|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.403|
|&attachref(./403.png,nolink,"そう、私がHornetよ。覚えておいて。");|>|Hornet(ホーネット)|>|Yorktown級 3番艦&br;正規空母|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|67|~火力|0 / 45|
|~|~装甲|38 / 65|~雷装|0|
|~|~回避|30 / 57|~対空|32 / 72|
|~|~搭載|87|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|45 / 70|
|~|~射程|中|~運|28 / 67|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|60|~弾薬|65|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|36|>|>|[[F4F-3]]|
|~|18|>|>|[[SBD]]|
|~|18|>|>|[[SBD]]|
|~|15|>|>|[[TBD]]|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Hornet'' → [[Hornet改]](Lv40)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:Yorktown級航空母艦3番艦、USS Hornetよ。&br;ミッドウェー、そしてサンタ・クルーズ諸島沖で全盛期の日本機動部隊と真正面から対決したわ。&br;飛龍、そして翔鶴瑞鶴も強かった。シャングリラ伝説も私よ?&br;覚えておきなさい。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。
~
#fold(CV:ファイルーズあい、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:ファイルーズあい、イラストレーター:コニシ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Hornet/定型ボイス]])
#table_edit(Hornet/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Hornet/時報ボイス]])
#table_edit(Hornet/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Hornet/季節ボイス]])
#table_edit(Hornet/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#game]
-2020年7月11日、梅雨&夏イベ『[[侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦]]』の[[最終海域 E-7>侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦/E7]] 突破報酬として実装された。
-[[Intrepid]]同様、素の射程が中。
-改装すると[[Graf Zeppelin]]と同燃費になるが夜間砲撃能力を除き、全ての面で能力が勝っている。&color(Silver){%%Grafの立場が危ない。%%};
--特に搭載は''34''もの差がある。実質的な向こうの大幅強化版といえる艦娘。主力空母を出したくない前段作戦等で活躍が見込める。
-ちなみに改装で搭載数は微増なので、レベリングや周回燃費だけを考えるなら未改造のままでも良い。
前線に出すことを考える場合は耐久面の大幅に上がる改の方が良い。ボイスも改で部分的に差し替わる。
-2021年5月8日開始の春イベ『[[激突!ルンガ沖夜戦]]』[[E-3>激突!ルンガ沖夜戦/E3]] の第2(W)・第3(Z)ボスマスでドロップした。
-艦種ソートでは基本艦級順に並ぶのだが何故か軽空母のGambier Bayの後ろに配置されている。
--2022年9月11日のアップデートでソート順が修正された。
--ヨークタウン級なので本来ならレキシントン級のSaratogaとエセックス級のIntrepidの間に納まる。
-2026年5月29日実装の南方海域「[[【Extra Operation】ラバウル方面海域>南方海域/5-6]]」でドロップするようになり通常海域での入手ができるようになった。
