陽炎
Last-modified: 2018-04-24 (火) 00:22:23
No.091 |
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 | 陽炎(かげろう) | 陽炎型 1番艦 駆逐艦 |
艦船ステータス(初期値/最大値) |
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耐久 | 16 | 火力 | 10 / 29 |
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装甲 | 6 / 19 | 雷装 | 24 / 79 |
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回避 | 44 / 79 | 対空 | 12 / 39 |
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搭載 | 0 | 対潜 | 24 / 49 |
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速力 | 高速 | 索敵 | 6 / 19 |
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射程 | 短 | 運 | 12 / 49 |
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最大消費量 |
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燃料 | 15 | 弾薬 | 20 |
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装備 |
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12.7cm連装砲 |
61cm四連装魚雷 |
装備不可 |
装備不可 |
改造チャート |
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陽炎 → 陽炎改(Lv20) → 陽炎改二(Lv70+改装設計図+開発資材x20) |
図鑑説明 |
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第四次軍備充実計画で建造された陽炎型駆逐艦、ネームシップの陽炎よ。 新鋭の主力駆逐艦として、ハワイ攻撃機動部隊を始め、様々な作戦に参加したわ! よろしくね! |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
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| | CV:藤田咲、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)
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セリフ | CV:藤田咲、イラストレーター:コニシ | 入手/ログイン | やっと会えた!陽炎よ。よろしくねっ! | 母港/詳細閲覧 | なぁに?お話したいの? | 出番かしら? | ちょ、あまり触ると怒るわよ、もぅ! | 母港/詳細閲覧(二周年/三周年) | 今日は、大事な日じゃない?司令!みんな!おめでとうっ! | 母港/詳細閲覧(15/16初夏) | 不知火、あんたも今年は、新しい水着買いなさいよ! え? あーもう! 私が選んだげる! | 母港/詳細閲覧(15/16夏真っ盛り) | ほーらっ、十八駆、海に行くわよ。ちゃんと服の下に水着着た? 不知火、あんたもよ! | 母港/詳細閲覧(15Xmas) | クリスマスよ、楽しまないと! みんな、食べてる? ……あ、不知火も、意外と楽しそうね。 | 母港/詳細閲覧(15年末) | もう大晦日、ほんっと早いわよねー大掃除も早めに片付けないと。え?おせち?んー… | 母港/詳細閲覧(16正月) | 司令っあけましておめでとう!今年も18駆と、陽炎型をどうぞよろしくね! | 母港/詳細閲覧(16節分) | 節分かぁ…ま、いいか。じゃ、投げるよー!…って不知火ぃ!?あんた何やってんの!? | 母港/詳細閲覧(16バレンタイン) | ま、『一応』ね。『一応』用意したの…司令。はい、あげるわ。まぁ…『一応』だから!『一応』!! | 母港/詳細閲覧(16ホワイトデー) | 司令。『一応』、お返しとか…あ、あるの?……さーんきゅっ!ちょっと、嬉しいかな? | ケッコンカッコカリ(反転) | あ、司令!お疲れ様ー…えーと…あっ!