古鷹

Last-modified: 2020-04-28 (火) 04:17:14
No.052
古鷹と言います。重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです。古鷹(ふるたか)古鷹型 1番艦 重巡洋艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久36火力30 / 54
装甲25 / 34雷装12 / 59
回避33 / 69対空16 / 59
搭載6対潜0
速力高速索敵10 / 39
射程10 / 49
最大消費量
燃料35弾薬50
搭載装備
220.3cm連装砲
27.7mm機銃
2未装備
装備不可
改造チャート
古鷹古鷹改(Lv25) → 古鷹改二(Lv65)
図鑑説明
重巡洋艦、古鷹です。
三川提督率いる第8艦隊の一員として、第一次ソロモン海戦では敵艦多数を撃破したんですよ!
これが、重巡なんです!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:大坪由佳、イラストレーター:UGUME (クリックするとセリフ一覧が開きます)

セリフCV:大坪由佳、イラストレーター:UGUME
入手/ログイン古鷹と言います。重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです。
母港/詳細閲覧次の作戦海域の資料、見せてもらっていいですか?
ここはとてもいい部隊ですね♪
提督あわてないで。大丈夫です。
母港/詳細閲覧(Xmas)提督、メリークリスマス! この季節を一緒に過ごせて、古鷹、嬉しいです!
母港/詳細閲覧(新年)提督、明けましておめでとうございます! 古鷹、今年も重巡洋艦のいいところ、たくさんお見せできるよう、頑張ります!
母港/詳細閲覧(バレンタイン2016)提督、こ、これ、受け取ってください! あ、ありがとうございます!
母港/詳細閲覧(三周年)提督、今日は素敵な日。ご一緒できて、古鷹、光栄です! いつも感謝してます!
母港/詳細閲覧(五周年)提督、古鷹と艦隊は、五周年を迎えました。ご一緒できて、古鷹、光栄です! いつも感謝しています!
母港/詳細閲覧(六周年)艦隊と、古鷹は、六周年を迎えました。提督、ご一緒できて、古鷹、光栄です! いつも、感謝しています!
母港/詳細閲覧(七周年)古鷹たちと艦隊は、ついに七周年を迎えました! これまでご一緒できて、古鷹、光栄に思っています。提督!
母港/詳細閲覧(梅雨)雨……梅雨の季節も落ち着いていて、好き。……あっ、初雪ちゃん。それは? 手作りのてるてる坊主ですか? ……あ……え?
母港/詳細閲覧(初夏)今年も夏がやってきますね。新しい水着、加古と買いに行こうかな?
母港/詳細閲覧(秋)この季節は、少し鎮守府も落ち着いた雰囲気になりますね。古鷹は、秋は少し不思議な気持ちになります。
母港/詳細閲覧(浴衣)ねぇ加古、これ…おかしくない? ほんとに? …うん、よし! じゃあ、提督のところに行ってくる! …よし!
ケッコンカッコカリ(反転)提督! 重巡部隊の活躍、どうですか? お役に立ってますか? フフッ、よかったぁ。嬉しいです!
ケッコン後母港(反転)やったね!
編成重巡古鷹、出撃します!
出撃重巡古鷹、出撃します!
敵輸送艦を捕捉、撃破したいですね。
遠征選択時やったね!
アイテム発見やったね!
開戦左舷、砲雷撃戦、用意!
夜戦開始私、夜戦は得意なんだからっ!
攻撃加古は大丈夫!?そう
主砲狙って、そう…。撃てぇー!
小破やだ、何…?潜水艦…!?
予測の範囲内です!
中破/大破やっちゃった。まだ…沈まないよ!
勝利MVP私達の役割が、たまたま目立っただけなんです。これが、重巡洋艦なんですよ。
旗艦大破やだ、何…?潜水艦…!?
帰投作戦完了です。お疲れ様。
補給これなら夜戦もバッチリです。
改装/改修/改造これなら夜戦もバッチリです。
三川艦隊の仲間にも、自慢できちゃいます。
やったね!
入渠(小破以下)兵装の手入れをしてきますね。
入渠(中破以上)先日の戦闘で、少し無茶しちゃいましたね。
建造完了新しい艦が建造されました。
戦績表示提督にお知らせがあるようですよ。
轟沈(反転)加古…ごめんね…先に逝くね…
時報
放置時

