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涼月

Last-modified: 2018-10-26 (金) 21:06:39
No.332
私は…涼月は必ず、帰ります…皆さんのもとに。涼月(すずつき)秋月型 3番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久21火力16 / 47
装甲10 / 29雷装16 / 46
回避45 / 83対空70 / 102
搭載0対潜25 / 61
速力高速索敵8 / 27
射程27 / 67
最大消費量
燃料20弾薬25
装備
10cm高角砲+高射装置
13号対空電探
25mm三連装機銃
装備不可
改造チャート
涼月涼月改(Lv55)
図鑑説明
乙型駆逐艦、秋月型、その三番艦、涼月です。
艦隊防空のために生まれました。
何度か大きな損傷を受けましたが、最後の二水戦の一員として大和と共に出撃します。
満身創痍ではありますが、港に戻りました。ずっと…皆さんを守り続けたい……そう願っています。

※初期値はLvや改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:藤田咲、イラストレーター:しずまよしのり (クリックするとセリフ一覧が開きます)




ゲームにおいて Edit

  • 2017年11月19日、捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)にて実装。
    • イラストと担当声優は2017年9月17日に開催された「第肆回『艦これ』観艦式」にて発表済みで、秋イベにて実装されることも告知されていた。
      前例もあるとはいえ、実装前にこれらが公表されるのは非常に珍しい。
    • 改装レベルは、Warspite大和神鷹に次ぐ55夕立改二にできるレベルと同じであるほど非常に高いが、秋月型故に十分な防空力を発揮してくれるだろう。
    • 何気に未改造で13号対空電探を持参する初めての艦である。
    • と間違えて誤解体してしまったという報告が挙がっている。注意されたし。
    • 長らく秋月型姉妹の中でなぜか唯一10cm高角砲+高射装置の改修ができなかったが、2018年10月26日のアップデートにてようやく改修ができるようになった。ついでに94式高射装置の改修担当も兼任している。これで「実は不器用?」疑惑が解消された

キャラクター設定について Edit

  • 排水量のせいか比較的大人びたデザインの秋月型姉妹だが、その中でも特に姉属性が強い。妹のことは「お初さん」「お冬さん」と呼んでいる(それぞれ初月、冬月と思われる)。改の時報では姉のことを「秋月姉さん」と呼んでいることも分かる。
  • 長10cm砲ちゃんの目がしいたけである。[◇_◇]
  • 灰色のケープコートを羽織っている。イラストレーター曰く、コンクリート色をイメージしているようだ。(参照)
  • 長女曰く、「自慢の妹」である。
    後述するように涼月と秋月はその生涯ですれ違いを繰り返しており、一緒にいたのは涼月がトラック在泊時に、秋月が修理を終えて戻ってきた1943年12月1日から、12日に涼月、初月瑞鶴筑摩を護衛して本土に戻った11日間ぐらい。
    翌年8月3日に損傷修理を終えて涼月が訓練している間、秋月が硫黄島への輸送任務を終えて内地に戻り、レイテ沖海戦で出撃する10月19日までの間整備や訓練に勤しんでいた2か月ほどは同じ瀬戸内海にはいた。
    その間秋月は佐世保に行ったり尾道に行ったりしていて一緒に行動していた訳ではない。
  • 演じた藤田咲氏によれば「儚くも凛とした強さをもってますが、私の中で、支えてくれる人々を誰よりも愛してる、慈愛に満ちた娘なんですよ!なので、任務のときとオフのときに差があるように演じてます。」との事。気にしてボイスを聞いてあげると良いかもしれない。
  • 2018年8月17日に、艦これ第二期スタート記念を兼ねた期間限定グラフィック【水着mode】が実装された。
    • 同年の公式カレンダーで着ているものに似た、シースルーのショートパレオ付き水着の上からグレーのコートを羽織っている。
      本人は楽しげな表情だが、傍らの長10cm砲ちゃんはいつもより眼光(?)が鋭いような…。
    • イラスト担当のしずま氏曰く、透けているのは「平常運行」とのこと。
限定イラスト:水着mode

