|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.523|
|&attachref(./523.png,nolink,重巡Tuscaloosa!ン、New Orleans classだ。よろしく!);|>|Tuscaloosa&br;(タスカルーサ)|>|New Orleans級 &nobr{4番艦}; &nobr{重巡洋艦};|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|43|~火力|36 / 52|
|~|~装甲|34 / 49|~雷装|0 / 45|
|~|~回避|36 / 63|~対空|18 / 60|
|~|~搭載|7|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|15 / 55|
|~|~射程|中|~運|17 / 77|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|40|~弾薬|60|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|1|>|>|[[8inch三連装砲 Mk.9]]|
|~|1|>|>|未装備|
|~|5|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Tuscaloosa'' → [[Tuscaloosa改]](Lv50)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:USS Tuscaloosa。New Orleans classその四番艦。重巡洋艦としては、最新鋭って訳じゃないけど、大西洋で戦い、そして太平洋戦線、後半の島々の戦いにも参加。もちろん戦いはあってはならない事だけど、戦う事が必要な時も……あります。難しいね。本当に。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:井料愛良、イラストレーター:星灯り (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:井料愛良、イラストレーター:星灯り
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Tuscaloosa/定型ボイス]])
#table_edit(Tuscaloosa/定型ボイス)
~

#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Tuscaloosa/時報ボイス]])
#table_edit(Tuscaloosa/時報ボイス)
~

#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Tuscaloosa/季節ボイス]])
#table_edit(Tuscaloosa/季節ボイス)
~

//セリフ一覧内における外国語の解説の記述方式について→https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%AD%B0%E8%AB%96%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF/%E8%89%A6%E5%A8%98%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95%E4%B8%80%E8%A6%A7%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
}}

*ゲームにおいて [#game]
-2023早春イベント後段作戦『[[絶対防衛線!「小笠原兵団」救援』>絶対防衛線!「小笠原兵団」救援]]』[[E-5>絶対防衛線!「小笠原兵団」救援/E5]]にて報酬艦として初登場。
--同イベント[[E-6>絶対防衛線!「小笠原兵団」救援/E6]]にてドロップ艦としても登場、報酬艦が同一イベントで掘れるのは初。
--実装に先駆けて、3月14日から二日間限定開催された[[「艦これ」メロンブックス特設酒保【外神田酒保】>https://twitter.com/C2_STAFF/status/1635130477572157440]]にて配布された「最新艦娘先行妖精さんの公式シール」で、妖精さんの形でビジュアルがお披露目された。本イベントでは[[夕暮]]、[[Heywood L. Edwards>Heywood L.E.]]、本艦の3隻が実装前にアニメや公式グッズでビジュアルを公表する異例の展開となった。
--名前だけなら実装前から[[Massachusetts]]が時報ボイス(11時)と正月限定ボイスで&color(silver){酒を飲み始めた};[[&color(silver){Ranger};>Ranger]]&color(silver){を止めるための助っ人として};話題に出している。
--&color(silver){2023カレンダー2月イラストで悪酔いして大暴れするRangerを前に[[&color(silver){ヨナ};>伊47]]から助けを求められた手だけが見切れている艦娘も多分彼女。};
-[[8inch三連装砲 Mk.9]]を装備しているがニューオーリンズ級で装備されていたのは[[Minneapolis]]までで、実際のTuscaloosaは軽量化されたMk.12を装備していた。
--そのためかNorthamptonなどとは異なり、[[8inch三連装砲 Mk.9]]の装備ボーナスの対象外。何故か装備していたMinneapolisも対象外。
-最初から魚雷発射管を装備していないため、[[Zara級>艦娘名一覧(艦種別)#Class_Foreign_CA]]同様に重巡ながら雷装初期値が0となっている。そのため夜戦火力は低め。
//**装備ボーナスについて [#bonus]


//**性能比較表(?より転送)  [#comparison]


**アップデート履歴 [#update]
-2023/03/18:[[イベント報酬艦>絶対防衛線!「小笠原兵団」救援]]として実装。

**キャラクター設定について [#character]
-口数は控えめだが、他のアメリカ重巡と比べて割と気安い感じで接してくる。


**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2023年6月14日、初の限定グラフィックである梅雨modeが実装された。
--公式もイチオシのデニムスカートの書き込みが凄まじい。
-
#fold(限定グラフィック:梅雨mode){{
限定グラフィック:梅雨mode
&attachref(./523_Tsuyu.png,nolink,	ん……rainy seasonは苦手。なんか……ね。);
}}