ゲームにおいて

  • 古鷹型は小型・旧式の重巡洋艦であり、残念ながら戦闘能力の最大値では新型の重巡たちには及ばない。ただし燃費は良好なので資源消費を抑えたい場合に有用と言える。
    • 2013年10月16日アップデート以前は重巡の中どころか軽巡にも劣る能力だったが、同日アップデートで改善。夜戦補正と合わせれば軽巡には無い運用上の利点ができた。
    • 2014年1月15日アップデートにて改造後の火力上限が70に上昇。軽巡改の最大値(球磨改長良改名取改の69)を上回った。
    • 2014年4月23日アップデートで「弾着観測射撃」が実装。4つの武装スロットのお陰であまり火力を落とさずに水偵を積むことが出来る重巡と抜群の相性の同システムのおかげで、改二で追い込みをかけつつあった軽巡とは一線を画する昼戦火力を比較的安定して叩き出せるようになった。やったね!!
    • 重巡はその本懐たる夜戦において、フラ戦を一撃で屠る火力を発揮出来る。 夜戦MAPでは試行回数がモノを言う為、性能と引き換えに燃費が悪化した高雄型・利根型より、古鷹型・青葉型の方が優位と言える場合もある。 敵艦のスペックを確認した上で判断しよう。
  • 本艦はクエスト「三川艦隊」を編成せよ!,「三川艦隊」出撃せよ!,新「三川艦隊」を編成せよ!,新「三川艦隊」出撃せよ!,「第六戦隊」を編成せよ!,「第六戦隊」出撃せよ!に含まれるため、クエストを消化するなら2-3をクリアできる程度に育成する必要がある。
    • また、2014年12月1日のアップデートで新任務「第六戦隊 南西海域へ出撃せよ!」、さらに2015年3月27日のアップデートで新任務「三川艦隊 を新編、突入準備せよ!」および「新編 三川艦隊 ソロモン方面へ!」が追加され、関連任務総数9(編成4、出撃5)ともはや他の追従を許さない領域に達している。さすがにもうこれで打ち止めだと思いたいが、ソロモンの狼に改二がまだ来ていない為サボ島沖メンバーでの任務が来ないと言い切れないのが恐ろしいところである・・・
      • 前者は出撃先が沖ノ島沖と前述の3つのクエストを上回る難易度。後者に至っては夜戦型編成半固定(三川艦隊7隻から鳥海改二を含む選択6隻)での南方海域前面でのボスS勝利という過去最高クラスの難易度となっている。
        後者は古鷹の出撃は強制ではなく支援艦隊の支援も可能なものの、高難易度の昼戦マップかつ制空権喪失下でのボス艦隊の確実な殲滅が求められる。そんな不利な状況下では三川艦隊No.2の古鷹改二の火力は捨てられたものではない。是非とも彼女を改二まで育て上げ、暁の水平線に勝利を刻もう。
  • 運営Twitterで「12月初旬に起工した初期型重巡姉妹の一番艦、そのさらなる改装を今冬予定」と予告されたのち*1、2014年12月1日に多くの提督が待ち焦がれたであろう古鷹改二が、遂に実装された。改二への改装可能Lvは65、改装設計図の必要なし。

限定グラフィック

  • 2017年7月29日に発売された娘TYPE9月号で浴衣modeの実装が予告され、7月31日に実装された。

限定イラスト:鎮守府夏祭り浴衣mode

今年も夏がやってきますね。新しい水着、加古と買いに行こうかな?

  • 2019年2月8日アップデートでバレンタインmodeが実装された。
    • 私服で可愛く、中破で…とイラストレーターが描く古鷹へのコンセプト通りの仕上がり。大天使か

限定イラスト:バレンタインmode

提督、こ、これ、受け取ってください! あ、ありがとうございます!

小ネタ

戦歴

192212.5三菱長崎造船所において起工
19252.25進水
19263.31竣工
5.1第2艦隊第5戦隊(古鷹/川内由良)所属。高松宮宣仁親王(当時少尉)乗組
6.6第5戦隊の旗艦を拝命
8.5加古竣工・第5戦隊配属に伴い、第5戦隊の旗艦を加古に変更
9.25青葉の進水式に立ち会う
12.1高松宮宣仁親王退艦
19278.24美保関事件に遭遇。沈没艦・損傷艦の救援に従事
10.30青葉型2隻を第5戦隊に編入
193511.15第7戦隊(古鷹/青葉衣笠)結成
19368.14青葉衣笠が衝突事故を起こす
12.1青葉衣笠の予備艦編入により第7戦隊解隊
19395.20加古・古鷹で第1艦隊隷下に第6戦隊を結成
194011.15青葉が第6戦隊に編入
19413.1衣笠が第6戦隊に編入
12.8太平洋戦争開戦。井上成美中将以下南洋部隊所属としてグアム島攻略に参加
12.11ウェーク攻略支援に参加
19425.8珊瑚海海戦に参加。第6戦隊隷下であった祥鳳を失う
8.8第1次ソロモン海戦。豪軍重巡洋艦*2、米軍重巡洋艦3隻*3を共同撃沈
8.10加古が米軍潜水艦*4に撃沈される
10.11サボ島沖海戦。青葉を庇い米軍艦隊に砲撃を行い損傷を与えるが、自身も大破
10.120時28分、軍艦旗降下ののち戦没。生存者は初雪が救助
11.10除籍。同日をもって第6戦隊も解隊
  • 列強国の巡洋艦(仮想敵として目標にされていたのはアメリカのオマハ級)に対抗するため、
    夕張のノウハウを活かし小型の船体に重火力を詰め込んで開発されたのが古鷹型重巡洋艦衣笠型一等巡洋艦である。

