鳥海

Last-modified: 2025-12-20 (土) 15:16:06
No.062
私が鳥海です。よろしくです。鳥海(ちょうかい)高雄型 4番艦 重巡洋艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久45火力40 / 54
装甲35 / 49雷装24 / 49
回避35 / 59対空18 / 56
搭載6対潜0
速力高速索敵13 / 39
射程10 / 49
最大消費量
燃料40弾薬65
艦載装備
220.3cm連装砲
2未装備
2未装備
装備不可
改造チャート
鳥海鳥海改(Lv25) → 鳥海改二(Lv65+改装設計図)
図鑑説明
高雄型の4番艦、鳥海です。
マレー、ソロモン、マリアナ、レイテと数々の作戦に参加しました。
鳥海の名は、現在、海自のイージス護衛艦、その4番艦に受け継がれています。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:東山奈央、イラストレーター:パセリ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:東山奈央、イラストレーター:パセリ

定型ボイス一覧

イベントセリフ改装段階備考追加


 
 



 



追加
入手/ログイン私が鳥海です。よろしくです。×編集
鳥海、参りました。本日もどうぞよろしくお願い致します。××編集
母港*1編集
母港1詳細あっ、司令官さん。お疲れ様です。×編集
鳥海、参りました。改装していただいたお礼、夜戦などでお返しできればと思います。××編集
母港2まだ何か御用がお有りですか?編集
母港3こっ!これも何かの任務なのですか!?編集
ケッコンカッコカリもし戦略に迷ったら、いつでも私に頼ってね。二人っきりで一緒に分析しましょう。編集
ケッコン後母港鳥海は、いつも感謝しています。ご一緒できて、光栄です。編集
放置時夜戦には自信あるけれど、敵の艦載機は……。そうね、私も摩耶みたいに。うーん、でもでも……。編集
編成出撃編集
編成抜錨!鳥海、出撃します!×編集
第八艦隊旗艦鳥海、抜錨、出撃します!××編集
出撃さぁ、行きましょう!やるわよー!編集
開戦・攻撃*2編集
戦闘1昼戦開始左(ひだり)舷に、敵艦発見!×編集
そこね…計算通り、見つけたわ。敵艦隊発見!全艦、突撃開始!××編集
戦闘2昼戦攻撃左(ひだり)舷、砲雷撃戦、用意ーっ!!×編集
目標、前方の敵艦隊。砲戦用意、撃ち方、始め!××編集
戦闘3夜戦開始追撃します!逃がしません!×編集
伝統の夜戦…今こそ鍛えた力をお見せする時!全艦突撃!この鳥海に続いてください!××編集
戦闘4夜戦攻撃主砲よーく狙ってー…撃てーっ!!編集
戦闘時ステータス*3編集
小破あぁーーっ!!×編集
痛っ…!艦橋の被弾?…っ!大丈夫、まだ…戦えますから!××編集
っ…!被弾箇所はどこ!?編集
中破/大破私の計算では…こんな事あり得ない…!編集
轟沈これは私の計算ミス… ごめんなさい……編集
戦闘終了*4編集
勝利MVP私の計算通りだったわ。もちろん司令官さんの戦略だから、できたのよ。編集
旗艦大破っ…!被弾箇所はどこ!?編集
装備・改修*5編集
装備1改修/改造近代化改修ですか。…嬉しいです。編集
装備2これは…気持ちのよいモノですね。編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見私もうれしいです。編集
その他編集
帰投作戦完了の報告が入っています。編集
補給はい。大切な補給、いつも感謝です。編集
入渠(小破以下)損傷の修理にかかります。編集
入渠(中破以上)流石に、ちょっと無理をしすぎたようです。編集
建造完了新人ね。司令官さんも気になりますか?編集
戦績表示司令官さん、お手紙が届きました。編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧


季節ボイス一覧


イベントセリフ改装段階備考追加


 
 



 



追加
桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデーこれを……チョコレートのお返しに? あ、ありがとうございます。嬉しいです編集
あ、高雄さん。はい、お花見のお弁当作りですね。お手伝いします。……あぁ、こら、摩耶!つまみ食い禁止!編集
春本番編集
梅雨司令官さん。梅雨の季節は、少し落ち着きますね……え、違いますか!? す、すみません……。編集
初夏夏…ですね。え、水着ですか? あ、い、いえ私はそのような…。はい、では今度…。編集
夏…ですね。え、水着ですか? あ、い、いえ私はそのような…。はい、では今度…。編集
盛夏編集
夏祭り編集
秋は、落ち着きますね。特に私、秋の夜が好きなんです。司令官さんは……どうですか?編集
秋刀魚編集
晩秋寒いけれど、冬を過ごせるっていうのは、幸せなことよね。ね、摩耶。……摩耶? ……ああもう、風邪ひくわよ?編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
編集
師走編集
クリスマスメリークリスマス! 西洋のお祭りですけれど、素敵ですよね。はい、ケーキです!編集
年末編集
新年新年、あけましておめでとうございます。本年も摩耶共々、どうぞよろしくお願いいたします。編集
節分こ、こら、摩耶……。節分だからって豆投げ過ぎ……っていうか、どこに……! ……も、もう! 怒るわよ!編集
バレンタイン私の計算では、この甘さがベストなはず。あ、あの…このチョコレート、どうぞ。編集

二周年記念2周年、ですね。本当に、おめでとうございます。…そして、いつも、ありがとうございます。編集
三周年記念編集
四周年記念編集
五周年記念私達、ついに5周年ですね。おめでとうございます。…そして、いつも、ありがとうございます。編集
六周年記念私達、6周年なんですね。本当に、おめでとうございます。……そして……司令官さん。いつも、ありがとうございます。編集
七周年記念私達……7周年なんですね。本当に、おめでとうございます。そして……司令官さん。いつも……いつも、ありがとうございます。編集
八周年記念編集
九周年記念編集
十周年記念編集
十一周年記念11周年なんですね。本当に、おめでとうございます。そして……いつも……いつも、ありがとうございます。編集



決戦前夜いよいよ、捷一号作戦。四戦隊、全力出撃ね。摩耶、準備は良い?××2018編集
藤波さん、どうしたの?××編集
…そう。じゃあこれを預かっておいて。大丈夫、2つ有るの。…お願いね。××編集
エンガノ岬決戦そうね、摩耶。油断はしていない。全力で行くわっ!××編集
私が、仕留める!××攻撃時編集
帰投四戦隊、鳥海、作戦完了! ……司令官さん、わたしたち……今度は一緒に帰れるのね……ありがとう……!××編集


