No.103 | ||||
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日向 改(ひゅうが) | 伊勢型 2番艦 航空戦艦 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 77 | 火力 | 63 / 86 | |
装甲 | -- / 92 | 雷装 | 0 | |
回避 | 36 / 77 | 対空 | 45 / 92 | |
搭載 | 47 | 対潜 | 0 | |
速力 | 低速 | 索敵 | 24 / 60 | |
射程 | 長 | 運 | 30 / 79 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 95 | 弾薬 | 105 | |
艦載 | 装備 | |||
11 | 35.6cm連装砲 | |||
11 | 瑞雲 | |||
11 | 未装備 | |||
14 | 未装備 | |||
改造チャート | ||||
日向 → 日向改(Lv10) → 日向改二(Lv90+改装設計図x2+試製甲板カタパルト+戦闘詳報+新型航空兵装資材+開発資材x181) | ||||
図鑑説明 | ||||
航空運用能力を付与された航空戦艦、日向だ。 レイテでも奮戦したぞ。 戦略物資輸送作戦「北号作戦」も思い出深いな。 ああ、そうだ、海自のDDH「ひゅうが」に名は受け継がれている。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。
セリフ | CV:大坪由佳、イラストレーター:しばふ |
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入手/ログイン | 伊勢型航空戦艦、日向。推して参る。 |
母港/詳細閲覧 | あ…君…まだ居たんだ。 |
単なる戦艦の時代は終わったな | |
第一護衛隊群って…なんだ… | |
母港/詳細閲覧 (Xmas) | ん…これがクリスマス、なのか。ふむ…赤と緑、そして白か。悪くないな。 |
母港/詳細閲覧 (年末) | うん、そろそろ大掃除をしないとな。格納庫の瑞雲も…よく磨いてやらんとな。 |
母港/詳細閲覧 (新春) | 謹賀新年。明けましておめでとう。伊勢、そして提督、今年もよろしく頼む。 |
母港(ヴァレンタイン) | そうか、ヴァレンタインというやつだな。仕方無い、特別な瑞雲をやろう。ほら。 |
母港(ホワイトデー) | ふうん、義理堅いな。お返しか。貰っておこう。 |
母港/詳細閲覧 (2周年/3周年記念) | そうか…今日はおめでたい日なのだな。みんな嬉しそうだ。まあ…悪くないな。 |
母港/詳細閲覧(5周年) | 5周年か……悪くはないな。伊勢、提督、おめでとう。 |
母港/詳細閲覧(7周年) | 遂に我が瑞雲隊も7周年か……ああ、まあそうなるな! |
母港/詳細閲覧(瑞雲祭り2019・01) | そうか、またこの祭りか。仕方ないだろう。うん。まあ、自然と、そうなるな。 |
母港/詳細閲覧(瑞雲祭り2019・02) | しかし……今度は水の上に浮かべた雰囲気で……おお……しかも、首都に近いエリアに展開するというのか……よしっ! |
母港/詳細閲覧(梅雨) | この季節はよく雨が降るな…。瑞雲の運用に、支障が出るのはあまり好ましくないが…。 |
母港/詳細閲覧(初夏~夏) | この季節は嫌いではないな。伊勢……伊勢? ……なんだ、寝てるのか? |
母港/詳細閲覧(夏真っ盛り) | 暑いな。……あの呉の夏を思い出すな。……まあ、いい。 |
母港/詳細閲覧(エンガノ岬決戦) | 航空戦艦、日向。防空戦闘に抜かりは、ない |
伊勢。次の戦いは……厳しいことになりそうだ | |
母港/詳細閲覧(帰投) | 伊勢………まあお互い無事に帰れて何よりだ。 |
母港/詳細閲覧(オフタイム) | 伊勢は佐世保、私は舞鶴か。 ん?何のことだ? ああ、確かに落ち着くな。 ある種、最前線でもある、か。 |
母港/詳細閲覧(瑞雲祭り2018) | そうか、またこの祭りか。仕方ないだろう、うん。まぁ、自然と、そうなるな……! |
ケッコンカッコカリ(反転) | 航空戦艦、いい響きだろ?わかるか、そうか…よし飲もう!今日は朝まで帰さんぞ |
ケッコン後母港(反転) | …まあ、そうなるな。 |
編成 | 四航戦、出撃するぞ! |
出撃 | 航空戦艦日向、推参! |
四航戦、出撃するぞ! | |
遠征選択時 | …まあ、そうなるな。 |
アイテム発見 | …まあ、そうなるな。 |
