|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.615|
|&attachref(./615.png,nolink);|>|Wasp(ワスプ)|>|Essex級 6番艦 正規空母|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|65|~火力|37 / 57|
|~|~装甲|43 / 79|~雷装|0|
|~|~回避|39 / 62|~対空|54 / 90|
|~|~搭載|96|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|51 / 82|
|~|~射程|中|~運|44 / 88|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|75|~弾薬|80|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|36|>|>|[[F4F-4]]|
|~|36|>|>|[[SBD-5]]|
|~|18|>|>|[[SBD-5]]|
|~|6|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Wasp'' → [[Wasp改]](Lv50)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:Essex級航空母艦6番艦、Waspです。そう、あの空母の名前を継いだ、あの戦い最強の量産型正規空母の一隻。日本の本当に本土近くまで進出して攻撃を実施したわ。もちろん、反撃も凄かったけど。&br;現代では強力な戦力を投射する強襲揚陸艦にその名は継がれているの。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:久保田ひかり、イラストレーター:未発表 (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:久保田ひかり、イラストレーター:未発表((CVやイラストレーター加筆時は、''必ず[[CV・イラストレーター/テーブル/出典_艦娘]]に出典を記載して下さい''))
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Wasp/定型ボイス]])
#table_edit(Wasp/定型ボイス)
~

#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Wasp/時報ボイス]])
#table_edit(Wasp/時報ボイス)
~

#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Wasp/季節ボイス]])
#table_edit(Wasp/季節ボイス)
~

//セリフ一覧内における外国語の解説の記述方式について→https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%AD%B0%E8%AB%96%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF/%E8%89%A6%E5%A8%98%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95%E4%B8%80%E8%A6%A7%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
}}

*ゲームにおいて [#game]
-2025秋イベント後段作戦『[[要撃!敵機動部隊捜索撃滅戦>逆転!ナルヴィク攻防戦/E5]]』E5にて報酬艦として初登場。
-[[Intrepid]]と異なり火力初期値が1以上のため夜間砲撃を行う。[[改>Wasp改]]も同様。

//**装備ボーナスについて [#bonus]


//**性能比較表(?より転送)  [#comparison]


**アップデート履歴 [#update]
-2025/11/10:[[イベント報酬艦>逆転!ナルヴィク攻防戦/E5]]として実装。
-2025/11/28:夜戦において攻撃用艦載機がない場合、謎の攻撃をする場合がある不具合を修正((https://x.com/KanColle_STAFF/status/1994375615202705576))。

**キャラクター設定について [#character]


//**期間限定グラフィック [#graphic]

*小ネタ [#neta]
#fold(略歴){{
}}
-元ネタはアメリカ海軍のエセックス級航空母艦「ワスプ」(CV-18)6番艦。起工、進水、就役の全てが6番目に完成した。愛称は動植物の針・棘を意味する「スティンガー(stinger)」。エセックス級の詳細については[[こちら>Intrepid]]を参照。
--名前は「ホーネット(Hornet)」と同じくスズメバチを意味する「Wasp」から。Waspはアシナガバチなども含むスズメバチ上科の捕食性の大型ハチ類の総称で、Hornetよりも少し幅広い分類である。
---「[[ホーネット>Hornet]]」と同じく、「ワスプ」もアメリカ海軍では10代を数える伝統的な名前で、初代は1775年就役のアメリカ独立戦争時代のスクーナーにまで遡り、本艦は9代目にあたる。
-第二次世界大戦では「ワスプ」の名を持つCV-7とCV-18の2隻の空母が存在したが、本艦は後者(CV-18)である。※CV-7の艦歴等詳細は後述
--[[ヘレナ改>Helena]]の時報に度々出てくるワスプは本艦ではなく先代のCV-7の方である。同じ名前、艦種ながらヘレナが触れている娘とは別の艦娘が登場した訳だが、ヘレナの中の妖精さんも勘違いして[[CV-7の方が実装されたと思ってコメントを出してしまっている>https://x.com/moriyuri_11/status/1992247055692317014?s=46&t=svxj2UEKyLdbv4In7DWvQg]]。
なお、ヘレナは1943年7月6日に沈没しているので、同年8月17日に進水、11月24日に竣役している本艦とは面識は一切ない((起工中についても、ワスプが起工した1942年3月18日以降、ヘレナは太平洋で活動しており、ワスプの造船所がある大西洋まで行った記録はない))。%%CV-7の方のワスプが実装されるときはどう呼ばれるのだろうか…%%

