No468 オライオン/元ネタ解説

Last-modified: 2021-03-13 (土) 21:34:43
所属Royal Navy
艦種・艦型オライオン級戦艦
正式名称HMS Orion
名前の由来Orion ギリシア神話に登場する狩人 死後天に昇りオリオン座となったとされる
起工日1909.11.29
進水日1910.8.20
就役日(竣工日)1912.1.2
退役日(除籍後)1922.3(1922.12.19解体)
全長(身長)177.1m
基準排水量(体重)21922英t(22274t)
出力Babcock&Wilcox式水管ボイラー18基Parsons式蒸気タービン2基4軸 27000shp(27374PS)
最高速度21.0kt(38.89km/h)
航続距離10.0kt(18.52km/h)/6730海里(12463km)
乗員738~1107名
装備13.5inch45口径連装砲5基10門
4inch50口径単装砲16基16門
21inch魚雷発射管3門
装甲舷側:12inch 甲板:1~4inch 砲塔:11inch バーベット:10inch
建造所Her Majesty's Naval Base, Portsmouth,Hampshire
(王立ポーツマス海軍基地 イングランド国南東イングランド地域ハンプシャー州ポーツマス市)
  • オライオンは英海軍同級戦艦1番艦。同型艦にMonarch(モナーク)、Conqueror(コンカラー)、Thunderer(サンダラー)がいる。
  • 英独建艦競争を受けて前級(コロッサス級)より強力な艦艇を建造するためさらに大型化・高火力化したことから、弩級戦艦と位置付けられる。以降、米 ニューヨーク級・日 扶桑型/伊勢型・仏 クールベ級/プロヴァンス級と各国における超弩級戦艦の建造が相次ぐこととなる。
    • 弩級=戦艦ドレッドノートの就役から間もない当時、オライオン級の起工後に情報が漏れてしまったところからマスコミが「Super-dreadnoughts(超弩級戦艦)」の呼称を用い始めたため、オライオン級がその先駆け的存在と捉えられている。
  • 就役後姉妹艦と砲撃訓練を繰り返していたオライオンは、開戦後にグランド・フリート(大艦隊)へ配属となる。このころスカパ・フローにて度々潜水艦が発見、報告が上がってきており、また水雷防御が貧弱であると判断された艦隊は、強化が行われるまで各地に分散配置されることとなる。これに倣ってスカパ・フローを離れたオライオンは、スコットランド西海岸へ送られた。
  • 開戦から4か月経った12月には、ドイツの巡洋戦艦部隊による英本土攻撃計画(=スカーバラ、ハートルプール及びウィトビー襲撃)を無線傍受にて解読できたため、イギリス艦隊はこれを迎撃した。英独両艦隊の本隊とは別に存在していた巡洋艦部隊がそれぞれ接触し交戦にはなったものの、本隊同士の海戦はすんでのところで回避され(ドイツ側の艦隊保全を目的とした後退による)、結局のところイギリスはドイツ艦隊に一方的に本土砲撃を受ける結果となってしまった。
    オライオンはこの後北海において哨戒についたり砲撃訓練を行ったりしてはいたものの、しばらくの間大規模な海戦に参加することはなかった。
  • 転機は1916年の5月末。後にユトランド沖海戦の名で呼ばれる海戦にオライオンは参加した。
    無線傍受と暗号解読によりドイツ艦隊の出撃を察知したイギリスはグランド・フリートに対し出撃を命令、大洋艦隊の撃滅を狙った。
    オライオンは海戦において主砲弾51発を発射、戦艦マルクグラーフに複数の命中弾、巡洋戦艦リュッツォウに挟叉弾の成果を得たものの、自身も主砲2門を損壊、浸水甚大という被害を被っている。
  • ユトランド沖海戦以降もドイツ艦隊の出撃に際して出撃をしてはいたが、いずれも会敵には至らず、そのまま終戦を迎える。戦後は予備役となって予備役艦隊の旗艦となり、ワシントン海軍軍縮条約に基づいて廃棄の対象となったため売却、1922年に解体された。