Last-modified: 2020-06-30 (火) 04:08:49
No.090
霞よ。ガンガンいくわよ。ついてらっしゃい。霞(かすみ)朝潮型 10番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久16火力10 / 29
装甲6 / 19雷装24 / 69
回避43 / 79対空9 / 39
搭載0対潜21 / 49
速力高速索敵5 / 19
射程15 / 59
最大消費量
燃料15弾薬20
装備
12.7cm連装砲
未装備
装備不可
装備不可
改造チャート
霞改(Lv20) → 霞改二(Lv75) *1 霞改二乙(Lv88)
図鑑説明
歴戦の主力駆逐艦として奮戦したわ。
最後は戦艦大和と共に坊ノ岬沖海戦で米艦載機の猛攻と戦ったの。
負けないわ!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:宮川若菜、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

セリフCV:宮川若菜、イラストレーター:コニシ
入手/ログイン霞よ。ガンガンいくわよ。ついてらっしゃい。
母港/詳細閲覧用があるなら目を見て言いなさいな!
だから何よ?
はぁ!?それで逆ギレ?だらしないったら!
母港/詳細閲覧(新年)ふぅ……。お正月を無事迎えられたわね。よかった。クズ司令官も……あ、ごめん……司令官も……今年も、よろしくね。……な、何よ!?
母港/詳細閲覧(節分)だから! 豆を全力で投げるのやめなさいよ! 鬼役の神通さんがいつまでもっ……ほら……ほらあ……っ! わ、私知らないったらー!
母港/詳細閲覧(2016バレンタイン)まあ、少し手間取ったけど、できたからあげるわ。……何って、チョコよ。そんなこともわかんないの? …………は、早く受け取ってったらぁ!
母港/詳細閲覧(ホワイトデー)えっ!?はっ!?…チョコのお返しっ?ったく、そんなの気にしなくていいのに…あっ、い、要るっ!要るからっ!返しなさい、貰うからっ!
母港/詳細閲覧(梅雨)梅雨かぁ…。…………雨で、外も霧のように霞んでいる。この霞があるうちは大丈夫。大丈夫だから…霰、心配しないで。
母港/詳細閲覧(初夏~夏)何? 清霜、水着買うの? ふぅん、ま、いいんじゃない? 着てみれば? ……ぇ、私!? 私はいいわよ、そんなの……うぅっ、いらないってぇ~!
母港/詳細閲覧(秋)秋か...。秋が過ぎれば、冬ね。礼号作戦...私が旗艦を務めた...何故...鮮明に覚えている...なんで?
母港/詳細閲覧(秋刀魚)秋刀魚漁ですって?行くなら行く!はっきりしなさいな!私も行くからっ...探照灯も...よし、これで大丈夫ね!
母港/詳細閲覧(2017晩秋)少し寒くなってきたわね。…風邪とかひかないでよね!…艦隊やっ…私が、困るんだから……もう!ほらっ!暖かくして!!はいっ!
母港/詳細閲覧(クリスマス)クリスマスぅ!?。何浮かれてるの!?バカみたい!...っえ?ケーキ?要らないわよっ!そんなっ...むぐっ、あぁ、美味しい。あっ...えっと...
母港/詳細閲覧(三周年)だっから、何でそういう大事なことを先に言わないのよ!三周年なのよ、三周年!本っ当に凄いことじゃない、早く言いなさいったら!っとに……おめでとう。
母港/詳細閲覧(四周年)だから何であなたはそういう大事なことを先に言わないのよ! 四周年なのよ、四周年! 本当に大変な事じゃない、早く言いなさいったら! っとに……おめでとう。
母港/詳細閲覧(五周年)だぁかぁら、いつも何でそういう大事なことを先に言わないのよぉ! 五周年なのよ、五周年! 本当にものすごい事じゃない、早く言いなさいったら~! っとに。おめでとう。良かったわね!
ケッコンカッコカリ(反転)あらクズ司令官こんなところにいるなんて相当お暇なようね...えっ...プレゼント?私に?...えっあっ、馬鹿ぁ
ケッコン後母港(反転)な、何よ!ホントは少しくらい感謝してるし、いなくなったら寂しいし・・・ち、違うぅ!
編成霞、出るわ。見てらんないったら!
出撃霞、出るわ。見てらんないったら!
霞の水雷戦隊が出るったら!
遠征選択時つまらないわ。
アイテム発見つまらないわ。
開戦沈みなさい!
航空戦開始時
夜戦開始あーもう、バカばっかり!
攻撃みじめよね!
沈みなさい!
○ねば良いのに!*2
小破被弾!?あたしが!?
きゃっ!嘘でしょ!?
中破/大破少しは出来る奴が居るようね…褒めてあげるわ。
勝利MVP別に、嬉しくもなんともないわ。一応、貰っといてあげるけどね。
帰投作戦が終了したわ。報告を聞きなさい。
補給こんなの全然強化のうちに入んないわよ。
(改のみ)何よ、補給なの!?…まあ、必要だけど。
改装/改修/改造こんなの全然強化のうちに入んないわよ。
まあ、お礼は言わないわ。
つまらないわ。
入渠(小破以下)タイミングおかしいったら!
入渠(中破以上)ったく…どんな采配してんのよ…本っ当に迷惑だわ!
建造完了新艦が完成したわ。迎えに行きなさい。
戦績表示手紙よ。何度言わせんのよ、このクズ!
轟沈(反転)私が沈むなんて……認めない……認めないんだから……
時報
放置時(改のみ)ちょっとぉ!この大事な時に艦隊を待機させるって、どういう事なの?ねえってば!

