正式名称Lübeck (F 224)
名前の由来Lübeck (西)ドイツ・シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の都市
起工日1959.10.28
進水日1960.7.23
就役日(竣工日)1963.7.6
除籍日(除籍後)1988.12.1(トルコへ売却)
全長(身長)109.8m
基準排水量(体重)2969英t(3016t)
出力MAN式16気筒ディーゼルエンジン4基 12166PS(12000shp) + Brown Boveri & Cie式ガスタービン4基 24333PS(24000shp) 2軸
最高速度32.0kt(59km/h)
航続距離12.0kt(22km/h)/3450海里(6390km)
30.0kt(56km/h)/900海里(1670km)
乗員238名
装備55口径100mm単装砲2門
70口径40mm対空砲連装2基+単装2基6門
533mm魚雷発射管4門
ボフォース375mm四連装対潜ロケット砲2基8門
装甲なし
建造所H. C. Stülcken Sohn, Hamburg
(H.C.シュトゥリュッケン・ゾーン社ハンブルク造船所 ドイツ連邦共和国ハンブルク市)
  • リューベックは、西ドイツが1950年代に建造した初の国産艦艇「ケルン級フリゲート」のうちの1隻。
    • ケルン級はCODAG=ディーゼル・ガスタービン複合推進という現代の艦艇にも用いられる推進方式を世界で初めて採用したことでも知られ、また米ソ冷戦の有事の際に対ソ連・WTO軍潜水艦からNATO北欧行船団を守ることを想定されたことからボフォース製対潜ロケットを中心とした対潜能力にも重点を置かれていた。
      しかしめくるめく技術の進歩から登場してきた原子力潜水艦やミサイルなどの高精度誘導兵器に対しては船体が小型過ぎたことから改装*1に適さないと判断され、80年代以降は後続の艦級に交代する形で退役していった。
新生「西ドイツ海軍」
  • 1945年5月8日のドイツ降伏以降ドイツは一時的に非武装化され、それまでドイツが保有していた海軍戦力も賠償などでドイツを去った。
    49年に連合軍軍政期終了=西ドイツ建国がなされてからは米ソ冷戦の最前線として少しずつ再軍備が進められてきており、55年に連邦軍が設置、56年には連邦海軍(Bundesmarine)=「西ドイツ海軍」が建軍された。
    連邦軍設置の段階で艦艇新造計画が進められており、その中で「55型護衛艦」と呼称されていたものがケルン級フリゲートであった。
    しかし建造認可が56年に下りたとはいえ就役までは数年を要することが見込まれたため、英米から小型艦の譲渡を受けることでその間隙を埋めることになった(ex. 米フレッチャー級アンソニー→Zerstörer 1、クラクストン→Zerstörer 4、ダイソン→Zerstörer 5、チャールズ・オースバーン→Zerstörer 6)。
    これらが50年代末の生まれたての西ドイツ海軍を支え、東西統一を果たして今なお続く連邦海軍の礎石となったのである。
  • リューベックはハンブルクにて1959年10月起工、60年7月進水、63年7月就役した。
    就役後も西ドイツ海軍の戦力の一端であり続け、たびたびNATO演習にも参加していたが、上述の通り近代化改装の余地の少なかったリューベックは70年代末から建造の始まった後続艦級「ブレーメン級フリゲート」の就役に合わせて80年代末に退役した。
    退役後は姉妹艦の半数をトルコ海軍が購入していたこともあり、そちらの部品取り補修用として回されることとなった。

*1 個艦防空ミサイル/艦対艦ミサイル/C4Iシステム/対潜ヘリなどの搭載