これ、ハワイ土産のチョコレートです! | ケッコン後母港(反転) | - | 編成 | いよいよ、私の出番ね! | 出撃 | いよいよ、私の出番ね! | 両舷全速!陽炎、出撃しまーす! | 遠征選択時 | やったぁーっ! | アイテム発見 | やったぁーっ! | 開戦 | 砲雷撃戦、用意! | 航空戦開始時 | - | 夜戦開始 | 追撃戦に移行するわ! | 攻撃 | 攻撃よ、攻撃! | 砲雷撃戦、用意! | 連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃 | 悪いわね、もらったわっ! | 小破 | ふんっ、これくらい! | な、何なの~? | 中破/大破 | 陽炎型ネームシップの名が泣くわ…も~っ! | 勝利MVP | どう?私の戦闘は。少しは参考になったかな?ああ、お礼なんていいのよ~。 | 旗艦大破 | な、何なの~? | 帰投 | 作戦完了よ。 | 補給 | さーんきゅっ。私の活躍、期待してね! | 改装/改修/改造 | さーんきゅっ。私の活躍、期待してね! | ん?いいんじゃない?ありがとっ。 | やったぁ! | 入渠(小破以下) | 陽炎、休憩入りまーす! | 入渠(中破以上) | ちょっとお休みするね。ふぁーあ… | 建造完了 | 新しい仲間が到着したわ。 | 戦績表示 | 司令に電文が届いてるわ。 | 轟沈(反転) | わたし、沈んじゃうの? 本当に…? 嘘…? | 時報 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | 放置時 | 司令、話し聞いてる?司令?司令ったら!もー、私無視するなんてどういうつもり!? |
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ゲームにおいて 
- 陽炎型駆逐艦のネームシップ。後期に作られた駆逐艦のためか陽炎型は他の駆逐艦よりステータスと装備が一段階高くなっている。
- 具体的には耐久の最大値が改造前は1、改造後は2高い。その他の能力の最終値は吹雪型~朝潮型までと同じ。
- さらに後期の夕雲型には劣るが、ゲームのステータス的には誤差の範囲。対潜には若干差があるが装備差を覆すほどではない。
- 陽炎型には艦これ中、もっとも多くのレア艦が所属している。
その面子は親潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、浜風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風と多くの提督を悩ませるそうそうたるもの。しかもイベント最深部海域の突破報酬が3隻もいる(2014年夏の磯風、2014年秋の野分、2015年秋の萩風)。
- 陽炎型は全19隻存在しているが、2016年5月2日付で艦これに実装されているのは
陽炎(1)、不知火(2)、黒潮(3)、親潮(4)、初風(7)、雪風(8)、天津風(9)、時津風(10)、浦風(11)、磯風(12)、浜風(13)、谷風(14)、野分(15)、嵐(16)、萩風(17)、舞風(18)、秋雲(19)の17隻。
- 未実装は早潮(5)、夏潮(6)の2隻。ついに睦月型を超え、現状単独で最大数を誇るカテゴリーとなった。ちなみに残る未実装艦は全て、黒潮が所属する(後に陽炎も転入した)第15駆逐隊組である。
- 尚、多く人間の出生日とされる進水日順にすると、不知火(1938年6月28日)、陽炎(1938年9月27日)、黒潮(1938年10月25日)、親潮(1938年11月29日)、夏潮(1939年2月23日)、初風(1939年1月24日)、雪風(1939年3月24日)、早潮(1939年4月19日)、磯風(1939年6月19日)、天津風(1939年10月19日)、時津風(1939年11月10日)、浦風(1940年4月22日)、嵐(1940年4月22日)、萩風(1940年6月18日)、野分(1940年9月17日)、谷風(1940年11月1日)、浜風(1940年11月25日)、舞風(1941年3月15日)、秋雲(1941年4月11日)となり元々の姉妹が多い分、艦番号と逆転する姉妹もまた多いことが見て取れる。
- 2014年1月15日のアップデートにて追加された任務『「第十八駆逐隊」を編成せよ!』『「第十八駆逐隊」出撃せよ!』に必要となる。
- 2014年7月18日のアップデートで改型に母港・戦闘・補給・ケッコン後母港ボイスが追加された。
- 嵐改20時の時報にて、なんとクラムチャウダーを作れることが判明。料理はわりとできる方らしい。
- 2018年4月23日、記念すべき5周年のアップデートの日に改二が実装された。
小ネタ 
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| | 陽炎型一覧 自慢の妹たちを紹介するわ!
