No.281 | ||||
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水無月(みなづき) | 睦月型 6番艦 駆逐艦 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 13 | 火力 | 6 / 29 | |
装甲 | 5 / 18 | 雷装 | 18 / 49 | |
回避 | 37 / 69 | 対空 | 7 / 29 | |
搭載 | 0 | 対潜 | 17 / 41 | |
速力 | 高速 | 索敵 | 4 / 17 | |
射程 | 短 | 運 | 13 / 53 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 15 | 弾薬 | 15 | |
装備 | ||||
12cm単装砲 | ||||
未装備 | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
水無月 → 水無月改(Lv20) | ||||
図鑑説明 | ||||
睦月型駆逐艦、その六番艦、水無月だよ。 横須賀の近く、浦賀で生まれたんだ。 睦月型の姉や妹達と共に、緒戦の戦いに参加したんだ。 船団護衛も何度も務めたよ。 ん?潜水艦?あれはやっかいな相手だよね。うん、わかるよ。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
セリフ | CV:日高里菜、イラストレーター:草田草太 |
入手/ログイン | 睦月型駆逐艦、その六番艦、水無月だよ。遅れてごめん。司令官、よろしくね!……えへへ。 |
母港/クリック時 | 司令官、どうしたのさ。お腹でも空いた? 仕方ない、なんか作ったげようか? いいよ。 |
母港/詳細閲覧 | ん……呼んだかい? いいよ。 |
さっちん? ……あっ、違った。ううん、何でもないよ。えへへへ。 | |
母港/詳細閲覧(新年) | 司令官、あっけまして、おめでとう~♪ えへへ♪ 今年もどうぞ、よろしくお願いね。さ、お年玉、いつでもどうぞ?♪ ん?w んん~?w |
母港/詳細閲覧(節分) | ふふっ。節分ね。いいねいいねぇ♪ え? セッツ・ブーンって……、発音違うよ? え? 何でそんなの、自信満々なの……。えぇ……? |
母港/詳細閲覧(バレンタイン) | なんか鎮守府全体が甘い香り。これって…? あ、そうかチョコづくり~。そっかぁー! …やばっ、出遅れたかも。材料まだ酒保に残ってるかな? 急がないと…! |
母港/詳細閲覧(ホワイトデー) | あはっ、司令官これ、水無月チョコのお返し? ありがとう、嬉しいね! えへへ……。 |
母港/詳細閲覧(春) | 春は好きだよ。だって、水無月が就役した季節だし、桜も綺麗だしね。えへへ♪ 皆でお花見行っちゃう? いいよね♪ |
母港/詳細閲覧(梅雨) | この季節は…苦手、だね。うん…なんかね、気分があまり乗らないんだ。あ、もちろん任務とあらば出撃するよ。それは…うん、心配しなくていいよ。んふふ… |
母港/詳細閲覧(初夏) | うん、そう。昔はね、この季節を水無月って言ってたんだって。この名前、気に入ってるんだ。いひひっ♪ |
母港/詳細閲覧(夏) | あ~もう! 皆水着着て浮かれちゃって。ったく、艦隊をなんだと思って…いいないいなぁ…ちぇっ。 |
母港/詳細閲覧(2016秋) | 季節は秋だよ。司令官はなんの秋?……さっちんは食欲の秋、ふみちゃんは読書の秋、ながながはスポーツの秋かなぁ。司令官はなんだろうねぇ?恋の秋……だったり? |
母港/詳細閲覧(2016秋刀魚) | はぅ~、これが噂に聞く、鎮守府秋刀魚祭り? どんだけの艦隊が、秋刀魚漁に出てるっていうんだろう。なんか凄すぎ……。うひひ。 |
母港/詳細閲覧(晩秋) | え、特別なワイン? そうなの? 世界的に? ふわぁ、これが…あふっ、酒臭っ! って、Polaさん?! |
