//コピペするのはここから
|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.399|
|&attachref(./399.png,nolink,"Hoi! 貴方が噂のこの艦隊の提督ね!私は、オランダ軽巡De Ruyter! わかる?わかるわかる? そ、結構、いいから、私! 任せて");|>|&nobr{De Ruyter};&br;&nobr{(デ・ロイテル)};|>|De Ruyter級 1番艦 &nobr{軽巡洋艦};|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|28|~火力|21 / 50|
|~|~装甲|15 / 31|~雷装|0 / 50|
|~|~回避|35 / 68|~対空|20 / 70|
|~|~搭載|4|~対潜|10 / 40|
|~|~速力|高速|~索敵|10 / 42|
|~|~射程|中|~運|9 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|30|~弾薬|35|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|1|>|>|[[Bofors 15cm連装速射砲 &br;Mk.9 Model 1938>Bofors 15cm連装速射砲 Mk.9 Model 1938]]|
|~|1|>|>|未装備|
|~|2|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''De Ruyter'' → [[De Ruyter改]](Lv50)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:オランダ生まれの軽巡洋艦、De Ruyterよ。&br;新型主砲と強力な対空機銃座を集中配備した新しいコンセプトの軽巡として、当時のオランダ領東インドに配備されたの。&br;ABDA艦隊の旗艦として戦ったけど…日本の重巡、あれはやばいわ…わかるわかる!|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:森山由梨佳、イラストレーター:沙良 (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:森山由梨佳、イラストレーター:沙良
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>De Ruyter/定型ボイス]])
#table_edit(De Ruyter/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>De Ruyter/時報ボイス]])
#table_edit(De Ruyter/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>De Ruyter/季節ボイス]])
#table_edit(De Ruyter/季節ボイス)
~
}}

*ゲームにおいて [#game]
-2019年11月30日、2019年秋イベント『[[進撃!第二次作戦「南方作戦」]]』で実装された、艦これ初のオランダ艦娘。
--[[E-3>進撃!第二次作戦「南方作戦」/E3]]の第2ゲージボスでドロップした。
-2023年1月20日実装の[[7-5>南西海域#area5]]にて通常海域でのドロップが設置された。

-初期値の状態では雷撃不可能だが、近代化改修やレベルアップにより値を1以上にすると可能になる([[大淀]]と同様)。
-改造前の時点で装備枠が3スロットあるが、改造してもスロットは増えない([[阿賀野]]等と同じ)。

**キャラクター設定について [#character]
-「やっばーい」「わかるわかる」が口癖の少々ギャルっぽい子。

-かなりのスタイルの持ち主だが、オランダ人は平均身長が世界一高く、女性は174センチにも及ぶ事を反映したものだろう。

-オランダ語について
