No283 潜乙/元ネタ解説

Last-modified: 2023-05-11 (木) 04:39:06
所属(中華民國海軍)
Kriegsmarine
艦種・艦型IIB型潜水艦
正式名称-(納入断念につき未命名、「艇」*1の「乙」*2)
→U-121(1940)
起工日1938.4.16
進水日1940.4.20
就役日(竣工日)1940.5.28
除籍日(除籍理由)1945.5.5(1950.浮揚後解体)
全長(身長)42.7m
基準排水量(体重)275英t(279t)
出力浮上時:MWM製RS127S 6気筒ディーゼルエンジン2基2軸 700PS(690shp)
潜水時:SSW製電気モーター2基2軸 360PS(355shp)
最高速度水上:13.0kt(24km/h) 水中:7.0kt(13km/h)
航続距離水上:8.0kt(15km/h)/3100海里(5700km)
水中:4.0kt(7.4km/h)/35-43海里(65-80km)
乗員22-24名
装備2cmSK C/30単装砲1門
53.3cm魚雷発射管3門(艦首:3門)
装甲なし
建造所Flender Werke, Lübeck
(フレンダーヴェルケ社 ドイツ連邦共和国シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州リューベック市)
  • 「潜乙」は、中華民国が導入を進めたものの国際関係から同国で就役がかなわなかったドイツ製潜水艦である。姉に「潜甲」(=U-120)がいる。
    • 実際に中華民国海軍で活動したことはないので、「潜乙」という艦名は幻萌オリジナル。
      由来は潜甲と同じく「潜」艇と甲乙丙丁を組み合わせたものとみられる。
      元となったUボートIIB型や中華民国への導入の試みに関してはこちら参照。
    • 姉ともども中華民国への輸出が断念された本艦は、その後ドイツ海軍の下「U-121」として就役し、艦船の特性上1945年の自沈まで練習艦として用いられた。
      戦後浮揚され解体。

*1 中国語で潜水艦の意
*2 甲乙丙丁...の乙