|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.525|
|&attachref(./525.png,nolink,インディペンデンス級航空母艦、Langleyだ。);|>|Langley&nobr{(ラングレー)};|>|Independence級 &nobr{6番艦}; &nobr{軽空母};|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|31|~火力|14 / 32|
|~|~装甲|14 / 30|~雷装|0|
|~|~回避|22 / 43|~対空|32 / 52|
|~|~搭載|32|~対潜|16 / 52|
|~|~速力|高速|~索敵|40 / 68|
|~|~射程|中|~運|27 / 87|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|35|~弾薬|40|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|23|>|>|[[TBF]]|
|~|7|>|>|[[SBD-5]]|
|~|2|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Langley'' → [[Langley改]](Lv50)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:インディペンデンス級航空母艦、Langleyだ。&br;そうだ、CV-1ではない、その名を継いだCVL-27の方だ。&br;小柄な体だが太平洋、あの大和の最後、そして魔法の絨毯作戦、&br;さらにフランス海軍としても戦った。&br;忘れるな。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:川井田夏海、イラストレーター:ZECO (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:川井田夏海、イラストレーター:ZECO((CVやイラストレーター加筆時はそれぞれ[[CV・イラストレーター]]に出典を記載))
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Langley/定型ボイス]])
#table_edit(Langley/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Langley/時報ボイス]])
#table_edit(Langley/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Langley/季節ボイス]])
#table_edit(Langley/季節ボイス)
~
//セリフ一覧内における外国語の解説の記述方式について→https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%AD%B0%E8%AB%96%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF/%E8%89%A6%E5%A8%98%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95%E4%B8%80%E8%A6%A7%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
}}
*ゲームにおいて [#game]
-2022年 夏イベント 前段作戦『[[大規模反攻上陸!トーチ作戦!]]』[[E-3>大規模反攻上陸!トーチ作戦!/E3]] にて報酬艦として初登場。
-素対潜があるためか護衛空母として扱われているらしく、輸送護衛部隊の第一艦隊に編入可能。
--ゲーム内では護衛空母扱いだが[[Gambier Bay]](CVE-73)などとは違い船体分類記号は小ネタにあるとおりCVL(軽空母)。
-最初から装備スロットが3つある恩恵で「[[零式水中聴音機]]」と「[[TBM-3W+3S>TBM-3W + 3S]]」・「[[S-51J改]]」等との組み合わせによりレベル1から先制対潜攻撃が可能。
-未改造軽空母としては初の射程''中''。
//**装備ボーナスについて [#bonus]
//**性能比較表(?より転送) [#comparison]
**アップデート履歴 [#update]
-2022/08/27:実装。[[イベント海域>大規模反攻上陸!トーチ作戦!/E3]] 突破報酬として
