|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.057|
|&attachref(./057_2nd.jpg,nolink,足柄よ。砲雷撃戦が得意なの。ふふ、よろしくね。);|>|足柄&nobr{(あしがら)};|>|妙高型 3番艦 &nobr{重巡洋艦};|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|44|~火力|40 / 54|
|~|~装甲|32 / 49|~雷装|24 / 49|
|~|~回避|34 / 59|~対空|16 / 54|
|~|~搭載|6|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|12 / 39|
|~|~射程|中|~運|10 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|40|~弾薬|65|
|~|~艦載|>|>|~装備|
|~|2|>|>|[[20.3cm連装砲]]|
|~|2|>|>|未装備|
|~|2|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''足柄'' → [[足柄改]](Lv25) → [[足柄改二]](Lv65)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:私、足柄が英国の観艦式に参加した時のことよ。&br;まるで「飢えた狼のよう」と評価されたの。&br;当然よね!この精悍なボディ!&br;え?それは色気がないって嫌味じゃないかって?&br;そんなことあるわけ・・・ナイじゃない!|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:種田梨沙、イラストレーター:bob (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:種田梨沙、イラストレーター:bob
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>足柄/定型ボイス]])
#table_edit(足柄/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>足柄/時報ボイス]])
#table_edit(足柄/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>足柄/季節ボイス]])
#table_edit(足柄/季節ボイス)
~
}}
//小破時のセリフ確定
* ゲームにおいて [#about]
- 妙高型の三番艦。姉妹艦は[[妙高]]、[[那智]]、[[羽黒]]が存在している。
- 妙高型は平均的な重巡洋艦であるが、4隻を揃えるクエストがある。これをクリアすることによる派生クエストが第四艦隊開放に必要なので、それをクリアするまでは、大事にしておこう。
-2013年12月11日のアップデートにおいて追加されたクエスト『「第五艦隊」を編成せよ!』にも必要となる。
--ちなみに、マンスリーの『「第五戦隊」出撃せよ!』では妙高型で唯一の対象外である。これは彼女の戦歴によるものと思われる。
-2015年9月25日のアップデートで追加された『第十六戦隊(第一次)』の編成・出撃(2-2ボスS勝利)でも旗艦として必要となる。
--また、同日に『第二一戦隊』の編成・出撃任務も追加されたが、こちらで必要なのは足柄改二である。
ちなみに足柄以外のメンバーは[[那智]]、[[多摩]]、[[木曾]]で先の『第五艦隊』編成任務と全く同じであるが、那智も足柄と同じく改二が指定されている。
-狼のわりに、小破ボイスは猫?になっているのはなぜ?
