No.425 | ||||
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秋霜(あきしも) | 夕雲型 18番艦 駆逐艦 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 16 | 火力 | 10 / 30 | |
装甲 | 6 / 19 | 雷装 | 24 / 69 | |
回避 | 46 / 81 | 対空 | 8 / 40 | |
搭載 | 0 | 対潜 | 27 / 53 | |
速力 | 高速 | 索敵 | 6 / 20 | |
射程 | 短 | 運 | 11 / 49 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 15 | 弾薬 | 20 | |
装備 | ||||
12.7cm連装砲 | ||||
25mm連装機銃 | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
秋霜 → 秋霜改(Lv30) | ||||
図鑑説明 | ||||
夕雲型駆逐艦十八番艦「秋霜」よ。知っててくれた? 先輩方の二駆を継ぐ、夕雲型で編成された新編二駆を「早霜」「清霜」と共に編成したの。 大きな負け戦はしっかり経験済み。最期は多号作戦。うちらのことも…覚えていてね。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
セリフ | CV:豊口めぐみ、イラストレーター:藤川 |
入手/ログイン | うちが夕雲型駆逐艦、その十八番艦「秋霜」よ。 秋霜烈日、そんな言葉のような厳しい戦局を駆け抜けたの。 うちのことも覚えておいてね。忘れないでね。 |
母港/詳細閲覧 | なーにー? うちのこと、呼んだ? |
うちは別にいいけど? | |
母港/クリック時 | あさあさやめなって、くすぐったいから、もう、……いい加減にしないとうち、怒るよ! って、きよきよ! と、司令官……ねえ、何やってるの、ねえ? |
母港/詳細閲覧【新春】 | はやはや、きよきよ、司令官、新年あけおめ! 今年もいっしょにがんばろーう! さ、じゃあお年玉くださーい♪ |
母港/詳細閲覧【節分】 | 来たね来たね節分が! うちらの鬼は誰! 誰!! ……え、ながなが姉? あーは、それは……やめとかない? ねえ? |
母港/詳細閲覧【バレンタイン】 | えへへー。天下のバレンタイン! うち必殺のチョコ魚雷! ……ややっ、これは! ……すっごーい。上には上が……おぉーっ!! |
母港/詳細閲覧【ホワイトデー】 | あ、司令官! うちらもお返しくれるの? ありがとー! マジ手作り? うっそぉー、間宮さんじゃないの? ……そーお? |
母港/詳細閲覧【秋】 | 秋……それはうち、秋霜の季節。 やったぁー! 秋だぁー! 秋祭りー! ねえねえ、ぼのぼの、どこ行く? ……え? あんた、秋刀魚焼きまくり係なのー!? ……はぁ……あ、はい……がんばって! |
母港/詳細閲覧【Xmas】 | ぼのぼのー、これ食いなって美味しいからぁ。……あ! きよきよ! 逆に食い過ぎだぁー! 腹壊すぞー! ……やー、なんか楽しいなあ。泣けるほど、楽しい! えへへっ。 |
母港/詳細閲覧【七周年】 | ねえ、うちらの艦隊って、実は七周年なんだって! なんかすごくない? うちもお祝いするよー! おめでとーう! |
ケッコンカッコカリ(反転) | |
ケッコン後母港(反転) | |
編成/出撃 | 第二駆逐隊、秋霜、抜錨!ついて来て! |
はやはや、きよきよ、いい?新編2駆、出撃だから! | |
出撃 | 敵、発見だから!やるっきゃないっしょー! |
開戦/攻撃 | 撃ち負けるな!てー! |
