|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.176|
|&attachref(./176_2nd.jpg,nolink,Guten Morgen!私は、重巡プリンツ・オイゲン。よろしくね!);|>|Prinz Eugen&br;(プリンツ・オイゲン)|>|Admiral Hipper級 &br;3番艦 重巡洋艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|50|~火力|38 / 56|
|~|~装甲|38 / 64|~雷装|32 / 64|
|~|~回避|34 / 68|~対空|16 / 44|
|~|~搭載|9|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|15 / 40|
|~|~射程|中|~運|30 / 79|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|50|~弾薬|70|
|~|~艦載|>|>|~装備|
|~|3|>|>|[[SKC34 20.3cm連装砲]]|
|~|3|>|>|[[Ar196改]]|
|~|3|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Prinz Eugen'' → [[Prinz Eugen改]](Lv45)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:わ! びっくりした! 私、ドイツ生まれの重巡、プリンツ・オイゲン。&br;アドミラル・ヒッパー級3番艦です。&br;ビスマルク姉さまとライン演習作戦に参加しました。&br;幸運艦…そう? この海でも戦い抜きます!|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:小澤亜李、イラストレーター:島田フミカネ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:小澤亜李、イラストレーター:島田フミカネ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Prinz Eugen/定型ボイス]])
#table_edit(Prinz Eugen/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Prinz Eugen/時報ボイス]])
#table_edit(Prinz Eugen/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Prinz Eugen/季節ボイス]])
#table_edit(Prinz Eugen/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2014年11月14日のアップデートで新実装。同日から始まった秋イベント『[[発動!渾作戦]]』の [[E-3>発動!渾作戦#area3]] クリア報酬。
--通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の手段が無い。
#fold(過去のイベント履歴){{
過去のイベント履歴
--2015年11月18日開始の[[イベント海域>突入!海上輸送作戦]]にて遂に[[秋月]]とともに初めてドロップ枠に登場した。
その後欧州がモチーフのイベント等で登場している。
--16冬『[[出撃!礼号作戦]]』
--16夏『[[迎撃!第二次マレー沖海戦]]』
--16秋『[[発令!「艦隊作戦第三法」]]』
--17夏『[[西方再打通!欧州救援作戦]]』
--18初秋『[[抜錨!連合艦隊、西へ!]]』
--20秋冬『[[護衛せよ!船団輸送作戦]]』
--21夏『[[増援輸送作戦!地中海の戦い]]』
--22春・梅雨
}}
-重巡洋「艦娘」の追加は[[鈴谷]]、[[熊野]]以来、1年3ヶ月ぶりである(13冬コラボイベント時限定実装の[[タカオ]]を除く、ただしタカオ自体の性能は霧の艦艇とあって重巡のそれをはるかに超越していたが……)。
-''ドイツ艦だが、[[Z1]]、[[Z3]]、大型で[[Bismarck]]の建造に成功したとの検証結果はない。''
-改造Lvが45と高く、[[磯風]]と同等。重巡の中では長らくトップだったが、丸5年経って[[Houston]](Lv50)に抜かれた。
-初の無改造での[[ホロ>レアリティ]]重巡。改造するとSホロになる。
-運の初期値が30と改造前の重巡洋艦娘の中ではトップの値。改造後を含めても2014年11月現在では[[青葉改]]や[[妙高改二]]しか並ぶ艦が存在しない。
このため着任してすぐから魚雷カットインが視野に入れられる唯一の重巡とも言える。
--この値は後述するクロスロード作戦に参加した[[長門]]と[[酒匂]]を意識した値と思われる。&color(White){轟沈時の台詞にもその二人の名前をつぶやくことから、面識はあるようである。};
--改造後は更に上昇して運40になる。
-余談だが、この娘の登場により初めて、艦娘図鑑において、1人だけの絵師が手がける図鑑ページが登場した。絵師は島田フミカネ。
--惜しいのは、[[吹雪]]や[[北上]]などを含む図鑑2ページ目。10隻のうち9隻がしばふ艦である。 &color(white){邪魔?酸素魚雷を食らわせるわよ!};
--ちなみに同時に1ページすべて海外艦(日本艦以外)で初めて埋まったページでもある。
-改で持ってくる電探が優秀でイベントのたびに求める者が多いがPrinz Eugenに%%所持数制限が付いており量産に制限が掛けられている%%。
--ついに、2024年夏イベント(7/27開始)のE-1にて、既所持の提督でもドロップしたとの報告多数。除籍掘りができるのかは不明 &color(gray){Danke!Danke!};
&color(gray){また、所持数制限とは別に過去一定期間中に除籍(解体や改修や轟沈)で減らした場合所持数に関わらずドロップしなくなる。};&color(white){轟沈に対しては救済として除籍による制限が適用されないという噂があったため轟沈させて所持数を減らす者もいたらしい。};
#fold(過去の制限履歴){{
過去の制限履歴
-15秋:未所持(母港0隻)でのみ邂逅可能、またこのイベントのみ「FuMO25 レーダー」所持数による制限ありとの噂あり、真偽は不明。
-16冬:未所持(母港0隻)でのみ邂逅可能、解体掘り可。
-16夏~17夏:母港4隻未満で邂逅可能、5隻目は確認されず。解体掘り可。
-18初秋~21夏:母港4隻未満で邂逅可能、5隻目は確認されず。一定期間内に除籍(解体、轟沈、改修に使用)歴があると邂逅制限、ドロップ期間中の解体掘り不可。
--除籍による制限の期間は一定ではなくイベント事にまちまちで、20秋冬ではイベント開始から半年~1年前の除籍であっても制限の対象であった。
--解体掘りではなく誤って轟沈させた場合も制限の対象となるので、運用には特に注意が必要。
}}
**キャラクター設定について [#character]
-提督のことは「''&ruby(アトミラール){Admiral};さん''」と呼んでいる。
-左肩のシュヴァルツェスクロイツ(黒十字)下にある紋章は、プリンツオイゲン(実艦)のエンブレムである。これは元は艦名の由来であるオイゲン・フォン・サヴォイエン=カリニョンのサヴォイエン=カリニョン家(サヴォイア=カリニャーノ家)の紋章。
--同様にビスマルクにも艦の紋章がある。これも艦の由来であるオットー・フォン・ビスマルクの[[ビスマルク家の紋章が元になっている。