-2024年1月1日、元旦メンテで艦娘【晴着】modeが実装された。
--白と青を基調とした晴れ着が似合っている。
-
#fold(限定グラフィック:晴着mode){{
限定グラフィック:晴着mode
&attachref(./523_Nenshi_2024.png,nolink,やあ、A happy new year Admiral.新年も……悪くないね。飲もうか?);
//中破絵は無しで
}}
-2024年2月29日開始、3月1日完了のアプデで春のお出かけmodeが実装された。
--黒の革ジャンに黒のスカートという出で立ちで、桃色の飲み物を両手に持っている。片方は提督用だろうか。
-
#fold(限定グラフィック:春のお出かけmode){{
限定グラフィック:春のお出かけmode
&attachref(./523_Odekake.png,nolink,へー、大西洋艦隊とフランス艦隊合同で春のparty? いいんじゃない?面倒だからあたしは出ないけど。……え、ダメ?);
}}
-2024年4月23日、11周年アップデートで【カクテルドレス】modeが実装された。
--純白のドレスにグリーンのリボンがアクセントになっている。
-
#fold(限定グラフィック:カクテルドレスmode){{
限定グラフィック:カクテルドレスmode
&attachref(./523_Cocktaildress.png,nolink,	11th fleet anniversary!I'm so happy for you admiral. 嬉しいね、100万の感謝と祝福を!);
}}
-2024年10月18日のアップデートで【ハロウィン】modeが実装された。
-
#fold(限定グラフィック:ハロウィンmode){{
限定グラフィック:ハロウィンmode
&attachref(./523_Autumn.png,nolink,ん?Admiral、どう?	);
}}

-2025年2月13日のアップデートにおいて、【Valentine】 modeが実装された。
-
#fold(限定グラフィック:Valentine mode){{
限定グラフィック:Valentine mode
&attachref(./523_Valentine.png,nolink,);
}}

*小ネタ [#neta]
#fold(略歴){{
}}

-元ネタはアメリカ海軍のニューオーリンズ級重巡洋艦4番艦「タスカルーサ」(USS Tuscaloosa, CA-37)。
--艦名の由来はアラバマ州西部の都市タスカルーサ市にちなむ。
&color(silver){「助かるーさ」などと};語呂で縁起を担ぎたくなるこの地名は、16世紀のアメリカ先住民チョクトー族の首長タスカルーサ((黒い戦士の意とのこと))に由来する。1540年のマビラの戦いにて、タスカルーサたちチョクトー族の戦士団はスペイン人征服者のエルナンド・デ・ソト率いる軍隊と戦い全滅したという。
--アメリカ海軍の艦名としては本艦が初代。二代目はニューポート級戦車揚陸艦9番艦「タスカルーサ」(LST-1187)で、1970年に就役し1993年に退役、2014年に実艦標的として海没処分された。

