早霜

Last-modified: 2021-05-07 (金) 23:08:58
No.209
早霜(はやしも)夕雲型 17番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久16火力10 / 30
装甲6 / 19雷装24 / 69
回避47 / 80対空9 / 39
搭載0対潜27 / 52
速力高速索敵6 / 19
射程11 / 49
最大消費量
燃料15弾薬20
装備
12.7cm連装砲
25mm連装機銃
装備不可
装備不可
改造チャート
早霜早霜改(Lv30)
図鑑説明
夕雲型駆逐艦、その十七番目、早霜です。
舞鶴海軍工廠生まれ。だいぶ押し迫ったころに生まれました。
レイテ沖海戦にリンガ泊地から出撃して…色々な光景を見ました。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:金元寿子、イラストレーター:藤川 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

セリフCV:金元寿子、イラストレーター:藤川
入手/ログインまた…来てしまったのね、この海に。夕雲型駆逐艦、早霜…着任しました。
母港/詳細閲覧ごめんなさいね。行きましょうか
ふっ…うん。この景色変わらないわね
司令官?構ってくれるなんて優しいのね
母港/詳細閲覧(梅雨)司令官。あの……たまには、一緒に……ぅ、いえ……ぅ……
ケッコンカッコカリ(反転)司令官に出会えて、私…良かったと思っている。だから、このままで十分。え、これを…本気で? 私、変われるかしら?
ケッコン後母港(反転)司令官。あなたも少し、働き過ぎだと思う。あの…たまには、いっしょに…うっ…いえ…うぅ
編成早霜、抜錨します
出撃早霜、抜錨します
捷一号作戦?何だ違うのか
遠征選択時見ています
アイテム発見見ています
開戦私とやる気なの?いいわ、お相手します
航空戦開始時
夜戦開始夜か…ふふっ、突っ込んでみる?
攻撃私とやる気なの?いいわ、お相手します
ふんっ…馬鹿みたい
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃しつこいわね
小破あぁ!?艦首が!
痛っ…なに…今度は煙突なの
中破/大破これじゃどうしようもないわね。どこかにいい浅瀬は無いかしら
勝利MVPこんな私に祝福をくれるというの?司令官、いい人なのね。フフ…ウフフフ
旗艦大破痛っ…なに…今度は煙突なの
帰投艦隊が戻ったわ。ふっ…ふふふ。戻りました
補給ありがとうございます。お礼を
改装/改修/改造強く…強くなれば変わるの?
那智さんの水偵…いいなあ
見ています
入渠(小破以下)ふふっ、心配性なのね
入渠(中破以上)しくじってしまったわ。ごめんなさいね
建造完了戦力は必要ね…また…増えたわ
戦績表示司令官、データを見る?そう…
轟沈(反転)目の前で…みんなが…どうしたら。待って…待って…私も逝くわ
時報
放置時私はこうして…いつも見てるだけ。見ています…いつでも…いつまでも

ゲームにおいて

  • なんとも微妙な運は「救助に来た艦が次々と沈むところを見せられる」と「沈没を確認されていない」を差し引きしたものか。
  • 実装からしばらくの間は春雨清霜秋月と同様の中破グラフィックに関する不具合があったが、2014年12月12日アップデートで修正された。*1

期間限定グラフィック

  • 2016年6月1日のアップデートにおいて、初の限定グラフィックとして梅雨限定バージョンの母港グラフィックが実装された。
    例によって梅雨グラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのままである。
    限定期間終了後に図鑑に格納された。

    限定グラフィック:梅雨限定mode

    限定グラフィック:梅雨限定mode

  • 2018年2月17日、冬イベント開始と同時に、【エンガノ岬決戦】差分modeが実装された。
    通常の立ち絵は他の限定グラフィック同様、冬イベント終了後に図鑑に格納されたものの、
    通例は併せて格納されるはずの、カード状態に加工されたイラスト及び中破立ち絵は何故か図鑑に格納されていない。
  • 2020年2月7日、主砲をチョコに持ち替えたバレンタイン差分modeが実装された。

