No497 U441/元ネタ解説

Last-modified: 2021-12-03 (金) 17:05:14
所属Kriegsmarine
艦種・艦型VII C型潜水艦
正式名称U 441
Unterseeboot Vierhundert Ein und vierzig(フィーアフンダート アイン ウント フィアツィヒ 400+1+4x10)
起工日1940.10.15
進水日1941.12.13
就役日(竣工日)1942.2.21
除籍日(除籍後)1941.6.8(沈没推定)
全長(身長)67.1m
基準排水量(体重)757英t(769t)
出力浮上時:Germania製6気筒ディーゼルエンジン2基2軸 3200PS(3156.2shp)
潜水時:Brown Boveri製電気モーター2基2軸 750PS(739.7shp)
最高速度水上:17.7kt(32.8km/h) 水中:7.6kt(14.1km/h)
航続距離水上:10.0kt(19km/h)/8500海里(15700km)
水中:4.0kt(7.41km/h)/80海里(150km)
乗員指揮官4名 乗組員40~56名→67名(U-flak 1時代)
装備(建造時)8.8cm45口径SK C/35単装砲1門
2cmC/30機関砲x1
53.3cm魚雷発射管5門(艦首:4門 艦尾:1門)
装備(U-Flak 1時代)2cmC/38機関砲(2x4)
3.7cm M42機関砲x1
MG 42機関銃複数
装甲なし
建造所Schichau-Werke, Danzig
(F.シーヒャウ社 旧ドイツ国ダンツィヒ州ダンツィヒ 現ポーランド共和国ポモージェ県グダニスク市)
  • U441はドイツ海軍の大量建造したUボートVIIC型の一隻。姉妹艦のなかではU81U96U556U1206が実装されている。
    1940年10月にダンツィヒにて起工、翌年12月進水、翌年2月就役。
  • この艦は就役してから撃沈されるまでの2年3か月強の間、合計9回の哨戒活動に出撃した。
    独・キール方面から仏・ブレスト方面に進出し、同地を拠点として大西洋中央部に展開した。
  • 1943年2月に第3次哨戒に出撃したが、そこでサンダーランド飛行艇の攻撃を受けわずかに損傷した。
    このほかにも同様の事例が他のUボートでも見られたことから、ドイツ海軍では空の脅威が認識されるに至り、U441は「U-Flakボート」(対空潜水艦)に改装されることとなった。
    フランスのUボート基地から出撃した通常の攻撃用Uボートの水上護衛を担うものとして設計され、(潜水艦にしては)強力な防空火力で敵機を撃墜する罠としての目的があった。
    • 立ち絵にもあるように、司令塔の前後に2 cm Flakvierling 38を1基ずつ設置したほか、3.7 cm Flak M42 機関銃を1挺、MG 42機関銃を多数配置した。
  • この改装の結果それまでの役割から大きく異なった艦となったU411は「U-flak 1」と改称された。
    対空能力の大幅強化に伴って、乗組員も1.5倍ほどになった。
  • 改装後の1943年5月、U441改めU-flak 1の最初の哨戒(通算4回目)では早速その対空能力を発揮することになった。
    襲撃に来た英国空軍のサンダーランド飛行艇を撃墜する戦果を挙げられたのだが、逆にU-flak 1は爆雷5個の投下を受けて大破してしまった。
    その次の哨戒(43年7月・通算5回目)でも空襲を受けて損傷を受けてしまっており、戦果を挙げるにはあまりに効果がないとみなされたためか、U-flak 1は元の状態に戻されて名称もU441になった。
  • 6~8回目の哨戒では特に目立った戦果はなく、1944年6月6日(=「D-Day」:ノルマンディー上陸作戦決行日)に最後の哨戒活動のため英仏海峡に向かった。
    出発から2日後には無線連絡が途絶え、そのまま消息を絶った。
    英国空軍第224飛行隊のリベレーターにより撃沈されたものとされている。