--オランダ語は、インド・ヨーロッパ語族,ゲルマン語派,西ゲルマン語に属する。母語話者数は、ゲルマン語の中では英語・ドイツ語に次いで3番目に多い。
--オランダやベルギー北部フランドル地方のほか、南米のスリナムやカリブ海のシント・マールテンでも話される。なお、オランダはインドネシアを植民地化したが、その独立後オランダ語は公用語ではなくなった。また、オランダ語はかつて南アフリカでも公用語の一つであったが、やがてオランダ語の娘言語であるアフリカーンス語に取って代わられた。
--オランダ語はしばしば「英語とドイツ語の中間」に位置すると言われる。英語に近い特徴には、第二次子音推移を経ていないこと・ウムラウトを用いないこと・接続法をほぼ放棄したこと・格変化を含む形態論の多くを平準化したことなどが挙げられる。一方、語末閉鎖子音の無声化やV2語順、文法上の性の残存などはドイツ語に共通するものである。
--オランダ語の子音における特徴的な音素に、/ʋ/がある。近代化改修や改造時ボイス"Dank u wel"のwであり、唇歯接近音[ʋ]として現れる。下唇と上歯をかなり接近させて発音され、英語のwとvの中間のような響きをもつ。MVP時ボイス"Proost!"にも見られる/r/は、方言による差異が激しい。歯茎ふるえ音[r]や歯茎はじき音[ɾ]のほか、ドイツ語のように口蓋垂ふるえ音[ʀ]や有声口蓋垂摩擦音[ʁ]などでも発音される。他に、/x/と/ɣ/も特徴的である。時報ボイス"Goedemorgen"など、オランダ語のgは軟口蓋摩擦音(有声[ɣ]または無声[x])で発音される。母音の前など音節初頭で有声音、母音の続かない音節末で無声音である。
--母音で特徴的なものといえば、ui[œy](huis 家)やeu[øˑ](deur ドア)などである。uiは「アイ」の口の構えで、euは「エー」の口の構えで、それぞれ唇を丸めることで得られる音である。
--語順はドイツ語と多くの点で共通しており、ドイツ語同様、主節において定動詞が文の2番目に来るV2語順である。
--名詞の性は、一般に両性(共性、通性ともいう)と中性の2つであり、定冠詞は両性名詞にde、中性名詞にhetを用いる。De Ruyterの名は17世紀の提督Michiel de Ruyterから取られたものだが、このようにオランダ語では、人名の姓に、しばしば定冠詞deや前置詞van、前置詞+定冠詞の古形vanden, vander, ter, tenなどが付けられる。なお、姓名をそろえるときにはde, vanなどは小文字書きされる。

**[[限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2019年12月20日のオンメンテで、期間限定グラフィック「クリスマスmode」が実装された。
--これまでにもイベントの新規艦がイベント終了と同時に期間限定グラフィックを得る事は多々あったが、イベント期間中に実装されるのはこれが初めて。
--24日にはプレゼントを差し出す表情差分も実装されるという豪華仕様。
しかし、表情差分を図鑑で見ることはできない。イブだけの特別ということか。
-
#fold(限定イラスト:クリスマスmode){{
限定イラスト:クリスマスmode
&attachref(./399_Xmas.jpg,nolink,);
}}

-2020年1月14日のアップデートで、節分modeが実装された。
--新規艦にも容赦なく伝染するセッツブーンの輪。中破絵がストレートに際どい。
-
#fold(限定イラスト:節分mode){{
限定イラスト:節分mode
&attachref(./399_Setsubun.jpg,nolink,セッツブーンでしょ、わかるわかる~。私達の鬼はだーれ? あっ、Perthなんだ。ん、じゃあいっくよー、えーいっ!);
}}

*小ネタ [#neta]
**デ・ロイテル級軽巡洋艦とは [#f19a89d9]
オランダ海軍が建造した植民地警備用の軽巡洋艦。
オランダ海軍は植民地警備用のジャワ級軽巡洋艦を2隻保有していたが、それらを支援・補完する目的で増備された。
-ジャワ級は当初3隻建造される予定だったのが第一次世界大戦の勃発で1隻が建造中止となっており、本艦の存在はその代艦という意味合いもある。