***ハルナンバーとエセックス級の「○×番艦」について [#j457330f]
-名前の横にある「CV‐○○」というのは「ハルナンバー」というもので、造船所への発注時に造船所ごとにまとめて割り振られるものである((ハルナンバーは現在も継続使用されており、例えば2025年現在横須賀を母港とするジョージ・ワシントンはCVN-73である。なお「N」は戦後核動力艦に付与されるようになった記号でCVNなら核動力の空母を指す))。CVは「航空母艦」を意味している((戦艦だとBB、重巡洋艦はCA、軽巡洋艦はCL、駆逐艦はDD等々))。この番号はキャンセルされても存在し続け、あとで計画された艦に番号がスライドする事はない。
--例えば[[コロラド>Colorado]][[級>Maryland]]の次に計画されていたサウスダコタ級([[こちら>South Dakota]]とは別)はコロラド級4番艦のハルナンバー「BB-48」に次ぐ「BB-49」から「BB-54」が割り振られたが、ワシントン軍縮条約で建造中止となる。その後軍縮明けで計画された[[ノースカロライナ>Washington]]級では「BB-55」「BB-56」が割り振られていて、ハルナンバーはスライドしていない。
-また発注ごとで番号が割り振られるので艦級関係なく通し番号となる。なのでアメリカ最初の航空母艦ラングレー([[こちら>Langley]]の先代)は「CV‐1」だが、次の航空母艦は建造中のレキシントン級巡洋戦艦から改装された[[レキシントン>Lexington]]、[[サラトガ>Saratoga]]で、それぞれ「CV‐2」「CV-3」((なお、改装の際に割り振られていた巡洋戦艦としてのハルナンバーは欠番扱いになっている))。次はアメリカ初の計画時から航空母艦として作られた航空母艦[[レンジャー>Ranger]]で「CV-4」という具合に、艦級関係なく割り振られている。
--注意しないといけないのは、このハルナンバーは日本を含め他国艦艇にもある同型艦の中での順番「第○×番艦」というのとは全くちがうものであるということ。あくまでも発注時に「A造船所さんはこの艦級をこんだけ建造お願いします」「B造船所さんはこの数で」と割り振りをした際の通し番号なので、実際に起工が始まる時期は造船所等の都合で変わったりするので、ハルナンバーが大きい番号の艦の方が先に起工して竣工してしまう事もある。「ハルナンバー=同じ艦級内の順番」ではないのだ。
#fold(エセックス級の発注日、造船所、起工、進水、竣工の年月日){{
|~艦名|~ハルナンバー|~造船所|~発注年月日|~起工年月日|~進水年月日|~竣工年月日|
|エセックス|CV-9|ニューポート・ニューズ造船所|1940年7月3日|1941年4月28日(1)|1942年7月31日(1)|1942年12月31日(1)|
|ヨークタウン((起工時の艦名はボノム・リシャール))|CV-10|~|~|1941年12月1日(4)|1943年1月21日(4)|1943年4月15日(3)|
|イントレピット|CV-11|~|~|1941年12月1日(4)|1943年4月26日(5)|1943年8月16日(5)|
|ホーネット|CV-12|~|1940年9月9日|1942年8月3日(7)|1943年8月30日(7)|1943年11月29日(7)|
|フランクリン|CV-13|~|~|1942年12月7日(8)|1943年10月14日(8)|1944年1月31日(8)|
|タイコンデロガ※((起工時の艦名はハンコック))|CV-14|~|~|1943年2月1日(12)|1944年2月7日(10)|1944年5月8日(10)|
|ランドルフ※|CV-15|~|~|1943年5月10日(16)|1944年6月28日(14)|1944年10月9日(13)|
|レキシントン((起工時の艦名はカボット))|CV-16|ベスレヘム・スチール-フォアリバー造船所|~|1941年7月15日(2)|1942年9月23日(3)|1943年2月17日(2)|
|バンカー・ヒル|CV-17|~|~|1941年9月15日(3)|1942年12月7日(3)|1943年5月25日(4)|
|ワスプ((起工時の艦名はオリスカニ―))|CV-18|~|~|1942年3月18日(6)|1943年8月17日(6)|1943年11月24日(6)|
|ハンコック※((起工時の艦名はタイコンデロガ))|CV-19|~|~|1943年1月26日(11)|1944年1月24日(9)|1944年4月15日(9)|
|ベニントン|CV-20|ニューヨーク海軍工廠|1941年12月15日|1942年12月15日(9)|1944年2月28日(12)|1944年8月6日(11)|
|ボクサー※|CV-21|ニューポート・ニューズ造船所|~|1943年9月13日(17)|1944年12月14日(17)|1945年4月816日(16)|
|ボノム・リシャール|CV-31|ニューヨーク海軍工廠|1942年8月7日|1943年2月1日(13)|1944年4月29日(13)|1944年11月26日(14)|
|レイテ※((起工時の艦名はクラウン・ポイント))|CV-32|ニューポート・ニューズ造船所|~|1944年2月21日(20)|1945年8月23日(22)|1946年4月11日(21)|