-運営Twitterより12月26日のアップデートで「[[水上艦隊最後の勝利となった礼号作戦に参加したある重巡の改二改装を予定:https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/546465611199414273]]」という発表があった。
12月26日の礼号作戦に参加した重巡洋艦は足柄のみ(小ネタ参照)なので、彼女で事実上確定となる。
--12月26日当日、告知通り[[正式実装>足柄改二]]された。
**キャラクター設定について [#character]
-ゲーム内の画像ではわかりづらいが、関連書籍などのbob氏描き下ろしイラストを見ると、八重歯キャラであることがわかる。
-「勝つ=カツ」の験担ぎか、得意料理はカツ料理。時報や季節ボイスでもカツサンドやカツカレーを振舞っている。
しかし揚げ過ぎたのか胸焼けする者が続出したらしい…。
--ちなみに[[嵐]]が言うには間宮のキッチンを借りて調理しているらしい。
-2017年10月25日、那智と共に決戦前夜ボイスが実装された。
--声を務める種田は2016年9月から長期間の休養があったため、艦これにおいて種田の新規収録ボイスが実装されたのは、2017年8月の復帰発表後初のことである。
*小ネタ [#trivia]
-妙高型重巡洋艦三番艦「足柄」として1929年(昭和4年)8月20日 神戸川崎造船所で竣工。
-雑学の項にもあるように、ジョージ6世戴冠記念の観艦式に出席した際に、「''飢えた狼''(戦闘力ばかり重視して気品の無い、まるで野獣のようだ…)」
「''今日私は初めて軍艦を見た。今まで私が見てきたのは客船だった''(我が英国の巡洋艦は客船のような乗り心地だというのに!)」
とブリティッシュな皮肉で迎えられてしまった。日本側は褒め言葉と勘違いしたようだが、当時の英の軍事レビューで「強力な艦だが、美しいとはとても言えない」とハッキリ断じられてしまっている。
--日本だと狼には精悍・孤高などプラスのイメージがあるものの、英国だとぶっちゃけガリガリに痩せこけた野犬と大差ないニュアンスだったりする。花も恥じらう乙女になんて形容しやがるのか…。
--こうなってしまった背景には日英のポリシーの違いがあり、曰く
''日''『軍艦なんだから武装重視は当たり前じゃない!客船じゃないんだから、乗り心地がどうとか甘ったれてんじゃないわよ!』
''英''(?)『long cruiseには士気の維持は不可欠デース!戦時にもTEA timeを忘れないheartの余裕が兵士のperformanceを引き出すのデース!』
--ついでに言うと、帝国海軍の基本戦術は敵(大体どこぞの米帝)を近海に引き込んで、地の利と補給の差を活かしての撃滅、あまり遠出はしないという日本海海戦以来の待ち戦法で、[[人殺し長屋>赤城]]やら[[焼き鳥製造機>加賀]]みたいな拷問部屋でもない限りそこまで問題なかったりする。
では何故イギリスの軍艦の居住性が高いかというと、巡洋艦の任務の一つに世界各地に存在する植民地(現在の英連邦の構成国がその名残)の警備があり、長期に渡る航海が基本だったため。
どちらも国情を考えれば、自分にとっての正解を引き出している。他の国に当てはめると全然違う評価を生み出すことになるという好例。
--さらに足柄の寄港地には英国海軍の大型艦が多く停泊しており、足柄の戦闘一辺倒の精悍な見た目によって植民地での英国海軍の威厳が損なわれることを非常に気にし、わざわざ足柄の寄港先へ更に大きな軍艦を配置しておくという措置をとったのではないか。と大阪商船の和辻春樹技師((あるぜんちな丸級客船など昭和初期の大阪商船の名船の設計を行った船舶技師。))は随筆の中で推測している。
--勿論足柄を評価した人物もいる。その一人がフランスの詩人ジャン・コクトー。この話は個人個人の美意識差も兼ねるのでこういう事態になる。
---「欧米」とひとくくりにされるがアメリカの巡洋艦も居住性は極めて悪い。むしろイギリス式が特異なのである。