**キャラクター設定について [#character]
-割とテンション高め。一人称は「Me」。
-手にしている銃型武装は、特徴的な銃身の放熱ジャケットと着剣装置およびレシーバー後端からスライドが突き出た形状から、ウィンチェスターM1897ショットガンのアメリカ軍用型、通称トレンチガンがモデルと思われる。腰にはショットシェル(艦載機?)のホルダーを提げ、その後ろにM1917銃剣らしき物を携行している。&color(silver){%%艦載機がなくなったら着剣突撃するのかな?%%}; →[[改>Langley改]]になると本当に着剣する。
よく見ると左右に展開した甲板艤装下部の回転する部分にもショットシェルが搭載されており、かなりの弾数を携行している。
--ウィンチェスターM1897はかのジョン・M・ブローニングの設計によるポンプアクション式ショットガンで、今日のショットガンの標準を確立したと評価される傑作である。民間・軍用・警察用として幅広く使用され、アメリカ軍は第一次世界大戦においてM1897の20インチ銃身モデルを採用し、塹壕戦における強力な近接火器として活用した。((敵側のドイツ軍はショットガンをハーグ陸戦条約における非人道的兵器だとして抗議したが、ハーグ陸戦条約にはそもそも銃火器に関する禁止条約が存在しなかったりする。))
余談ながら、ジョン・ブローニング設計の銃器をモデルにした銃型武装を持つ艦娘としては他に[[Helena]]がいる。
--&color(silver){%%乾電池%%};ショットシェルはマーキングから[[F6F-3]]の収納形と思われる。
-飛行甲板はギミック式であり、未改造時点では2つに分割して左右に広げているが、これを片側に寄せて合体させたのが[[改>Langley改]]のイラストである。
--甲板の接合部に装填されたショットシェル艦載機はこのままだと甲板の内部に埋まる形になるが、内部を移動してエレベーターから発艦するのだろうか。
-間違えられてるそっちのラングレーは給炭艦から改造された先代のCV-1「ラングレー」の事。こちらは軽巡がベース、詳細は小ネタ参照。
-アメリカ艦としては薄めの胸部装甲だが、スリットが入っている上身体に密着した超ミニスカートや腋やおヘソが見える上着など、結構きわどい。
--中破しても艤装の被害はスカートとニーソ程度だが、アングルの関係でお尻と黒が丸見えに。
**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2023/11/28のアップデートにて、【Xmas】modeが実装された。
--航空艤装を外し、制服のデザインを生かしたサンタ服。手にはショットガンの代わりにプレゼント箱。
足回りのベルトは普段のものと同じようだが、靴やニーソックスはクリスマス仕様。
--中破するとその場でへたりんこんでしまい、きれいな背中が丸見えとなる。
-
#fold(限定グラフィック:Xmasmode){{
限定グラフィック:Xmasmode
&attachref(./525_Xmas.png,nolink,やっぱ、クリスマスったらこれだせ! ターキー一択!);
//中破絵は無しで
}}
-2025/03/14オンメンテにて【White Day】modeが実装された。
--提督からのお返しに面食らった表情。
--初出は2年前のZECO氏による寄稿。
https://x.com/C2_STAFF/status/1635969073447317505
-
#fold(限定グラフィック:White Day mode){{
限定グラフィック:White Day mode
&attachref(./525_Whiteday.png,nolink,提督、これは? おぉ、チョコのreturnてやつか。…なんだ、GambyやFletcherにも渡してんじゃねーか! バラマキかーい! って、うんまっ! アンタ、ガチでやるな!);
//中破絵は無しで
}}
-2025/06/27のアプデで、【水着mode】が[[改>Langley改]]共々実装された。
--グラそのものは昨年夏、「夏コミC104」でのKADOKAWAブースにおける[[C2機関の展開告知ポスト>https://x.com/C2_STAFF/status/1818999963457847564]]等でお披露目されている。
-
#fold(限定グラフィック:水着mode){{
限定グラフィック:水着mode
&attachref(./525_Summer.png,nolink,提督、どぉーだっ!Rocken Roll!);
//中破絵は無しで
