|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.089|
|&attachref(./089_2nd.jpg,nolink,霰です…んちゃ…とかはいいません…よろしく…);|>|霰(あられ)|>|朝潮型 9番艦 駆逐艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|16|~火力|10 / 29|
|~|~装甲| 6 / 19|~雷装|24 / 69|
|~|~回避|43 / 79|~対空| 9 / 39|
|~|~搭載|0|~対潜|21 / 49|
|~|~速力|高速|~索敵| 5 / 19|
|~|~射程|短|~運|10 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|15|~弾薬|20|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[12.7cm連装砲]]|
|~|>|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''霰'' → [[霰改]](Lv20) → [[霰改二]] (Lv63+[[改装設計図>改造#blueprint]])|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:霰は、マル2計画で建造された最後の駆逐艦…。&br;朝潮型シリーズの…最終艦でも…あるの…。&br;この後は…陽炎型だから…|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:宮川若菜、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:宮川若菜、イラストレーター:コニシ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>霰/定型ボイス]])
#table_edit(霰/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>霰/時報ボイス]])
#table_edit(霰/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>霰/季節ボイス]])
#table_edit(霰/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2014年1月15日のアップデートにて追加された任務『[[「第十八駆逐隊」を編成せよ!>任務#id-A32]]』『[[「第十八駆逐隊」出撃せよ!>任務#id-B21]]』に必要となる。
--2019年9月30日に追加された任務『[[「十八駆」演習!>任務#id-Cq2]]』でも必要となる。貴重な[[大発動艇]]を定期的に入手できるチャンスである。
-2018年4月6日に[[改二>霰改二]]が実装された。
**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2017年12月22日のオンメンテナンスで、クリスマスmodeが実装された。
--実に4年以上待ち焦がれた、初の期間限定グラフィックである。
--少しだけ表情が緩んでいる。かわいい。
-
#fold(限定イラスト:Xmasmode){{
限定イラスト:Xmasmode
&attachref(./089_Xmas.jpg,nolink,司令官、メリークリスマス……);
}}
*小ネタ [#trivia]
#fold(艤装員長・駆逐艦長){{
艤装員長・駆逐艦長
|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):55|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):240|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):570|c
||艦長氏名(期・本籍)&br;配属期間|他の経歴・小ネタ|
|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):55|CENTER:240|570|c
|&nobr{艤装員長};|大原利通 少佐(49期・高知)&br; 1938.3.15~39.3.1|[[磯波]]艦長(8代目)の後霰艤装員長初代艦長。在職中に中佐昇進。大湊要港部参謀、19駆司令や[[酒匂]]の初代艦長。|
|初代|大原利通 少佐→中佐&br;1939.3.1~41.9.20|~|
|第2代|&nobr{緒方友兄 少佐→中佐(50期・熊本)};&br; 1941.9.20~42.7.31|[[時雨]]・[[有明]]艦長を経て[[磯波]]艦長(11代目)。霰艦長在任中に中佐昇進。霰戦没後[[木曾]]副長、[[秋月]]艦長。秋月艦長としてレイテ沖海戦に参戦。|
}}
-「んちゃ」の元ネタは、御存知ドクタースランプのアラレちゃん。
本人曰く『んちゃ・・・とかは言いません・・・』
--でも言ってくれる。お気に入りの持ちネタなのかもしれない。&color(silver){帽子被ってるのも真似です。飯盒じゃない。};
-舞鶴海軍工廠で1937年11月16日進水、1939年4月15日就役。
--図鑑で紹介される通り、本来「朝潮型シリーズの最終艦」として末妹となる予定だった。実際、起工日は1937年3月5日で朝潮型でもっとも遅い。しかし、一つ上の姉である[[霞]]の竣工が遅れたため、船としての完成は霰の方が早くなり下から二番目に上がってしまった。
---このため、艦これでは霞のことを「霞ちゃん」と呼んだり、逆に「霞姉さん」と姉扱いしたりするがどちらも間違いではないのである。
---ちなみに朝潮型駆逐艦のなかで舞鶴工廠生まれなのは大潮と霰だけである。&color(Silver){この二人の共通点って…};
--進水日は[[飛龍]]と全く同じ日。
--誕生(竣工)日は小出義雄(マラソン指導者)と同じ。月日だけは[[北上]]と同じだが縁はなかった。
竣工とともに同型の[[霞]]、陽炎型の[[陽炎]]・[[不知火]]とともに[[第18駆逐隊>用語集2#d381217f]]を編成し、同年11月には第二艦隊第二水雷戦隊に編入された。ボスはもちろん[[このお方>神通]]。