ゲームにおいて

キャラクター設定について

  • 重巡娘としては摩耶と同様かなりの軽装。艤装は両腕の20.3cm砲と両肩の高角砲に右足のブーツのようなモノ、そして頭のアンテナのみ。どこから魚雷発射しているのか疑問である。
    • 高雄型の魚雷発射管は甲板上にはなく艦の側面に内蔵しているので実は元の艦に忠実。だが艦娘の鳥海がどこから魚雷を取り出すのかは相変わらず謎。
  • 実は眼鏡っ娘。ぱっと見では分かりにくいが、縁無し眼鏡をかけている。
    遠目には鼻に乗ってるブリッジだけが見えるため、絆創膏を貼ったガキ大将スタイルと誤認する提督も多いようだ。
  • 丈の短いセーラー服とスカートの間から覗く腹部と臀部が素晴らしい。鼠蹊部も絶品♡!
  • はいてない。
  • ちなみに任務娘のボイスは、鳥海の台詞を流用していた。大淀が実装された後も変化していなかったという謎。
    • 2016年3月11日のアップデートで任務娘のボイスが更新強化されて、鳥海から流用のボイスはサービス開始3周年を目前にして遂にお役御免となった。
    • 中の人曰く「丁寧で奥ゆかしいタイプ」「私のもっている一番『いい声』を当ててあげたいと思った」と、好印象だった模様。

小ネタ

  • 高雄型4番艦にして書類上は日本最後の重巡洋艦。2代目にあたり、明治~大正にかけて、摩耶型砲艦の2番艦に初代にあたる同名の艦が存在した。
    • 史実の艦艇類別等級表では「高雄、愛宕、鳥海、摩耶」の順で並んでおり、書類上では鳥海は3番艦であった可能性がある(近年ウィキペディアの高雄型の項目でもそれを根拠として編集を受けている。しかし何故かウィキペディアは二次資料を参考にするよう薦めているのだ…)。
      ただし建造前の仮称名では「第7or第11大型巡洋艦」と摩耶より前で、起工も摩耶よりは早かったが進水は遅かったため(竣工は同日)、鳥海を4番艦と解釈する文献もある。
  • 名前の由来は鳥海山。山形・秋田の両県にまたがる活火山である。愛称は出羽富士など。
    • 庄内平野という盆地に街を築く山形県の鶴岡市では、丁度北側を見れば大体目に入る位置にあるため地元の人達からは「道に迷ったら鳥海山を探せ」とまで言われる程に道標として愛されている。
  • 高雄型でも数々の武勲を上げた艦で、公式漫画の31話では重巡でも一番活躍した「かもしれない」とまで評されている。姉妹の中で唯一改装を受けていないので性能自体は最弱。にも拘わらず一番活躍したのだから改装の意味とは…。
    • ひとつ上の姉も開戦までに改装が間に合わなかったが、防空巡洋艦化の際に色々近代化されている。しかし鳥海は本当に手つかずに近く、艦橋どころか航空艤装も魚雷発射管も旧型のまま。高角砲もテンプレ装備ではなく、旧式の12cm単装高角砲から更新されないままで生涯を戦い抜いた。*6
      • 1941年1月から近代化改装を実施する予定が組まれていたのだが、世界情勢が緊迫したため見送られた。改装内容はほぼ高雄・愛宕と同様で、後部マストの移設をしない点が異なっていたという。
        また、摩耶が防空巡洋艦化した後に鳥海も同じ仕様に改装する予定で図面も用意されていたのだが、あ号作戦(マリアナ沖海戦)直前だったため見送られている。*7
    • 高雄型は巨大な艦橋を持った事で指揮機能に優れ、実際鳥海は旗艦を務める事が多かった。ただ、その巨大さゆえに被発見率・被弾率は高く、復原性も悪かったため(一応)次型の最上型では大きさは妙高型並に小型化されている。

仏印侵攻と太平洋戦争緒戦の活躍

  • 開戦前の北部仏印進駐の際には第二遣支艦隊(司令長官:高須四郎*8中将)旗艦として参加。しかし海軍はもとより東條英機陸軍大臣や松岡洋右外務大臣も武力行使は避け平和進駐の方針だったのに対し、現地陸軍部隊は武力を以って強行上陸を決行するつもりで、そのため第二遣支艦隊は半ば援護、半ば陸軍監視のようなスタンスだった*9。しかし現地陸軍部隊参謀副長の佐藤賢了大佐は、大本営からの強行上陸差し止めの命令を司令官や参謀長に報告せず握り潰し、強行上陸を開始してしまった。
    • これに怒り心頭となった第二遣支艦隊司令長官は、現地で上陸部隊直接援護の任にあたっている第一護衛隊指揮官の藤田類太郎少将に対し
      「陸軍の強行上陸は承認し得ず。中止を協議し応諾せざれば、協力不可能の旨を伝へ至急出港離脱せよ」
      と厳命。板挟みとなった第一護衛隊は困り果てて徹夜で陸軍に談判したものの、ついに陸軍側は聞き入れなかった。
      このため第一護衛隊は上陸部隊の援護を即時打ち切り、部下を率いて帰ってしまった。これがいわゆる「陸軍置き去り事件」である。陸海軍同士の蹉跌がついに表面化した形だった。ただ、護衛そのものは飛龍の航空隊が引き継いではいたようだ。
  • 太平洋戦争開戦時は南遣艦隊(司令長官:小沢治三郎中将)の旗艦としてマレー半島上陸作戦に参加、太平洋戦争開戦の火ぶたを切り*10、その後もビルマ攻略作戦への補給作戦やベンガル湾での通商破壊作戦などで艦隊を率いて武勲を収めた。

第一次ソロモン海戦での奮闘

  • 鳥海の武勲の中でも特に華々しいのが第1次ソロモン海戦での活躍だろう。この時報道班員として鳥海に乗り組んでいた丹羽文雄(1904~2005)が、見聞した内容を小説『海戦』に書いている。伏字復刻版も出ているので一読してみると面白い。
    S・E・モリソンはこの夜襲作戦を指し「アメリカ海軍のこれまで経験したことのある最悪の海戦のひとつである」と称している。米海軍にとっては一方的にボコボコにされた分、あいつらよりもよっぽど悪夢だったのではないだろうか。これだからこのゲームの大型艦メガネどもは…