--この様にドイツ海軍の艦艇はそれぞれに艦ごとの紋章があり、艦名の由来となっている人物・都市などの紋章が元になっている。他の艦の紋章も見てみたい人は[[こちらへ:https://www.shipbucket.com/forums/viewtopic.php?f=22&t=3084]]((画像共有サイトの仕様変更でページ上では画像にぼかしがかかっているが、画像を右クリックして「新しいタブで画像を開く」(Chromeの場合)などで直接画像を開くと表示できる。))
-改造前の塗装はライン演習作戦時のバルチックスキームが元になっている。バルチックスキームについては[[Bismarck改]]を参照の事。
~
-フミカネ氏によるデザイン関連の呟き。
#fold(詳細表示(画像は削除済み)){{
>
--「[[主砲の数・配置、艦橋等、交戦した英軍も誤認したという、よく似た艦影が特徴なので、「一回りコンパクトなビスマルク」と言うイメージにしています:https://twitter.com/humikane/status/533441084790042625]]」
--「[[終戦まで健在だった艦なので、塗装パターンもかなり多いのですが、取得時はバルチックスキーム:https://twitter.com/humikane/status/533441655357972480]]」
--「[[左肩のバルケンクロイツ下に書いてあるのは、プリンツオイゲン(実艦)のエンブレムです。実物が非常に細かい図柄なのでわかりづらいですが・・・:https://twitter.com/humikane/status/533443964251029504]]」
--「[[豆知識:オイゲンの主砲は前から順に「Graz グラーツ」「Braunau ブラウナウ」「Innsbruck インスブルック」 「Wien ウィーン」とオーストリアの都市名がついてます。進水式の式典時には、実際に砲塔に都市名が書かれていたみたいですね:https://twitter.com/humikane/status/533634836330586112]]」
--「[[画面では解像度の関係で見づらいのですが、右肩の主砲(B砲塔)を支えるフレーム上部に、Braunau の刻印をいれてあります(ほかのは絵の角度で見えませんが):https://twitter.com/humikane/status/533635400208633856]]」
--「[[艦尾を丸々持っていかれたので応急処置(まえばり)というのは考えたけど考えるだけに留めておいた:https://twitter.com/humikane/status/533793160183304192]]」&color(Silver){何故留めてしまったのか。};
---「[[艦尾応急処置した:https://twitter.com/humikane/status/535027724612415488]]」&color(Silver){やりました。};
---「[[隔壁の修理完了:https://twitter.com/humikane/status/535102064544600065]]」&color(Silver){Gut.};
--「[[あ、そういえば独艦では帽子のタイプ(制帽、略帽、水兵帽など)とソックスの長さで、艤装無しでも大体の艦級が判別できるようにしています 自分の中だけでの決まり事ですが:https://twitter.com/humikane/status/533490745403908096]]」
---「[[独艦のドレスコードは戦艦は制帽にサイハイソックス、重巡は規格帽にニーソックス、軽巡は略帽にハイソックス、駆逐艦は水兵帽にクルーソックスらしい。:https://twitter.com/humikane/status/537314964923371520]]」
--「[[プリンツオイゲンの実艦、スクリューが一つドイツに返還されてるのネタにならんかなと考えたんだけど、艦娘はああいうもんだからスクリューついてても外観的な記号にすぎないし、機能から言えば靴の部分になるのかなーと考えつつ、でも、これ絵一枚じゃ伝わらないなと思ってやめました:https://twitter.com/humikane/status/540935410130485248]]」
--「[[全力機動後の排熱機構:https://twitter.com/humikane/status/545110687991603200]]」
}}
~
-ドイツ語について
--インド・ヨーロッパ語・ゲルマン語派・西ゲルマン語に属する。西ゲルマン語にはドイツ語の他に英語・オランダ語・西フリジア語などが含まれる。
--ドイツ語は、ドイツ・オーストリア・スイスの主要3カ国のほか、ルクセンブルク・リヒテンシュタイン・イタリア北部南チロル・ベルギー東部に及び、EUの中で最大の話者数をかかえる。標準ドイツ語は中部・南部の高地ドイツ語の特徴を反映したものである。
--öやüのようにダイアクリティカルマークの付いた文字がある(ラテン文字を使用する言語ではむしろあるのが当たり前で、全くない英語の方が少数派である)。例えばüは口の形を「ウ」にした状態で「イ」と言うイメージ。あのウーバーイーツの「ウーバー」はÜberというドイツ語から来ているが、英語圏の人々にはüが発音できないため、Uberと表記され、「ウーバー」と呼ばれている。
--Rの発音が非常に独特である。Feuerやmorgenのように母音化する場合は簡単なのだが、子音としてのRは喉奥を震わせるようにして発音するため、時としてガ行やハ行のように聞こえることも。発音には慣れが必要だがLとの聞き分けはわりと容易なので、英語より楽だと感じる人もいるだろう。
--少数だがRが巻き舌になる方言もある。ヒトラーはこのかなりキッツい方言で演説しているため、ドイツ語は巻き舌というイメージを持っている人も少なくない。
--したがって発音のカタカナ表記はどうしても限界があるので下記サイトで実際に聞いてみるとよいだろう。単語・文章を入れて該当箇所の再生ボタンを押すと、機械音声でなく肉声の発音が聞ける。Rの発音を聞いてみたい方はRathausと調べて聞いてみるとわかりやすい。
https://www.dict.cc/
https://dict.leo.org/englisch-deutsch/
教科書等で振られるルビは「Feuer/フォイアー」「Danke/ダンケ」アクセントはどちらも先頭。
~
-どうにも和んでしまう「Feuer! Feuer!」のイントネーションは必聴。
//--&color(Silver){このこともあり、名前をもじってプリケツといわれることもある模様、むしろこっちのほうが流行っている可能性が。};
-海外艦がたまに珍妙な発音で日本の季節イベントを呼称するが、''だいたいオイゲンのせい''。
--日本文化にかなり興味津々の御様子。&color(Gray){その割にノリと勢いで飛びつくせいか、だいたい日本かぶれな外国人に多い誤認が散見される。};
&color(silver){%%特に節分については家具「セッツブーン掛け軸」にまで発展し、着々と艦隊に伝染している。%%};
-公式4コマ第77話で初登場。
Bismarckが小さくなった、開口部(排熱機構)等、絵師のつぶやきを拾ったと思われるネタが複数有った。
-実は&color(White){「私がラッキーガールですって?」というセリフだけドイツ語ではなく英語だとうわなにをするやめ};…。
-ドイツ語で言うならein glückliches Mädchen(グリュックリヒェス メートヒェン)か。
-[[Saratoga]]からは「ユージン」と呼ばれているが、これは米艦隊に編入されたときに「Eugen(オイゲン)」が英語読みに改められた為である。詳しくは小ネタを参照。
*小ネタ [#trivia]
-ライン演習作戦、ツェルベルス作戦、バルト海での対地支援、ハンニバル作戦とドイツ海軍の主要な作戦に参加して武勲を積み重ねながら終戦まで浮揚・戦闘可能状態で生き延びた''強運の巡洋艦''として世界的に有名な巡洋艦。