--設計もジャワ級と同じクルップ・ゲルマニア社で、ドイッチュラント級装甲艦の影響を受けた復元性に優れ高い乾舷を持つ長船首楼型の船体に巨大な艦橋と1本煙突を立てた艦容が特徴である。建造はオランダのウィルトン・フィエノールト社スヒーダム造船所で行われた。
-元々は予算や政治的な問題から排水量5250トンで速力32ノットの低コスト巡洋艦として設計が始まったが、運用側からは仮想敵の5500トン型軽巡の14㎝砲7門と比べて弱体であると指摘され15㎝砲8門または20.3㎝砲6門の搭載を要求された。しかし世界恐慌による予算不足で艦形の大型化は抑制され、最終的に火力と装甲を増強して6500トンとなった。
--主砲にはボフォース社の[[1938年型15cm砲(50口径)>Bofors 15cm連装速射砲 Mk.9 Model 1938]]を採用した。配置は前部甲板に連装砲塔×1、後部甲板に連装砲塔×2の予定だったが、[[単装砲として前部甲板にもう1基追加>Bofors 15cm連装速射砲 Mk.9改+単装速射砲 Mk.10改 Model 1938]]された。
-火力強化の代償として魚雷と高角砲はオミットされた。
--ジャワ級に引き続き、魚雷発射管は装備していなかった。
--主砲が対空射撃を考慮し60度まで仰角を上げられる代わりに高角砲を装備しておらず、指揮装置と連動したボフォース40ミリ機関砲を連装で5基、近接火器としてブローニング12.7㎜連装機銃4基を装備している。
--ボフォース40mm機関砲を装備した艦としては初期の部類に入る。
-索敵能力強化のために水上機運用施設が追加された。
--ヘアバンドに付いた旋回式カタパルトは実艦のハインケルK8型カタパルトを反映したものと思われる。フォッカーC.XI水上機2機を運用できたが、日本軍との対決時は引火を恐れて陸揚げしていた。
-機関はヤーロー式重油専焼水管缶6基にパーソンズ式ギャード・タービン2基2軸推進。公試時は15%の過負荷で76000馬力を発生し速力33.6ノット、常用では66000馬力を発生し速力32ノットと要求性能を達成した。オランダとインドネシアを往復できる航続能力が求められ、重油1300トン搭載時は12ノットで11000海里と優秀であった。
-舷側装甲は30~51㎜でジャワ級の50~76㎜より薄いが、1番砲塔から4番砲塔までの舷側(133m×4m)は50㎜、主甲板は30㎜、砲塔は前盾100㎜・側面30㎜、機関区は水線下隔壁に30㎜の装甲、弾薬庫は水平30㎜・垂直100㎜の装甲で覆われるなど防御力は高く、ドイツ式の質実剛健な造りであった。
艦名は英蘭戦争の英雄ミヒール・デ・ロイテル(Michiel de Ruyter)提督に因む。
#fold(デ・ロイテル提督とは?){{
デ・ロイテル提督とは?
-ミヒール・デ・ロイテルは第二次・第三次英蘭戦争で弱小なオランダ海軍を率い、イギリス海軍を度々撃破した提督で、欧米のミリタリー・マニアによる人気投票ではネルソンに次ぐ2位が定位置である。
--本名はミヒール・アドリアンソーン(アドリアンの息子ミヒール)で姓が無かったが、航海士時代に「デ・ロイテル」と署名するようになった。これは母が父との交際中、馬に相乗りしてデートしていたことからDe Ruyter(騎手の意。De Ruiteのゼーラント訛り)と徒名されていたことにちなむ。
---日本では慣習的に「ロイテル」と表記されるが、オランダ語の「uy」は日本語にない母音((発音記号では「oey」。uとyはそれぞれドイツ語のオーウムラウト、ウーウムラウトと同じ発音。))なので厳密なカタカナ表記はできない。
-1607年3月24日、ゼーラント州フリシンゲンに誕生。小さな頃から悪ガキで10歳で学校を放逐されてランプシン家のロープ工場の徒弟となるが、子分を率いてケンカに明け暮れていた。しかし11歳の時、本当は船に乗りたいのではないかと察したランプシン兄弟が自社の武装商船「デ・ハーン号」のキャビンボーイに配属してくれた。
--1647年、ランプシン家の私掠船の船長に昇進する。
