No491 チャパエフ/元ネタ解説

Last-modified: 2021-09-26 (日) 21:54:32
所属Военно-морской флот СССР
艦種・艦型63К型軽巡洋艦
正式名称Чапаев
名前の由来Василий Иванович Чапаев ロシア革命時の英雄的赤軍司令官
起工日1939.10.8
進水日1941.4.28
就役日(竣工日)1950.5.16
除籍日(除籍理由)1960.10.29
全長201m
基準排水量11130英t(11310t)
出力KV68型重油専焼缶6基ТВ-7型蒸気タービン2基2軸
125720PS(124000shp)
最高速度33.5kt(62km/h)
航続距離19.0kt(35km/h)/7000海里(13000km)
乗員840名
装備152.4mm57口径Б-38三連装砲4基12門
100mm56口径СМ-5-1連装高角砲4基8門
МЗА В-11М 37mm機関砲x28(14x2)
装甲舷側:100mm(水面部)/20mm(艦首尾部) 甲板:50mm(主甲板)/20mm(艦首尾部)
主砲塔:175mm(最厚部)
バーベット:130mm(最厚部) 司令塔:130mm(側盾)/100mm(天蓋)
建造所Балтийский завод,Ленинград\Санкт Петербург
(バルト工場社(ソ連 第189号工場) 旧ソビエト連邦レニングラード 現ロシア連邦北西連邦管区サンクトペテルブルク連邦市サンクトペテルブルク)
  • チャパエフはソ連海軍の建造した68型巡洋艦の1番艦。
    艦名はソ連赤軍の英雄「ヴァシーリイ・イヴァノヴィチ・チャパエフ」から。
  • 1930年代中頃のソ連海軍が開発した本級は、キーロフ級をベースにしながらも大幅に武装を改められ(180mm三連装砲3基→152mm三連装砲4基)、防御力も向上した。
    大粛清の影響もあって設計作業が遅れながらも、1939年7月に設計案が認可される。
    • 純国産で予定された本型であったが、独ソ不可侵条約によってドイツ製兵装(15cm三連装砲、10.5cm連装高角砲など)を搭載する68и計画も持ち上がった。
      しかし砲の換装のみにとどまらない大規模な改装が必要であること、また独ソ関係の悪化もあってこれは実現しなかった。
  • 1939年10月にレニングラードにて起工、1941年4月に進水するも、同年9月には独ソ戦の勃発ゆえに進捗率30%超で建造が中断される。
    避難の間に合わなかった本型の同型艦2隻がドイツ軍の手によって解体されたものの、建造中止の憂き目を見なかったチャパエフ含む5隻は戦後ようやく建造が再開され、1950年5月に就役した。
    • 進水してから避難・半ば放置されていた本型では、その建造中断期間においても設計改良が進められており、戦時中の戦訓などを踏まえた改良案として認可された68К計画に基づいて戦後就役した。
  • 就役後はコラ湾沿岸の閉鎖都市セヴェロモルスクを拠点とする北方艦隊に配属となる。
    しかし1958年には訓練艦に再分類され、60年には武装解除し浮き兵舎として利用されたのちに、上部構造物を解体してコラ湾に面する集落の岸壁として供された。