No140 ソルトレイクシティー/元ネタ解説

Last-modified: 2022-05-01 (日) 18:14:43
所属United States Navy
艦種・艦型ペンサコーラ級巡洋艦→重巡洋艦(1931)
正式名称USS Salt Lake City (CL/CA-25)
名前の由来City of Pensacola アメリカ合衆国ユタ州 ソルトレイク郡ソルトレイクシティ
愛称Old Swayback, Swayback Maru, Slick City, One Ship Fleet, Queen Of The Seas, Sails Like Crazy, Tinclad, Wallowing Ghost
起工日1927.6.9
進水日1929.1.23
就役日(竣工日)1929.12.11
退役日(除籍後)1946.8.29 1948.6.18除籍(1948.5.25標的艦として沈没)
全長(身長)178.5m
基準排水量(体重)9100英t(9246t)
出力Westinghouse式重油専焼缶8基Parsons式蒸気タービン4基4軸 107000shp(108484.1PS)
最高速度32.5kt(60.18km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/10000海里(18520km)
乗員指揮官87名 乗組員576名
装備(竣工時)8inch55口径連装砲2基三連装砲2基10門
5inch25口径単装高角砲4門
3ポンド単装砲2門(礼砲)
1.1inch機関砲x16(4x4)
ブローニング12.7mm機関砲x8
21inch三連装魚雷発射管2基6門
艦載機x4
装備(1945)8inch55口径連装砲2基三連装砲2基10門
5inch25口径単装高角砲4門
3ポンド単装砲2門(礼砲)
ボフォース40mm機関砲x24(6x4)
エリコン20mm機関砲x19
艦載機x4
装甲舷側:2.5~4inch 甲板:1~1.75inch 砲塔:0.75~2.5inch バーベット:0.75inch 艦橋:1.25inch
建造所New York Shipbuilding Corporation, Camden, New Jersey
(ニューヨーク造船所 アメリカ合衆国ニュージャージー州カムデン郡カムデン市)
勲章Navy Combat Action Ribbon
Navy Unit Citation
American Defense Service Medal(Fleet clasp)
American Campaign Medal
Asiatic Pacific Campaign Medal(11 stars)
World War II Victory Medal
Philippine Presidential Unit Citation
Philippine Liberation Medal
  • 1929年12月の就役後、太平洋艦隊の一員として各地を回る部隊の護衛としてよく働いていた。
  • 1941年12月、雲行きの怪しい太平洋の要衝、ウェーク島の防衛強化のため、空母エンタープライズはウェーク島へ新鋭F4F戦闘機12機を輸送。
    この護衛に付き添った帰り道で真珠湾攻撃を知る。
    離脱する日本艦隊を補足しようと偵察機を発進させたが発見できず、地獄絵図とかした真珠湾へ戻った。
  • その後は一貫して太平洋の闘いを影に日向に支え続けた。
    東京初空襲の空母ホーネット護衛に始まり、ミッドウェーでは後詰として防衛を担当、ワスプ撃沈の際は救助に当たった。
  • ソルトレイクシティの「日向」は日本の輸送作戦(東京急行)阻止のため出撃したサボ島沖でのことだった。
    混乱と不確定要素、そして日本軍の不手際も重なったこの夜戦で勝利を収める。
    損傷したソルトレイクシティは真珠湾へ戻り修理を行った。
  • 修理完了後、今度はアリューシャン列島へと向かったソルトレイクシティはそこで軽巡リッチモンドと4隻の駆逐艦の第8任務部隊を編成し、日本軍のアッツ島への輸送を妨害しはじめた。
    1943年3月26日未明、日本軍輸送艦隊を探していた第8任務部隊はレーダーに敵影を捉えた。
    高速の巡洋艦隊で一気に接近し、輸送艦を攻撃して高速のまま離脱しようと艦隊は突撃していったが、輸送部隊の護衛重巡2隻(那智、摩耶)と軽巡2隻(多摩、阿武隈)、駆逐艦4隻と遭遇する。
    ソルトレイクシティは追いかける輸送艦に1・2番砲塔で、追いすがる護衛艦隊へ3・4番砲塔で射撃しながら突っ走った。
    しかし輸送艦隊には逃げられてしまい、転進して退却を図ろうとしたところで敵の主砲が直撃、燃料パイプに浸水して機関が停止してしまう。
    絶体絶命のピンチだが、ソルトレイクシティの砲撃も敵に命中したためその隙に駆逐艦が煙幕を張った。
    駆逐艦たちが魚雷攻撃などで必死に敵を追い払おうとする中、ソルトレイクシティは間一髪修復が完了すると機関を再始動させ離脱に成功した。
    両軍ともに沈没なしであったが、第8任務部隊は戦力で劣りながら輸送作戦の阻止に成功し戦略的勝利をもぎ取った。
    ソルトレイクシティは9月までこの方面の支援を行ったのち、10月からは再び南方戦線へと舞い戻った。
    その後も終戦まで空母の護衛と陸上砲撃などの支援任務を続けた。
  • 終戦後は復員兵を輸送するマジックカーペット作戦に従事した後、クロスロード作戦の標的艦となり、姉のペンサコーラとともに2度の実験を受けた後、本国に回送されカリフォルニア沖で標的艦として生涯を閉じた。
  • 従軍星章は11個。太平洋の殆どの作戦に参加し、Old Swayback(背骨の曲がった老馬、酷使された馬車馬ぐらいの意味)とまで呼ばれた。

小ネタ

  • 開戦当時の艦長を務めていたザカライアス大佐は日本好きの日本通として知られており、
    紆余曲折の末終戦直前に日本に向けたプロパガンダ放送、いわゆる「ザカライアス放送」を行った。
  • アッツ島沖海戦でソルトレイクシティは800発あった主砲の徹甲弾をすべて撃ち尽くしてしまい、苦し紛れに榴弾を発射していた。
    しかしアメリカ軍の航空攻撃を恐れていた日本は榴弾の爆発を水平爆撃によるものと勘違いし、損害拡大を恐れて撤退していった。