母港/詳細閲覧(2018晩秋) | くしゅん! ……流石に寒くなってきたね。司令官、風邪ひかないでね? ん、水無月? 水無月はれんれんらいじょうぶ……くしゅん! ……あれ? あれれ? |
母港/詳細閲覧(2016Xmas) | さっちん、さっちん!! これ美味しい♪ あっ、こっちも~♪ はぅ~、クリスマスって、これは罠だ~♪ バルジできちゃう、バルジ~♪ |
母港/詳細閲覧(師走) | ぅ~ん…大掃除? はぁ…そっかぁ…。もうそんな季節かぁ…。 しっかたない、やりますか! さっちん! ふみちゃん! ながなが! みんなやるよ!箒持って! よ~し! |
母港/詳細閲覧 (四周年記念) | ふぇっ、四周年なの?すっごいね。水無月もお祝いするよ。司令官、おめでと。そして…ありがとね。…えへへへ…照れるねぇ。 |
母港/詳細閲覧 (五周年) | はうっ、遂に五周年なの? やっばいね。水無月もお祝いするね。司令官、おめでと。……ありがとう。なんか……嬉しいね。 |
ケッコンカッコカリ(反転) | 司令官、なーに?呼んだ? あ、そう。なに、改まって? うふふ、何かくれるの? いいねいいねー、なになに♪ あ、これ? 開けていいの? じゃあ、開けるよ? ぉおお~、これマジですか?! ふふっ♪ おおぉ~♪ |
ケッコン後母港(反転) | どうしたの? なんか、疲れてるみたいだ。司令官、元気ないね。にひひ、よ~し! 元気にしてあげるよ。いひひ、どーだ♪ え、まだまだ? よーし、本気で行くよ!! |
編成 | 睦月型駆逐艦、水無月! 出まーすっ! えへへっ。 |
出撃 | 睦月型駆逐艦、水無月! 出まーすっ! えへへっ。 |
艦隊旗艦、駆逐艦水無月。抜錨だよっ! みんな、続いてねっ! | |
遠征選択時、アイテム発見 | あはっ! いいねいいねー! |
開戦 | 敵さん、発見しちゃった……。仕方ない、行くよっ! みんな、いーい? |
夜戦開始 | 追撃だね。分かった、やってみる! 艦隊、再集結! 水無月と突撃だよ! |
攻撃 | 敵さん、発見しちゃった……。仕方ない、行くよっ! みんな、いーい? |
船団護衛じゃない、艦隊戦だよ! 大丈夫、落ち着けって。よし、いっけぇー! | |
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃 | 敵の潜水艦でも、水上艦でも、今度は……負けないよっ! |
小破 | 痛…ったい!もうっ、水無月怒るよ! |
うわぁっ?! あうぅ…。 | |
中破/大破 | いっつつ……。なんだよもう、サイアク! まだ航行できるから、沈まないから! |
勝利MVP | えっへへへっ! 活躍しちゃった? やるなぁ、自分! 睦月型やるやるぅ! もっと褒めていいよ! ふふっ。 |
旗艦大破 | 痛…ったい!もうっ、水無月怒るよ! |
帰投 | 司令官、艦隊、戻ったよ! みんなの無事が、何よりだよね。 |
補給 | 頂くね♪ にひひっ。 |
改装/改修/改造 | いいねぇ、これ! 嬉しいよ! えへへへ。 |
おぉ~、なるほどね。そう来たかぁ。 | |
あはっ! いいねいいねー! | |
入渠(小破以下) | ごめん、ちょっとお風呂。司令官……覗くなよ? って、しないかぁ。 |
入渠(中破以上) | あー、ごめん。ちょっとマズいね、これ。綺麗にするから待ってて。ふぇぇ……。 |
建造完了 | 司令官、新造艦だよ! 嬉しいねぇ。 |
戦績表示 | そっかぁ。情報だね。持ってきたげるよ! 待ってて。ふふっ……はいっ。 |
轟沈(反転) | …え、沈んでる? うそ?! …さっちん…ふみちゃん…ごめん… |
時報 | 改にて実装 |
放置時 | おーい。ねぇ、ねぇねぇねぇ、ねーえーっ! あれ? 司令官、聞こえてないのかなぁ。……なんか忙しそうだ。仕方ない、さっちんのところでも行ってようかな。よっこいしょ、っと。 |
ゲームにおいて 
- 2016年8月12日アップデートで新規実装。同日から始まった2016年夏イベントE-2クリア報酬艦。これで睦月型の未実装艦は夕月のみとなった。