『すべての日本重巡の姉』、古鷹誕生の経緯。

  • 『すべての日本重巡の姉』、古鷹誕生の経緯。
    • ワシントン条約に基づき衣笠型の通告を受けて脅威に感じたのが英国である。なにせ英国には第一次世界大戦中に建造が開始されたホーキンス級以降、マトモな大型巡洋艦を作っていなかったのだ。*5
      また、ワシントン条約の制限外の艦船の建艦競争が発生したため、ロンドン条約を結んで、巡洋艦のクラスを2分し、保有数も制限されることになった。
      重巡洋艦というカテゴリーは実にこの時誕生したのである
      • 軽巡洋艦のCLに対して重巡洋艦の略号がCHではなくCAなのは、このロンドン条約において巡洋艦を6.1インチ砲を超える「カテゴリーA」と6.1インチ砲以下の「カテゴリーB」に区分したことに由来するとも、装甲巡洋艦を示していた分類記号のCAを重巡洋艦に引き継いだためとも言われている。
      • 加古型の計画はあくまで「20サンチ砲を積んだ巡洋艦」であり、排水量が7,000トンを超えていため書類上は一等巡洋艦とされていた。*6
    • さて裏で何やらやられつつも建造が進められていた加古型巡洋艦だが、この時は「衣笠」および「古鷹」と命名が内令されていた。
      すなわち、衣笠型一等巡洋艦だったのである。
      これは「加古」はもともと川内型1番艦(命名では加古、那珂川内神通の順)として予定されていたものが中止、そのまま次の巡洋艦にスライドしたためである。
      本来は一等巡洋艦の基準である山岳名に基づいて命名されていたのが、1番艦の名が衣笠から加古に変更されることとなってしまい、唯一の河川名の一等巡洋艦となってしまった。
      これにより、衣笠は3番艦へと変更され、建造所すら未定になってしまった。
      後に、ロンドン条約では加古型は20サンチ砲を積んでいたため、軽巡洋艦ではなく、新カテゴリ巡洋艦に移動することになった。
    • ここでなんの偶然か、幸運にも不幸にも建造中の加古がクレーン事故で損傷。建造スケジュールが大幅に遅れることになった。そこでドサクサ紛れに1番艦と2番艦が入れ替えられた。
      なんと海軍は、1926年(大正15年)11月のこのタイミングで、これまで別れていた艦艇類別等級別表と潜水艦類別等級別表を廃止し、新たな艦艇類別等級別表を通達した。
      ここで古鷹型、青葉型と川内型は、これまでの慣例とは異なり、竣工順で類別されてしまった。
      この時世界初の重巡洋艦・古鷹型が誕生したのである。
      • 睦月型にあるように、日本海軍においても起工・進水・竣工が同じ順序で行われないことは頻繁にあり、ネームシップと実際に一番早く完成した艦が異なることはよくあることだった。
        しかし、タイプシップを入れ替えてしまった例はのちの海上自衛隊まで通して日本では空前にして絶後である。イギリスではしょっちゅうだが。
    • 古鷹より古い艦で重巡洋艦に分類されたものとしてはイギリスのホーキンス級とアメリカのセントルイス級が存在する。セントルイス級は第一次大戦以前の老朽艦であるが、ホーキンス級は近代的な軽巡洋艦の発展型としての重巡洋艦であり、火力装甲ともに後に建造される古鷹型に近いものであった。一般的に最も古い重巡とされるのはこのホーキンス級である。*7*8
      鳳翔を日本の「すべての空母の母」とするならば、さしずめ古鷹は日本の「すべての重巡の姉」というところだろう。BBAとか言った奴はソロモン海の人柱にしてやる。
      • ちなみにこの2隻、実は4つ違いでしかなかったりする(鳳翔・1921年進水、古鷹・1925年進水)。
    • 「艦これ」でも娘・少女というよりは肉感美女の多い重巡洋艦において、古鷹型・青葉型は比較的幼めに書かれているのはこの為と思われる。
      • なお古鷹と加古は胸部装甲も軽巡並みとか書かれることもたまにあるが、スレンダー長身でメリハリのついた体型である妙高型・肉感的な高雄型と比べるからであって、少なくとも不足を感じるような大きさではない。古鷹のおっぱいは美乳。異論は認めない。
  • この為、艦級をまたいで姉妹関係を認めると、古鷹型は吹雪以上に複雑な家庭事情になってしまう。
    • 川内型の次級として起工(二等巡洋艦)。
    • 金剛型の次級として竣工(一等巡洋艦)。
    • 構造的には大和型の原典。