    限定グラフィック:バレンタイン差分mode

    限定グラフィック:バレンタイン差分mode

小ネタ

  • 「早霜」とは、朝早く降りる霜、もしくは秋早く降りる霜のこと。
  • 1942年度(マル急計画)仮称第345号艦として舞鶴海軍工廠で1943年1月20日に起工、1944年2月20日に竣工。
    第十一水雷戦隊で乗員の訓練を受け、5月10日にタウイタウイに向け出航。
    この時期にはもはや駆逐艦へも十分な訓練を施すだけの油がなく、わずか3ヶ月弱という凄まじい詰め込み訓練だった。
    • 1944年2月当時は、第十一水雷戦隊は龍田が旗艦を務めを除く第六駆逐も所属していたが、早霜所属から間もない間に龍田・雷・電が立て続けに戦没してしまった。
  • タウイタウイでは飛鷹隼鷹龍鳳らの警戒艦となる。
    いまだ技量未熟ながら、いきなり泊地周辺の対潜掃討などに投入されている。実戦をそのまま訓練としていたのである。
  • 6月19日のマリアナ沖海戦では乙部隊に合流し作戦に参加。初陣ながら2機を立て続けに撃墜している。
    そして大火災を起こし総員退艦命令が出された飛鷹の乗員たちを救助した。
  • その後呉に戻り、25mm単装機銃や25mm連装機銃などの対空兵装を大幅追加。
    7月1日に第五戦隊を護衛しリンガ泊地に到着。
  • 8月15日、秋霜清霜とともに第二駆逐隊*2を編成し、第二艦隊・第二水雷戦隊に編入された。
  • 10月24日からのレイテ沖海戦に栗田艦隊に属して参加。それに先立つ21日、士官を集めての最終打ち合わせの際、
    航海長が「必勝を期して乾杯しましょう」と提案し、とっておきのシャンパンを持ちだした。
    ところが栓を開ける際、誤って瓶を落とし割ってしまった。全員顔をしかめ、内心先行きの不吉さを感じたという。
  • そして25日、サマール沖海戦参加中に至近弾を浴びて損傷。
    転輪羅針儀が破壊され、舷側に無数の破孔が空き、しかも燃料タンクに海水が流れ込んでしまった。
    燃料と海水を分離するためには、ドラム缶に燃料を汲み取った上で揺らさないよう12ノットの低速で走りつつ分離を待ち、
    柄杓で上澄みを掬う方法しかなく、しびれを切らした旗艦能代はコロン島への単独回航を命じた。
  • 10月26日、必死に燃料分離作業を続けながら回航中、ついに敵機に発見され、波状攻撃を受けることとなった。
    この時、艦長平山敏夫中佐*3雪風那珂の例と同じく、艦橋の天蓋から身を乗り出し、航海長の肩を蹴飛ばすという戦車のような操艦で爆撃を回避。
    さらに艦首を風上に向けることにより豪快な艦首波を発生させ、12ノットをあたかも20ノットで走っているように見せかけて敵機の照準を狂わせるという奇策で回避を成功させている。
    • しかし、集中攻撃の連続に、ついに1本の魚雷を避けきることができず、1番砲塔下に命中。艦首が吹き飛ばされ、行脚が止まってしまった。
      動けなくなった早霜へは機銃掃射が集中して叩き込まれ、機銃員に死傷者が続出する。
      しかし早霜乗員たちはそれにめげず、機関兵までが飛び出してきて機銃を撃ちまくっていたという。
      ついには平山艦長も負傷したため、駆逐隊司令の白石大佐が代わって指揮を執り、沈没を防ぐためセミララ島の浅瀬へ微速でのし上げ、擱座した。
      • 早霜の母港(本籍)は横須賀。そのため乗員はほとんどが東京、茨城、千葉、栃木、神奈川といった関東人で占められ、血の気が多かった。
        上半身裸で背中の彫り物を剥き出しにし、「ベラボウめ、負けてたまるかッ!」と雄叫び狂いながら引き金を引くさまは壮観だったという。
  • その後早霜は、栗田艦隊から大きく離脱し単艦行動を取っていた沖波に発見され、横付けで燃料補給を受けた。この最中、同じく救援に来た藤波が2艦の目の前で空襲を受け沈没、その姿を目の当たりにしている。藤波では同艦が前日救助していた鳥海乗員もろとも全滅した。
