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藤波

Last-modified: 2019-11-02 (土) 20:53:37
No.285
お疲れ! 夕雲型十一番艦、藤波よ。司令、よろしくね!藤波(ふじなみ)夕雲型 11番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久16火力10 / 31
装甲6 / 19雷装24 / 69
回避46 / 79対空12 / 42
搭載0対潜26 / 53
速力高速索敵9 / 24
射程9 / 49
最大消費量
燃料15弾薬20
装備
12.7cm連装砲
25mm連装機銃
装備不可
装備不可
改造チャート
藤波藤波改(Lv30)
図鑑説明
艦隊型駆逐艦の決定版、夕雲型の十一番艦、藤波だよ。
三十二駆、そして十一水戦でデビューしたんだ。
かなり状況は良くなかったけど、できる限り頑張ったよ。
最期は華の二水戦で、艦隊決戦、捷一号作戦に参加した…うん…辛かったな。
でも、やれるだけはやったんだ。覚えておいてね!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:タニベユミ、イラストレーター:藤川 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 2017年2月11日、同日開始の2017年冬イベント:【偵察戦力緊急展開!「光」作戦】にて実装。E2ボス全難易度のSおよびA勝利で入手が確認されていた。
    • 夕雲型駆逐艦としては沖波以来約1年ぶりの新規実装となった。同艦型の例に漏れず、報酬艦ではなくドロップ限定艦としての実装である。
  • 右の前髪が不自然に切り揃えられているのが特徴。興味がある提督は飛龍革命で検索してみよう、同じ場所である。
  • 2017年8月には浴衣modeが実装された。これにより、実装されている藤川艦すべてに期間限定グラフィックが実装されていることになる。
    限定イラスト:鎮守府夏祭り浴衣mode
  • 2017年10月18日のアップデートで、期間限定グラフィック「秋の私服mode」が実装された。
    • 『娘TYPE』2017年11月号の付録でも着用していたワンピースに、史実でも関連の深い鳥海とお揃いの眼鏡や、彼女の改二衣装を思わせるバッグや眼鏡ケース(これは中破で取り出す)などを追加装備。
      期間限定グラフィックでのみメガネを使用する艦娘は今回が初である。
    • 秋の私服modeのグラフィックも立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
      他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
    限定イラスト:秋の私服mode
  • 2018年2月17日、冬イベント開始と同時に、【エンガノ岬決戦】差分modeが実装された。
    通常の立ち絵は他の限定グラフィック同様、冬イベント終了後に図鑑に格納されたものの、
    通例は併せて格納されるはずの、カード状態に加工されたイラスト及び中破立ち絵は何故か図鑑に格納されていない。
  • 2018年6月13日に梅雨限定グラフィックが実装された。
    • 浜波とお出かけ時の一コマといったところか。
    限定イラスト:梅雨mode

小ネタ Edit

  • 夕雲型駆逐艦の11番艦。
    藤の花が咲く4月の下旬、由緒正しき永田造船所にて生まれた。
    • 昭和18年4月20日に進水、7月31日に竣工即就役。舞鶴鎮守府籍となる。
      これは舞鶴生まれの僚艦、早波と同日。そのまま一緒に訓練部隊の十一水戦に編入された。
      わずか数日前には涼波(夕雲型10番艦・未実装)も編入されており、8月20日、この3隻で第三十二駆逐隊を結成する。
      10月には玉波(夕雲型9番艦・未実装)も仲間に加わり、駆逐隊としての4隻体制が整った。
      • 第11水雷戦隊は練成部隊であり、藤波の在籍時期の旗艦は基本的に龍田だが、
        編成の都合上や、なんと山城が旗艦になったときもある。
  • 昭和18年10月末より、能代率いる華の二水戦の一員に晴れて加わる*1
    …しかし、既に日本海軍が劣勢に苦しむこの時期、いきなりの苦難が待ち受けていた。
    • 11月5日に栗田艦隊の一部としてラバウルに到着したところで、この艦隊を重大な脅威*2と判断した米海軍は、空母サラトガとプリンストンを主力とする機動部隊を急派、ラバウルを空襲したのだ。
      藤波も魚雷を受け、不発ながら数名の死傷者を出した。大急ぎで艦隊はラバウルから避難したが、
      修理の為に一部の艦は居残りとなり、藤波も摩耶達と共に修理を待つ身となる。
    • 6日後には再びラバウルで空襲に遭遇。早期に察知して脱出を始めたが、涼波が雷撃・爆撃・機銃掃射を立て続けに受け、艦載魚雷に誘爆して爆沈してしまう。
      駆逐隊結成からわずか数カ月、僚艦との早過ぎる最初の別れとなった。