**ニューオーリンズ級重巡洋艦について [#oc3255cc]
-1920年代後半から、アメリカ海軍はワシントン海軍軍縮条約およびロンドン海軍軍縮条約に基づく「条約型巡洋艦」を次々に世に送り出してきた。第1弾のペンサコーラ級、第2弾の[[ノーザンプトン級>Northampton]]に続き、第3弾としてアメリカ海軍初の基準排水量10,000t超となるポートランド級が登場したが、前級からの復原性不足や航洋性の悪さ、居住性不足等の問題をまだ引きずっていたため、その改善を図ったのが第4弾となるニューオーリンズ級重巡洋艦である。
--元々は起工が最も早い「アストリア」(CA-34)がネームシップとなる予定だったが、竣工が「ニューオーリンズ」(CA-32)より遅れたため、ネームシップを譲ることになった。((このような経緯から資料によってはアストリア級と記載されている場合もある))
-船体設計はノーザンプトン級から踏襲されている二本煙突の船首楼型だが、乾舷を低くして船首楼を艦尾方向へ延長することで艦内容積を増やし、居住性と復原性の改善を図っている。また、艦載機設備は前級までは二本煙突の間に設置されていたが、ニューオーリンズ級では煙突の間隔を詰めて後方煙突と後楼の間に設置し、これも設備の拡張に一役買っている。
-船体の寸法は前級ポートランド級の全長185.9m・全幅20.1mに対して全長179.3m・全幅18.8mと若干切り詰められ、区画防御の観点では前級を凌ぐ防御力を持つとされた。
もっとも、その代償で機関砲/銃が減ったため対空戦闘能力は多少下がってしまい、また向上したとされる防御力も太平洋戦争での日本海軍との激闘の前では活かされない面があった。
-兵装も前級を踏襲して[[55口径8インチ三連装砲>8inch三連装砲 Mk.9]]3基・[[25口径5インチ単装砲8基>5inch 単装高角砲群]]となっている。主砲砲身のサブタイプはニューオーリンズから3番艦「ミネアポリス」(CA-36)の3隻がMk.9、4番艦タスカルーサから7番艦「ヴィンセンス」(CA-44)の4隻が砲身軽量化型のMk.12で、Mk.9装備艦のうち戦没したアストリアを除き後に新型内筒に交換されてニューオーリンズはMk.14、ミネアポリスはMk.15となった。
-なお、ニューオーリンズ級は当初8隻建造される予定だったが、最後の一隻は[[ブルックリン級>Brooklyn]]軽巡洋艦に準じた艦型にニューオーリンズ級重巡の兵装を組み合わせた新規設計の艦として建造された。これが「ウィチタ」(CA-45)である。ウィチタは同型艦は建造されなかったが、後のボルチモア級重巡の原型となった。
-第二次世界大戦において、ニューオーリンズ級重巡のうちタスカルーサは大西洋に展開、残り6隻が太平洋戦線に展開したが、太平洋で彼女たちを待っていたのは日本海軍との壮絶な激闘だった。
--1942年の第一次ソロモン海戦では、「アストリア」、6番艦「クインシー」(CA-39)「ヴィンセンス」の3隻が第62任務部隊北方部隊に所属していたが、日本海軍外南洋部隊((第八艦隊(旗艦[[鳥海]])を基幹戦力に第一艦隊第六戦隊の[[古鷹]]、[[加古]]、[[青葉]]、[[衣笠]]を加えた戦時編制部隊))の砲雷撃の前に3隻とも撃沈され、同級の半分近くをいきなり失ってしまった。
--第一次ソロモン海戦から約二ヶ月後のサボ島沖海戦では、5番艦「サンフランシスコ」(CA-38)が旗艦を務める第64.2任務部隊がレーダーを活用した射撃で日本艦隊に大打撃を与え、第一次ソロモン海戦で外南洋部隊の一翼だった[[古鷹]]を撃沈してアストリアたち3隻の仇を一つ取った。しかし、その約一ヶ月後の第三次ソロモン海戦では、旗艦だったサンフランシスコは戦艦[[比叡]]・[[霧島]]を含む日本艦隊の猛砲撃に晒され、戦没は免れたものの77名の戦死者を出し、艦長のカッシング・ヤング大佐と坐乗していたダニエル・J・キャラハン少将も戦死した。
--さらにその半月後のルンガ沖夜戦では、ニューオーリンズとミネアポリスを含む第67任務部隊が鼠輸送中の日本海軍第二水雷戦隊を迎え撃ち、駆逐艦[[高波]]を集中砲火で大破(後に沈没)させたが、その隙に二水戦主力が放った魚雷により、ニューオーリンズとミネアポリスは共に艦首を失う大損害を被った。
-3隻が戦没、2隻が大破という損害を受けながらも、残ったニューオーリンズ級は修理を経て引き続き米艦隊の主力として活躍を続けた。また、大西洋戦線で活躍したタスカルーサも1945年には太平洋に転戦し、残存姉妹艦と共に硫黄島や沖縄の攻略戦に参加した。
最終的に4隻が終戦まで生き残ったニューオーリンズ級だったが、戦後は哨戒任務や復員支援などの任務に就いた後、1946~47年に退役、その後再就役することなく1959年にスクラップとなった。その後、タスカルーサのマストと5inch25口径単装高角砲は名前の由来となったアラバマ州タスカルーサ市内の公園にて保存されている。
~
#fold(姉妹艦){{
|CENTER:||c
|~艦番号|~艦名|
|1|ニューオーリンズ (New Orleans)|
|2|アストリア (Astoria)|
|3|ミネアポリス ([[Minneapolis]])|
|4|タスカルーサ ([[Tuscaloosa]])|
|5|サンフランシスコ (San Francisco)|
|6|クインシー (Quincy)|
|7|ヴィンセンス (Vincennes)|
}}