|キアサージ※|CV-33|ニューヨーク海軍工廠|~|1944年3月1日(21)|1945年5月5日(18)|1946年3月2日(20)|
|オリスカニ―※|CV-34|~|~|1944年5月1日(23)|1945年10月13日(24)|1950年9月25日(24)|
|ㇾプライザル※|CV-35|~|~|1944年7月1日(24)|>|1945年8月12日建造中止|
|アンティータム※|CV-36|フィラデルフィア海軍工廠|~|1943年3月15日(14)|1944年8月20日(15)|1945年1月28日(15)|
|プリンストン※((起工時の艦名はヴァリー・フォージ))|CV-37|~|~|1943年9月14日(18)|1945年7月8日(20)|1945年11月18日(18)|
|シャングリラ※|CV-38|ノーフォーク海軍工廠|~|1943年1月15日(10)|1944年2月24日(11)|1944年9月15日(12)|
|レイク・シャンプレイン※|CV-39|~|~|1943年3月15日(14)|1944年11月2日(16)|1945年6月3日(17)|
|タラワ※|CV-40|~|~|1944年3月1日(21)|1945年5月12日(19)|1945年12月8日(19)|
|ヴァリー・フォージ※|CV-45|フィラデルフィア海軍工廠|1943年6月14日|1943年9月14日(19)|1945年7月8日(21)|1945年11月3日(23)|
|イオ―・ジマ※|CV-46|ニューポート・ニューズ造船所|~|1945年1月29日(26)|>|1945年8月12日建造中止|
|フィリピン・シー※|CV-47|ベスレヘム・スチール-フォアリバー造船所|~|1944年8月19日(25)|1945年9月5日(23)|1946年5月11日(22)|
|>|CV‐50|ベスレヘム・スチール-フォアリバー造船所|>|>|>|1945年3月計画中止|
|>|CV‐51|ニューヨーク海軍工廠|>|>|>|~|
|>|CV‐52|~|>|>|>|~|
|>|CV‐53|フィラデルフィア海軍工廠|>|>|>|~|
|>|CV‐54|ノーフォーク海軍工廠|>|>|>|~|
|>|CV‐55|~|>|>|>|~|
・艦名の※は艦首を延長する等の設計変更された''長船体型''((この船体でのハルナンバーで1番目にあたるタイコンデロガから「タイコンデロガ」級とも称される事がある))のタイプ
・年月日横の()は項目ごとの完成順を表す
}}
--表を見てみると同じ1940年9月9日に発注されたエセックス級のうち、レキシントン(CV-16)は1943年2月17日に竣役しているが、ハルナンバーが若いランドルフ(CV-15)はその時点では起工すらされておらず、1943年5月10日にようやく起工されている。これはランドルフが発注されたニューポート・ニューズ造船所が既にエセックス級を建造していた((実はランドルフ以前のハルナンバーのエセックス級空母はすべてニューポート・ニーズ造船所に発注されており、3隻の姉(イントレピットもその1人)と3隻の同時発注の姉妹が建造されていたり、控えていたりする状況だった))のに対し、レキシントンが発注されたベスレヘム・スチール-フォアリバー造船所ではこれが初のエセックス級の発注であった事が原因。ランドルフの方は起工するまで順番待ち状態であったが、レキシントンの方ではそれがなかったので発注後程なく起工を開始した結果、レキシントンが竣役してもランドルフはまだ起工すらされていない状態となったのである。もし「ハルナンバー=同じ艦級内の順番」であるのなら、姉が影も形も存在していない時に妹がもう完成しているという事になってしまう。
---因みにこのレキシントン(CV-16)はエセックス級では2番目に起工され、竣工も2番目である。つまりハルナンバーでレキシントンよりも上位のエセックス級航空母艦は、エセックス以外は全艦レキシントンより後の完成で妹にあたる。
-以上の事からアメリカ海軍では同じ艦級内での序列は竣役順で数えるものとなっており、それで数えるならワスプは6番艦であり、実際図鑑説明でもワスプは6番艦としている((同じエセックス級で既に実装しているイントレピットも図鑑では5番艦と表記しており、これも竣役順である(イントレピットは起工順なら4番目、進水・竣役順なら5番目)))。ハルナンバー順ではない。
**戦歴 [#ycce092d]
-1942年3月18日、マサチューセッツ州クインシーにあるベスレヘム・スチール社のフォアリバー造船所で起工。フォアリバー発注分としては3隻目に当たる。
--当初艦名は「オリスカニー(Oriskany)((この艦名は後にエセックス級24番艦(ハルナンバー「CV-34」)につけられる。))」として起工されたが、上述のワスプが沈没した後の1942年11月13日に「ワスプ(Wasp)」に改名された。1943年8月17日に進水し、1943年11月24日に就役した。
---初代艦長はクリフトン・スプレイグ大佐。後にサマール沖海戦で護送空母6隻、駆逐艦6隻という弱小戦力で戦艦[[大和]]、[[長門]]、[[金剛]]、[[榛名]]らを擁する「第一遊撃部隊本隊(通称:栗田艦隊)」とやりあい、その後史上初の「神風特別攻撃」にもさらされる事になる「第77任務部隊第4群第3集団(通称:タフィ3)」の指揮官になる男である。