**キャラクター設定について [#character]
-スーツ姿で肩に担いだガンケース型飛行甲板に右手のライフル型艤装という、法執行機関のスナイパーめいた出で立ちの艦娘。
--ちなみに上着はフライトジャケット系統。
-右手に携えたライフルは[[Intrepid]]同様、スプリングフィールドM1903がモデル。
ガンケース型の飛行甲板にライフル型艤装が収納可能な構造と思われる。
ライフルの機関部上部には1.1inch(28mm)対空機銃が二基と[[探照灯]]が搭載されている。
-性格は冷静沈着な感じで、提督の悪戯に艦爆隊を差し向ける程には生真面目。[[五航戦の妹>瑞鶴]]や[[アー様>Ark Royal]]と案外気が合うかもしれない。
--放置時や改の時報だとむしろ[[五航戦の姉>翔鶴]]とのからみが多い。
**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2025年01月01日のオンメンテで【晴着】modeが実装された。
初お目見えは2024年の横浜公式新春ライブ。
#fold(限定グラフィック:晴着mode){{
限定グラフィック:晴着mode
&attachref(./403_Nenshi_2025.png,nolink,A happy new year! 提督、今年もHornetをよろしく頼むわね。さあ、New year partyに行きましょう。……え? 一緒よ?);
//中破絵は無しで
}}
*小ネタ [#neta]
#fold(略歴){{
}}
-アメリカ海軍のヨークタウン級航空母艦3番艦「ホーネット」(CV-8)が元ネタ。
--名前はスズメバチを意味する「Hornet」から。アメリカ独立戦争期の10門スループである初代以来アメリカ海軍で代々受け継がれてきた伝統的な名前で、本艦は7隻目にあたる。
-第二次世界大戦には2隻のホーネットという名前の空母(CV-8とCV-12)が登場するが、本艦は前者(CV-8)の方。
--後者(CV-12)は本艦の名前を引き継いだエセックス級4番艦((就役順は7番目))で、こちらは2020年現在もカリフォルニア州アラメダで博物館として現存・公開されている。
-あだ名はFighting Lady、これは船はアメリカでも女であり、戦う女という発想からよくついたあだ名でホーネット以外にもいる。またはHorny Maru、HornetのHornにyをくっつけたアメリカ人が好きな言葉遊びであり、Horney自体かなり下品な言葉で、むらむらしてやりたくなるイカす船、ぐらいの意味になる。
**建造の経緯 [#h81ec1b2]
-1934年、第二次ロンドン軍縮会議の予備交渉が不調に終わり、日本はワシントン条約の破棄を通告、1936年にはロンドン軍縮本会議も脱退した。それにより1938年、英米仏の三か国のみで締結された第二次ロンドン条約のエスカレータ条項が発動し、アメリカは新たに4万tの空母保有枠を得た。
それを受けてアメリカは2万t級空母2隻の建造を計画するが、新型空母の設計が間に合わなかったため、差し当たり1隻をヨークタウン級の準同型艦として1938年度計画で発注し、もう1隻は新規設計として1939年度計画に後ろ倒しすることとなった(こちらは後のエセックス(CV-9) )。
--本来ならヨークタウン級は2隻だけであったのを、こうした経緯から3隻目を造る事になり、それがホーネットになったわけである。建造時期が4年ほどずれているのはそのためで、年の離れた妹のようなものである。
「ヨークタウン級の''&color(red){準同型艦};''」と表現されるのは、軍縮条約の制限がない状態での建造となったため全長の延長(約8mほど)などの改修が施されており、排水量も約100tほど大きくなっているため。
---ハル・ナンバーが次姉エンタープライズ(CV-6)から1つ飛んでいるが、これはこの空いた期間にワスプ(CV-7)([[こちら>Wasp]]の先代)が建造されたため。