かつてのイギリス海軍・商船では劣悪な居住性、粗末な食事、横暴な士官などへの不満を原因とした反乱が多発した。そのため水兵の満足度は海軍力に直結すると身をもって痛感していた(この手の反乱で最も有名なのが映像化もされた、徴用商船バウンティ号での反乱事件)。
対して他国にはそのような歴史がないため、水兵の満足度にさほど気を使っていなかった。
---当時のフランス軍艦の居住性は大国では最悪の部類に入ること、そして軍艦とはそうあるべきだと考えていたことを踏まえると、居住性の悪さを批判しなかったのは当然ともいえる。&color(White){そもそもフランス人が遠まわしにイギリスの悪口を言うのはいつものことなのだが。};
---ただし、コクトーが日本訪問で神戸を訪れた際足柄は神戸でなく終始長崎に停泊しており、コクトーが日本で見た軍艦は、コクトー訪日時たまたま神戸にいた[[愛宕]]だったようだ。
--[[ジョージ六世戴冠記念観艦式>http://www.histarmar.com.ar/InfGral-2/1937-NavalReview.htm]](リンク先スペイン語注意)
--ただその後がいけない。日本は''戦後も懲りていなかった''。
---むらさめ(III)型護衛艦は海上自衛隊初の本格的防空艦として建造されたが、防空装備を充実させる一方対潜装備は妥協するという計画時の方針はどこへやら、結局アレコレ詰め込みたくなって廃止されたのは%%すでに無用の長物と思われていた%%長魚雷用の魚雷発射管のみ。排水量に占める装備重量は18%と特型駆逐艦(13~15%)を上回ってしまった。当然居住性は前級のあやなみ型より悪化した。
---ただし当代のむらさめ(IV)型はステルス設計の関係で艦体が大型化したため、居住性は海自艦屈指の贅沢艦と言われている。ちなみに[[ソロモンの悪夢>夕立]]の4代目(ちなみにヤツが2代目)もこの型((で、よりによって2013年、中国海軍がFCレーダーを照射したのがよりによってこの「ゆうだち(IV)」。命知らずにも程がある。))。
--ジョージ6世戴冠記念の観艦式に出席するということは当時の日本国内でも[[大きなニュース>https://www.youtube.com/watch?v=cFKsOGuBXFo]]になったらしく、その影響からか「足柄行進曲」という「キャラソン」もつくられている。
-しかし、実際には英国国内でこういうことを言われたという観艦式当時の資料はなく、残っている当時の証言ではシンガポールで接伴艦であった英空母[[イーグル>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D%E3%83%BB%E5%88%9D%E4%BB%A3)]]と足柄の並びを見た人が、その見た目をして''「イーグルは女の子っぽいけど、アシガラはなんだか狼(Wolf)っぽい!」''と言ったというのがあるだけである。
-シンガポールで足柄は一般公開され、半日で民間人約1000名が乗艦した。この際、現地の新聞は「イーグルは城塞のようだが、足柄はイルカのようだ」と報道している。
ようは''単に空母と比較しての見た目の感想で、巡洋艦という艦種の思想の違いや日本重巡への畏れではなかった''ようだ。
そりゃ戦艦から改装された%%安産型体型%%太くて丸っこい艦体を持つイーグルと比べたら、足柄も狼やイルカにも見える。
--「飢えた狼」の逸話で現状最も古いものは、1940年に上述の和辻春樹技師が書いた随筆で、この証言が後から足柄艦内や国内で独り歩きして産まれた(もしくは、本当に別人が飢えた狼と語ったのが口伝で残っていた)と言う見解が出ている。
--実際の英国側の感想がThe Royal Naval Reviewsの1982年版にあるが、「高速重武装な艦、しかし美しいとは口が裂けても言えない」ともっとストレートな感想が述べられている。