  • 排水量が原設計の10%増しで完成したが、別にミスがあったわけではなく、今までにない革新的な設計だったため、施工側の造船関係者が現場で勝手に設計変更しちゃったのが原因。
    ここまで排水量が変わると悪影響がモロに出るのだが、別にそんなことはなかった。基礎設計の時点で相当優秀だったらしい。
    • ただし重量増加による乾舷の低下だけは避けようがなく、下記のような浸水被害だけでなく水線上に出る装甲帯の高さが設計より2mも低くなってしまい直接的ではないとはいえ防御力まで悪化していた。
      一応近代化改修の際にバルジが取り付けられたものの、改修による重量増加に打ち消され最期までこの欠点が解消されることはなかった。
  • 主砲にはオマハ級を圧倒する20cm砲を単装で6基搭載。艦の前後にピラミッド状に配置され、片舷6射線を実現。この規模の艦艇としては従来の常識を超える超火力に列強各国は目を剥いた。その命中精度も極めて高く、当時の巡洋艦の散布界が15,000メートルで遠近200メートル左右40メートルほどのところ彼女は射撃公試において遠近100メートル左右13メートルという極めて優れた成績を叩き出したのである。*9
    • そう、新造時の古鷹(と加古)は単装砲艦だったのである。
      小柄な単装砲と追加装備がまだ無くすっきりした艦上構造が相俟って、この時期の古鷹は大分スマートな印象を受ける(※感想には個人差があります)。
    • しかし、小さな体に大きな砲を載せればしわ寄せはどこかに来るのである。この20cm単装砲、弾薬の運搬装填の多くを人力に頼っていた。揚弾行程も段階が多く、現場からは不満の声が続出したのである。
      揚弾機構はともかく装填や運搬まで機械化すると砲塔や揚弾部が大きく重くなり艦がアンバランスになるので、平賀先生ばっさり切り捨てたのである*10
      よって、予め揚げておいた弾を撃ちつくしてしまうと、発射速度は大幅に低下。20cm砲弾(約100kg)は日本海軍のド根性をもってしても重いのである*11*12
    • 彼女が搭載した20cm砲から駐退機が圧搾空気式になっている。それ以前は水圧かバネを使っていたが、これを機に戦艦も含めて圧搾空気式への移行がなされている。
    • 計画時から水上偵察機の搭載が盛り込まれていたのだが、なんと船体だけが先行して具体的な計画が無いまま工事が進んだという何とも締まらない話があったりする。一応在米大使館から空気式カタパルトの図面は入手していたものの「カタパルトなんて自前で開発できる」と社内開発を進めていた火薬式のものが初回試験で爆発し、実用的な水上機射出施設が手元にないという状況に陥ってしまったのである。
      そこで海軍は敗戦により不況真っ只中であったドイツのハインケル社に水上機運用設備と併せて新型水偵の発注を行い、4番砲塔上にそれを搭載することとした。これ自体は扱いが難しく、また火薬式のカタパルトが改めて開発された為短命に終わったものの、海軍とドイツの結びつきの始まりともなったのである。
    • 余談だが、初代艦長/艤装員長は塩沢幸一大佐(当時)、有名な「養命酒」の開祖の一族である塩沢氏の直系にして山本五十六元帥の同期である。当然というか同期生からつけられた渾名は『養命酒』。製造元が会社化されたのは古鷹の起工後半年ほど後であり、養命酒が海外に広まったきっかけは愛飲者の一人であったかの山本大佐(当時)がロンドン海軍軍縮会議へ同行した際に持参したのが元とも言われている。同期の家元の宣伝でもしたのだろうか……。
    • ちなみに当時の重巡の中で、散布界がとても広かったのがイタリアのザラ級重巡である。
  • 帝国海軍の伝統に違わず、居住性は完全にスルーされた。友軍艦艇の行来で飛沫が飛び込むので常に舷窓を閉めていたという、わりとどうしようもないエピソードが存在する。
    そんな残念な船体構造を揶揄され、加古ともども水族館*13というありがたくないニックネームを授かった。
    ソロモンの狼という通り名とはえらい違いだ。
    なおこんな状態でも皇族方からは人気だったようで、青葉の進水式では高松宮宣仁親王の御召艦として使用され、昭和天皇に至っては加古かどちらかを御召艦にして八丈島に行幸しようとしたこともあった。後者は未遂に終わったが、その代わり改装後に加古ともども供奉艦(御召艦の予備兼護衛艦)の栄誉を賜ることになっている。
    • ちなみにこのニックネームのネタは公式四コマ単行本二巻のオマケ四コマで「部屋に観賞魚とそれが入った水槽がたくさん有って水族館みたい」と言う形で再現されており、44話では雨が降って窓を叩く音がすると落ち着く(波飛沫が舷窓を叩く事のオマージュ)という部分まで再現されてしまった。
    • 居住環境はお世辞にも良いとは言えない「古鷹」であったが、宣仁親王は古鷹がお気に入りだったらしく、後年「比叡」に乗り込むことが決まると、これが余程に嫌だったらしい。『いやだいやだと云つて乗つけられた艦だから一層いやだ。目の前の「古鷹」がなつかしい』『「古鷹」についであり、久し振りに行く。山浦君当直で駄目だつたが、会へたのでうれ〔し〕かつた。瀬下兵曹に電路図をかいてもらつて帰る。とてもいゝ。「比叡」なんか駄目ヽ』と、「高松宮日記」に記している(というか、比叡……)。
  • ただそれでも「5,500t型に比べればずっとマシ*14」とも思われていたようである。*15
    元海軍造船大尉で艦艇研究家の福井静夫氏は「5,500t型から古鷹型に移乗してみれば、古鷹型の居住性は天国に思えるに違いない」とも書いている。