小ネタ Edit

就役、そして激戦地へ Edit

  • 秋月型駆逐艦の3番艦。建造は三菱長崎造船所ですぐ上の姉の照月と一緒。しかし涼月より4か月ほど早く誕生した姉は涼月竣工の2週間ほど前にソロモン方面で沈められ、共に戦う機会は遂になかった。
    またすぐ下の妹で、この後共に行動する事になる 初月(舞鶴海軍工廠で建造)とは竣工日が1942年12月29日と一緒で、双子のような関係であった。
    • 名前は「涼やかに澄みわたった秋の月」から。
      ニスイの「月」との表記も見られるが、公式の艦名としてはあくまでサンズイの「月」である。
    • 長崎造船所では巨大戦艦武蔵が第二船台で建造され、1940年11月1日に進水式を挙行。そして空いた第二船台で秋月型2隻の建造を2週間後の13日より開始、これが照月で4か月遅れで涼月も起工する。2隻は武蔵が作られた船台で2隻ならんで建造された訳である。お隣では豪華客船を目指すヒャッハーさんが建造中だった。
      • 因みに照月の進水後は妹の新月が、涼月の進水後は61駆で行動を共にする若月が建造されている。
  • 完成した涼月は1943年1月15日に初月と共に第61駆逐隊に編入される。先に竣工していた長姉秋月と照月で前年10月7日に編成された防空戦闘専門の駆逐隊だが、ソロモン方面の激闘に秋月、照月とも引っ張りだこで、照月が沈むまで遂に一度も2隻揃った事がなかった。そして涼月らが編入された時も秋月は未だソロモン方面で活動中*1であり、涼月・初月も3月まで慣熟訓練をしていたので、3隻が揃って行動するのは未だ先であった。
    • 編入翌日の1月16日、潮岬沖で涼月は浮上航行中の米潜水艦「ハドック」と遭遇し、初月と共に爆雷攻撃を実施、これが2隻の初の実戦となった(ハドックは脱出に成功)。
  • 3月22日、訓練を経て涼月は初月、陽炎らと第二航空戦隊(飛鷹隼鷹)を護衛して出撃し、27日にトラック諸島に到着する。しかし姉の秋月は1月19日にブーゲンビル島沖で米潜水艦の雷撃で大破し内地帰還中にサイパンに寄港した際に、損傷個所が悪化して船体が6度の傾斜で折れた状態となってしまい、同地で応急修理中でまたも合流する事は叶わなかった。
  • 姉に替わり第61駆逐隊の司令駆逐艦となった涼月は4月以降同方面の輸送任務の護衛を務める。5月には戦死した山本五十六連合艦隊司令長官の遺骨を内地に運ぶ任務を帯びた同じドック生まれの戦艦武蔵の護衛を務める。6月には第十戦隊旗艦も務めている。
  • 10月31日、修理のなった秋月が第61駆逐隊に再編入され12月に合流、漸く涼月、初月は長姉と出会うことが出来た。6月には妹の若月(未実装)も合流していたので、漸く第61駆逐隊は本来の4隻体制となる。だが翌1944年1月、涼月に大きな危機が訪れる。