連合軍侵攻と突入準備

  • 1942年8月7日、連合軍はソロモン諸島にあるガダルカナル島及びツラギ島に奇襲上陸を敢行し、ガダルカナル島で日本軍が建設していた飛行場を奪取、この2島を占領する。
    • そもそもソロモン方面は開戦以降、中部太平洋も含めて第四艦隊基幹の「南洋部隊」が攻略及び制圧後の警戒を担当していたが、戦力に比して担当海域が広大すぎたため、南洋部隊だけでは手が回らない状況となっていた。そこでミッドウェー海戦後の1942年7月14日にこの海域を南北に二分し、ソロモン方面を「外南洋」として新設した第八艦隊の管轄とし「外南洋部隊」通称「三川艦隊」を編制していた。
      外南洋部隊編成(1942年7月14日時点)
      艦隊戦隊司令官所属艦
      第八艦隊独立旗艦三川軍一中将鳥海
      第十八戦隊梶岡定道少将天龍龍田
      第七潜水戦隊吉富説三少将迅鯨、第十三潜水隊*11、第二十一潜水隊*12
      第七根拠地隊藤田類太郎少将第23駆潜隊、32駆潜隊、第85潜水艦基地隊、第85通信隊
      第八根拠地隊金沢正夫少将第20号掃海艇、第21号掃海艇、第31号駆潜艇
      第21駆潜隊、第56駆潜隊、第5砲艦隊
      第81,82,84各警備隊・第8潜水艦基地隊・第8通信隊
      附属津輕(機雷敷設艦)、三十駆逐
      聖川丸、呉第三特別陸戦隊、佐世保第五特別陸戦隊
      第10,11,12,13,14,15各設営隊
      第一艦隊第六戦隊五藤存知少将青葉衣笠古鷹加古
    • 指揮官*13は第八艦隊司令長官の三川軍一中将が務め、旗艦を鳥海としていたが普段司令部はラバウルに置かれ、いざ出撃となったら鳥海に将旗を掲げる事にしていたので、鳥海は基本ラバウルに在泊している状況だった。こうした中での連合軍のガダルカナル、ツラギへの侵攻だった。
  • 一方を受けた前線の海軍部隊は直ちに反応する。まずラバウルを中心に展開していた同方面を管轄する第25航空戦隊は、当日ラビ攻撃のため爆装で準備していた一式陸上攻撃機27機を雷装に換装せぬまま台南空の零式艦上戦闘機18機と共に直ちに出撃させ攻撃に向かわせると共に所属の水上機母艦秋津洲及び駆逐艦秋風、追風、複数の二式大艇を、長躯飛行する航空隊が不時着水した際の救助のためツラギ方面に進出させた。(後に第2航空隊の99式艦上爆撃機9機*14も参加)
    • そして外南洋部隊もこの動きに同調する。航空隊が敵機動部隊に打撃を与えると同時に外南洋部隊が突入して残る水上部隊を駆逐しようと考えた外南洋部隊は、旗艦鳥海と急報を受けてラバウルに向かって南下していた第六戦隊を合わせた5隻の重巡洋艦による殴り込み突入を立案する。しかし当時ラバウルに在泊していた軽巡洋艦天龍夕張、そして駆逐艦夕凪が同行を強く希望してきたため、急遽この3隻を加える8隻で実施されることなる。
      • この時の天龍…というか天龍を旗艦としていた第十八戦隊司令部の同行申し入れはかなり強硬なものだったようで、松山光治司令官以下参謀長や首席参謀が膝詰談判を行い、これに根負けした三川中将が同行を許可するという一幕もあったそうな。これらの事は「松山光治の坐り込み」として部内で語り継がれたそうな…
    • なお、夕張と夕凪は第二海上護衛隊*15所属で、管轄上は内南洋部隊所属の艦艇だが、偶々この時鳥海や天龍と共にラバウルに在泊していたことから第十八戦隊司令部と共に参加を直訴し、急遽「外南洋部隊に協力する」という形で参入する事になったのである*16
  • こうして三川艦隊が完成したのだが、その実情は「オンボロ余り物共の烏合の衆」であった。
    • 前述したように参加艦艇のうち、鳥海は外南洋部隊の独立旗艦であるため、司令部を置いていたラバウルやその周辺で単独で行動していて外南洋部隊としての部隊行動をとった事がなく、天龍は第十八戦隊、青葉、衣笠、古鷹、加古は第六戦隊、とこれも戦隊が別で一緒に行動したことがない。夕張夕凪はそもそも外南洋部隊でもない。という状況であり、参加した艦艇は部隊としての訓練を行ったことがない状態であり、複雑な艦隊運動に必要なスクリューの回転整合*17作業すらままならない状態での出撃となった。
    • その上ただでさえ鳥海以外の重巡洋艦は艦歴が古かったのだが、後から参戦が決まった三隻はさらに前に建造された艦であり速力や装備に問題があった。特に夕張はスクリューの破損で速力が出せないため艦隊全体の速度を落とさざるを得ず、作戦に影響を与えている*18。また、通信の設定が鳥海以外の第六戦隊の重巡までしかできていないので残り3隻は通信不可。彼女らは目視で状況を把握し行動しなければならなかった…よりにもよって夜戦で。
      • 集団としての訓練も出来ていない、集団行動の設定すら出来ていない、整備不十分で故障する危険もある。連携するに必要な連絡手段も限られている。そんな状態の三川艦隊である。おのずと作戦は単純で簡単なものしかできない。そのため司令部が建てた作戦は単縦陣で航行し、複雑な機動をできるだけ避けた一撃離脱に徹する、「とにかく単縦陣で殴りこんでさっさと帰る」という至ってシンプルなものになった。そして本来こういう突入作戦では主力の露払いとして先導する軽巡や駆逐艦である追加組3隻は夜戦の邪魔にならないよう艦隊の最後尾に配置されることとなったのである。
        このような艦隊が第一次ソロモン海戦の悪夢を演じたのだから、世の中わからないものである。

航空隊の攻撃~米機動部隊撤退

  • いろいろな不安要素を持ちつつも三川艦隊は進撃を開始する。航空隊による攻撃は8月7日と8日の2日にかけて、延べ91機*19による攻撃が行われたが、駆逐艦マグフォード及びジャーヴィス*20が損傷し輸送船1隻が損傷して放棄という戦果のみに終わり、損害は2日合わせて35機を失う*21結果となった*22
    • 戦果としては失敗に終わった基地航空隊による攻撃だが、空母部隊を指揮していたフランク・J・フレッチャー少将は不安を覚えていた。この2日間の戦いで艦船への損害は少なかったが航空隊は艦上戦闘機16機、艦上爆撃機1機、水上偵察機1機を失っており、日本側の航空戦力は侮れないものだと感じていた。更に日本側に艦上機である「零戦」が見受けられたこと、ワスプ*23の偵察機がレカタ湾付近で日本軍偵察機を撃墜したと報じた事から、付近に「南雲機動部隊」がいる可能性が高いと判断してしまう。
      • ミッドウェー海戦での南雲と同じ立場に立たされていると思い込んでしまったフレッチャーは8日午後4時頃、上官の南太平洋海軍部隊指揮官R・ゴームリー中将に一時撤退を伝えると共に上陸部隊への航空支援を独断で放棄して撤退を命じてしまう*24
      • 困ったのが上陸部隊を指揮する第一海兵師団のアレクサンダー・ヴァンデグリフト少将である。占領作戦が未だ継続中、かつ引き続きラバウルからの空襲が予想される中で、突然前線に取り残された状態で制空権を自ら失ったのである。彼は直ちに残された水上部隊「第62任務部隊」のリッチモンド・K・ターナー少将と、警備部隊指揮官である英海軍のV・A・C・クラッチレー少将と協議するため、ターナー座乗の輸送船「マッコーリー」に集まった。指揮官たちが輸送船団に集まったその時、三川艦隊が泊地への突入を開始したのである。