      • すぐにラバウル在泊艦艇のトラックへの脱出命令が出たが、途中で損傷していた阿賀野
        更に潜水艦スキャンプの雷撃が命中。藤波は能代・早波と共に救援に向かっている。
  • トラック到着後、クエゼリン及び、ウオッジェへの輸送作戦に参加、戻ってきたら今度はサイパンへ船団護衛。
    12月24日にトラックへ帰投している。
    • この間の12月15日、失った涼波に代わり浜波が三十二駆逐隊に加わり、駆逐隊が4隻体制に復帰。
      また同日には、藤波も加わっている二水戦の司令官が早川幹夫少将に交代した*3
  • 昭和19年、年明け間もない1月2日、戊号二号輸送部隊(妙高羽黒利根白露、藤波)の一員としてトラックを出港、4日にカビエンに到着、5日に無事トラックへ戻っているが、
    支援にあたっていた皐月文月が空襲を受けて、皐月駆逐艦長が重傷を負った後、戦死している。
    • 1月10日、満潮とともに大和を護衛して呉へ移動、整備後横須賀へ船団を護衛してから、2月6日、3206船団を護衛して館山を出航、トラックに向かった。
    • 2月17日、トラック諸島西方でトラックを空襲した敵艦隊の艦載機の攻撃を受けて貨物船2隻を失っている。
      翌18日、トラックへ到着、明石などを護衛してパラオへ移動する。
    • 3月29日、パラオを脱出して、武蔵を護衛して呉へ、折り返し上海へ移動してハルマヘラ島*4への船団を護衛して5月9日に到着、
      5月18日、タウイタウイで第二艦隊本隊に合流する。
    • 6月7日、前日行方不明になった水無月捜索に出た早波が撃沈されてしまう。
      水無月は潜水艦ハーダーにより既に撃沈されていて、早波もまたハーダーに続けて沈められてしまったのだった。
      この為、直後のマリアナ沖海戦は藤波・玉波・浜波の3隻で参加している。
    • マリアナ沖海戦に敗れ、中城湾へ引き上げてから、玉波と藤波はマニラを経由してシンガポールに向かい、折り返して内地へ修理に向かう北上、タンカーの旭東丸を護衛してマニラに向かうも、
      7月7日、マニラ入港予定日の早朝、潜水艦ミンゴの雷撃で玉波が沈没。*5
      駆逐隊結成以来の藤波の僚友は、この時にその最後の一隻まで失われてしまった。
      北上をマニラに残し、7月10日に、夕凪(未実装)が加わり、旭東丸に加えて速吸を護衛してマニラを出港、7月17日に呉に到着している。
  • 8月8日、ヒ71船団の護衛艦の一隻として門司を出発、大鷹、速吸、途中加入の佐渡松輪日振らを失いながら8月21日にマニラ入港、8月25日にマニラを出発して9月1日にようやくシンガポールに到着している。
  • 1944年10月、最期の戦いとなるレイテ沖海戦に第一遊撃部隊(栗田艦隊)の一員として参加。
    25日のサマール沖の戦いにおいて、奮闘虚しく航行不能に陥った鳥海の救援に向かった。
    • 当時撃沈され漂流中の米護衛空母ガンビア・ベイ乗員の目撃証言が残る。
      大破航行不能の鳥海は一旦は立ち直り動き出した。しかしそこへ米艦載機の追撃を受け被弾大炎上、再び停止してしまった。
      藤波は動かなくなった鳥海のそばをぐるぐると回り警戒しつつ再起を待ち続けたが、日没に至ってついに修理不能と判断が下ったらしい。
      生存者を救出した藤波は魚雷で鳥海を介錯すると、別れを惜しむかのように発光信号を明滅させながら夕闇の中へ消えていったという。
      またこの時、ガンビア・ベイ生存者に気づいた藤波乗員たちは威儀を正し一斉に敬礼、敵の勇士へ敬意を表したともいう。
    • しかし翌10月26日、早霜座礁地点付近にさしかかったところで悲劇が起きた。
      当時早霜は沖波から燃料の補給を受けている最中だったが、沖合約1万メートル付近に藤波とおぼしき艦が現れた。
      彼女が早霜の救助をしようとしたのかどうか、今となっては定かではない。
      だが、そこへ折悪しく敵機群約40機が出現。早霜と沖波が見ている前で、
      藤波は攻撃から逃れようと沖を狂ったように走り回った末、ついに直撃弾が出たのか一条の爆煙を噴き上げ、姿を消した。
      生存者ゼロ。藤波乗員、そして鳥海乗員合わせて約1,000名、その最期であった。
      • この様子は熊野も目撃している。当時熊野は度重なる損傷を受け、必死の航海を続けている最中だった。
        現れた米艦載機群は熊野には目もくれず、水平線上の何者かに急降下爆撃を加えていたという。
        どうやらこれが藤波だったらしい。
      • 早霜の元へは翌10月27日にも不知火が救助に駆けつけた。
        早霜は藤波の惨劇を思い出し「ワレ早霜、敵襲ノ恐レアリ、来ルナ」と手旗信号を送ったが、不知火は構わずに救助作業を行おうとした。
        しかしマークされていたのか、案の定米軍機が現れ、急速離脱しようとするも速力が上がらず集中攻撃の末轟沈。
        不知火もまた生存者ゼロという最悪の結末を迎えてしまったのだった。
    • 彼女の慰霊碑は佐世保の旧海軍墓地東公園に、鳥海と藤波、2隻の連名で建立されている。