***初陣~マリアナ沖海戦 [#zfb88672]
-竣役後は1944年2月までは大西洋で訓練に終始していたワスプはカリフォルニア州サンディエゴを経て4月4日に真珠湾に到着、5月14日、マーク・ミッチャー中将指揮下の第58.6任務群(指揮官:アルフレッド・E・モントゴメリー((アナポリス1912年卒、同期には潜水艦部隊を率いたチャールズ・A・ロックウッド、ルンガ沖夜戦で二水戦と死闘を演じたカールトン・H・ライトなどがいる。彼自身は初期の水上艦艇勤務の後、1915年7月からは潜水部隊勤務となり、当初は潜水艦畑を進んでいた。潜水艦F-1艦長時代の1917年12月17日には僚艦との衝突事故でF-1が沈んでしまうが、モントゴメリー自身は奇跡的に救助されている(乗員19名が死亡、生存者はモントゴメリー以下3名だった)。その後もいくつかの潜水艦艦長を経験したが1922年1月、航空士官を志願してフロリダ州ペンサコーラの海軍飛行学校入学し、6月8日にパイロット免許を取得、以後は航空畑でのキャリアを積んでいくことになる。第二次世界大戦後は1940年6月に[[レンジャー>Ranger]]艦長を経て大西洋艦隊艦隊航空参謀で太平洋戦争開戦を迎える。当初は大西洋方面や米本土の航空隊司令などを務めていたが1943年半ばから第12任務部隊(空母エセックス基幹)の指揮官として太平洋戦線に出動、11月からはレイモンド・スプルーアンス提督の指揮下でチャールズ・A・パウナル少将率いる高速空母部隊の一翼を担った。以後ラバウル空襲や1944年1月のクェゼリンの戦いの支援、2月17日のトラック島空襲、2月下旬のマリアナ諸島空襲および3月30日から31日にかけてのパラオ大空襲に参加、その間直属上司のパウナルがマーク・ミッチャー中将に交代したが部隊はそのままマリアナ諸島侵攻に参加、ワスプはこの頃編入されている。その後はフィリピン侵攻等も指揮する部隊が変わったりしながらも取り続け、1945年1月にサンディエゴの西海岸艦隊航空団指揮官に移動するまで続いた。7月20日に中将に昇進し、ハワイの太平洋航空部隊司令官として終戦を迎えた。戦後は第5艦隊司令長官、第1艦隊司令長官を務め1951年7月に退役。1961年12月13日、ワシントン州ブレマートンの海軍病院において70歳で死亡した))少将)に編入され、姉の「エセックス」及び軽空母「サン・ジャシント」と共にマリアナ諸島侵攻の露払いである南鳥島、ウエーク島への攻撃に向かった。
--部隊は2手に分かれ、ワスプとエセックスは5月19日、20日の2日間にかけて南鳥島を空襲して大損害を与えた。21日は悪天候となったので2隻はこれをもって南鳥島への攻撃を中止、周辺警戒していたサン・ジャシントと合流して今度はウエーク島に向かった。
同島への攻撃は24日に3空母揃って行われ、ウエーク島も大損害を被り沈黙した。
---マジュロ環礁に帰還したワスプは6月6日、引き続きモントゴメリー少将が指揮官を務める第58.2任務群に転属となり、今度は姉妹の「バンカー・ヒル」、軽空母「モントレー」「カボット」と共にマリアナ諸島攻略に向かう。6月11日、ワスプらはサイパン島及びテニアン島に攻撃をかけ撃劇に出た日本軍機およそ30機を撃退し、両島の日本軍飛行場を空襲して駐機する多くの日本機を破壊した。
15日にはサイパン島への上陸が始まり、ワスプらはその航空支援を実施、上陸部隊がサイパンの飛行場を占領し、陸軍航空隊が展開すると支援をそれに引き継ぎ、父島及び硫黄島を攻撃していた第58.1、58.4任務群と合流し、接近する小沢機動部隊と最後の空母決戦「マリアナ沖海戦」を戦った。