開戦 | 航空戦艦の真の力、思い知れ! |
航空戦開始時 | まあ…後部甲板は楯ではないのだが… |
夜戦開始 | 面倒だな。ここで殲滅させてもらう。 |
攻撃 | そうだ、艦載機を放って突撃。これだ… |
航空戦艦の真の力、思い知れ! | |
まあ…後部甲板は楯ではないのだが… | |
攻撃(エンガノ岬決戦) | お返しだ。……行くぞ |
小破 | っ!やるじゃないか… |
当ててくるな…。ちっ! | |
中破/大破 | あぁ…この格好は、伊勢には見せたくないな… |
勝利MVP | そうか…やはりこれからは航空火力艦の時代だな…。最上の奴も頑張っているか? |
帰投 | 艦隊が帰ってきた。全艦健在だといいな。 |
補給 | まさかの航空戦艦の時代か? |
改装/改修/改造 | まさかの航空戦艦の時代か? |
…まぁ、そうなるな。 | |
やっと時代が、私に追いついたのか… | |
入渠(小破以下) | 修理しても、SH60K(ロクマル)は積めないぞ。 |
入渠(中破以上) | VLS?いや、そんな武装は知らんぞ。 |
建造完了 | 我が艦隊に新顔だ。迎えに行こう。 |
戦績表示 | 君に連絡だよ。…いや、私ではない。 |
轟沈(反転) | 大破着底するのは 呉軍港内と決めていたんだがな…… まぁいい |
時報 | |
放置時 | あぁ、何だ、別に退屈はしていない。瑞雲の整備もあるしな。そう、瑞雲が。 |
ゲームにおいて 
- 基本的な部分は伊勢改を参照されたし。
- 伊勢と同様、史実ネタにかけて運の数値がさらに+15上昇している。
上方修正履歴
- 2014/10/24メンテにて装甲最大値が87→92に上方修正され、伊勢改と全く同じになった。
- 同メンテ前に姉より2低かった理由は諸説あるが、「幾度もの事故で体に無理が来ている」説が有力か。
- 2014/10/24メンテにて艦載機搭載数が44→47に上方修正された。
- ~2014/10/24 搭載数44【11,11,11,11】
- 2014/10/24~ 搭載数47【11,11,11,14】(4スロットのみ+3)
- 2016/04/22メンテにて姉共々火力最大値が+4、対空最大値が+3、索敵最大値が+11された。
- 2017/06/23メンテにて姉共々火力最大値が+3された。
- 2014/10/24メンテにて装甲最大値が87→92に上方修正され、伊勢改と全く同じになった。
- 2018/06/13、待望の伊勢改二が実装された。そして同日の運営Twitter
にて、その2番艦の改二を今年度内実装を目指して準備中との告知があった。
- 2019/03/27アップデートで日向改二が実装された。告知から9ヶ月と14日…今年度ギリギリでの実装となった。
- 2019/03/27アップデートで日向改二が実装された。告知から9ヶ月と14日…今年度ギリギリでの実装となった。
- 台詞では姉や最上改をはじめ、航空戦力好きな一面を見せてくれる。
- 「これからは航空火力艦の時代だな」「単なる戦艦の時代は終わったな」「艦載機を放って突撃、これだ」「まあ、そうなるな」「VLS?そんな装備は知らんぞ」
などなど名言(迷言)が多く、提督同士の会話で上記のセリフやそれを改変したものなど、日向のセリフに由来する言葉がたびたび交わされている。- 期間限定ボイスなどで瑞雲への言及が多いことや上記の名言などから、ついたあだ名が「日向師匠」。艦これにおいて単に「師匠」と言えば十中八九日向のことを指す。
二次作品では瑞雲の魅力について延々語ったり、航巡たち相手に瑞雲のレクチャーをしたりとやりたい放題。 - Commandant Testeの放置ボイスで瑞雲を
布教渡していることが判明、半公式化(?)されてしまった。- 真面目な話をすると、4スロ・甲標的不可・瑞穂を上回る搭載数 という特徴を持つCommandant Testeは手数と索敵を稼ぐ瑞雲や制空補助の水戦に対する適性が高く、日向の行動も、彼女の適性を見抜いた上での瑞雲布教であると考えられる。そうだと言ってくれ。
- 期間限定ボイスなどで瑞雲への言及が多いことや上記の名言などから、ついたあだ名が「日向師匠」。艦これにおいて単に「師匠」と言えば十中八九日向のことを指す。
- 今でこそ「日向=瑞雲」のイメージが強いが、彼女が「瑞雲」に直接言及したのは2014年の年末ボイスが最初であり、巷で言われているような瑞雲愛好家的な側面は、少なくとも表面上は見受けられないことに注意。
彼女の言動は、戦艦の火力防御力と航空戦力の融合による「航空火力艦」推しである。 - 改修工房で二番艦に置くと瑞雲系すべての改修が可能になる。