南方部隊への突入

  • 進撃を続けていた三川艦隊側は、連合軍のこういった事情など露知らず、午後10時40分に泊地への突入針路をとる。この時連合軍は残った第62任務部隊が北・南・東の3グループに分かれて輸送船団を護衛する体制をとっていた。
    第62任務部隊編成 ※()表記は所属国名、特にないものは米国所属
    部隊指揮官所属艦
    南方部隊V・A・C・クラッチレー少将*25(英)重巡:オーストラリア(豪)*26、キャンベラ(豪)、シカゴ
    駆逐艦:パターソン、バックレイ
    北方部隊フレデリック・F・リーフコール大佐*27重巡:ヴィンセンス、クインシー、アストリア
    駆逐艦:ヘルム、ウィルソン
    東方部隊ノーマン・スコット少将軽巡:サン・ファン、ホバート(豪)
    駆逐艦:モンセン、ブキャナン
    哨戒隊駆逐艦:ラルフ・タルボット、ブルー
    • 突入開始直後の43分に鳥海は哨戒行動中の駆逐艦ブルーを確認するがブルー側はレーダーが島影によるレーダー波の乱反射でうまく稼働せずに見逃してしまい、続いてラルフ・タルボットも確認するが同艦も三川艦隊に気づかず遠ざかってしまった。
  • 11時30分、三川長官は「全軍突撃せよ」を下令、襲撃を開始する。直後に鳥海は低速で移動する駆逐艦ジャーヴィス*28を発見し古鷹と共に雷撃するが命中せず、ジャーヴィス側もこれに気づかずに去っていった*29
    程なく三川艦隊は連合軍南方部隊の重巡2隻、駆逐艦2隻を発見する。11時43分、三川は事前に射出していた水上機に吊光弾投下を命じ、その光を背景にくっきりと浮かび上がった南方部隊に対して攻撃を開始する。
    • この攻撃はわずか6分間の遭遇戦であったが完全な奇襲となり、三川艦隊は夕張が盲弾を一発受けただけであった一方、南方部隊は大損害を被る事になる。重巡キャンベラ、駆逐艦パターソンが大破し伽キャンベラは後に沈没、重巡シカゴも損傷し戦線離脱した。この際、古鷹がキャンベラとの衝突を避けたため変針し、それに天龍、夕張が追従したため艦隊から離れてしまった*30

北方部隊への襲撃

  • 二群に分かれた三川艦隊だが直後北方にもう一つの敵部隊(北方部隊)を発見、直ちに攻撃を開始する。こうして始まった二回目の戦闘では先頭を行く鳥海が北方部隊に探照灯を照射する。
    北方部隊指揮官であるヴィンセンスのリーフコール艦長*31は闇夜で混乱する味方による誤照射だと判断して、「照射を止めよ、われ味方なり」と通報するが、返ってきたのは鳥海からの砲弾であった。
    • 鳥海に続いて青葉らも砲撃を開始、戦闘開始を見た古鷹ら別動隊も攻撃に参加。偶然にも挟撃される形となった北方部隊の重巡アストリア、ヴィンセンス、クインシーは瞬く間に戦闘不能となる。駆逐艦ヘルム、ウィルソンは南方部隊の交戦を見て救援に駆けつけるべく全速で南下していたところ三川艦隊と気づかずにすれ違い、北方部隊の交戦に気づいて慌てて引き返すも間に合わなかった。
      • 最初に集中打を受けたアストリアは果敢に反撃して鳥海の1番砲塔に命中弾を与えこれを破壊したがそこまでで大破航行不能となり翌朝に沈没。アストリアを無力化したと判断した鳥海は続いてクインシーを攻撃、搭載艦載機が被弾炎上してクインシーは格好の標的となり、ここで別働隊も攻撃を開始して集中打を浴びてしまう、最後は鳥海に針路を向けて突撃してきたが最後は左に転覆沈没した。
        ヴィンセンスも集中攻撃を浴びて炎上、艦橋にも青葉の主砲弾が命中して首脳部を吹き飛ばした*32。そしてクインシーの後を追うように転覆沈没した。
  • この襲撃でも水上偵察機より投下された照明弾は艦隊の姿を晒すことなく米艦隊の姿を照らし出したことで、三川艦隊は有利な状態で一方的に砲撃することが出来た。だがゲームの夜戦では艦載機は九八式夜偵の夜間触接以外使用不可、何故だ。
    また鳥海の探照灯照射は最前列に位置したため敵の目標となり被害が集中すると予想されたが、あえて囮になる事により、陣頭指揮の決意を全軍に示したと言われている。だが予想通り鳥海に反撃が集中し20cm砲弾7発程度、10-13cm砲弾7発程度、機銃弾無数の直撃を食らっている。特に艦橋に命中した1弾は不発だったからよかったものの、危うく第八艦隊司令部壊滅の惨事になるところだった。*33
    リスクの大きい探照灯照射を行って沈んだ神通や霧島といった事例がある一方で、鳥海は大した損害にならず以後も戦闘を続行していたことを考えると、いかに日本側が敵を圧倒していたか、いかに奇襲が完璧だったのかがうかがえる事象である。
    • 1番砲塔への命中弾は偶々不発だったうえに砲塔自身も砲弾を殆ど撃ち尽くしていた状態だったこともあり被害は少なかったが、砲塔内にいた乗組員は一部除いてほぼ全滅、運良く生き残った兵もその光景をさながらの地獄絵図だったと後に証言している*34
  • こうして第62任務部隊は三川艦隊の奇襲により、わずか一夜にして壊滅することとなった*35。三川艦隊には損失や戦闘能力を喪失したような艦はなく、ほぼ一方的なワンサイドゲームとなった。米船団にとって残された防衛戦力は東方に展開していた軽巡2隻、駆逐艦2隻の東方部隊しかなく、船団や揚陸したばかりの物資や部隊は丸裸も同然だった。
    もはや防ぐものはなにもない、船団への生殺与奪の権利を手にした三川艦隊。彼らは部隊を再集結させると一度湾外に離脱、そして再び突入する事はなかった

