No417 ル・テリブル/元ネタ解説

Last-modified: 2021-02-16 (火) 14:03:06
所属Marine nationale→Forces navales françaises libres(1943)→Marine nationale(1944)
艦種・艦型ル・ファンタスク級駆逐艦→軽巡洋艦(1943)→一等護衛駆逐艦(1951)→高速護衛艦(1953)
正式名称Le Terrible(-4)→(X103)→(D611)→(Q324)
名前の由来Terrible フランス語で「恐怖」という意味
起工日1931.12.8
進水日1933.11.30
就役日1935.10.1
除籍日(除籍後)1962.6(売却後解体)
全長(身長)132.4m
基準排水量(体重)2569英t(2610t)
出力Penhoët式重油専焼缶4基Rateau-Bretagne式蒸気タービン2基2軸 74000PS(72987.7shp)
最高速度37.0kt(68.52km/h) 42.71kt(79.09km/h)(最大)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/4000海里(7408km)
乗員士官・兵員210名
装備(竣工時)138mm50口径M1929単装砲5門
M1925 37mm機関砲x4(2x2)
オチキス13.2mm機関銃x4(2x2)
550mm魚雷発射管三連装3基9門
機雷x50
装備(1943)138mm50口径M1929単装砲4門
ボフォース40mm機関砲x4(4x1)
エリコン20mm機関砲x8
550mm魚雷発射管三連装2基6門
爆雷投射機4基
装甲なし
建造所Chantiers navals français, Caen
(フランセ船渠 フランス共和国ノルマンディー地域圏カルヴァドス県カーン郡)
  • ル・テリブルはフランス海軍の大型駆逐艦ル・ファンタスク級の1隻。公試において駆逐艦史上最速の45.02ノット(=83.38km/h)を記録した艦として知られている。
  • 1931年12月に起工、1933年11月に進水、1935年10月に就役した。
    就役後ル・ファンタスクら姉妹艦とともにブレストを母港とする部隊に配属となる。
  • 第二次大戦開戦以降はアドミラル・グラーフ・シュペーをはじめとするドイツ海軍の通商破壊艦の捜索に務めた。ドイツ商船の拿捕に成功するなど、大西洋の哨戒任務において成果も残している。
    しかしフランスが降伏してから、フランス海軍艦艇の無力化を目的として英海軍が出撃、メルセルケビール海戦が勃発する。
    ル・テリブルは侵攻してくるH部隊へ雷撃を試みるも失敗、戦艦ストラスブールの脱出を支援する。途中英空母アーク・ロイヤルの艦載機の追撃を受け負傷者を出しながらも、どうにかトゥーロンへ逃げ延びた。
    その後トゥーロンにて入渠していたル・テリブルはダカール沖海戦には参加せず、1941年にはダカールへ復帰した。
  • 1942年のトーチ作戦(連合国軍による北アフリカ上陸作戦)以降、アルジェリアのヴィシー・フランス軍が自由フランス軍に加わるのに合わせ、ル・ファンタスクとともに自由フランス海軍へ編入となる。
    ニューヨークにて対空・対潜装備の更新をはじめとした大規模な改修を受けたル・テリブルは、他の姉妹艦同様米英の基準に合わせて軽巡洋艦へ艦種変更する。
    北アフリカへと戻った後は、アヴァランチ作戦(=伊・サレルノ上陸)の上陸支援を中心に地中海で活動する。
  • 1944年にはアドリア海に展開し、イタリア-ユーゴスラビア間の海上輸送阻止のため活動した。その優速を活かして30ノットで哨戒活動を姉妹艦とともに行った。(高速発揮の代償として度々故障していたため、姉妹艦同士でローテーションについていた)
    この哨戒任務によって複数回輸送船団を捕捉、撃滅する功績を挙げている。
    また同年8月には南仏プロヴァンスへの上陸作戦「ドラグーン作戦」に参加している。
  • 12月、悪天候の中ナポリからトゥーロンへ向かっていたル・テリブルは、姉妹艦であるル・マランと衝突事故を起こしてしまう。
    どちらの艦も大破、ル・テリブルは亀裂4か所に加え後部煙突倒壊、主砲1基使用不可能、左舷推進軸・スクリュー、および40mm連装機銃がもぎ取られるという大損害となった。
    自力でナポリに帰還できたル・テリブルだったがその修理には長期間を要し、再就役できたのは戦後1946年年始であった。
  • 戦後のル・テリブルは予備役に編入となり、一等護衛駆逐艦、高速護衛艦と幾度かの艦種変更を経て、第1次インドシナ戦争に参加中の空母(含・アローマンシュ)の護衛の任に就いた。
    その後1956年に退役、海軍学校機関科の教材に用いられたのち、売却された。