夜戦開始 | 追撃するから!艦隊、秋霜に続いて!いっくよー! |
攻撃/航空戦 | |
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃 | |
小破 | くはーっ! |
小破/旗艦大破 | くっそー! あてて来るなー! |
中破/大破 | うぁー艦首が! くぉんのぉー! 沈むかよー! |
勝利MVP | やったやったぁ! うちが、うちが一番?! あさあさ、きよきよ、見てたー? |
帰投 | よし、作戦完了!無事が何より、ね! |
補給 | ありがとう!補給はホント嬉しいんだ!また出るよ! |
改装/改修/改造 | ありがとぉー! |
うちにピッターリ! | |
改装/改修/改造(遠征選択/アイテム発見) | ふぅーん……あり、かねぇ……。 |
入渠(小破以下) | ん~、頭打ったかも……ちょっと具合診てくる…… |
入渠(中破以上) | なんか……頭が痛い……しっかり診てもらってくる…… |
建造完了 | そっか、新しい子来たんだ! よかった! |
戦績表示 | ん? 情報? うちが取ってきてあげる。これでしょー? |
轟沈(反転) | ああ、沈んでく……体が……深く……深く……これが海の中……これが深海か……みんなぁ…… |
時報 | 改に実装 |
放置時 | はやはや、ねぇ、この髪飾りどう思う?あ、そう?なら、これは?そう?よしよし。じゃあ、明日はどれがいいかな。あ、そう?そうかな。えへへ。 |
ゲームにおいて 
- 2019年12月7日、2019年秋イベント「進撃!第二次作戦「南方作戦」」のE-5ドロップ(第2ゲージボス)として実装。
- 夕雲型で戦中に編成された第二駆逐隊の一人。僚艦は2014年夏イベで実装された早霜と清霜。
- 着任時に発する「秋霜烈日」とは、秋の厳しく冷たい霜と夏の強い日差しを指し、転じて厳格なことを指す四字熟語。日本では検察官のしている記章(バッジ)で有名。しかし当人の性格(後述)はむしろ秋霜烈日とは正反対の印象を与える。
キャラクター設定について 
- 一人称がうちになっている艦娘では黒潮・浦風・龍驤に続き4人目。
- 同僚の早霜を「はやはや」、清霜は「きよきよ」と呼ぶ。朝霜は「あさあさ」。
- 姉の長波のことは「ながなが姉」、最期を共にした曙のことは「ぼのぼの」である。(この2人も藤永田造船所生まれ)
- 絵的にはクールっぽくも見えるが、実際の所明るく元気な子。特に改で追加される時報になると、かなりのお調子者であることが明らかに。
調子に乗りすぎて(おそらく提督に頭を)はたかれる艦娘はこの子くらいだろう。
秘書艦になっても朝食昼食は早霜が作りおやつは清霜が用意、夕飯は提督と間宮……と、一回もご飯を作ってくれない。末っ子の清霜でも朝は作ってくれるのに……。- そんな元気印の子でも、自身を始め多くの艦艇が沈んだ多号作戦に関しては思うところがあるようで、1800の時報だけは普段と違う沈んだ感じのものとなっている。
- 秋の名を持つだけあって頭に楓の髪飾りをつけている他、中破時に見えるものも紅葉柄となっている。
限定イラスト 
- 2020年2月7日、バレンタイン差分modeが実装された。
「チョコ魚雷」と称する小型の筒状の手作りチョコを作ったようだが、とある駆逐艦の手作りチョコレートに度肝を抜かれている模様。限定グラフィック:バレンタイン差分mode
小ネタ 
艤装員長・駆逐艦長
艦長氏名(期・本籍) 配属期間 | 他の経歴・小ネタ | |
艤装員長 初代 | 平山敏夫 中佐(55・鹿児島) 1944.1.22~3.11(艤装員長) 1944.3.11~4.2(艦長) | 水無月艦長として開戦を迎える。大波の艤装員長、白雲の艦長を経て秋霜艤装員長、引き続き艦長となる。第十一水雷戦隊で錬成中、早霜艦長に転任。セミララ島での戦没後助け出され。涼月の艦長に就任。坊ノ岬沖海戦を生き残る。戦後は41駆僚艦でもあった冬月艦長となる。 |