-クロムウェルが制定した航海条例が原因で、1652年からイングランド共和国とネーデルラント連邦共和国(オランダ)の間に第一次英蘭戦争が勃発した。デ・ロイテルも海軍に召集され、オランダ独立戦争の英雄マールテン・トロンプ提督の下で優勢なイングランド海軍と戦うが、オランダ海軍の敗戦が続く。1653年のスヘフェニンゲンの海戦でトロンプ提督も戦死し、1654年にウェストミンスター条約が結ばれオランダに不利な条件での停戦となった。
--当時のオランダ海軍は連邦内の地域エゴ、議会派とオラニエ公派の政争で足の引っ張り合いが横行し、嫌気の差したデ・ロイテルは恩義のあるランプシン家の雇われ船長に戻りたかったが、国の窮状がそれを許さなかった。
-1664年、オランダの植民地ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)をイングランド軍が占領。翌年、王政復古後のイングランド王国とオランダの間に第二次英蘭戦争が勃発した。ローストフト沖海戦でヤコブ・ファン・ヴァッセナール・オブダム提督が戦死し、アフリカ遠征から戻ったデ・ロイテルがオランダ艦隊司令長官に任命された。
--1666年、オランダ海軍は4日海戦で大勝。聖ジェイムズの日の海戦で敗れるが被害はわずかだった。
--1667年、デ・ロイテルの艦隊はイングランド海軍の本拠地チャタムに殴り込みをかけ、停泊中の軍艦を焼き払う。決定的敗北を喫したイングランドはオランダとブレダの和約を結び、オランダに有利な条件での停戦となった。
-1672年、フランス軍はオランダに侵攻して大部分を占領する。オランダは堤防を決壊させて国土を海に沈め、首都アムステルダムの占領を防いだ。イングランドはフランスに協力して海上からのオランダ侵攻を目指し、第三次英蘭戦争が勃発した。
--デ・ロイテルの艦隊はソール湾(オランダ)でイングランド・フランス連合艦隊を襲撃して上陸作戦を頓挫させ、イングランド艦隊司令官のサンドイッチ伯爵(初代)が戦死した。
--1673年6月7日、スホーネヴェルト水道に停泊中のデ・ロイテルの艦隊をイングランド・フランス連合艦隊が襲撃するが、逆に追い散らされイングランドに逃げ戻る(スホーネヴェルトの海戦)。8月20日、テセル島沖に居座っていたイングランド・フランス連合艦隊を攻撃し、追い払う(テセル島の海戦)。
---イングランド議会は戦闘が始まると逃げてばかりいるフランス艦隊を問題視し、反フランス感情が強まり、国王チャールズ2世は戦争続行を断念する。ウェストミンスター条約が結ばれオランダに有利な条件での停戦となった。
-シチリア島のスペイン・ハプスブルク家領でのフランスによる反乱煽動が活発になり、スペインは同盟国のオランダにデ・ロイテルの艦隊の派遣を要請した。
--1676年4月22日、シチリア島のカターニャ沖で優勢なフランス艦隊に遭遇し戦闘となる(アウグスタ海戦)。戦闘は決着がつかないまま終結したが、デ・ロイテルは砲弾で右脚を吹き飛ばされてシラクサの病院に収容され、4月29日に死亡した。
}}
**略歴 [#q835dffc]
|CENTER:45|CENTER:45|700|c
|~1933|9.16|ウィルトン・フィエノールト社スヒーダム造船所において起工|
|~1935|5.11|進水|
|~1936|10.3|就役|
|~1937|3. |オランダ領東インド(インドネシア)に到着|
|~1942|2.4|ABDA艦隊の旗艦としてバンダから出撃。マカッサル海峡で日本海軍基地航空隊の攻撃を受け撤退|
|~|2.8|チラチャップに帰投|
|~|2.15|日本軍輸送船団の攻撃に向かうが、ガスパル海峡で[[龍驤]]の艦載機と基地航空隊の攻撃を受け撤退|
|~|2.18|日本軍のバリ島攻略部隊を攻撃するためチラチャップから出撃|
|~|2.20|バリ島沖海戦に参加。攻撃は失敗に終わる|
|~|2.26|日本軍のジャワ島攻略部隊を攻撃するためバンダから出撃|
|~|2.27|スラバヤ沖海戦に参加。初弾で[[神通]]に挟叉弾を浴びせ、第二水雷戦隊の突撃を阻止している|
|~|2.28|[[那智]]、[[羽黒]]の魚雷が命中し撃沈される|

#fold(艦歴/詳細){{
艦歴/詳細