    燃料補給を行っていた沖波にも空襲が迫ってきたため、沖波はやむなく補給を打ち切り、反転して早霜の元から退避した。
  • しかしその翌日、今度は鬼怒の救援に向かっていた不知火が早霜を発見、救助のため接近してきた。
    接近する味方駆逐艦の姿を認めた早霜は、昨日の藤波轟沈を思い出したか、「ワレ早霜、敵襲ノ恐レアリ、来ルナ」と信号を送ったが、不知火はそれに構わず沖合1,000メートルに停止し、救助のカッターを下ろし始めた。
    だが早霜の悪い予感は的中した。作業を始めた直後、案の定敵機が来襲したのである。不知火は急いで離脱を図ったものの、速力が上がらないままに艦中央部へ爆弾が直撃。
    爆発と同時に大火柱が噴き上がり、全艦猛火に包まれつつ真っ二つに折れて轟沈するという凄惨な最期を遂げた。
    余りに凄まじい爆沈であったためか、第十八駆逐隊司令、艦長以下乗組員全員が脱出する暇もなく戦死を遂げた。*4
    動けない早霜は、その光景をただ見つめるほかなかった。
    • その後、那智から発艦した水上偵察機が早霜を発見し着水。乗員から両艦の最期を聞き取っている。
      乗員たちは陸上に2週間ほど放置されたのち、派遣された救助船によって生還した。
    • 生存者のうち、残留員の田口大尉以下30名はセミララ島部隊を編成、米軍上陸後にマニラを目指したものの、途中で現地民ゲリラと交戦し1名を残して全滅した。この1名もマニラへ辿り着いたことははっきりしているが、その後は消息不明となっている。
    • また『海軍陸上部隊兵力表』によれば、せっかく救助船で生還した残りの乗員たちも、負傷や転勤で内地後送になった一部を除き、
      うち167名が最上木曾熊野初春若葉などのフィリピン方面沈没艦船生還者たちと同じくマニラ方面陸上部隊に編入。
      おそらくはそのまま徒手空拳に近い状態で*5地獄のマニラ市街戦に巻き込まれ、殆ど全員が為す術なく玉砕していったものと思われる。
  • 幾度もの空襲によって早霜の船体は蜂の巣と化し、再起不能の廃艦となってしまっていたため、放棄が決定。
    軍艦旗と暗号書類を焼き、船体はその場に置いて行かれた。
    主砲弾も機銃弾も全弾を撃ち尽くし、魚雷も誘爆を防ぐため投棄していた早霜は、もはや自爆することすら叶わなかったのである。
    打ち捨てられた早霜の船体はのちに米軍が捕獲し調査しているが、その後どうなったかは定かではない。
    • 一部資料によると、擱座した日本駆逐艦を米駆逐艦ウォーカーが完全破壊したとされている。何故かこれを沈没したはずの若葉としていることもある。当然早霜と若葉ではサイズが全く違う。
  • 助けに来た艦が次々と目の前で爆沈・乗組員全滅の地獄を見たせいだろうか、薄幸な霊感少女のような外見と口調。
    それでも提督(二人称:司令官)に対して一定以上の信頼は持っているらしい。
  • 早霜改での時報や家具『鎮守府カウンターバー』を見ると真夜中でも提督にお酌してる事が分かる。ちなみにウイスキー派。
    • そんな夜更けまで酒を出している駆逐艦は希少で、他は村雨(ワイン派)と朝霜(全部開ける派)のみ。
    • 公式4コマではカウンターバーのバーテンダーもやっているという設定。
      • 単行本5巻裏表紙では妙高型姉妹の相手をしており、やたらと長身のように見える*6ため、
        「娘Type」2016年4月号に収録された夕雲型ピンナップで、夕雲型の中でも小柄な事にギャップを感じた提督もいたかもしれないが、
        実際は4コマ版早霜は木箱の上に乗っているので身長が高く見えるだけで別に4コマ版が長身というわけではない。
        そんなはずはないと思う提督は、単行本5巻につけっぱなしになっているであろう帯を外してみよう。
        カウンターバーのお手伝いをしている清霜も見られるぞ!