- 運の初期値13は長月以外の姉妹艦より僅かに高い。
- 伊26と並んで、長らく空白だった艦船図鑑の5ページ目に初めて足跡を記した艦娘である。
- 第22駆逐隊の一員だが、2015年1月23日アップデートで実装された任務「「第二二駆逐隊」を編成せよ!」と「「第二二駆逐隊」出撃せよ!」の達成条件に含まれない。
一方、2017年7月31日アップデートで追加された任務「精鋭「第二二駆逐隊」を再編成せよ!」と「精鋭「第二二駆逐隊」出撃せよ!」では、水無月改が必須で指定されている。
しかし、精鋭二二駆任務実装から1年3ヶ月もの間水無月が常設されなかったので、イベントで彼女を取り逃がしてこれらの任務クリアが次のイベまでお預け…なんて事態も少なからず発生していた。
- 2016年8月7日に行われた観艦式において、本艦の実装と声優が日高里菜氏であることが同時に発表された。*1
- 2017年2月11日のアップデートにおいてバレンタイン限定グラフィックが実装された。
- 本人曰く出遅れたようだが、無事にチョコを完成させて限定グラフィック実装。今年も草太艦全艦にバレンタインmode実装となった。
小ネタ 
1925 | 3.24 | 浦賀船渠において「第28号駆逐艦」の名で起工 |
1926 | 5.25 | 進水 |
1927 | 3.22 | 竣工 |
4.1 | 第22駆逐隊(第27号駆逐艦/第28号駆逐艦/第29号駆逐艦)に編入 | |
5.20 | 第30号駆逐艦が第22駆逐隊に編入 | |
1928 | 8.1 | 「水無月」に改名 |
12.10 | 横須賀鎮守府部隊に編入、予備艦となる | |
1931 | 12.1 | 有地十五郎大佐以下第1艦隊第1水雷戦隊に編入 |
1932 | 2.2 | 第3艦隊第1水雷戦隊に臨時編入 |
3.20 | 第1艦隊第1水雷戦隊に復帰 | |
1933 | 11.15 | 佐世保鎮守府予備艦となる |
12.11 | 佐世保警備戦隊に編入 | |
1934 | 9.27 | 演習中に皐月より魚雷を誤射されスクリューを損傷 |
10.12 | 演習中に夕風*2と衝突事故を起こし両艦とも損傷 | |
1936 | 6.15 | 堀江六郎大佐以下第2艦隊第2航空戦隊に編入 |
1937 | 10.20 | 支那方面艦隊に転籍 |
12.1 | 第2航空戦隊解散。佐世保鎮守府部隊に編入 | |
1938 | 12.1 | 佐世保鎮守府予備艦となる |
1940 | 11.15 | 原顕三郎少将以下第2遣支艦隊第5水雷戦隊に編入 |
1941 | 4.10 | 第3艦隊第5水雷戦隊に転籍 |
5.24 | 第5水雷戦隊旗艦を一時継承 | |
11.26 | 寺島水道を出港 | |
12.8 | 太平洋戦争開戦 | |
12.9 | ルソン島アパーリ攻略戦に参加 | |
12.22 | リンガエン湾上陸作戦に参加 | |
1942 | 2.27 | 西ジャワ進攻部隊に編入 |
3.10 | 第5水雷戦隊解散。第2南遣艦隊に編入 | |
4.10 | 井上保雄中将以下第1海上護衛隊に編入 | |
以降は船団護衛を断続的に行う | ||
8.18 | 佐世保へ帰港。その後約2ヶ月間修理・整備を行う | |
10.1 | 睦月の除籍に伴い『卯月型駆逐艦』に改定 | |
12.10 | 第22駆逐隊解散 | |
1943 | 1.14~ | 佐世保に滞在後、パラオ方面護衛任務に従事 |
2.6 | 2.24 | 佐世保に帰港し修理・整備を実施 | |
2.24 | 佐世保を出撃 | |
2.25 | 第22駆逐隊(皐月/水無月/文月/長月)再結成。木村昌福少将以下第8艦隊第3水雷戦隊に編入 | |
3.7 | スルミ方面への輸送作戦中に座礁。文月に曳航され脱出 | |
4.3 | カビエンで空襲を受け文月が損傷。しばらく3隻体制となる | |
5.28 | 輸送作戦中に皐月・長月が座礁。皐月は修理のためしばらく戦線離脱 | |
6.2 | コロンバンガラ輸送を実施 | |