**太平洋戦争での活躍 [#x954b2a4]
-デ・ロイテルは1936年10月に竣役すると、オランダ領東インドに派遣され、以後戦没するまで東南アジアで活動し続けた。
--かつてはイギリスと世界の海上覇権を争ったオランダ海軍も、この頃はフランス海軍やイタリア海軍にも後塵を拝し、植民地はデ・ロイテルの配備されたオランダ領東インド(現在のインドネシア)だけとなっており、規模も劣っていた。戦力としては2隻の海防戦艦とデ・ロイテルなどの軽巡洋艦3隻が中心で、その中でも最大規模を誇る艦がデ・ロイテルだった。
--オランダ海軍は国力の都合上本国と植民地の両方をカバーする戦力を用意できないため、他の列強とは異なり本国の防御を最低限に抑え、その分植民地を重点的に守る戦略をとっていた。
---当時のオランダ領東インド (蘭印) は天然ゴム生産量が世界2位((1位は英領マラヤ(現在のマレーシア) ))、石油生産量は世界4位((1位はアメリカ、2位はイラン、3位はルーマニア))で、オランダにとっては国家の資金源と言える最重要拠点だった。そのため新造艦は植民地に優先的に回され、開戦時点の蘭印に配備されていた水上艦や潜水艦部隊はオランダ海軍の持ち得る戦力の大半だった((アジア情勢の緊張に対し後述のデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン級軽巡の建造や、ドイツに巡洋戦艦を発注するなどして対抗したものの、いずれも40年5月のオランダ侵攻で中断・頓挫に追い込まれている。))。
&br;
-太平洋戦争が始まった1941年12月8日の時点でオランダはナチス・ドイツに占領され、東南アジアに展開するオランダ海軍は本国を失った状態だった。南進する日本海軍に対し在地のオランダ海軍の戦力では焼け石に水であり守り切ることは困難であった。
-そこで東南アジアに権益をもつオーストラリア(Australia)・イギリス(British)・オランダ(Dutch)・アメリカ合衆国(America)は、そのイニシャルからABDA司令部(米英蘭豪司令部)と称される多国籍コマンドを設置し、日本軍に対抗する。総司令官はアーチボルド・ウェーヴェル陸軍大将(イギリス)で、米アジア艦隊司令長官のトーマス・チャールズ・ハート海軍大将が海軍の指揮を執った。
--司令部所属の[[ABDA艦隊>雑学#ABDAkantai]]が編成され、オランダ海軍のカレル・ドールマン少将が司令長官に就任。旗艦にデ・ロイテルが選ばれた。
-ABDA艦隊は東南アジアという本国から遠い地域で、何の準備も経ずに編成され、日本軍と比べて兵力不足は明らかだった。また参加各国の利害調整や、戦略の統一もできない烏合の衆であった。それでも勇猛果敢なドールマン少将は積極的攻勢に出る。
--1942年2月3日、侵攻する日本船団を迎撃すべく、蘭軽巡洋艦デ・ロイテル、蘭軽巡洋艦トロンプ、米重巡洋艦[[Houston]]、米軽巡洋艦マーブルヘッド他、各国駆逐艦7隻が出撃する(ジャワ沖海戦)。ABDA艦隊はマカッサル海峡で日本海軍基地航空隊の陸上攻撃機(約60機)に発見され、航空支援のないまま空襲に晒される。デ・ロイテルは対空射撃指揮装置が破壊され、有効な対空戦闘を行えなくなった。数隻が損傷を受けABDA艦隊は退却した。
--ドールマン少将の闘志は衰えず、2月19日に再度出撃し、バリ島攻略を図る日本船団を攻撃する(バリ島沖海戦)。2月20日夜、二手に分かれたABDA艦隊のうち、ドールマン少将率いる5隻((蘭軽巡洋艦デ・ロイテル、蘭軽巡洋艦ジャワ、蘭駆逐艦ピートハイン、米駆逐艦ジョン・D・フォード、米駆逐艦ポープ))が日本船団の停泊するサヌール泊地に突入したところ、偶々出港しようとしていた護衛の[[大潮]]、[[朝潮]]、輸送船笠子丸と遭遇し交戦となる。数では圧倒したABDA艦隊だが夜間の遭遇戦で双方が相手を見失い、ABDA艦隊は北方に後退する。大潮と朝潮は敵捜索中に友軍とはぐれていたピートパインと遭遇してこれを撃沈している。
---その後2隻は侵入を果たそうとするABDA艦隊の残り((蘭軽巡洋艦トロンプ、米駆逐艦スチュワート、米駆逐艦パロット、米駆逐艦エドワーズ、米駆逐艦ピルスベリー))とも交戦、救援に駆け付けた[[満潮]]、[[荒潮]]が加わり、結局ABDA艦隊は突入を果たせずに撤退する。数的に圧倒してたABDA艦隊だが、多国籍軍のため連携が非常に悪く、優位性を活かせずに実質2隻の駆逐艦に侵攻を阻まれてしまうという結果となった。