戦歴

折りたたみ

  • 1941年度戦時建造計画にて、甲型一等駆逐艦第345号艦の仮称を与えられて建造が決定。1943年1月20日、舞鶴工廠で起工。7月31日に早霜と命名され、同年10月20日に進水。1944年2月20日に竣工した。艦長に荒井靖男中佐が着任し、横須賀鎮守府に編入。訓練部隊の第11水雷戦隊に配属された。2月22日に呉へと回航。瀬戸内海西部で訓練に従事。
     
  • 3月15日、伊勢とともに柱島を出発、徳山で燃料を満載したのち呉に回航。3月17日午後12時12分に柱島へ戻った。3月22日午前8時、呉を出発して佐賀関に移動。龍鳳と合流して護衛開始。3月23日、龍鳳とともに佐賀関を出発。対潜警戒を行いながら鹿児島と伊勢湾を経由し、3月26日に呉へ到着。すぐに補給を済ませ、2日後に出港。就役したばかりの大鳳を護衛すべく、豊後水道外150海里付近までの範囲を警戒。3月29日14時30分に瀬戸内海西部に帰投した。4月11日から第2航空戦隊の訓練に協力し、4月13日には隼鷹を相手に曳航訓練を実施。翌日呉に入港し、整備を行った。4月21日18時、柱島を出発。豊後水道外にて戦艦大和と合流し、大和艦長の指示を受けながら横須賀回航を支援。4月23日午後に到着した。5月2日に横須賀を出発。翌3日に岩国到着。現地で龍鳳と合流し、徳山で燃料補給。あ号作戦発令に伴い、5月8日に艦隊の集結地となっている佐伯湾に回航された。5月10日の聯合艦隊電令作第82号により、機動部隊に編入された。5月11日午前11時、隼鷹龍鳳飛鷹武蔵瑞鳳千歳千代田などの有力艦とともに出撃。九州の東岸を南下し、翌12日に中城湾に寄航。燃料補給を受けて午後遅くに出発した。台湾東方海域で霧が発生し、僚艦の位置が把握しづらくなる。そこへ武蔵から潜水艦警報を知らせる「赤、赤」の信号が出された。緊迫したが、敵襲は無かった。セレベス海やフィリピン近海には大量の敵潜が跳梁跋扈していたが、何事も無く5月16日19時28分にタウイタウイ泊地に入港した。
  • 5月19日、春雨とともに対潜掃討に向かう。6月8日、北上丸から食糧品の補給を受ける。タウイタウイ泊地は敵の潜水艦に包囲されており、味方空母の洋上訓練を妨げていた。6月9日、湾外に敵潜が発見されたため、谷風島風磯風とともに対潜掃討に向かう。この哨戒で谷風が眼前で沈められた。早霜は僚艦とともに谷風の生存者を救助した。6月10日午前7時、洋上で訓練中の大鳳と合流し、護衛。正午頃に泊地へと戻った。6月13日17時、小沢治三郎中将率いる機動部隊の一員として出撃。龍鳳隼鷹飛鷹を基幹とした乙部隊に編入されたようだが、判然としない。6月17日午前2時30分、清陽丸から燃料補給を受ける。
     
  • 6月19日、マリアナ沖海戦に参加。16時40分、瑞鶴所属の天山が戻ってきたが、着艦できずに不時着水。搭乗員は早霜が救助した。翌20日17時、200機に及ぶ敵機の群れが小沢艦隊に襲い掛かる。早霜は空母や長門を守って戦うが隼鷹が中破、飛鷹が大破航行不能に陥る。19時32分、飛鷹が沈没。早霜は16名の将校と216名の生存者を救助した。虎の子の大型空母3隻と航空機400機以上を失った小沢艦隊は沖縄への退避を開始する。6月21日午前6時30分、追撃してきた敵機2機と交戦し、2機とも撃墜した。反攻のため一部の戦力をギマラスに残す事とし、午前7時17分に遊撃部隊はギマラス泊地への回航を命じられた。午前9時5分に本隊と分離。浜風時雨満潮、秋霜とともにギマラス泊地に向かった。しかし、あ号作戦が中止となったため沖縄に回航。6月23日午前9時5分、中城湾に到着。燃料補給を受け、14時30分に出港。翌24日21時20分に瀬戸内海西部に到着した。
     