**艦歴 [#y68031c9]
-ニューオーリンズ級4番艦は1931年9月3日にニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所にて起工し、1933年11月15日に「タスカルーサ」と命名・進水。1934年8月17日に艦長ジョン・N・ファーガソン大佐の指揮下で就役した。
時はいわゆる「海軍休日」の末期。就役したタスカルーサは中南米方面での慣熟航海を経て、1935~39年まで中南米や太平洋方面で行われた4度の「フリート・プロブレム」をはじめとする数々の演習への参加に明け暮れた。
もっとも、1930年代後半に入ると、ナチス率いるドイツ第三帝国の台頭などによりヨーロッパ情勢は俄に不穏さを増し始め、アメリカ海軍はこれを受けて大西洋艦隊への重巡洋艦の増強を表明、タスカルーサを含む4隻((他は姉妹艦クインシーとサンフランシスコ、ノーザンプトン級[[ヒューストン>Houston]]))がその対象となった。
-1939年1月以降、タスカルーサはノーフォークを拠点とし、4月から6月までクインシー、サンフランシスコと共に南アメリカ方面への親善航海を実施。8月にはフランクリン・D・ルーズベルト大統領を乗せてカナダのカンポベロ島への航海を行った。タスカルーサはこの後も度々ルーズベルト大統領の坐乗の栄誉に浴することになる。
-そして1939年9月1日、ノーフォークに停泊するタスカルーサの元に届いたのは第二次世界大戦勃発の報であった。
&br;
***大西洋戦域での戦い [#u387b205]
-大戦勃発後、アメリカ合衆国は中立を宣言したが、その一方でアメリカ海軍は大西洋方面において中立パトロールと称する哨戒活動を開始。タスカルーサは中立パトロールが宣言された9月5日の翌日から哨戒に出撃した。
-12月16日、タスカルーサはカリブ海から東へ逃走を図るドイツ客船「コロンブス」の追跡の命を受け、ウィックス級駆逐艦エリス、同コールと共にノーフォークを出港する。19日にはイギリスのH級駆逐艦ハイペリオンと合流し、間もなくコロンブスを発見。ハイペリオンからの砲撃で停船させられたコロンブスは、乗客乗員577人を救命ボートで退船させた後に自沈した。コロンブスの乗員乗客たちは交戦国側であるハイペリオンではなく中立国側のタスカルーサの方に向かい、救助されたのだった。タスカルーサは20日にニューヨークに入ってエリス島に乗員乗客たちを降ろし、翌日にノーフォークに戻っている。
--なお、コロンブスの乗員乗客たちは日本とソ連を経由してドイツに戻ることになったが、その内51人は日本郵船の貨客船「浅間丸」((北米航路に就航し「太平洋の女王」と称された浅間丸級貨客船のネームシップ。ちなみに、新田丸級や出雲丸級と同様に浅間丸も有事に空母への改装が検討され、日本海軍が設計に関与していたが、改装は実現しなかった))に乗船して日本経由で帰国しようとした。しかし、翌年1月21日に房総半島沖の公海上でイギリス軽巡リヴァプールの臨検に遭い、船長ら21人が戦時捕虜の名目で連行される事件が発生、日英間の国際問題となった。いわゆる「浅間丸事件」である。
-1940年2月15日、タスカルーサは再びルーズベルト大統領の坐乗を受け、駆逐艦ジョーエットと共にラテンアメリカ沿岸の視察に出港。その後はブルックリン海軍工廠で三ヶ月のオーバーホールを受け、夏から秋にかけてはバミューダ諸島とカリブ海の間で中立パトロールに従事する。
-12月3日、ルーズベルト大統領は三度タスカルーサに乗艦してラテンアメリカの各島を訪問する。大統領はサウスカロライナ州チャールストンで艦を降りてワシントンD.C.に戻ると、ドイツと戦うイギリスへのレンドリース法の制定に向けて動くことになった。((これ以前にアメリカ海軍の平甲板型駆逐艦50隻をイギリスとカナダに供与する協定が実施されており、大統領は先のラテンアメリカ訪問に先立ってマイアミで供与される駆逐艦群を見学している))
一方、 タスカルーサはノーフォークに向かい、12月22日に駐仏大使として赴任するウィリアム・D・リーヒ海軍大将夫妻を載せてポルトガルのリスボンへ運び、翌1941年にノーフォークに帰投した。
