No97 レシーテリヌイ/元ネタ解説

Last-modified: 2018-07-23 (月) 00:30:33
所属Военно-морской флот СССР→中国人民解放军海军(1954)
艦種・艦型7型計画駆逐艦→6607型ミサイル駆逐艦(1970)
正式名称Поспешный→Решительный(1940)→长春(1954)
名前の由来Поспешный ロシア語で急ぐという意味
→Гремящий ロシア語で明白な、疑いのない、決定的なという意味
→长春市 中華人民共和国吉林省長春市
起工日1936.8.23 一時建造停止
再起工日1939.8.23
進水日1941.4.30
就役日(竣工日)(1941.9.5)
中国海軍移籍日1953.6.4
除籍日(除籍後)1990.8(中国山東省乳山市に保存)
全長(身長)112.8m
基準排水量(体重)1402.5英t(1425t)→1633.8英t(1660t)
出力メーカー不詳重油専焼缶3基ГТЗА-24式蒸気タービン2基2軸 48000PS(47343.4shp)
最高速度38.0kt(70.37km/h) 39.37kt(72.91km/h)(最大)
航続距離19.83kt(36.72km/h)/2640海里(4889.28km)
乗員246名
装備130mm50口径Б-13単装砲4基4門
76.2mm55口径34-К単装高角砲2門
45mm46口径21-K単装高角砲2門
ДШК12.7mm機関銃x2
533mm三連装魚雷発射管2基6門
爆雷投射機1基
機雷x48
装備(1970)130mm50口径Б-13単装砲4門
61式37mm連装高角砲4基8門
上游一号対艦ミサイル連装発射機2基
250mm65式五連装対潜ロケット爆雷発射機2基
64式爆雷投射機2基
装甲無し
建造所Черноморский судостроительный завод, Николаеве
(スマート海上グループ社黒海造船所(ソ連 第198号海軍工廠) ウクライナ国ムィコラーイウ州ムィコラーイウ市)
  • レシーテリヌイはソ連海軍の7型駆逐艦(「グネフヌイ」級)の一隻。コムソモリスク・ナ・アムーレで生産され、1939年に進水、1941年に就役した。
  • グネフヌイ級には「レシーテリヌイ」と名付けられた艦が2隻存在している。元々この艦の名前は「Поспешный」だった。就役前の1938年11月に嵐と不十分なナビゲーションにより沈没した初代の名を引き継いだ。
  • その後は中華人民共和国に売却され『長春』と改名。1990年に退役後、山東省乳山市(36°48'31.35"N 121°37'48.03"E)において記念艦として展示されている。
  • ミサイル駆逐艦というと"DDG"を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
    アメリカを始めとした西側諸国では艦隊防衛用の対空ミサイルを搭載した駆逐艦をDDG(Guided missile Destroyer ミサイル駆逐艦)と呼んでいる。
    対してソビエト連邦、ロシア、中国を始めとした東側諸国でのミサイル駆逐艦は定義が異なる。
    基本的に艦対艦ミサイルを搭載した攻撃型の駆逐艦を「ミサイル駆逐艦」と分類し、防衛用の対空ミサイルしか積んでいない駆逐艦はただの「駆逐艦」に分類されている。
    西側諸国ではこういった艦種をASDG(Anti-Surface Destroyer Guided-missile 対艦ミサイル駆逐艦)と呼んでいる。
  • 第二次大戦も終わった1950年代
    国民党を大陸から駆逐し中華人民共和国を建国した共産党率いる人民解放軍海軍はイギリスの古旧艦を購入しようとしていた。
    だが朝鮮戦争の勃発と、北朝鮮側としての参戦(義勇軍という建前だった)により制裁を受けていたため兵器購入には難儀していた。
    そこで、ソビエト連邦から1940年代に就役した艦艇4隻を各隻を当時の17トンの金に相当する高価格で購入することにした。その中に含まれていたレシーテリヌイが、中国にて新たに得た名前、それが長春である。
    経済的なダメージは避けられなかったが、当時の人民海軍としては貴重かつ重要な海軍艦艇として使用され続け、なんと1990年代まで使い倒された。
    本艦は1960年代に近代化改装が施され、魚雷発射管の代わりにP-15 テルミートを搭載したミサイル駆逐艦となっている。