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艦番号 | 艦 名 | 進水日 | 順 | 就役日 | 順 | 所属隊 (開戦時) | 戦没日 | 順 | 艦これ実装 | 順 | 1 | 陽炎 | 1938. 9.27 | 2 | 1939.11. 6 | 1 | 二水戦・18駆 | 1943. 5. 8 | 6 | 2013. 4.23 | 1 | 2 | 不知火 | 1938. 6.28 | 1 | 1939.12.20 | 2 | 二水戦・18駆 | 1944.10.27 | 14 | 2013. 4.23 | 1 | 3 | 黒潮 | 1938.10.25 | 3 | 1940. 1.27 | 4 | 二水戦・15駆 | 1943. 5. 8 | 4 | 2013. 4.23 | 1 | 4 | 親潮 | 1938.11.29 | 4 | 1940. 8.20 | 6 | 二水戦・15駆 | 1943. 5. 8 | 5 | 2016. 5. 3 | 17 | 5 | 早潮 | 1939. 4.19 | 8 | 1940. 8.31 | 7 | 二水戦・15駆 | 1942.11.24 | 2 | 未実装 | | 6 | 夏潮 | 1939. 2.23 | 6 | 1940. 8.31 | 7 | 二水戦・15駆 | 1942. 2. 8 | 1 | 未実装 | | 7 | 初風 | 1939. 1.24 | 5 | 1940. 2.15 | 5 | 二水戦・16駆 | 1943.11. 2 | 9 | 2013. 8.26 | 6 | 8 | 雪風 | 1939. 3.24 | 7 | 1940. 1.20 | 3 | 二水戦・16駆 | 生 還 (1971年解体) | 19 | 2013. 4.23 | 1 | 9 | 天津風 | 1939.10.19 | 10 | 1940.10.26 | 9 | 二水戦・16駆 | 1945. 4. 6 | 16 | 2014. 4.23 | 9 | 10 | 時津風 | 1939.11.10 | 11 | 1940.12.15 | 11 | 二水戦・16駆 | 1943. 3. 3 | 3 | 2014. 8. 8 | 12 | 11 | 浦風 | 1940. 4.10 | 12 | 1940.12.15 | 11 | 一水戦・17駆 | 1944.11.21 | 15 | 2014. 5.23 | 11 | 12 | 磯風 | 1939. 6.19 | 9 | 1940.11.30 | 10 | 一水戦・17駆 | 1945. 4. 7 | 18 | 2014. 8. 8 | 12 | 13 | 浜風 | 1940.11.25 | 17 | 1941. 6.30 | 17 | 一水戦・17駆 | 1945. 4. 7 | 17 | 2014. 3.28 | 8 | 14 | 谷風 | 1940.11. 1 | 16 | 1941. 4.25 | 15 | 一水戦・17駆 | 1944. 6. 9 | 12 | 2014. 4.23 | 9 | 15 | 野分 | 1940. 9.17 | 15 | 1941. 4.28 | 16 | 四水戦・4駆 | 1944.10.25 | 13 | 2014.11.14 | 14 | 16 | 嵐 | 1940. 4.22 | 13 | 1941. 1.27 | 13 | 四水戦・4駆 | 1943. 8. 6 | 7 | 2015.11.18 | 15 | 17 | 萩風 | 1940. 6.18 | 14 | 1941. 3.31 | 14 | 四水戦・4駆 | 1943. 8. 6 | 8 | 2015.11.18 | 15 | 18 | 舞風 | 1941. 3.15 | 18 | 1941. 7.15 | 18 | 四水戦・4駆 | 1944. 2.17 | 10 | 2013. 7.10 | 5 | 19 | 秋雲 | 1941. 4.11 | 19 | 1941. 9.27 | 19 | 五航戦・直衛 | 1944. 4.11 | 11 | 2013. 9.18 | 7 |