-1940年には十八駆の仲間とともに観艦式に参列。
-真珠湾攻撃の際には他の僚艦とともに南雲機動部隊の護衛にあたった。
この時朝潮型の額面上の航続距離では機動部隊に追随できるか不安になった艦長が、「念の為」にと艦内居住区のいたるところに重油入りの18リットル缶を置いたという。
--もちろんそんな状況で火でも使おうものなら[[どこかの装甲空母>大鳳]]のようになるのは明らかで、作戦中霰の乗員はタバコすら吸えなかったとか。
だが結局使うことはなかったらしい。
--真珠湾攻撃を終えての帰り道、霰は艦隊から分離して油槽船団の護衛につくよう指示された。
それに赴く途中、遠洋漁業中のマグロ漁船の皆さんに遭遇。漁船側はすでにラジオ放送で真珠湾攻撃の大戦果を知っており、最大級の賛辞で霰を褒めそやした。
のみならず、漁獲した大量のマグロをお祝いとして霰へ進呈、喜んだ霰側もこれに応え返礼に清酒の四斗樽をプレゼントしている。
おかげで士官室にも兵員室にもマグロの良いとこばかりの刺身が山ほど出て、時ならぬ戦勝の大祝宴となったという。
--ところが帰路である北緯40度付近は、特に冬の間には強烈な風が吹くことで有名で(いわゆる「吠える40度」)、この時も例外ではなかった。
--凄まじい風と波でタンカーは隊列を保てず、艦は波に突っ込みまくる有様。
---戦後に霰の艦長緒方友兄氏が語るには、艦首に当たった波が落ちる音を聞いて、船室に寝ていた乗員が「機雷にかかったか?!」と飛び起きてくるほどだったという。
--あまりの暴風にたまらず独断で進路変更を下し、南下することに。進むうちにやがて波や風がおさまってタンカーも集結し、無事に帰投することができたという。
--それでも帰投後に調べてみたら、船体がベコベコに凹んでいたそうな。
--改二で[[大発動艇]]を持参するのはこのエピソードからだろうか。輸送護衛も過酷な任務のひとつであると言えよう。
-1942年4月はセイロン島沖海戦に臨む南雲機動部隊の護衛を引き続き務める。同月23日、呉に帰投。
-同年6月はミッドウェー作戦の攻略部隊の輸送船団の護衛として参加。
--ミッドウェー海戦後第七戦隊の指揮下に入り、[[三隈]]と衝突して損傷した[[最上]]および[[熊野]]と[[鈴谷]]を護衛してトラック泊地へ送り届ける。最上はトラックで修復を受けるため留まることに。
--その後、熊野・鈴谷と共に呉へ帰投。
-6月23日、AL作戦の一環として、キスカ島への補給部隊である水上機母艦[[千代田]]と輸送船あるぜんちな丸の護衛として横須賀を出発する。7月4日濃霧のため沖合で仮停泊中、SS-215「[[グロウラー>俗称・スラング集/か#SS-215]]」の雷撃を受け沈没。朝潮型最初の喪失艦となった。
このとき[[霞]]・[[不知火]]も大破させられ、第18駆逐隊は[[陽炎]]を残し壊滅。宮坂司令は強い非難を浴び切腹自決を図る事態となった(失敗し、一命を取り留めている)。
--霰は「どうせ沈むなら少しでも反撃してやれ」とグロウラーへ猛烈な砲撃を加えている。
潜水艦に対し主砲は効果が無いのはわかっていたが、何もしなければ更なる攻撃を受けるかもしれず、他艦へ知らせるつもりもあって「潜望鏡でもへし折ってやれ」と発砲したのだった。
しかし、横腹に大穴の空いた霰の船体は振動に耐えられなかった(もう一発とどめの魚雷が命中したという説もある)。まもなくV字型に折れると、そのまま沈没していった。
--彼女が母港セリフで「あまり魚雷には触らないで」と発言するのは、自分を沈めた(そして18駆の仲間を引き裂いた)因縁の兵器だからであろう。
--当時艦橋にいた緒方友兄艦長は沈没時に投げ出され、極寒のなか気絶中のところを救助され生還。その後第56駆潜隊司令、[[木曾]]副長としてキスカ撤退作戦に従事、[[秋月]]の艦長を務めることとなる。
--ちなみに、同年同日、アリューシャン列島アガッツ島沖で[[子日]]も米潜水艦により撃沈されている。
-沈没後、およそ50年を経て米潜SS-216「グラニオン」捜索チームがグロウラーに発砲しつつ沈んでいった彼女を発見した。その時の[[ソナー画像>https://web.archive.org/web/20180313061302/http://hush.gooside.com/Photos/A/Ar/arare_200608.jpg]]およびソナーから推測した船体の[[スケッチ>https://web.archive.org/web/20180313053735im_/http://ussgrunion.com/blog/wp-content/uploads/2007/05/arare_top.jpg]]が残されている。
// リンク先にセキュリティソフトが反応してるので一旦コメントアウトしました、大丈夫そうであれば戻してください([[スケッチ>http://ussgrunion.com/blog/2007/05/31/arare/]])
//20200116別のブログより引用。掲載元はhttp://hush.gooside.com/name/a/Ar/arare.html
沈没時の状況の通り真っ二つに折れてはいるものの、現場海域が極低温のためか原型をよく留めている。また主砲砲身は真横を向いたままであり、最期の瞬間まで反撃し続けたことを裏付けている。
--この経緯は非常に興味深いので『[[グラニオン (潜水艦)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6)]]』を参照のこと。
-駆逐艦「霰」としては二代目で、初代は初の国産駆逐艦である春雨型駆逐艦の1隻。
竣工は1905年の5月10日で、竣工17日後の5月27日に発生した日本海海戦にも参加している。
-艦名の由来元である霰(あられ)とは雲から降る直径がおよそ2~5mmの氷の塊のこと。これが直径5mm以上になると呼び方が「雹(ひょう)」と変わり、こちらはゴルフボール大のが降っただの、ビニールハウスや農作物等に被害をもたらしただの、と時折ニュースで報じられるので皆様お馴染みだろう。((余談だが、Dr.スランプのアラレちゃんの名前はこの天象気象の霰ではなく、和菓子の霰餅(○○あられ)からきている。))
-ちなみに、付けている下着は遠目では縞模様に見えるが、よく見ると・・・&color(Silver){姉さんとお揃いじゃないのか};
*この艦娘についてのコメント [#comment]
//#fold(過去ログ){{
//#ls
//}}
#pcomment(./コメント,reply,15)