  • 7月1日、秋霜とともに妙高羽黒を護衛して呉を出発。マニラとサンボアンガを経由し、シンガポールに陸軍部隊を輸送した。続いてリンガ泊地へと回航。8月15日、清霜、秋霜とともに第2駆逐隊を新編。10月14日16時、秋霜とシンガポールを出発。南西方面艦隊からの命令で、第31軍の司令部をマニラからサイゴンに輸送。帰路の10月17日20時5分、レイテ湾に敵の大群が襲来。栗田健男中将からブルネイに向かうよう指示されたが、何故かすぐには受信できなかった。翌18日午前8時、マニラ湾沖に到着するも、マニラは空襲の真っ只中にあったため湾外で待機。午前10時30分、ブルネイ回航指示がようやく届き、マニラへの入港を取りやめてボルネオ方面に向かった。10月19日午前11時、敵潜ダーターとデースの襲撃を受ける。4本の魚雷が伸びてきたが回避に成功。ちなみにダーターは吹雪型駆逐艦と認識していた。そして10月20日午前9時30分にブルネイへ到着し、戦艦大和から燃料補給を受ける。10月23日、31隻の艦艇とブルネイを出撃。早霜は主力の栗田艦隊に所属し、敵が上陸中のレイテ湾を目指す。ところが早朝、パラワン水道にて敵潜水艦の襲撃を受ける。襲撃者は以前早霜を襲ったダーターとデースだった。この襲撃で高雄は大破し、摩耶と旗艦愛宕は沈没した。13時5分、早霜は潜水艦を探知して爆雷を投下している。パラワン水道を抜けた後は、不気味なほど静かな航海となった。太陽が落ちると、黄金色の月が海を照らして幻想的な風景を作り上げた。
     
  • 10月24日午前、ミンドロ島を左側に望みながらタブラス海峡に入った。午前10時15分、B-24爆撃機が出現。艦隊は22ノットに増速するも、敵機は攻撃せずに去っていった。シブヤン海に差し掛かった頃、右舷方向から無数の敵機が殺到。シブヤン海海戦が生起する。5回に及ぶ大空襲の中、早霜は3機の敵機を撃墜して生き延びた。250機以上から攻撃を受けた栗田艦隊は沈没や落伍が相次ぎ、戦闘可能な艦艇は23隻にまで減少していた。どの艦艇も傷だらけだったが、レイテ湾への進撃を続行。小沢艦隊の囮作戦が成功し、サンベルナルジノ海峡に敵影は無かった。23時30分に海峡へ突入し、翌25日午前0時35分に突破した。
  • 10月25日午前5時48分、4機の偵察機が出現。長門が発砲して追い払っている。その10分後、敵の小規模な空母部隊「タフィ3」を発見。サマール沖海戦が生起する。海戦の末、護衛空母ガンビア・ベイ、駆逐艦サミュエル・B・ロバーツ、ホエール、ジョンストンを撃沈。しかし重巡鈴谷筑摩、駆逐艦藤波と野分がやられた。午前10時35分に進撃を再開するも、午後12時40分に敵機約40機が襲来。13時23分、早霜は1発の至近弾を受けて燃料タンクが破損。30mの破孔から海水が流入し、航行不能となって艦隊から落伍。応急修理に取り掛かるが、16時40分に機銃掃射と至近弾を受け、通信機とジャイロコンパスを破壊される。17時6分に再度爆撃を受けたが、自力航行可能な状態まで回復。救援に来た秋霜とともに移動を開始し、栗田艦隊のもとへと走る。来た道を引き返し、サンベルナルジノ海峡を通過。
  • 10月26日午前7時50分、ダブラス島西方で本隊を視認する。しかし早霜の燃料は7トンに減少しており、12ノットまでしか出せない。しかも護衛の秋霜は本隊に呼び戻され、早霜は広い洋上で一人ぼっちになる。午前10時、燃料が5トンに減少。とりあえず避難所に指定されているコロン島を目指す事とし、よろよろと移動を開始。誘爆を防ぐため、魚雷の弾頭を投棄。しかし道中の午前10時45分、敵艦上機から空襲を受ける。魚雷1本と至近弾十数発を受ける。第1砲塔前方が切断され、そこにいた人員全員が戦死。艦首を大きく破損したが航行自体は可能だった。だが燃料に海水が混じり、再び航行不能に陥る。午前11時18分、鈴谷の生存者を乗せた駆逐艦沖波がセミララー島西方で早霜が漂流しているのを発見。早霜は発光信号で燃料が5トンしか無い事を知らせると、沖波が接近してきた。燃料を分けてくれる気らしい。沖波に横付けされ、燃料補給を受ける。ところが14時40分、敵機の襲来で給油中止。空襲後、無線が使えない事を沖波に伝えると、救援を呼ぶためコロン島に向かっていった。この時までに何とか15トンまで燃料を補給。しかし航海をするには更なる燃料と護衛が必要だった。ゆえにセミララ島で留まざるを得なかった。
  • 10月27日午前2時35分、コロンに停泊している浜波は藤波に早霜のもとへ燃料補給しに行くよう命令。午前6時45分、セミララ島方面で敵機の執拗な空襲が始まる。身動きが取れない早霜に多数の爆弾が投下され、直撃こそ無かったものの至近弾を受け続けた。沈没を避けるため、やむなく艦尾から擱座した。やがて藤波が到着し支援を試みたが、船体中央部に直撃弾を喰らって午前9時20分に沈没。残された早霜に攻撃が集中し、機銃掃射が激しかったゆえに救命艇を派遣できなかった。その後、鬼怒浦波の救援から戻ってきた不知火が偶然前を通りがかる。早霜の窮状を察した不知火は空襲下にあったにも関わらず勇敢にも救助しようとした。だが間もなく敵機が襲来し、急降下爆撃によって13時30分頃に沈められた。決死の反撃で敵機1機を撃墜し、何とか一矢報いた。日没後、数々の至近弾により操舵不能となり、操舵室が浸水。機関後進をかけて更に船体を座礁させると、機関室から出火。とうとう身動きが取れなくなった。
     