- 瑞雲なら最上改と伊勢改、瑞雲(六三四空)なら伊勢改でも改修可能だが、瑞雲(六三四空/熟練)や瑞雲改二(六三四空)は日向改しか改修できない。
日向改二になるとこれらの改修ができなくなるので、瑞雲の改修をするなら一隻は改で保持しておくといいだろう。
- 瑞雲なら最上改と伊勢改、瑞雲(六三四空)なら伊勢改でも改修可能だが、瑞雲(六三四空/熟練)や瑞雲改二(六三四空)は日向改しか改修できない。
- 2018/04/01、20分の1航空戦艦日向を建造していることが運営より発表された。エイプリルフールネタじゃないのが恐ろしい、運営は頭おかしい間に合えば第二次瑞雲祭りに投入とのことである。瑞雲祭りもまたやるんだ…
- 2018/04/20、1/20日向が1/1瑞雲と一緒に一般公開された。海上自衛隊護衛艦ひゅうが艦長の、5周年お祝いコメントも同日に発表されたとかいう予想の斜め上を突き抜けていく展開であった。
- なお、1/20日向に瑞雲は搭載されていない、20mm単装機銃を飛行甲板に並べた、いわゆるレイテ決戦仕様である。
- なお、1/20日向に瑞雲は搭載されていない、20mm単装機銃を飛行甲板に並べた、いわゆるレイテ決戦仕様である。
- 2018/04/20、1/20日向が1/1瑞雲と一緒に一般公開された。海上自衛隊護衛艦ひゅうが艦長の、5周年お祝いコメントも同日に発表されたとかいう予想の斜め上を突き抜けていく展開であった。
限定グラフィック 
- 2017/06/23のアップデートにて、富士急ハイランドでのリアルイベント開催を記念して鎮守府「瑞雲」祭り【法被mode】が実装された。
- 2018/04/23より、第二次瑞雲祭り開催に合わせて同法被modeも第二次仕様で実装された。
限定イラスト:法被mode
限定イラスト:法被mode(第二次瑞雲祭り)
- 2018/02/17、冬イベント開始と同時に、【エンガノ岬決戦】差分modeが改のみに実装された。
通常の立ち絵は他の限定グラフィック同様、冬イベント終了後に図鑑に格納されたものの、
通例は併せて格納されるはずの、カード状態に加工されたイラスト及び中破立ち絵は何故か図鑑に格納されていない。
小ネタ 
- 航空戦艦姉妹(妹)。が、例によって艦載機の配備遅延などで航空戦艦としては運用してもらえなかった。
この時の事情は、2014/03/14にめでたく新実装された瑞雲(六三四空)の小ネタで解説されている。
「世界唯一の航空戦艦姉妹」その理想と現実 
- 航空戦艦改装時、海軍は改装計画として三つの案を持っていた。
- 後部の砲塔2基を撤去して飛行甲板をつける第1案。
これが採用されたのだが、この案を強く推したのは、意外にも航空戦を管轄する航空本部だったという。
一番航空機搭載数が少ない案なのだが、工期が短期間で済むという利点があり、航空本部が母艦戦力をどれだけ渇望していたかがわかるというものである。 - 後部と中部の主砲4基を撤去して前部の2砲塔だけ残す第2案。
工期が長引くということで蹴られた案だが、軍令部の「昭和18年度中に工事を完了すること」という最重点指示を満たせると呉海軍工廠は自信を持っていた。
搭載数40機程度を確保できる案だが、主砲2基4門だけでは砲撃戦で有効な砲撃ができなくなることや、ここまでやっても艦上機の着艦が不可能なこと*3、第1案に比して工期が長引くことなどの理由で流れた。 - 完全空母化する第3案
計算では、1段の格納庫と全通飛行甲板を備えることで、蒼龍並みの搭載数を持ち、防御力に優れるが速力に劣る空母になるとの試算だった。
速力25ノット程度では、通常は天山や彗星といった新型機の発艦が困難ながら、戦艦譲りの巨体を活かして飛行甲板に余裕ができるため、それらの発艦・着艦も支障なく行えるというものだった。
完成予定が昭和19年中旬以降にずれ込み、また資材の余裕もなかったために真っ先に蹴られた。 - こういった紆余曲折を経つつも、日向と伊勢の改装はそれぞれ約半年で完成した。建造中止になった大和型戦艦4番艦の資材を流用しての改装だった。
- 後部の砲塔2基を撤去して飛行甲板をつける第1案。
- 仮に計画通り航空機を搭載して、計画通りガチンコの空母決戦に投入できていたら・・・
雑誌「丸・平成26年7月号~伊勢型戦艦特集」の記述を借りるならば、
伊勢・日向二隻の艦載機だけで赤城の艦攻・艦爆数に匹敵し、連続射出可能なカタパルトで短時間で全機発艦でき、空母戦の肝である先制攻撃で敵空母の甲板を爆撃で叩き潰し、
敵前衛艦隊の追撃を自前の艦砲で蹴散らし、突撃しての掃討戦にも威力を発揮するという夢の様なロマンが実現していたかも・・・・・・しれない。
新編四航戦、レイテ沖海戦に推参!! 