}}
*小ネタ [#neta]
#fold(略歴){{
}}
-[[インディペンデンス>Independence]]級航空母艦の6番艦「ラングレー」(CVL-27)。
--艦名は天文学者・発明家のサミュエル・P・ラングレー(1834~1906)に由来する。ライト兄弟のライトフライヤー号に先立って有人飛行機エアロドロームの開発を手掛けたことで知られ、飛行実験には失敗したものの、初期の動力付き有人飛行機の先駆者の一人とされている。
--ラングレーの名を持つ艦船としては本艦が二代目。初代は''アメリカ海軍初の航空母艦''として知られるCV-1「ラングレー」である。&color(silver){着任時の台詞で「誰が給炭艦じゃ!」と言われてるのがこちら。};
#fold(初代ラングレー){{
初代ラングレー
--元はプロテウス級給炭艦「ジュピター」だったが、1920年に空母に改造されて1922年に再就役した。イギリス海軍のアーガスや日本海軍の[[鳳翔]]と同様に飛行甲板の下に航海艦橋(給炭艦時代の艦橋を流用)を設けたフラッシュデッキ型空母で、搭載機数は約30機(48機とも)だったが、最大速力15ノットと低速のため主に運用試験や訓練任務に従事した。後に[[レキシントン級>Saratoga]]や[[レンジャー>Ranger]]、[[ヨークタウン級>Hornet]]等の新型空母が登場すると、1937年に飛行甲板の前半分を撤去して空母から水上機母艦(AV-3)へと改修され、飛行艇や水上機を運用する航空偵察部隊の支援活動に従事した。太平洋戦争勃発時は米アジア艦隊に所属してフィリピン方面で活動していたが((南方作戦時には基地間の陸上機輸送を行っていた(水上機母艦の為運用は出来ないが、クレーンや上甲板・格納庫など積載・運搬能力は十分な為、喪失のリスクさえある飛行移動よりもずっと低コストで補充配備が行える)))、1942年2月27日にジャワ島南方沖にて日本海軍高雄航空隊の[[一式陸攻]]の爆撃を受けて大破し、随伴の駆逐艦ホイップルにより雷撃処分された。((なお、日本側は高雄航空隊からの報告や電文傍受等でラングレーの戦没を把握したが、実は1月8日に大本営発表で「伊25潜水艦がジョンストン島近海でラングレーを撃沈した」と報じてしまっており、結局本艦については大本営発表では「敵特設航空母艦」とのみ報じられた。))
---因みに給炭艦時代の姉妹に「プロテウス」「サイクロプス」「ネレウス」の3隻がいるのだが、サイクロプスは第一次世界大戦中の1918年3月1日、プロテウスとネレウスは第二次世界大戦中の1941年11月23日と12月10日に、カリブ海で消息を絶っている。戦時中でもありドイツのUボートに撃沈されたのでは?とも言われているが、ドイツ側に撃沈記録はなく、場所が&color(red){''バミューダ・トライアングル''};と言われるいわく付きな場所でもあるので話題になる事が多い。((実際は同級は艦体構造に問題を抱えており、積荷である石炭を満載すると艦中央の竜骨部分に応力集中・金属疲労を起こす欠陥があった。おそらくカリブ海特有の暴風による高波でこの部分から破断した可能性が高いとされる。戦後の日本でも冬の野島崎沖で「ぼりばあ丸」をはじめとした新鋭貨物船が当時明らかになっていなかった欠陥設計と海面状況によって連続沈没する類似事故が発生している。))
}}
---なお、空母「クラウン・ポイント」起工後の1942年7月に起工したエドサル級護衛駆逐艦DE-131が「ラングレー」と命名されたが、こちらは空母に艦名を譲るためか、翌月に「ハンマン」に改名されている。
**艦歴 [#lc75575a]
-元はクリーブランド級軽巡洋艦CL-85「ファーゴ」((ノースダコタ州南東部の都市ファーゴに由来。なお、ファーゴの名は後にクリーブランド級軽巡の発展型であるファーゴ級軽巡のネームシップに使われた。))として発注されたが、起工前に空母への変更が決定し、1942年4月11日にニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所((インディペンデンス級全艦の建造と空母改装を担当。[[伊58]]に撃沈された重巡洋艦インディアナポリスや戦艦[[サウスダコタ>South Dakota]]の故郷でもある。))にて空母「クラウン・ポイント」((アメリカ独立戦争の古戦場クラウン・ポイント砦に由来。))として起工、その後「ラングレー」に改名されて1943年5月22日に進水、同年8月31日に就役した。戦後はモスボールから復帰後フランスに供与されて「ラファイエット」になるなど、名前が何度も変わった艦である。