      • 両艦とも生存者がいないため、長らく慰霊碑が無い状態が続いていた。
        その状況を憂いた遺族たちが「このままでは英霊に申し訳が立たない」と一念発起し、戦後53年を経た平成10年12月、ついに建立にこぎつけたのである。
        現在、東公園の慰霊碑群の中で最も新しい慰霊碑だという。建立以来毎年、護衛艦ちょうかいが慰霊祭を執り行っている。
  • 藤波は、フジの花房。また、藤の花が風で波のように揺れ動くこと。
    • このように本来は花の様子を波に例えた言葉であり、通常は波そのものを指す言葉が選ばれる駆逐艦名には無理がある言葉である。
      これについては、「西の藤永田、東の浦賀」と称され数多くの駆逐艦建造に携わった藤永田造船所に対し、
      海軍当局がその功労に感謝して、社名から一字とって名付けたという説がある。
      藤波に先立つこと23年前、大正9年に同じ藤永田で建造された樅型二等駆逐艦に「藤」と名付けられたという同様の例がある。
    • 藤の花言葉は「優しさ」「決して離れない

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • いつも「負゛け゛る゛か゛ぁ~!!」の声に奮い立たされる -- 2019-02-04 (月) 20:20:39
  • それなりに使い込んでいるんだけど、未だに藤波のキャラが掴めない。藤波辰爾の方なら余裕なんだが。 -- 2019-02-19 (火) 06:18:16
    • 鳥海さん絡みでキャラ組み立ててくのが、良くも悪くも楽。 -- 2019-02-25 (月) 20:32:41
  • 阪神の藤波はいつ夜戦に出てくるんだ。 -- 2019-05-11 (土) 13:28:56
  • 癇癪を起した藤波は早波にションベンをぶっ掛け、浜波に腹パンを喰らわせた。 -- 2019-05-25 (土) 12:40:22
  • 伊勢大輔の実家の大中臣って、江戸期以降は「藤波家」って改姓してたな。藤原になれないから藤波って…辰巳に謝れ -- 2019-05-29 (水) 07:08:00
    • プロレスの話なら社長になった藤波の方がずっと成功してるのになあ。ただトップにすると不安な所は辰巳も鎮守府の藤波も似てる。 -- 2019-10-19 (土) 13:45:06
  • また藤波かよ・・・E2-2で同じ艦がドロップしまくりでウンザリする・・・どうせなら浜波を出してくれ -- 2019-09-10 (火) 06:21:29
  • 意外にいいおみ足w -- 2019-10-18 (金) 11:30:03
  • 藤波ちゃん足ふっと! いいんだよそれで!!!! お前ら戦闘艦なんだから飯食って太い脚で荒波超えればいいんだよ!!! おら、飯食え!!! 肥ゆれ!! -- 2019-10-18 (金) 12:31:19
  • 太いとは思わないけどふくらはぎとか運動部の脚っぽい。すごく好き -- 2019-10-18 (金) 12:46:31
    • 夏のお嬢さんの雪風といい年少の駆逐艦娘の健康的な足を見ると軍艦の彼女たちが平和な時代を生きているのだと感じて少し和む。 -- 2019-10-18 (金) 19:24:25
  • 17年の娘TYPEの付録にあった私服でもおみ足披露していたし、ふーちゃん美脚なのかも -- 2019-10-18 (金) 12:53:32
  • ケッコン後母港セリフの(以下、一応反転)「暖かい」は飲み物だから「温かい」かな? -- 2019-10-19 (土) 07:55:15
  • あー、やっぱかわいいな、もち! -- 2019-10-22 (火) 21:08:43
  • 次の改二は諸々の要素を鑑みてしんたr…藤波しかないと読み今から育成開始するゾ~(なおLv61) -- 2019-10-24 (木) 19:12:01
    • おっそーい!(Lv99) -- 2019-10-24 (木) 23:16:49
  • 煎餅?食べながら「ダイエット?しなきゃ」とか言われても説得力が・・・ -- 2019-11-04 (月) 11:42:46
  • 今更ながら呉帰投ボイス聞いたけど音が籠って小さくいな(夕立改二の実装直後みたい) -- 2019-11-13 (水) 22:08:13
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 9月末の時点で二水戦に編入はされていたものの、ほとんど10月いっぱいは丁三号輸送部隊へ参加。この為、しばらくは馴染の十一水戦の指揮で活動していた。
*2 当時ソロモン方面の米海軍は、軽巡と駆逐艦の艦隊と、中部太平洋方面から期限付きで借りた空母2隻しかなく、日本の主力重巡7隻の出現は緊急事態であった。
*3 早川幹夫少将は第一次ソロモン海戦時の鳥海艦長として知られる人物。彼が直接藤波に関わることはなかったが、藤波の方は後述の通り、鳥海とは強烈な縁のある一隻でもあり…。
*4 本来はニューギニア島西部に輸送する予定だった
*5 余談だがこの潜水艦ミンゴ、戦後海上自衛隊に貸与され、潜水艦「くろしお」と改名。海自初の潜水艦として、後の日本潜水艦の発展に大いに貢献している。運命とはわからないものである。