目次

ゲームにおいて

  • 基本的な能力は他の朝潮型に準ずるが、戦歴を反映してか運の値のみ15と高く設定されている。
    • 長らく駆逐艦改二の有力候補とされていたが、2015年12月14日の公式ツイートにより翌年最初の改二実装が内定、1月19日に本実装された。
      • 「礼号作戦」の旗艦を務めた朝潮型駆逐艦と言えば、該当するのは霞を置いて他にいない。
      • なお改二予告ではそれとなくぼかした書き方が多い中、一報目でここまでピンポイントに誰の事かわかるのは稀である。
    • 更に2016年1月9日の公式ツイートにより、駆逐艦では初となるコンバート改装になることが発表された。
      • 「極めて高いレベル」が必要ではあるが、先の翔鶴型姉妹とは異なり設計図などの特別なアイテムは必要ない
  • バランス型の「改二」と防空に特化した「改二乙」へのコンバート改装となっており、前者は75、後者は88と共に駆逐艦最高レベルが必要。
    • この違いは、後述する「礼号作戦時」と「天一号作戦時」をそれぞれ意識しているものと考えられる。
  • 台詞には一切のデレがなく、終始怒り気味で高圧的。この性格を苦手とする提督も多いようだ。だがそれが良い。
    • しかし、元ネタの史実を覗くと見方が変わる……かもしれない。
    • よく聞くとむやみやたらと怒っているわけではなく、口は悪いながらもかなり世話焼きな一面があることがわかる。このため「ダメ提督更生機」の渾名で呼ばれることも。
      だからといってクズは言い過ぎな気もしなくもないが。
    • 最近の期間限定ボイスではほんの僅かながらデレを見せるようになったが、それを残念がる提督もいるとかいないとか
      • 提督「以外」の者に対する態度はとても優しくそして穏やか。普段提督に向けられている感情は欠片も感じさせない。
  • 朝潮型で唯一、ソックスに軍艦旗のワンポイントがあしらわれている。
  • 以下に挙げる12もの編成・出撃任務で必要となる。
    • 2013年12月11日のアップデートにて追加の『「第1水雷戦隊」を編成せよ!』
    • 2014年1月15日のアップデートにて追加の『「第十八駆逐隊」を編成せよ!』『「第十八駆逐隊」出撃せよ!』
    • 2014年12月26日のアップデートにて追加の『軽快な「水上反撃部隊」を編成せよ!』(霞を旗艦に据える必要有り)
    • 2015年1月23日のアップデートにて追加の『「那智戦隊」抜錨せよ!』
    • 2015年12月8日のアップデートにて追加の『精強な「水上反撃部隊」を再編成せよ!』『「礼号作戦」実施せよ!』
    • 2016年1月19日のアップデートにて追加の『旗艦「霞」北方海域を哨戒せよ!』『旗艦「霞」出撃!敵艦隊を撃滅せよ!』(いずれも霞改二を旗艦に据える必要有り)
    • 2018年4月6日のアップデートにて追加の『精鋭「第十八駆逐隊」を編成せよ!』『「十八駆」、北方海域キス島へ!』(霞改二or霞改二乙、霰改二、陽炎改、不知火改指定。出撃任務は自由2)
    • 2019年9月30日のアップデートにて追加の『「十八駆」演習!』(クォータリー任務)
  • 2015年5月29日のアップデートで第六駆逐隊関連のクエストが大量に追加され、駆逐艦の任務必要数トップの座は明け渡したが、2016年1月19日のアップデートで2つ追加されたため、現在の駆逐艦トップは霞と響が9つで並んでいる。
    • ただ、必要となる他の艦の顔ぶれは霞が霰・陽炎・不知火・足柄・大淀・朝霜・清霜・阿武隈・曙・潮・那智・初霜で12、響は暁・雷・電・阿武隈・初霜・若葉・五月雨・島風・夕雲・長波・秋雲で11と霞のほうが多かったりする(改二は同一艦とみなす)。
    • 史実においても4つの駆逐隊を渡り歩き、一水戦と二水戦の旗艦を歴任するなど、特に戦争末期において次々と所属を変え転戦した艦である。
  • 2015年5月18日のアップデートにて鎮守府カウンターバーの機能が強化され、戦闘糧食勢であることが発覚。清霜の時報とあわせ、安定のおにぎり推しである。
  • 2015年9月10日発売のコンプティーク2015年10月号の表紙を矢矧と共に飾った。朝潮型が公式絵師の描き下ろしで書籍の表紙を務めたのは、大潮に続き2度目となる。
  • 2015年9月8日のアップデートで期間限定ボイスが追加。その中で、礼号作戦について触れている。
  • 2016年2月10日からの期間限定イベント「出撃!礼号作戦」において、ゲーム画面下の情報欄で同イベントを告知するバナーに、カイゼル髭を付けて帽子と双眼鏡を身に着けた提督のような姿の霞と思しきデフォルメキャラ(妖精さん?)が描かれている。
    霞に縁のあるカイゼル髭を生やした提督といえば、もちろん礼号作戦を指揮したあのお方(小ネタ参照)。
    • 本人はこのカイゼル髭に余程思い入れがあるらしく、公式4コマのクリスマス会でもプレゼントとして髭をリクエストしていた(その後サンタ利根の「予備の髭」をもらってキラキラ状態になっていた)。
  • 霞本人には時報はないが、清霜朝霜の時報中に登場し、戦闘糧食(おむすび)を差し入れているようである。また、朝霜改二からは名指しで「ついて来な!」と呼びかけられるようになった。
    • 9駆・18駆(再編)での僚艦薄雲はおむすびの交換を申し出る。ここでも安定のおむすび勢である。

小ネタ

  • 「霞」とは気象的には霧やもやのことだが、これは気象用語ではなく文学用語で、特に春の霧などを霞と言うそうである。

艦歴

略歴

~1943年

193612.1浦賀船渠で起工
193711.18進水
19396.28竣工
11.15第18駆逐隊1番艦として第2水雷戦隊に編入
194111.26第18駆逐隊(司令艦不知火/霞/陽炎秋雲*3)は第1水雷戦隊、空母機動部隊護衛として単冠湾より出撃
12.8真珠湾攻撃
19421.20機動部隊のラバウル空襲を護衛
1.21翔鶴瑞鶴のラエ,サラモア空襲を護衛
2.19機動部隊のダーウィン港空襲を護衛
3.5チラチャップ空襲を護衛
3.26インド洋作戦に参加
4.5コロンボ空襲
4.9トリンコマリー空襲を護衛
4.10秋雲が離籍
6.3第2水雷戦隊に転籍、攻略部隊としてミッドウェー作戦に参加
6.17熊野鈴谷をトラックから呉まで護衛
6.28千代田・「あるぜんちな丸」をキスカ島まで護送のため横須賀より出港
7.5キスカ島にて米潜水艦*4の攻撃により大破、戦死10名。同攻撃により不知火大破、沈没
7.28に曳航されてキスカを出港し舞鶴に向かう。途中燃料逼迫のため護衛中の陽炎が曳航引き継ぎ
8.13舞鶴入港入渠修理
8.15第18駆逐隊解散
19436.30修理完了、訓練部隊である第11水雷戦隊に編入
7.4試験搭載した重油加熱装置の運用実験に参加
9.1第1水雷戦隊第9駆逐隊に編入、北方輸送任務に当たる
11.1第9駆逐隊から朝雲離籍、第9駆逐隊編成は「司令艦薄雲/白雲/霞」となる
12.16最上をトラックから舞鶴まで護衛
12.22舞鶴にて入渠修理

1944年

2.1呉より大湊へ回航、北方任務に当たる
3.1第9駆逐隊に不知火が編入
3.16白雲沈没
3.31第9駆逐隊解散、所属艦全艦は第18駆逐隊に移籍
7.7薄雲沈没
7.31那智足柄を大湊から呉まで護衛
8.11木曾多摩を呉から父島まで護衛
10.15志摩艦隊所属として台湾沖航空戦の追撃に参加。会敵せず
10.24志摩艦隊第1水雷戦隊所属第18駆逐隊として捷一号作戦に参加
10.25阿武隈より第1水雷戦隊司令部移乗、第1水雷戦隊旗艦となる
10.26熊野をコロン湾まで護衛
10.2727足柄をコロン湾からマニラまで護衛、同日不知火沈没
11.1第1水雷戦隊旗艦として第2次多号作戦を指揮
11.2単艦で「能登丸」乗員を救助
11.5マニラで空襲を受ける。撃沈された那智乗員を救助し、損傷したを護衛
11.8第1水雷戦隊旗艦として第4次多号作戦を指揮
11.10撃沈された輸送船の乗員を救助
11.13マニラで空襲を受け戦死1名。第1水雷戦隊旗艦としてマニラからの脱出を指揮
11.15第18駆逐隊解散、第7駆逐隊(霞/に編入
11.19リンガ泊地に向かう
11.20第1水雷戦隊解散、第2水雷戦隊に編入。引き続き木村昌福少将の元で第2水雷戦隊旗艦となる
11.29榛名をシンガポールから馬公まで護衛。に将旗移揚
12.18カムラン湾沖にて妙高を支援
12.24第2水雷戦隊旗艦として礼号作戦を指揮。指揮下に足柄大淀朝霜清霜ほか丁型3隻
12.27撃沈された清霜乗員を救助
12.30礼号作戦終結