二度の艦首切断 Edit

  • 1944年1月16日、第2回ウェーク島輸送に赤城丸*2の護衛として参加した際、高知・沖ノ島西方で米潜水艦スタージョンの雷撃を受け2本が命中。悪いことに弾火薬庫へ引火した。
    • 初月が「涼月爆発轟沈」と誤認したほどの凄まじい大爆発によって、一瞬にして艦首部の二番砲塔と艦橋の間と艦尾の舵周辺の両方を切断亡失。また大爆発で艦橋も損傷、艦橋から後部砲塔群までの中央部分だけが辛うじて浮いているという、乗員をして「まるでダルマ」「何もない」と言わしめた、変わり果てた姿となってしまった。
    • 初月は周りで潜水艦を制圧しながら「涼月ガンバレ、大丈夫カ、涼月ガンバレ」と手旗信号で呼びかけ、励まし続けた。
      また入港した際には涼月乗員たちのために心づくしの握り飯と味噌汁を用意し、彼らを涙させた。
    • 艦橋にいた第61駆逐隊司令泊満義大佐や艦長の瀬尾昇中佐他機関長、水雷長、砲術長、航海長など幹部のほとんどが戦死*3、乗員206名、便乗中の陸軍兵89名が死亡するという大惨事となった。
      • 輸送作戦は直ちに中止となり、生き残った涼月の中央部は初月に曳航され、なんとか宿毛湾に避難する。
        その後電纜敷設船や漁船の助けも借りつつ呉に入港した
        福井静夫中尉をはじめ造船士官や工員たちはその姿を見て一様に絶句、「なんで沈まなかったのか不思議」が一致した感想だったという。
        第1缶室の隔壁が設計通りの強度を示したため、沈没を免れたとか。秋月型の設計の尋常ならざる強靭さを実証するエピソードでもある。
      • 船体の半分近くを失った状態だったが、損失部を新造して接合するという半年にわたる大規模な工事により、涼月はなんとか生まれ変わった。
        この際、艦首は戦時量産秋月型である冬月型と同様の、設計を簡易化した直線型のものが取り付けられた。
        さらに艦橋も直線的な形状になったが、実はこのやたら角ばった艦橋、秋月型・冬月型・満月型のどれとも一致しない。
        一説には未成に終わった最末期型、清月型の設計流用とも言われるが定かではない。これによって涼月は姉妹のどの艦とも違う特徴的な姿を有するようになった。
      • なお輸送任務の方は更に輸送船2隻(靖国丸、愛国丸)と駆逐艦白露満潮を加えた7隻で再開され、靖国丸を失うもトラック諸島までたどり着く。しかし米軍の侵攻でこれ以上ウェーク島に近づくのは危険と判断され物資要員を陸揚げし中止となる。赤城丸はその後本土引揚げの日本人を乗せて香取舞風野分の護衛を受けてトラック諸島を出るが、直後に始まったトラック空襲で撃沈され、護衛の香取、舞風も先行していたIowaら水上部隊に捕捉され撃沈されるという悲劇に見舞われている。
  • 第61駆逐隊の隊司令は解隊までの間に4名が職を務めているが、4名とも在任中やその後の配属先で戦死されている。
    ・初代:則満宰次大佐(1943年10月7日~) 重巡洋艦筑摩艦長として沈没時に戦死
    ・二代:大江覧治大佐(1943年2月3日~) 重巡洋艦摩耶艦長として沈没時に戦死
    ・三代:泊満義大佐(1943年12月12日~) 1944年1月16日涼月被雷時に戦死
    ・四代:天野重隆大佐(1944年3月20日~) エンガノ岬沖海戦で初月沈没時に戦死
  • この損害により涼月は6月に発生したマリアナ沖海戦に参加する事は出来なかった。
    7月10日に再竣役後、瀬戸内海で訓練を行い、10月16日に若月と共に台湾へ第三航空戦隊の基地物品の輸送任務の際、さらなる試練が訪れた。
    • 折悪しく当時は台湾沖航空戦の真っ最中で、さらに計画では一番危険な豊後水道を荒天下、夜間に通過しなければならない。
      61駆は計画の無謀さに憤怒し艦隊司令部へ猛抗議したが、この輸送命令が覆ることはなかった。
    • 案の定と言うか10月16日、宮崎県都井岬沖で米潜水艦ベスゴの雷撃を受け2発が命中。艦橋直下付近の1本は不発だったが、もう1本がまたもや艦首に炸裂。
      新造したばかりの艦首の舳先から一番砲塔のすぐ前までの部分が無残にもぎ取られ、復帰後初の任務でドックへ逆戻りする羽目になった。
      涼月たちは逆探でベスゴの存在を発見していたものの、事前の懸念どおり悪天候で雷跡の発見が遅れたのである。
      また「これほどの悪天候なら雷撃も出来まい」という油断があったともいうが、ベスゴのレーダー雷撃は「感心するほど正確だった」という。
    • なお、涼月が入渠している隣のドックでは、妹で後に僚艦となる冬月も同様に艦首をもがれて寝込んでいた。
      • 冬月も少し前の10月12日に霜月(未実装)と共に大淀を護衛して航行中に遠州灘で被雷し、艦首を折損するという被害を被ってドック入りしていた。その損傷具合は涼月と全く同じだったという。
    • 駆逐艦にとって一発轟沈でもおかしくない深手を2度も負いつつ、その度ごとに不死鳥のごとく甦った涼月。
      この頃から乗員たちの間では「本艦は決して沈まない」「涼月は不沈艦である」という噂が、誰言うともなしに囁かれるようになったという。
  • 涼月の不運はこれだけではなかった。期しくもこの日、米軍の大部隊がレイテ島に来襲し、湾口にあるスルアン島が占領され、これを機に所謂「レイテ沖海戦」が発生する。この海戦に艦首を失って修理中の涼月は参戦する事が出来ず、マリアナ沖海戦同様決戦に参加できずドックで過ごす羽目になってしまう。そしてこれが第61駆逐隊の姉妹達との最後の別れとなった。
    • この海戦で、第61駆逐隊は栗田艦隊に加わっていた第10戦隊とは別れ、本来の任務である空母機動部隊の防空任務のため小沢艦隊に所属、冬月の損傷で1隻だけとなっていた第41駆逐隊の妹、霜月を加えて第二駆逐連隊を臨時に編成した。10月25日、来襲した米艦載機と交戦する中、まず秋月が突如爆発し程なくして沈没*4、そして夕刻には竣工以来共に行動した初月が僚艦の漂流者を若月らと救助中に追撃してきた米巡洋艦部隊に捕捉されてしまい、仲間を救うためにこれを食い止めるべく単艦で立ち向かい、2時間もの間これを足止めするのに成功し自身は戦没。初月に助けられた若月も、涼月に再会する*5ことなく、続く11月11日の第三次多号作戦にて島風らと共に戦没。これにより涼月は同僚の姉妹を全て失い、隊自体も11月15日に解隊となってしまった。
      同日付で第三艦隊(第一機動艦隊)も解隊され、秋月型が守るべき空母機動部隊は消滅*6。空母機動部隊護衛のための駆逐艦部隊だった第十戦隊も、任務を失い同日解隊となった。