-竣工後は太平洋方面の配備となり、年末中に進出、翌1944年1月からマーシャル諸島方面の攻略作戦に従事する。
***初陣 ~エニウェトク環礁攻略戦~ [#zf024aca]
--マーク・ミッチャー少将指揮する第58任務部隊に配備されたラングレーはエニウェトク環礁攻略作戦に参加、サミュエル・P・ギンダー少将の第58.4任務群の所属となり、[[サラトガ>Saratoga]]や姉妹のプリンストンと共に参戦する。
--日本の守備兵力は陸海軍合わせて約3500名。それがエンチャビ島、メリレン島、エニウェトク島の三島に配備されていた。対してアメリカ側は上陸兵力で約13,000名で端から勝負にならないはずだった。
---2月19日よりまずエンチャビ島への上陸が行われるが1時間で守備隊は壊滅する。だが翌20日のエニウェトク島への上陸は、担当した第106連隊が訓練不足だった事もあって守備隊の頑強な抵抗に前進を阻まれ、増援を受けるも800名ほどしかいない日本軍守備隊の制圧に3日もかかってしまった。
---守備隊の意外な強さに驚いた米軍は、最後のメリレン島に対してはラングレーらによる空襲や、戦艦テネシー、ペンシルベニア等による艦砲射撃を21日から3日間にかけて徹底的に行い、23日に上陸して同日夕刻までには占領した。
***マリアナ沖、そしてレイテ沖の死闘 [#zf153005]
-マーシャル諸島方面での活動後、6月から中部太平洋方面の日本軍基地への攻撃を続けたラングレーは、6月19日20日のマリアナ沖海戦にも第58.4任務群の1隻として参戦する。
--指揮官はギンダー少将からW・K・ハリル少将に替わり、編成も正規空母エセックスを中心に姉妹のカウペンス、他に軽巡3、駆逐14という編成であったが、同海戦前の17日に第58.1任務群と共に硫黄島及び父島への攻撃を実施してマリアナ諸島周辺の日本軍拠点の破壊を行っている。
-作戦後、ラングレーは休養の後、8月~9月のパラオ攻略支援、フィリピンの日本軍各拠点への攻撃などに参加する。10月20日からのレイテ島の戦いでは第38.3任務群に所属、エセックス、レキシントン、そしてエニウェトク環礁攻略戦以来のプリンストンとコンビを組み、フレデリック・C・シャーマン少将指揮の下日本軍と相対した。
--レイテ島攻略戦では日本艦隊を迎え撃つ第3艦隊の指揮をウイリアム・ハルゼー大将が指揮し、第38.3任務群はルソン島東方140kmの海域に展開して日本軍拠点を攻撃、同じく第38.2、第38.4任務部隊も展開して攻撃した。
--日本側も基地航空隊を中心に反撃にでたが、24日の時点で発見していたのはラングレーの所属する第38.3任務群だけだったこともあり、攻撃は同隊に集中する。
--総機数約170機にも及ぶ編隊が第38.3任務群に向けて進撃。ラングレーらも迎撃機を出して応戦し、その殆どを追い払った。
だが、これとは別に彗星艦爆からなる12機の奇襲攻撃部隊が、単機ごとに雲に隠れたりしながら接近、迎撃の目をかいくぐった1機がプリンストンに対して攻撃を実施、命中弾を与える事に成功する((尚、同機は投弾直後に被弾し撃墜される))。
---命中した爆弾は格納庫内で炸裂し火災を発生させる。その鎮火にてこずり((被弾後軽巡バーミンガム等の救援活動で一旦は鎮火の方向に向かうが、敵潜の目撃情報が入り一時中断せざるを得なくなり、その間に火災が再度拡大してしまった))、15時23分に格納していた魚雷等に引火し大爆発、周囲にいた軽巡バーミンガムにも多大な犠牲者を出し((横づけして消火活動していたため、甲板上にいた乗員に爆風や破片が殺到し、上部構造物大破のうえ死者233名、負傷者426名もの被害を出した))て大破する。
--結局プリンストンは復旧不可と判断され友軍の雷撃で処分された。ラングレーは同型艦として、姉の死をみとる事となった。
-その晩、ハルゼー機動部隊に日本海軍機動部隊(小沢艦隊)発見の報が入る。ハルゼーは3個群に合流の上これを攻撃する指令をだし、ラングレーらも北上を開始する。
--翌25日、北上する小沢艦隊をに対して攻撃を開始する。ラングレーの飛行隊はまず第二次攻撃に参加し「霜月」と思われる艦に対して攻撃を実施している。
-この後、有名な「ブルズラン」でハルゼー機動部隊は一転して栗田艦隊に向けて南下を開始するのだが、第38.3及び38.4の2個任務群はミッチャー中将の指揮で引き続き小沢艦隊への攻撃を継続する
--実はこの時の「空母部隊総指揮官」はハルゼーではなく第38.3任務群に便乗しているミッチャーだった。ハルゼーは第38任務部隊、リー中将の高速戦艦部隊「第34任務部隊」やそのほか役務部隊を率いる第3艦隊の指揮官で、本来なら空母機動部隊の指揮はミッチャーが行うことだったのだが、この時のハルゼーは直接空母部隊を指揮してしまい、仕事の無くなったミッチャーは旗艦の個室で不貞寝状態だったそうな