戦後、[[長門]]らと共に標的となった原爆実験でも沈まなかった強靭さでも有名。
~
-アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の3番艦。
キールのクルップ・ゲルマニア造船所にて1936年4月23日起工・1938年8月22日進水・1940年8月1日就役。[[進水式の様子>https://www.youtube.com/watch?v=0_RpXGzEDLY]]
--本艦以降、4番艦ザイドリッツと5番艦リュッツオウが計画され、ヒッパー級第2グループと称されるが、これら2隻の艦は英独海軍協定においては6インチ砲12門の軽巡洋艦として予定されており、ロンドン条約不参加の仏伊、ソビエト連邦の情勢に基づくエスカレーター条項にて8インチ砲艦への変更が認められていた。そしてこれら諸国の増強((ソ連の[[キーロフ級>Киров]]巡洋艦建造など))を睨み、1938年12月に想定通り8インチへと主砲を変更して建造を続行した。
--基準排水量14,680tは第二次世界大戦に参加した重巡洋艦の中で最も重い。((彼女が属するアドミラル・ヒッパー級は、ドイツがワシントン海軍軍縮条約に参加していなかったため「巡洋艦は10,000t以下」の制限外で設計された。その後、イギリスと英独海軍協定を結び「巡洋艦は10,000t以下」の制限を受けたが設計を変更しないまま建造、諸外国には10,000tと通知していた。))
-艦名は、17世紀末から18世紀初頭に活躍したオーストリア大公国の軍人オイゲン・フォン・ザヴォイエンに因む。
---当初は同じくオーストリア・ハンガリー帝国の軍人ヴィルヘルム・フォン・テゲトフから「テゲトフ」と名付けられる予定だったが、イタリアへの配慮で変更となった。((フォン・テゲトフは普墺戦争においてオーストリアがイタリアと交戦し勝利したリッサ海戦における司令官。この海戦では、イタリア海軍はよりにもよって装甲艦Re d'Italia(レ・ディタリア:イタリア王)を撃沈されるなどの大惨敗を喫している。))
--いわゆる大ドイツ主義的にはオーストリアもドイツである。(同一民族)
---プロイセンとオーストリアによるドイツ統一の主導権争いの結果、最終的にプロイセンがオーストリアを排除してドイツ帝国を形成し、元々ドイツの盟主だったオーストリアは多民族国家(オーストリア=ハンガリー二重帝国)への道を歩んだ。
---やがて第一次大戦の敗戦で二重帝国が解体されると、単独の「ドイツ人国家」となったオーストリアでは再び大ドイツ主義が勃興する。そしてドイツ国家元首となったヒトラーが目指したのも「大ドイツの統合」であった(ヒトラーはオーストリア出身)。かくしてオーストリア併合(アンシュルス)が実現するのである。
---要するに、大戦前における両国民の一般認識は「ドイツ」=「オーストリア」だったのである。皮肉なことに、オーストリアの人々が「オーストリア人」のアイデンティティを持ち始めるのはナチスによる苛烈な支配によってであった。
--名前の独:プリンツ/Prinzは、英:プリンス/Prince、と同じ。王族・貴族の男子と言う事である。 %%だが断じて男の娘ではない!!%%((ちなみにこの女性系、すなわち英語の「プリンセス/Princess」に対応するドイツ語は"Prinzessin(プリンツェスィン)"である。))
--彼がプリンツ・オイゲン、つまりオイゲン公子と呼ばれたのはサヴォイア公家の男系子孫だから。((オイゲンの祖父、トマーゾ・フランチェスコはサヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世の五男であり、フランス王家の傍系、コンデ家出身のマリー・ドゥ・ブルボンと結婚した。すなわちオイゲンはフランス王家の血を引いており、ヴェルサイユの宮廷では「血統上の公子」(prince du sang)と称する資格を持っていた。このためオーストリアで仕えるようになっても、「プリンツ」(Prinz)の称号を保持していたのである。))フランス生まれの陸軍の軍人である。
イタリア系(サヴォイア家)フランス貴族出身のオーストリア軍人という、大河ドラマのネタになりそうな人。
--ドイツ武装親衛隊に同名の第7SS義勇山岳師団「プリンツ・オイゲン」が存在し、主にユーゴスラビアで治安維持任務に就いていた。
余談だが、ソ連から寝返ったコサックで編成された第5ドン・コサック連隊は重巡プリンツ・オイゲンの艦上を1943年頃に表敬訪問した写真が残っている。
その後、戦争末期にクロアチア周辺に配備された際、先述のプリンツ・オイゲン師団と共に防衛戦を繰り広げたという因縁がある。
#fold(''【オイゲン・フォン・ザヴォイエンの略歴】''){{
''【オイゲン・フォン・ザヴォイエンの略歴】''
-名門サヴォイア公家のフランス分家であるソワソン伯爵家に生まれる。
しかし、嫡子ではなかったので家を継げず、軍人として身を立てようとするも国王(ルイ14世)に取り立ててもらえなかった。
そこでオーストリアに渡り仕官。レオポルト1世以下三代にわたり仕え、数々の戦功を立て順調に出世、将軍に昇り詰め祖国フランスとの戦争で大活躍。
元は他国人であるにも関わらずドイツ民族の名将として没後も尊敬を集める事となった。
ヨーロッパに進出していたオスマン帝国をベオグラードで破った戦いは、ヨーロッパ全域での彼の名声を確固たるものにした。
ちなみに戦争だけでなく政治・外交にも優れた手腕を発揮し、オーストリアの「事実上の国王」とも呼ばれた。
-プリンツ・オイゲンの本家であるオーストリア・ハンガリー帝国も第一次大戦時の戦艦に同じ名前を付けている。ちなみに上述のテゲトフも姉妹艦として存在する。
そして第二次大戦時のイタリア海軍の軽巡洋艦「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」((エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級2番艦。))も同一人物が元ネタ。
家系はイタリア系だしイタリア王家の親戚筋だしイタリア人みたいなもんだろ(byドゥーチェ)…という事か。
都合三カ国で主力艦の名前になった人もこの人ぐらいだろう(後述する英艦、本艦の米編入も含めると5カ国)。
-彼の正式な名前をそれぞれあげると、
ドイツ名:”オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリグナン(Eugen Franz von Savoyen-Carignan)”
フランス名:”ウジェーヌ=フランソワ・ド・サヴォワ=カリニョン(Prince Eugène-François de Savoie-Carignan)”
イタリア名:”エウジェーニオ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ(Principe Eugenio Francesco di Savoia-Carignano)”
%%&color(gray){どこのイーノックだ。};%%
-対フランス戦争の一つ、スペイン継承戦争ではイギリス軍司令マールバラ公ジョン・チャーチルと共同作戦を展開した。
--ちなみにこのジョン・チャーチルは名前から推測されるとおり、第二次大戦時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルのご先祖様である。
--上記のエピソードに因んで、イギリスのロード・クライヴ級モニター5番艦にも「プリンス・ユージン」として使用されている。
このクラスは地上砲撃艦としてのモニターの性格から、あえて陸軍軍人の名を艦名に採用している。
