No103 ロイヤル・オーク/元ネタ解説

Last-modified: 2021-07-21 (水) 18:58:18
所属Royal Navy
艦種・艦型リヴェンジ級戦艦
正式名称HMS Royal Oak (08)
名前の由来Royal Oak 1651年、当時のイングランド・スコットランド皇太子チャールズが議会派の軍との戦いに敗れた後、逃亡する際に隠れたオークの木に与えられた名前。現在は孫にあたる木がボスコベル館に植えられている
愛称The Mighty Oak, The Woody
起工日1914.1.15
進水日1914.11.17
就役日(竣工日)1916.5.1
除籍日(除籍理由)不明(1939.10.14沈没)
全長(身長)189.2m
基準排水量(体重)29970英t(30451t)
出力Yarrow式石炭重油混焼缶18基Parsons式蒸気タービン2基4軸 40000shp(40554.8PS)
最高速度23.0kt(42.60km/h)
航続距離12.0kt(22.22km/h)/7000海里(12964km)
乗員909~1150名
装備(1936)15inch42口径連装砲4基8門
4.5inch45口径Mk.XVI連装両用砲4基8門
ヴィッカース2ポンド機関砲x16(2x8)
ヴィッカース0.5inch機関銃x8(2x4)
21inch魚雷発射管4門
装甲舷側:4~13inch 甲板:1~5inch 砲塔:5~13inch バーベット:6~10inch 艦橋:3~11inch 隔壁:6inch
建造所Her Majesty's Naval Base, Devonport,Devon
(王立デボンポート海軍基地 イングランド国南西イングランド地域デヴォン州プリマス市デヴォンポート区)
  • イギリス海軍のR級戦艦4番艦(5番艦と記載される場合もある)。名前の由来は清教徒革命中の1651年、当時のイングランド・スコットランド皇太子チャールズ(後のイングランド・スコットランド王チャールズ2世)が議会派の軍との戦いに敗れた後、彼らから逃亡する際に隠れたオーク*1の木に与えられた名前から、高級木材として家具などで知っている人も多いのではないだろうか
  • R級は前級クイーン・エリザベス級より安価に建造できる量産型15インチ砲搭載戦艦として生まれた艦級で、建造費を抑えるため前前級アイアンデューク級戦艦(13.5インチ砲搭載)の艦体をベースにして設計された。
    • 建造費の抑制の犠牲になったのは機関部で、QE級よりも狭小なアイアンデューク級の艦体をベースにしたことから機関室面積は当然のように減少。
      更に有時の燃料事情の悪化を鑑みてQE級の重油焚きボイラーのみの構成をやめ、出力は下がるが国内で自給可能な石炭を使用する重油石炭混焼ボイラーも搭載することになった。
      これらの仕打ちから速力はQE級の25ktから21.5ktまで低下。当時の戦艦としては標準的な速力であったが、この鈍足がR級の艦歴に影を落とし続けることとなる。
    • 後にすべてのボイラーを重油焚きボイラーに交換することになるのだが、それでも機関室が狭小なため23ktしか出せなかった。
  • 当初R級は8番艦まで建造される予定であった。
    しかし5番艦のラミリーズで増備は打ち切られ、6番艦レナウンと7番艦レパルスは巡洋戦艦として建造。8番艦レジスタンスは建造中止となる。
    全艦の艦名が頭文字がRで始まっているため、R級と呼称されている。
     
  • ロイヤルオークは1916年5月11日にデヴォンポート工廠で竣工している。
  • 初陣は第一次大戦のユトランド沖海戦。
    戦闘の後半、ドイツ戦艦部隊本体を逃がすべく英国戦艦部隊の前に立ちはだかったドイツ巡洋戦艦部隊にロイヤルオークは猛射を浴びせており、巡洋戦艦デアフリンガーに3発、巡洋艦ヴィースバーデンに1発の砲弾を命中させたとされる。
    しかしその後は大きな艦隊戦も発生しなかったことから、他の戦艦と一緒に終戦まで泊地で日向ぼっこすることとなった。
  • ワシントン・ロンドンの両軍縮条約で廃艦とはならなかったが、前述のように鈍足で戦略的価値が他の艦と比べて薄かったことから戦間期に大規模改修はなされず、機関部も副兵装も旧式のままでWW2を迎える事となる。
     
  • 第二次世界大戦では緒戦時に北海方面でグナイゼナウポケット戦艦の捜索任務を行ったが、嵐で小口径砲や救命いかだが損傷したことからスカパ・フロー泊地に帰還。そのまま泊地防衛のため停泊することとなった。
  • 1939年10月14日正午ごろ、大胆にもスカパ・フロー泊地内に侵入してきた潜水艦U47が停泊中のロイヤル・オークを発見し、4本の魚雷を発射する。
    このうち1本は発射管から出ず、2本は当たらず、残りの1本も錨鎖に当たり水柱を上げたのみに終わった。
    ロイヤル・オーク側ではこの水柱をまさか侵入した潜水艦が発射した魚雷とは思わず、艦首部の危険物倉庫からの爆発ではないかと疑い点検を行っている。
    この間にもU47は艦尾発射管から魚雷を発射したが命中せず、泊地内を15分間潜行航行しながら魚雷を再装填し、再攻撃のチャンスを待つ。
    そして1時16分、U47から発射された2本の磁気信管魚雷のうちの1本が艦底直下にて爆発。魚雷の衝撃波に加えて浅い湾内から跳ね返った反射波によって増幅された破壊力によりロイヤル・オークの艦底は完全に引き裂かれる。
    直後に連鎖的に艦内各所で爆発が発生し、ついに火薬庫に引火。
    ロイヤル・オークは右舷側に横倒しになりながら沈んでゆき、1時29分に海底に姿を消した。
    • この戦果はドイツ国内外で広く喧伝され、U47艦長ギュンター・プリーンは「大西洋の牡牛」と称される英雄となった。
      詳しくはU47の項目を参照。
  • ロイヤル・オークは引き揚げられることなく、現在も艦と運命を共にした乗員833名の墓標としてスカパ・フローの海底で横倒しのまま眠っている。
    艦尾には英国軍艦旗が今もはためいており、軍艦旗は毎年10月14日には慰霊の意味を込めて交換されている。
     
  • ロイヤル・オーク(HMS Royal Oak)の艦名を受け継いだ艦としては8代目。
    艦名は清教徒革命の折、議会軍との戦いに敗走した英国皇太子チャールズが身を隠した樫の木に因む。
    ちなみにあっちの方のオークのスペルはOrkもしくはOrcである。

小ネタ

  • 同型艦R級戦艦ロイヤル・ソブリンは戦中ソ連に引き渡され、アルハンゲリスク(ロシア語でアークエンジェル、大天使の意味)と命名された。
    本艦の詳細はいずれ実装された時に語るとして、戦後しばらくしてイギリスに戻ってきたアルハンゲリスクとR級ネームシップのリヴェンジは解体の際、
    砲塔のベアリングを天文台の望遠鏡に使いたいと申し出があり、格安で売却された。
    ジョドレルバンク天文台に据え付けられたラヴェル望遠鏡の主要部品となったこの2つのベアリングは天文台を支え続けたが、
    1967年金星の大気組成を探査するソ連のベネラ4号の送信した電波データをキャッチ。
    惑星間の通信が可能であることを証明し、ソビエト科学評議会から表彰状を送られた。
    英国とソ連を数奇な運命で繋いだ天使の輪っかは、今日も宇宙を見つめている。

*1 イングリッシュオーク