- 一時解隊後再編成された四航戦(第四航空戦隊)の旗艦を拝命し、改装後初の実戦としてレイテ沖海戦に参加。
姉ともども艦長が素人同然だったが、松田司令官謹製の爆撃回避マニュアルと航空改装で増強された対空火力ががっちりかみ合い、ほぼ無傷と言っていい状態でエンガノ岬沖海戦を生き延びる。
一連の海戦において帝国海軍は大敗したものの、日向と伊勢は作戦を完遂して無事帰還した。- いわゆるエンガノ岬沖海戦の前夜、日向と伊勢は小沢艦隊から分離し、秋月・若月・霜月・初月を率いて松田少将指揮による松田支隊を編成、前衛部隊として南下していた。
- ところが、栗田艦隊との連携の不備により、艦隊が孤立すると考えた小沢艦隊旗艦瑞鶴は、22時30分に日向率いる松田支隊に対して再合流の命令を出した。これにより松田支隊は小沢本隊に合流し反転北上した。
- 実はこの時、日向と伊勢は闇夜のため敵味方双方気付かなかったが、シャーマン少将指揮下の空母エセックス・レキシントンを基幹とする空母部隊に至近距離*4まで接近していた。
もし栗田艦隊と小沢艦隊の連携が上手く行っていたら、日向と伊勢は南下を続け、この正規空母群と雌雄を決する夜戦が出来ていたかもしれない。 - ただ、四航戦司令官松田少将は、戦後のインタビューで「この時シャーマン部隊と遭遇していたら、彼我戦力差から見て多勢に無勢で全滅していただろう」という旨の発言をしている。*5
- エンガノ岬海戦において、空母が壊滅したあとの第四次空襲で大型艦である伊勢と日向が狙われたのだが、この時日向に来襲した来襲した機数は10数機(日向戦闘詳報)と記録されていて、日向は大多数の敵機と渡り合った伊勢程の集中攻撃は受けていないと思われる。
それでも、新米と言っていい艦長の指揮のもと、無傷で防ぎきったのは賞賛に値するのだが。 - 海戦後の帰途においても、日向と伊勢は潜水艦に付け狙われ、空襲直後、潜水艦による日向への雷撃を皮切りに少なくとも3回にわたる雷撃を受けている。
日向と伊勢はそれをも全て回避して無事呉に帰還した。
同じ頃、栗田艦隊の戦艦金剛らが、同じく潜水艦の追撃を受けて犠牲になっている。 - なお、大淀に移乗していた小沢長官は、途中の奄美大島で旗艦を日向に変更している。
- 航空戦艦に改装され、後部5・6番主砲を撤去したことで重量バランスが改善され、運動性が上がったという証言がある。
もともと伊勢型は舵の効きがピーキーで操艦が難しい艦として有名だったが、レイテでの回避力は改装の副産物とも言える運動性向上の恩恵もあったかもしれない。
- いわゆるエンガノ岬沖海戦の前夜、日向と伊勢は小沢艦隊から分離し、秋月・若月・霜月・初月を率いて松田少将指揮による松田支隊を編成、前衛部隊として南下していた。
レイテ海戦後も危険海域をあっちこっちH部隊 
- 海戦後一旦内地に戻った日向と伊勢は、「飛行機積んでないのにこんなもんがあったら主砲射撃の邪魔だ」という、悲しいけど本末転倒な理由で射出機を撤去され、航空戦能力を失った。
この時期、及川軍令部総長から天皇陛下に、「伊勢・日向の両艦には、当分の間飛行機は搭載いたしませぬ」と上奏されている。
そしてすぐさま輸送任務に従事するため再び東南アジアへと進出することとなる。
旗艦日向の頭文字から「H部隊」と名づけられたこの部隊は、日向・伊勢の四航戦と軽巡五十鈴駆逐艦霜月・涼月・梅・桐・槙・桃・桑・杉からなる第三十一戦隊を伴ってフィリピンのマニラに向かう。途中で軽巡大淀や重巡足柄、複数の駆逐艦と合流し共に各地を転々とした。
この時期に外地でまとまった戦力として活動していたのは最早このH部隊だけである。
停泊中は四航戦と足柄・大淀が敵役となって駆逐艦の訓練相手をしていたと言う。*7公式4コマで伊勢型姉妹が教官役をしているのはこれが由来かもしれない。*8- ちなみにアメリカ軍は四航戦をフィリピン戦線の懸念材料*9としており、この大移動は残存勢力の集合と捉え、
「いつ攻めてくるか分からない」と北号作戦まで執拗に追いかけ続けることになる(特に攻撃を許した礼号作戦後はさらに彼女らの動向にピリピリしていた)。 - しかし偵察機を飛ばして彼女らを見つけても、偵察機の存在に気づかれていて逃げられもぬけの殻だった、というのを何度も繰り返す羽目になる。