-就役日は1941年10月20日で、真珠湾攻撃の1ヶ月半前。開戦時の最新鋭空母であった。初代艦長となったのは「マーク・A・ミッチャー」大佐((太平洋戦争戦史では必ずと言ってもいいほど登場する米海軍の著名な提督の一人。1881年1月26日ウィスコンシン州生まれ。1904年にアナポリスに入学するもクラス内の喧嘩騒動で、日頃の成績不振と素行の悪さから目をかけられてしまい退学処分となってしまう。父の後押しで1906年に再入学したがこうした経緯から「内向的、反抗的、非社交的」というレッテルを貼られ成績も131名中103位で卒業と芳しいものではなかった。だがこの頃から飛行機に興味を示し(なおライトフライヤーの初飛行は1903年12月なので、ミッチャーの在学時は初飛行からまだ数年の時期である)、卒業直後の1910年11月には早くもパイロット候補生に志願。さすがに速すぎたのか志願が叶うのは1915年になってからで翌16年に海軍パイロット第33号となりパイロットとして活動していくことになる。1926年には米海軍最初の空母「ラングレー」の飛行長、[サラトガ」の飛行長(サラトガへの初着艦も彼の乗機だった)を経て1941年10月にホーネット艦長となる。ミッドウェー海戦後に艦長職を辞してしばらくの間ハワイで航空部隊を指揮した後、1942年12月からヌメアの艦隊航空団指揮官としてソロモン方面の陸海海兵の各航空団を指揮。山本五十六長官の乗機を撃墜したのも彼が指揮していた時の出来事である。1943年中盤にはミッチャーとは関係ないところでの権力闘争に巻き込まれ、レイモンド・スプルーアンス率いる第5艦隊の空母部隊指揮官職を前任の更迭を経て受け持つことになる。ミッドウェー海戦以降確執のあった二人だったがマリアナ沖海戦の頃にはそれも解消され勝利に貢献する。その後前線部隊が第5艦隊からハルゼー率いる第3艦隊に交代するが空母部隊指揮官は引き続きミッチャーが率いる事になり、フィリピン方面での戦いではハルゼーが半ば越権的に空母部隊に指示を出してきた結果、ミッチャーの仕事がなく不貞寝状態となった事もあったが、ブルラン後の小沢艦隊追撃の任をこなすなどして戦果を挙げ、10月30日にウルシ―泊地帰還後に後任のマケイン提督に指揮を譲り短い休養をとる。1945年になり前線部隊が再び第5艦隊となると、ミッチャーは再び空母部隊指揮官に抜擢され3月中旬からの九州沖航空戦及び4月からの沖縄戦に参加。坊ノ岬沖海戦ではスプルーアンスが戦艦部隊に大和迎撃を命じていたのを知りつつも、大和の針路が佐世保に逃げる可能性もあった事から、攻撃をすべきかスプルーアンスに確認し、許可を得た事で攻撃を仕掛け大和以下を撃沈した。終戦後は海軍再編に伴い創設された第8艦隊の司令官に、次いで太平洋艦隊司令長官に就任して大将になるが、長い前線での活動で身体は既に疲弊しており、1947年2月3日に心臓発作を起こして死去。享年60歳))。後にハルゼーやスプルアンスの旗下で機動部隊を指揮し、マリアナ、フィリピン、沖縄などで日本海軍と相対する人物である。
--ホーネットの事は日本でも[[「日本ニュース」第34号(1941年1月)>https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001300419_00000&chapter=006]]で進水式の様子が報道されている。
**竣工、そして前線へ [#s9a79c52]
-竣役後、ホーネットはノーフォークで訓練航海等を行い、風雲急を告げる日米関係の悪化を踏まえて、一刻も早い戦力化に努めていた。そして1941年12月8日、遂に太平洋戦争が始まると、ホーネットの慣熟訓練も急ピッチで進められ、翌1942年1月末には訓練を完了する。
--この訓練の最中、ホーネットに2機の[[B-25]]陸軍双発爆撃機がホーネットの甲板上に搭載された。乗員たちはなぜ陸軍機を積むのか訝しんだが、これが米軍が企図するある重大作戦のための準備であり、ホーネットがそれに参加する事になることは、この時乗員たちは誰も知る由はなかった。
---2機のB-25爆撃機、これは真珠湾攻撃等で落ちるばかりのアメリカの士気を、もう一度高めるために計画された「日本本土空襲」を実現させるために(''&color(Red){陸軍爆撃機を空母から発艦させることは可能か};'')を試すために搭載されたもので、慣熟訓練終了直後の2月1日、2人の海軍士官の操縦する2機は無事にホーネットから飛び立つことに成功した。
-ノーフォークに帰港したホーネットは、直ちに太平洋方面への進出を命じられ出港、3月4日にはパナマ運河を通り太平洋に進出する。20日にはサンフランシスコのアラメダ海軍基地に到着したが、ここで乗員たちを驚かせたのは、ホーネットに搭載するために待ち構えていた16機ものB-25と、1925年のシュナイダートロフィーレースの優勝者で、当時アメリカ航空界で名の知らない者はいないパイロットだった「''&color(Blue){ジミー・ドーリットル};''」陸軍中佐((1896年12月14日カリフォルニア州生まれ。1917年に陸軍航空隊に入隊し22年にフロリダ~サンディエゴまでを約21時間で飛行する史上初の「アメリカ大陸横断飛行」を達成する。25年には前述の通りシュナイダー・トロフィー・レースで優勝して1930年に中尉で退役するも、その後もハーモントロフィー(30年)、ベンディックストロフィー(31年)、トンプソン・トロフィー(32年)などを立て続けに優勝する。1940年に軍に復帰し1942年に中佐に昇進、4月に東京初空襲を指揮して成功、2階級昇進して准将になる。以後は太平洋方面を離れ北アフリカの戦略空軍司令官、英本土に展開する第8空軍司令官などを務め戦後の1946年5月に予備役。1993年9月27日に96歳で死去))と100名以上もの陸軍パイロットが、ホーネット乗艦のため待っていた事だった。