1945年

1.3第2水雷戦隊司令官が古村啓蔵少将に交代する
1.26第7駆逐隊に編入
1.~2.リンガ泊地にて「伊勢」「日向」と合同訓練
2.10第2水雷戦隊旗艦として北号作戦に参加。日向伊勢大淀を護衛
2.20北号作戦奇跡的に被害無く成功し呉入港
2.23第2水雷戦隊旗艦を矢矧へ継承
3.10第7駆逐隊から第21駆逐隊(司令艦初霜朝霜/霞)へ編入
3.19呉で空襲を受ける。大和ほか秋月型2隻と対空戦闘
4.6天一号作戦に参加。大和を護衛
4.7直撃弾2発至近弾1発を受け航行不能、雷撃処分。死傷60名
5.10除籍

艤装員長・駆逐艦長

艦長氏名(期・本籍)
配属期間
他の経歴・小ネタ
艤装員長
初代
白濱政七 中佐(49・佐賀)
1938.12.15~39.6.28(艤装員長)
1939.6.28~39.11.15(艦長)
大戦中は水雷学校副官を経て筑摩副長。最期は第27駆逐隊司令として渾作戦中、乗艦春雨戦没時に戦死。少将に特進。他、松風如月(睦月兼務)、狭霧磯風駆逐艦長。
第2代磯久研磨 中佐(48・高知)
1939.11.15~40.11.15
開戦時は第11水雷隊司令。後、海防艦八丈艦長、第4駆逐隊司令。トラック島空襲に際し、乗艦舞風戦没時に戦死。少将特進。他、夕顔、長月(水無月兼務)、有明、狭霧磯風駆逐艦長。
第3代戸村清 中佐(49・千葉)
1940.11.15~42.8.20
開戦時の霞艦長。キスカ湾での大破後 満潮谷風駆逐艦長、摩耶副長、第6駆逐司令。電の戦没により6駆解隊。他、蓮、沢風、白雪駆逐艦長。戦後、大泊艦長、葛城臨時艦長。
第4代
(兼)
友重丙 中佐(47・広島)
1942.8.20~42.9.10
本務は舞鶴防備隊副長。
舞鶴工廠で修理を受けた艦の駆逐艦長・巡洋艦副長を兼務した。(薄雲、大潮那珂等々)
第5代
(兼)
杉岡幸七 中佐(49・広島)
1942.9.10~42.11.15
開戦時は狭霧艦長。従って同艦戦没時の艦長でもある。修理中の大潮に加え、不知火駆逐艦長を兼務。駆逐艦長に補され、ベラ湾夜戦にて戦死。大佐特進。
第6代
(兼)
山名寛雄 少佐/中佐(55・広島)
1942.9.10~42.12.20 (兼務)
1942.12.20 (主務)~45.3.1
開戦時は沖風駆逐艦長。戦没時の艦長で、同行した初春らに助けられた。修理中の大潮・不知火・初春の艦長を兼ねる。
第7代大潮新艦長*5が着任したため主務艦を霞に変更。43.5.20に修理完工し不知火・初春艦長兼務解消。以降、レイテ沖海戦、多号作戦、北号作戦等名だたる戦歴は彼の功績である。坊ノ岬沖海戦には冬月駆逐艦長として参戦。
第8代松本正平 少佐(59・石川)
1945.3.1~45.4.7戦没
開戦時は鷺艇長。神風駆逐艦長、第9次多号作戦で戦没した夕月駆逐艦長。坊ノ岬沖海戦で艦を失うが、山名前艦長乗艦の冬月により救助される。ポツダム昇級で中佐。
  • 真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、レイテ沖海戦、オルモック輸送作戦、ミンドロ沖海戦、北号作戦などに参加。
    とにかく大規模な物から末期の無謀すぎる物まで様々な作戦に参加してきた古豪の艦。まるで鬼軍曹のよう彼女の叱咤の数々は、これらの実績に裏打ちされたものと言える。

第一水雷戦隊所属 機動部隊護衛

  • 第二水雷戦隊所属として「神通」のもとで訓練に励んでいたところ、昭和16年11月機動部隊に編入され、「阿武隈」の第一水雷戦隊の所属となった。
    同11月24日、行き先も告げられないまま到着した単冠湾で初めてハワイ空襲を知らされる。
  • 12月8日開戦。「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」の航空母艦の護衛として真珠湾攻撃に参加。
    護衛水雷戦隊には旗艦「阿武隈」、第十八駆逐隊のほかに第十七駆逐隊と「秋雲」がいた(「秋雲」は翌年まで第十八駆逐隊の指揮下にあった)。
    「霞」達はその後も空母機動部隊と共に各地を転戦し、最前線で破竹の快進撃を支えることとなる。

第十八駆逐隊の悲劇 朝もやの強襲

  • 「霞」「」「陽炎」「不知火」で史実の第十八駆逐隊を組める。艦これのラインナップはこれを意識したのかもしれない。
  • 第十八駆逐隊は「神通」率いるあの「華の二水戦」所属。四隻いずれも新鋭艦かつ最高の練度を有する、日本海軍最強の駆逐隊の一つであった。
  • しかし、第十八駆逐隊は濃霧のためやむなくキスカ沖で停泊していたところ潜水艦グロウラーの奇襲を受け、「霰」が轟沈し「霞」と「不知火」は艦体切断の重傷を負う。
    「霞」と共に生き残った「不知火」はこの件について非難の矢面に立たされ陰口を叩かれ、結果「不知火」座乗の宮坂司令が責任をとって切腹自決を図るという騒ぎとなる。その後駆逐隊は解隊、霞は呉鎮守府附の予備艦に移された。
    • 第十八駆逐隊はミッドウェー海戦以来不休で働き詰めであり、将兵たちの疲労が激しかった。そこで、霧に包まれた停泊中ぐらいは部下たちをゆっくり休ませてやろうと、宮坂司令は錨地変更時刻を午前5時と遅めに設定した。
      ところが午前3時ごろになると霧が晴れ始め、潜水艦からは絶好の目標となってしまっていたのである。
      部下たちを思いやる宮坂司令の優しさが、最悪の事態を招いてしまったのであった。
      • 艦首の無くなった「霞」の船体は、幌筵片岡湾までは「」、幌筵から北海道石狩湾までは「」、その後舞鶴までは富士山丸と、交代で曳航・護衛して連れ帰った。
    • ちなみに自決を図った宮坂義登司令は九死に一生を得て助かっており、昭和52年に亡くなられている。
    • 解隊された第十八駆逐隊は後に第五艦隊の第一水雷戦隊で復活した。
    • 「用があるなら目を見て言いなさいな!」「だから何よ?」「はぁ!?それで逆ギレ?だらしないったら!」、これらのセリフ、彼女が浴びた非難と陰口の数々や、それによる司令の自決といった過去を考えると、まことにヘビーである。
    • 森田友幸「霞」元水雷長(後に「天津風」艦長)はその著書で、当時の対潜戦闘について次のように述べている。
      水中測的兵器を装備して積極的に対潜戦を行おうという着意が開戦前後の海軍に無く、そのため多くの駆逐艦が犠牲となり、ほどこすすべがなかった。
      昭和十七年の時点で駆逐艦の対潜戦はまったくの目算と勘によるほかなく(水中探信儀のような兵器が装備されていなかった)、「これによってやられる潜水艦があればよほど運の悪い奴」だったという。
      「霞」はその後、修理を機に初めて九三式水中探信儀を装備したのだった。*6 タイミングおかしいったら!