    • ただし浸水を防ぐために四六時中舷窓を閉めていたせいで通風性が台無しで夏は(特に缶室上などは)酷い暑さだったらしく、加古や青葉衣笠共々電動送風機を貸与されて難を凌いだりと四苦八苦していたようである。
    • なお、カウンターパートとされたオマハ級の居住性はそりゃもう酷いものである。
    • さらに言えば、古鷹型のカウンターパートであるペンサコラ級も酷いうえに、古鷹型・青葉型より1門でも多く積もうとした結果の3連装の第二砲塔で…… 90度~270度の範囲で射撃すると艦橋が吹っ飛ぶ。
      その次級のノーザンプトン級でも後方の居住区画に「水族館」が存在していた。
  • 昭和11年からの近代化改修で青葉衣笠に準じた仕様にされたのだが、この改修が大規模この上ないものだった。何せ重巡の始祖でありながら軽巡然とした様式で就役した為、主力艦として急発展した後輩たちに追い付くために手直ししなければならない部位が多々あったのである。
    • まず主砲を20.3cm連装砲に変更したのだが、バーベット径から弾薬庫様式から何から何まで違う為ほぼ造り直し。弾薬庫の位置の変更に始まり隣接していた固定型魚雷発射管も取り払い青葉で問題となった第三砲塔付近の甲板の強化まで行うという徹底した改装が行われた。さらに揚薬様式も青葉から変更され、青葉では数珠繋ぎで弾薬庫から迫り上げられていた装薬を使用量分纏めて一気に揚薬機で砲塔に運ぶという様式に改められた*16
    • 改装は機関部にも及び、船体上部を切り開いてボイラーは一度全て陸揚げされ石炭混燃の2基を撤去し残りの10基も空気余熱器取り付けの改造を行ったうえでこれまた区画改正された機関室に配置しなおすという徹底ぶりであった(タービンは手を加えられていない)。これに伴い煙突・煙路も一から作り直され、巨大な1番煙突と駆逐艦並みに小さな2番煙突という特徴ある方式に改正された。*17
    • その他の装備もほぼ全てが変更され、魚雷の酸素魚雷化はもちろんのこと高角砲は旧式の8cmから12cmに変更された上九一式高射装置との連動となり*18、主砲射撃盤も最新装備の九四式に。艦橋も密閉化され狭いながらも防空指揮所も設置されるなど初期の重巡とは思えないほどの強力な戦闘力を持った艦として生まれ変わったのである。外観の変化では最古参戦艦三段式甲板等には及ばないが*19彼女もかなり無茶な改装をしていたのである。
    • 大阪鉄工桜島造船所での改装中、同所で建造されていた駆潜艇の試運転を古鷹の妖精さんが手伝っている。時期を考えれば第五三号駆潜艇と第四号駆潜艇の可能性が高い。
      後に続く古鷹の面倒見の良さは、この頃から発揮されていた。あんよがじょうず。でも就役したばかりなのに主錨を無くしたりドジっ娘な面もあるのはご愛嬌。
    • 実は三菱長崎造船所で建造中にも佐世保鎮守府から横須賀鎮守府に転籍する樺型駆逐艦松(先代の第七駆逐隊)の回航時に古鷹の妖精さん達が参加している。
  • 大改装工事を受ける前、日本重巡のなかで最も艦齢の古い古鷹と加古を練習巡洋艦に改造する案もあった。
    • この計画は具体的な形で進められたが、なにしろ前述のとおり元が居住性ガン無視のギリギリ設計である。
      航海に不慣れな士官候補生たちの疲労もさることながら、主砲塔を2~3基撤去して候補生用施設を設置したとしても収容能力不足であった。
      しかも、有事には直ちに主砲を復旧して重巡に返り咲くという欲張った考えのため、練習設備には多くの制限が課せられることもあり、
      結局この改造計画は見送られ、専門の練習巡洋艦として型が建造されることになった。*20
  • 自己紹介にある第一次ソロモン海戦では、第八艦隊の中核戦力として米英豪の連合艦隊をどつき回して南方部隊所属の重巡4隻に引導を渡し、被害報告として挙げられるような損傷も受けずに乗り切っている。
    この時特に悲惨だったのが増援として駆けつけた連合国艦隊の北方部隊の重巡「キャンベラ」「クインシー」「ヴィンセンス」で、艦隊旗艦鳥海率いる本隊と交戦中に、炎上中の敵艦目指して突撃してきた*21古鷹率いる分艦隊の強襲を喰らい、両舷方向からフルボッコにされて文字通りの壊滅状態になってしまった。
    • 戦後に太平洋戦史を纏めたS.E.モリソン曰く、『これこそがアメリカ海軍の被った最悪の敗北のひとつである』のだとか。そりゃガダルカナルの美酒がマッハで敗北の苦杯に変わりゃあねぇ。
    • 「輸送船を沈めなかった」と批判されることの多い同海戦であるが、事前偵察及び玉砕したツラギ島守備隊からの報告では「空母1に重巡洋艦4含む20隻以上の艦隊」「戦艦1隻、巡洋艦3隻、駆逐艦15隻」との報告を受けており、実際には空母は1隻どころか機動艦隊としてエンタープライズ、サラトガ、ワスプの3空母が詰めていたことを考えると(海戦時には疲労により一時的に後退していた*22*23)空母による追撃を警戒していた三川司令長官の判断も頷けるだろうが、作戦の真意を理解していなかった三川中将は、戦争の推移的に見てガダルカナルの敵上陸がどのような結果を招くかを熟知していた山本五十六大将から激怒されることになる。
  • 片目がオッドアイで輝いているのは史実(サボ島沖海戦)での最期から。
    五藤少将の戦隊司令部が敵艦を友軍艦と誤認し、集中砲火を浴びて大破、先制攻撃の混乱もあり事前の取り決めから外れ右旋回しながら同航戦状態で炎上する青葉を救援するため、
    青葉が送っていた信号と同じ物を発しながら衣笠初雪とともに事前の取り決め通り左旋回を行っていたのを急遽変更、単身で探照灯を照射しながら敵艦隊の射線上に割り込んだ。これが彼女の運命を決定してしまう。
    • 「探照灯」とは青葉生存者の目撃証言より。その探照灯も敵の砲弾によって破壊されてしまう。中破で左目を閉じるのはそのためかと思われる。