撤退

  • 目標である船団への攻撃をせずに撤退の決断をしたことについて、当時もそうだが今でも多くの議論がなされ、本海戦を「戦術的には勝利」などと言われる一因となっている。勿論この決断が下されたとき、旗艦鳥海内で議論がなされており、鳥海の艦長早川幹夫大佐などが反転、再突入し輸送船団を撃破すべきと主張したと言われている*36。だが大西新蔵参謀長と神重徳先任参謀が「上空援護がない限り、艦上機の攻撃を受ける愚を犯すべきではない」と強く進言し、三川長官は後者を選択、船団への攻撃は果たせぬまま撤退したのであった。
    • 真珠湾攻撃やマレー沖海戦以降、戦闘機による護衛のない水上艦艇が航空攻撃に如何に脆いかは現場指揮官たちには共通認識になっていた以上、この判断は十分な説得力がある。実はそのとき敵空母はいなくなっていたのだが、戦場を後にする三川艦隊にそんなことを知る術はなかった。
    • 敵の航空戦力の脅威だけでなく弾薬の消費が激しくほとんど使い果たしていたなど他にも撤退した理由はあったとされている。そもそも無茶言って艦隊についてきた誰かさん達を考慮し、再突入は考えられていなかったのである。
  • しかし連合艦隊司令部は作戦を無視して敵輸送船団を見逃したことを問題視した。山本五十六長官もこの結果に激怒し、一時は勲章の授与をなしにしようと考えていたほどだった。
    第一次ソロモン海戦の結果を聞いた田中新一大本営陸軍部第一部長は
    「輸送船の大部分を逃がしたが、これがソロモン奪還の主目標であったはず」
    と遺憾の意を表明している。孤島のガダルカナル島で戦う陸軍にとっては補給の有無がダイレクトに影響するのだから当然といえば当然である。
  • 第一次ソロモン海戦にて輸送船が大量の物資を積んでおり、奇襲の成功によりその輸送船団を叩くチャンスがあったのは確かだ。だが早川艦長の進言通り、三川艦隊が再突入したとしても目標を達成できたかどうかの保証はなく、逆に艦隊が被害を蒙るだけだった可能性も十分あった。
    • 海戦時点で連合軍側はガダルカナル島に約10900名、ツラギに1500名が上陸して占領しており、仮に船団と師団予備*37が失われても2島の一時的保持は可能だった。
      もし輸送船撃破が成功したとしても、その分帰路は遅くなるわけで、9日早朝時点でサン・クリストバル島南端にいた空母部隊が反転追跡してこれを撃破するチャンスは大いにあった*38のだから、三川艦隊は壊滅した可能性は十分ある。日本側は第一次ソロモン海戦後の敵の物資補給を阻止できていない事を鑑みるに、船団攻撃をしていたとしても、連合軍の反攻を一時的に停滞させただけで、ガダルカナル島の奪還自体は難しかっただろう*39
      その点で言えばこの奇襲作戦自体、その場しのぎの打算的なものではないかとも考えられる。
  • 自身の判断で主目的である「輸送船団攻撃」を中止した事で批判を浴びた三川軍一中将は、実は真珠湾攻撃に第三戦隊司令官として参加していた提督であり、指揮官の南雲中将に再攻撃を「明確に」意見具申した記録が残るただ一人の指揮官である
    その後、三川が南雲と同じ立場になって同じ状況で同じ命令を下したのは因果な巡り合わせといえる。
    ※真珠湾攻撃での2回目の攻撃に関する話では「山口多聞少将が再攻撃主張の急先鋒だった」とよく言われるが、彼は参謀や搭乗員からの意見に「南雲さんはやらんだろう」とむしろ消極的で、「第二撃の準備完了」という遠回しな連絡しかしていないのが実情である。
    • この殴り込み作戦を立案した神重徳大佐は、その後ダンピール海峡悲劇とも呼ばれる八十一号作戦を強行させ、レイテ沖海戦での艦隊泊地突入作戦や、大和の沖縄特攻などの無謀な作戦を推し進めた参謀である。
      この海戦後、神は「作戦の神様」と祭り上げられ、彼が立案した作戦が採用されやすくなったとも言われている。
    • 鳥海艦長早川幹夫大佐は、後に第二水雷戦隊司令官となり、多号作戦でフィリピンのオルモック湾に無謀な輸送作戦を命じられて疑問を呈したものの上層部に押し切られた。
      そして危惧通り空襲で護衛艦隊もろとも輸送船団は壊滅。自身も旗艦島風艦上で戦死の憂き目を見たのもまた皮肉な運命かもしれない。
  • 結局、輸送船団は一時引き上げた後、輸送物資の揚陸に成功してしまう。戦闘はあくまでも作戦目的(戦略目的)を果たすための一手段にすぎないという事を考えると、この勝利はソロモンの戦い全体に与えた影響はそれほど大きいものではなく、連合軍を一時的に苦境に追い込んだだけだった。