  • 10月28日、早霜の船体はガッシリとサンゴ礁に固定され、行動不能と判断される。船体は放棄され、殆どの乗組員が付近の小島へ移動した。11月1日、行方不明になった不知火を探して飛来した那智の水上機が早霜を見つけて着水。小島に集まっている乗組員を発見し、マニラに戻って救援を要請した。11月12日、2隻の機帆船と第3旭日丸が到着。約120名がマニラに引き上げ、残りの30名は武装したうえで早霜のもとに残留。破壊するための爆発物が届くまでの間、船体を捕獲されないよう警護した。11月25日に敵の哨戒機が早霜を発見して以降、毎日のように敵機が飛来するようになった。空襲の危険性が増したため、11月30日に30名は付近の島に移動。早霜を遠巻きに見守る事にした。12月3日14時20分、B-24から低空爆撃を受け、左舷側に1発の直撃弾を受ける。火災が発生し、第1砲塔を焼失。この攻撃を以って早霜は完全に放棄される事になり、30名の乗組員は2隻のカッターに分乗してミンドロ島へと去っていった。12月15日、ミンドロ島上陸支援の一環で米駆逐艦ウォークが早霜の残骸に100発以上を撃ち込んだとされるが、被害のほどは不明。少なくとも戦後しばらくは船体が残っていた模様。1945年1月10日、除籍。すぐに除籍されなかったため、多号作戦の輸送部隊に(書類上で)編入された事もあった。
     