-1941年4月以降、タスカルーサはバミューダ諸島を中心に、空母[[レンジャー>Ranger]]、重巡ウィチタ、駆逐艦ケアニー、リヴァモアと共に北大西洋での中立パトロールに従事した。レンジャーとはその後も大西洋戦域で度々作戦行動を共にすることになる。
5月24日、通商破壊作戦に出撃したドイツ戦隊(戦艦[[ビスマルク>Bismarck]]、重巡[[プリンツ・オイゲン>Prinz Eugen]])と迎え撃つイギリス戦隊(巡洋戦艦フッド、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ)との間でデンマーク海峡海戦が生起、フッドが撃沈された。タスカルーサにも行方をくらましたビスマルク、プリンツ・オイゲンへの備えが命じられたが、ビスマルクはその後イギリス海軍の猛追を受けて三日後に撃沈され、タスカルーサは再び中立パトロールの任務に戻っている。
-8月8日、タスカルーサはカナダのニューファンドランド島へ出発、途中でアメリカ陸軍航空軍司令官ヘンリー・H・アーノルド少将、戦争計画部次長リッチモンド・K・ターナー海軍少将、戦争計画部参謀フォレスト・D・シャーマン海軍大佐を乗せ、ニューヨーク沖でルーズベルト大統領が坐乗する重巡オーガスタと合流。2隻はニューファンドランド島沖のアルゼンチア海軍基地に向かい、イギリス首相ウィンストン・チャーチルを乗せて来訪した戦艦プリンス・オブ・ウェールズと合流した。米英指導者二人は8月12日まで会談を行い、その内容は14日に『大西洋憲章』として発表された。
-9月に入ると、タスカルーサはアイスランドに向かい、戦艦アイダホ、同ミシシッピー、同ニューメキシコ、重巡ウィチタ他と共に任務群を編成、ロバート・C・ギッフェン少将の指揮の下、アイスランド西部のクヴァールフィヨルズル(ハヴァルフィヨルド)を拠点にデンマーク海峡での哨戒活動に従事した。
-1942年、タスカルーサは1月8日から2月20までボストン海軍工廠でオーバーホールを受けた後、ニューヨークに移動し、戦艦[[ワシントン>Washington]]率いる第39.1任務群に合流した。第39.1任務群は3月26日にイギリスに向けて出港したが、その翌日、タスカルーサはワシントンの左舷側から荒天の大西洋に人影が転落するのを目撃する。その落水者は事もあろうに艦隊指揮官のジョン・W・ウィルコックス少将であった。
タスカルーサが救命ブイを投下するなど懸命の捜索を行うもウィルコックス少将の救助には至らず、艦隊の指揮は重巡ウィチタに坐乗するギッフェン少将に引き継がれた。
-4月4日にイギリスのスカパ・フローに到着したタスカルーサは、以降、イギリス海軍本国艦隊の下でソ連向けの輸送船団の護衛任務に従事することになった。8月中旬にはソ連向けの物資輸送のため護衛の駆逐艦2隻と共にロシア・ムルマンスク州のコラ半島へと出発。途中、髄膜炎を発症した乗員をセイジスフィヨルズル (セイディスフィヨルド)で降ろし、ドイツ空軍機の敵襲を避けつつ23日にコラ半島に到着した。タスカルーサは物資と入れ替わりに、6月にドイツ軍の攻撃で大損害を受けたPQ17船団の生存者ら243人を受け取り、イギリスへと帰投した。
一旦アメリカに戻ってオーバーホールを受けたタスカルーサは、11月8日にトーチ作戦が開始されるとギッフェン少将率いる第34.1任務群に加わり、カサブランカ沖海戦でヴィシー政権側のフランス海軍艦隊と交戦している。
-1943年3月以降、タスカルーサは北アフリカ戦線へ向かう連合軍輸送船団の護衛、チャーチル英首相が乗る輸送船クイーン・メリーの護衛などをこなす。5月下旬には空母レンジャーと共に輸送船クイーン・エリザベスを護衛して英スカパ・フローに到着、再び英本国艦隊の下で行動することになり、以後12月初旬まで、リーダー作戦やスピッツベルゲン島への輸送作戦に従事した。
-1944年、オーバーホールを終えたタスカルーサはモートン・L・デヨ少将率いる第7巡洋戦隊に加わり、6月のノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)に参加することになった。6月6日の作戦開始後はドイツ軍の海岸防御陣地に対して艦砲射撃を行い、途中補給を交えつつ21日まで火力支援任務を行った後イギリスに帰投。26日にはシェルブールの戦いの支援に出撃している。