7.6 | クラ湾夜戦。長月が座礁、放棄される | |
7.12 | コロンバンガラ沖海戦において神通が戦没。皐月・水無月は生存者救助のため派遣される | |
7.17 | 初雪・望月より重油・魚雷の補給を受けている途中に爆撃され初雪を喪失 | |
9.28 | コロンバンガラ島撤退作戦に参加 | |
12.8 | 長波を曳航しトラックに入港 | |
1944 | 2.12 | ラバウルへ退避 |
2.17 | トラック島空襲において文月が戦没 | |
2.20 | カブブ島輸送を実施後、パラオに移動 | |
3.10 | 中部太平洋方面艦隊に編入 | |
5.1 | 夕凪*3を第22駆逐隊に編入 | |
5.4 | 第3503船団を護衛しサイパンへ移動 | |
6.6 | 米軍潜水艦*4に雷撃され戦没 | |
8.10 | 除籍 | |
8.20 | 第22駆逐隊解散。皐月・夕凪は第30駆逐隊へ転籍 |
艤装員長 | 古賀七三郎 中佐 | 1926年12月1日~1927年3月22日 |
第1代 | 1927年3月22日~1927年12月1日 | |
第2代 | 山田定男 中佐 | 1927年12月1日~1928年12月10日 |
第3代 | 山田常太郎 少佐 | 1928年12月10日~1930年12月1日 |
第4代 | 益田康彦 少佐 | 1930年12月1日~1931年11月2日 |
第5代 | 松原博 少佐*5 | 1931年11月2日~1931年12月1日 |
第6代 | 成田忠良 少佐 | 1931年12月1日~1933年11月15日 |
第7代 | 松原博 少佐*6 | 1933年11月15日~1934年2月1日 |
第8代 | 橘雄次 少佐*7 | 1934年2月1日~1934年4月1日 |
第9代 | 小川莚喜 少佐 | 1934年4月1日~1935年12月2日 |
第10代 | 成冨武光 少佐 | 1935年12月2日~1936年5月26日 |
第11代 | 宇垣環 中佐 | 1936年5月26日~1937年11月15日 |
第12代 | 磯久研磨 少佐 | 1937年11月15日~1937年12月1日 |
第13代 | 金田清之 少佐 | 1937年12月1日~1938年1月8日 |
第14代 | 古賀彌周次 少佐 | 1938年1月8日~1938年10月20日 |
第15代 | 久保木英雄 少佐 | 1938年10月20日~1941年9月20日 |
第16代 | 平山敏夫 少佐 | 1941年9月20日~1942年9月25日 |
第17代 | 福山強 少佐 | 1942年9月25日~1943年10月25日 |
第18代 | 磯部慶二 大尉→少佐*8 | 1943年10月25日~1944年6月6日 |
「水無月」について 
- 水の無い月と書くが、水が無いわけではない。 水無月の「無」は、神無月の「な」と同じく「の」にあたる連体助詞「な」で、「水の月」という意味である。 陰暦6月は田に水を引く月であることから、水無月と言われるようになった。
- 6月30日は「水無月」を食べる日として知られる。京都では1年のちょうど折り返しにあたるこの日に、この半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事「夏越祓(なごしのはらえ)」が行われる。意味深とか言うなよ。
- 草太氏の艦ではおなじみの艤装の季節花は朝顔になっている。
- 花言葉は「はかない恋」「固い絆」「愛情」
- 花言葉は「はかない恋」「固い絆」「愛情」
- 先代「水無月」は初代神風型駆逐艦(こっちの神風の先代)の27番艦。明治40年の生まれで、後に掃海艇に類別されたが、昭和5年まで20年以上に渡り活動した。
跡継ぎは現在のところ海上自衛隊・海上保安庁には存在しない。 - 実は太平洋戦争前は「華の二水戦」の一員だった。というか、睦月型は全12隻が揃って第二水雷戦隊に所属していた時期(1927年12月~1928年12月)がある。この時の戦隊旗艦は名取。