坊の岬海戦での死闘 Edit

  • 残された涼月は修理を終え、11月15日、9月に開隊されたばかりの、秋月型によって構成されたもう一つの駆逐隊である「第41駆逐隊」に編入される。
    • 開隊当初は妹の冬月、霜月(共に未実装)の2隻編成だったが、冬月が涼月と同様レイテ沖海戦前に被雷して戦線離脱していたので、海戦には霜月単独で参加し生還していた。
      しかし涼月編入の少し前に第31戦隊に異動し旗艦となったが、それから間もない11月25日に戦没。この時点で冬月1隻だけの駆逐隊となっていた。
  • こうして涼月は冬月と隊を構成し、第十戦隊の解隊により第二水雷戦隊に異動となる。11月21日にマニラに向かう空母隼鷹を護衛、その帰路には戦艦榛名も加わるが、12月9日に隼鷹が被雷する。
    その後は守るべき空母もなく瀬戸内海で訓練に明け暮れていたが、1945年3月末に米軍が沖縄に侵攻。沖縄戦が開始されるとともに、天一号作戦が発動した。
    これを受けて戦艦大和以下の残存艦艇による突入作戦が決定、涼月の第41駆逐隊もこれに参加する事になる。
    涼月は磯風や冬月たちと同様、煙突に菊水の紋を描き込んで坊ノ岬沖海戦に臨んだ。
    • 4月7日、戦闘は苛烈を極めた。涼月の全火砲は敵機群へ間断なく火を吐き、秋月型の対空戦闘力を見せつけるかのように奮戦した。
      涼月の左舷800m辺りで戦闘していた浜風は敵弾を受け、航行不能ののち火柱とともに真っ二つに切断。涼月が通過した時には、既に沈んでしまっていた。
    • この戦闘の途中、涼月は魚雷を「撃沈」している。他の艦に向けて発射されたものが向かってきたものと思われる。
      ハリネズミのように配置された機銃はこれを狙って猛射を浴びせ、見事沈めることに成功した。
    • だが、第一波の空襲が終わりに近づいたその時、涼月にも敵機2機が襲いかかる。艦爆から投下された150キロ爆弾が艦橋直前に命中、上甲板を貫通し艦内で炸裂した。
      この一撃は甚大な被害をもたらした。第1・第2主砲塔誘爆大破、電源途絶、通信不能、海図全焼、ジャイロコンパスも故障。船として失明・失聴も同然となった。
      また外板は大きく吹き飛んで巨大な破孔が空き、構造材が肋骨のごとく剥き出しとなり、さらには火炎が艦橋直下の重油タンクに引火、大火災が発生した。
      おまけに舵もテレグラフも壊れ、右旋回のまま迷走。同じく舵故障で迷走中の大和へ突進しあわや激突寸前、距離わずか50メートルでギリギリ回避している。
      • 大破しつつも残余の機銃と砲を狂ったように撃ちまくる中、突然機銃員たちが命令無くして引き金から手を離し、一斉に立ち上がった。
        中央部機銃群指揮官の掌砲長・黒仁田茂兵曹長は「こらーッ、なんしょっとかーッ!」と思わずお国訛りで怒鳴りつけかけて、ハッと気づいた。
        傷つき果てた大和が、今まさに横転しようとしていた。彼らは、沈みゆく大和へ挙手の敬礼を捧げていたのだった。
    • 大和沈没後*7、臨時の艦隊旗艦(第41駆逐隊司令・吉田正義大佐が指揮)となった冬月は「沖縄に突入しよう」と尚も沖縄突入を諦めなかった雪風の寺内正道艦長の上申を却下し、作戦中止を決断した。
      一方涼月でも、通信不能のためこの命令は受信できなかったものの、もはや戦闘不可能であることから単艦帰還を決断していた。
      この時、初霜はあさっての方角へよろめき動く涼月を発見し、後ろについて正しい針路を示し手助けしている。