--対オスマントルコ戦争での功績もあって選ばれた名前だが、「フランス絶対倒すマン」だったオイゲンの名前を出されたことについてフランスはどう思ったことやら。ちなみにこのクラスの艦名、すべてフランス軍と戦ったことがある軍人の名前である&color(Silver){さすがイギリス};。
}}
-比較的艦名が長いため、艦これでは「プリンツ」「プリンちゃん」「オイゲン」の様に略される事が多い。
--当時、実艦の乗組員達・ドイツ海軍内では「プリンツ」と呼ばれていたようだ。((「ドイツ海軍戦記」「呪われた海―ドイツ海軍戦闘記録」による。))
--[[呂500]]の台詞では「オイゲンさん」と呼ばれている。
-&color(gray){%%なお某イラストサイトでは一文字変えて「プリケツ」と呼ばれている。憲兵の皆さん、今日も鎮守府は平和です。%%};
--&color(Gray){%%最近はラストネームも「パイゲン」と一文字変えるものが見られるようになった。ゲシュタポ((ドイツの秘密警察。日本では特高が近い。))の皆さん、今日も日本は平和です。%%};
~
#fold(''【設計】''){{
''【設計】''
-アドミラル・ヒッパー級の仮想敵はフランス・イギリスの所有する条約型巡洋艦(つまり重巡)。
仏の最新鋭重巡アルジェリーに対抗できる攻撃力、同じく仏海軍のダンケルク級戦艦との直接戦闘を避けられるだけの速力、そして広大な大西洋海域で行動しうる長大な航続力を念頭に置いて設計された。
--更にレーダー元帥の無茶ぶりで防御区画を強化したことなどもあり、基準排水量約14,000tと重巡にしてはかなり重く仕上がっている。
その上オイゲンは、後期型の一番艦((他は建造中に空母改装が試みられたが未竣工のまま自沈したザイドリッツ、独ソ不可侵条約の結果ソ連に未完成のまま売られたリュッツオウ。この2隻は当初ヒッパー級の設計を流用し15cm砲を装備した大型軽巡として建造される予定だったが、後にオイゲンと同様の重巡洋艦に計画変更された。))としてさらなる設計変更で600tも重くなっており、世界的にもかなり重く大きい部類の重巡として仕上がってしまっている。((日本海軍で最も重い重巡である高雄型(改装後)でも基準排水量13,400t程度。オイゲンより重い重巡は第二次世界大戦後に就役したアメリカ海軍のデモイン級(同17,273t)ぐらい。ちなみに、日露戦争時の敷島型戦艦は一番艦の「敷島」が基準排水量14,850t、四番艦の「三笠」が15,140tで、オイゲンはかつての前弩級戦艦に匹敵する重量である。))
-武装は終戦まで生存したため細かな変遷が激しい艦である。
--主砲は[[20.3 cm SK C/34>SKC34 20.3cm連装砲]]連装4基8門、対空、対水上用として[[10.5 cm SK C/33>10.5cm連装砲]]連装高角砲6基12門。
---同時代の日米の重巡洋艦と比べると砲数に劣るが60口径(実質は55口径)という長砲身、高初速の20.3cm砲はライン演習作戦などで高い戦闘力を発揮した。(詳しくは[[SKC34 20.3cm連装砲]]を参照)
--魚雷発射管も53㎝3連装4基(後に操作室にシールドがなされたものに交換)とイギリスの1.5倍程。
--対空兵装は3.7cm、2cmの単装/連装機関砲を装備。逐次増設や新型に置き換えたため時期によって数は異なる。ツェルベルス作戦時に艦橋とB・C砲塔上に[[2cm 四連装FlaK 38]]を追加。1944年から1945年にかけて3.7cmを4cm Flak 28(連合国の装備でお馴染みスウェーデンの[[ボフォース 40mm機関砲>Bofors 40mm四連装機関砲]])に置き換えている。
---各年次ごとの搭載兵器と数量は以下の通り。((最終時に2cm連装が大幅に削減されているが発射速度の遅い3.7cm(艦これでお馴染みの[[3.7cm FlaK M42]]ではなく[[3.7cm SK C/30U>https://ja.wikipedia.org/wiki/3.7_cm_SK_C/30]])と射程が短く4連装ほどの弾幕が張れない2cm連装を長射程高速連射の4cmに置き換えているため対空能力は増している。))
1941年:3.7cm連装 6基12門 2cm単装 8基8門
1942年:3.7cm連装 6基12門 2cm単装 8基8門 2cm4連装 7基28門
1944年:3.7cm連装 6基12門 2cm連装 16基32門 2cm4連装 6基24門
1945年:4cm単装 18基18門 2cm連装 2基4門 2cm4連装 6基24門
-装甲配置は基本的にビスマルク級やシャルンホルスト級と同一の形式である。
--舷側装甲はA~D砲塔にかけての広い範囲で主甲帯が12.7度内側に傾斜した80mm KC n/A鋼板。その裏に軟質ヴォータン鋼の水平装甲系傾斜部50mmが主甲帯下端に接続している。
--水平装甲は上部デッキが12mmその下の装甲デッキが20~50mmと部位ごとに異なった厚さとなっている。
--主砲塔は前盾が150mmその他70mm(天蓋部を80mmとする資料もある)バーベット部は80mm、司令塔は側壁が150mmと中口径弾への防御を重視する一方で水中防御は重視しておらず、水密区画と丈夫な隔壁、高性能な排水ポンプによって耐える仕様であるのは他のドイツ艦と同様であった。((厚めの主甲帯に重量を費やし、弾薬庫など重要部位はそれぞれ異なる厚さの追加装甲によって防御し、砲塔を含む上部構造物は弾片防御(25mm)に限定するする日本の重巡とは異なる形式である。))
---本艦を始めとしたドイツ艦特有の防御形式の利点は、主甲板と傾斜部が艦の中心を補強する形となり船体の構造強化に繋がり剛性強化にもつながる、甲板傾斜部より内側にある区画に限れば装甲厚以上の高い防御力を付与することができるなどが挙げられる。
---逆に欠点は防御容積が甲板傾斜部より内側に限られるため比較的小さい、艦の内部に長大な装甲という重量物を傾斜して取り付けるため、それを支える船体構造などの重量が増加し工数も膨大なものとなる点が挙げられる。
-電子兵装、光学機器、射撃管制は充実した装備を誇る。艦これにおけるドイツ艦装備の命中補正の理由とも言えるだろう。
--電子兵装はレーダーが後部マストに[[FuMo25>FuMO25 レーダー]](1944.8~)、艦橋上部にFuMo26、前後部射撃指揮所にFuMo27、前部マストにFuMo81 Berlin-S(1944.8~)を装備し、その他には艦橋にFuMB3/FuMB4逆探装置とFuME2敵味方識別装置を装備している。
---搭載したことが無いのは戦艦ティルピッツに搭載されたFuMo213 Würzburg-D系統くらいでドイツ海軍の開発した水上艦用レーダーのほぼ全ての系統の派生型を何かしら装備している。((1944.8~とあるように実は艦これのPrinz Eugen改の状態ではFuMO25は装備してなかったりする。))
--光学機器は殆どがステレオ式測距儀である。艦橋、前後射撃指揮所、B・C砲塔に7m、前後射撃指揮所付近のドーム上のカバーの中に広角砲用に4mを4基、対空指揮所には3mを2基装備。その他対空火器の補助用に1.25mの測距儀を装備している。((特に広角砲用の4mはこのクラスとしては珍しくジャイロによる安定装置つきである。ドイツの技術の高さを窺わせるがその複雑な機構が災いしてライン演習作戦時には完成しておらず、前部の2基はカバーも未装備でトラブルが多発した。))
--火器管制はビスマルク級と同じC/38射撃方位盤を巡洋艦用にカスタマイズしたC/38Kを備え、さらに前部射撃指揮所周辺に夜間用の射撃指揮装置を装備している。
--両舷水中にはGHG水中聴音機が装備されており。ライン演習作戦ではフッドとプリンス・オブ・ウェールズのスクリュー音をPrinz Eugenの聴音機が発見した。((自艦の速度や海面の状態にもよるが良好な状態なら20Km先の水上艦を探知する高性能聴音機。ドイツ艦は規模は違えど大抵装備しているので艦これでの実装も期待できる?))