//「スラバヤ沖海戦-連合国解体壊滅す-」よりここから
---ABDA艦隊の連携の悪さの一因として艦隊共通信号を作る時間も余裕も無かったことがあり、ただでさえ劣勢な状況でABDA艦隊の足かせとなっていた。
ドールマン少将自身は英語を話すことができ事前の作戦会議は行う事ができたが、戦闘中状況は刻一刻と変化していく。
そのような中で共通信号が無かったために例えばデ・ロイテルから蘭艦隊及び米艦隊へ連絡する場合、
①旗艦デ・ロイテルからオランダ艦へオランダ語にて連絡
②その内容をデ・ロイテルに乗り込んだアメリカ連絡将校が英語に翻訳
③翻訳命令をヒューストンに送信し、ヒューストンからアメリカ駆逐艦部隊へ連絡
…という実にややこしい手順を踏まなければならなかった。
--このような中、創設時からあったABDA司令部の不協和音が大きくなっていた。ドールマン少将を司令長官に選んだのはハート大将だが、オランダ亡命政府はABDA司令官をアメリカ人に任せることに同意していなかった。
戦局の悪化に伴ってオランダ亡命政府の批判は日増しに強くなり、遂には2月16日に海軍司令官が現地東インド出身であったオランダ人のコンラッド・ヘルフリッヒ大将へと交代する事態になっていた。
--ヘルフリッヒ大将はABDA艦隊内で(上記のこともあって特にアメリカ士官達に)評判の悪かったドールマン少将を高く評価していた。
2月26日にABDA艦隊が出撃した際、ヘルフリッヒ大将はドールマン少将へ「貴官は敵が撃滅されるまで攻撃を続けなければならない」と電報によって強く激励したが、
後述するように2月27日にABDA艦隊が帰港しようとした際には「貴官は敵を捜索し攻撃せよ」と連絡、「現在、乗員たちの耐久力は限度に達しており、明日はこの限度を超えてしまう」とドールマン少将が返信する一幕もあった。
直後に日本船団発見の報がABDA司令部よりなされドールマン少将は反転し戦いへ向かったものの、ヘルフリッヒ大将は後にドールマン少将が帰港しようとしたこと自体を批判したという。
---時にはぶつかり合いながらもヘルフリッヒ大将やドールマン少将が激しい闘志を見せ続けたのは、ABDA各国の中でオランダだけが退けない理由があったからかもしれない。上述のように日米開戦時点で本国は既に攻め落とされ、蘭印を失えば祖国は実質的に領地の無い国となってしまうのだ((余談だが、近年オランダで発見された資料によると、戦国時代末期の大阪の陣の後にオランダ東インド会社が徳川家康と接触し、大阪の陣によって職にあぶれた浪人達を傭兵として雇い入れたいと申し込んでいた事が判明。国内の治安維持を計りたい家康は二つ返事で了承し、強力なサムライ軍団を手に入れたオランダはイスパニアからインドネシアを奪う事に成功する。つまり日本のお陰で、オランダはインドネシアを植民地に出来た訳だが、同じく日本によってインドネシアを失うのは皮肉極まり無い話である。))。
//「スラバヤ沖海戦-連合国解体壊滅す-」よりここまで
-ABDA艦隊をなんとか取りまとめようとしたドールマン少将だが、その命運は尽きる事になる。
--ドールマン少将は幾度か出港し、日本の輸送船団を襲う機会をうかがっていた。2月27日、日本船団を発見できずに帰港していた艦隊に、ABDA司令部から日本船団発見の報告が入る。ドールマン少将は直ちに反転し、15隻((蘭軽巡洋艦デ・ロイテル、蘭軽巡洋艦ジャワ、米重巡洋艦[[Houston]]、英重巡洋艦エグゼター、豪軽巡洋艦[[Perth]]、蘭駆逐艦コルテノール、蘭駆逐艦ヴィテ・デ・ヴィット、米駆逐艦ジョン・D・エドワーズ、米駆逐艦ポール・ジョーンズ、米駆逐艦ジョン・D・フォード、米駆逐艦アルデン、米駆逐艦ポープ、英駆逐艦エレクトラ、英駆逐艦エンカウンター、英駆逐艦ジュピター))で攻撃に向かう(スラバヤ沖海戦)。