-ノルマンディー上陸作戦は連合軍の勝利に終わり、タスカルーサは7月に地中海へ転戦、8月15日から開始されたドラグーン作戦に参加する。南仏プロヴァンスに上陸した部隊の援護射撃を11日間にわたって実施した。
9月に入って南仏戦線の戦局に目処が付き、タスカルーサは大西洋での任務を終えてアメリカへと戻った。フィラデルフィア海軍造船所で改装を行った後、今度は太平洋戦域へと活躍の場を移すことになる。
&br;
***太平洋へ転戦、そして終戦 [#u387b205]
-タスカルーサが大西洋で枢軸軍と対峙していた頃、他のニューオーリンズ級重巡の姉妹6隻は太平洋戦域に展開していたが、1942年8月の第一次ソロモン海戦ではアストリア、クインシー、ヴィンセンスが戦没、11月のルンガ沖夜戦ではニューオーリンズと[[ミネアポリス>Minneapolis]]が共に艦首を折られて大破するなどまさに死闘の様相を呈していた。
タスカルーサが太平洋に転戦した1945年初旬には、太平洋での制海権はほぼ米海軍が掌握しつつあったが、それでもタスカルーサは大西洋では想像も付かなかった日本海軍の苛烈な抵抗を目の当たりにすることになる。
-1945年2月16日、第5艦隊麾下に入ったタスカルーサは妹サンフランシスコと共に硫黄島の戦いに参加、3月14日まで硫黄島への艦砲射撃を実施した。その後、一旦ウルシー環礁に戻って補給と整備を受け、3月下旬からは沖縄戦に参加した。
沖縄沖合ではアメリカ艦隊は日本軍の特効を主体とする猛攻に晒され、タスカルーサに対しても2機の特攻機が迫ってきたが、1機はタスカルーサを飛び越えて戦艦テキサスに突入するも撃墜、もう1機は護衛の駆逐艦に向かったところをタスカルーサが射撃により撃墜している。
-6月28日まで沖縄で行動したタスカルーサは2日後にレイテ湾に移動し、第7艦隊の指揮下に入った。その約6週間後、日本はついに無条件降伏し、戦争は終結したのだった。
第二次世界大戦において、タスカルーサは戦功により7個の従軍星章を受章している。
&br;
-戦後、8月下旬から11月にかけて、タスカルーサは朝鮮半島と中国・満州を訪れ、山東省の煙台市沖では現地を勢力下に置く中国共産党八路軍との会議を行っている。
その後、アメリカ軍の大規模な復員作戦「マジック・カーペット作戦」のため上海へ移動、陸海軍兵330人余りを乗せて米本国へと輸送した。その後も翌年1月初旬まで南方方面へ向かい、ニューカレドニア島ヌーメア、ガダルカナル島、ラッセル諸島から帰還兵を収容して米西海岸への帰路に就いた。
-そして1946年1月29日、タスカルーサはサンフランシスコを出港して東海岸へと向かい、これが最後の巡航となった。
同年2月13日、タスカルーサはフィラデルフィアにて退役、予備役入りとなり、1959年6月25日にスクラップとして売却、その生涯を終えたのだった。


*この艦娘についてのコメント [#comment]
//#fold(過去ログ){{
//#ls
//}}
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#pcomment(./コメント1,reply,30)
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''&size(16){[[&color(white,orange){提案意見掲示板};>提案意見掲示板]]からのお知らせ};''
-ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、''[[wiki内神社]]というページが設置''されました!ぜひご利用ください。
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-&size(13){''&color(Red){建造成果の報告は[[建造レシピ]]内にあるコメント欄に、&br;ドロップ報告に関しては[[出撃ドロップ]]内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。};''};