--観測、偵察用航空機は[[Ar196>Ar196改]]を3機を船体中央の格納庫に搭載している。
-機関は姉のヒッパーやブリュッヒャーがあまりに機関不調に悩まされたため、信頼性を高めるために蒸気圧を低めたラモント式ボイラーを採用している。
だが、それでも機関不調はあまり改善されておらず、機関整備に長けたフランスのブレスト工廠の世話になるまで万全の状態とは言いがたかったと言われている。
--ボイラー圧力をヒッパーの78気圧から73気圧へ低下させた。この程度では信頼性改善について何の足しにもならず、ザイドリッツではさらに48気圧にまで落とすことになる。
--フランスでの修理においてはボイラー部品の6割をフランス製部品と交換することになった。フランス側の所見では「ボイラーの設計において熱膨張が全く考慮されていない」という。
--復水器(蒸気を水に戻す装置)に問題を抱えていたとされており、ライン演習作戦後もここが故障した。
---戦後の米英の調査では、冷却水の取水口の配置と形状に問題があったとしている。
--航続距離も、要求性能は20ノットで6,800海里であったが、%%ドイツではタービンの製造技術で他国に後れを取っていた為に%%19ノットで6,500海里と要求性能を下回る結果になり、
ドイッチュラント級((排水量の割りに攻撃力が高かったので「ポケット戦艦」とも呼ばれた。航続距離は20ノットで10,000海里。))やシャルンホルスト級に追随できずに通商破壊戦では、不十分な戦果しか挙げられなかった。
---1929年に就役した北ドイツ・ロイド社の客船「ブレーメン」とその姉妹船、「オイローパ」がブルーリボン賞((大西洋横断を最速で達成した船に与えられる賞。))を相次いで受賞しているように、ドイツも機関の製造に関しては他の列強諸国と同じく世界最高水準の技術を持っていた。
---これらの客船は24気圧、13万5千馬力のパーソンズ式飽和蒸気機関を搭載している。「ブレーメン」は5万トンの船体を最大29ノットで、「オイローパ」は最大27.9ノットで走らせることができた。
---しかしドイツ海軍はシャルンホルスト級戦艦を設計する際、実績ある飽和蒸気機関に代わり、より新しい技術であった過熱蒸気機関を採用した。なぜなら同級には先行するドイッチュラント級装甲艦に比べ、三倍もの出力が要求されたからである。
---この過熱蒸気機関は飽和蒸気機関に比べると利用できる余剰圧力が大きく、エネルギーの利用効率と省スペース性に優れていたため、シャルンホルスト級以外にも大小様々な艦艇に採用されている。
---この技術は先に就役していた民間船((1930年に就役した貨物船「ウッカーマルク」、1935年の客船「シャルンホルスト」(後の空母「神鷹」)、1936年の客船「グナイゼナウ」など。))に採用例があったので、発生する問題も既知であったがまだ未熟であり、大型艦に転用するには時期尚早であった。結局、その運用には当初の予想よりずっと多くの熟練機関員が必要となる。ドイツ海軍は開戦後もしばらく、この故障しやすい機関の運用ノウハウ蓄積に大変苦労した。その一例は[[Z3]]のページに詳述されている。
-アドミラル・ヒッパー級は主砲の数・配置、艦橋等、艦形を同時期に建造されていたビスマルク級・シャルンホルスト級に意図的に似せて設計されている。
これは敵側による誤認の誘発を狙ったもので、ライン演習作戦での「デンマーク海峡海戦」において実際にイギリス艦隊(フッド、プリンス・オブ・ウェールズ)が先頭を走るプリンツ・オイゲンをビスマルクと誤認しており実戦において効果を発揮している。
--ビスマルク:side、[[front:http://www.bismarck-class.dk/bismarck/miscellaneous/bismarck_wallpapers/pictures/bismarck_wallpapers_06_1024.jpg]]、シャルンホルスト:[[side:http://livedoor.blogimg.jp/irootoko_jr/imgs/b/0/b0059158.jpg]]、front、プリンツ・オイゲン:[[side:http://livedoor.blogimg.jp/irootoko_jr/imgs/7/9/79823bc8.jpg]]、front
実艦を見比べてみると艦橋周りや全体のシルエットなど似せてあるのが分かるだろう。大和型・金剛型・高雄型の三級などと見比べてみるとドイツ艦三級がいかに似せているかが分かり易い。
--後述のフミカネ氏の呟きにもある通り、艤装など彼女の見た目がビスマルクに似ているのはこれが由来して意図的に似せてデザインされているからである。%%…ということはシャルンホルスト級も?%%
-塗装については終戦まで生き残った歴戦艦であるため、何度も再塗装をされている。戦力不足の中で少しでも生存率を上げるための涙ぐましい努力がうかがえる。
--船体の塗装は改造前はビスマルクと同様のバルチック・スキームであり改はツェルベルス作戦時のものである。
---特徴的な主砲塔と高角砲の塗装は、なんと''全基違うパターン''が施されており艦船モデラー泣かせなお洒落さんである。
--模型などでは主にライン演習作戦、ツェルベルス作戦、最終時の塗装の三種類が良く見られるがそれ以外にも何種類ものパターンが存在する。
-条約型重巡洋艦とアドミラル・ヒッパー級
--いわゆる条約型巡洋艦では、限られた1万トンの中で走攻守の能力を割り振るため、すべてを満足することは不可能である。
このため、各国はその用兵思想に基づいて、妥協をしている。
イギリス:航海性能を優先して砲力を妥協し装甲を犠牲にする(カウンティ級)
アメリカ:砲力と索敵能力を優先し魚雷を諦め居住性その他を犠牲にする(ペンサコラ級)
日本:装甲を弾薬庫と機関に集中しその他は低防御にして代わりに砲塔数を増やす(妙高型)
フランス:初期のデュケーヌ級以外は、重防御を施すために砲力を妥協し速力を犠牲にする(アルジェリー)
イタリア:重装甲低速艦と軽装甲高速艦の二本立てだが、どちらも航続距離は切り捨て、砲力は妥協([[ザラ>Zara]]級・トレント級)
つまり、条約型巡洋艦とは総じて低防御で戦闘においてはかなり危険な船である。
言い方を変えれば、「理想の艦を作れない」点で1万トン制限は軍縮条約としてよく考えられたものであるともいえるだろう。
--条約型重巡洋艦の延長線上で拡大を続ければアメリカのデモイン級(17,255t)となり、巡洋艦としての機能と戦艦以外を圧倒する戦闘力の両立とを求めるとアメリカのアラスカ級巡洋艦(28,880t)や日本のB65型超甲型巡洋艦(31,400t)などに行き着く。さらに突き詰めると[[大和]]型戦艦(64,000t)にまでなってしまう。