-初陣どころか、海軍艦艇としての作戦行動など、一切経験のないホーネットに課せられた最初の任務は、なんと「日本本土初空襲をするB-25を日本本土近海まで運び離陸させること」という極めて重要な任務であった。巡洋艦2隻、駆逐艦4隻で新たに第18任務部隊を編成したホーネットは4月2日にはサンフランシスコを出撃、途上13日には現場指揮官を務めるウイリアム・ハルゼー提督率いる第16任務部隊(空母エンタープライズ、重巡2、駆逐艦4)が護衛のため合流し、ホーネットを中心とした攻撃部隊は一路日本に向けての針路をとった。
--機密保持のため、ホーネットの乗員には「真珠湾にB-25を輸送する」とだけ知らされていた。出港した2日の午後、ミッチャー艦長の艦内放送で出撃の目的を知った乗員達は歓声を上げて喜んだという。
**日本本土初空襲 [#yd55659f]
-ドーリットル中佐率いる攻撃隊は、4月18日夕刻に日本から400マイルほどの地点から出撃する予定だった。しかし、出撃当日の未明、艦隊は遂に日本側に発見されてしまう。
--発見したのは犬吠埼東方で監視任務に従事していた特設監視艇第二十三日東丸だった。元々漁船である第二十三日東丸は、海軍に徴用され監視任務のため第二十二戦隊(通称黒潮部隊)に配属されていた。ホーネットらを発見した第二十三日東丸は直ちに米機動艦隊発見を通報し、さらに航空母艦の数などを打電するなど、身の危険を顧みず、偵察行動を続けたという。
--発見されたことを知ったハルゼーは、直ちに第二十三日東丸の撃沈を指示、護衛の軽巡洋艦ナッシュビルやエンタープライズの艦載機がこれを攻撃、第二十三日東丸側も搭載していた機銃で応戦する。しかし僅か90t程でしかない第二十三日東丸と、1万トン近い軽巡洋艦とでは端から勝敗は見えてていた。それでも第二十三日東丸は最後は体当たりを企図したかのように突入を開始、米軍の攻撃開始から約30分もの間粘りぬくが、8時20分に遂に命中弾を受け大炎上、その7分後に沈没した。生存者はいなかった。
-通報されたことで、ホーネットらは直ちに攻撃隊を発進させることを決断する。日本からはまだ600マイルの地点で、これは着陸地点にたどり着けるぎりぎりの地点だったが、通報されたことで日本側の迎撃態勢が整えられてしまう事を危惧した結果、予定を繰り上げて出撃する事となったのである
--40ノットを超える強風と30フィートに及ぶ波が激しく船体を揺さぶる中、ドーリットル中佐率いる16機のB-25は1機も事故を起こすことなく無事に発艦した。ホーネットは麾下艦艇と共に直ちに反転退避行動をとった。日本語および英語両方のラジオ放送を傍受して攻撃隊が成功した事を知ると、艦内は再び歓声に包まれたという。ホーネットらは4月25日の朝、無事に真珠湾に帰港する。
-日本初空襲が報道された際、どこから発進したのか聞かれたルーズベルト大統領はホーネットからとは当然言わず、シャングリラからと答えた。ジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』で語られる理想郷の名である。のちにエセックス級空母12番艦が、その命名進水式をドーリットル中佐の妻ジョセフィン・ドーリットルが務めたことから、米海軍空母命名の慣習である歴史上の戦地や過去の艦名ではなく、シャングリラの名が与えられることになる。
-この作戦による被害は死者87名、重傷者151名(うち後日死亡1名)、軽傷者311名以上、家屋全壊・全焼112棟(180戸)以上、半壊・半焼53棟(106戸)以上であった((名目上は軍事施設のみを標的とした作戦であったが実際は民間の居住区にも攻撃が及んでおり、国際法上禁止されている非戦闘員への攻撃も積極的に行われていた。中には日本軍の航空機と勘違いし手を振った学童に対しても機銃掃射が行われたが、幸いにも死者は出なかった。詳細については[[こちら>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AB%E7%A9%BA%E8%A5%B2]]も参照。))。
