No152 エディンバラ/元ネタ解説

Last-modified: 2018-11-19 (月) 01:10:00
所属Royal Navy
艦種・艦型タウン級ベルファスト型軽巡洋艦
正式名称HMS Edinburgh (16)
名前の由来City of Edinburgh イギリス・スコットランド・ロージアン州エディンバラ市
愛称The Rabbit Hole, Scotty
起工日1936.12.30
進水日1938.3.31
就役日(竣工日)1939.7.6
退役日(除籍後)不明(1941.5.2自沈処分)
全長(身長)187.0m
基準排水量(体重)13175英t(13386t)
出力Admiralty式重油専焼缶4基Parsons式蒸気タービン4基4軸 80000shp(81109.6PS)
最高速度33.0kt(61.11km/h)
航続距離12.0kt(22.22km/h)/12200海里(22594.4km)
乗員750名
装備(1941)6inch50口径Mk.XXIII三連装砲4基12門
4inch45口径Mk.XVI連装両用砲6基12門
ヴィッカース2ポンド機関砲x16(2x8)
ヴィッカース0.5inch機関銃x8(2x4)
21inch三連装魚雷発射管2基6門
艦載機x2
装甲舷側:4.5inch 甲板:1.5inch 砲塔:1.25~1.5inch 隔壁:2.5inch 弾薬庫:1~4.5inch
建造所Swan Hunter, River Tyne, Tyne and Wear
(スワン・ハンター社 イングランド国北東イングランド地域タイン・アンド・ウィア州タイン川)
  • ゲーム内ではエディンバラ級1番艦となっているが、正確には2番艦。就役がベルファストより早かったため艦級名だけエディンバラの名前が使われている。
  • エディンバラはタウン級というグループの中のエディンバラ級に属している。
  • 1936年度計画軽巡洋艦として建造が決定。1936年12月30日、ウォルセンド・オン・タイン造船所にて起工。1938年3月31日に進水し、1939年7月6日に竣工した。竣工後、本国艦隊に編入。
  • 1939年9月3日、第二次世界大戦が勃発。エディンバラは第2巡洋艦隊に所属していた。10月16日、ドイツ空軍によるロサイス爆撃が行われる。
    エディンバラの損傷は軽微だったが、3隻の船舶が攻撃され16名が死亡。44名が負傷した。
    10月23日、ノルウェーのナルヴィクへ向かう船団を護衛して出港。ところが11月23日、護衛を担っていた特設巡洋艦ラワルピンディがドイツ戦艦シャルンホルストに撃沈される。
    これを受け、エディンバラはシャルンホルストの捜索を行ったが失敗。護衛任務に復帰する。
  • 1940年3月18日より本国で修理を受ける。半年後の10月18日に出渠。第18巡洋艦隊に転属し、哨戒任務に従事した。
    11月8日、フリータウンまでWS4B船団を護衛。12日にスカパフローへ帰投した。クリスマスの直前、北大西洋に現れたドイツの襲撃艦を攻撃するため僚艦とともに出撃。
    1週間ほど遊弋していたが、いつまで経っても会敵できなかった。実は報告書に誤りがあり、襲撃艦なんていなかったのだ。大晦日に本国へ帰投。
  • 1941年3月、ロフォーテン諸島の警護に従事。5月7日、ヤン・メイヤン島北方で僚艦のバーミンガムとともにドイツの気象観測船ミュンヘンを捕捉。が、逃げられた。
    5月23日からはあのビスマルク追撃戦に参加。ドイツの補給艦レヒを拿捕する活躍を見せた。その後、ビスマルクの大西洋進出に備えてアゾレス諸島方面に回航。
    7月10日、フリータウンに向かう軍隊輸送船WS10の支援をロンドンから引き継ぎ、地中海方面に向かった。11月からはソ連向けの船団を護衛している。
     
  • 1942年4月22日、ソ連に支払う金塊93箱(延べ棒465本)を積載し、駆逐艦6隻に護衛されてムルマンスクへ向かった。だが、行く手にはUボート7隻が待ち構えていた。
    30日、空中偵察でQP船団の位置を知ると、まずU-88が現れた。雷撃も行われたが、全て外れた。バレンツ海でU-456とU-436に襲われ、U-456が発射した魚雷を喰らって艦尾を喪失。
    曳航されつつムルマンスクへ向かっていたが、5月2日にドイツ駆逐隊の襲撃に遭う。
    曳航していた駆逐艦フォアサイトと三隻の掃海艇は曳航索を切り離して一目散に逃げ出し、エディンバラの主砲塔は混乱して右往左往するさまに、ドイツ海軍はほくそ笑んだ。
    しかしそれはイギリス人らしい周到な罠だった。曳航索はエディンバラが自ら切り離していたのだ。
    Z7、Z24、Z25の3隻がエディンバラを確実に沈めるべく同航戦で絶好の射撃位置についた。特にZ24とZ25は15cm砲を搭載しており、強力な砲火力を持ってすれば大型軽巡洋艦は撃沈できると信じていた。
    しかしまさに発砲しようとしたその瞬間、ドイツ海軍は恐ろしいことに気がついた。さっきまで右往左往していたはずのエディンバラの主砲が、全砲門を正確にこちらに向けていたのである。
    6インチ三連装砲4基合計12門の火力が先頭のZ7ヘルマン・シェーマンに降り注いだ。第二斉射の時点で夾叉をうけたZ7は1分もしないうちに直撃弾多数で火だるまになった。
    更に逃げたと思ったフォアサイトと掃海艇は退路を塞ごうと回り込んでいた。ドイツ海軍は魚雷を発射して逃走し、Z24が発射した魚雷がエディンバラに命中、大破する。
    命中箇所はちょうどU-456の魚雷が命中した反対側であり、竜骨1本で船体が僅かに繋がっただけのエディンバラは到底曳航に耐えられないとして、
    目的地を前に撃沈処分される事となり、駆逐艦フォーサイトの雷撃で沈められた。
    ドイツ側もZ7が被害甚大により自沈処分されている。
  • 1981年5月16日、沈没位置が確認され、9月16日から金塊の引き揚げ作業が始まった。431本の金塊が引き揚げられたという。