所属 | Marine nationale |
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艦種・艦型 | リシュリュー級戦艦 |
正式名称 | Jean Bart |
名前の由来 | Jean Bart 17世紀後半に活躍したフランス私掠船船長・海軍軍人 |
起工日 | 1936.12.12 |
進水日 | 1940.3.6 |
就役日 | 1949.1.8 |
除籍日(除籍理由) | 1957.8.1(1970.2.10 解体) |
全長(身長) | 247.85m |
基準排水量(体重) | 37250英t(37850t)→42372英t(43052t、完成時) |
出力 | Indret式重油専焼缶6基Parsons式蒸気タービン4基4軸 155000PS(152879.6shp) |
最高速度 | 32.0kt(59.26km/h) |
航続距離 | 15.0kt(28km/h)/9500海里(17600km) |
乗員 | 1569名→2220名(完成時) |
装備(設計時) | 380mm45口径M1935四連装砲2基8門 152mm55口径M1936三連装砲3基9門 100mmM1931連装高角砲6基12門 37mm機関砲x8 13.2mm機銃x20 艦載機x4 |
装備(完成時) | 406mm三連装砲3基9門 152mm55口径M1930三連装砲3基9門 100mm連装高角砲6基12門 ボフォース57mm機関砲x28(14x2) |
装甲 | 舷側:330mm 甲板:170mm 砲塔:430mm 艦橋:340mm |
建造所 | Ateliers et Chantiers de Penhoët à Saint Nazaire,Saint Nazaire (ペノエ社サン=ナゼール造船所 フランス共和国ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県サン=ナゼール郡サン=ナゼール) |
- フランス海軍の建造したリシュリュー級戦艦の2番艦。竣工年度的には、現時点において歴史上最後に建造された戦艦である。
- リシュリュー級自体は4隻計画されたものの、3番艦クレマンソーは進捗10%でWW2開戦のため建造中止となった。
さらに建造が承認されていた艦としてガスコーニュ(リシュリュー級4番艦だが大幅な改設計のため改リシュリュー級とも)・アルザス級2隻(さらに2隻追加予定)があったが、これらも造船所がドイツの占領下に入ったため建造・計画中止を余儀なくされた。
- リシュリュー級自体は4隻計画されたものの、3番艦クレマンソーは進捗10%でWW2開戦のため建造中止となった。
- 1930年代中盤、ヨーロッパでの建艦競争の機運からダンケルク級に続いてリシュリュー級の建造が行われた。
ストラスブール進水の同日にジャン・バールが起工されたものの、1939年9月の第二次世界大戦勃発には間に合わず、工事進捗率76%の状態で1940年3月6日に進水。同年6月19日、書類上では就役した。 - この段階では、いまだにジャン・バールは完成には程遠い状態であった。
武装や測距儀、ボイラーが半分も載っていない有様であったが、ドイツによる鹵獲を回避するためにカサブランカに旅立った。
しかしカサブランカへの航行中に独仏休戦協定が成立、ジャン・バールはヴィシー・フランス海軍艦艇として連合国艦艇と対峙する運命となった。
カサブランカ到着後に艤装工事を再開したものの、物資不足などから完全なものにはできなかった。
- 1942年11月8日には、トーチ作戦行動中のアメリカ艦隊との戦闘が行われた(=カサブランカ沖海戦)。
空母レンジャーや戦艦マサチューセッツ、重巡オーガスタなどからの攻撃を受け、艦内が未完成であったこともあって一時電気系統にも損傷を受けるも翌日には回復。
たった1基とはいえ38cm四連装砲が稼働状態にあることは脅威であり、主力艦の思わぬ損傷につながるとみなされ、爆撃機による反復攻撃でジャン・バールは着底、マサチューセッツの砲撃で無力化された。
戦闘終結後は、ダンケルク級戦艦や重巡アルジェリー、モガドール級大型駆逐艦などのごとく自沈処分とされることはなく、そのまま放置された。ただしなけなしの主砲はリシュリューの予備として持っていかれてしまった。
- 1945年8月25日、ようやく浮揚されシェルブールへ回航され、翌年工事を再開、1949年に竣工した。
この際に本艦の艦容は戦訓に基づいた近代的なものに一新された。
主砲はドイツが接収・沿岸砲として転用していたクレマンソー用のものを搭載、対空装備・レーダー・機関出力などを大幅強化、復元性改善のためのバルジ装着などがなされた。
- 1949年中に公試が終了し1950年には地中海艦隊に配備された。
1956年に勃発した第二次中東戦争においては、エジプトに対する作戦行動を行った。
1957年からは予備艦として砲術練習艦任務に就き、1961年に除籍。
1969年にスクラップとして売却され、1970年に解体された。- ちなみにアルジェリア戦争中の1958年9月には、トゥーロン港停泊中にFLNの水中破壊工作部隊による船底へのリムペットマインの装着事件が起きた(失敗に終わった)。
- 維持費や人員不足のために竣工・就役から10年も持たず予備役入りとなってしまったジャン・バールだが、実は50年代後半、海軍ではジャン・バールの近代化改装が複数案計画されていた。
その内の一つが、ジャン・バール改の元となった"ミサイル巡洋艦"計画であった。- 5案あった設計案のうち、例えばある案では副砲群の後ろ、船体後端にかけて防護甲板を延伸しミサイル弾薬庫を設置、6基の発射機を有し、75発以上のミサイルを搭載するというものがあった。
ほかにも、一番砲塔を撤去してしまい、艦前方に広くミサイル艦としての機能を集約、300発以上のミサイルを載せるなど、冒険的な設計もあった(さすがに主砲が惜しかったのか、他の案ほど研究が進んだ案ではなかったが)。
しかし搭載される予定のミサイルについては一切言及がなく、それゆえか搭載予定本数も相当ゆとりを持たせた幅で構想されていたようである(前述のものだと75-150発など)。- 計画の進んでいた1950-60年代では有効な艦対艦ミサイルの開発は未だ不十分で、また戦後ということもあり各国で核兵器の開発とその運用法(主に抑止力として)が模索されていた。
立ち絵だと自身の身の丈ほどもある巨大なランチャーから放たれるレギュラス艦対地巡航ミサイル*1が、また持参装備ではマズルカ艦対空広域防空ミサイルが描かれている(それぞれちょうどその当時運用されていたアメリカあるいはフランス製のミサイル)。
ゲーム内で核兵器が用いられるわけではないものの、ほかにも戦艦少女ではポラリス弾道ミサイル(核弾頭搭載)を発射筒だけの見せかけとはいえ装備したイタリア巡洋艦ジュゼッペ・ガリバルディや、搭載したミサイルの数本にこちらは本物の核弾頭を装着していたソ連巡洋艦グロズヌイが存在する。
- 計画の進んでいた1950-60年代では有効な艦対艦ミサイルの開発は未だ不十分で、また戦後ということもあり各国で核兵器の開発とその運用法(主に抑止力として)が模索されていた。
- 実際にはこうした改装計画は机上に留まり、ジャン・バールが引き続いてフランスの象徴たる艦としてあり続けることはできなかった。
もしこの計画が成っていれば、あるいはアメリカのミサイル戦艦の如き勇姿が見れたのかもしれない。
- 5案あった設計案のうち、例えばある案では副砲群の後ろ、船体後端にかけて防護甲板を延伸しミサイル弾薬庫を設置、6基の発射機を有し、75発以上のミサイルを搭載するというものがあった。