第2代 | 中尾小太郎 少佐(57・山口) 1944.4.2~11.13 | 開戦時は刈萱艦長。波風艦長を経て戦没時の海風艦長。マニラ湾で戦没する秋霜を見届けた後中佐に昇進し宵月の艤装員長・艦長に就任。宵月就役直後に陸上勤務となり終戦を迎える。 |
戦歴 
- マル急計画仮称346号艦として藤永田造船所にて1943年5月3日起工、同年12月5日進水、翌1944年3月11日竣工。横須賀鎮守府籍。
- 姉の朝霜は夕雲型の中で最も建造期間が短く、43年1月起工、7月進水にも関わらず秋霜進水より前の11月27日に竣工している。
- 竣工後第十一水雷戦隊に編入され、先に竣工・編入していた早霜と共に瀬戸内海で訓練に従事する。
- 艤装員長から引き続き初代艦長となった平山敏夫少佐の前任は白雲艦長。(未実装の吹雪型で、当時霞の属す第9駆逐隊に所属)白雲艦長着任から1月で秋霜艤装員長に就任、さらに艦長としては1月も経たず姉の早霜艦長に転任となった。後任は、2月1日に戦没した海風から生還した中尾小太郎少佐。以後、秋霜の艦歴は彼の指揮下で紡ぎ出されることになる。
- 5月10日に11水戦の響・電、早霜と共に第一機動艦隊に編入され、機動部隊の護衛にあたり、タウイタウイに到着。
- 5月19日に補給部隊護衛艦となり、響・浜風とダバオに移動。
- 第一次渾作戦から帰投する扶桑・妙高・羽黒の護衛に加わる。6月10日、風雲戦没に際し響と共に救援に向かう。秋霜は風雲乗員136名をダバオに送り届ける。
- 6月11日、内地から速吸と初霜・栂が到着、補給部隊と合流。17日にあ号作戦乙部隊に編入され、マリアナ沖海戦に参戦。
- マリアナ沖海戦では沈没した飛鷹乗組員の救援を行った。飛鷹の御真影と勅諭は秋霜に奉移された。中城湾に集結後、第7戦隊を護衛して柱島泊地着。
- 6月29日~30日、第5戦隊(妙高・羽黒)を護衛してマニラを経由しシンガポール着。ここで修理・整備を受けリンガ泊地に到着。
- 8月15日、早霜・秋霜・清霜で戦中2代目となる第二駆逐隊を編成。
- レイテ沖海戦では栗田艦隊に属し参加。救助に空襲に突撃にと、働きずくめに働いている。
- 摩耶が被雷轟沈した際には遭難現場で生存者を救助、武蔵へと送り届けている。
一時摩耶生存者600名以上が乗り込んだ秋霜は立錐の余地もなく、操艦すらままならない状態だったという。
また妙高が被雷落伍し離脱する際にはその護衛も行っている。 - なお同海戦中、サンベルナルジノ海峡付近で島風と衝突事故を起こしていたりもする。
- 未明の暗闇のなか、島風が岩礁を敵魚雷艇と誤認し「敵見ユ」を連呼したため艦隊が混乱。
そのさなか、増速しながら転舵し前へ飛び出してきた島風を避けきれず、艦首同士をごつんこしたのだった。
幸い秋霜は艦首とスクリューに若干の損傷を負った程度だったものの、サマール沖海戦の真っ最中にこの傷口が開き、浸水の処置に大わらわとなっている。
- 未明の暗闇のなか、島風が岩礁を敵魚雷艇と誤認し「敵見ユ」を連呼したため艦隊が混乱。
- さらに帰路、能代が被雷沈没した際には浜波と協力してその生存者も救出、今度も300名以上を救助した。
- これらの大車輪の活動の結果、帰る途中で燃料が切れかけ、僚艦たちともども急遽那智から給油を受けている。
- 同海戦において、第二駆逐隊の仲間であり竣工以来一緒だった早霜が擱座放棄されている。
- 摩耶が被雷轟沈した際には遭難現場で生存者を救助、武蔵へと送り届けている。
- レイテ沖海戦を生き延びた秋霜だったが、休む間もなく多号作戦へと投入された。