---ドイツ海軍は設計の項目の冒頭で述べたとおり用兵上の要素というよりは英仏の条約型重巡の対抗という受動的な要素でアドミラルヒッパー級を建造し、その後は条約型重巡路線では無く巡洋戦艦路線を選択した。((ドイツZ計画の理想はかつての大洋艦隊の復活であり戦艦と巡洋戦艦の連携であった。))その結果がP級装甲艦、O級巡洋戦艦(共に26,000tクラス、未完成につき、資料により仕様が異なる)であり、条約型重巡とその拡大路線はアドミラル・ヒッパー級のみとなった。
}}
~
#fold(''【戦歴・戦果・参加作戦】''){{
''【戦歴・戦果・参加作戦】''
''【ライン演習作戦】''
-1941年5月18日、大西洋での「ライン演習作戦」に出撃し、5月24日にデンマーク海峡開戦で戦艦[[ビスマルク>Bismarck]]とともに英海軍力の象徴であった&color(Red){''英巡洋戦艦フッドを撃沈し、戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃破''};/首脳部をほぼ全滅させ撤退に追い込んだ。
--10時の時報はこれが元ネタ。戦闘の詳細は[[Bismarck]]の戦歴部分を参照の事。
-フッド撃沈後、ビスマルクが損傷した為ビスマルクは作戦を離脱し仏ブレスト港を目指し、プリンツ・オイゲンは単独で通商破壊任務に就くこととなった。しかし道中機関不調を起こし、戦果を得られぬまま作戦を中止し、6月1日フランスのブレスト港に入港し作戦を終了した。
--この間、27日に空前の大追撃戦の末ビスマルクは沈没していたが、作戦中無線封鎖していたプリンツ・オイゲンはそれを知らず、自身が作戦を終了し入港した際に作戦中に別れたビスマルクのその後の運命を知る事となった。
---放置セリフでビスマルクを心配しているのはおそらくこれが元ネタ。
---ちなみにビスマルクの運命を決めた[[ソードフィッシュ>Swordfish]]雷撃隊とはツェルベルス作戦で相対する事となり、全滅させる。
--入港後は、英空軍の爆撃をはじめとして厳重な監視・攻撃下におかれ、先に入港していた戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ((1941年頭の大西洋通商破壊作戦「ベルリン作戦」の結果。両艦は後にビスマルクで戦死したギュンター・リュッチェンス大将が指揮していた。))共々、出撃もままならない日々が続いた。
-フッドが轟沈した理由は諸説あるが、そのひとつに「オイゲンの8インチ砲弾を受けた副砲の火災を消し切れず、最終的に副砲火薬庫から主砲弾火薬庫へ引火誘爆した」というものがある。
実はフッドを撃沈したのは彼女だったのかもしれない。%%あれ、そうするとビスマルクの立場は……?%%
''【ツェルベルス作戦】''
-1942年2月、オットー・チリアクス海軍中将の指揮の元、シャルンホルスト、グナイゼナウ、駆逐艦6隻他と共にフランスのブレスト港から&color(Red){''白昼堂々ドーバー海峡を強行突破し''};ドイツ本国へ帰還させる「ツェルベルス(ケルベロス)作戦」((ツェルベルスとは独語でケルベロスの事で戦艦二隻・重巡一隻の大型艦三隻を三つ首の冥府の番犬に見立てて命名された作戦名。英名は文字通り海峡:CHANNELを懸け抜けた事から。))(英語呼称「チャンネルダッシュ」)に参加。
--ブレスト港は独支配下のフランス西端に位置しておりドイツ海軍の大西洋における通商破壊作戦の前線基地で、海軍はここで修理を完了させ通商破壊作戦を遂行する事を企図し望んでいた。しかしヒトラーが連合軍のノルウェー上陸を危惧しており((実際は知っての通り仏ノルマンディーであった。))大型艦を防備に当てたかった事と、三隻も連日の空爆により動けずにいた事に業を煮やした事により総統の直命で作戦が決定された。
---このイギリス海峡はまさに英国の目と鼻の先
1:レーダーと哨戒機による警戒網が張り巡らされている 2:航路全編に渡って無数の機雷が敷き詰められている 3:最挟部ドーバー海峡に至っては僅か34km、人が泳いで渡れる距離(佐渡島~本州とほぼ同じ) 4:レーダー管制の沿岸重砲が対岸まで直接射程に収めている 5:無数の航空基地にはブレストや沿岸は勿論ドイツ本国まで爆撃を繰り返している英空軍が待ち構えている
ざっと危険要素を挙げるだけでも分かるまさに絶望的な航路である。
--本国へのルートは、1:イギリスを迂回しデンマーク海峡を大周りするビスマルクやシャルンホルストらも過去に通ったルート、2:はるかに危険だがより短距離のイギリス海峡を通るルート、の2通りあったがより短距離だが遥かに危険な海峡ルートが取られる事になった。
--空軍の海軍に連動する作戦は「ドンナーカイル(サンダーボルト)作戦」。
沿岸基地から飛び立った戦闘機が艦隊直掩にあたり、半数づつ交代し続ける事でブレストから本国まで常時最低32機以上があたる作戦。犬猿の仲の空・海軍であったが、ヒトラーから艦隊防衛を念押しされバトル・オブ・ブリテンの英雄である&color(grey){%%夢の国チキンレースに参加した最古の著名人%%};アドルフ・ガーランド大佐((出撃回数705回、撃墜機数104機のエースパイロット。バトルオブブリテンの英雄であり、空軍嫌いの海軍からも尊敬され人気があった。戦闘機隊総監についてからも自身パイロットとして出撃し撃墜数を伸ばすと言う男気溢れまくる人物で、史上最年少将官にもなった。自らの戦闘機にあしらったパーソナルマークは「葉巻をくわえ、手に斧と拳銃を持ったミッキーマウス」。))が指揮をとり、戦闘機250機以上が投入された。
---この2ヶ月前1941年12月に日本軍が英戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを航空機で撃沈し、戦艦は飛行機の攻撃では沈まないと信じられていた時代から、飛行機の優位性が認識され始めた時であった。狭いドーバーではその航空機が大挙して襲いかかってくるであろう事が最大の脅威だったのだ。
---ドイツ軍がこの航路で白昼堂々ドーバー海峡を突破する事を選択したのは、1:陸上基地から飛び立つ航空機による援護を受けられる 2:夜間に出港する事にで作戦露見までの時間を遅らせ安全距離を稼げる の2点が大きかった。つまり援護なしの奇策ではなく強力な援護を伴った正攻法を選んだのだ。
--対して英軍は、独軍の三隻の海峡突破作戦をそのほぼ正確な日時まで予想しており、イギリス海峡ルート遮断計画「フラー作戦」を立案。沿岸航空軍団(Coastal Command)からボーフォート雷撃機3個戦隊、海軍航空隊(FAA)からソードフィッシュ1個戦隊、爆撃機軍団(Bomber Command)からランカスター爆撃機300機を攻撃隊として待機させており、大量の戦闘機の援護も約束されていた。
