所属 | Koninklijke Marine |
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艦種・艦型 | アドミラーレン級駆逐艦 |
正式名称 | Hr.Ms. Kortenaer |
名前の由来 | Egbert Bartholomeusz Kortenaer(1604-1665) オランダ海軍提督 英蘭戦争で活躍するも、ローストフトの海戦で戦死 |
起工日 | 1925.8.24 |
進水日 | 1927.6.30 |
就役日 | 1928.9.3 |
除籍日(除籍理由) | 1942.2.27(蘭Slag in de Javazee/スラバヤ沖海戦 1942.2.27沈没) |
全長(身長) | 98m |
基準排水量(体重) | 1316英t(1337t) |
出力 | Yarrow式重油専焼缶3基Parsons式蒸気タービン2基2軸 31000shp(31430shp) |
最高速度 | 36.0kt(67km/h) |
航続距離 | 15.0kt(28km/h)/3200海里(5900km) |
乗員 | 149名 |
装備(建造時) | ボフォース1924年型120mm45口径単装速射砲4基4門 ボフォース1929年型75mm30口径単装高角砲2基2門 ブローニング12.7mm機関銃x4(4x1) 53.3cm三連装魚雷発射管2基 水上機x1 |
建造所 | Burgerhout's Scheepswerf en Machinefabriek, Rotterdam (ブルヘルハウト造船・機械製造社 オランダ王国南ホラント州ロッテルダム) |
- コルテノールはオランダ海軍の駆逐艦。アドミラーレン級(もしくはその第1グループであるファン・ゲント級)の3番艦で、第1・第2グループ各4隻の計8隻が建造された。
- 1920年代半ば、オランダは蘭領東インド警備のための新型駆逐艦を発注した。
設計はヤーロウ社が行ったが、設計自体は第一次大戦の戦訓や新技術を盛り込んで建造されたテスト艦である英駆逐艦アンバスケイド(HMS Ambuscade (D38))をベースとしていた。 - 搭載兵装のなかでも目を引くのが水上機であろう。この水上機は捜索能力強化を目的に搭載されたが、カタパルトで射出するなどということはなく、後部魚雷発射管の上に搭載した水上機を都度クレーンで海面におろして飛行させていた。
- コルテノールは1925年8月にロッテルダムで起工、27年6月に進水し、28年9月に就役した。
就役してまもなく、オランダ支配下の南米キュラソー島(ベネズエラの北60kmほどの場所)での反乱鎮圧のための部隊を現地に輸送した。
- 第二次大戦が勃発してからは、姉妹艦や巡洋艦ジャワとともに貨物船護衛の任に就いたが、1941年太平洋戦線の戦端が開かれるころには東インド諸島のスラバヤに移っていた。
- 1942年2月18日~20日のバドゥン海峡海戦(日本軍呼称:バリ島沖海戦)に参加した際には、一時的な操舵機能喪失によって海峡の岸壁に座礁してしまう事故が発生した。
結局離礁には翌朝まで潮の満ち引きを待たねばならず、編隊に再び合流することはできなかった。 - 同月27日のジャワ海海戦(日本軍呼称:スラバヤ沖海戦)までには修理が済んでいたためこの戦いにもコルテノールは参加したが、17時14分に日本巡洋艦羽黒の雷撃を受けて爆沈した。
近くに居た米駆逐艦の指揮官曰く、「右舷に魚雷が命中し、爆発してひっくり返り、水面から数フィートの高さにジャックナイフで切断された船首と船尾だけを残して一気に沈んだ」という。
この後英駆逐艦エンカウンターにより生存者の救助がなされ、スラバヤへと移送された。
- 沈没したコルテノールの艦体は2004年8月に沈没船専門のダイバーによって発見された(同じグループがそれ以前にデ・ロイテルとジャワも発見していた)。
しかし2016年にはそれら3艦の大部分が海底から消失しており、その痕跡から違法なサルベージが行われている可能性があるとされた。
インドネシア、シンガポール、マレーシアの近海は多くの艦艇・船舶が沈んでおり、その多くが戦没者の墓として指定されているため、オランダ国防相はこのことを報告書としてまとめている。