      • 「信号」の情報元が分かる方がいれば、コメント等で指摘して貰えると助かります。
    • 敵艦の砲撃や魚雷の引火による激しい火災に身を染めながらも、青葉を撤退完了させるまで盾の役割を担った。
      短時間の戦闘であり次々と砲塔が使用不能になっていく中であったがその状況下で主砲30発以上を猛射、敵の軽巡「ボイシ」に弾薬庫への直撃*24含む砲弾4発を叩き込むなど猛然と反撃するが、90発にも及ぶ直撃を受けた船体は満身創痍もいいところであり、日付変更直後の0時28分に沈没。旗艦の身代わりとなっての壮絶な最後であった。*25
      • 身を挺して旗艦を庇ったにもかかわらず、宇垣纏中将(聯合艦隊参謀長)曰く「まともに戦ったのは衣笠だけじゃないか
        古鷹さんが吶喊しなかったら旗艦撃沈も大いにありえたんですがそれは……。
        ただし、後日生還した古鷹の艦長荒木伝大佐から実際に話を聞いた宇垣中将は「其の言う処至当(極めて当然)なり」という言葉を残している。
        このとき荒木艦長が述べたのは、「夜戦が失敗したのは事前の偵察が不充分だったから」等ということで、五藤司令官らの責任には一切言及しなかったようである。
        「事前の偵察」とは恐らく同日朝に受け取った味方哨戒機の報告と思われる。それによれば「輸送船・魚雷艇以外の水上艦艇は存在しない」はずだったのだ。
      • 乗員のうち518名は初雪に救助された。その中には修理のため内地に戻る青葉に移乗し、その運航に関わった乗員もいた。
        そして修理中のごく短期間ではあるが、荒木大佐が青葉艦長を務めた(筑摩艦長と兼任)。
      • また、一部の生存者は米軍に救助されたのち、捕虜収容所でフェザーストン事件に遭遇した。詳細はリンク先参照。
      • その他、搭載していた零式水上偵察機が古鷹戦没の翌日のヘンダーソン基地への艦砲射撃の際に衣笠搭載機とともに照明弾を投下し、攻撃目標を示している。これが、古鷹の名が出る最後の作戦行動となった。
      • 古鷹が沈没した時の通信士はその後雪風に配属され、サボ島沖海戦から9ヶ月後のコロンバンガラ島沖海戦で新開発の逆探を操作。米軍の奇襲攻撃を見破って日本海軍の逆転勝利に貢献している。
        この通信士は古鷹で味わった苦い敗北から、敵のレーダー電波を探知する逆探に期待していたと言う*26
        古鷹亡き後も彼女の目は仲間を守り続けた、と考えるのは感傷だろうか。
    • 彼女たちの設計者である平賀譲造船中将は、加古と古鷹の相次ぐ戦没を聞き、我が子を失ったかのように嘆き悲しんだという。
      • 平賀氏はその後体調を崩し、翌年2月17日に愛娘達を追うように亡くなっている。
  • 生涯戦果は重巡洋艦4隻撃沈と軽巡洋艦1隻大破(全て共同、うち重巡「クインシー」に魚雷命中し致命打としている)。数だけでも世界トップレベルの戦果であるが、彼女の場合、開戦から一年でこの記録を叩き出している上相手は全て排水量・火力ともに格上であり、準姉妹艦含め非常に優秀な艦であったことをその戦果を以って証明している。
  • なお彼女はアイアンボトム・サウンドに眠る艦の中ではかなり北西に寄った位置に眠っており、一般的に想像される同海峡*27からは逸脱している。だが結果として海路で北西、つまり日本海軍艦艇が通ったルートでこの地に足を踏み入れる場合、鉄底海峡を切り開いた最初の8隻の1隻である彼女が最初に迎えるというある意味で彼女らしい位置関係となっている*28
    海の円卓を拓き、その円卓を駆け抜け、その円卓に散った時代の先駆者は、今もその円卓で戦った双方の数多の武勲艦たちと共に眠っている。ただし肝心の彼女自身の船体は見つかっていない。海域は水深900m近く、仮に見つかっても直接会いにいくのは非常に難しいであろう。
    • 2019年2月25日、サボ島北西水深1400mの海底にて故ポール・アレン氏の遺志を継ぐ調査チームが古鷹の船体を発見し、同年5月6日にそのことが発表された。奇しくも進水日から丁度94年後である。また貴方か
      その姿は、まるで静かに眠るように横たわっているとの事。身を挺して青葉を守り続けたあの日に重巡洋艦としての彼女は自身の役割を終えたのかもしれない。
  • 艦名の由来となった古鷹山は広島県・江田島の海軍兵学校を見下ろすような位置にあり、海軍の聖地のような山。
    兵学校の行事として古鷹山登山があったほか、休日に自主的に登った者も多かった。在学中に100回以上登ったという広瀬中佐*29をはじめ、多くの海軍士官の心身を鍛えた。
    • 現在も同地には海上自衛隊の術科学校及び幹部候補生学校があるが、古鷹山登山は伝統として残っている。
  • 尚、江田島の酒造場では古鷹の名を冠したお酒を造っている。
    日本全国御当地の山や河川の名前はいくつもの銘酒に使われているのである。
  • ちなみに、呉~江田島(小用港)を結ぶフェリーの一隻が、その名も「古鷹」である。呉や江田島には海軍から現在に至るまでの名跡が多く存在するので、この地に聖地巡礼に訪れた際は使ってみるのも良いだろう。
    その昔、榛名や青葉が力尽きた場所を臨む穏やかな海で、今日も地域の足として頑張り続ける。
    • この他古鷹の名を継いだ艦は、海自黎明期に海上保安庁の航路啓開本部から引き渡された掃海艇「ふるたか(MS-04)」が存在する。
      同艇は元をたどれば日本海軍の第241号駆潜特務艇であり、磁気機雷に反応しない木造艇であったため、掃海艇に転用されたのである。
古鷹の妹たちの行方