後には神通率いる二水戦とともにコロンバンガラ島への輸送任務に就き、神通の犠牲を無駄にすることなく島への輸送を成功させた。
このように船団護衛もさることながら、自身が物資を積んで運ぶことが多かった艦である。本来の駆逐艦の任務ではなかったものの、各地の陸軍を縁の下で支えるために走り回ったのだった。- 「潜水艦は厄介な相手」と語るが、自身や僚艦が航空攻撃を受けた経験のほうが多い。
しかし、護衛を務めた第3503船団が潜水艦に襲われ輸送船が全滅、その一月後には護衛任務中に自身が潜水艦攻撃で沈没という悲惨な経験をしている(後述)。
- 「潜水艦は厄介な相手」と語るが、自身や僚艦が航空攻撃を受けた経験のほうが多い。
- 水無月の艦長が長月の艦長も兼任していた時期がある(通算2人)。
水無月の艦長が皐月の艦長も兼任していた時期もある(この両艦を兼務した艦長はやたら多い)。
1人で特型駆逐艦3隻の艦長を兼務した人もいた*9くらいだし運用上問題はなかったのだろうが、それぞれ、いったいどっちに乗っていたのだろうか…。- 演習中に皐月が放った魚雷が迷走、水無月のスクリューに当って破損させるという事故があった。
この時はそれぞれ別人が艦長を務めていたが、あわや「誤射した艦と誤射された艦のトップが同じ人」という珍事に発展するところだった。
- 演習中に皐月が放った魚雷が迷走、水無月のスクリューに当って破損させるという事故があった。
誕生、そして戦火の海へ 
- 生まれは浦賀船渠で、睦月型の中では弥生と望月が同郷である(他に駆逐艦の建造実績多数。また五十鈴、阿武隈もここ)。
1926年5月進水で、青葉型姉妹と同い年。ギリギリ大正時代の生まれである。竣工したのは翌年3月、昭和になってから。 - 翌月、当時夕張を旗艦とする二水戦麾下の第二十二駆逐隊(編成は皐月、文月の2隻)に配属され3隻体制となる。さらに翌月、長月が入ってきて、定数通りの4隻編成になった。
さらに12月の変更で、二水戦は旗艦名取のもと第二十二、第二十三*10、第三十*11駆逐隊で編成。それぞれ睦月型4隻からなる3個駆逐隊で、全12隻がコンプリートされた。夕月実装はよ。
1931年12月には、二十二駆、二十三駆、三十駆がそのまま一水戦(旗艦夕張)へスライドした。妹が就役する頃には、姉はすでに海の底という艦級が珍しくなかった大戦後期から見れば、1個水雷戦隊に姉妹が全員揃っているというのは驚きだっただろう。 - 1928年8月にようやく他の姉妹とともに「水無月」という名前を与えられた。*12
記事では分かりやすいように旧暦名の方の艦名で表記してきたが、この時までは全員「第19号型第○○号駆逐艦」だったのである。
すでに「浦波型掃海艇水無月」に改名していた先代は「第10号掃海艇」に再度改名している。
- 支那事変では加賀さんと二十二駆で二航戦を編成し、中国大陸周辺で活動。この時期は赤城、加賀、龍驤鳳翔ペアの3チームで2個航空戦隊をローテーションしていたので、加賀が二航戦所属ということもあったのである。
第二次世界大戦勃発 
- 開戦時には名取の五水戦麾下二十二駆所属。本人が語るとおりフィリピンやジャワ島の攻略戦に参加した。これらは主に上陸作戦であり、敵の航空・海上勢力は主に日本の航空攻撃で撃破されたために水無月の直接的な活躍はなかった。
続くクリスマス島攻略作戦では、先行した四水戦の那珂ちゃんが潜水艦に襲われ大破。二十二駆は退避する那珂の護衛を務めたのち、隊を2個小隊に分離。水無月は長月といっしょに輸送作戦に従事した。
東南アジアの占領が成ったことで、本土とのシーレーンを護衛するため第一海上護衛隊が創設。二十二駆はここに編入された。特設巡洋艦や特設砲艦、水雷艇、旧型駆逐艦の中で、睦月型は最新鋭である。
水無月はジャカルタ、クーパンなど東南アジアの海を駆けまわり、内地での整備・修理後は台湾、パラオと本土を結ぶ輸送船を護衛。日本への資源輸送に尽力した。 - 1943年には川内の三水戦の一員としてラバウルに進出、ソロモン諸島方面での輸送任務に就く。