北の海の怪 白雲と霞

  • 霞も他の武勲艦たちと同様、必然的に多くの仲間たちの最期を看取ってきた艦でもある。
    中でも第9駆逐隊時代の僚艦、駆逐艦「白雲」(特Ⅰ型・未実装)が最期を迎えた際、「霞」の乗員は不可思議な現象に遭遇している。
    • 昭和19年3月16日夜、北方海域で船団護衛中のことである。護衛中の輸送船が、突如「白雲」を敵潜水艦と勘違いし砲撃を始めた。
      これに対し「白雲」は識別灯を点灯、「ワレシラクモ」と発光信号を発し始めた。潜水艦の潜む闇夜の海上では自殺行為に等しく、歴戦の白雲艦長らしくもない行動だった。
      案の定、間もなく「白雲」には魚雷が命中し、火柱を噴き上げて瞬時にして轟沈してしまった。
      続行する「霞」は海上に数名の生存者がいることを確認したが、いつまた襲撃を受けるかわからない状況で、守るべき船団を放置して停止救助することなど不可能だった。
      凍てつく北の海で、「白雲」の生存者たちは間もなく姿が見えなくなった。
    • その後、どうにか任を終えた「霞」乗員が暗澹たる気分で大湊に帰投し、士官たちが贔屓の料亭に入った時のことである。
      店の女たちが「白雲と一緒に戻ったんでしょ。あちらの士官さんも顔を見せるわね」「というのも白雲のことでおかしなことがあったから」と語り始めた。
      数日前の夜のこと、店の前で「おーい、今帰って来たぞッ!」と、まごうことなき「白雲」の士官たちの陽気な怒鳴り声が聞こえた。
      早速返事をして店の玄関を開けたものの、そこには人っ子一人、足あと一つなかった。他に客もない夜更けのこと、聞き間違えるはずがない。
      そしてその声が聞こえた時刻が、なんと3月16日の夜、まさに「白雲」が轟沈した時間であったという。
      白雲轟沈は軍機であり、彼女たちが知るはずがない。女たちが首を傾げている横で、霞の士官たちは愕然となっている。*7

一水戦旗艦・霞 離別と奮闘の記録 (あるいは霞の一番長い一箇月)

(←クリックで本文が開きます)昭和19年10月、霞は第一水雷戦隊の旗艦となる。戦局はいよいよ厳しく、共に戦ってきた仲間たちが日々失われていく。そしてついにレイテ沖を舞台に、制空権のない海域を突破する危険な輸送任務・多号作戦が発動する。霞の一番長い一箇月がはじまる。

1日目 旗艦拝命、不知火との別れ 地獄が開く音がする

  • 昭和19年10月25日、レイテ沖海戦で第一水雷戦隊に所属して出撃、旗艦「阿武隈」が損害を受けたため、木村昌福司令官らを収容し、一水戦旗艦となった。
    • 僚艦たちや多くの仲間たちを次々に失ってきた「霞」は、木村提督の指揮のもと、ひたすら人命を救うことに邁進することとなる。
  • 翌26日、「霞」と「足柄」が揃ってスリガオ海峡からコロン湾(マニラまでの中継点)へと向かう途中、航行不能となっていた「熊野」に合流。「足柄」が「熊野」をコロン湾まで曳航する間、「霞」はその護衛を行った。
  • 同26日、第一水雷戦隊はコロン湾にて、第一次多号作戦に参加していた「鬼怒」「浦波」の救援を命じられる。
    しかし「潮」は「阿武隈」に、「曙」は「最上」に随伴していたため、そこにいたのは旗艦代行の「霞」と第十八駆逐隊司令駆逐艦「不知火」の二隻だけだった。
    いずれを派遣させようかと一水戦司令部が迷っていたところ、たまたま「霞」に来艦中だった十八駆逐隊司令井上大佐がこう言ったという。「よし、おれが行くか」。
    司令部は渡りに船と喜び、木村少将は「行ってくれるか」と命令書を出した。*8
    • これが第十八駆逐隊結成以来、大半の期間を共にしてきた「不知火」との最後の別れとなる。

7日目 第二次多号作戦 霞の後始末

  • 10月31日早朝、第二次多号作戦船団がマニラを出発。ここで多号作戦とは陸軍兵力をレイテ島へと輸送する陸海共同の作戦のことで、輸送船団はレイテ島オルモック湾での揚陸を目的としていた。
    第二次作戦では第一水雷戦隊から「」、「」、「初春」、「初霜」ら、第二水雷戦隊から「沖波」が護衛駆逐艦として参加し、「霞」は作戦の旗艦を務めた。
    今次作戦は11月1日夕方、十分な護衛艦と航空支援のもと無事にオルモック湾へと辿り着く。
    しかし翌朝、約50機の敵機から攻撃を受けた際、煙幕を張って船団を守る戦術は功を奏したものの、このバリアから外れた輸送船能登丸が被弾沈没。
    そこで木村提督座乗の「霞」は「お前たちは船団を護衛して先にマニラへ帰れ、本職はあと始末をしていく」との命令を下し、その場に残った。
    後始末とは能登丸の生存者救出にほかならない。敵前の極めて危険な状況下、救助に司令官自ら当たるというこの命令に「初霜」の酒匂艦長は感服し、木村司令官を尊敬したという。
    • 「「霞」が一艦だけ残るというもんですから、「俺はこのまま帰っていいのかな」と思いましたねえ。これには参りましたよ、相当な司令官だと思いました」「初霜」艦長酒匂雅三少佐の証言*9

12日目 燃え上がるマニラ湾

  • 揚荷率にして9割以上の成功を見た第二次多号作戦から帰還後の11月5日、マニラは4次に及ぶ大空襲を受ける。この空襲で「那智」が沈没、「那智」を護ろうと続航した「」が被弾大破。
    それを見た「霞」の一水戦司令部は「第二十一駆逐隊(「初春」・「初霜」)と駆逐艦「」は我に続いて「那智」の救援に向かえ」と命じた。*10
    一水戦の仲間たちと力を合わせ、「那智」の生存者救助と炎上する「曙」の救援にあたった。
    • この時「霞」は「曙」消火作業のため横付けしようとしたものの、火勢が強く魚雷誘爆の危険まであったため断念せざるを得なかった。しかし決死的に横付けした「潮」と「曙」乗員の不撓の消火作業により鎮火に成功する。
      • その様子を見届けた「霞」は第四次多号作戦のため一旦その場を離れるのだが、その第四次多号作戦が延期となったため、再び「潮」「曙」の近くまで戻ってきて翌朝まで警戒を行った。
    • ちなみに10月26日に「霞」が護衛した「熊野」は、11月5日深夜1時半、空襲が始まる前に出港しており*11、被害を受けることなく「霞」達と別れている(が、彼女の艱難辛苦は続く)。

