No521 1913巡戦/元ネタ解説

Last-modified: 2022-09-23 (金) 18:08:05
所属中華民國海軍
正式名称-(未命名)
起工日未起工(計画中止)
進水日未進水
就役日(竣工日)未就役
全長(身長)
(1913.3/1913.4)
179.8m/不明
基準排水量(体重)
(1913.3/1913.4)
26000英t(26417t)/28000英t(28449t)
出力
(1913.3/1913.4)
ボイラー/機関不明 30000shp(30416PS)/ボイラー不明Parsons式蒸気タービン 不明
最高速度
(1913.3/1913.4)
28.0kt(51.85km/h)/29.0kt(53.70km/h)
航続距離不明
乗員不明
装備(1913.3)13.5inch連装砲5基10門
6inch単装速射砲14門
3ポンド単装高角砲6門
21inch魚雷発射管4門
装備(1913.4)45口径14inch連装砲5基10門
50口径6inch単装速射砲16門
22inch魚雷発射管5門
装甲(1913.3)舷側:12inch
装甲(1913.4)舷側中部:9inch 舷側末端:4inch
  • 1913年案巡洋戦艦は、建国間もない中華民国にてイギリス(ヴィッカーズ社)からの調達が構想された巡洋戦艦。
    主に財政的な理由から計画は早々に暗礁に乗り上げ、まもなく第一次世界大戦が勃発しそもそもの調達がおぼつかなくなるなどで立ち消えとなった。
    • この艦は要求性能などが若干明らかにはなっているものの、具体的な設計段階に至らないまま消えてしまったため、艦名はおろかその姿すら決まっていなかった。

  • 辛亥革命により清を打倒して建国された中華民国では、当初から海軍整備計画についての構想が持ち上がっていた。
    国の大きさに見合っただけの大海軍の建設を最高到達点とするものであったが、革命直後の資金やノウハウの不足から、まずは防衛を主眼に置いたものとなった。
    駆逐艦や潜水艦がその役割を担ったが、その一方で領海の安全を担う巡航艦隊整備も求められた。
  • こうした海軍戦力の調達は1913年3月に一連の計画としてまとめられ、巡洋戦艦2隻・装甲巡洋艦10隻・防護巡洋艦30隻など、調達数と予算が計上された。
    清朝末期の高速主力艦構想
    • 中華民国になっていきなり整備計画が出てきたかのように思われるが、実は1910年にも巡洋戦艦の整備が構想されていた。
      ライオン級巡洋戦艦をベースとしてやや改設計を施したものがそれで、ヴィッカーズ社の技師により大まかながら検討されたようである。
      ほかにも全長198.1m・7万馬力級の装甲巡洋艦も提案されていたのだが、いずれも机上案にとどまりそのまま革命を迎える。
      その後中華民国として改めて海軍整備が進められたのであった。
  • ここで計画された巡洋戦艦はあくまでも要求性能に過ぎないものではあったが、当時のイギリス戦艦で広く用いられた13.5inch砲を主砲とし、最大で12inchの装甲厚を有し、28ktの高速を発揮し得るものとされた。
    • 実際のところこの設計は実現可能性が極めて低く、兵装面では戦艦並なのに巡洋戦艦の速力をも持つという、いわば「高速戦艦」に相当するようなスペックであった。
      • そもそもこうした高速性能を求めたのは、清朝末期の艦艇が軒並み低速艦ばかりで、それらを引き継いだ現有戦力では航速上優位を確保できないためであった。
  • この巡洋戦艦は調達後第一艦隊配属となり、遼東湾から揚子江口をその活動範囲とする計画であった。
  • 1913年4月にはこの整備計画が大きくテコ入れされる。
    海を挟んだ隣国である日本を仮想敵とし、巡洋戦艦8隻・駆逐艦100隻・潜水艦20隻をはじめとしたものとなったのだ。
    巡洋戦艦の要求性能もやや向上し、主砲は仮想敵として挙げられた金剛型巡洋戦艦とおなじ14inch砲を5基搭載し、火力面で優位に立つことを目指した。
    高速主力艦の少ない当時の日本海軍にとっては、隻数でも火力でも劣勢を強いられる艦として、極めて厄介な存在になっただろうことは間違いない。
  • しかしこれらの壮大な計画は、やはりいつまでも付いて回った財政的な問題から実行に移されることはなかった。
    どうにか駆逐艦巡洋艦だけでもと外国に借款してまで発注を取りつけたものもあったが、ヨーロッパでの緊張関係やそれに端を発した大戦のあおりを受け、計画のほぼすべてが水の泡となってしまったのだった。