***フィリピン方面の戦い [#b90ab360]
-マリアナ諸島占領後、休憩をはさんでワスプらは、9月9日にはモロタイ島、ペリリュー島、ウルシ―環礁の攻略支援のためフィリピン南部への攻撃に向かった。9日から13日にかけて行われたミンダナオ島及びビサヤ諸島への空襲は大成功となったが、日本側の反撃が殆どなかった事で、指揮をとったウイリアム・ハルゼー第3艦隊司令長官は南部フィリピンの防衛能力の弱さを報告、これが同地への侵攻を9月16日に開始予定だったミンダナオ島侵攻を中止してレイテ島への侵攻を優先するきっかけとなり、10月17日以降のレイテ侵攻及びフィリピン攻防戦のきっかけとなる。
--10月10日より始まった南西諸島及び台湾の日本軍拠点への攻撃「台湾沖航空戦」では、ワスプはジョン・S・マケイン中将率いる第38.1任務群の1隻として姉妹の「ホーネット」および軽空母「カウペンス」「モンテレ―」とともに活動、13日夜には日本側雷撃機8機の空襲を受け僚艦の重巡洋艦「キャンベラ」が大破航行不能となる被害が出たが、ワスプには大きな被害はなかった。14日にはハルゼー機動部隊は3手に分かれ、第38.1任務群は台湾沖に引き続き展開して攻撃を続行した((残りの3群のうち、第38.2及び3任務群は補給のため撤退、第38.4任務群はフィリピンへの空襲に移動した))。
---10月22日、第38.1任務群は補給を終えた第38.2及び3任務群と交代する形で前線を離れ、補給のためウルシ―泊地に向かう事になった。その後発生した「レイテ沖海戦」では、ハルゼーとキンゲイトの意思疎通の失敗などもあり、タフィ3(指揮官はワスプ初代艦長クリフトン・スプレイグ大佐であるのは前述のとおり)が栗田艦隊の矢面にたってしまうなど、アメリカ側は大きな窮地に立たされた。補給で移動していた第38.1任務群は混乱する現場を無線傍受で知り独断で補給を中止して救援に赴く。
結局タフィ3への救援は間に合わなかったが、突入を取りやめ北上する栗田艦隊を出撃したワスプらの攻撃隊が捉えて攻撃、[[能代]]を撃沈し別路退避していた[[熊野]]に損害を与えている。