---最も贅肉を無駄とするか優雅さとするか、日英両国民の美的センスが''DNAレベルで''違いすぎるのでなんともいえない面もある((現代日本人の目から見てさえ、日米の巡洋艦を見た後4本煙突のカウンティ型を見ると、最初から集合煙突の古鷹と同世代とは思えないほど野暮ったく見えるのがそれ。))。軍艦・船舶で以外では[[かのマラード号>https://ja.wikipedia.org/wiki/LNER%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9A4%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A4468_%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89]]をイギリス蒸機の究極としたのがイギリスであり、一方8620形に始まる「ボイラー剥き出し・黒単色塗装」の最終形態であるC62形を日本蒸機の究極とするのが日本であり、BMC・MINIのデザインを芸術家に担当させたのがイギリスで、スバル360のデザインをバス車体を手がけていたフリー工業デザイナーに担当させたのが日本である。どちらが良い悪いの問題といえない……はずなのだが、第3ラウンドの自動車で日本が圧勝してしまい、イギリスは事実上再起不能になってしまったのが現在である。
-居住性が悪いと言われると、乗組員の評判も悪かった…と思いがちだがそんなことはなく、彼女を始め重巡は艦隊の花形として乗り組みを希望する人が多かったそうである。
--居住性が悪いと言ってもそれは英国と比べての話で、日本海軍で居住性の良い艦といえば%%[[某ホテル>大和]]か、その妹の[[某御殿>武蔵]]位のものと思われる。飢えた狼スタイルは彼女に限ったことではないのだ。%%重巡最後発の[[利根]]型もかなり居住性は高く、オマケに大和型開発の余禄で装備品も充実していた。要するに開発時期の問題でもあるのだ。((とはいえ、身内の評価も芳しかったわけではない。新造時の判定は「劣悪」。乗員一人当たりのスペースはより小型の古鷹型や5,500t型軽巡よりも狭かった。建造中に設計変更し居住区のある中甲板に内蔵魚雷発射管を強引に載せたためである。))
--花形は戦艦だろ、と思われるかもしれないが、[[鬼>金剛]]だの[[蛇>長門]]だの[[地獄>榛名]]だの[[羅刹>霧島]][[夜叉>比叡]]だの、挙句の果ては、乗るか首吊るかで悩んでしまうほどの某[[姉>伊勢]][[妹>日向]]とか……
とにかく、「一国の象徴たる戦艦が生半可であってはならない」と戦艦のシゴキは凄まじく、重巡はまだマシだと言われていたからでもあり……((陸奥の謎の爆沈も、苛烈なシゴキに耐えかねた新兵の放火ではないかという俗説すらあるのだ。尤も、その陸奥の乗員がドン引きするレベルだったのが空母のシゴキである。))
---もっとも大和型を除く戦艦は、改装を重ねているとはいえ全て設計年次が古く、居住性が悪いのは当然である。
---また、当の戦艦はというと、厳しい訓練のお蔭で練度は最高レベル。各科の成績優秀者が優先して配属されたし、重巡希望者が多いといってもやはり戦艦の人気にはかなわなかった。「戦艦勤務」という言葉は皆の憧れで、上陸した際、同期に「戦艦に乗っている」と言えばそれだけで一目置かれた。戦艦は立派に帝国海軍の象徴として君臨したのである。
--重巡も妹の[[羽黒]]から、居住性が改善され、最上型はもう結構快適な居住環境になっていた。((本艦を含む妙高型も大改装のたびに居住性は手を入れられ、やや狭いことを除けば「並み」の環境を手に入れたようである。))
-とまあこんな感じで「飢えた狼」ネタだけが頻繁に語られがちな艦なのだが、開戦から終戦間際まで、主に東南アジア方面で縦横無尽の活躍をした''歴戦の名艦''であったことを、名誉のために添えておきたい。
-彼女が勝利に拘るのは自分の多くの経歴から。緒戦のスラバヤ沖海戦から「日本海軍最後の組織的戦闘での勝利」である礼号作戦までずっと戦い続け、勝利を得ていたのである。
