La-7

Last-modified: 2025-06-14 (土) 22:13:29

Tier7 ソ連 戦闘機 Lavochkin La-7

La-7_002.jpg
▲初期状態

La-7_003.jpg
▲最終状態

 

スクリーンショットはエンブレム・ノーズアートなし

 

性能一覧(v2.1.28)

スペック解説

項目初期状態最終状態
火力19
爆弾・ロケット弾-
耐久性8
HP320
ダメージ耐久力50
耐火性60
対気速度48
巡航速度, km/h440
ブースト時スピード, km/h690
ブースト持続時間, 秒8
急降下制限速度, km/h750
機動性73
360度旋回平均所要時間, 秒9.6
ロール率, 度/秒170
最低最適速度, km/h198
最大最適速度, km/h528
失速速度, km/h120
高高度性能34
最低最適高度, m0
最高最適高度, m1,300
実用上昇限度, m3,300
上昇率, m/秒115
本体価格(Cr)1,305,000
 

拡張パーツ

 

消耗品

 

装備

武装

固定武装

同調機銃ダメージ/秒発射速度
(rpm)
有効射程
(m)
2x 20 mm ShVAK (1941) (S)80400660
3x 20 mm B-20 (S)95420700
3x 23 mm NS-23 (S)110400740
 

その他の項目

機体

名称耐久値
La-7 (1944)280
La-7 (1945)320
 

エンジン

名称馬力
(hp)
冷却方式ブースト時間
(s)
M-82-FN1,850空冷8
ASh-831,900
 

搭乗員

1Pilot
 

派生軍用機

派生元La-5
派生先La-9
 

解説

  • v2.1
     
    この機体の最大の利点は射程740mという長射程にあり、その他全ての性能で他国戦闘機に劣るため
    一歩下がった位置で戦闘する事で活躍できる。決して、正面切って戦闘機に立ち向かえるほどの戦闘力は無い。
  • v2.0
    Tier7のソ連戦闘機。
     
    以前はKi-84Spitfire IXに勝り、Yak-9Uに劣っていた旋回性能が、それぞれ逆転している。
    結果、日英機に追い掛け回されるとどうしようもなくなった。
    特にこのTier帯の日本機は高火力のため、後ろにつかれるとすぐに撃破される。
    A7MYak-3ほどではないが高度を取れないため、このドッグファイト機らから逃げるのも難しい。
     
    ブースト時間も火力も少し足らず、もどかしさを感じさせる。
    I-220Bf 109 GP-51Dといった高高度機も降りてくるため、それらが低空で留まっているならば、相手に出来るはずだ。
     

史実

LavochkinLa-9.jpg

 

La-9(ロシア語:Ла-9ラー・ヂェーヴャチ)は、ソ連で開発された戦闘機である。
1946年に初飛行した。

 

La-9は、ソ連においてLaGG-1以来ラーヴォチュキン設計局が開発を続けてきた一連の戦闘機の完成型といえる機体であった。
そこでは、La-7まで金属・木材・布等の混合構造であった機体構造を全金属製にするなど、全面的な改設計を行われていた。
また、操縦席もより視界の良い風防に変更されていた。戦力化は第二次世界大戦には間に合わなかったが、Yak-9Pとともに1940年代後半のソ連軍の主力戦闘機となった。
しかしながら、1947年にはMiG-15が初飛行に成功するなどジェット化がすぐあとに控えていたため、La-9などのレシプロ戦闘機はそれらと比べればあまり多くは配備されなかった。
La-9の発展型としては、1947年に初飛行したLa-9V(Ла-9В、UTI La-9(УТИ Ла-9)とも呼ばれる)複座練習訓練戦闘機があり、また同年にはジェットエンジン2基を搭載するLa-9RD(Ла-9РД)も飛行した。
La-11(Ла-11ラー・アヂーンナツァチ)はLa-9の長距離護衛戦闘機型で、翼端に燃料タンクを取り付けることも出来た。
La-9とLa-11はともに朝鮮戦争へ投入され、Yak-9Pとともに中華人民共和国・朝鮮民主主義人民共和国軍の航空戦力の主力を担った。
また、La-9はルーマニアなどに、La-11はインドネシアなどにも輸出された。
日本の近くでは、1950年代、択捉島にソ連軍のLa-11が配備されていた。


以下はLa-11の史実
File not found: "A6M3_Model22_UI105_Nishizawa.jpg" at page "La-7"[添付]

 

La-11(ロシア語:Ла-11ラー・アヂーンナツァチ)は、ソ連の第301試作設計局で開発された長距離護衛戦闘機(самолет-истребителя сопровождения бомбардировщиков)である。
ソ連最後のレシプロ戦闘機となった。
北大西洋条約機構(NATO)では、英語で「牙」を意味する「ファング」(Fang)というNATOコードネームで呼んだ。

 

ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国モスクワ州ヒームキにあった第301試作設計局(現在のS・A・ラーヴォチュキン記念科学製造合同)では、第二次世界大戦中より優れた単発戦闘機の開発を行ってきた。
中でも、大戦中期に登場したLa-5FNは赤軍最高の戦闘機のひとつと目された。
その改良型La-7の発展型で航空機「130」またはLa-130と呼ばれた開発機は金属製La-7といえる機体で、終戦後の1946年にLa-9として制式採用となった。
しかしながら、第301試作設計局では飛行技術面でのよりいっそうの発展のために航空機「130」の開発研究を続けられることにした。
同時に、より幅広い戦略的な運用を可能ならしめるための研究も行われることとなった。
新たに開発される改良型機には、爆撃機の随伴護衛戦闘機としての運用能力が求められた。
このため、爆撃機の巡航速度における最低でも2500 kmの長距離飛行能力が必要となった。
それまで、ソ連の単発戦闘機は比較的短距離の航続距離しか持たされておらず、このような距離を飛行できる機体の開発は簡単なことではなかった。
La-9の航続距離は1735 kmで、これでもLa-7の635 kmと比べれば飛躍的な向上であったが、次なる護衛戦闘機ではさらにその上が目指されたのであった。

 

出典:
La-9 Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/La-9
La-11 Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/La-11

 

コメント

  • バランスの取れたいい機体だった -- 2014-12-08 (月) 22:31:54