***1945年の戦い [#o99d56e6]
-1945年1月、ワスプを含めた第38任務部隊は東シナ海を暴れまわった。グラティテュード作戦だ。ヒ86船団を襲撃した際は、[[鵜来]]、[[大東]]、第27号海防艦しか生き残らなかった。ヒ87船団もハルゼー台風に巻き込まれ、[[神威]]や[[旗風]]が大破着底した。ウルシー環礁に戻ると、機動部隊指揮官は第3艦隊司令長官ハルゼー大将から、第5艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将に交代。第38任務部隊は、第58任務部隊に改称した。
-1945年2月、硫黄島の戦いがはじまる。第58任務部隊は関東地方の日本軍航空基地を破壊することになった。((関東地方から硫黄島まで[[一式陸上攻撃機]]や特攻機が飛来する。[[Saratoga]]も夜間特攻攻撃で大破した)) 第58.1任務群にいたワスプも空襲に参加、横浜港で[[山汐丸]]を撃沈した。
-1945年3月18日、ワスプらは第5艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将の指揮のもと、日本近海に進出、九州や四国などの各地域を空襲、「九州沖航空戦」が始まった。
沖縄侵攻の為の露払いであったこの航空戦は呉軍港を始め日本側の拠点や飛行場を攻撃、これに対して日本側も特攻機69機を含む193機を投入、その大部分を失う大損害を受けるが、アメリカ側も「エンタープライズ」「ヨークタウン」「イントレピット」が小破、翌19日には室戸岬沖80キロまで進出した米機動部隊に日本側は激しく反撃、ワスプはここで初の被害を受ける。
--ワスプを攻撃した機種は不明だが、500ポンド爆弾1発が飛行甲板を貫通して格納庫で炸裂し、乗員102名が戦死する大惨事となった。同じころには姉妹艦のフランクリンも陸爆[[銀河]]から2発の爆弾を受けて大破、此方の方が被害は深刻で戦死807名、負傷者は最低でも487名という大きな被害を受け撤退、終戦まで前線復帰する事はなかった。
---ワスプの方は即時離脱こそなかったが損傷は激しく4月7日の「坊ノ岬沖海戦」では攻撃隊を出すことはなかった。13日に前線を離れ本土に修理に向かい、7月になるまで前線復帰する事はなかった。
-7月中旬に復帰した頃、米軍空母機動部隊を率いていたのはハルゼー大将だった。第38任務部隊として日本本土空襲を実施。また本土艦砲射撃をおこなう戦艦部隊を掩護した。横須賀空襲では[[長門]]や[[潮]]を攻撃したが、撃沈できなかった。