15日目 第四次多号作戦 「ったく…どんな采配してんのよ…本っ当に迷惑だわ!」

  • 11月8日「霞」を旗艦とした第四次多号作戦が第三次多号作戦に先立って行われる。当作戦の僚艦には「潮」「長波」「朝霜」「秋霜」らがいた(「初春」は当初第三次作戦に参加中。「初霜」は第五次作戦への参加を予定して待機)。
    この第四次多号作戦では受け入れ側の準備不足(確約されていたはずの大発が予定の一割しかなかった*12)から揚陸作業が難航。加えてこの時期には制空権は完全に失われていた。
    船団は9日夕刻から翌朝にかけ細々とした揚陸を続けながら、陽のない間は不眠不休の対魚雷艇戦闘、陽のある間は制空権の無い状況下での過酷な対空戦闘を強いられることとなった。
    時間が経過するごとに危険を増してゆく敵制空権下、第四次多号作戦は結局、兵士とその携行武器を揚陸し得たのみで、重火器や弾薬糧食のほとんどは揚陸できないまま撤退を選択する。(作戦は半ばも成功させられなかったという一水戦司令部の認識が戦訓に見られる*13
    ところが帰途についたまさにその直後、艦隊は約130機からなる敵編隊からの攻撃を受けてしまう。これにより輸送艦2隻が瞬く間に爆沈。護衛の海防艦らも2隻が撃沈のほか複数が中破、大破という惨状となる。
    その後の撤収に際し「霞」は再び自ら救助作業を引き受け、第二次作戦よりもさらに危険な状況で現場に残ったのだった。この時は「朝霜」「長波」ほか海防艦1隻も危険な救助を手伝い、後に救助者を「霞」に移乗させている。
    • 第四次多号作戦に対する「霞」乗員ら現場の不満がいくつか残されている。
      • オルモックから帰還後の木村メモには、「大発準備無ク無念」と記されていた。
      • 「霞」の三浦砲術長によれば、作戦帰還後、司令部への報告で大発不備の陸軍を難詰する星野通信参謀は鍾馗のような顔だったという。*14
      • 第四次多号作戦戦闘詳報にも、戦訓に次のように記されている「(前略)作戦不成の原因が泊地侵入後の揚搭力不足の一事に尽きることを思う時、ガ島以来皇軍のつぶさに体験せる戦訓は如何にせしやと叫ばざるを得ず(以下略)」*15

17日目 第三次多号作戦 戦訓如何にせしや

  • 11月10日、這々の体で撤退する第四次多号作戦船団と入れ替わりに、第三次多号輸送作戦船団がオルモック湾へと向かっていた。
    それに対して(第三次船団を率いる「島風」第二水雷戦隊司令部宛てでもあったが、作戦司令部に宛てて)「霞」一水戦司令部はおおむね次のように具申したのである。
    「第三次作戦は強行するのであれば泊地突入だけは可能だと思うが、揚陸船艇皆無の場合への十全の対策が必要である。戦局の逼迫はこちらも熟知しているが揚陸に成算なく突入するのはいたずらに敵に攻撃目標を呈示する結果となる。」*16
    • この日、事前の計画に従い、「朝霜」「長波」が第三次船団に加わる(第三次船団からは代わりに「初春」「竹」が第四次船団に移った)。
  • 11月11日、第三次多号輸送船団が壊滅。
    命がけの救助を共にした「長波」はそのわずか1日後に沈み、輸送船5隻に「島風」麾下護衛7隻からなる第三次船団からは、たった2隻「朝霜」と小さな駆潜艇だけが帰還したのだった。
  • 作戦後の陸上で、滅多に上司に対する批判を口にしない木村少将が、「艦隊司令部は毛が三本足りない」とつぶやいている。それを聞いていた星野通信参謀によると、木村少将の抑え切れない怒りと悔しさが強く感じられたという*17

19日目 マニラ脱出、第十八駆逐隊解隊

  • 11月13日、マニラ湾は再び大空襲を受ける。第一水雷戦隊旗艦となるべく招集されていたはずの「木曾」が大破着底。「初春」「沖波」「秋霜」が撃沈され「曙」も航行不能、「潮」は中破。輸送船7隻も犠牲となった。
    軍艦や民間船が数多く撃沈される中、「霞」は主砲機銃とも弾丸を撃ち尽くすほど戦ったという。
    この事態に対し「那智」の撃沈から辛くも逃れていた志摩清英第五艦隊司令長官はマニラからの脱出を強く進言する。
    進言は聞き入れられ、13日深夜、一水戦司令部は動ける指揮下駆逐艦「霞」「潮」「初霜」「朝霜」と「竹」を率いてブルネイに向かうこととなる。
    一水戦最後の任務となるこの回航の旗艦もまた、「霞」だった。
    • 湾内は昼間の大空襲で依然猛火に包まれていた。「まさに地獄の惨状で、火の海を縫うようにして艦隊はマニラを脱出した」と艦隊副官桜井主計は記している。*18
    • 翌14日早朝、危惧されていた通りマニラでは三度目の大空襲が始まり、身動きのとれなかった「曙」や輸送船3隻などが沈没している。
  • 「潮」らを率いてブルネイへ向かう11月15日、「霞」は第七駆逐隊へ編入、第十八駆逐隊の解隊が通知される。ここに第十八駆逐隊は本当の終わりを迎える。
    なお、同時に第二十一駆逐隊では「若葉」が除かれ「時雨」が編入されていたが、「時雨」は内地でレイテ沖海戦時の損傷を修理しており、「霞」達とはついに合流できなかった
    (「時雨」は礼号作戦の直前、南西方面に向かっていたのだが、故障のため再び内地へ戻ってしまい、それきりとなった。「時雨」のいる礼号作戦もあり得たのかもしれない)。
    • この頃から南西方面の駆逐隊は殆ど書類上だけのものになっていた。艦数が減りながらも引く手あまたのため、やむなく駆逐隊を問わず一隻単位で各方面に配分されたのである。*19
  • 同じく11月15日、「霞」は「潮」への燃料補給のため千里堆泊地に留まり、「朝霜」「初霜」をブルネイへ先行させている。敵機の追撃が続いていた中でのことだった。
    11月17日には「伊勢」「日向」から「霞」「潮」「竹」が燃料補給を受ける(中破していた「潮」が「伊勢」の協力で修理されていたりもする)。

26日目 一水戦、解隊 長い一箇月の終わり

  • 11月19日目的地をリンガに変えて泊地を出発。そして11月20日、第一水雷戦隊解隊。
  • 第一水雷戦隊最後の戦闘詳報は第二次多号作戦から解隊までを範囲とし、ちょうど「霞」が一水戦旗艦を務めていた期間の報告書となっている。
    その戦訓には次のような言葉が残されている。*20
    • 「作戦の重点に対しては指導司令部直接参加するを要す。(中略)作戦実施の実情を把握し機宜状況に即する処置を採ると共に、以後の作戦指導の資料となす必要あり」
    • 「第三次多号作戦輸送が第四次輸送部隊の意見具申に関わらず強行せられたるは了解し難し。難し作戦指導は確固たる根拠に基づき必成の確算に立つを要す
    • 作戦打ち合わせ周到綿密なるを要す。本期間中参加する作戦において作戦打ち合わせ精粗がその成否を左右するとなすも過言にあらずを痛感せり」
    • 幾度か敵制空権下に出入りし重大なる任務を達成しあるは小型艦艇なり。其の艦艇長の辛労は勿論乗員の労苦軍艦の比にあらず。宜しく上級司令部等においては深き認識を有すると共に其の戦闘能力の至実情を調査し使用すべきなり」
    • 功績の顕彰は機を逸せずこれを実施し、且つ脱漏なきを期する要あり。本件は小型艦の乗員の士気振作上極めて重大なる事項につき更に関心を深くする必要ありと認む」
  • 最後の一水戦司令木村少将は過去に「鈴谷」で指揮をとっていたことがあり、軍艦の比では無いと言えたのはそのためだろう。
  • 真珠湾攻撃から戦い続けてきた第一水雷戦隊はその最後にこうした戦訓を残したのであるが、第二水雷戦隊もまた、天一号作戦の戦訓に一部同様の言葉を残すことになる(天一号作戦最後の旗艦は「初霜」であった)。
  • 11月1日から20日までの期間に報告された「霞」の被害は以下の一件。11月13日、戦死1。