---しかしボマーコマンドは当時世界最強の戦略爆撃部隊だったが艦艇攻撃の経験はなく、ボーフォート雷撃機隊は泊地攻撃は経験しているものの高速で移動中の艦艇への攻撃訓練は十分出来ておらず、最も頼りになるのはビスマルク追撃戦を経験している旧式複葉機のソードフィッシュ雷撃隊であった。
---英海軍は、ノルウェーから何時出てくるか分からないティルピッツに対応する戦力を残しておかねばならず本国艦隊主力はスカパ・フローを離れられないと言う事情もあり、海軍は軽量級のみに任せ空軍が攻撃の主力を担うと言う話が出来ていた。
--また、この作戦ではレーダー対電波妨害装置による''史上初の正真正銘の電子戦''が行われた。
((初の本格的電子戦自体は日露戦争での露軍による弾着観測への電波妨害。))
英軍の強力なレーダー対策として独軍は1ヶ月以上前からジャミングを開始し
少しづつ時間を延ばしていく事で単なる電波障害と思わせ油断させる事に成功した。
--イギリス軍はドイツ艦艇の脱出経路としてドーバー海峡も想定していたが、迎撃作戦を過度に秘匿したため各部署の連携に支障を来した。
さらにブレスト港を監視していた潜水艦シーライオン(※S級英潜水艦。[[金剛]]及び[[浦風]]を撃沈した米バラオ級潜水艦ではない)もドイツ艦隊の出撃を察知できなかったため、完全に後手に回ることとなった。
イギリス軍は急ぎ「高速魚雷艇による攻撃」「ソードフィッシュによる空襲」「旧式駆逐艦による追撃」を行うも、ドイツ空軍の支援機とドイツ艦艇の砲火により有効なダメージを与えられず、一隻も撃沈することが出来なかった((逆にイギリス側のソードフィッシュ隊が全滅し、シャルンホルストのホフマン艦長が「かわいそうに。あんなにのろくては自殺同然だ」という感想を口にしたほどの散々な戦闘結果であった。))。
--英軍で攻撃に参加したのは''航空機681機・駆逐艦6・護衛駆逐艦3・魚雷艇32隻''。
--シャルンホルスト、グナイゼナウが触雷するなどのトラブルはあったが、プリンツ・オイゲンを含め戦艦2・重巡1・駆逐艦6・水雷艇14・Sボート26という堂々たる艦隊でドーバー海峡の突破に成功。一隻の撃沈もなく''全ての艦が突破に成功''し、''プリンツ・オイゲンは全くの無傷''でドイツ艦隊の死者は1名のみであった。
---この事件を英「The Time」誌は以下の様に報じた
『チリアックス中将はメディナ=シドニア公(スペイン無敵艦隊総司令官)が出来なかった事を成し遂げた。 17世紀以降、我らが海軍力の誇りをこれ以上傷つけた出来事はない。~中略~ これにより私達が誇りを持ってイギリス海峡と呼ぶ場所を戦時下においていかなる敵国艦隊も通過する事は出来ないと言うロイヤルネイビーの伝説に終止符が打たれたのだ』
''【ノルウェー、練習艦隊】''
-爆撃から逃げた先のキールでもイギリスによる空襲を受けたため更にノルウェーへ避難したが、英潜水艦トライデントの雷撃によって艦尾を損傷。操舵不能になるも、二時間の修理の末に自力航行能力を回復した。
そしてローフィヨルド泊地へ緊急退避し、応急処置として''艦尾を切断して&color(grey){%%まえばり%%};板で塞ぎ''、手動式の舵を取り付けた。
-5月16日、プリンツ・オイゲンは自力でドイツへ向け出発した。キールへの航海中、イギリスの''爆撃機19機と雷撃機27機による攻撃''を受けたが''幸運にも命中弾ゼロ''で被害は無かった。
-10月まで修理のため戦列をはなれ、1月には2度ノルウェーへの増援としてプリンツ・オイゲンは
シャルンホルストとともにノルウェーへ向かおうとしたが、イギリス軍機に発見されたため引き返した。
-ノルウェーへの移動を諦めたプリンツ・オイゲンは練習艦隊に配属され、9ヶ月間バルト海で士官候補生の訓練に使用された
''【バルト海での艦砲射撃】''
-東部戦線においてソ連軍がドイツ軍を押し戻し始めた為、1943年10月1日からプリンツ・オイゲンは砲術支援の為に戦闘任務に復帰し&color(Red){''艦砲射撃により迫りくるソ連軍を撃退''};し陸軍を支援した。
-1944年6月、プリンツ・オイゲンは装甲艦ドイッチュラント(通称ポケット戦艦、この時はリュッツオウに改名済み)・第6駆逐隊と共に第2任務部隊を編成し、後にティ―レ任務部隊((司令官のアウグスト・ティーレ中将に因む。))と改称され大型艦では装甲艦アドミラル・シェーアが加わった。
-8月19・20日、プリンツ・オイゲンはリガ湾に入り25,000m離れたトゥクムスを砲撃し、''主砲弾265発を発射''。4隻の駆逐艦Z25・Z28・Z35・Z36と搭載機アラドAr196・魚雷艇2隻がそれを援護した。
-9月初め、プリンツ・オイゲンは要塞島、ゴーグラント島攻略作戦を支援したが作戦は失敗に終わった。
その後フィンランドから撤退する兵士を輸送する船団の護衛にティ―レ任務部隊全艦があたった。
-10月11・12日、メーメルのドイツ軍支援の砲撃を実施。
同14・15日、弾薬の補給後再び砲撃に戻り、この4日間で28の目標に対し''主砲弾1,196発を発射''した。
-10月15日、夜間の濃霧の中、プリンツ・オイゲンは軽巡洋艦ライプツィヒ(未実装)に衝突。左舷中央(艦橋と煙突の間)に突っ込まれ竜骨すら切断された同艦はあわや真っ二つという大事故を起こしている。
この際、実に14時間もの間繋がったままであったが、皮肉にもこれによってライプツィヒは沈没は免れている。
--というのも船体に深く食い込む程の衝突を起こしてすぐに両艦が離れた場合、防水措置の猶予もなく大破孔が口を開くことになり、大浸水で一気に沈没に至ってしまうからである。
これは排水量が10,000tを超えるような船であっても例外ではなく、イギリスで1893年の演習中に戦艦「キャンパーダウン」に衝突された戦艦「ヴィクトリア」は衝突から僅か13分で転覆・その数分後には沈没してしまっている。
-11月20、21日、ゴーテンハーフェンへ送られ1ヶ月にわたる修理を終えたプリンツ・オイゲンは、ソルベ半島のドイツ軍支援のため''主砲弾約800発を発射''した。
--当時の野砲の口径は7.5cm程度のものが多く、数が少なく運用に難のある列車砲が28cmがやっとという状況下でプリンツオイゲンの20.3cm砲による長距離艦砲射撃がいかに強力で心強いものであったかが想像出来るだろう。