***戦後 [#taadce09]
-終戦後、ワスプは多くの同型艦と共に予備役入りとなり、1947年2月から退役、保管状態となるが、その後航空機のジェット機化に対応するための近代化改装を、姉のエセックスと共に最初に受ける事になり、改装を経て1951年9月に再竣役する。そしてワスプは中国で発生した「第二次国共内戦」で浙江省大陳列島の大陳島から住民約28,000名を台湾に避難させる大陳島撤退作戦に参加する。
--終戦後発生した「第二次国共内戦」は、1949年に国民党が台湾に撤退した事で鎮静化していたが、西南部山岳地帯及び東南沿岸部の島嶼一帯では中国共産党に対する軍事作戦が継続されていた。だが1950年になると、舟山群島、海南島が中国共産党の人民解放軍に奪取され、また西南部でも人民解放軍がミャンマー国境地帯に進攻したため、国民党は台湾及び福建省や浙江省沿岸の一部島嶼のみを維持するに留まり、東シナ海沿岸での海上ゲリラ戦術で共産党に対抗していた。
---6月になると朝鮮戦争が勃発し、共産党軍はそちらに戦力を割きだしたので一時的にこの方面は国民党軍の優勢になるが、朝鮮戦争が沈静化すると再び共産党側が攻勢に立ち、1954年5月15日に人民解放海軍東海艦隊の支援で華東軍区部隊が大陳島周辺の高島や頭門山島などの島々に上陸し、砲兵陣地や魚雷艇基地を建設、国民党側も海軍艦艇や空軍機を繰り出したが逆に損害が続出し、11月14日に人民解放軍の魚雷艇が国民党軍海軍の護衛駆逐艦「太平」(元アメリカ海軍エヴァーツ級護衛駆逐艦デッカー)の撃沈に成功し、制海権を掌握してしまう。
-1955年1月18日、江山島が占領されたことで付近の大陳島は孤立してしまう。その他の諸事情((大陳島が台湾から距離があって補給が困難な事や、前年に台湾とアメリカの間で締結された『米華相互防衛条約』の適用範囲に大陳島が含まれていなかったことなど))から大陳島放棄が決定し、アメリカ第七艦隊支援の下、同島の戦力及び住民の台湾への撤退作戦「金剛作戦」が始まった。
--支援に参加する第7艦隊はワスプ以下エセックス級航空母艦5隻に新鋭空母ミッドウェーの6隻、これに護衛として重巡洋艦3隻、[[フレッチャー>Fletcher]]など駆逐艦25隻、その他揚陸艦など20隻が参加。2月8日より11日にかけて行われた輸送作戦は成功裏に終わった。大規模な艦隊を投入したため共産党側も攻撃する事はなく、無血での撤退だった。
-その後ワスプは1956年に対潜空母となる改造を受け、1962年のキューバ危機にも封鎖部隊の1隻として参加する。その後1972年3月1日にワスプの退役が発表され、7月1日に退役式典を実施、1973年5月21日にニューヨークのユニオン・ミネラルズ・アンド・アロイ社に売却され、その後スクラップとして廃棄された。
--ワスプは第二次世界大戦の戦功で8つの従軍星章を受章している。
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**歴代のワスプたち [#d30c548e]
-前述の通りワスプの名はアメリカ海軍で代々引き継がれている伝統的な艦名で本艦は9代目にあたる。図鑑の説明でも触れられている通り、現在は10代目となるワスプ級強襲揚陸艦「ワスプ」(LHD-1)が現役である。
--初代は1775年に購入された元商船「スコーピオン」を武装化したスクーナー艦。独立戦争に向けて購入された。1776年3月のナッソーの戦いなどに参戦。6月にはタートルガット入り江の戦いにも参戦している。
1777年11月、フィラデルフィア陥落時に座礁し搭載している火薬が引火爆発し破壊された。
--2代目は米英戦争初期に活動したスループ艦。1807年にワシントン海軍工廠で竣役し、1812年6月から始まった米英戦争では通商破壊に従事する。10月18日午前11時半、ワスプは6隻の商船団を捕捉し、護衛の英スループ艦「フロリック」と交戦し双方大打撃を受けるもフロリックの拿捕に成功する。だが直後に英戦列艦「ポワチェ」が救援に駆けつけ、大損害を受けているワスプは逆に捕縛されてしまう。
結局ワスプは英海軍で名を変えて運用され、1814年にバージニア岬沖で消息を絶った。
--3代目は1810年に建造されたスクーナー船。米英戦争勃発に伴い私掠船として海軍が買い上げ、1812年7月西インド諸島への私掠船作戦のため出航し、台風に遭遇して2本のマストを失うなどしたものの3隻の英国商船を拿捕する活躍をする。その後1813年秋には元の所有者に返還されている。
--4代目は1813年夏にチャーターされた帆走スループで、米英戦争当時は補給船として運用されたが性能的に難があり、1814年初めには元の船主に返還されている。