      だが、この目撃証言を最後に、涼月の消息はふっつりと途絶えた。
      • 冬月から指揮権を引き継いだ初霜の二水戦司令部は、冬月に対し「涼月ヲ護衛シ至急佐世保ニ回航セヨ」と命令。
        と、同時に「状況ニ依リテハ涼月ヲ処分シテ差支ナシ」とも指示があったが、その肝心の涼月の行方は杳として知れなかった。
      • 冬月通信室では通信士・鹿士俊治中尉がかかりきりで「ワレ冬月、涼月何処二アリヤ」と繰り返し打電し続けている。
        位置を探知されることを心配した救助者たちが発信中止を申し入れても取り合わず、涼月の所在を問い続けた。しかし、反応はなかった。
        やむなく一縷の望みを託して発信先を切り替え、周辺各部隊へ片っ端から涼月の援護を要請している。
    • 一方涼月では、炎と海水との死闘が繰り広げられていた。前部大浸水のため前のめりに10度も傾き、舷側は水面からわずか数十センチ、前進すれば沈没必至である。
      そこで試行錯誤と微調整の末に、後進9ノットで走ることが決まった。
      少しでも前部浮力をつけるため、乗員は総がかりで前部弾薬庫の砲弾を捨て、重量物を後部へ移し、さらに排水しながら命の綱の隔壁を補強する。
      亀裂の入った重油タンクからは油が漏れ続け、火を消し止めたと思ってもすぐまた燃え上がり、火災はなかなか消えなかった。
      • 乗員いわく「落武者が松明を掲げたような」「カチカチ山」の状態。しかも低速後進で回避も何もできないとあって、乗員たちは敵潜水艦の襲撃を何よりも恐れた。
        そしてその夜ー4月8日午前1時頃、案の定見逃されなかったらしく雷撃を受けた。しかし3本の魚雷はすべて外れ、艦スレスレに通過していった。
        敵潜水艦も、まさか駆逐艦が海の真ん中で後進、しかも9ノットというノロノロ運転をしているとは思わなかったらしい。
    • 夜を徹しての必死の消火活動の末、さしもの重油の大火災も未明には完全消火に成功。
      朝の海上に待望の島影が見えた際には「九州西岸漁師出身者、後甲板」との珍命令が出され、「あれは五島列島」と断定した一等水兵は、指揮所壇上に祭り上げられたという。
      • さらに、索敵中の指宿航空隊の水偵が涼月を発見。
        次いで、漁船改造の特設掃海艇が涼月のもとに駆けつけ、手旗信号で「ワレ貴艦ノ側方ヲ護衛ス」と呼びかけてきた。
        乗員たちは小さな小さな漁船の健気な申し出に微苦笑するとともに、「これで助かった」と安堵し、大きく勇気づけられたという。
  • 悪戦苦闘一昼夜、漁船に付き添われた涼月は、よろめくように佐世保軍港へとたどり着いた。
    心配し続けていた冬月、雪風、初霜は一斉に祝福の汽笛を吹き鳴らし、乗員たちは上甲板に駆け上がって大歓声をあげた。佐世保海軍工廠もまたサイレンを鳴らして奇跡の帰還を祝った。
    涼月の上甲板にも手空きの乗員たちが整列、軍歌『艦船勤務』を大合唱してこの歓呼の声に応えた。
    • しかし既に涼月は限界だった。武藏用に造られた大ドック*8に入ろうと前進をかけた途端、急速に喫水が深くなりだした。
      急遽タグボート3隻が全速で駆けつけ、抱え込むようにドックへ引きずり込んだ。だが涼月はドックの排水完了まで持ちこたえることが出来ず、そのまま崩れ落ちるようにドック内で着底してしまった。
      砲術長・倉橋友二郎大尉*9は後年、吉田俊雄の取材に対し、目を潤ませながらこう語ったという。