その後の鳥海

  • その後鳥海はガダルカナル島奪還のための一木支隊第二陣(約1300名)輸送部隊の支援に赴いたり、24日の第二次ソロモン海戦に呼応して第6戦隊と共に水上機によるヘンダーソン飛行場爆撃をするなどしていた。
    • 10月にはヘンダーソン飛行場への艦砲射撃作戦が立て続けに実施される。まず第一挺身攻撃隊として第一陣*40が投入されるが11日に発生した「サボ島沖海戦」で米巡洋艦部隊と交戦して壊滅。だがこの交戦での補給のため米巡洋艦部隊が海域を離れた隙をつくように第二次挺身攻撃隊*41が13日夜半に突入して飛行場砲撃を成功させる。
      この時鳥海は衣笠と駆逐艦天霧望月を率いて出撃、輸送船団を護衛しつつガダルカナル島に接近していた。14日深夜、鳥海と衣笠は飛行場に接近して主砲弾計752発を撃ち込み損害を与えたえている。
    • 11月11日より発生した第三次ソロモン海戦では、11~12日の第一夜戦で比叡が沈み飛行場砲撃が失敗する中、13日夜に別路進撃していた巡洋艦部隊*42が突入して飛行場を砲撃、鳥海は衣笠、五十鈴らと共に同部隊の帰路の護衛につくが14日昼に空母エンタープライズ艦載機等の空襲を受け、衣笠が沈んでいる。
  • ガダルカナル島撤収後は第八艦隊旗艦任務を解かれて横須賀へ帰還し入渠。出渠後は本土~前線の護衛任務を経て南東方面部隊*43所属となり、7月にはクラ湾夜戦で全滅した第三水雷戦隊司令部の新司令官着任までの間、鳥海艦長の有賀幸作*44大佐が綸旨指揮官を務めたりもしている。
    • 7月9日には外南洋部隊指揮官鮫島具重中将*45が座乗して久しぶりに外南洋部隊旗艦となり、川内らを率いてコロンバンカラ島に進出して同島への陸兵輸送を成功させる。だが三水戦の陣容が整うまで増援指揮を第二水雷戦隊*46が引き継ぐが直後の12日に発生したコロンバンカラ島沖海戦で同司令部は全滅する。
      • その後も鳥海は増援として駆け付けた第七戦隊と共に前線への増援任務を続けるが、8月にはその任は解かれ内地に帰還。南東方面部隊から前衛部隊である第二艦隊の、姉妹たちのいる第四戦隊に転出となる。またこの際機銃を増設され21号対空電探22号対水上電探を付けられている。
  • 久しぶりの姉たちとの会合、更に北方方面に派遣されていた摩耶も戻り、久しぶりに高雄型四姉妹が同じ部隊で揃い、早速ソロモン諸島ブーゲンビル島に出撃する…はずだった。
    出撃に備えて第二艦隊がラバウルに集結したまさにそのタイミングでる11月5日に敵空母機動部隊の空襲に遭い、高雄も愛宕も摩耶も酷く損傷して出撃は中止。艦隊はそのままトラック泊地にとんぼ返りしたからである。この時、鳥海はたまたまラバウルから離れた位置にいて無事だった*47
    • 1944年1月には給糧艦伊良湖がトラック泊地近海で潜水艦の雷撃を受け立ち往生し、駆逐艦涼風がその曳航に難儀していた時、鳥海はと共に応援に駆け付け、伊良湖の救援を成功させている。もーなーか!もーなーか!!
  • マリアナ沖では4姉妹で参戦するも航空戦に終始し、鳥海らが水上戦闘を行う機会はなかった。
  • 1944年10月のレイテ沖海戦でも4姉妹揃って推参する事になったのだが、出撃後まもない23日に米潜水艦の攻撃を受け摩耶愛宕は沈没、長姉の高雄も大破し脱落。あっという間に彼女は一人ぼっちになってしまう。
    25日にはサマール沖海戦で奮闘するも、米護衛空母ホワイト・プレーンズの砲撃*48を受け右舷中部に被弾。運が悪い事に魚雷が誘爆を起こし落伍、雷撃処分となる。姉たちと別れた2日後の出来事であった。
    こうして長女の高雄を残し、わずか3日で高雄型姉妹は失われることとなった。
    • 漂流していた米護衛空母ガンビア・ベイの乗員たちが鳥海の最期を目撃、証言を残している。
      それによると、鳥海は一旦は立ち直って動き始めたが、直後再び米艦載機の攻撃を受けて被弾炎上、海上に停止してしまった。
      駆逐艦藤波は周囲をぐるぐる回って警戒しつつ復旧を待ち続けたが、その甲斐もなく炎上し続ける鳥海は、日没に至ってついに放棄が決定。藤波は生存者を救出し魚雷で彼女を介錯すると別れの発光信号を明滅させながら去っていったという。
      • そして生存者を乗せた藤波も、この翌日早霜の救援の際に空襲を受けて沈没し全員戦死した。このため2隻の生存者はなく、戦後長らく慰霊碑がない状態が続いていた。
        だが「このままでは英霊に申し訳が立たない」と遺族たちが一念発起し、戦後53年を経た平成10年12月、佐世保の旧海軍墓地東公園に鳥海と藤波2隻連名の慰霊碑が建立され現在に至っている。
  • 現在、東公園の慰霊碑群の中で最も新しい慰霊碑だという2隻の慰霊碑は、建立以来毎年遺族と護衛艦「ちょうかい」乗組員により慰霊祭を執り行っている。
    • 声優の古川登志夫*49の長兄・善一郎も機銃員として乗艦していたがこの戦いで戦死している。なお、登志夫氏は戦後生まれの末子であるため、長兄との面識は全く無く、兄姉の話でしか知らないことを最近のツイッターで明かしている。

  • 戦後、三川提督本人は好きな艦艇の筆頭として鳥海の名を挙げている。(他は、青葉衣笠加古古鷹)このうち、鳥海と青葉は一時期三川大佐(当時)が艦長を務めている。
  • 沈没からちょうど75年、2019年10月25日。マイクロソフト社共同創業者、ポート・アレン氏が所有する調査船ペトレル(RV Petrel)により、沈没している鳥海の映像がFacebook上で公開された。
    • 2019年5月5日にペトレルが発見し、30日には搭載するROV(無人潜水機)により潜水調査が行われた。
      沈没地点はフィリピン海溝、深度5173m。映像冒頭の画像から船体とカタパルト、艦首がバラバラになって沈んでいることがわかる。
      • 映像では艤装などの様子が詳細に撮影されており、沈没前の対空戦闘が想像できる。彼女の特徴の一つ、更新されなかった12cm単装高角砲もしっかりと残っている。
    • ちなみにペトレルは同年7月1日に摩耶も発見している。他にも、これまでアメリカ艦や日本艦を中心に多くの沈没艦を発見しており、これからの調査にも期待がかかる。

唯一の江戸っ子イージス艦「ちょうかい」

  • 現在、鳥海の名はこんごう型四番艦「ちょうかい(DDG-176)」に受け継がれ、これが3代目にあたる。
    こんごう型護衛艦は艦隊の頭脳とも言えるイージスシステムを搭載した艦であり、艦これでの鳥海が頭脳派キャラなのはこういったところからも来ているのだろう。
    シンボルとキャッチは[GOLDEN EAGLE]。どこぞの野球チームみたいである。カレー*50が超美味い(巧い)とのこと。
    今日もどこかで「ちょうかい」は現代の日本を守っている。
    • この「ちょうかい」はほかの海自イージス艦が三菱長崎でつくられたのに対し、石川島播磨重工東京工場(現廃止。跡地はアーバンドックららぽーと豊洲)でつくられた。継子って言うな*51
    • 余談ではあるが、イージス艦であるこんごう型はフェイズドアレイレーダーや指揮機能の関係上艦橋が肥大化している。これが高雄型の巨大な艦橋と似ていることから、一番艦であるこんごうの名前が発表されてない頃は「日本が高雄型を建造中」と報じられることがあったという。後々、ちょうかいが建造されることを考えると興味深い。
    • さらに余談だが艦これでキャラがモロ被りしている霧島の名はこんごう型二番艦に受け継がれた。またこんごう型に名前が採用された艦の中で、艦娘の中の人が違うのは妙高のみである。
    • 「ちょうかい」は2011年3月11日の東日本大震災にて、地震発生後間もなく災害派遣のため横須賀から緊急出港、被災地に駆けつけた。その際、被災後43時間にわたって福島県沖で漂流していた男性を3月13日に無事救助している。男性の漂流の一部始終を実話に沿ってドラマ化したNHKスペシャル『星影のワルツ』でも、救助を求める男性の姿に汽笛で応えて救助に向かう「ちょうかい」の雄姿が描かれている。