--しかしこの動きは[[那智]]の水上機によって捕捉されていた。日本側指揮官の高木武雄少将は接近するABDA艦隊を迎え撃つべく、第五戦隊の[[那智]]、[[羽黒]]、直衛の[[潮]]、[[漣]]、[[山風]]、[[江風]]と、別船団を護衛していた田中頼三少将指揮する第二水雷戦隊の[[神通]]、[[天津風]]、[[時津風]]、[[初風]]、[[雪風]]、西村祥治少将指揮する第四水雷戦隊の[[那珂]]、[[村雨]]、[[春雨]]、[[夕立]]、[[五月雨]]、[[朝雲]]、[[峯雲]]に合流を指示した。
--スラバヤ沖海戦は当初、日本側が遠距離攻撃に終始したので双方被害は少なかった。しかし日が変わった2月28日0時すぎ、4回目の会戦では双方が12kmまで接近して交戦する。ここで漸く日本海軍自慢の酸素魚雷が威力を発揮し、1時過ぎにデ・ロイテルの後部に魚雷1発が命中し大爆発、デ・ロイテルは瞬時に戦闘力を奪われてしまう。更に1発が命中してとどめを刺されたデ・ロイテルは司令長官のドールマン少将と共に南の海に沈んでいった。生存者はわずかに17名で[[雪風]]が救助収容した((スラバヤ沖海戦後に雪風に救助されたのはデ・ロイテル乗員の他にジャワ、エレクトラ、コルテノールなどの乗員数十名。この収容者の中で一番階級が上だったエレクトラ乗員の英国人大尉は雪風乗員が行った尋問に対してジュネーブ条約を盾に一切口を噤んでいたが(軍事情報以外の会話には応じている)、デ・ロイテル乗員のオランダ人下士官は軍事情報を全て喋ってしまっている。(出典「雪風ハ沈マズ」p103-106)))。
}}
**その名を継ぐ者たち [#q835dffc]
-「デ・ロイテル」の名前はオランダ海軍を代表する艦名の一つとして代々受け継がれ、戦列艦が少なくとも3隻、蒸気軍艦の時代になっても複数の艦がその名を襲名している。
第二次大戦の期間には二隻の「デ・ロイテル」が存在したが、艦これに登場するデ・ロイテルは一代目。
#fold(歴代「デ・ロイテル」(蒸気軍艦以降)){{{
#fold(2等戦列艦「デ・ロイテル」){{
74門帆走戦列艦として1831年に起工。その後大型フリゲートに改装され、蒸気機関を搭載してスクリュー推進艦になり、さらに舷側砲門装甲艦(モニター)へと改装された数奇な艦。
}}
#fold(非防護巡洋艦「デ・ロイテル」){{
非防護巡洋艦「デ・ロイテル」
オランダ初の鉄製巡洋艦であるアチェ級非防護巡洋艦の1隻。1885年に就役。1899年に退役・解体。
}}
#fold(海防戦艦「デ・ロイテル」){{
海防戦艦「デ・ロイテル」
コーニンギン・レヘンテス級海防戦艦の2番艦として先代の名前を受け継いで1900年起工1902年就役。東南アジア植民地を中心として活動し、日本にも寄港経験がある。1923年退役。
}}
#fold(駆逐艦「デ・ロイテル」){{
駆逐艦「デ・ロイテル」
第1次大戦後に建造されたアドミラーレン級駆逐艦の1隻。1926年就役。1936年、「デ・ロイテル」の名を新造軽巡に譲って「ファン・ヘント」に改名。1942年にジャワ島南岸チラチャップで座礁し自沈処分。沈没地点からもわかる通り、東インド艦隊では新旧の「デ・ロイテル」が並んで戦っていた。&color(Silver){そりゃ改名もするわ。};
}}
#fold(軽巡洋艦「デ・ロイテル」(初代)){{
軽巡洋艦「デ・ロイテル」(初代)
←本艦。
}}
#fold(軽巡洋艦「デ・ロイテル」(二代)){{
軽巡洋艦「デ・ロイテル」(二代)
1939年に「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」((「七州連合」の意味で、ネーデルラント連邦共和国(7州で構成)に由来するオランダの美称。デ・ロイテル提督の乗艦だった同名の戦列艦が有名。))として起工されるが、ドイツ軍のオランダ侵攻で建造が中断する。初代デ・ロイテルが建造中に喪失したため艦名を受け継いだ。連合軍によりオランダが解放され建造再開。大幅に設計を変更し1953年に就役した。1973年にペルー海軍に売却され「アルミランテ・グラウ」に改名されている。以降永きに渡り同海軍で運用され、2017年まで現役だった。将来的にペルーの首都リマで博物館船として公開されることが2019年に発表され、保管中…であったが、2022年にこの計画は破棄され売却解体される見込みとなった。
