No141 ノーザンプトン/元ネタ解説

Last-modified: 2019-05-06 (月) 16:48:35
所属United States Navy
艦種・艦型ノーザンプトン級巡洋艦→重巡洋艦(1931)
正式名称USS Northampton (CL/CA-26)
名前の由来City of Northampton アメリカ合衆国マサチューセッツ州 ハンプシャー郡
愛称Nora, The Number One Ship In the Number One Navy
起工日1928.4.12
進水日1929.9.5
就役日(竣工日)1930.5.17
除籍日(除籍理由)1945.11.28 (ルンガ沖夜戦/Battle of Tassafaronga 1942.12.1沈没)
全長(身長)183.0m
基準排水量(体重)9050英t(9195t)
出力White Forster式重油専焼缶8基Parsons式蒸気タービン4基4軸 107000shp(108484.1PS)
最高速度32.5kt(60.18km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/10000海里(18520km)
乗員指揮官90名 乗組員606名
装備(竣工時)8inch55口径三連装砲3基9門
5inch25口径単装高角砲8門
3ポンド単装砲2門(礼砲)
1.1inch Mk.1機銃x16(4x4)
21inch三連装魚雷発射管2基6門
艦載機x4
装備(1941)8inch55口径三連装砲3基9門
5inch25口径単装高角砲8門
3ポンド単装砲2門(礼砲)
1.1inch Mk.1機銃x16(4x4)
艦載機x4
装甲舷側:3~3.75inch 甲板:1~2inch 砲塔:0.75~2.5inch バーベット:1.5inch 艦橋:1.25inch
建造所Bethlehem Shipbuilding Corporation, Fore River Shipyard, Quincy, Massachusetts
(ベスレヘム造船フォアリバー造船所 アメリカ合衆国マサチューセッツ州クインシー市)
勲章Navy Combat Action Ribbon
American Defense Service Medal(Fleet clasp)
Asiatic Pacific Campaign Medal(6 stars)
World War II Victory Medal

アメリカ海軍が建造した改ペンサコーラ級巡洋艦の一隻。
1928年4月12日、クインシー造船所にて起工。1929年9月5日に進水し、1930年5月17日に竣工した。竣工後、大西洋艦隊へと編入される。
ノーザンプトンはイギリスにも実在する地名のため、イギリスの艦と間違われやすいが、アメリカの艦である。
1931年7月1日、ロンドン海軍軍縮条約によって重巡洋艦に分類され、ノーザンプトン級重巡洋艦一番艦ノーザンプトンに改名。
1932年に太平洋艦隊へと転属。サンディエゴに配備後、真珠湾に進出する。

 

1941年12月7日、帝國海軍機動部隊による真珠湾攻撃が発生。ノーザンプトンは索敵部隊としてハワイ近海を捜索したが発見できず。作戦中の14日、オアフ島北方で駆逐艦クレイヴンと衝突。
東南アジアやビスマルク諸島で暴れまわる帝國海軍の勢いは凄まじいものだったが、ノーザンプトンは果敢に反撃する。
1942年2月1日、重巡ソルトレイクシティ等とともにウォッゼ環礁を砲撃。貨物船ぼるどう丸、特設砲艦豊津丸、特設駆潜艇第10号昭南丸、鹿島丸を撃沈した。
しかしノーザンプトンが潜望鏡のような物を発見した事で、敵の潜水艦に囲まれていると錯覚した米艦隊は、更なる戦果が期待出来たにも関わらず退却している。
6月5日に生起したミッドウェー海戦では友軍が帝國海軍に打撃を与えたが、ノーザンプトンは戦闘に参加出来なかった。
その後、1942年8月にソロモン戦線が開幕し、ノーザンプトンもガダルカナル島争奪戦に参加する。10月26日に生起した南太平洋海戦において
ノーザンプトンは大破炎上するホーネットから乗員を救出している。また11月14日の第三次ソロモン海戦に参加し、帝國海軍の飛行場砲撃を阻止。

そして1942年12月1日、帝國海軍の東京急行を阻止するべくルンガ沖海戦に参加。帝國海軍駆逐隊の放った魚雷を受け、沈没した。

小ネタ

衣装「独立の光」について

  • 独立戦争時代の戦闘は「戦列歩兵」と呼ばれるものでマスケット銃や前装式ライフル銃を構えた数列の横隊が行進曲に合わせてギリギリまで前進、敵歩兵に向かって一斉射撃を行うものであった。
    その為、現代のように隠密性を考慮する必要がなく綺羅びやかなものとなっている。対峙するイギリスもレッドコートと呼ばれるこれまた派手な赤色の戦闘服であった。
    映画バリー・リンドンやパトリオットにその様子が描かれているので興味のある指揮官は是非ご鑑賞を。
    現代の感覚からすると非常に違和感のある戦いではあるが、当時の銃の性能や戦法、兵士の士気、練度を考慮すると合理的な戦法であった。
    ちなみに大陸軍は前装式ライフル銃、イギリス軍はマスケット銃を主に配備しており、射程の点で大陸軍が有利であり勝利の一因になったとされる。
  • 独立戦争は当時、イギリス植民地であった東部13州がイギリスの度重なる増税やイギリスへのアメリカ代表の選出の無視、イギリス国王への陳情の無視に耐えかねて1775年に戦争を起こした。
    レキシントン・コンコードの戦いから始まりバンカーヒルの戦いやサラトガの戦いを経て最終的にヨークタウンの戦いが決定打となりアメリカが勝利、そして建国となった。
    上記の戦いの名前から分かるようにこの時の戦闘の多くはその後のアメリカ海軍艦艇の名前の由来となっており戦艦少女Rでも何人も登場している。また、CV-5ヨークタウンのように戦いに言及する娘もいる。