:結論から言うと重巡洋艦が残り、軽巡洋艦が消えた。

  • 重巡洋艦の祖としての面ばかりが注目されがちな古鷹ではあるが、長期的に見た場合彼女の存在意義はもっと大きなものとなる。
    短期的に見た場合は青葉型を経て妙高型から始まる本格的な重巡にしか繋がらないが、軍縮条約明けになると「巡洋艦としての古鷹型の後継」ともいえる軽巡の登場とともに日本巡洋艦は再び分化を始めることになる。
    • というのも軍縮条約の期間中、巡洋艦は天龍から始まり準戦艦としての役割に定着した妙高を経て軽巡洋艦として就役した最上に至るまで一本道の進化系でしかなく、特に妙高型以降は巡洋艦よりも巡洋戦艦に近いものになりつつあった*30(それ以外にも巡洋艦は在籍していたがどれも旧式で戦力外状態)。
    • 一方で阿賀野型は妙高型以降の巡洋艦とは明らかに異なる「水雷戦隊旗艦としての巡洋艦」といえる設計であり、最上型などからのフィードバックこそあるがその艦容は「17年の時間を経て軽巡化した青葉型」に近いものである。
    • これらは軍縮による拘束とそれからの開放による部分が大きいがその後の建造計画において両者は共存しており、それぞれ利根及び伊吹型/改阿賀野型、そして大淀型に発展している(この流れに含まれない日本巡洋艦は香取型しかいない)。それらの基礎乃至ベースとなった青葉型を含む古鷹型は重巡だけでなく自身以降のあらゆる新世代日本巡洋艦の基石と言え、彼女ら以降の重巡及び軽巡はそれぞれ「古鷹型重巡洋艦」と「加古型軽巡洋艦」の進化系といえるのではないだろうか。
      • だが、日本側でも後述するアメリカと似たような事情に陥りつつあった。いい例が第二水雷戦隊である。ガダルカナル攻防戦以降、軽巡洋艦は「重巡に比べて防御力がない」「駆逐艦ほど小回りが利かない」ということで、一部の任務や水雷戦隊旗艦として使用されていた軽巡が戦没していた時には駆逐艦を代理旗艦とすることもあった。代表的な例がルンガ沖夜戦の際の長波である。また駆逐艦の中では比較的大きい島風や対空能力の高い秋月型が就くことも多かった。
        これには日本海軍の軽巡洋艦が(最上型・利根型で軽巡の枠を使い切ってしまったために)旧式で対空能力の低い5,500トン型から更新が進んでいなかったこともある。
        鼠輸送の輸送隊などで用いられることはなかったものの、軽巡自体はソロモン海戦など多くの海戦に投入されており、哨戒や輸送など様々な任務に用いられている。
        アメリカ海軍でもオマハ級が大西洋に回されたのは旧式化していたことが大きい。後継で防空艦を兼任するアトランタ級は太平洋に優先的に配備され、ブルックリン級も「ボイシ」「ナッシュビル」「フェニックス」「ホノルル」など、半数以上が太平洋で活動している。
    • また、巡洋艦ではないが龍驤の船体は青葉型のものを手直しした古鷹の系譜にあるものである。小さい小さい言われる彼女であるが実は古鷹直系の船体を使った5隻の中では一番排水量が大きかったりする。でも胸部装甲は一番薄い。
  • だが、言うまでもなく日本巡洋艦の直接の系譜はここで途絶える。
自由の国の妹たち
  • 一方、古鷹の設計思想を間接に直接に多分に受け継いだのがアメリカ巡洋艦である。
    アメリカは重巡洋艦でピラミッド配置の砲塔配置をよしとせず、古鷹をカウンターパートとして誕生したペンサコラ級以降、青葉型・改装後の古鷹型と同じ主砲配置をとり、砲門の増加は3連装砲塔の採用で補った。
    • とされるが、ペンサコラ級は砲塔は合計4基であり、青葉型・改装後の古鷹型とは違う砲塔配置である。就役時期も青葉どころか妙高より遅いほどであり排水量や砲門数を考えても古鷹の世代とは異なる、言うなれば第二世代重巡といえる性能に仕上がっている。
