No483 ヴィクトリアス/元ネタ解説

Last-modified: 2021-12-12 (日) 10:34:32
所属Royal Navy
艦種・艦型イラストリアス級航空母艦
正式名称HMS Victorious (R38)
名前の由来Victorious 英語で「勝利の、勝ち誇る」の意
モットーPer coelum et aequorem victrix (Through air and sea victorious)
起工日1937.5.4
進水日1939.9.14
就役日(竣工日)1941.5.14
退役日(除籍後)1968.3.13(1969.売却後解体)
全長(身長)226.7m
基準排水量(体重)23207英t(23579t)
出力Admiralty式重油専焼缶6基Parsons式蒸気タービン3基3軸 111000shp(112539.5PS)
最高速度30.5kt(56.48km/h)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/11000海里(20372km)
乗員1211名
装備4.5inch45口径連装両用砲8基16門
ヴィッカース2ポンド機関砲x48(6x8)
ボフォース40mm機関砲x21(4x2+2x2+9x1)
エリコン20mm機関砲x45
艦載機最大x54
装甲舷側:4inch 甲板:3inch(飛行甲板)+2inch(格納庫甲板) 格納庫側面:4inch
その他ゲームとの違いゲームでは装甲空母に分類されるが実際に装甲空母という艦級があるわけではない
建造所Vickers-Armstrongs Limited,Elswick,Newcastle upon Tyne
(ヴィッカース・アームストロング社ニューキャッスル造船所 イングランド国北東イングランド地域タイン・アンド・ウィア州ニューカッスル・アポン・タイン市エルツィック)
  • ヴィクトリアスは英海軍が建造したイラストリアス級航空母艦の2番艦。
    自身含む第1グループ3隻、格納庫を一部2層にするなどの小改正を経た第2グループ1隻(=インドミタブル)、格納庫が全2層化した第3グループ*12隻の計6隻が建造された。
    姉妹艦6隻のなかでは本艦のみがジェット機対応などの近代化改装を経て、長くにわたって運用された。
  • ヴィクトリアスは1937年5月に起工、39年9月に進水した。
    順当にいけば40年頃の就役…のはずが、大西洋におけるドイツUボートの跳梁跋扈に対応できる護衛艦の整備を待たねばならず、1941年5月にやっと就役した。
  • 就役して2週間もするかどうかというあたりで、ヴィクトリアスは早速ある任務のため出撃する。ビスマルクの捜索・追撃作戦である。
    この時点でわずかフルマーソードフィッシュ合わせて十数機しか搭載していなかったものの、ビスマルクを発見して雷撃を行うことに成功する(命中したが損傷軽微)。
    その後さらなる追撃は行うことが出来ず、ヴィクトリアスの作戦行動は終了する。
  • その後、ヴィクトリアスは42年春ごろまで船団護衛任務を行う傍ら、枢軸軍陣地や敵輸送船への空襲などを行った。
    41年10月には、ドイツのエニグマ暗号を解読して得られた「アドミラル・シェーアティルピッツが大西洋に脱出する」という情報を受け、本国艦隊と米艦隊がデンマーク海峡に展開した(11月にドイツが作戦中止し撤退)。
  • 42年8月にはマルタ島への補給作戦「ペデスタル作戦」に従事。ヴィクトリアスは作戦中イタリアの爆撃機によって爆撃を喰らうも損傷軽微で済み、作戦も成功裏に終わった。
  • 翌月に航空機指揮室増設の改装工事を済ませ、11月には北アフリカ上陸作戦「トーチ作戦」に航空援護のため参加。これまた作戦を成功裏に終わらせ、帰投中に潜水艦1隻を撃沈する。
  • 42年年末、アメリカ海軍の運用可能空母数が激減したことから新型空母就役までのつなぎとしての救援要請が発せられ、ヴィクトリアスがこれに応えることになった。
    43年1月に米艦載機運用のための改装を行い、5月にニューカレドニアのヌーメアにてサラトガらと合流。