特にエンガノ岬沖海戦で取り逃がして以来四航戦に執心していたアメリカ海軍第三艦隊指揮官のハルゼーはそのたびに歯噛みしていたとか。- その意図を読み取ってか、北号作戦において松田少将もフィリピンに突入すると見せかける航路を取り、米軍に脅しをかけていた。
まさか輸送作戦に従事していたとは夢にも思っていなかったのである。
- その意図を読み取ってか、北号作戦において松田少将もフィリピンに突入すると見せかける航路を取り、米軍に脅しをかけていた。
- レイテ沖海戦からここまで日向と行動を共にしていた駆逐艦霜月が、フィリピンを救援するための輸送作戦「多号作戦」に参加し、潜水艦の雷撃により戦没した。
書籍「軍艦日向栄光の追憶」によれば、霜月戦没の報を聞いた日向乗組員は号泣し、霜月の仇討ちを叫んだという。
- ちなみにアメリカ軍は四航戦をフィリピン戦線の懸念材料*9としており、この大移動は残存勢力の集合と捉え、
- 44年12月末、ベトナム沿岸のカムラン湾に進出していた日向は、礼号作戦に出撃する足柄から南西方面艦隊司令部を移乗させて、支援任務とともに木村艦隊の指揮を執っている。
その後も伊勢・大淀・足柄らとともに、連合軍の執拗な空襲を時には回避、時には迎撃しつつマレー半島やボルネオ島などの各地を渡り歩いていた。- 礼号作戦では、日向と伊勢は低速かつ大型のため港湾突入に不向きとされて、木村艦隊の後方支援を行っていた。
木村艦隊の帰還の際、敵の追撃を阻止するべく出撃した日向と伊勢は無事に木村艦隊と合流、ちょうど昭和20年の正月だったため、霞以下木村艦隊の各艦艇に餅を振る舞ったという。ただ、餅は若干古くなっていて酸っぱくなっていたそうな。
- 礼号作戦では、日向と伊勢は低速かつ大型のため港湾突入に不向きとされて、木村艦隊の後方支援を行っていた。
奇跡の第四航空戦隊~北号作戦 
- 45年2月には戦略物資輸送作戦「北号作戦」に艦隊旗艦として参加。格納庫に戦略物資を満載して僚艦ともども無傷で帰還した。
全滅覚悟の作戦だったが、それでも全艦無事に帰投した彼女らを見て海軍上層部が狂喜乱舞したらしい。
「完部隊」と名付けられた北号作戦参加艦艇は、日向、伊勢、大淀、霞、初霜、朝霜の6隻。2015年冬イベントで朝霜が実装されたことによって、完全再現が可能となった。- 護衛戦闘機や哨戒機の支援なき過酷な任務だった。航空戦隊でありながら日向・伊勢共に搭載機はなく、艦隊の航空戦力は大淀搭載の零式水偵2機のみであった。
- 全艦に積めるだけの物資を目一杯積みこんだが、伊勢姉妹と随伴艦の持ち帰った物資は総計しても中型輸送船1隻ぶんにも満たなかった。
- この北号作戦において日向は、伊勢に攻撃を仕掛けようと浮上追跡していた*10米ガトー級潜水艦「バッショー(SS-241)」に向けて、距離2万2千mで主砲を発射、米側では、初弾が1マイル(1600m)以内に着弾したと記録されている。
これによりバッショーは急速潜航して退避したため襲撃機会を逃し、日向はこれを撃退した事となった。- 2万メートル以上先の潜水艦という小さな目標に初弾命中など元から望んでいなかったとのこと。
戦後、松田千秋少将は「その気になったらいつでも反撃できるぞ」という意思表示を込めた威嚇目的だったことを証言している。
なおこれが日本海軍の戦艦による「艦船目標」に対して行った最後の「主砲発射」である。
- 2万メートル以上先の潜水艦という小さな目標に初弾命中など元から望んでいなかったとのこと。
- この作戦中に日向以下の完部隊を狙った敵は、航空機延べ100機以上、潜水艦が米英合わせて26隻にものぼる。
損害無く成功したのはまさに奇跡であった。 - 途中、完部隊は台湾や中国などから第一駆逐隊の駆逐艦神風・野風や駆逐艦汐風・蓮の護衛を受けたが、揃って老朽艦でかつ悪天候だったこともあり、16~18ノットで航行する完部隊に追従するのもやっとの状態だったという。
- 完部隊と偶然遭遇した駆逐艦「蓮」は、感激した艦長が勇んで護衛を買って出たはいいものの、艦隊に追従できずにわずか30分ほどで脱落してしまったという。
鈍重な戦艦に軽快な駆逐艦が追いつけないという面白い事例である。
- 完部隊と偶然遭遇した駆逐艦「蓮」は、感激した艦長が勇んで護衛を買って出たはいいものの、艦隊に追従できずにわずか30分ほどで脱落してしまったという。