空襲と衝突事故で浅からぬ手傷を負ってはいたが、傷だらけの駆逐艦たちのなかにあってはまだしも損傷が軽い部類と判断されたのだった。- 霞を旗艦とする第4次多号作戦警戒部隊に属した。元々この作戦の参加予定だった曙が11月5日のマニラ湾空襲で大破して参加できなくなったため、その代わりとして参加した。この作戦中秋霜は艦首に直撃弾を浴び、一番砲塔から前が切断されてしまった。
やむなくマニラ港のとなり、工作部があるカヴィテ港の桟橋に係留され修理を行うこととなった。そして、そこが終焉の地となった。- 前述の空襲で損傷していた曙が隣に連結係留されていた。
- 11月13日、再度のマニラ湾空襲の際、秋霜は中尾艦長が出張で不在であったため、先任将校で航海長の原田実大尉が指揮を執り対空戦闘を行った。
だが連結係留状態では爆弾の避けようがなく、さらに沖側に連結係留されていたため狙われやすく、一番砲塔前方と後部甲板に直撃弾3発を浴び大火災が発生。
この時臨時指揮官の原田大尉は艦橋の羅針儀の横で指揮をとり、反対側では通信士がそれを補佐していた。すると前部方向から敵機が機銃掃射を敢行してきた。この通信士はその瞬間身をかがめたが、原田航海長が前に倒れるのがチラリと見えた。敵機が去り身を起こした通信士が見たのは、即死状態ですでに事切れた原田航海長の姿であったという。
重油火災状態となった秋霜の火勢は凄まじく、弾薬庫が危険状態となるに及んで、乗員たちはやむなく陸上へ退避した。
そしてその炎は隣の曙へと延焼しつつあった。曙自身も消火ポンプ故障のうえ直撃弾による火災を起こしており、消火不能と判断し乗員を陸上の防空壕へと退避させた。- しかし、艦歴の古い曙は長年乗り続けてきた古参乗員が多く、火の手の迫る曙を見捨てることができなかった。
曙砲術長・岩淵成忠大尉は「消しに行くぞ!」と叫んで壕を飛び出し、威勢のいい10名ほどがその後に続いた。
彼らは秋霜の弾薬庫が危機的状態にあるとはつゆ知らず、冗談を言い交わしながら手頃な容器に海水を汲んで消火活動を行おうとした。
ところが間もなく、青竹を焼くような轟音とともに秋霜が火柱を噴き上げ始めた。ついに弾薬に火が回ったのである。
「危ない、伏せろ!火薬に火がついたぞ!」と岩淵砲術長が絶叫した。それが最期の声だった。 - 次の瞬間、凄まじい閃光とともに秋霜の弾薬庫が大爆発を起こした。爆風は数百メートル離れた壕の中の乗員たちを押し倒すほどだったという。
消火に挑んだ曙乗員10名のほとんどがこの大爆発により戦死、岩淵砲術長もまた右眼を弾片が貫通し壮烈な最期を遂げた。
曙艦長は制止出来なかった事を深く悔み、乗員たちは最後の最後まで曙を守り抜こうとした彼らの遺体に取りすがり、泣き崩れた。 - 一面火の海となった両艦は夜通し燃え続け、14日午前5時に秋霜が転覆着底、曙も相前後して着底し、その艦歴を閉じた。
なお、大火災放棄状態の秋霜へ通りかかった占守が短艇を派遣、弾薬を調達していたりもする。
- しかし、艦歴の古い曙は長年乗り続けてきた古参乗員が多く、火の手の迫る曙を見捨てることができなかった。
- 110名ほど生き残っていた秋霜乗員たちはその後、例にもれずマニラ陸上部隊へと編入。その殆どが戦死、戦病死、餓死し、玉砕して果てたという。
- 霞を旗艦とする第4次多号作戦警戒部隊に属した。元々この作戦の参加予定だった曙が11月5日のマニラ湾空襲で大破して参加できなくなったため、その代わりとして参加した。この作戦中秋霜は艦首に直撃弾を浴び、一番砲塔から前が切断されてしまった。
- 戦後、秋霜の船体は木曾らとともにマニラ湾に放置されていた。1955年に播磨造船所呉船渠の技師により浮揚解体された。
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