--21時の時報「艦砲で押し寄せる戦車の群れを、結構叩きました。これも割と得意です!」はこれらの艦砲射撃が元ネタ。艦砲射撃はソ連軍の撃退に効果を発揮し、撃ちまくった砲弾の量を思えば&color(Red){''得意どころの話ではない''};。
''【ハンニバル作戦】''
-1945年1月中旬に修理を終えたプリンツ・オイゲンはハンニバル作戦に参加した。
これは終戦間際、ソ連軍に包囲され陸の孤島となった東プロイセンに取り残された200万を越すドイツ軍民の救出作戦で、プリンツオイゲンは艦砲射撃による長距離砲撃で迫りくるソ連軍を足止めし救出・撤退を支援した。
このハンニバル作戦は''ドイツ国防軍海軍最後の作戦''で、ドイツ海軍は残されていた海軍兵力を総動員しこの救出作戦にあたった。
-1月中旬、ザームラントへ派遣されたプリンツ・オイゲンはケーニヒスベルクを死守していたXXVIII軍団を艦砲射撃により支援。ソ連軍砲撃を実施し''主砲弾870発以上を発射''。駆逐艦Z25がこれを援護した。
この後にもゴーテンハーフェン、ダンツィヒ、ヘラなどでも艦砲射撃を実施し、''主砲20.3cm砲弾2,025発、副砲10.5cm砲弾2,446発''を撃ち尽くした。他にもポケット戦艦アドミラル・シェーアやドイッチュラント、ユトランド沖海戦の生き残り準弩級戦艦シュレジェンなども共に艦砲射撃や船団護衛にあたった。
--ハンニバル作戦では1945年1月21日~終戦日5月8日の4ヶ月間に、戦艦から魚雷艇などの小艦艇までの艦艇・商船や漁船に至るありとあらゆる種類の''稼働する全ての艦船''が動員され((前年10月に本艦に衝突され、行動不能となる大被害を被ったあの軽巡洋艦ライプツィヒですら、自力航行可能に修理してこの作戦に投入した。))その数は''約1100隻''にのぼり、''約240万人の軍民が安全な港へ送り届けられた''。((それでも「ヴィルヘルム・グストロフ」や「ゴヤ」などの脱出用客船がソ連潜水艦に立て続けに撃沈され、軍民併せて3万3千人もの犠牲者を出している。この2隻は戦災を含めた場合の民間船遭難犠牲者数のワースト2(グストロフ:9千人以上、ゴヤ:6千人以上)である。ちなみに、沖縄からの疎開船「対馬丸」が撃沈された時の犠牲者は1,476人に上る。撃沈した潜水艦「ボーフィン」は真珠湾で「アリゾナ」の隣に展示されている。))
この作戦は&color(Red){''救出作戦としては史上最大の作戦''};で、ダンケルクの奇跡として有名な30万人を救出した英仏軍撤退作戦ダイナモ作戦をその規模・救出人数の両面において遥かに上回るものだった。
--ドイツ海軍はWW1時にはキール軍港での反乱により敗戦の直接原因となったが、WW2では敗色濃厚となった大戦末期に、徒に勝利を模索したり一矢報いるべくその兵力を磨り潰すのではなく、その持てる全兵力と資源とを以って、同胞の救出に全力を挙げる事で有終の美を飾ったと言えるだろう。
-4月8日、プリンツ・オイゲンはドイッチュラントと共にスヴィネミュンデへ移動。4月13日には34機の英ランカスター爆撃機が襲来したが、分厚い雲に二隻は守られ爆撃は失敗。
-しかし2日後、4月15日に18機のランカスター爆撃機が再度襲来し5t爆弾一発がドイッチュラントに命中、ドイッチュラントは着底するも、幸運にもプリンツ・オイゲンは被害を免れた。
-その後、4月20日にコペンハーゲンへと移動し、そこで5月7日退役、8日に終戦を迎え英海軍に引き渡された。
''【戦後】''
-''浮揚・戦闘可能状態で終戦を迎え''((終戦まで自力航行、自力戦闘能力を保持していた唯一の枢軸国重巡洋艦である。))、「USS プリンツ・ユージン(USS Prinz Eugen, IX-300)」として米海軍に接収・編入された。
-1946年7月、ビキニ環礁での原爆実験「クロスロード作戦」の標的艦となった。
''2発の原爆の爆発を受けても沈まなかった''ため、実験終了後に除染作業を行った上で調査のためクェゼリン環礁へと曳航した((ビキニ~クェゼリン両環礁間は300km以上離れている。))が、実験で生じた破孔からの浸水が増えすぎて沈没しかけた。そのため環礁内の浅瀬に乗り上げて沈没を防ごうとしたのだが、結局その翌日転覆沈没してしまった。''時に1946年12月22日。実験から5ヵ月後である。''
同様に爆撃で沈没しなかった[[長門]]も実験4日後の未明に人知れず沈んでおり、これらを以って「枢軸海軍最後の勝利」とする向きもある。
この「座礁」を彼女なりの「自決」と取れば、ついに敵の手によって"沈められる"ことはなかった、と言っても間違いではないのかもしれない。
後にスクリューのみドイツに返還されている。
--なお現在でも転覆した船体がほぼ完全な状態で残っており、艦尾のスクリューや舵が水上に露出した状態なので潜水しなくてもその姿を偲ぶことが出来る。
今も水上から見ることのできる艦これ登場艦としては[[菊月]]に続いて2隻目。菊月同様[[GoogleMapでその姿を見ることができる。>https://www.google.co.jp/maps/place/Wrack+der+SMS+Prinz+Eugen/@8.752271,167.683071,1140m/data=!3m2!1e3!4b1!4m2!3m1!1s0x65aebbbb773e83c9:0xe0a0b22c0d57d912]]。
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*この艦娘についてのコメント[#comment]
''&size(16){&color(white,red){管理掲示板};からのお知らせ};''
-不適切な発言に対しては、[[&color(red){%%%管理掲示板%%%};>管理掲示板]]で検討した上で''コメントの削除や通報''を行ないます。コメント欄で過剰に反応せず''積極的に報告をお願いします''。
-コメント欄に参加する方は[[新米提督の手引き]]の[[コメントのマナー>新米提督の手引き#h4e0726a]]もご確認いただき、皆が気持ちよく利用できるようご協力をお願い致します。
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#fold(過去ログ){{
#ls(./)
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#pcomment(Prinz Eugen/コメント17,reply,15)
&color(Red){''ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、[[wiki内神社]]というページが設置されました!ぜひご利用ください。''};