    USS Robin(ロビン)のコードネームで数か月間米艦隊で活躍することに(サラトガの元ネタ解説も参照されたい)。
    • もともとヴィクトリアスでも運用予定であったアヴェンジャー雷撃機がその重量ゆえに相性が悪いとわかると、サラトガの戦闘機隊と入れ替えて役割分担を図ったというエピソードもある。
  • エセックス級空母が予定よりも早く真珠湾に到着したことから、ヴィクトリアスは7月をもってサラトガを含む任務部隊から離脱、9月に本国に帰還した。
  • 44年3月までの長期間の改装工事で新型レーダーを装備したヴィクトリアスは、北海船団護衛における悩みの種であった戦艦ティルピッツの撃沈をその目標とする「タングステン作戦」に参加する。
    バラクーダの2波に及ぶ攻撃でティルピッツの上部構造物に深刻なダメージを与えるも、装甲区画へのダメージには至らなかった。
    しかしその後ティルピッツの活動が数か月間途絶えることとなり、一時的な無力化には成功した。
    その後もヴィクトリアスはティルピッツへの攻撃参加が複数回計画されていたものの、いずれも悪天候のため中止となった。
  • 6月にはコロンボの東洋艦隊に合流。
    姉妹艦とともにスマトラ島をはじめとした各地に空襲を実施し少しずつ日本を押していく。
    11月に東洋艦隊から部隊が抽出され英国太平洋艦隊が新設されると、ヴィクトリアスはそちらに移籍する。
    このころからヴィクトリアスの操舵機器に不具合が出始め、時折作戦に出撃できなくなることも。
    45年に入って台湾・沖縄を攻撃圏内に収めたころ、ヴィクトリアスにも神風特攻隊が襲来。
    エセックス級空母が甚大な被害を受ける傍ら、甲板の装甲が功を奏し数時間で復旧できるタフさを見せる。
  • 8月15日に日本が降伏するころには、ヴィクトリアスはすでにシドニーへ向かっているさなかであった。
    月末にシドニーにて戦勝記念パレードに参加し、10月に本国へ帰投。
    以降は訓練や演習に参加する日々を送っていた
  • …のだが、1950年から大規模な近代化改装が実施された。
    8年もの年月をかけて見た目から何から一新し、ジェット艦載機対応化工事の他、アングルドデッキや蒸気カタパルト・新型レーダー装備なども併せて行った。
    • 途中で就役以来搭載していたボイラーも取り替えねばならないということをあろうことか飛行甲板更新後に決定するというやらかしをしてしまったことで工程のやり直しが発生。
      工事費用も初期の6倍に膨れ上がってしまった。
      以下が近代化改装後のヴィクトリアスの要目(一部)である。
      全長(身長)238m
      基準排水量(体重)30530英t(31019t)
      出力Foster wheeler式重油専焼缶6基Parsons式ギヤードタービン3基3軸
      乗員2400名
      装備50口径3inch連装高角砲6基12門、40mm ボフォース六連装機関砲1基
      艦載機最大x36
      搭載するジェット機が急速に大型化していったため、当初の想定以上に搭載機数が減じてしまった。
  • 近代化改装明けには映画『ビスマルク号を撃沈せよ!』に出演。
    自身役かつビスマルクに決定的打撃を与えたアーク・ロイヤル役も担った。
  • 60年代には中東や極東方面に展開。
    66年には米海軍のジェット艦上戦闘機F-4 ファントムIIの発着艦を実施した。
  • 翌67年には改修を経て任務に復帰…かと思いきや、防衛費削減や海軍の人員不足、将来的な正規空母廃止方針といった流れになっており、それに加えて艦内でのボヤ騒ぎがヴィクトリアスの退役を早めることになってしまった。
    なんと艦長は再就役式典の前日に退役を知ったという。
    結果としてヴィクトリアスの最後の再就役式典は通夜として催され、68年に退役*2、69年に解体された。

*1 インプラカブル級として分ける場合もある
*2 予定から2年前倒し