--5代目は米英戦争最中の1814年に建造されたスループ艦。マサチューセッツ州ニューベリーポートで1814年2月に竣役した。5月からイギリス海峡西側での通商破壊戦に向かい、6月の間に5隻の艦艇を拿捕、自沈させる大戦果を挙げている。7月も4隻を拿捕。自沈させるという戦果を挙げて帰還した。
それ以降も活躍を続けるが同年10月9日にリオデジャネイロからイギリスのファルマスへ向かうスウェーデンのブリッグ船アドニスと遭遇して連絡を取り合ったのを最後に消息を絶った。10月15日から19日にかけてバミューダで発生したハリケーンに巻き込まれて沈没したと考えられている。
--6代目は1865年から1876 年までアメリカ海軍で運用された鉄皮外輪砲艦。南北戦争さなかの1864年に拿捕された南軍艦艇「エマ・ヘンリー」を海軍が引き取り、砲艦として運用した。初任務は1865年5月17日に他の艦と共に南軍の装甲衝角艦ストーンウォールの捜索に向かったもので、エマ・ヘンリーは道中で他艦との衝突事故が起こしてしまい、旗艦サスケハナからの指示で北上し、ペンシルベニア州フィラデルフィアで修理を受けた。
---因みにここで登場する「ストーンウォール」「サスケハナ」は共に幕末日本に大きく影響している艦艇である。
「サスケハナ」は幕末日本に開国を迫ったマシュー・ペリー提督率いる東インド艦隊の旗艦として日本に来た所謂「黒船」の1隻であり、「ストーンウォール」は南北戦争終結に米海軍を経て江戸幕府が買い取り、その後明治政府に渡って幕末戊辰戦争で政府軍海軍の主力となった装甲艦「甲鉄」(後に「東」と改名)である。
---修理後、「エマ・ヘンリー」はここで艦名を「ワスプ」と改め、リオデジャネイロを拠点に活動する。1864年12月から始まったパラグアイ戦争でも活躍し、1876年春に退役、6月には売却されスクラップとなった。
--7代目は1898年に購入され武装化された武装ヨットで、米西戦争では哨戒活動に従事。第一次世界大戦時でもアメリカ沿岸の哨戒活動に従事している。1919年12月に退役。
--8代目はワスプ級航空母艦「ワスプ」(CV-7)。1940年に就役したワシントン海軍軍縮条約の制約下でアメリカ海軍が建造した航空母艦の一隻。同条約での空母建造用排水量枠で[[レキシントン>Lexington]]級2隻、[[レンジャー>Ranger]]、[[ヨークタウン>Hornet]]級2隻の建造を経て、残った割当量14,500tを元にヨークタウン級の小型版として設計された艦である。
---第二次世界大戦では大西洋艦隊に所属しマルタ島戦役等で活躍するが、太平洋戦域での日本海軍との激戦で太平洋配備の正規空母の稼働数が3隻にまで減ったため、1942年6月に太平洋艦隊に転籍。ガダルカナル島攻防戦等で活動するも、同年9月15日、ソロモン諸島方面で海兵隊輸送船団の間接護衛と日本海軍機動部隊の警戒に当たっていたところを[[伊号第19潜水艦>伊19]]の魚雷攻撃を受けて大炎上、鎮火不能となって放棄され、生存者は軽巡[[ヘレナ>Helena]]などが救出する。最後は駆逐艦ランズタウンの雷撃により処分された。
--9代目が本艦
--10代目はワスプ級強襲揚陸艦のネームシップ「ワスプ」(LHD-1)。第二次大戦後、アメリカ海軍はヘリコプターを活用した水陸両用作戦の中核となる全通甲板式の強襲揚陸艦の整備を進め、その一環として1985年に建造された艦。
---輸送揚陸艦としてはLCAC(エアクッション型揚陸艇)最大3隻他を搭載する一方、ヘリコプター最大42機またはS/VTOL固定翼戦闘機((AV-8「ハリアー」、MV-22「オスプレイ」、F-35B「ライトニングII」など。これらの機体は、固定翼機と回転翼機の両方の飛行特性を併せ持つことから、パイロットも両方の操縦資格を持たなければならない。海兵隊ではヘリコプターの操縦訓練が推奨されているが、航空支援用にF/A-18なども運用しているため、両方の操縦資格を持つパイロットは珍しいことではないらしい。))最大20~24機を搭載する「軽空母」としての性格も有している。((これは、米国に「潜水艦と空母は原子力でなければならない」という法律があるためで、強襲揚陸艦だったら書類上は空母ではなく、通常動力で安く建造できるからである。))
--なお、歴代のワスプとしては認知されていないが、1910年にスーペリア造船会社で建造され、1917年6月29日に海軍に購入された鋼製船体のモーターボート「ワスプ」(SP-1159)も存在している。こちらは哨戒艇として五大湖で運用されていたらしい。


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