- 帰還した時、松田少将による燃費重視の航行の甲斐もあって、日向と伊勢の燃料タンクには相当量の燃料が残っていた。しかし、その燃料も大和に移され、これを以って大和は最後の戦いに散っていった。
- 燃料を譲った日向と伊勢は、ほとんど損害無く健在であるにも関わらず行動能力を失い、昭和20年3月1日、ついに第四航空戦隊は解隊された。
- 予備艦となった日向、野村留吉艦長の心境は・・・「霊あるものと信ずる軍艦日向の為に万斛の涙流る」
- 以上のように、戦中は改装中を除いて第二戦隊・第四航空戦隊の旗艦を務めていたが、彼女が旗艦を務めた戦隊・艦隊・作戦とも、
日向の直接指揮下の艦艇には一隻も損失がないという、特に戦争末期に活動した艦としては非常に幸運な記録を持つ。*14- この件について顕著な例がある。
駆逐艦神風・野風・汐風からなる第一駆逐隊は、北号作戦において一時的に日向の指揮下に入っていた。北号作戦の命令文にもそう記載されている。
まず神風と野風が台湾海峡で護衛し、途中で汐風と交代したのだが、神風と野風が日向の指揮下をはなれた直後の2月20日、野風が潜水艦の雷撃を受けて戦没したのであった。
- 戦艦時代の事故連発が嘘のようである。航空戦艦となってからは「無事之名艦」とでもいうべき活躍だった。
戦艦時代の暗い言動とうって変わって、航空戦艦で吹っ切れたような艦これでの彼女の変化は、この辺りを意識したものなのかもしれない。 - 海軍内でも彼女の強運は有名だったようで、全滅も懸念されていた北号作戦の時も「日向、伊勢、大淀は運が強いからきっと大丈夫だ」という意見も出てたほど。*15
- 彼女たちが被弾したのは、北号作戦後に第四航空戦隊が解隊された後である。
燃料不足のために第一予備艦(作戦参加の機会ができれば直ちに復帰できる状態)となり、動けなくなってはさすがの日向もどうしようもなかった。
- この件について顕著な例がある。
燃料がなくては・・・しかし日向は死なず 
- 連合艦隊主力艦でも数少ない生き残りだった榛名や姉ともども呉鎮守府近海に停泊していたが、3月19日と7月24日の2度行われた呉軍港空襲で大破。
草川淳艦長(北号作戦後に野村留吉艦長と交代)以下計204名が戦死し、重軽傷者は600余名に及んだ。- 沈没ではないにも関わらず、乗員の死傷率は7~8割にも達するという壮絶な戦闘であった。
- 前記のように、特にレイテ沖で取り逃がした「航空戦艦」をこれまでつけ狙っていたハルゼー麾下の攻撃隊は、24日の空襲でその約7割が日向に殺到したという。
- 多数の至近弾が弾薬誘爆を起こし、浸水で7月26日に着底したが、残存クルーが無事だった機銃と12cm対空噴進砲で28日の空襲にも応戦し、終戦まで戦い続けた。
航空写真を見ると甲板の半分近くが水面下だが、それでも迎撃を行ったクルーの根性には頭が下がる。 - 戦後、アメリカ軍が着底した日向を調査した貴重な映像
がカラーで残っている。
艦首は吹き飛び、飛行甲板も直撃弾でボコボコにされ、艦橋もボロボロのままで佇む姿は、いかにこの空襲が激しいものだったかを伝えている。
しかしここまで破壊されても、戦艦の命とも言える主砲は4基とも最期まで無事であった。 - 姉妹とも大破着底とは言え、日本海軍の「軍艦」で姉妹共に生存していたのは伊勢型のみである。
戦後解体・・・大変だったんです 
- 戦後に復興資材として引き揚げられ解体されたが、この時の逸話がまた凄まじい。
- 解体するために引き取ったスクラップ業者が、作業のために日向を浮揚させたところ、これに目をつけた鉄泥棒が艦内に侵入。
泥棒が砲金でできたバルブを叩き壊すと、浸水してまた着底してしまった。生涯二度も着底した軍艦など、探してもそうはいない。 - これを裁く裁判で、浮揚したとはいえ航行能力のない船は、刑法260条(建造物等損壊の罪)でいうところの「艦船」になるのか?という議論がわき、結局「艦船」ではなく「建造物」として裁かれたという。(窃盗未遂器物毀棄被告事件 広島高等裁判所昭和28年(う)第196号
)
- 海底に6年間も沈んでいて錆で腐食し、さらに3分の2を撤去されていたためもはや航行能力はないという理由で艦船ではないとされ、さりとて下甲板以下の巨大な構造をまだ残しており、さらに毎日7,80人ほどの作業員が解体作業のため出入りしており、地上ではないとはいえ一定の場所に係留されていたため単なる器物やスクラップの塊とも見なされず、結果として建造物扱いを受けるに至ったようだ。