輸送船護衛ではなく自身が機銃弾や食糧、医療品などを積載したもので、荷揚げのため湾の浅瀬に近寄ったところ座礁してしまったが、文月に引っ張ってもらい窮地を脱する。
しかし翌月、文月と青葉が空襲を受け損傷、文月が二十二駆を離脱。その後も輸送任務が続くが、今度は長月、皐月が座礁。水無月は長月の救援を行い離礁させることに成功したが、皐月は損傷のため隊を離脱。
このあたりから二十二駆という駆逐隊単位での運用も厳しくなり始め、43年7月にはクラ湾夜戦において長月が座礁、放棄され、二十二駆からの最初の喪失となった。
続くコロンバンガラ島沖海戦では皐月とともに輸送隊として参加。神通率いる二水戦が死闘を繰り広げる中、島に到達しすべての物資を揚陸。帰投中に神通の沈没現場を捜索するも、生存者は発見できなかった。
敵は空の上、海の下 
- この後、ショートランドにて、ラバウルで補給してきた初雪、望月と横付けし、重油や魚雷のおすそ分けを受けていたところ爆撃を受け初雪が沈没、水無月も損傷を受ける。
2日後にはコロンバンガラ島方面への輸送で僚艦2隻が沈没、水無月も損傷…と航空機に襲われることが続く。
現地での応急修理ののち、呉に戻って修理に入るとともに、対空火力増強工事を受けた。
修理完了後、3隻編成の二十二駆は再度ラバウルへ進出。コロンバンガラ島からの撤退や連合軍のブーゲンビル島輸送船団迎撃など様々な作戦に走り回る。
しかしラバウル空襲に巻き込まれ、多くの艦が損傷。このとき水無月は航行不能となった長波を曳航してトラック泊地へ後退し、長良に後を引き継いだ。
自分より1,000トンも重い夕雲型を曳航して、敵を警戒しながらの退避行はいかほどの緊張状態であったろうか。なお、引き継がれた長良も長良で、爆撃を受け魚雷弾頭の誘爆で大破していた。
落ち武者狩りを狙う敵潜水艦がうろつく中を長波を曳いて本土まで帰ることになった長良艦長代理は、出発前から死を覚悟していたという。
- 敵航空機の攻撃はなおも続き、水無月は輸送任務中に空襲を受け小破。しかしこの頃の三水戦では、度々の空襲にもかかわらず水無月以外の被害はなかった。
戦闘詳報には『各艦がレーダーの利用におおむね慣れ、爆撃を受ける前に蛇行運動や機銃射撃などで機先を制することができるようになってきたためというのが大きい』とある。- この修理のために水無月がトラックへ戻っている間に戊号輸送作戦が発令され、皐月と文月が奮戦。皐月の飯野艦長が命と引き換えに皐月と輸送部隊を守り抜いて「武功抜群」と墨書きされた白鞘の日本刀を授与されている。
- しかし、それらの輸送作戦も戦局を覆すには至らなかった。ラバウルへの空襲も激化し艦艇の大部分がトラック泊地へ撤退するが、そのトラック泊地までも大空襲を受け多数の艦が沈没。
文月も、機関修理中のため片軸運転で逃げ惑うも機械室に爆弾を受け力尽きた。
二十二駆は皐月との2隻編成となり、水無月は睦月型駆逐艦夕月とともにラバウル方面への輸送を行った後、トラックへは戻らずパラオへ移動。これが南東方面での最後の駆逐艦輸送となった。
パラオではトラックから逃げ延びた艦と合流、羽黒から燃料補給を受ける。
その後、潜水艦からの攻撃で航行不能になった特設運送船木津川丸(東洋海運:1,915総トン)をグアムまで曳航するなどし、44年5月には神風型9番艦夕凪(こっちの神風の姉妹艦)を二十二駆に編入して3隻体制となるが、この3隻が揃っての活動はあまり多くはなかったようだ。
- 1944年5月4日、東京湾に戻っていた水無月はサイパンへ向かう輸送船団「第3503船団」を護衛するため出撃した。二十二駆からは水無月のみの船団参加だった。
頭の「3」は行き先の「横須賀発トラック方面行き」を指し、5月3日出発なので「503」という、敵に傍受されたらどうするんだという不安しかない命名方法の船団であったが、果たしてサイパンまで440kmというところで船団は米潜水艦タンバー*13に捕捉され、先制雷撃を受けた。