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| | 略歴
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1937 | 9.3 | 舞鶴海軍工廠にて起工 | 1938 | 9.27 | 進水 | 1939 | 11.6 | 竣工 | 11.15 | 不知火と共に第2水雷戦隊に編入 | 1941 | 12.8 | 太平洋戦争開戦、第17駆逐隊と共に1水戦として南雲機動部隊の護衛にあたる | 1942 | 2.~4. | 二航戦の護衛でセイロン沖海戦などの南方での作戦に参加 | 6.5 | ミッドウェー海戦に攻略隊護衛として参加 | 7.5 | 第18駆逐隊の僚艦3隻がアリューシャン方面での作戦従事中壊滅 | 7.9 | 特設水上機母艦「君川丸」の護衛としてキスカに進出 | 7.20 | 駆逐隊で唯一無事だったため、黒潮のいる第15駆逐隊に編入 | 8.11 | ガダルカナル島作戦に参加 | 8.13 | ガダルカナル島輸送に13回従事 | 8.18 | 4駆、17駆等陽炎型6隻で陸軍一木支隊をガダルカナル島に揚陸 | 8.22 | 秋津洲が燃料補給を行う | 8.24 | 第2次ソロモン海戦に参加 | 8.25 | 神通大破により第二水雷戦隊旗艦の座を引き継ぐ | 8.28 | 第2水雷戦隊旗艦を衣笠に移す | 11.14 | 第3次ソロモン海戦に外南洋部隊として参加 | 11.18 | ブナ輸送作戦に参加 | 11.30 | ルンガ沖夜戦に参加 | 12.15 | ムンダ基地に陸兵および基地物件輸送 | 1943 | 1.31 | ガダルカナル撤収作戦に支援隊として参加 | 4.28 | ムンダ輸送作戦に3回従事 | 5.8 | 輸送作戦中第15駆逐隊全艦が機雷に接触、漂流後沈没。戦死者18名 | 6.20 | 除籍。同日をもって15駆も解隊し、同時に陽炎型駆逐艦の名称が不知火型駆逐艦と変更される |
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| | 艦長
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第1代 | 山本岩多 中佐 | 1939年2月2日~1939年8月10日(艤装員長) | 1939年8月10日~1939年11月1日(艦長) | 第2代 | 天野重隆 中佐 | 1939年11月1日~1940年10月15日 | 第3代 | 横井稔 中佐 | 1940年10月15日~1941年12月22日 | 第4代 | 有本輝美智 中佐 | 1941年12月22日~1943年6月1日 |
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- 軍縮条約明けの1937年に朝潮型の発展改良型として設計、建造された。帝国海軍の艦隊型駆逐艦の集大成とも言える。
書類上では夕雲型と合わせて甲型駆逐艦と称された。ちなみに乙が秋月型、丙が島風型、丁が松型駆逐艦(未実装)。
- 建艦計画(通称マル3計画)で18隻を生産・運用する予定とされたが、実際に初期段階で建造されたのは15隻。