礼号作戦発動 日本海軍最後の勝利

  • マニラ脱出後「霞」たちが停泊することになるリンガ泊地は燃料の入手が容易で、訓練には持ってこいの泊地だった。*21
    11月20日以降、「榛名」「羽黒」「清霜」などもリンガに集結し、それぞれリンガにいる間毎日、それまでの戦訓を反映させた猛訓練を行っていたという。
    • 礼号作戦後の昭和20年1月から2月までの例では、夜間、「霞」は「朝霜」ら(恐らく「初霜」)とともに「伊勢」「日向」「足柄」「大淀」を敵艦隊と想定して襲撃。
      対する大型艦は「霞」たち駆逐艦隊を敵高速魚雷艇とみなして突入戦の技を練った。このような訓練が「アキアキ」するほど(「大淀」乗員の感想である)続けられていたのだった。*22
  • 昭和19年11月20日、一水戦司令官だった木村少将の第二水雷戦隊司令官就任と共に、当時の木村司令官の乗艦だった「霞」が二水戦旗艦となる。
    本来は「矢矧」が正式な旗艦に指定されていたのだが、「矢矧」は当時日本本土に帰還していて、南方にいた木村司令官は着任できなかったのだ。
    • ただし、木村司令官はその後すぐ「」や「清霜」、「朝霜」を転々として、12月14日からは「大淀」に将旗を掲げており、そのまま礼号作戦発動の日を迎えている。
      かつては精強を誇った第二水雷戦隊も、レイテ沖海戦で軽巡「能代」、多号作戦で駆逐艦「島風」と旗艦が相次いで撃沈され、さらに前任の司令官早川幹夫少将の戦死、多号作戦での駆逐艦大損害でぼろぼろの状態であり、解隊した第一水雷戦隊から司令官と駆逐艦を引き継いで再建するほどに追いつめられていた。
      • 元一水戦参謀曰く、実態は「一水戦から二水戦への名義替え」であった。
  • 12月初頭、「霞」は「初霜」と共に「榛名」を台湾まで護衛(「榛名」はこの後内地で終戦を迎える)。礼号作戦の計画はちょうどこの頃に始まっていた。
  • 12月半ば「」と共に内地へ回航する途中だった「妙高」が敵潜水艦の魚雷を浴び大破艦尾切断の重傷を負う。
    内地で修理の必要な「」に代わって「霞」「初霜」が救援に駆けつけ、「初霜」の警戒のもと「霞」が曳航してシンガポールへ回航しようとしたが、さすがに無理だった。
    仕方なく「羽黒」を呼び出し曳航してもらうこととなったが、その途上、木村提督により特に名指しで礼号作戦参加の要請を受けたため、後を「初霜」に託して任務に向かうこととなった。
  • 礼号作戦には同行した重巡「足柄」や軽巡「大淀」らを差し置いて、「霞」が二水戦司令官木村昌福少将の旗艦として参加、米輸送船団に砲雷撃を浴びせた。
    • 指揮通信機能が充実した「大淀」や、当時第五艦隊旗艦だった「足柄」ではなく何故「霞」が旗艦に選ばれたのか。
      それは、木村司令官にとって「霞」は第五艦隊時代から馴染みが深く、乗員との意思疎通が容易だったことや、港湾突入ということで、狭い湾内では大型艦が邪魔になる可能性があったこと(日向伊勢はこれと低速であるという理由で突入参加しなかった)、二水戦司令官である木村少将にとって、「足柄」・「大淀」は南西方面艦隊からの「借り物」であった為などの理由もあるが・・・。
    • もっとも、前述の通り礼号作戦発動までは「大淀」が第二水雷戦隊旗艦であり、出撃前日の木村司令官による「礼号作戦実施要領」の発令と、参加艦艇の指揮官を招集した作戦打ち合わせも大淀で行われている。
      大淀が借り物だから忌避したというよりは、待機時の旗艦は司令部設備に優れた大淀、危険な敵地突入に際しては軽快な小型艦で一水戦時代から慣れ親しんだ歴戦の霞(朝霜や清霜、松型3隻は竣工して日が浅い)と使い分けたのだろう。*23
    • 木村司令官が「大淀」から「霞」に将旗を移したのは、出撃一時間前の12月24日午前8時のことである。
    • 戦後、木村提督はインタビューにこう答えたという。「だって君、僕は駆逐艦乗りだよ?」生粋の水雷屋である。
  • 礼号作戦の編成は以下のとおり。
    • 第二水雷戦隊旗艦「霞」・第二駆逐隊「清霜」「朝霜」・第四十三駆逐隊「榧」・第五十二駆逐隊「杉」「樫」・付属「足柄」「大淀」・第二遊撃部隊(後方支援、実戦参加せず)「日向」・「伊勢
    • この内、第二駆逐隊は木村少将の二水戦所属になってまだ日も浅く、第四十三駆逐隊と第五十二駆逐隊は対潜護衛部隊である第三十一戦隊からの出向組、「足柄」と「大淀」は南西方面艦隊からであり、いわば敗残の寄せ集め艦隊だった。
    • それでも木村艦隊はフィリピンのミンドロ島サン・ホセ泊地に突入し、奇襲成功。敵の激しい反撃を受けながらも殴り込み作戦を完遂した。
  • この戦いで撃沈された駆逐艦清霜乗員の救助に、旗艦「霞」が自らあたり、危険海域で機関を止めて救助を実行。
    この時「足柄」らは「霞」の「清霜の救助は私と朝霜がやるわ!あなた達は先に帰りなさい!*24という命令により退避しており、2時間もの間「霞」と「朝霜」は護衛もなしに身を挺して敵機や魚雷艇がいる中救助を続けた。
    • また、退避北上していた「足柄」らは基地攻撃の報により南下してきた魚雷艇2隻を発見し照射射撃を敢行、見事これを撃退した。この働きがなければ「霞」「朝霜」の救助は成功しなかったかもしれない。
  • 帰投時、重油不足(松型は従来の駆逐艦に比べて航続距離が短い)で速力がでない「榧」、「樫」、「杉」を含む艦隊は潜水艦と爆撃機の追撃を受けていた。このような場合「足柄」や「大淀」のような大型艦艇は狙われやすい。そのためやむなくこの3隻を残し高速の4隻は帰路を急いだ。
    • その後ベトナムのカムラン湾に着いた霞らは第二遊撃部隊の司令部より同サンジャックへの回航を命じられる。
       しかしこれを「霞」乗艦の木村少将は握りつぶし残り3隻が到着するまで待った。
      • 「霞」、「朝霜」、「足柄」、「大淀」がカムラン湾に帰還したのは28日午後6時30分。その直後の午後8時、木村司令官は「大淀」に再び将旗を移し、残る3隻の到着を待った。
        帰りが遅れた「榧」、「樫」、「杉」がカムラン湾に到着したのは、翌29日午前11時30分。
        木村司令官はすぐに3隻の帰還を関係各所に報告、そして3隻には「諸子の勇戦敢闘により今次作戦の目的を達し得たるは本職の最も欣快とするところなり。茲に諸子の敢闘を多とす。戦死者の英霊に対しては深く哀悼の意を表す。緊迫せる戦局に鑑み今後の健闘と武運長久を祈る」との電報を発し、ここに礼号作戦は完了した。
  • 結果、各艦の活躍の甲斐あって、木村艦隊は損失を清霜1隻のみにとどめ無事戦場を離脱、礼号作戦は成功に終わる。そしてこれが第二水雷戦隊、日本海軍水上部隊最後の勝利となった。
    • 昭和20年の元旦、「伊勢」「日向」が突入艦隊を出迎え、正月用の餅を配ったという。(しかし少なくとも「大淀」に配られた分は傷んですっぱくなってしまっていた)*25
  • ゲームにおいて、イベント「出撃!礼号作戦」が実施された際に、それを告知するバナーで立派な髭を生やした霞そっくりなキャラが描かれている。
    このカイゼル髭こそ、木村提督のトレードマークであった。ちなみに、戦争が終わった後は綺麗さっぱり剃り落としてしまったという。