  • 終戦後の1946年4月から5月にかけて、アメリカ人が早霜の船体を調査。機密図書等はしっかり破棄されていて、関心をそそられる物は何も残っていなかった。

この艦娘についてのコメント

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 天気予報で「遅霜」というのがあったけれど、もし夕雲型に「遅霜」が建造されていたら早霜と良いコンビになるかも!かも! -- 2019-12-20 (金) 22:41:19
    • 「鰯雲」とか「津波」とか、イメージ的な問題で使われなさそうな単語って結構あるな -- 2020-02-08 (土) 07:33:07
  • 駆逐艦で、将来美人になりそうな奇麗な子とか、かわいい子は他にもいるけど、駆逐艦の中で一番の現役「美人」だと思う(異論は認める -- 2019-12-27 (金) 22:52:28
  • バレンタインキタ。ドロップ目指して4-5行くぞ -- 2020-02-07 (金) 21:56:20
    • バレンタイングラ差分だけど可愛くて尊死した -- 2020-02-07 (金) 23:40:00
      • 間違い探しのような、控えめなところがいいですね 頬を染めているところとか -- 2020-02-08 (土) 07:10:05
      • 柔らかい表情もそうだけど、左手に持っている主砲がチョコ入り(?)の紙袋になってるとか。 -- 2020-02-11 (火) 10:02:31
  • 早霜も来てくれた。実装済みの夕雲型のコンプまであと三人・・・すんなりと来てくれるといいけど・・・。 -- 2020-03-11 (水) 20:04:22
  • そうか、早霜も夕雲型だっけ。ウチでは支援艦隊にばかり使ってたから忘れてた。 -- 2020-03-23 (月) 20:26:59
  • 以前は確認できてた早霜の船体っぽいものが確認できなくなってるな……海面上昇で没したか海水による腐食で崩壊したかその両方か、それとも現地民にサルベージでもされたか…… -- 2020-05-18 (月) 22:46:40
    • 目の錯覚だと言われればそれまでだが、海中に沈んだか崩壊したかは分からんが、痕跡みたいなのは何となく。日本語表示の「イトガオ湾」って文字のチョイ上の浅瀬に… -- 2020-05-18 (月) 23:31:12
      • やっぱ黒っぽいのはそれか……菊月も以前と比べるとほとんど見えなくなってるしなんか悲しい -- 木主? 2020-05-21 (木) 02:06:24
      • 駆逐艦の厚いとはいえない鋼板が海水に、それも一番酸化しやすい状態で浸ったまま75年経過してるからねえ。海べりの廃車が10年20年で腐食崩壊してるの考えると、両艦ともよく頑張ったよね。 -- 2020-07-15 (水) 23:09:56
  • 雪風時雨任務遂行中,ゲージ破壊済みの4-5で来ました。所持済みです。 -- 2020-11-14 (土) 15:36:08
  • 七年目にしてやっとお迎え出来ました。永かった、本当に永かった、関東者なので『機銃打ちまくり』のところがずっと気になっていました。 -- 2020-11-17 (火) 22:58:39
  • 所持済みのところ,秋イベE4第一輸送ゲージボスマスS勝利でドロップ。 -- 2020-12-11 (金) 18:29:01
  • 駆逐艦一の美人さんだと思ってる(将来美人になりそうな子は多いけど すでに美人な子って意味ね -- 2020-12-31 (木) 01:39:12
  • 今日の早霜ぶちかわいい -- 2021-04-22 (木) 12:03:02
  • は(8)や(8)霜だから八周年なのかな? -- 2021-04-22 (木) 12:35:32
    • 17番艦だから1+7で8って予想も見た。何にせよ可愛い…早霜がここまでメインで描かれたことあったかな? -- 2021-04-22 (木) 15:10:07
      • 自分は1枝と同じ推測した。ところで、早霜さん髪留めというか髪型そうなっていたのか。 -- 2021-04-24 (土) 02:41:06
  • 記念絵、かわいいな -- 2021-04-22 (木) 19:12:52
  • 4-5高速プラス削りでドロップ。毎月4-5に出撃しているところ,ドロップ率は低いと思われますが,未所持の方は頑張ってください。 -- 2021-05-02 (日) 22:00:59
  • 4-5で来てくれた…イベント前に運を使っているような気がしなくもない -- 2021-05-07 (金) 23:08:54
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

*1 改造後にはじめて中破させた場合、未改造時の中破グラフィックが図鑑に登録されなかった。そのため、未改造時の中破グラフィックを登録するには、改造前に中破させる必要があった。修正後は、改造後に再び中破させれば、改造前の中破グラフィックが登録されるようになっている。
*2 白露型四隻の第二駆逐隊は夕立・村雨の戦没により1943年7月に解隊され、1944年8月に早霜・秋霜・清霜の三隻で編成された駆逐隊として名称が復活した。
*3 元白雲艦長。のち涼月艦長として坊ノ岬沖海戦で死闘を繰り広げる人物。
*4 『軍艦物語』(佐藤和正著)ではこの爆沈した救援艦は「野分」となっているが、野分は10月25日の時点で既に戦没していること、当時の戦闘詳報の記録では明確に「不知火」と記述されていることなどから、当該艦が不知火であったことはほぼ間違いない。
*5 沈没艦船の乗員がまともな兵器を持っているはずがない。ましてマニラは兵器弾薬が極度に欠乏していた。たとえば比較的数が多く装備の良い熊野の生存者たちですら重機関銃が2丁、軽機関銃数丁、半数が小銃で、残り半分は竹槍しか持っていなかった。
*6 バーの椅子に座った妙高型姉妹と同じくらいの頭の高さ。