-2022年12月3日、米ノースロップ・グラマン社がB-2の後継として開発中の次世代爆撃機B-21が報道公開され、ホーネットから発進して日本本土空襲を成功させた「ドーリットル・レイダース」に由来する、「レイダー」という愛称が発表された。&color(silver){さすがに「日本に向けて飛んだ部隊」とは言わなかったが};
**日米空母決戦「ミッドウェー海戦」 [#x9743b33]
-帰還したホーネットらは、南方海域で行われようとしていた初の空母同士の決戦に参加すべく、4月30日に真珠湾を出撃するが、5月8日に珊瑚海で行われた「珊瑚海海戦」には間に合わず、ナウル島とバナバ島に対する攻撃を支援した後、5月26日に真珠湾に帰還する。
補給や整備を僅か2日で済ませたホーネットは、エンタープライズの第16任務部隊に加わり、ミッドウェーに侵攻する日本海軍を迎撃するために30日に出撃する。
しかし指揮官のハルゼー提督は皮膚病が悪化して入院するという事態となり、後任に巡洋艦部隊を率いていたレイモンド・スプルアンスが着任する。
-緒戦以来大戦果を挙げ続ける「''&color(Red){南雲機動部隊};''」、それを先鋒として連合艦隊が戦力の大半を投入したミッドウェー攻略作戦。
対してアメリカ側は珊瑚海からの修理を終えて参加したヨークタウンを含めた「''&color(Blue){ヨークタウン級三姉妹};''」を中心とした機動部隊でこれを迎え撃った。
太平洋戦争のターニングポイントの一つとなったミッドウェー海戦の始まりである。
--しかし、この戦いでホーネットは姉二人と比べて目立った活躍は出来なかった。
南雲機動部隊を発見して出撃した航空隊は、艦攻隊以外は南雲機動部隊を発見できずにミッドウェー島に帰還したり、燃料切れで不時着水したり、母艦に舞い戻ったりと散々な結果となった。
唯一南雲機動部隊を捕捉できた艦攻隊15機は、三姉妹の艦載機で最初に南雲機動部隊への攻撃を仕掛けた部隊となったが、護衛戦闘機もいないままの突撃は直掩の零戦の格好の的であり、15機全機が撃墜され、不時着水後に機体から脱出して漂流し、後に救助されたジョージ・ゲイ少尉以外の29名は全員戦死してしまう。
#fold(ホーネット雷撃隊の奮闘){{
-この時全滅したホーネット雷撃隊「VT-8」の隊長、ジョン・C・ウォルドロン少佐は、「日本空母は双方の部隊の距離を詰めるために進路を変更するのでは?」と考え、発進後に独自の判断で進撃した事で南雲機動部隊の上空に到達する((なおリング中佐率いるVB/S-8(艦上爆撃機で構成するVB-8とVS-8の合同部隊。VSは艦上偵察隊で、米空母では爆撃機が偵察任務を担当していたので、VBもVSも艦上爆撃機で編成されている)ミッチェル少佐率いる「VF-8」隊は計画通りの針路を進んだ結果敵を発見できず、ミッドウェ―基地に退避したり、母艦に帰投したり、燃料切れで不時着水したりと、攻撃に貢献できなかった))。
-ウォルドロン少佐は自部隊単独で突撃を開始するが、低速で鈍重な雷撃機[[TBD]]は上空警戒している[[零式艦戦21型]]にとっては格好の標的で次々と撃ち落され、最後に残ったジョージ・ゲイ少尉機のみが雷撃に成功する。だがこれは命中せずゲイ少尉機も撃墜され、少尉のみが脱出に成功。後に味方潜水艦に救助され生還している。
}}
-南雲機動部隊攻撃に出撃した3空母の艦載機9部隊((ヨークタウンからはVF-3(戦闘機隊)6機、VB-3(爆撃隊)17機、VT-3(雷撃隊)12機の3隊35機、エンタープライズからはVF-6(戦闘機隊)10機、VB/S-6(爆撃隊、偵察隊合同部隊)33機、VT-6(雷撃隊)14機の3隊57機、ホーネットからはVF-8(戦闘機隊)10機、VB/S-8(爆撃隊、偵察隊合同部隊)35機、VT-8(雷撃隊)15機の3隊60機が参加している。なおVB-3だけほかの爆撃隊より数が少ないのは、米空母では爆撃機が偵察任務を行っており、海戦当日はヨークタウンが偵察任務を与えられており、搭載爆撃機の半数を偵察任務に割いていたため))のうち、南雲機動部隊に到達できたのは7隊((VF-3、VT-3、VF-6、VT-6、VT-8。遅れてVB-3、VB/S-6も到達しているが、VB/S-6は目標を捕捉できずに捜索して、日本の駆逐艦を偶々見つけて追跡した事で到達でき、VB-3も他のVF-3、VT-3とはぐれて、遅れて到達している))。このうちエンタープライズ航空隊((爆撃隊VB/S-6(指揮官クラレンス・マクラウスキー少佐)、雷撃隊VT-6(指揮官ユージーン・リンゼー少佐)、戦闘機隊VF-6(指揮官ジェームズ・グレイ大尉))は、ウォルドロン少佐と同じような判断をして、独自にコースをとったので、南雲機動部隊を発見できた。