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フリゲート「デ・ロイテル」(初代)
トロンプ級フリゲート2番艦。先代が売却されたのち、名前を受け継いで1976年就役。オランダ海軍で初めてガスタービンエンジンを搭載したクラスである。2001年退役。
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フリゲート「デ・ロイテル」(二代)
オランダ海軍最新鋭のデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン級フリゲートの3番艦として2004年に就役し現役。ドイツと共同開発された艦((ドイツ側の同型艦はザクセン級フリゲート))。弾道ミサイル防衛能力が追加された。
2020年2月2日、情報収集活動のため中東に向かう「たかなみ」の出港式典に駐日オランダ大使が同席、自身の[[ツイッター>https://twitter.com/OrandainJapan/status/1224222259654602754]]で「デ・ロイテル」も同じく中東ミッションに派遣中であることを公表した。
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-因みにデ・ロイテルと共に勇敢に戦い、戦死したドールマン少将を偲び、以降オランダ海軍の艦名としてドールマン提督の名も代々受け継がれている。
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歴代「カレル・ドールマン」
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初代
1946年にオランダ海軍に貸与された元英国の護衛空母「ナイラナ」。後に英国に返還され1971年スクラップとして廃棄。
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2代目
1948年にオランダ海軍が購入した英国のコロッサス級軽空母「ヴェネラブル」。来たるべき東側との対決に備えNATO艦隊の一隻として各種演習に参加、またニューギニアなどの戦後も残存したオランダの太平洋植民地の警備も行った。1968年に機関部の火災事故を起こしてそのまま1970年の予定を前倒しで退役するが、艦体をアルゼンチンに買われ、「ベインティシンコ・デ・マヨ」の名で再就役。その後は1982年4月のフォークランド紛争を迎えるも、特に戦闘に参加することはなく2000年に解体された。
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3代目
1991年就役のカレル・ドールマン級フリゲートのネームシップ。2005年にベルギー海軍に売却後「レオポルド1世」に改名され、2019年現在も同海軍で現役。
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4代目
2015年就役の統合支援艦で、ヘリコプター運用設備や揚陸艦・補給艦機能を持つ多目的艦。現役。
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-2002年にジャワ海で眠る姿が発見されていたが、2004年に船鐘が盗まれ、2016年11月に違法サルベージによって船体そのものも消失してしまった事が発表された。
([[2次大戦で沈没した軍艦の残骸、海底から消える ジャワ海>https://www.cnn.co.jp/fringe/35092369.html]]、2020/01/02確認)
デ・ロイテルの2つの船鐘は売りに出されたものの、オランダのコレクターがこれを買い取り、2005年にオランダ海軍へ寄贈した。
現在はデンヘルダーにある海軍博物館と、ハーグにあるクロイスター教会にそれぞれ展示されている。

*この艦娘についてのコメント [#comment]
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