-漸く仕事の回ってきたミッチャーは第三次攻撃を実施。ラングレー隊も[[瑞鶴]]と[[瑞鳳]]を攻撃する。第四次攻撃でもラングレー隊は出撃して[[伊勢]]を攻撃、爆弾及び魚雷を数発命中させたと報告している(実際は伊勢艦長の神業的操艦で全弾回避していたのだが…)
--この後、前進していた第34任務部隊の巡洋艦部隊の追撃で[[千代田]]、[[初月]]らが沈み、小沢機動部隊は壊滅した。ラングレーら第38.3任務群はプリンストンを失いつつも日本空母4隻撃沈に貢献し、プリンストンの仇を討ったのだった
***沖縄戦、そして終戦 [#abc9f763]
-レイテ沖海戦後もラングレーらはレイテ島やフィリピン各地域への攻撃を継続し、11月5日にはマニラ湾への大規模空襲を実施し、僚艦のレキシントンが重巡洋艦[[那智]]を撃沈している。
-一方で12月18日には後にコブラ台風と呼ばれる大型台風に遭遇、第38任務部隊は駆逐艦3隻が転覆沈没((ファラガット級のハル、モナハンと[[フレッチャー級>Fletcher]]のスペンス。燃料消耗による復元力低下が沈没の原因と推測される。))、姉妹艦のモントレーやカウペンス、サン・ジャシントが損傷するなど大きな被害((飛行甲板に係止あるいは格納庫内にあった航空機の固縛が外れて衝突破損したり海に落下してしまった。同隊所属のカサブランカ級軽空母ケープ・エスペランスは飛行甲板上にあった39機中32機を失っている。))を受けたが、ラングレーは左右に35度も振られるような大波に翻弄されながらも被害なくすんでいる。[[実際の写真>https://www.history.navy.mil/content/history/nhhc/our-collections/photography/numerical-list-of-images/nara-series/80-g/80-G-300000/80-G-305484.html]]((余談ながら、第7次多号作戦で損傷し日本本土へ帰還途中だった日本海軍の駆逐艦[[竹]]もコブラ台風に遭遇したが無事生還している。))
-1945年1月からは南シナ海でグラティテュード作戦に従事して輸送船団や港湾施設を攻撃、2月の硫黄島の戦いにも参加したあと、ラングレーはヨークタウン、[[イントレピッド>Intrepid]]、姉のインディペンデンスらと第58.4任務群を編成し沖縄戦に参加する。
--4月7日、沖縄に向けて進撃してくる日本海軍最後の艦隊に対し、ラングレーら第58.4任務群から106機の攻撃隊が出撃する。ラングレーからも19機が出撃し、日本最大の戦艦[[大和]]以下日本艦隊撃滅に貢献する。
---最終的に魚雷10本・爆弾7発((戦史叢書の記載する数。これについては証言者や調査資料によって数に増減があり、副長だった能村中佐は魚雷12本、高射長付だった中尾中尉の証言は魚雷14本、アメリカ軍戦略調査団の戦後調査では魚雷10本、爆弾5発、戦果報告をまとめた第58任務部隊の報告では魚雷13-14本確実、爆弾5発確実などある))を受けて漸く沈んだ大和は、攻撃した米軍側をして「タフ」と評するほど持ちこたえていた。その大和にとどめを刺したとされる攻撃が、14時17分頃の左舷中部への魚雷1本命中((日本側記録))と言われている。
この攻撃をしたのは空母「ヨークタウン」の雷撃隊((空母ヨークタウンの第9雷撃機中隊TBF アベンジャー6機のうち、遅れて攻撃した2機))とされているが、この2機はラングレー雷撃隊であった可能性もあるといわれている((秋元健治著 『戦艦大和・武蔵 そのメカニズムと戦闘記録』267Pより))
-その後ラングレーは6月から7月にかけて本国に戻りオーバーホールを実施、そして前線に向かう途上終戦を迎える事になる。
***戦後まさかの第二の人生 [#u3de717c]
-終戦後、ラングレーは復員兵帰還任務((マジック・カーペット作戦。800万人を超える米軍将兵たちをヨーロッパ・太平洋から本国に帰還させるべく、370隻以上の軍艦・病院船・輸送船が従事し、1945年10月から1946年9月まで実施された。台詞にある「魔法の絨毯作戦」はこれのこと。))に従事、その後フィラデルフィアでモスボール状態となり1947年2月に予備役入り、そのまま保管される事となった。姉のインディペンデンスはサラトガや[[長門]]、[[酒匂]]、[[プリンス・オイゲン>Prinz Eugen]]と共にクロスロード作戦で実験艦となり、4隻がスクラップとなったが、ラングレーとベロー・ウッドはフランス海軍、カボットはスペイン海軍に移り、そこで第二の人生を歩むことになる。