      感動しました。われわれも頑張ったが、フネも頑張ってくれたんです。フネも生きているんです。われわれの仲間なんです。

      われわれ駆逐艦乗りにとって、フネと人は一体なんです。

      やったなあ、涼月。すごかったぞ。

      水が掻い出されたあと、私は、ドックの底に降りていって、フネの横腹を手で叩きました。

      下士官が四、五人、同じようなことをやっていました。きっと、私と同じことを言っていたのでしょう……

  • また、前述の冬月通信士・鹿士中尉もこう回想している。

    それはマラソン選手のゴールインに似ていました。まさに涼月は死力を尽くして戦ったのです。

    周りの士官たちも、目を赤くしてましてねえ……

  • やがて排水が終わり、艦内各部へ損傷状態の調査が入る中、内部から固く閉ざされた一室が前方区画、弾薬通路付近で発見された。
    室内は厳重に補強されて水密が完全に保たれ、そして傍らに3名の遺体があった。2名は酸欠死し、1名は短刀で自決していた。
    後の調査で、前方のこの区画が密閉され浮力を確保していたからこそ涼月は浮いていられたのであり、ここが浸水していたら艦首から沈んでいた可能性が高かった事が判明している。
    「いかなる堅艦快艇も 人の力によりてこそ その精鋭を保ちつつ 強敵風波にあたり得れ」
    「水漬く屍と潔く いのちを君に捧げんの こころ誰かは劣るべき つとめは重し身は軽し」
    3名は、上甲板で皆が合唱していた『艦船勤務』の歌詞そのままに、自ら退路を断ち切って涼月と仲間たちを守り抜いていたのだった。
    • こういった乗員たちの決死の貢献はこれだけではなかった。
      被弾により漏れた重油の火災は機関室まで及び、3つの機関室のうち2つが滅茶苦茶に破壊され、残り1つも火炎と海水が押し寄せたが、応急員の決死の努力で缶の爆発と浸水の悪化を防ぐことに成功した。しかしその応急員は角材を隔壁に押し当てた状態で黒焦げとなっていた。
      浸水した水測室では、水中探信儀配置の兵が戦闘配置の状態でハンドルに手をかけたまま事切れていた。
      この戦闘で涼月は57名の戦死者と34名の負傷者を出した。こういった文字通り生命をかけた乗員の奮闘が、涼月を奇跡的に故国へ生還させたのである。
  • 黒井緑作の短編漫画作品集『ユトランド沖海戦』に収録された「涼月戦記」において坊ノ岬沖海戦での涼月の戦いが描かれている。

終戦、そして防波堤へ Edit

  • 帰還は果たしたものの、日本には一駆逐艦を修理する余裕すらすでに無く、そして修理できたとしても、動くための燃料も、彼女が守るべき艦隊ももはや存在しなかった。
    巨大な破孔は補強しただけで塞がれず、繋留中沈まない程度の最低限の応急修理が施され、前部の1・2番砲塔や機銃群も撤去された。
    • 痛々しい姿のまま、佐世保西部の相浦に係留され防空砲台として使用され、7月には第四予備艦に指定された。
      かつて500名近くいた乗員は100名まで削減され、機関も火を落としたままであった。
      電力は陸上からの給電で賄い、乗員たちは農耕隊と漁労隊に分かれ畑作りや借りた漁船での漁など、自給自足でほそぼそと暮らしていたという。
      だが航行不能で武装は後部砲塔のみ、しかも高射装置も不動という状態でも来襲した敵機へ果敢に応戦し、P-51戦闘機1機を撃墜している。
  • 終戦後、彼女は損傷があまりに激しいため修復を断念され、復員輸送には従事できなかった。1945年11月20日除籍。
  • 1948年4月から5月にかけて上部構造物を解体撤去された涼月には、福岡県若松港の防波堤という新たな任務が与えられた。
    冬月、そして旧式で練習船になっていた桃型駆逐艦柳とともに土砂や岩石を詰め込まれ、さらにコンクリートで周囲を固められ沈設、その波乱の生涯を終えた。
    • 戦後復興が進み余裕が出てくると、彼女たちは往年の駆逐艦の面影を偲ぶ観光名所として、また絶好の釣り場所として人気者になった。
      艦内の大半は土砂に埋まっているとはいえ、艦首楼の兵員居住区などはかつての姿を留め、各室のネームプレートなどもそのままだったという。
    • しかし金属泥棒が後を絶たず、また年月の経過とともに船体の腐食劣化も進み、さらには台風被害なども加わって、急速に崩壊が進んでいった。
      1961年、ついに彼女たちはコンクリートで完全に覆われた。現在は柳の船体だけが僅かに顔を出し、軍艦防波堤であることを示している。
      涼月と冬月は、もはや永遠に沈まない本当の不沈艦として、今もなおコンクリートの下で頭を寄せ合い、静かに眠りについている。
      • 軍艦防波堤を望む高塔山の中腹には、昭和51年、冬月、涼月、柳の戦没者合同慰霊碑が建立された。
        そこにはこのように刻まれている。
        「今日の日本の平和と繁栄はあなた方の尊い犠牲の上に築かれたものでありまして 私達は決して忘れはいたしません
         又あなた方と生死を共に戦った三艦は奇跡の生還を果たして当港の防波堤となり 戦後の復興に大きな貢献をしております
         そしてあなた方の魂と共に永くその使命を完うすることでありましょう  御霊よ安らかに」
  • 呉の長迫公園に建立されている「巡洋艦阿賀野慰霊碑」には、彼女が旗艦を務めた第十戦隊の編成表が刻まれ、慰霊碑を守るように囲む欄干にも所属駆逐艦16隻の名が刻まれており、その中には涼月の名もある。
    その16隻とは第4第16第17、そして第61であり、実は涼月の実装でこのメンバーが勢揃いしている。
  • 涼月は姉妹艦12隻の中で、最も長命でかつ3度の大損害から生還するという幸運に恵まれた艦だった。一方でマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦という戦争後半の大海戦に参加できず、本格的な海戦参加は坊ノ岬沖海戦で、そこで大破し奇跡の生還を遂げたが、そのまま終戦を迎えるなど、武勲には恵まれなかった。
    その名は戦後は2代目あきづき型護衛艦で再度使用されており、初代と同様3番艦(DD-117)、かつ、姉は「あきづき」(DD-115)「てるづき」(DD-116)、そして妹は「ふゆづき」(DD-118)である。ニックネームは「Sailor Moon
    • 2016年7月10日~2017年1月12日の派遣海賊対処行動第25次水上部隊にDD-105いなづまと共にソマリア沖で活躍した。
  • 『軍艦防波堤へ―駆逐艦凉月と僕の昭和二〇年四月』*10という小説がある。著者澤章氏は最後の艦長・平山敏夫中佐の外孫(一人娘の子)である。