--全滅したVT-8についで、リンゼー少佐率いるVT-6が突入する。しかし護衛役のVF-6が他の部隊の行動が把握できず上空待機し続けたため、VT-6は零戦の迎撃を受けて4機を残して全滅((このため壊滅したVT-6の生き残った搭乗員らが帰艦後に戦闘機パイロットの控室に拳銃片手に怒鳴り込むという一幕があった))、リンゼー少佐も戦死する。
続くVT-3(ランス・マッセイ少佐指揮)は唯一戦闘機隊VF-3(ジョン・サッチ少佐指揮)と連携して突入したが、数十機もの零戦の迎撃にVF-3の6機だけでは対抗できず、10機が撃墜されマッセイ少佐は戦死、残り2機も燃料切れで不時着水したので全滅となった。
--ただ、ここで思わぬ偶然が起る。南雲機動部隊を発見できないでいたVB/S-6が、偶々米潜水艦を攻撃して南雲機動部隊への合流を急ぐ駆逐艦[[嵐]]を発見、これを追尾したことで3空母の雷撃隊を壊滅させた結果、低空に零戦が集中してしまい、上空が無防備となっていた南雲機動部隊を発見する。
更に日本側にとって間の悪い事に、遅れていたVB-3もようやく南雲機動部隊上空に到達し、2隊同時攻撃の形となる。
バラバラの波状攻撃という失敗が、却って日本側に護衛戦闘機が低空にかたまってしまうという状況を生み、そこを遅れてきた爆撃隊が上手く突くという偶然によって、南雲機動部隊の3空母が大破、そして沈没や自沈へとつながるという結末となった。
--その後、飛龍の反撃で長姉ヨークタウンが航行不能となると、ホーネットはヨークタウンの艦載機を収容し、撤退する日本軍の追撃を開始する。
翌6月6日には日本戦艦発見の報を受け、エンタープライズと共に攻撃隊を出す。
しかしこれは戦艦ではなく、損傷により撤退する重巡洋艦[[最上]]、[[三隈]]だった。
攻撃隊はこれを空襲し三隈を撃沈する。ホーネットにとってこれが最初の戦果となった。
-結果的にミッドウェー海戦は日本側の空母4隻と重巡1隻が沈み、アメリカ側は空母1隻を喪失。日本の侵攻企図は挫かれアメリカ側の大勝利となった。
しかしこの戦いで第16任務部隊を指揮したスプルアンスは、ホーネット隊が南雲機動部隊への攻撃に多くの機が失敗したことが、ヨークタウンの損失につながったと考え、指揮官のミッチャーに対して偏見の目を向ける事になってしまった。
だが皮肉にも、こののちスプルアンスが中部太平洋方面で第五艦隊を指揮して戦う際に、常に貴下の機動部隊を指揮したのがミッチャーで、やがてスプルーアンスの誤解も解かれ、終戦まで上司と部下の間柄となっていくのである。
--スプルーアンス大将(当時中将)については、元々空母は畑違いだった事から、「空母運用の理解が乏しかった」と評され、その乏しさから「航空隊の壊滅はホーネットの責任」と判断したとも言われている。
ミッドウェ―海戦も、本来であればハルゼー中将が赴くはずだったが、持病を理由に後方へ一時離脱する事になったため、前述の通り巡洋艦部隊指揮官だったスプルーアンスがハルゼーの指名を受けて急遽指揮官に就任したのだが、「畑違い」という事や、戦艦の価値が怪しくなっていた1944年においてもトラック島空襲で戦艦の運用を希望した逸話や、大和との対決も戦艦部隊で決着させようとして失敗したという逸話から、一部では「戦艦至上主義者」ともささやかれている。
---但し、空母指揮官で名をはせたハルゼーにも、スプルーアンスと同様1944年10月に発生したレイテ沖海戦で、栗田艦隊の迎撃のため高速戦艦部隊を編成し、それに自身が座乗する戦艦「ニュージャージ」を加えて、[[大和]]、[[長門]]らとの砲撃戦をしようとした事実もあるので、「戦艦を運用しようとした=戦艦至上主義」という解釈は本来は間違いである。艦隊指揮官として、与えられた各種艦艇を効率よく運用しようとするのは、大砲屋でも水雷屋でも、航空屋でも関係ないわけで、スプルーアンスもハルゼーも、必要と判断して戦艦を運用しようとしただけである。
**ソロモン方面の激闘「南太平洋海戦」 [#o98ee417]
-ミッドウェー海戦を生き延びたホーネットは、艦載機を他の空母に明け渡すと、装備の更新と訓練に終始し、ガダルカナル島侵攻作戦にも当初は加わらなかった。8月7日からのガダルカナル島攻防戦にはエンタープライズ、[[サラトガ>Saratoga]]、ワスプが参加している。しかし、8月24日の第二次ソロモン海戦でエンタープライズが損傷し戦線を離脱すると、サラトガも8月31日に[[伊26]]の雷撃で損傷を被り撤退。ワスプも9月15日に[[伊19]]の雷撃で沈没したため、攻防戦開始から1月ほどで、アメリカ軍は運用可能な空母はホーネットだけになってしまう。