参考資料・書籍

  • 重巡「鳥海」奮戦記―武運長久艦の生涯 諏訪繁治 光人社NF文庫

この艦娘についてのコメント

  • 妙高型3人に続いてやっとの念願の高雄姉妹…長姉・一番好きな艦娘の次姉のどちらが・・・!から出てきてちょっと落ち込みかけたけど、そうか鳥海さん戦没日と発見一周年を来週に控えて出て来てくれたのか…(´・ω・`) -- 2020-10-17 (土) 08:39:04
  • 令和三年の新春任務で手に入る限定掛け軸が鳥海がしたためたものだとほんの数日前に知って、あの時に攻略の優先順位を間違え、そもそも報酬の家具が鳥海の家具だと知らずにいた自分はもはや鳥海提督の資格はない・・・・ -- 2021-02-09 (火) 23:48:40
  • (掛け軸の話題がしにくい流れだが)「祝 今春八周年 第八艦隊 鳥海」の正月掛け軸を書いた我が鎮守府の主力重巡 八周年も宜しく頼みます -- 2021-04-30 (金) 10:52:13
  • 金剛が鳥海を射撃した事実はないよ -- 2021-04-30 (金) 11:29:18
  • 過去ログをろくに精査せずの書き込み御免だけど、声優・古川登志夫さんのいちばん上のお兄さん・善一郎さんは鳥海の機関銃手として戦死なさっておられる。Wikipediaにもあるが登志夫さん誕生の際、「この子は善一郎の生まれ変わりだ」と言われたそうな(登志夫さんは15人きょうだいの末っ子として終戦直後の1946年=昭和21年生まれ) -- 2021-06-06 (日) 01:20:38
    • 過去ログというか定番ネタではないかと -- 2021-10-06 (水) 19:12:21
      • 途中送信御免上の小ネタにもしっかり書いてある -- 2021-10-06 (水) 19:15:03
  • 眼鏡娘が実装されては弾けていく中 古参の鳥海が知性派の牙城を守り続ける姿は 実に頼もしい -- 2021-10-06 (水) 18:48:10
  • こないだ出た横山信義さんの作品で、空母なってしまったわ -- 2022-06-24 (金) 14:34:41
  • 南瓜を御馳走しようと探してるが、物欲センサーが絶好調。 -- 2022-10-17 (月) 11:39:59
  • ららぽーと豊洲のリンク更新した -- 2023-02-15 (水) 21:44:39
  • 母港でつつくと「この夏、10周年のとき、忘れません」というボイスが。無改造と改二で確認 -- 2023-09-03 (日) 08:37:05
  • 重巡建造すると何故かこいつばかり出る加古よりはマシだが正直いらん妙高来てくれ任務(編成)が終わらん -- 2024-02-21 (水) 22:21:30
  • トマホーク対応改修、私もうれしいです。 -- 2024-09-12 (木) 10:33:19
    • そこね…計算通り、見つけたわ。トマホーク攻撃はじめ、SALVO!! -- 2024-09-24 (火) 19:46:32
    • トマホーク菊池もとい、トマホーク鳥海。 -- 2024-12-24 (火) 19:57:38
  • リメイクDQ3のぱふぱふ娘ボイスが鳥海さんチック -- 2024-11-16 (土) 22:32:43
  • え、なに、俺なんでそんな畏まって感謝されてんの? -- 2025-04-27 (日) 15:17:43
  • 護衛艦 ちょうかい は、トマホーク 発射能力獲得のため、本年9月26日から令和8年9月中旬まで米国に派遣され、艦艇の改修や乗員訓練等を行います。出国に先立ち、9月25日、トマホーク模擬弾の搭載訓練を実施しました。引き続きスタンド・オフ防衛能力の早期構築に取り組みます。https://x.com/ModJapan_jp/status/1971501170222067843?t=HYZG_X213_i2xqFMnsF3OA&s=19 -- 2025-09-29 (月) 18:09:23