では残った3隻はというと、大和型が能力を建造予算から推測されないよう過小に計上されており、その不足分を補填する目的で偽装計上していたため。実情としては最初から建造される予定はなかった。
- 野分以降の4隻については、次の建艦計画(通称マル4計画)で夕雲型と共に予算計上されている。
- 近年「秋雲」が陽炎型19番目と認定された。詳細は秋雲のページで。
- 漸減邀撃作戦完遂のための高い雷撃能力と良好な航海能力を兼ね備えている、水雷戦隊も満足の逸品。
ただし艦隊護衛に欠かせない対潜哨戒・掃討や対空能力に難があった。艦隊決戦に特化した仕様なのでまあ無理もないが……。
- 朝潮型と諸元こそ似ているが設計は一から線を引き直されている。最も大きな変更点は一番魚雷発射管の次発装填装置の位置が二番煙突の両脇から一番煙突の両脇に変更されていること*1。
- ハワイ・マレー沖海戦により各国の用兵思想は一変、世は航空機と潜水艦の時代に大きくシフトし、従来の様々な艦種が想定外の戦いに送り込まれることに。
駆逐艦も例外ではなく、それまで主目的だった対水上艦戦闘(特に水雷戦隊による夜襲など)の戦力として起用されることは少なくなり、対空・対潜が主任務となった。
- そんな駆逐艦の中でも、陽炎型はなまじ高性能で登場当初から期待されていたこともあり、建造目的にない空母や輸送船の護衛さらには鼠輸送と奔らされた結果、次々戦没。
姉妹19人全員が揃っていたのは半年にも満たなかった、という凄まじい職場環境であった。
終戦を迎えることができたのは19隻のうち雪風のみ。
- 艦これでは対空・対潜ともに全駆逐艦トップクラス(ただし初期値)。
最終的に主砲を一部撤去してまで機銃を増設しているので、その辺も加味した数値なのだろう。
- 舞鶴海軍工廠で1938年9月27日に進水、1939年11月6日に竣工。
呉鎮守府に配属され、同型の「不知火」、朝潮型の「霞」「霰」とともに第十八駆逐隊を編成、第二艦隊第二水雷戦隊に編入された。
同じく舞鶴海軍工廠で建造された陽炎型は他に親潮、天津風、野分、嵐がいる。
- 1939年秋、大改装工事を終え高速戦艦へと生まれ変わった比叡が、海軍引渡しをひかえ土佐沖で工廠関係者内々の各種公試運転を行っていた時のこと。
全力30ノットで驀進する比叡の遙か後方から1隻の駆逐艦が猛烈な勢いで追いすがってきたと思うや、みるみる距離を縮め、白波を蹴立ててあっという間に追い抜いていった。
これが、陽炎型ネームシップとしてつい先日竣工したばかりの陽炎の、全力公試の姿であった。
現役最老齢にして最高の速度・装備を手に入れた金剛型最終改装艦と、時代の最先端を行く最新式駆逐艦陽炎型の記念すべきネームシップ。
艦隊決戦の花形となるべき両艦型の、鮮烈な初顔合わせであった。
- 帝国海軍最後の観艦式である紀元二千六百年特別観艦式では、第三列駆逐艦列の旗艦を務める。
8駆、18駆、16駆(当時は黒潮、雪風、初風の編成)と共に参加した。
- 第二水雷戦隊・第十八駆逐隊所属で開戦を迎え、各地の作戦に参加、護衛任務にも従事。
6月下旬に「山風」を撃沈した潜水艦ノーチラスが陽炎を欠いた18駆で護衛中の「千代田」を襲撃。現場に急行した陽炎は掃海艇等と共に対潜掃蕩を行いノーチラスに損傷を与え追い払っている。
その数日後、十八駆の面々はキスカ停泊中に敵潜の襲撃を受け霰が沈没、霞不知火が大破し、戦力を喪失した隊は休止となった。詳細は各ページで。
彼女だけ無事だったのは、同じくキスカ行きだった輸送船「菊川丸」の荷役作業遅れのため、その護衛に残っていたからである。
- 生き残った彼女は第十五駆逐隊へ転属、「黒潮」「親潮」と共にガダルカナル島輸送や撤収作戦などに奔走した。