--妙高型四姉妹は昭和3~4年(1928~29)に竣工し、第二艦隊の中核兵力であった。
--昭和12年(1937)日華事変が始まると、足柄は新設された第四艦隊の旗艦を務めている。
--太平洋戦争開戦時は、第三艦隊直轄の第十六戦隊旗艦となり、蘭印攻略の指揮をとっている。
---この時、第十六戦隊の僚艦だったのが[[球磨]]と[[長良]]であり、「第十六戦隊(第一次)」任務のモチーフとなっている。もっとも、長良は足柄・球磨とはほとんど別行動をとっていた。
--スラバヤ沖海戦(1942年3月)では、弾薬の消耗が激しかった姉の[[那智]]と妹の[[羽黒]]を支援すべく[[長女>妙高]]や[[曙]]・[[雷]]と共に戦場に駆けつけ、英重巡「エクセター」及び駆逐艦「エンカウンター」「ポープ」を撃沈している。
---駆逐艦雷・電による、溺者救助活動が有名になったが、この救助を指令したのは足柄の高橋伊望中将であり、翌日には足柄・妙高も救助活動に参加、多数の溺者を救助している。
---この救助活動が中断されたのは、参謀長からの命令によると考えられている。
--スラバヤ沖海戦の直後の1942年3月3日には高角砲にて連合軍潜水艦を撃沈した。
---この潜水艦の乗組員救助には潮が派遣された。
--その後第二南遣艦隊旗艦、のち南西方面艦隊旗艦となり、シンガポール方面で活動する。東南アジア各地の視察・訪問・兵員輸送・巡航・警戒任務に従事、東奔西走した。
--昭和19(1944)年2月、第五艦隊第二十一戦隊所属となる。
---第二十一戦隊は北方警備を任務とする第五艦隊司令部直率の部隊で、姉妹艦の那智(艦隊旗艦)と軽巡多摩、木曾が所属していた。
「第五艦隊」編成任務、並びに「新編第二一戦隊」編成・出撃任務はこれがモチーフである。
--酷暑の南方から極寒の北方への転属だったが、足柄の転属から数か月後、捷号作戦(前哨戦の台湾沖航空戦とその後のレイテ沖海戦)のため、第五艦隊は南方へと派遣される。
そして、第五艦隊は「第二遊撃部隊(志摩艦隊)」としてレイテ島突入を目指すことになった。((ただこの時、第五艦隊の扱いはかなり混乱した泥縄的なものだった。当初は機動部隊(小沢艦隊)の所属で護衛に用いる予定だったのが、台湾沖航空戦の誤報に振り回されて追撃戦に急きょ駆り出されたのが不発に終わり、レイテ島の敵船団撃滅に任務変更となって、南西方面艦隊司令部の指揮下に転属。そしてろくに打ち合わせもないまま、西村艦隊の支援に回されるという有様である。このため、スリガオ海峡に突入した西村艦隊(連合艦隊第二艦隊所属)と実は指揮系統が全く別で、連携に難があるという問題を志摩艦隊は抱えていた。))
--10月25日のスリガオ海峡海戦では、絶対劣勢のなか[[姉>那智]]とともに突撃し雷撃を敢行した。撤退中に空襲を受けたものの、ほぼ損失なく帰投している。((電探で雷撃を行ったのだが、捉えた影は島であった。その後那智が最上と衝突し、志摩艦隊は撤退を余儀なくされている。足柄さんとしては不完全燃焼だったに違いない。))
--レイテ沖海戦後のマニラ空襲で姉「[[那智]]」が戦没したことにより第二十一戦隊を廃止、足柄は同じ戦隊を組む艦がない状態で第五艦隊旗艦を引き継いだ。
その後礼号作戦にあたり、四航戦旗艦[[日向>日向改]]に将旗を移し、木村艦隊の一員として[[大淀]]と組んで出撃、日本海軍が手にした最後の組織的勝利に大いに貢献した。((大淀が時報で足柄とは「不思議と波長が合う」と言及するのはこのときの縁によるものだろう。))
1944年12月26日、[[大淀]]とともに水上偵察機を飛ばし艦隊の目として探査任務を全うし、B-25の体当たりで炎上、中破したものの、そのままミンドロ島泊地へと夜間殴り込みをかけた。砲雷撃で輸送船1隻を大破炎上させ((その後、炎上した輸送船はその損傷で沈んだ。))、さらに海岸へ砲撃を行い、上陸拠点を破壊し物資を焼き払った。帰路、沈んだ清霜の乗員救助のため停止した旗艦[[霞]]の退避命令を無視。僚艦と共に襲い来る魚雷艇から彼女を守り抜いた。日本重巡の中でもかなりの武闘派だった。