--第二次世界大戦後、今度はソ連ら社会主義勢力との対立が発生、世界は冷戦時代に突入した。その中でアメリカはフランスとの間で「米仏相互防衛援助計画」を実施、アメリカの余剰戦力をフランスに提供する事になり、その一つとしてラングレーらがフランス海軍に提供される事になったのである。
-1951年6月にフランス海軍に渡ったラングレーは「ラファイエット(La Fayette)」と名を変え第一次インドシナ戦争に参戦、1953年には近代化改装を受け装備を強化すると1956年10月のスエズ動乱には空母「アローマンジュ((元はイギリス海軍のコロッサス級空母コロッサスで、ラングレー同様フランス海軍に提供されていた))」やイギリス海軍空母「イーグル」と共に参戦し、空挺及び上陸作戦の支援に従事している。
--「ラファイエット」の名前は、18~19世紀のフランスの貴族・軍人ラファイエット侯爵マリー=ジョセフ・ポール・イヴ・ロシュ・ジルベール・デュ・モティエ(1757~1834)に由来する。アメリカ独立戦争に義勇軍を率いて参加し、母国に戻った後に起こったフランス革命では人権宣言を起草して革命の指導役となった。米仏両国の歴史に名を残す人物であり、アメリカから貸与されたフランス艦の名にぴったり。
-また1960年3月にモロッコで発生した大地震の被災救援に出動したりもしている。
-こうして10年以上にわたりフランス海軍で活躍したラファイエットだが、ジェット機が主力化していく中で性能的にも限界がきており、老朽化もあって1961年のクレマンソー級の竣工に伴い引退、1963年にアメリカに返却され翌1964年にスクラップとなった。
ラングレーは第二次世界大戦の戦功により9個の従軍星章を受賞した。また、ラファイエットとなってからはインドシナでの任務によりフランス戦争十字賞を授与された。
--なお、ラファイエットの名は1996年に就役したラファイエット級フリゲートのネームシップ(F710)に受け継がれた。突起物や開口部を減らし船体と上部構造物に傾斜を付けたステルス設計を取り入れた現代水上戦闘艦の先駆け的存在である。
-アメリカ海軍においてもラファイエットの名を持つ艦は三代に渡って存在した。初代は1848年に建造された外輪船アレック・スコットを1862年にアメリカ戦時省が買い上げてフォート・ヘンリーに改名。だが間もなく衝角装甲艦に改造するとともにラファイエットと再度改名したものの、それから一年半も経たないうちに予備役に編入・売却された。
二代目は1935年に就役したフレンチ・ラインの北大西洋航路の定期客船ノルマンディーがアメリカに接収され、太平洋戦争開戦直後の1941年12月12日に輸送艦AP-53ラファイエットと命名されるも、翌年2月改装工事中に火災を起こし横転着底。浮揚後そのまま放置され戦後に解体された。
最も有名な三代目はラファイエット級原子力弾道ミサイル潜水艦のネームシップSSBN-616として冷戦真っ盛りの1963年に就役((ちなみに進水式の際にシャンパンを割ったのはPT-109艇長で第35代アメリカ合衆国大統領のファーストレディ、ジャクリーン・ケネディ))、他のジョージ・ワシントン級、イーサン・アレン級、ジェームズ・マディソン級、ベンジャミン・フランクリン級と共に''自由のための41隻 41 for Freedom''といういささか仰々しい扱いをされていた。
幸いにして現役中に搭載されていたポラリスA-2が発射されることはなく1991年に退役、翌年には原子力艦再利用プログラムに基づいた解体作業が完了した。
*この艦娘についてのコメント [#comment]
//#fold(過去ログ){{
//#ls
//}}
//コメント2以降への移行時に↑のコメントアウトを外せば改造完了
//新規作成時は下のコメントアウトを解除
#pcomment(./コメント1,reply,30)
//----
//''&size(16){[[&color(white,orange){提案意見掲示板};>提案意見掲示板]]からのお知らせ};''
//-ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、''[[wiki内神社]]というページが設置''されました!ぜひご利用ください。
//----
//-&size(13){''&color(Red){建造成果の報告は[[建造レシピ]]内にあるコメント欄に、&br;ドロップ報告に関しては[[出撃ドロップ]]内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。};''};