- 第二次ソロモン海戦では「睦月」「弥生」「江風」「磯風」と共にヘンダーソン飛行場に艦砲射撃を実施。だが、効果は無かった。
この時、陽炎は砲撃と爆雷攻撃で米潜水艦を撃沈したと報告しているが、現状それと照らし合わせられる米潜水艦の損傷記録も出撃記録も見つかっていない為誤認の可能性がある。
その後、輸送船団と合流しての陣形変更中、ガダルカナル島及びB-17からの攻撃を受け、神通が大破。その為、神通から二水戦司令部が移乗し、陽炎は一時的に第二水雷戦隊旗艦の座を預かることになる。
燃料不足の「海風」を率いてショートランド泊地に移動し、3日後、泊地で衣笠に旗艦の座を受け渡した。
- また、第二次ソロモン海戦の始まる直前に様々な事情が重なり、江風と交代するまでの2日間空襲を受けつつ単艦でツラギ方面を偵察、対地砲撃を行っている。
第二次ソロモン海戦時にも飛行場砲撃前に単艦でガ島に突入し対地砲撃を行うなど単艦での行動も多かった。
- 第三次ソロモン海戦では霧島と戦って敗走中の戦艦サウスダコタに遭遇するが、陽炎は当初霧島ではないかと疑って発砲しなかった。
識別信号を送っても返事がなく、そうこうするうち1,000メートルまで近づいてようやく米戦艦だと判明したが、すでに魚雷の射点を過ぎてしまっていた
(主砲を撃てばよかったとも思えるが、見境なく乱射して回った夕立が例外なのであって、駆逐艦の主砲のような豆鉄砲を大型艦に撃つという発想はそもそもなかったそうである)。
陽炎は慌てて反転して後を追ったが、視界不良の闇夜の上に辺りには硝煙が厚く立ち込めていたため、見失ってしまっている。
- ルンガ沖夜戦では輸送隊として参加、ドラム缶投入のため速度を落としていたという不利な条件を覆し、
長波、黒潮、親潮、江風、涼風、高波らとともに米重巡1隻撃沈、3隻大破の大戦果をあげた。
- さらに陽炎はこの時、撃沈した敵艦めがけ探照灯を照射して戦果確認という荒業をやってのけている(にもかかわらず重巡を戦艦と見間違えてしまっているが)。
陽炎艦長は先の第三次ソロモン海戦第二夜戦でサウスダコタをみすみす取り逃がしてしまったのが非常に残念でたまらず、
「今度こそは確実に仕留めた」という確証が持ちたくてこんな無茶をやったらしい。
- ちなみに、この海戦唯一の撃沈スコアは、陽炎と巻波からの雷撃によるものとされている。
- 1943年1月31日、トラック泊地を出港。ガダルカナル撤収作戦の支援本隊として五月雨、時雨、朝雲、敷波等と共に参加。ガダルカナル島の北方約700海里、グリニッチ島の東方海域に進出し敵艦隊の出現に備えたが戦闘参加の機会は無く終わった
- 4月29日から5月8日にかけて駆逐艦による6回のコロンバンガラ輸送が行われることになり、陽炎は十五駆と共に4月29日の第一回、5月3日に行われた第三回の輸送作戦に参加した。
- しかしコロンバンガラ島への鼠輸送の際、何度も同じルートで輸送を行ったため、米軍に航路を察知され機雷を敷設されてしまう。
- 5月7日に第五回の輸送に出発した翌日、この機雷群にひっかかった。
午前4時頃、先を行く親潮が突如触雷。陽炎は敵潜水艦の攻撃と思い黒潮と共に爆雷戦を開始したが、その直後午前4時6~11分頃、自身も触雷したのだった。
不運にも機関部艦底だったため缶部員全員戦死、全缶使用不能。船体は真っ二つに折れそうになり、完全に航行不能となってしまった。
黒潮は6~7千メートル離れていたため無事で「親潮乗員を救助し陽炎を曳航して連れ帰る」と気丈に周囲警戒と爆雷戦を行い陽炎らを見守っていたが、
夜明け頃に陽炎の目の前で一度に3発喰らい、大音響とともに瞬時に爆沈、文字通り轟沈してしまった。「黒潮だけはどうか助かってくれ」と願っていた陽炎・親潮乗員らは心から落胆したという。
