No41 天龍/元ネタ解説

Last-modified: 2020-01-13 (月) 12:55:02
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型天龍型二等巡洋艦(軽巡)
正式名称天龍(てんりゅう/てんりう)
名前の由来天竜川 日本国長野県 愛知県 静岡県
起工日1917.5.17
進水日1918.3.11
就役日(竣工日)(1919.11.20)
除籍日(除籍理由)1943.2.1(1942.12.18沈没)
全長(身長)142.65m
基準排水量(体重)3230英t(3281.8t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶8基ロ号艦本式石炭重油混焼缶2基Brown-Curtis式蒸気タービン3基3軸 51000shp(51707.4PS)
最高速度33.0kt(61.11km/h)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/5000海里(9260km)
乗員337名
装備(竣工時)50口径三年式14cm単装砲4門
40口径三年式7.62cm単装高角砲1門
三年式6.5mm機銃x2(2x1)
53cm三連装魚雷発射管2基6門
爆雷投射機x2
爆雷投下台x10(2x4+2x1)
装備(1942)50口径三年式14cm単装砲4門
40口径三年式7.62cm単装高角砲1門
九六式25mm機銃x8(4x2)
53cm三連装魚雷発射管2基6門
爆雷投射機x2
爆雷投下台x10(2x4+2x1)
装甲舷側:51~63mm 甲板:16~25mm 砲塔:20mm 艦橋:51mm
建造所横須賀海軍工廠 (現 米海軍横須賀基地) (日本国神奈川県横須賀市)
  • 19世紀まで大型の戦艦と違い、小型の巡洋艦の舷側に装甲を施した上で速力を維持することは機関出力の問題から難しく、
    各国は甲板に装甲を施してこれを舷側に傾斜させ、そこに石炭庫など穴が開いても比較的被害の少ないものを配置して防御区画とした防護巡洋艦を建造していた。
  • ところが20世紀に入ると石油燃料が一般化し、石炭に比べ高温が出せることからボイラーやタービンは大きな発展を遂げるようになると、
    こうした機関を小型艦に搭載すればそれなりの装甲を施しても高速を維持できるようになった。
    そこで各国はこの新しい軽装甲巡洋艦、即ち軽巡洋艦の建造を進めることになる。
  • 大正4年、来るべき八八艦隊計画の第一歩となる八四艦隊計画案がまとめられた。
    そのなかに新造巡洋艦として計画されていたのが天龍型二隻の建造である。
  • 同時期の江風型駆逐艦をそのまま拡大したような艦形で、フロティラリーダーとしての役割が期待されていた。
    駆逐艦の12cm砲をそのままスケールアップした14cm砲単装4基と、53cm三連装発射管2基、8cm高角砲1基、6.5mm機銃2丁、爆雷投下軌条を備える。
  • しかしこの駆逐艦の拡大型という構造は33ktという高速を約束した反面拡大発展の余地が全くなく、また砲力と速力もさらなる強化を求められたため、
    天龍型は2隻のみの建造となり、その後は5500t級の球磨型、長良型、試験的な夕張を挟んで川内型へと続いていく。