--レイテ沖海戦以後、ずっと一緒に戦っていた[[大淀]]や[[日向>日向改]]・[[伊勢>伊勢改]]らが敵中を突破して内地に帰投することになる(北号作戦)。現地に留まることとなった足柄は水偵を飛ばして大淀らを援護、奇跡の作戦完全成功に貢献した、しかしこれが大淀との最後の別れとなった。
--そんな彼女を沈めたのは、何の因果か英国海軍の潜水艦トレンチャントであった。
昭和20(1945)年6月8日、バンカ海峡を航行中の彼女へ発射された魚雷6本のうち4本が命中。浅海面を低速で航行していたため舵の効きが悪く、回避しきれなかったのだった。(舵のききが悪かったのは、これ以前の触礁による損傷のため)
---しかし艦首を吹き飛ばされ急速に傾斜を深めつつも、それでも即座に高角砲を旋回、4門の砲口を揃え潜望鏡めがけ対潜弾を立て続けに叩き込んだ。
狼のあだ名に恥じず最期まで咆哮し続け、裂帛の戦意を見せつけた足柄だったが、ついに傾斜のため高角砲の仰角一杯、ついで揚弾機も停止し、すべての反撃手段を失った。
このころ「ゴーッ」という低い音が艦底の方から微かな振動とともに聞こえ、まるで軍艦足柄の断末魔の呻きのように感じられたという。
--足柄の生存者は、一緒に行動していた駆逐艦[[神風]]に救助された。
雷撃を受けた後も彼女は爆発轟沈せずに持ちこたえたため戦死者が少なく、1,200名を超える乗員と便乗者のほとんどが無事救助されたという。
歴戦の誇り高き狼は、乗員の退去を見届けたかのように、静かに眠りについた。((沈没現場には足柄の艦形そのままの形に乗員や便乗の陸軍将兵たちが浮き、銃や軍刀を濡らさないよう頭上に差し上げ、士気旺盛に軍歌を歌っていたという証言が残る。))
---神風はその3週間前に、妙高姉妹の末妹[[羽黒]]に守られて死地を脱し、彼女の最期を看取りつつその生存者を救出したばかりであった。
-足柄の戦没者慰霊碑は長崎県佐世保市の海軍墓地(東公園)にあり、沈没日の6月8日には元乗組員や遺族などの関係者、艦名を受け継ぐ護衛艦「あしがら」の乗組員が参列する慰霊祭が毎年執り行われている。
-ここまでの戦歴を見ればわかるように、太平洋戦争開戦以来、足柄は妙高型で編制される''第五戦隊''からはずっと外されていた(''第五戦隊出撃任務に彼女が含まれない''のはこのためと思われる)
--しかし彼女が最期を迎えた時、所属していたのはその第五戦隊だったのである。
すでに那智はなく、妙高が損傷により航行不能になっていた戦争終盤の1945年2月、稼動状態で残された足柄と羽黒は最後の第五戦隊を編制したのだった。
---ちなみに古鷹(青葉)型の第六戦隊はソロモン海戦で、高雄型の第四戦隊、最上(鈴谷)型と利根型の第七戦隊はレイテ沖海戦で壊滅したことによりすでに解隊されており、第五戦隊は日本海軍最後の稼動重巡戦隊でもある。((レイテ沖海戦後に第五戦隊と第二十一戦隊以外の重巡戦隊を全て廃止し、姉妹を失った高雄、熊野、利根を第五戦隊に一時的に集めていたこともある。))
--しかし羽黒が5月、足柄が6月に相次いで沈没したことにより第五戦隊もついに解隊。
再編からわずか4か月、足柄の沈没によって日本海軍重巡戦隊の活動は事実上の終焉を迎えた。((青葉と利根が呉に、妙高と高雄がシンガポールに残されていたが、燃料欠乏と損傷のため行動できる状態ではなくなっていた。))
--2014年3月現在、1945年6月8日沈没の足柄が艦これ実装艦のうち、戦時中に沈んだ中で最も遅い''沈没''艦である。((同年7月24、28日の呉軍港空襲で大破着底した伊勢、青葉他多数や、7月30日に触雷し沈没を避けるため擱座した初霜、1970年代に標的艦として沈められた響など、足柄より遅い喪失艦もある。))
