所属 | United States Navy |
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艦種・艦型 | ボルチモア級重巡洋艦→オールバニ級ミサイル巡洋艦(1958) |
正式名称 | USS Chicago (CA-136/CG-11) |
名前の由来 | City of Chicago アメリカ合衆国イリノイ州クック郡シカゴ市 |
起工日 | 1943.7.28 |
進水日 | 1944.8.20 |
就役日(竣工日) | 1945.1.10 / 1964.5.2[ミサイル巡洋艦として] |
退役日(除籍後) | 1947.6.6 / 1980.3.1(1984.1.31除籍) |
全長(身長) | 205.26m |
基準排水量(体重) | 14472英t(14704t) |
出力 | Babcock&Wilcox式重油専焼缶8基GE式ギヤード蒸気タービン4基4軸 120000shp(121664PS) |
最高速度 | 33.0kt(61.11km/h) |
航続距離 | 15.0kt(27.78km/h)/10000海里(18520km) |
乗員 | 1142名 |
装備(竣工時) | 8inch55口径Mk.12/15三連装砲3基9門 5inch38口径Mk.12連装両用砲6基12門 ボフォース40mm60口径四連装機関砲12基48門 エリコン20mm70口径単装機関砲24基24門 艦載機x4 |
装備(1958) | 5inch38口径Mk.24単装砲2門 RIM-8「タロス」艦対空ミサイル連装発射機2基 RIM-24「ターター」艦対空ミサイル連装発射機2基 Mk.16ASROC八連装発射機1基 Mk.32三連装短魚雷発射管2基6門 |
装甲 | 舷側:4-6inch 甲板:2.5inch 船内隔壁:5-6inch 砲塔前面:8inch 砲塔後面:1.5inch 砲塔上面:3inch 砲塔側面:1.5-3.25inch |
建造所 | Philadelphia Naval Shipyard, Philadelphia, Pennsylvania (フィラデルフィア海軍工廠 アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア郡フィラデルフィア市) |
- シカゴはボルチモア級重巡洋艦のうちの1隻。先代のシカゴが1943年1月に撃沈されたため、その名前を襲名した。
巡洋艦のトン数制限などを課した海軍軍縮条約の制約から解放されて建造された当級は、その性能では列強産巡洋艦でも一二を争うものであったが、ボルチモアやボストンなどの最初期に建造された4隻の後は軒並み1943年起工ということもあり、就役するころには大戦もほぼ終わりを迎えつつあった。
シカゴも例にもれず1943年7月起工・44年8月進水・45年1月就役となっており、その役目は機動部隊の護衛や火力支援任務となった。
- 就役後カリブ海や真珠湾で各種訓練を重ねたシカゴが前線にやってきたのは45年の7月。
日本本土を空襲する米任務部隊の対空護衛の役目を帯びてのことであった。
さらにはサウスダコタ級戦艦3隻をはじめとした砲撃部隊に加わり、製鉄所などの存在した岩手県釜石への艦砲射撃をおこなったほか、英戦艦キング・ジョージ5世とも合流し静岡県浜松に対しても艦砲射撃を実施した。
そうこうしているうちに日本が無条件降伏、以降秋に至るまで占領軍の支援を済ませてから本国に帰還した。
終戦翌年以後も度々極東方面に再展開したが、47年6月にいったん予備役入りとなる。
- およそ10年の時を経て、シカゴに転機が訪れる。
艦種記号をCA:重巡洋艦からCG:ミサイル巡洋艦*1に改められ、サンフランシスコ海軍工廠にて大改造工事が施されることとなったのだ。
ボルチモア級改めオールバニ級ミサイル巡洋艦2番艦として、上部構造物を徹底的に取り払ったうえでタロスおよびターターミサイルシステムなどを搭載、火器管制レーダーの視界確保のために異様なまでに背を高くされてしまったアルミ合金製艦橋構造物・煙突が目を引く様となった。 - 数年に及ぶ大改造の末、1964年5月にミサイル巡洋艦として再就役。
まったく新しい形の対空兵器である艦対空ミサイルの運用試験なども行いながら、シカゴに先行して搭載された簡易版の海軍戦術情報システム(NTDS)で空母や駆逐艦とのデータ共有を行うなどして日々を過ごした。 - 1966年からは、既にアメリカが軍事介入を進めていたベトナム戦争にもたびたび派遣。
友軍機の追跡などを行うPIRAZ*2任務にあてがわれ、アメリカ海空軍機の航空管制を行った。
戦略爆撃機B-52による北爆に際しての護衛機の調整はシカゴも担っていた。
他にも、沖縄近海でのミサイル試射のフィードバックをもとに改良されたタロスを実際に北ベトナムのレーダーサイトに対して発射する(未命中)など、対地攻撃にも参加した。 - 1972年にようやくベトナム戦線から解放され、本国で大規模オーバーホールが実施された。
新型のデジタル火器管制システムの設置やミサイルランチャーの換装などを済ませると、アメリカのプレゼンス誇示のためインド洋に展開。
その後も西太平洋を中心に各地を転々としながら時には本国で小規模な改修を受けて過ごしていた。
1980年、再度の大規模オーバーホールを行うことからそのための予算が議会を通過したが、就役から35年は経とうかというシカゴはもはや運用が非経済的であるということが検査によって判明したため、同年退役となった。
9年近くモスボール状態にて保管されてはいたものの、結局1991年にその錨を残してスクラップとなったのだった。
巡洋艦シカゴの錨は、艦名の由来となったイリノイ州シカゴにある有数の観光地「ネイビー・ピア」にて展示されている。