所属 | Royal Navy |
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艦種・艦型 | カウンティ級ロンドン型重巡洋艦→練習艦(1947) |
正式名称 | HMS Devonshire (39) |
名前の由来 | Devonshire(County of Devon) イギリス・デヴォン州(旧称デヴォンシャー) |
起工日 | 1926.5.16 |
進水日 | 1927.10.22 |
就役日(竣工日) | 1929.3.18 |
退役日(除籍後) | 1954.6.16(売却後解体) |
全長(身長) | 192.8m |
基準排水量(体重) | 9750英t(9906t) |
出力 | Admiralty式重油専焼缶8基Parsons式蒸気タービン4基4軸 80000shp(81109.6PS) |
最高速度 | 32.5kt(60.18km/h) |
航続距離 | 12.0kt(22.22km/h)/12500海里(23150km) |
乗員 | 784名 |
装備(建造時) | 8inch50口径Mk.VIII連装砲4基8門 4inch45口径Mk.V単装両用砲4門 ヴィッカース2ポンド機関砲x4(4x1) 21inch四連装魚雷発射管2基8門 |
装甲 | 舷側:1inch 甲板:1.375~1.5inch 砲塔:1inch バーベット:1inch 隔壁:1inch 弾薬庫:2~4.375inch |
建造所 | Her Majesty's Naval Base, Devonport, Devon (王立デヴォンポート海軍基地 イングランド国南西イングランド地域デヴォン州プリマス市デヴォンポート区) |
- デヴォンシャーはロンドン級重巡洋艦の1隻。実装済み姉妹艦はロンドンとシュロップシャー。
- 1926年5月に起工、27年10月に進水、29年3月に就役。
就役後地中海艦隊の第1巡洋艦戦隊の配属となり、基本的にはここを拠点とした。
就役から4か月ほどたったころ、エーゲ海にて砲撃訓練中だったデヴォンシャーはX砲塔(3番砲塔)での誤射誘爆という事故に見舞われる。
幸いなことに弾薬庫にまでは引火しなかったものの少なくない犠牲者を出し、早速本国に修理のため戻る羽目になってしまう。
以降は大きな事故はなかったものの、度々仰角調整装置や対空砲増強などのため本国に戻っては改修工事を施されていった。
- そんなこんなで地中海にて訓練や護衛にあけくれていたデヴォンシャーであったが、開戦以降は本国に一時帰国。
ドイツ戦艦シャルンホルスト・グナイゼナウによる通商破壊阻止のためネルソン・ロドニーらとともに出撃するも空振りに終わる。
- 1940年になってからはデヴォンシャーはノルウェー方面に展開、ナルヴィクからドイツへの鉄輸送線の遮断をはかることとなった。
現地に展開していたドイツ航空隊に度々攻撃されるもどうにかニアミスで乗り切り、ノルウェー軍艦の護送等を遂行したほか、同年6月にはノルウェー政府関係者(王・王太子・首相)の避難という重役をも担った。 - 8月にはダカールへの自由フランス軍上陸作戦「メネス作戦」支援のため北アフリカ方面に転戦。
しかし途中幾度かフランス艦隊との交戦機会があったものの、視界不良や煙幕の影響で与えた損傷はごくわずかにとどまり、作戦も失敗に終わった。 - メネス作戦が失敗に終わってからもデヴォンシャーはしばらくドイツ武装商船コルモランの捜索を行っていたが、こちらも振るわずに翌1941年1月本国に帰還。
対空砲とレーダーの増強を施され、夏場は北方に展開した空母の護衛や援ソ船団の支援に従事したあと、秋口に東洋艦隊へ転属して仏領インドシナ行き船団護衛を行った。
- 1942年初頭からはアメリカ・ノーフォークにてさらなるレーダーと対空兵装の増設を行い、アメリカ発西アフリカ行き船団の護衛に出立。
4月には日本軍のマダガスカル島占領阻止を目的に実施された「アイアンクラッド作戦」の一環として船団護衛をつづけた。
同年後半に対空兵装を刷新した後、デヴォンシャーは44年3月までかかる長い改装工事を行った。
この改装工事では、主砲1基やカタパルトさえ撤去してポンポン砲やエリコン機銃を満載するほか、レーダーも最新型に換装されるなど、近・中距離の防空能力が格段に向上した。
- 大規模改装後、デヴォンシャーはノルウェー方面で空襲を行う空母の護衛に複数回駆り出された。
ドイツ降伏後には亡命していたノルウェー国王の帰還させ、その後兵員輸送艦としてオーストラリアとを行き来している。 - 1947年に訓練艦となり、53年の英女王エリザベス2世戴冠式記念観艦式に参加した後、正式に退役、同年末にスクラップとして売却・解体された。