-現在足柄はインドネシアのパレンバンの沖合に眠っている。水深27mの所で右に90度横倒しになった状態で沈んでおり、状態としては比較的良好である。2000年代始め頃に、ただでさえ水深の浅いマラッカ海峡にあって、水上交通の妨げになるという理由からインドネシア側が引き揚げを提案したが、問題が多々噴出した為かその後結局立ち消えとなった。もっとも、水上交通の妨げというのは表向きの理由で、実際は艦に密かに積まれていた金が目的だったとも。無論、そのような事実はない。((「軍艦に密かに積まれていた金塊」と言う伝説は古今東西よくあるものであり、日本でも日露戦争中に近海で沈没したロシア装甲艦「アドミラル・ナヒーモフ」の艦内に金塊が眠っているという伝説が流れたことがあった。))
-1934年に秩父宮雍仁親王が満洲国を訪れた際、御召艦を務めている。
-艦名の由来は「金太郎」でお馴染みの足柄山である。ただし「足柄山」という単独の峰は無く、箱根の金時山から足柄峠にかけての総称である。
-現在は2代目となる、あたご型イージス護衛艦「あしがら」(DDG-178)が就役中である。しばらくは最新鋭のイージス艦であったが、あしがら進水から12年を経て、「[[まや>摩耶]]型」が誕生した。
--あしがらの妹はできなかったが、まや型はあたご型ベースの改良型であるため、言ってみれば従姉妹と言ったところであろうか。&color(Silver){28DDGこそ「はぐろ」ちゃんを……。};→実現しました。
&color(white){「あたご」同等の大きなモノのおかげで、先代とは比べ物にならない快適な居住性を得たとかどうとか……。};
-実は日米の戦闘が開始された2日後の1941年12月10日に、足柄は米軍爆撃機の攻撃を受けたことがある。米軍爆撃機は高度6,000mのあたりから爆弾を投下、足柄も応射した。結果爆弾は艦尾から50mほど離れた位置に落下し、巨大な水飛沫を上げただけだった。この様子を目撃した第十六戦隊護衛の駆逐艦[[朝風]]のとある下士官兵は「あれが直撃していたら足柄も海の底だったな、爆撃って怖い(要約)」というような内容のことを手記に綴っている。仮にこの時命中して足柄が戦没していたら、足柄は1941.12.10で日本海軍の重巡で最も早く沈没した重巡となっていた。
--ちなみにこの爆撃に参加したB-17は復路で日本海軍の戦闘機に撃墜されているのだが、この一連の戦闘の戦課報告が誤報として行き渡り、さらに米マスコミの手で脚色された結果、あの「[[榛名]]或いは[[ヒラヌマ>名取]]撃沈」の伝説の誤報となるのである。
-常に第1戦速!
--攻撃時の台詞で、第1戦速(ダイイチセンソク)と命令しているが、現場での発音としては、発音しやすい(ダイイッセンソク)と言われることが多い。第1戦速が意味する速力は艦種によって異なるが、普通の艦で18kt(時速33km)~22kt(時速40km)だった。
--「18ktで航行せよ。」という命令ではなく、意味合いとしては「試験時に18ktを発揮した機関(軸)回転数とせよ。」というもの。つまり実際には風浪の影響で指示速力より幾分遅くなる。転舵すると更に遅くなる。
--艦隊行動時は、艦隊の速力を等一にするため実際に艦隊が航行して機関(軸)回転数を調整する「回転整合」が事前に実施される。
--第1戦速から5戦速まであり、数字が増えるほど速力が上がる。戦速の最高は「最大戦速」。ちなみに、第2戦速は(ダイニセンソク)ではなく、(ダイフタセンソク)、このような速力指示方法は海上自衛隊にもそのまま引き継がれている。
---アーケード版では実際に原速、第1戦速から最大戦速までを速度指示レバーで指示できる!&color(Silver){(なお実際の艦には、加えて何段かの後進と停止がある)};
*この艦娘についてのコメント [#comment]
#fold(過去ログ){{
#ls(./)
}}
#pcomment(./コメント5,reply,15)
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