*1 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*2 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*3 「小破」ボイスの3つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*4 「小破」ボイスの3つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*6 客船も作っていた三菱造船所(長崎)の生まれで、姉たちより内装が良く重用されたため改装の機会を失ったという俗説あり。
*7 鳥海の幻の改装計画については「世界の艦船 傑作軍艦アーカイブ 重巡「妙高」型「高雄」型」より引用。
*8 海兵35期卒。五・一五事件の際は海軍側被告の判士長を務める。太平洋戦争開戦時は第一艦隊司令長官で参戦。その後南西方面艦隊司令長官を務める。1944年3月1日に大将に昇進したが、直後の4月2日に古賀峯一連合艦隊司令長官ら一部司令部要員が遭難する「海軍乙事件」が発生、後任が決まるまで高須が連合艦隊の指揮権を1か月ほど代行する事になる。開戦以来終始前線に居続けていた(太平洋戦争開戦時の艦隊司令長官で、この時点まで途中軍事参議官や鎮守府長官などの内地勤務をはさんだりせず、終始前線部隊勤務だったのは高須と小沢治三郎ぐらいである)ためか体調を崩しており、6月18日に軍事参議官となり本土に戻るが病を得てしまい、9月2日に死去。その死は「戦病死」と認定された。
*9 第二遣支艦隊は海軍軍令部に対し、平和進駐などするつもりのない陸軍現地部隊の態度を難詰するような厳しい電文を何通も発している
*10 時差の関係による。真珠湾攻撃は日本時間だと12月8日3時25分のフォード島のホイラー陸軍飛行場への爆撃が第一撃(湾内に侵入した特殊潜航艇への米駆逐艦「ワード」による攻撃が第一撃とした場合だと、この時間は同8日午前2時40分になる)だが、マレー半島上陸作戦は同8日午前1時35分にコタバル上陸の第一陣が船団から出撃しているので、実はマレー作戦の方が最初に火ぶたを切っている
*11 伊121、伊122、伊123
*12 呂33、呂34
*13 「内南洋部隊」や「機動部隊」など軍隊区分編制での作戦単位を指揮する者は、規模に関わらず「指揮官」と海軍では呼称している。一方常備編制である艦隊区分での指揮する者の呼称は規模により異なる(艦隊は「司令長官」戦隊は「司令官」など)
*14 但し99式艦爆の航続距離ではラバウルからガダルカナルまでは往復出来ないので、帰路は予定海域に不時着水して乗員のみ救助する手筈となっていた
*15 横須賀-トラック環礁・パラオ諸島間の東西2航路の防衛を任務として1942年(昭和17年)4月10日に編成された部隊だが、当初は広大な海域に反して戦力は特設艦艇3隻しかなく、戦力が全く足りていなかったので、7月10日に内南洋平定を終えて遊兵化していたを第六水雷戦隊を解隊して所属艦艇の一部を編入するなど戦力の拡充がなされていた。
*16 2隻が正式に外南洋部隊へ配属となるのは1943年4月1日からである
*17 軍艦というものは同型艦であっても経年による不具合等で差が出るもので、例えば同じ「第一戦速」でもそれに要するスクリューの回転数に違いが出てくる。そこで陣形変更などをした際に上手くいくように「旗艦の速度に僚艦のを合わせる作業」が必要となり、これが「スクリューの回転整合」という作業である。やり方としては旗艦を中心に部隊が横並びに進み、例えば旗艦が「強速」にするとそれに各艦が合わせ、きれいに並べたら各艦その時のスクリュー回転数を「強速」として設定する。といったものである
*18 夕張側も艦が航行不能になることを見越して陸戦用の機関銃や小銃を積み込んだりしてたりする
*19 零戦延べ32機、1式陸攻延べ50機、99艦爆延べ9機
*20 艦これ実装のジャーヴィスではなくアメリカ海軍バッグレイ級駆逐艦の方
*21 零戦3機、1式陸攻23機、99式艦爆9機
*22 因みに「大空のサムライ」の著者坂井三郎氏が負傷戦線離脱したのが、この8月7日の航空戦での出来事である
*23 艦これ実装のWaspの先代
*24 歴戦の提督であるフレッチャーが何故このような判断をしてしまったかについては後年色々と議論されているが、開戦以来米軍にとって唯一の反撃戦力である空母部隊を率いる指揮官の一人として、珊瑚海海戦やミッドウェー海戦などで休みなく連戦し、ハルゼー以上に戦い続けていたフレッチャーの精神的疲弊が要因なのではないか?ともいわれている
*25 但し海戦中は上陸部隊指揮官バンデグリフト少将やターナー少将との協議のため旗艦ごと現場から離れており、シカゴ艦長のハワード・D・ボード大佐が指揮を代行していた
*26 海戦時はクラッチレー少将を乗せて船団の方へ異動しており不在
*27 ヴィンセンス艦長が兼務
*28 同艦は第62任務部隊所属ではないが日中の空襲で大破航行不能となるも応急修理で微速航行可能となっていた。だが通信機能も喪失していたので撤退命令がうまく届いておらず、艦長の独断でシドニーに向かうと判断して漸く動き出したところだった
*29 その後ジャーヴィスは翌9日未明に空母サラトガの偵察機に重油の尾を引きながら撤退する姿を目撃されたのを最後に消息を絶った。戦後日本側の記録から9日午後1時ごろラバウルからの攻撃隊(零戦15機、1式陸攻16機)の空襲を受け撃沈されたことが判明している
*30 夕凪は電源故障のため自身の位置を見失い単独行動をとる
*31 なお艦長は海戦時は砲術長に指揮を一時任せて仮眠をとっており、報告を受けて慌てて駆け付けた状態だった
*32 艦長は無事だった
*33 この時の被弾によって海図が失われた事も撤退に繋がったとかなかったとか。
*34 これは戦艦のような「自身の持つ主砲弾に耐えれるだけの装甲を持つ」ことが出来ない巡洋艦以下の艦艇としてはある意味「想定済み」の事例で、高雄型の場合は砲塔等は断片避け程度の装甲にして、その分の重量を舷側装甲(水線下も含む)や弾火薬庫に割いており、艦自体の生存性の方に主眼を置いているからである。これには重巡洋艦を水雷戦隊に先んじて突撃させ砲雷撃戦をさせることを視野に入れていた日本海軍が、被害を受けても速力を維持する事を優先した、というのと、砲塔に被弾したら砲力維持が難しいのなら、無理に装甲を厚くするのではなく数を増やして砲力維持に努める、という考えだったからであり、日本の重巡洋艦が妙高型以降連装砲塔で4~5基と、米英と比べて砲塔数が多いスタイル(米英は2~3連装砲塔を3~4基とコンパクトにまとめるスタイルを多用している)なのも「1砲塔が使用不可となっても砲門数があまり落ちない」ようしていたからである
*35 なお米軍はこの戦いの事を「Battle of Savo Island」と呼ぶが、日本側が「サボ島沖海戦」と呼称する戦闘は二か月後の出来事である。
*36 実際には早川艦長はこの司令部の決断に対して「司令部は旗艦を他に移して帰れ。鳥海一艦で敵輸送船団を撃滅する」とまで言い放ったとも伝わっている
*37 予備戦力及び後方要員約6700名
*38 史実ではワスプ艦長等が9日夜にニュージョージア海峡での夜間襲撃を進言し、ワスプには夜間襲撃訓練を受けている搭乗員も多くいたのだが、フレッチャーはこれを不安視して却下している。もし三川艦隊が輸送船団攻撃を行っていた場合は退避が遅れるわけで昼間爆撃も可能であり、フレッチャーは攻撃を決定した可能性がある
*39 輸送船団を撃滅したら、連合軍側は輸送船不足になるのは事実だが絶望的なわけでもなく、別方面のを差し向ければ十分補充できる。それまでの期間は自前の艦艇でどうにかしないといけないが、日本のように駆逐艦等の水上艦艇を使った輸送という形での対応も可能(というか、実際連合軍側も「ネズミ輸送」はしていた)だし、情況的には連合国側の方が制空権も握っているし拠点も近いしで有利なのだから、結局三川艦隊が輸送船団を撃滅したからといってガダルカナルの戦局が変わるような事はなかったと考えられる
*40 指揮官は五藤存知第六戦隊司令官で、重巡青葉、古鷹、衣笠、駆逐艦吹雪、初雪が参加
*41 指揮官は栗田健男第三戦隊司令官で戦艦金剛、榛名、他第二水雷戦隊が参加
*42 第七戦隊司令官西村祥治少将指揮で重巡鈴谷、摩耶、軽巡天龍、駆逐艦夕雲、巻雲、風雲、朝潮
*43 それまで旗艦を務めていた第八艦隊と、ラバウルに拠点を置く基地航空部隊である第十一艦隊を合わせて指揮する方面艦隊である南東方面艦隊が基幹となる戦時編制部隊。第十一艦隊司令長官の草鹿任一中将が指揮官を兼務し、ラバウルに司令部をおいていた
*44 大和沖縄特攻時の大和艦長
*45 当時の第八艦隊司令長官
*46 指揮官は伊崎俊二少将
*47 ラバウルへの道中で、米艦載機の空襲を受けた輸送船「日章丸」からの救援要請があり、鳥海と涼波が救援のため分離行動していたため
*48 実は金剛の誤射ではないかという説もある。研究の結果命中の有無は別として、金剛が鳥海を敵と誤認識して砲撃を実施したのは確実の様である。もっともこの時鳥海は第七戦隊司令部の指揮下にあったのだが司令部の命令を待たずに突撃しており、原因は鳥海側であるとも言われている
*49 1946年7月16日生まれのレジェンド声優。代表作には無敵超人ザンボット3(1977年)の香月真吾、機動戦士ガンダム(1979年)のカイ・シデン、うる星やつら(1981年)の諸星あたる、ドラゴンボール(1987年)のマジュニア(ピッコロ)、機動警察パトレイバー(1989年)の篠原遊馬、銀河英雄伝説(1988年)のオリビエ・ポプランなど多数
*50 第2回護衛艦カレーナンバー1グランプリ in よこすか(平成26年4月19日)では、第2位を獲得。
*51 ちょうかいのほかにIHI東京が建造した現役海自艦には、艦これつながりでは、むらさめ(4代目)・さみだれ(2代目)・あけぼの(4代目)がいるが、いずれもむらさめ型である。※「あまぎり(2代目)」は、あさぎり型護衛艦である。また、未実装艦も含めると、ほかに「あさぎり(←朝霧)」がある。