-慌てたアメリカ海軍はホーネットを直ちにソロモン方面に投入すると共に、エンタープライズの修理を急ピッチで行い、なんとか作戦投入可能な空母を2隻揃える。一方日本側はミッドウェー海戦で4隻の空母を失いつつも、ガダルカナル島攻防戦時は空母6隻((翔鶴、瑞鶴、龍驤、飛鷹、隼鷹、瑞鳳))を揃えており、第二次ソロモン海戦で[[龍驤]]を失い、[[飛鷹]]が機関不調で引き返していたが、4隻の空母を投入可能であり、戦力的には日本側が有利な状況だった。
-こうしてアメリカの海軍記念日である10月26日、日米双方の機動部隊による4度目の海戦「南太平洋海戦」が発生する。
--この戦いで両艦隊は、ほぼ同時期に敵機動部隊を発見し、攻撃隊を出撃させた。ホーネットは第一次攻撃隊29機((F4Fワイルドキャット8機、SBDドーントレス15機、TBFアベンジャー6機))と、第三次攻撃隊25機((F4F 7機、SBD 9機、TBF 9機))が出撃する。日本側も翔鶴から24機((村田重治少佐率いる九七式艦上攻撃機20機、宮島高義大尉率いる零式艦上戦闘機4機))、瑞鶴から29機((高橋定大尉率いる九九式艦上爆撃機21機、新郷英城大尉率いる零式艦上戦闘機8機))、瑞鳳から9機((日高盛康大尉指揮の零式艦上戦闘機9機))の計62機が出撃、日米ともほぼ同時に出撃した事で双方の攻撃隊が上空ですれ違うという珍事が発生したりしている。
---この際、瑞鳳戦闘機隊がすれ違った米攻撃隊のうち、エンタープライズより出撃した第二次攻撃隊19機((F4F 8機、SBD 3機、TBF 8機))を迎撃しこれに打撃を与えるが、自隊も損傷を受け自隊の位置も見失った事から瑞鳳に帰還する。このため直掩戦闘機の数が減った日本側は、その後のホーネットへの攻撃の際に大損害を被り、隊長の村田重治少佐も戦死する原因となったとも言われている。
---但し瑞鳳戦闘機隊の行動については、これによりエンタープライズ攻撃隊が南雲機動部隊への攻撃のタイミングを逸し、代わりに前衛部隊を攻撃するしかなくなった結果、ホーネット隊の空襲で中破した翔鶴が、更に損害を受ける事を防げたという意見もある。
--ホーネットから出撃した2つの攻撃隊のうち、第一次攻撃隊の方は日本機動部隊を発見、直後に直掩の零戦に襲われ護衛のF4Fが迎撃、その後丸裸となった艦爆隊に残りの零戦が殺到し、2機撃墜、2機被弾撤退の損害を受ける。
残りの11機は旗艦[[翔鶴]]に対して攻撃を実施し4発の命中弾を与えるが、ミッドウェー海戦の教訓((航空燃料や弾薬などの危険物を早急にしまっていた))を活かした事で誘爆を避ける事に成功し、翔鶴は中破の状態で戦線を離脱した。一方第一次攻撃隊の艦攻6機と、第三次攻撃隊25機は日本機動部隊を発見できず、エンタープライズ隊と同様前衛部隊を攻撃し、[[筑摩]]を大破させるなどの損害を与えている。
--一方、日本側の第一次攻撃隊も、米機動部隊上空に到達する。村田重治少佐は目標をホーネットに絞り攻撃を開始する((エンタープライズはスコールの中にいて日本側は発見できなかった))。
---高橋定大尉率いる瑞鶴艦爆隊がまず攻撃を仕掛け、爆弾3発が命中、1発が至近弾となった。更に被弾した佐藤茂行飛曹長機がホーネットの煙突前部に突入自爆し火災を発生させた。続いて村田重治少佐率いる翔鶴艦攻隊が雷撃を仕掛け、ホーネット右舷の前部機械室と対空砲弾庫付近に魚雷が命中、更に被弾した艦攻1機(村田隊長機ともいわれる)が体当たりを行う。被雷による浸水でホーネットは全動力を失い停止してしまう。
---一度の空襲で爆弾3発、魚雷2本を命中させ、他にも至近弾等でホーネットに大損害を与えた第一次攻撃隊、しかしホーネットや護衛の艦艇、直掩戦闘機による必死の防戦で損失8割((零戦12、艦爆21、艦攻20のうち零戦5、艦爆17、艦攻16の損失))もの損害をだし、指揮官の村田少佐を含め、多くの熟練パイロットを失った((瑞鶴艦爆隊長の高橋大尉も被弾撃墜されるが洋上への不時着水に成功し、一緒に同乗していた偵察員ともども一晩の漂流の後、偶々通りかかった日本のタンカーに救助されている))。
--航行不能となったホーネットは全動力を失い大火災を起こしながら漂流する。救援の駆逐艦からの消火活動などで鎮火には成功するが動力復旧は絶望的だった。
幸い日本側の第二次攻撃隊((翔鶴艦爆隊長関衛少佐率いる九七艦攻16機、九九艦爆19機、零戦9機の部隊。同隊は二手に分かれて進撃し、双方ともエンタープライズ基幹の第16任務部隊を攻撃した))は無傷のエンタープライズに攻撃を集中したので、アメリカ側はその隙にホーネットの曳航を企図した。だがそこに近藤信竹中将率いる前進部隊に所属していた[[隼鷹]]からの二航戦第二次攻撃隊15機((艦攻7、零戦8の編成。なお二航戦第一次攻撃隊は第16任務部隊を攻撃した))が来襲、ホーネットに魚雷1発が命中、傾斜が14度に増大してしまう。
