No488 U556/元ネタ解説

Last-modified: 2021-12-03 (金) 17:48:00
所属Kriegsmarine
艦種・艦型VII C型潜水艦
正式名称U 556
Unterseeboot Fünfhundert sechs und fünfzig(フュンフフンダート ゼクス ウント フュンフツィヒ 500+6+5x10)
起工日1940.1.2
進水日1940.12.7
就役日(竣工日)1941.2.6
除籍日(除籍後)1941.6.27(沈没)
全長(身長)67.1m
基準排水量(体重)757英t(769t)
出力浮上時:Germania製6気筒ディーゼルエンジン2基2軸 3200PS(3156.2shp)
潜水時:Brown Boveri製電気モーター2基2軸 750PS(739.7shp)
最高速度水上:17.7kt(32.8km/h) 水中:7.6kt(14.1km/h)
航続距離水上:10.0kt(19km/h)/8500海里(15700km)
水中:4.0kt(7.41km/h)/80海里(150km)
乗員指揮官4名 乗組員40~56名
装備(建造時)8.8cm45口径SK C/35単装砲1門
2cmC/30機関砲x1
53.3cm魚雷発射管5門(艦首:4門 艦尾:1門)
装甲なし
建造所Blohm + Voss, Hamburg
(ブローム・ウント・フォス社 ドイツ連邦共和国ハンブルク市)
  • U556はドイツ海軍の大量建造したUボートVIIC型の一隻。姉妹艦のなかではU81U96U441U1206が実装されている。
    1940年1月にハンブルクにて起工、同年12月進水、翌年2月就役。
  • U556は戦艦ビスマルクと縁の深いUボートだった。
    どちらもハンブルクの造船所で建造され、建造完了もだいたい同じ時期であった。
  • 1941年に入ってU556の就役が近づくと、同艦指揮官ヘルベルト・ヴォールファールトは就役を祝して軍楽隊を準備しようとしたが、準備できるほどの余裕がなかった。
    そうしたなかで戦艦ビスマルクの艦長エルンスト・リンデマンがビスマルク軍楽隊を貸し出してくれた。
    そのお礼にヴォールファールトは、U556がビスマルクを守ることを誓う「代父証明書」を面白おかしく作成した。
  • その証明書には、U556の甲板上に騎士に扮したヴォールファールトが、剣で航空機を、親指で魚雷を止める様子、そして潜水艦(U556)が戦艦(ビスマルク)を曳航している様子とともに、以下のような文章がしたためられている。
    • Wir U556 (500 to) erklären hiermit vor Neptun, dem
      Herrscher über Ozeane, Meere, Seen, Flüsse, Bäche, Teiche und Rinnsale
      daß wir unserem grossen Bruder, dem Schlachtschiff
      Bismarck (42.000 to) in jeder Lage, zu Wasser, unter Wasser,
      zu Lande wie in der Luft beistehen wollen.
      Hamburg, den 28. Januar 1941
      Kommandant u
      Besatzung U556
      [和訳]
      我々U-556(500t)は、大洋・海・湖・川・小川・池・せせらぎを統べるネプチューンの前で、
      水上・水中・陸上・空中のあらゆる状況において、我々の兄貴分である戦艦ビスマルク(42,000t)を助けることをここに宣言する。
      1941年1月28日、ハンブルク
      U556 司令官・船員一同
  • このようなほほえましいやり取りを経て、U556は1941年5月1日に最初の哨戒活動に出航する。
    向かう先はグリーンランド南部海域で、そこに至るまでに早速1隻の漁船を血祭りにあげる。
    10日にはグリーンランド南端・フェアウェル岬の南東でOB318船団攻撃のためのウルフパックに参加。
    英商船を1隻撃沈・1隻大破の戦果を得た。
    さらに20日にはHX126船団にも攻撃を加え、U556は2隻の英商船と1隻の英タンカーを撃沈した。
  • 順調な通商破壊の結果、U556は魚雷をすべて撃ち尽くして燃料も少なくなっていたところだったのだが、26日に上層部から戦艦ビスマルクの所在確認の偵察を命じられた。
    同日夕刻には、ビスマルク追撃のため高速で航行する英巡戦レナウンと英空母アーク・ロイヤルを捕捉したものの、魚雷がないために後方に張り付いて追跡するほかなかった。
    翌日(27日)未明にはビスマルクが交戦しているさまを観測するに至り、他のUボートの増援のための信号を発していた。
    朝方にU74が増援に駆け付けると、これ以上の偵察活動は帰航すら困難になるとしてビスマルクの位置情報・戦況報告の任をU74へと移して、U556はロリアンへと戻っていった。
  • …これがビスマルクとU556の最後の邂逅であった。というのも、その日の10時半ごろにビスマルクはあえなく沈没してしまったのである。
    代父証明書で取り交わされた誓いはついに果たされることはなかったのであった。
    U556は5月30日にロリアンに帰航し、ヴォールファールトはUボート艦隊総司令カール・デーニッツ直々に騎士鉄十字章を授与された。
  • 補給や休養を経て同年6月19日、U556は二度目の哨戒活動に出航する。そしてこれが最後の哨戒活動となった。
    出発から一週間近くたった27日、アイスランド南西の海域において英フラワー級コルベット3隻に本艦が捕捉され、爆雷攻撃を受けて沈没してしまったのだった。