運命の沖縄特攻 霞、最期の戦い

  • 年が明けた昭和20年1月、第二水雷戦隊司令官は木村昌福少将から古村啓蔵少将に交代する。
    「霞」は1月1日から二水戦旗艦に復帰しており、木村少将の司令官退任と古村少将への引き継ぎはシンガポールに停泊する「霞」で行われた。前述の通り、二水戦旗艦になるはずの「矢矧」が日本にいたためである。
    • 同時期、霞水雷長の森田友幸水雷長(大尉)は同地で修理中の天津風の艦長となる*26
  • 2月、北号作戦で「日向」以下四航戦を護衛しつつ2月20日呉に帰還を果たし、この時持ち帰った燃料で最期の戦いに赴くことになった。*27
    • 北号作戦に参加した駆逐艦は、「霞」(七駆)・「初霜」(二十一駆)・「朝霜」(二駆)と所属駆逐隊が別々だったが、北号作戦開始時の2月に「朝霜」、そして3月に「霞」が第二十一駆逐隊に転属となった。
      なお、この時点で3隻とも姉妹艦をすべて失っており、艦型がバラバラの寄せ集め部隊となった。
    • 途中の仮泊地で、「日向」から燃料補給を受けているが、この時「日向」とごっつんこしていたりする。ただ、艦に重大損傷はなく、作戦を全うできた。
    • 北号作戦の成功により「霞」が乗せた第二水雷戦隊司令部は無事呉に辿り着き、2月23日第二水雷戦隊旗艦は「霞」から「矢矧」へと移った。
  • 2月末から3月、呉では第二水雷戦隊の一員として、同じ第七駆逐隊となっていた「響」らと肩を並べて改修工事を行う。
    • 寄せ集めの二水戦を統合するための訓練期間と、電探対潜装備等の兵器改善工期とを天秤にかけ、司令部は兵器改善が数箇月の訓練に優ると判断、訓練期間の短縮を敢えて忍んだ。*28
    • 「響」とは第七駆逐隊の中では短い付き合いだったが、第二十一駆逐隊に移った後も同じ呉にあり、3月19日呉空襲で「冬月」「涼月」と共に「大和」と合同して対空戦闘を行うなどしている。
      • なお「潮」は戦時日誌によれば2月から4月にかけて横須賀にあり、「霞」とは南西方面での別れが最後の別れとなった模様。
  • 大和」の沖縄特攻にも随伴艦として参加したが、米軍艦載機の爆撃を受けて大破。機械室で炸裂した爆弾は横腹に大穴を開け、ボイラーは破裂し煙突も吹き飛び航行不能となったが、戦闘終了まで沈没せず持ちこたえた。
    • 「霞」の救援には「冬月」(未実装)が向かった。この時の冬月艦長は、奇しくも1942年11月からつい1ヶ月程前までという長期間、「霞」の艦長として死線を潜り抜けた山名寛雄中佐であった。
      乗員たちは「艦長が来た!」と喜び、山名艦長ならきっと「霞」を曳航して救ってくれるかと願ったが、山名中佐は「霞」の大被害を一瞥して救援不能との判断を下し、「霞」を放棄するよう告げた。
    • 「霞」の乗員は横付けした「冬月」に救助された。乗員達は開戦からずっと「霞」と共に戦ってきた者が多く、最後まで戦い抜きやれることは全てやったという自負を持ち、まるで凱旋将軍のように胸を張って誇りを抱きながら退艦したと言われている。
      性格の元ネタにはこの自負もあるのだろう。実際それに見合うだけの戦歴を持っている。
    • なおこの時、「霞」の松本正平艦長は「霞」砲術長に対し「士官室の金庫に入っているカネを持って移れ」と命令していた。
      これにより一円札(現在価値で1900円ほど)ざっと三万枚(5700万円相当!)の詰まった袋が運び出されたのである。それは後に、生き残った「霞」乗員達への掴み金の餞別として使われることとなる。
      転勤命令を受けた元乗員達はこの餞別を渡されながら互いに健闘を約し、去っていった。
      士官に対しては一銭も渡されなかったこのカネこそ、松本艦長と士官達そして「霞」が霞乗員に最後に残したものだったと言えよう。艦と共に沈んだはずの簿外のカネだからと、渡し放しだったという。*29
    • 「冬月」は乗員を全員収容したのち、「霞」の雷撃処分を行った。
      愛する「霞」に沈んでほしくない、沈むところを見たくないという乗員たちの願いが通じたか、「霞」は魚雷命中の大水柱が消え去ると、もはや海中に没し去っていたという。
      歴戦の勇士にふさわしく、何人にも死に際を見せない見事な最期だったと伝えられている。
      「霞」の戦没により、朝潮型はついに全滅した。*30
    • 映画「連合艦隊」の大和特攻出撃に際して作戦会議が開かれた場面で、伊藤第二艦隊長官から意見を求められた艦長・駆逐隊司令の中で真っ先に発言するのが「霞」の松本艦長であり、草鹿連合艦隊参謀長の面前で作戦を批判する台詞がなかなかに痛烈である。
       
    • ここで時間を出撃前に巻き戻す。作戦直前、死出の旅に不要な艦内物件を陸揚げしていた際、一人の下士官が「霞」後甲板にある特級酒の扱いを「霞」砲術長に問うた。
      砲術長はこれに答えて「帰ってきてから皆で飲むから、そのまま陸揚げしないで積んでおけ」と指示したのである。と、その場に居合わせた「霞」水雷長は主張している。(砲術長の記憶は曖昧*31
      そして時間を雷撃処分に戻す。「霞」水雷長の観測によると、「冬月」の魚雷は「霞」の後甲板、ちょうど特級酒の真下に命中したのだという。かくして「霞」は特級酒黒松白鹿を抱いて沈むこととなった。*32
       
    • 最後に沖縄特攻における「霞」のエピソードを記しておく。米軍艦載機との戦闘が始まる一、ニ時間ほど前、「大和」始め護衛艦は各自早めの昼食をとった。
      戦闘食は普通、握り飯にタクアンと相場が決まっており、この時も各艦でこれが配られた。しかし何故か「霞」だけはカレーライスだった。*33 「だっだから何よ?」