- さらに昭和21年7月30日、浮揚作業員の待機所として使われていた丙型海防艦「第五九号海防艦」が、荒天のために日向と接触して沈没してしまった。
- このように人災天災の連続で、日向1隻を浮揚する作業で逆に2隻が着底してしまったという、非常に困難な作業だった。
- その後生涯2度目のサルベージを受けて、昭和22年7月4日、播磨造船所呉ドックにて解体が完了した。
呉海軍墓地にある「軍艦日向慰霊碑」とは別に、この困難だった浮揚解体作業を記念する「伊勢日向浮揚解撤記念碑」が、広島県呉市音戸町にある。
- 解体するために引き取ったスクラップ業者が、作業のために日向を浮揚させたところ、これに目をつけた鉄泥棒が艦内に侵入。
- 唯一残された航海灯と軍艦旗が大和ミュージアムに所蔵されている。
鬼才、松田千秋提督 
- 数多くの有名軍人を輩出した歴代艦長の中でも、特筆すべきは第30代艦長の松田千秋(海兵44期)大佐であろう。日向艦長の後に大和の三代目艦長を務めて少将に昇進、四航戦司令官として再び日向に座乗した人である。
- ガチガチな印象の強い砲術出身であるが、駐米武官の経験もあり視野の広い指揮官だった。でも渡米経験のある士官としては珍しくアメリカ嫌い。
- 総力戦研究所所員時代、研究生採用試験
にあたって現在も広く使われている面接という単語を提唱した。
- 現代の面接のように試験官と受験者の対面形式の試験自体はこの当時すでに行われていた。この形式の試験名に「面接」という単語を松田が提案し、採用されたということである。
- 大和型戦艦の建造計画に重大な影響を及ぼしており、また伊勢型・扶桑型の航空戦艦構想を主導したのもこの人である。
またこの人の主張で電探の採用・開発が加速した経緯*16もあり、色んな意味で先見の明と行動力に富んだ提督だった。 - 標的艦「摂津」*17の艦長時代に航空攻撃回避術*18と弾幕射撃術*19を研究し「空襲は全て回避できる」と豪語し、日向と伊勢の四航戦司令官として実際にそれをやってのけた超人であった。
この人のおかげで日向と伊勢は航空戦艦となり、艦これでも強運・高回避艦になれたと言って差し支えないであろう。 - 松田氏は大和艦長を退任後、少将に昇進し、軍令部の作戦部長に請われてその補佐を務めた際、「この戦はどうやっても負ける、ならばせめて艦長として戦いたい」と希望した。
しかしすでに少将に昇進していて艦長にはなれなかったため*20、それでは司令官にということで、第四航空戦隊司令官に就任している。
- 総力戦研究所勤務時代に、長期戦になれば日本は確実に負けることを予言し、またミッドウェー海戦直前の連合艦隊による図上演習において米軍指揮官を担当し、南雲機動部隊をフルボッコにしたことで、ミッドウェー海戦の大敗をある意味予言していた人物でもある。
- 戦後はその構想力を活かして会社経営、発明家として100個以上の特許を取った。
- ちなみに、艦これの田中プロデューサーはインタビューで「2014年に、個人的に注目した(していた)人物」
は松田千秋氏と答えている。
- ちなみに、艦これの田中プロデューサーはインタビューで「2014年に、個人的に注目した(していた)人物」
- 艦長ではないが日向乗員で著名な人物として村田元輝氏(最終階級は大尉)がいる。兵卒からの叩き上げで大尉まで昇進した人物で、戦艦の砲戦では重要な職種である「射撃手」を数多く務めその実力は海軍でも1,2を争うほどだった。そんな彼が射撃手を務める日向は砲撃訓練で毎年好成績を残していたそうだ。
- その後彼はその腕を見込まれ新造の巨大戦艦の射撃手に任命される。その巨大戦艦こそ「大和」である。
- 大和沈没後、彼は古巣の日向に戻り、呉大空襲で日向が大破した際も奇跡的に生還している。広島への原爆投下の際も江田島沖で着底した日向から目撃している。
- 児島穣著「戦艦大和」は彼の証言を元に描いた作品で、大和の一生を村田氏を通じてみた良書である。
海上自衛隊新世代DDHの1番艦・・・その名は「ひゅうが」 
- 時は流れ平成の世、横浜で1隻の
ヘリ空母ヘリ搭載護衛艦が進水した。- 護衛艦として初めての全通甲板を持ち、自衛艦として初めて統合司令部機能を備え、災害派遣でも活躍できるよう医療体制も完備し、
