No487 ベインティシンコ・デ・マヨ/元ネタ解説

Last-modified: 2023-09-24 (日) 02:41:13
所属Armada de la República Argentina
艦種・艦型ベインティシンコ・デ・マヨ級重巡洋艦
正式名称Veinticinco de Mayo
名前の由来Veinticinco de Mayo スペイン語で「5月25日」の意
1810年5月25日の五月革命記念日
起工日1927.11.29
進水日1929.8.11
就役日(竣工日)1931.7.11
除籍日(除籍理由)1961.3.24(1962.3.解体)
全長170.8m
基準排水量6800英t(6909t)
出力Yarrow式重油専焼缶6缶Parsons式ギヤードタービン2基2軸
86179PS(85000shp)
最高速度32.0kt(59km/h)
航続距離14.0kt(26km/h)/8000海里(15000km)
乗員600名
装備(計画時)190mm52口径連装砲3基6門
102mm45口径連装両用砲6基12門
ヴィッカース2ポンド機関砲x6(6x1)
533mm三連装魚雷発射管2基6門
装甲舷側:50mm(水線部) 甲板:25mm(主甲板) 主砲塔:50mm(最厚部) 司令塔:65mm(最厚部)
建造所Cantiere navale fratelli Orlando, Odero Terni Orlando, Livorno
(オデーロ・テルニ・オルランド社オーランド・ブラザーズ造船所 イタリア共和国トスカーナ州リヴォルノ県リヴォルノ)
  • ベインティシンコ・デ・マヨはアルゼンチン海軍の同級重巡洋艦の1番艦。姉妹艦にアルミランテ・ブラウンがいる。
    • 艦名はアルゼンチンがスペインの植民地支配に対して起こした「五月革命」(1810.5.18-25)の記念日にちなむ。
      先代の防護巡洋艦や次代の航空母艦(旧・英コロッサス級ヴェネラブル)にも命名されたほか、アルゼンチンの地名にもよく見られる。
      またアルゼンチンでは国民の祝日にも制定されている。
  • 1920年代前半のアルゼンチンは当時のGDPで世界トップ10に入る経済大国であり、非常に豊かな国であった。
    しかしその海軍は2隻の弩級戦艦を持つなど、南米一の艦隊規模でありはしたものの旧式化が否めず、アルゼンチンは10年間で7500万金ペソを投じて艦隊を更新する計画を策定した。
    その計画の中で整備が予定されたのが本級巡洋艦3隻であった。
  • 建造経験がなかったアルゼンチンは国際コンペを開催したが、これを勝ち取ったのはイギリスでもアメリカでもなく、イタリアのOTO社であった(のちのオート・メラーラ社)。
    当初計画では3隻の巡洋艦を新造するとしていたが、国の財政状況から3番艦は発注延期となり、結果本級は2隻のみ整備された。
    • ちなみに本級3番艦の代替として、イギリスから軽巡洋艦を購入した(=軽巡ラ・アルヘンティーナ。アリシューザ級と準同型。6inch砲9門等)。
  • 本艦は1927年11月に起工、1929年8月に進水し、1931年7月に就役した。
    就役後は南米での演習や訓練、親善訪問の任務などをこなしつつ、スペイン内戦勃発時には人民戦線政府側を支援するためにスペイン沿岸部に展開した。
    スペイン内戦終息後、第二次世界大戦が勃発したが、当初アルゼンチンは中立を保っていたため特段何か行動を起こしたということはなかった。
    しかし戦争も末期の1945年3月27日に連合国側として参戦すると、降伏後のドイツ潜水艦の捜索活動にあたるなどの活動を行った(結局見つけられなかった)。
  • 戦後には姉妹艦アルミランテ・ブラウンとともに南極派遣や平和維持活動の任務に就いたが、アルゼンチンが米英の中古艦*1を購入すると、本艦の活動機会は激減する。
    公式演習には参加していたものの、ほどなくして乗組員はアルミランテ・ブラウンに移され予備役入り、1960年7月の除籍後に売却された。

*1 米・ブルックリン級軽巡フェニックスが「ヘネラル・ベルグラーノ」として、同軽巡ボイシが「ヌエベ・デ・フリオ」として再就役etc.