この艦娘についてのコメント

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 霞ちゃん、胸ポチしてるんじゃ、、、? と思ってクリックしてしまう俺提督 -- 2019-07-20 (土) 17:59:50
  • 去年も着て来年も着てくれるであろう、今年だけなんだから水着の破壊力∞  -- 2019-07-20 (土) 20:22:26
  • セリフ見るとあの水着を選んだのは清霜になるのか…?だとしたら清霜グッジョブすぎる -- 2019-07-28 (日) 19:29:28
    • しかも清霜の水着modeが来ないところを見ると初めから霞に着せるため買い物に誘った節がある。これが礼号組の知略縦横。 -- 2019-08-17 (土) 15:07:49
    • 「司令はんに見せるため」と親潮に明言した黒潮さん。逆に明言はないが「暑いからよ」の一言で黒潮はんと、理由にそう大きな違いは無さそうな霞さん。 -- 2019-08-24 (土) 02:43:04
  • 配信開始3ヶ月くらいの過去ログを見返すと、なかなか微笑ましいとともに、「ウチのかーちゃんみたいなこと言ってる」とか核心を突くコメントが紛れてておもしろい -- 2019-09-24 (火) 18:27:24
  • 勘違いして進水日1日前の昨日、改とカッコカリしたけどセリフ的に問題なかった、改二と改二乙が99なったら来年以降の進水日にカッコカリするから許して欲しい・・・ -- 2019-11-18 (月) 05:45:57
  • 「ゲームにおいて」の項目の最後に1文を加筆しました。 -- 2019-12-01 (日) 08:28:22
    • また、実装時期は前後しますがクオータリー任務「十八駆」演習!も加筆しました。 -- 2019-12-01 (日) 08:32:23
      • 任務ページの表記にあわせてクオータリー→クォータリーに修正しました -- 2019-12-01 (日) 08:45:57
      • あ、ご指摘修正ありがとうございました -- 2019-12-01 (日) 14:24:31
  • ①とニコニコよりーーこの絵を偶然見つけて……愕然!!前世の -- 2019-12-20 (金) 20:11:54
    • →続き。前世の彼女は坊ノ岬沖で一期を終え、艦娘としてかく復帰したが、ーーーあっちの世の戦いで一体何があったの、霞よ!? -- 2019-12-20 (金) 20:16:53
  • 朝潮の後に霞の節分ボイスを聞くと、なんだか妙な繋がりを感じてクスッと笑ってしまう。 -- 2020-01-29 (水) 05:59:57
  • ネジほしくていざ育てようと思ったが全然落ちないのな。こいつレアだったっけか? -- 2020-02-23 (日) 09:54:10
    • 背景青だよな・・・うん、青だ・・・・・・ -- 2020-02-23 (日) 09:55:33
    • 青背景だろうと母数の多いドロップテーブルの中から一人狙った子が落ちる可能性なんてそう高くないから別に普通のことでは -- 2020-02-23 (日) 10:06:01
    • 物欲センサーと言ってだな... -- 2020-06-18 (木) 18:40:30
  • 霞に敵のタゲ集中していつもやられてる。何故だ? -- 2020-03-31 (火) 14:08:26
  • 最後の戦闘糧食はカレーだったのか・・・黙祷 -- 2020-04-07 (火) 20:28:28
    • そういえば偶然だけど晩御飯は海の幸カレーだった。いつかの決戦で霞たちに幸ありますように(願 -- 2020-04-07 (火) 21:41:30
    • ママ「よそはよそ、うちはうち!」 -- 2020-06-26 (金) 09:35:11
  • 嫁さんになったらお金の管理はしっかりしてそう。単なるケチではなく使いどころを間違えないという意味で。(霞の艦長も素晴らしい人材がいたんだね) -- 2020-04-07 (火) 21:14:48
  • 霞を食っとるんだ!(志村和尚 鍋焼きうどんを啜る) -- 2020-04-08 (水) 14:55:08
  • 自分は司令官に「クズ」だなんだ厳しく当たりつつ、自分の子供が父親に「クズ!」とか言ったら真っ先に子供にゲンコツかっくらすのも霞 -- 2020-04-22 (水) 08:52:21
  • 松型実装マジか、礼号組にもいたので礼号連合艦隊できるのも夢じゃないな -- 2020-05-04 (月) 23:06:19
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

*1 資材の消費だけで、改二と改二乙をいつでも変更可能。
*2 最初の1音はミュートされていて聞こえないが、「死ねばいいのに」と言っているものと思われる。
*3 正規メンバーではないが、臨時で指揮下に入っていた。
*4 グロウラー(USS Growler、SS-215)。
*5 廣瀬弘中佐。大潮戦没後は島風艤装員長・初代艦長。
*6 『25歳の艦長海戦記』森田友幸。
*7 『歴史から消された兵士の記録』所収、霞哨戒長田中正吾中尉の回想より。
*8 『地獄のレイテ輸送作戦―敵制空権下の多号作戦の全貌』岸見勇美29頁。
*9 『艦長たちの太平洋戦争 続篇』佐藤和正。
*10 『撃沈戦記』木俣滋郎165-166頁。
*11 『撃沈戦記』177頁。
*12 『地獄のレイテ輸送作戦―敵制空権下の多号作戦の全貌』39-40頁。
*13 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030087600、昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(防衛省防衛研究所)」画像48。
*14 以上2件『地獄のレイテ輸送作戦 敵制空権下の多号作戦の全貌』。
*15 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030087600、昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(防衛省防衛研究所)」画像48。
*16 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030087600、昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(防衛省防衛研究所)」画像34。
*17 『地獄のレイテ輸送作戦 敵制空権下の多号作戦の全貌』49頁。
*18 『地獄のレイテ輸送作戦 敵制空権下の多号作戦の全貌』53頁。
*19 『第二水雷戦隊突入す』59-60頁。
*20 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030087300、昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(防衛省防衛研究所)」画像56以降。
*21 『第二水雷戦隊突入す』27頁。
*22 『巡洋艦「大淀」16歳の海戦』。
*23 水雷戦隊司令官が、敵地への突入作戦や輸送作戦に際して、軽巡から降りて駆逐艦に乗り換えるのはソロモン戦における第二、第三、第四水雷戦隊や第十戦隊でも見られ、礼号作戦時の木村提督に限った話ではない。
*24 命令の原文は「第二挺身隊及榧、樫、杉ハC点ニ向ハシム、爾余ヲ率ヰ清霜救難ニ向フ」。(C点は帰路の途中に指定されていた点) 第二挺身隊とは足柄、大淀のことで、爾余とはそのほかの意。そのほかと言っても8隻の編成だったので、残っているのは霞と朝霜だけである。
*25 『巡洋艦「大淀」16歳の海戦』。
*26 この異動では同地に赴任艦がいたため赴任手当が支給されなかったそうな
*27 重油を輸送したのではなく、「伊勢」と「日向」に多く残っていた燃料を転用。
*28 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030103000、昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(防衛省防衛研究所)」画像49。
*29 日本工業倶楽部会報一七九号「戦艦「大和」と共に」より。元就出版社「私観大東亜戦争」三浦節(元霞砲術長)収録。
*30 二十一駆の僚艦朝霜も撃沈され、生き残った初霜は第二水雷戦隊の解散を経て第十七駆逐隊へと移されている。
*31 特攻作戦直前にそう言ったとすると妙な話だが、言われてみると出発前、ほどなく死ぬんだという実感があまり湧かなかったのも事実。とは砲術長の言。
*32 日本工業倶楽部会報一七九号「戦艦「大和」と共に」より。
*33 光人社NF文庫「特攻大和艦隊」183ページ、庄司水雷長(大尉)の証言より。