No57 ジュノー/元ネタ解説

Last-modified: 2022-08-01 (月) 21:45:01
所属United States Navy
艦種・艦型アトランタ級軽巡洋艦
正式名称USS Juneau (CL-52)
名前の由来City of Juneau アメリカ合衆国アラスカ州ジュノー市郡
起工日1940.5.27
進水日1941.10.25
就役日(竣工日)1942.2.14
除籍日(除籍理由)不明(第三次ソロモン海戦/Naval Battle of Guadalcanal 1942.11.13沈没)
全長(身長)165.1m
基準排水量(体重)6718英t(6826t)
出力Babcock&Wilcox式重油専焼缶4基Westinghouse式蒸気タービン2基2軸 75000shp(76040.2PS)
最高速度32.5kt(60.18km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/8500海里(15742km)
乗員673名
装備(建造時)5inch38口径Mk.12連装両用砲8基16門
1.1inch機関砲x16(4x4)
エリコン20mm機関砲x8
21inch四連装魚雷発射管2基8門
爆雷投射機x6
爆雷投下軌条x2
装甲舷側:1.1~3.75inch 甲板:1.25inch 砲塔:1.25inch 艦橋:2.5inch
その他ゲームとの性能違い実際には雷撃可能だがゲームでは雷撃できない
建造所Federal Shipbuilding and Drydock Company,Kearny, New Jersey
(フェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社 アメリカ合衆国ニュージャージー州ハドソン郡カーニー町)
勲章Navy Combat Action Ribbon
American Campaign Medal
Asiatic Pacific Campaign Medal (4 stars)
World War II Victory Medal
  • アメリカ海軍に所属するアトランタ級防空巡洋艦二番艦。艦籍番号はCL-52。
    竣工後、太平洋戦線に投入され高い防空能力を発揮。たった1隻で30機近い日本軍機を叩き落とした。
  • 進水は1941年10月25日、その後太平洋戦争が勃発してすぐの1942年2月に就役。
    太平洋戦争開戦時のアメリカ海軍が誇る新鋭巡洋艦であった。
  • 当初はカリブ海や大西洋で活動していたジュノーは、対日戦へと参加。
    ガタルカナル島への戦闘機輸送の護衛中、伊19に撃破されたワスプの乗員救出などに活躍。
    さらにタラワに停泊中の日本艦への艦砲射撃などを行った。
    南太平洋海戦では襲い掛かる日本艦載機を次々と撃墜し、この時だけで18機の日本機を叩き落とした。
  • だが、彼女は短命だった。第三次ソロモン海戦に参加した際、駆逐艦天津風が放った魚雷が直撃し大破。
    応急修理で自力航行が可能になったものの、忍び寄ってきた伊26潜に雷撃され弾薬庫が引火。炎を上げて沈没した。それは1942年11月13日の事だった。
  • 悲劇はこれだけでは終わらなかった。
    同伴だった巡洋艦サンフランシスコヘレナと駆逐艦たちが追撃を恐れ海域を早々に離脱してしまう。
    撃沈時に100名ほど波間に漂っていた生存者は救助もされず、サメが出没する海域に取り残された。
    さらに運の悪い事に、戦闘の混乱により航空機による捜索の命令が後回しになってしまい、時間がかかってしまった事も悲劇に拍車をかけた。
    捜索にきた飛行艇に救助されるまでの8日間でサメの襲撃や疲労・衰弱により命を落とし、わずか10名のみが救助されている。
    • 沈没時に艦と運命を共にした者と合わせて683名の兵士が戦死。艦長のライマン・K・スウェンドン大佐も漂流中に落命した。
      また、後述のサリヴァン兄弟のフランシス、ジョゼフ、マディソンの3名は沈没に巻き込まれ戦死。
      アルバートとジョージも漂流中に亡くなった。
  • この際に5人兄弟でジュノーへ乗り込んでいたサリヴァン兄弟が全員戦死するという痛ましい事件が発生。
    以降、アメリカ軍では兄弟や親類は分散配置されるという方針に切り替えられた。
    また、兄弟が戦死し1人のみになった場合は強制的に内地へと帰還させるソウル・サバイバー・ポリシーが制定されたのもこの事件が理由のひとつ。
    映画「プライベート・ライアン」の元ネタとしてもお馴染みである。
  • この沈没時、軽巡洋艦ヘレナの艦長であり艦隊の指揮官であったギルバート・C・フーバー大佐の判断により、沈没時には生存者は居ないと判断された。
    これにより艦隊は潜水艦の攻撃を恐れ海域を離脱、残された生存者が多数犠牲になるという悲劇に発展した。
    この事実は南太平洋軍司令官のハルゼー大将の不興を買い、フーバー大佐が艦長から下ろされる事態に発展している。
    後にチェスター・ニミッツ大将がこの判断に疑問を呈した事でハルゼー大将は謝罪しフーバー大佐の名誉は回復されている。
  • 「ジュノー」の艦名はアトランタ級軽巡洋艦(CL-119)に引き継がれている。
    また、時は流れ1966年にはクリーヴランド級ドック型輸送揚陸艦「ジュノー」が進水している。
    2008年に行われた輸送揚陸艦ジュノーの退役式典には、漂流を生き延びた10名の生存者の1人、オーレル・セシルが招待されたという。