陽炎は短艇を出して黒潮乗員を救助している。
- 漂流状態となった陽炎と親潮には午前9時過ぎ、27機(戦闘機8機爆撃機19機)の米軍機が襲いかかった。
動けないまま全艦あげての熾烈な対空戦闘が展開され、陽炎にはついに1発の爆弾も命中せず、一時的に敵機の撃退に成功した。この時、陽炎3機撃墜(1機不明確)、親潮が2機を撃墜したとされる記録が残っている。
だが、抵抗もここまでだった。ついに全弾を撃ち尽くした陽炎は一切の反撃手段を失い、総員退去の命令が下ったのである。
乗員たちは近くの無人島に上陸。夕刻頃、無人の陽炎と親潮に再び敵機がむらがり、乗員たちの見守る中、親潮、そして陽炎と沈んでいった。
- 手を伸ばせば届くようなところで、愛する陽炎がなすすべもなく打ちのめされ、沈んでゆく。乗員たちは溢れ出る涙を抑えることが出来なかったという。
1日にして全艦が失われた第十五駆逐隊は解隊となった。
- なお、このとき第6回輸送の準備をしていた萩風、海風は、十五駆被雷遭難の報を受け四駆・杉浦司令指揮の元、救援のため出動している。
危険極まる夜間の機雷源に強行突入し捜索に当たるも、既に3隻とも姿は無く、大発に乗った陽炎の先任士官より十五駆の最期と生存者の陸上収容を聞くこととなった。
- 広島県呉市の旧海軍墓地の長迫公園には「第十五駆逐隊慰霊碑」と「駆逐艦陽炎の碑」が建立されている。
- 陽炎型の駆逐艦に武功艦が多い理由は、艦隊随伴用に設計されていたので、艦隊決戦となった場合に「最終局面で肉薄雷撃をおこない止めを刺す」という役割があったから。
実際の艦隊決戦は戦艦が主砲を撃ち合うという前近代的なものではなくなっていたものの、設計思想に基づいた行動を常に要求され、自らも進んで実践した結果だといえる。
- ちなみに、ネームシップにもかかわらず、どういうわけか陽炎を写した写真はほとんど現存していない(また、同じ第十八駆逐隊の霰と霞も遙か遠くから写した不鮮明な写真か、艦隊の望遠写真に写りこんでいるぐらいである)。
その代わり、妹の不知火はキスカ沖で大破し、舞鶴海軍工廠で大修理している時の詳細な写真が多数残されており、陽炎型の貴重な研究資料となっている。
- 世界の艦船別冊「日本駆逐艦史」に進水式直前の陽炎の写真が掲載されており、一枚も現存していないという事はない模様、ただし水線下を含む艦首部分のみ。
- 実は第二次世界大戦中の第二水雷戦隊配属期間日数が1,271日と、駆逐艦の中では最長。
尚、太平洋戦争中の第二水雷戦隊配属期間日数は長波の804日がトップ(陽炎は黒潮と共にタイ517日)
- また、臨時ではあるが太平洋戦争開戦後、駆逐艦で初めて第二水雷戦隊旗艦を務めたのも陽炎である。
- 先代は東雲型駆逐艦の5番艦、姉に2番艦の叢雲と4番艦の不知火がいる。
日本海海戦などに参加し、雷型駆逐艦「漣」と共にロシア駆逐艦「ベドヴイ」拿捕とバルチック艦隊司令官他幕僚の捕獲が有名。
- 艦隊これくしょんの公式ノベライズ「艦隊これくしょん-艦これ- 陽炎、抜錨します!」では主人公を務め、同作品中では「曙」、「皐月」、「潮」、「霰」、「長月」と共に第十四駆逐隊を構成して旗艦(嚮導艦)として活躍している。
ちなみに史実の第十四駆逐隊は開戦前に解隊され戦時中は欠番となっており、陽炎率いる第十四駆逐隊はあくまで作品上の架空の編成である。
- 第2回観艦式の公式パンフにおいて、「主人公というイメージで演じています。陽炎型を引っ張る「完璧なお姉ちゃん」であり、艦隊にいると勝利をもたらしてくれるようなパワーのある艦です。茶目っ気があって楽しい艦なのでぜひ旗艦にして頂きたいです」と中の妖精さんからのコメントがあった。
この艦娘についてのコメント 