--続いて一航戦第三次攻撃隊((瑞鶴艦攻隊分隊長の田中一郎中尉率いる零戦5、艦爆2、艦攻6の部隊))、二航戦第三次攻撃隊((隼鷹艦爆隊先任将校の加藤舜孝中尉率いる艦爆4、零戦6の部隊。加藤は中尉ながら、隼鷹艦爆隊隊長の山口正夫大尉や分隊長の三浦尚彦大尉が既に戦死していたため、この時点で先任将校となっていた))の攻撃で複数発の爆弾を被弾し、ホーネットの復旧曳航は不可能と判断される。艦長のチャールズ・P・メイソン大佐は総員退艦を指示、また駆逐艦2隻による海没処分も決定した。
---しかしホーネットの海没処分は思いのほか難航する。まず魚雷で仕留めようとしたが、当時のアメリカ海軍の魚雷は不良品が非常に多く、命中したとしても威力不足の上にそもそも命中しても爆発しないこともあった。そのためか16本発射した魚雷は半分の9発しか命中せず、しかも威力不足で浸水を広める事は出来なかった。また砲撃で沈めようにも喫水線下を上手く狙う事は難しく、殆どの弾が喫水線上構造物に命中するだけで、これも浸水を誘発する事が出来なかった。
--海没処分が長引くうちに、日本艦隊が迫っている事を知った2隻は処分をあきらめ撤退する。こうして炎上したまま浮かぶホーネットは、米空母が漂流しているとの報を受けて進撃してきた第十駆逐隊の[[秋雲]]、[[巻雲]]の2隻に発見される。
---「事情許さば、拿捕曳航されたし」と連合艦隊司令部からの指示を受けていた2隻だが、拿捕曳航できるような状況ではなかったので撃沈処分が決定する。
まず秋雲が砲撃でホーネットを沈めようとしたが米駆逐艦の時と同様全く沈む気配はなく魚雷による処分が決定、秋雲と巻雲双方から計2本ずつ放たれた魚雷は3本が命中する。この雷撃でホーネットは遂に力尽き沈んでいった。この際沈めた空母がホーネットであることを知った乗員からは、東京空襲がホーネットによって行われたことを知っていたこともあり「東京空襲の仇を討ったぞ」と喝采をあげる者もいたという。
---この際、秋雲の艦長が巻雲や秋雲乗員を驚かす[[奇行をしでかしている>探照灯]]のだが、詳細は[[秋雲]]に詳しい。
-なお、このホーネットの最期の戦闘の模様は終始艦上でカメラが回されていたため、記録映像として残されている。
また、このフィルムは日本も鹵獲入手((友軍の奮闘する姿をニュース映像として制作し、前線の士気向上して配ったものを日本側が入手したらしい))おり、再編集のうえ[[「日本ニュース第177号 決戦」>https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001300562_00000&chapter=001]]として日本国民へ公開、広く知られることとなった。
この第177号は後半の「学徒出陣」と合わせ、日本ニュース映画中の白眉としても名高い。また、ホーネットは日本ニュースによって進水の模様と最期の戦闘の両方を映像報道されるという、稀有な例となった。
-こうして太平洋戦争開戦時のアメリカ最新鋭空母だったホーネットは完成から1年と7日で、南太平洋の海底に沈んでいった((現在に至るまで、アメリカ空母で最も短命の正規空母である))。しかし短い一生の中で、東京初空襲、ミッドウェー海戦など、主要な作戦に従事し、アメリカにとって厳しい時期を戦力の中核として戦った本艦にあやかり、建造中のエセックス級4番艦にホーネットの名が襲名された。
--余談だが、現在エセックス級4番艦のCV-12「ホーネット」が展示(接岸)されているアラメダのNo.3桟橋(Pier No.3)は、1942年4月1日にCV-8「ホーネット」へB-25×16機を搭載した場所でもある。現在、桟橋には「THE JIMMY DOOLITTLE PIER (ジミー・ドーリットル桟橋)」と表示された説明書きのプレートが設置されている。
---CV-12の格納庫内には、CV-8紹介用エリアも設けられ、ジオラマ・写真・インシグニア(部隊マーク)・資料等が展示されている他、別エリアには幅が2m近くあるB-25の模型が壁に掛けられている。また、エセックス級姉妹のエンブレムが展示されているエリアには、CV-38「シャングリラ」の物も展示されている。
-双葉社刊行の超精密3D CGシリーズ 42「日米空母決戦」で栃林秀氏の作成した「[[激闘!南太平洋海戦>https://www.youtube.com/watch?v=Wkd7n-4D5-Q]]」というCG動画がある。一部経緯が省略されているところもあるが、非常に臨場感あふれる作品となっているので一見してみてほしい。
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