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過去ログ

最新の30件を表示しています。 コメントページを参照

  • 水着涼月を見て、久々に「マブい」という言葉が脳裏をよぎった -- 2018-08-17 (金) 23:22:58
  • サンオイル塗ったり、浜辺で一緒に南瓜割りをしたい人生だった -- 2018-08-17 (金) 23:53:16
    • 〇〇〇「このかぼちゃ…かてぇ!!」 -- 2018-08-20 (月) 18:19:42
      • そのかぼちゃ、コンクリートやぞ -- 2018-08-24 (金) 11:38:10
  • わかってたけどでかい -- 2018-08-18 (土) 00:13:41
    • 私はわかってなかった……誰に指輪700円払うかで、秋月Lv158の次の防空駆逐艦枠として、2番艦はスケベボディ担当だからと照月を選んだのは失敗だった。 -- 2018-08-18 (土) 00:46:32
      • 確かにお前はわかってない。両方に指輪を渡せば済む話だ。指輪を渡したのを後悔するなぞ言語道断。 -- 2018-08-18 (土) 00:51:30
      • 照月よりでかいですよね・・・ 比較の為に照月にも水着を! -- 2018-08-18 (土) 03:43:34
      • 実装された秋月型全員に渡せばいいんだよ -- 2018-09-18 (火) 07:18:57
    • 三番艦もスケベボディ -- 2018-09-08 (土) 12:39:28
  • 改めて思う、顔も身体も美しいなあ。あの水着は自分で選んだんだろうか -- 2018-08-18 (土) 01:01:12
    • 良い趣味してるよ -- 2018-10-04 (木) 17:46:38
  • F提督「(限定グラ実装を)・・・やれ。」 -- 2018-08-18 (土) 01:05:33
  • ぬおお…母港でつついて遊んでたら興奮のあまり鼻血出た。フィクションの中の出来事だとばかり思っていたが現実にこんなことあるのか… -- 2018-08-18 (土) 03:39:18
  • しかし、お涼さんの萌え袖は狙ったものなのか天然のものなのか・・・性格的には恐らく後者か -- 2018-08-18 (土) 12:53:12
  • これから毎日水着を着ようぜ? -- 2018-08-18 (土) 18:55:15
    • 俺?いいよ、付き合うよ。競泳パンツで良いかな? -- 2018-08-21 (火) 08:13:47
  • 水着modeについて追記しました -- 2018-08-18 (土) 23:54:52
  • 勝負下・・・いやなんでもない -- 2018-08-19 (日) 03:44:24
  • 水着modeのケッコンムービー見ると長10cm砲ちゃんがアップで滅茶苦茶睨んでくる…。 -- 2018-08-19 (日) 10:19:26
    • 「長10cm砲ちゃん、涼月とケッコンさせてください!」「お前のようなどこの馬の骨かわからん提督に涼月を渡せるか!」 -- 2018-08-19 (日) 10:30:50
      • 初代破壊大帝様のボイスで脳内再生されたじゃねえか、畜生!w -- 2018-08-23 (木) 10:35:28
    • 長10cm砲ちゃん「神様にお祈りは? 小便は済ませたか? 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする心の準備はOK?」 -- 2018-10-06 (土) 03:32:40
  • 夏ボイスの「えっ?そっち?」がイラストを見て理解できた気がする -- 2018-08-20 (月) 15:05:21
  • 「激闘駆逐艦隊: 萩風・凉月の奮戦記 (河出文庫) 」おすすめです。著者は萩風、涼月の砲術長だった倉橋友二郎さんです。 -- 2018-08-20 (月) 17:57:10
  • お前のような…お前のような駆逐が居てたまるか…!(鼻血を必死に抑えながら -- 2018-08-20 (月) 20:34:07
  • 今さっき  大破してたの気が付かなかった  ごめん  ごめん -- 2018-08-21 (火) 21:23:52
  • Q. いない艦を呼ぶ病はいつ治りますか? -- 2018-08-23 (木) 10:00:39