護衛艦は直ちに反撃、海防艦が50発もの爆雷を投じ「撃沈確実」を報じたが、実はタンバーは深く潜航して再攻撃の機会を伺っていた。しかし、水無月と水雷艇はしばらくその場に留まっており、再びタンバーを発見して爆雷を浴びせたのでタンバーは追撃を断念して離脱していった。 - 船団はその後、グアム行きの船を分離しサイパンに入港、一部はさらに先のパラオへと向かった。水無月はパラオ行き船団の護衛を継続することになっていたが、その前途にはまたも潜水艦が待ち受けていた。
まず真夜中にサンドランス*14が輸送船1隻を撃沈、水無月らが制圧したと思われたが、同日の夕方にはサンドランスの僚艦タニー*15が輸送船1隻を撃沈。残る2隻の輸送船はいったん退避したものの、命令により救助活動に戻ってきたところをサンドランスに襲われ1隻が沈没、1隻はサイパンへ逃げ帰ることが出来た。 - だが、悲劇がこれで終わることはなかった。3日後、敵機動部隊が出現したとの報を受け、生き残りの1隻に急遽荷揚げも済んでいない別の輸送船を加え、水無月ほか特設駆潜艇と電線敷設船の護衛で緊急出港した船団をフライングフィッシュ*16が襲撃、たちまちのうちに2隻の輸送船を血祭りにあげたのだった。
水無月は前日の夜に「浮上潜水艦を発見、撃沈」を記録しているが、これがフライングフィッシュの撃沈誤認であったと思われ、結果的にはパラオ行きの輸送船は全滅し、武器弾薬、燃料、民需食糧、そして陸軍兵士や輸送船乗員に大きな被害が出てしまった。
戦没、そしてマリアナ沖海戦 
- 戦没は1944年6月。第一機動艦隊はマリアナ沖海戦にむけてタウイタウイに進出したのだが、この動きは米軍にも読まれており、泊地周辺はすでに敵潜水艦が潜伏していた。
駆逐艦たちにはこれを掃討するべく出撃が命じられたのだが、多くの駆逐艦が返り討ちに遭い、また輸送や護衛のためにタウイタウイ島周辺で活動する多くの艦船が標的となってしまった。- 6月6日、水無月は秋月型駆逐艦若月とともに産油地バリクパパンへ向かう給油船興川丸を護衛しタウイタウイ泊地を出発した。
その日の深夜、水無月は「浮上中の潜水艦」を発見、攻撃に向かう。これが船団追跡のため浮上したまま15ノットで航行中のハーダー*17であった。
アメリカ側の記録によれば、水無月は月明かりに照らされたハーダーに艦首を向け突撃していった。これに対しハーダーは潜航しつつ水無月に艦首を向け、水無月が1,000メートルにまで接近してきた時に魚雷3本を発射。
水無月は艦首と艦橋直下に1本づつの魚雷を受け、5分以内に沈んでいったという。
- 6月6日、水無月は秋月型駆逐艦若月とともに産油地バリクパパンへ向かう給油船興川丸を護衛しタウイタウイ泊地を出発した。
- この6月6日からの4日間には、水無月のほか、早波、風雲、谷風が相次いで波濤の下に没した。そしてこのうち風雲以外の3隻を1隻で沈めたのが、ハーダーだった。
ハーダーは他に雷を撃沈した潜水艦としても知られ、対潜掃討を主な任務の一つとする駆逐艦を4隻も返り討ちにするというのは、かのアルバコアも凌ぐ大殊勲である。- ちなみに風雲を沈めたのは同じくガトー級のSS-256ヘイク。
- この敵潜水艦の活動により、第一機動艦隊のタウイタウイ泊地における航空訓練は大きく制限されることになった。大作戦へ向けての最終調整の時期に、である。
また、作戦の実施にあたっても、上記4隻をはじめ多数の駆逐艦を失ったことは(ただでさえ貧弱な)対潜警戒の網をいっそう粗くすることにつながり、翔鶴や大鳳の犠牲の遠因ともなっていくのである。- 大井篤が著書に記した『艦隊における駆逐艦は「歩」のようなものだが、「歩のない将棋は負け将棋」の態勢が決戦の日をまたずしてつくり出されたのである』の言葉がすべてを物語っている。
- 艦隊決戦思想のもと強力な61cm魚雷を持ち、水上艦との戦闘を主眼に生まれながらも、空中と水面下からの襲撃に翻弄され続けた水無月。それは水無月に限ることなく、戦争のあり方が激変した第二次大戦期に多くの兵器たちが経験した悔しさである。
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