また初めて女性自衛官が乗り込むことを前提に設計された船でもあり、まさに革新的な新世代護衛艦の1番艦だった。 - その記念すべき最新鋭護衛艦にDDH-181「ひゅうが」と名付けられた。海上自衛隊として初めての旧国名採用であった。
- 「ひゅうが」の多目的室の一角に、ひゅうがと、その背後で守護神のように見守るかつての伊勢型航空戦艦の絵が展示されている。贈呈者はかつての敵手であったアメリカの企業である。
米企業とは「ロッキード・マーチン社」。ひゅうが型護衛艦に搭載されるのではないかと一部で噂されていたF-35を作っている会社だったりする
実は後ろで見守っている戦艦なのだが、後部マスト上部の取り付け位置から察するに日向ではなく伊勢だったりする。 - またこの時、宮崎県(旧日向国)から「日向の名を持つひゅうがの活躍を県民一同期待して」という祝電と共に東国原英夫(そのまんま東)知事(当時)のサインが贈られている。
- 護衛艦として初めての全通甲板を持ち、自衛艦として初めて統合司令部機能を備え、災害派遣でも活躍できるよう医療体制も完備し、
- だいいちごえいたいぐんって・・・なんだ・・・
- あなたの子孫「ひゅうが」が2015年3月まで旗艦を務めた、海上自衛隊第1護衛隊群のことです。海軍で言えば第1艦隊旗艦*21、つまり連合艦隊旗艦のような立ち位置なんですよ。*22*23
- 当然ながら1護群やVLS(垂直ミサイル発射装置)は知らないのに、ロクマル(UH-60シリーズ)は何故かご存知なんですね、航空機に関しては抜かりがない、さすがは航空戦艦です。
- 貴女の子孫ひゅうがは、竣工直後で参加が間に合わなかった「いせ」の分まで、航空運用力を最大に活かして東日本大震災の救援活動に奮闘しました。
さらに、平成28年の熊本地震においても、「ひゅうが」は熊本沖で救援ヘリのプラットフォームとして大活躍してくれました。 - 上述の通り、「ひゅうが」は平成27年3月25日付けで、退役する「しらね」の後継として舞鶴の第3護衛隊群に転属となりました。
あらたに部下となった「愛宕」「妙高」「夕立」「巻波(夕雲型・未実装)」「冬月(秋月型・未実装)」「涼波(夕雲型・未実装)」らの子孫を従え、日本海の最前線を支える大黒柱としてこれからも活躍してくれることでしょう。
- なお、日向が望んでやまなかった航空戦艦の時代という夢はレーガン政権下の米国で一度復活しかけていたりする。
ヘリコプターの発展やVTOL機の開発によって垂直離陸が可能な航空戦力が強力になったので、米海軍がアイオワ級戦艦の三番砲塔を撤去し、そこに飛行甲板を設けてハリアー攻撃機やヘリコプターを発進させようとしたのだ。- だが冷戦が終焉を迎えはじめた時代、いくら米帝と言えど大金をかけてわざわざそんな浪漫改装を施すはずもなく、
すべからくすべて廃案となり、アイオワ級の改装もトマホーク巡航ミサイルの搭載程度にとどまった。 - でも先走っちゃったメーカーから、航空戦艦アイオワやニュージャージーのプラモが発売されていた。F-19戦闘機*25といい、この頃の模型メーカーはこういうお茶目な失敗が多い。
- 目線を東側に向けると・・・当時のソ連は、ボスポラス海峡の空母通行不可を定めたモントルー条約をすり抜けるために、事実上の自前火力マシマシの空母である自称「重航空巡洋艦」を就役させていたりする。
- だが冷戦が終焉を迎えはじめた時代、いくら米帝と言えど大金をかけてわざわざそんな浪漫改装を施すはずもなく、
- 日向の言うとおり「ただの戦艦の時代」は確実に終わりを告げ、その後の「航空火力艦の時代」は確実に来ていたのである。
- 現実はもとより、未来を扱うSF作品においても登場する宇宙戦艦は大体事実上の航空戦艦だし、航空火力艦のロマンは、現実・創作を問わず脈々と受け継がれるのである。
- ついに2018年(平成30年)6月1日、門司港における「ひゅうが」の一般公開に合わせて、艦娘「日向」をアレンジした「ひゅうが」mode
がお披露目された。
- なんとこれ、海上自衛隊からの依頼
によるものだそうな。
- なんとこれ、海上自衛隊からの依頼
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