  • みんな水着涼月の中破見た?こんな目で見られたら、襲ってしまうよね -- 2018-08-26 (日) 19:24:40
    • 長10cm砲ちゃん「目標視認。誤差修正…測的完了。いつでも撃てます」 -- 2018-08-27 (月) 11:03:12
      • 構わん、殺れ -- 2018-08-28 (火) 18:12:17
  • MMDモデルが公開されたね。待ってた。うん、可愛い。 -- 2018-09-03 (月) 18:51:04
  • お冬さんも揃えてあげたいけれど、実装はまだっすか… -- 2018-09-12 (水) 21:19:48
  • まさか水着グラ実装しといて初秋イベでドロップなし・・・? -- 2018-09-13 (木) 19:42:51
  • 運営さんも獲得できんかったイベント限定ドロップ艦をもーちょい獲得させてくれんかなぁ…いつになったら凉月さんに会えるんかのうー… -- 2018-09-14 (金) 17:14:52
  • 涼月、自分が持ってないだけに、演習相手が旗艦にしてるとグラ見てるだけでムラムラしてしまうなww 羨ましい限りだ -- 2018-09-19 (水) 15:13:21
    • 何処かで御迎えして自分だけの嫁さんにできるといいな提督よ -- 2018-10-01 (月) 12:58:42
  • 夏まっさりボイスってどういう状況なんだ?そっちとはどっちのことだ -- 2018-09-20 (木) 21:42:43
  • やはり今回は落ちないのか・・・ -- 2018-09-22 (土) 00:12:30
  • 親しみを込めてお涼さんと呼んでる。…ログを見る限り自分だけじゃないんだなw -- 2018-09-23 (日) 02:38:50
  • イベント完走して久しぶりに旗艦でお姿拝見。やはり最高に別嬪さんだなー -- 2018-09-26 (水) 20:51:05
  • 次こそはお冬さんくるといいねぇ -- 2018-10-10 (水) 14:11:53
  • やっーーーと秋月砲を改修できるようになったか!よかった!(初秋イベでお初さんと邂逅したからもうそこまで関係のない話ではあるけど) -- 2018-10-26 (金) 20:05:28
    • 秋月砲の上位版実装を待ってるのかと思ってた。 -- 2018-10-26 (金) 20:09:59
    • お待たせしました! -- 2018-10-26 (金) 23:12:31
  • 秋月砲の改修が可能になったことを追記しました。 -- 2018-10-26 (金) 21:08:03
  • 涼月しか秋月型いなかったから改修可能になったのは凄く助かる -- 2018-10-29 (月) 17:56:56
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 年末に修理のため帰還していたが、修理が終わりトラック諸島に向かう瑞鶴の護衛で出撃して1月4日にトラック諸島に到着していた。
*2 日本郵船所有の貨物船で特設巡洋艦として徴用されていたが、輸送任務もこなしていた
*3 士官の最上級者は掌機長の機関特務中尉となる。
*4 沈没原因については諸説あるが、状況としては艦中央部が突如爆発し機関部が壊滅、そのまま沈んでいった
*5 奄美大島まで帰還していたが、そこで大淀らと共にフィリピンに引き返した
*6 レイテ沖海戦後の残存空母は第一航空戦隊に集められ、第三艦隊廃止後は連合艦隊付属(後に戦艦大和も編入されて第二艦隊司令部直属)という形でしばらくの間残されたが、機動部隊としては使われることなく、1945年2月に第601航空隊を母艦航空隊から基地航空隊に改編されて翼を失い、坊の岬沖での壊滅により第二艦隊が解隊された4月20日に一航戦自体も廃止された。
*7 第2艦隊司令長官・伊藤整一中将は大和と運命を共にして戦死、同参謀長・森下信衛少将と、矢矧に座乗していた第2水雷戦隊司令官・古村啓蔵少将はこのとき漂流中
*8 佐世保工廠では「損傷した大和が入港する」と言われて最大のドックを用意していた。そこに半スクラップのようになった涼月が尻を向けながらヨロヨロ現れたので、工廠関係者一同はぽかんとしたという。
*9 『壮烈!水雷戦隊』作中では仮名で鴫之沢砲術長となっている。
*10 栄光出版社、ISBN 4754101243