  • 後に登場する最上型軽巡洋艦の登場は列強各国の海軍に大きな影響を与えた。重巡規模の船体に多数の6インチ砲という構成はどう見ても既存の軽巡よりもオーバースペックだからである(当たり前だ*31)。
    そこで対抗するためブルックリン級の建造に乗り出すのだが、最上の砲塔配置にはペンサコラ・シルエットではどうにもならず、米軍もピラミッド配置の前部主砲を採用するに至る。
  • 日本が最上型・利根型を特異点として阿賀野型では5,500トン型の設計思想に回帰したのに対し*32、ブルックリン級以降のアメリカ軽巡洋艦は“準重巡洋艦”となった。クリーブランド級はついに妙高型に迫る巨体になった。*33
    • こうして生まれたブルックリン級、およびクリーブランド級は実に30隻以上が量産され、その性能も高い砲撃力と対空力、日本重巡と同等以上の防御力を併せ持つ正に万能艦と言えるものに仕上がっていた。(それにしても数が多すぎであるが)建造されたこれらの艦は砲戦や防空、火力支援など様々な任務に投入された。
    • そして戦後、アメリカ海軍はカテゴリーCLを廃止した。以降、ミサイル巡洋艦時代が到来するまで、アメリカ海軍の巡洋艦の系譜はボルチモア級やクリーブランド級の系譜に連なる。
  • つまり、古鷹型から直撃したペンサコラの妹たちが生き残り、最上型を経由したブルックリン級の系譜は途絶えたというか、ミサイル巡洋艦に収束した。
    • 実際条約下における重巡の代替でしかなく、どの用途にも中途半端なブルックリン級は戦後すぐ軒並み退役となり、解体もしくは南米のチリ・ブラジル・アルゼンチンに売却された*34
      また、ブルックリン級を改良したクリーブランド級もミサイル巡洋艦や試験艦へと改装された艦を除けばほぼ戦後すぐに退役となった。
    • ニューオリンズ級などの条約型重巡も戦後すぐに退役しており、ボルチモア級もミサイル巡洋艦などに改装された艦以外は1960年代までに殆どが退役している。
  • 戦後は駆逐艦の大型化が著しく、スプルーアンス級では5,500トン型軽巡並みの大きさになり、アーレイ・バーク級*35ではとうとう古鷹型とほぼ同じ規模になった*36
    • 現在艤装中のズムウォルトに至っては、排水量でボルチモア級に匹敵、多数のミサイルランチャーの横には、かつての条約形軽巡と同じ155mm砲が2門聳え立つという、もはや「駆逐艦?」というべきレベルの船に仕上がっている。
      とはいうものの、現代の駆逐艦は日本のも含めて殆どが単艦での長期遠洋航海行動に耐えうる設計となっているため、巡洋艦というジャンルがそのまま駆逐艦に集約された、という見方もできる。
  • ペンサコラもまた古鷹に負けず劣らずの苦労人であった。
    ルンガ沖夜戦では瀕死の重傷を負って辛くも沈没から逃れ*37、第一次ギルバート諸島沖航空戦では護衛するインディペンデンスを傷つけられた。硫黄島の戦いでは護衛していた給油艦を潜水艦の攻撃*38で失っている。
    • 加古の後を追った古鷹と違い、ペンサコラは妹ソルトレイクシティ*39とともに大戦を生き残った。歴戦のペンサコラ級の2隻は最後の務めとしてビキニ環礁のクロスロード作戦に参加する事となる。
      • しかしペンサコラ級の姉妹は損傷こそしたものの沈まなかった。あの多くの艦を焼いた業火から生き延びたのである。
      • 最後の任務から帰還した姉妹は、放射線が艦に与える影響等を調査され、1948年に標的艦として海没処分された(ペンサコラは11月、ソルトレイクシティは6月)。
  • そして古鷹を撃沈した一隻であるブルックリン級軽巡ボイシ(CL-47)もまた数奇な運命を辿った。
    • 戦後に姉妹艦フェニックスと共にアルゼンチンに売却された彼女はヌエベ・デ・フリオ(7月9日・アルゼンチンの独立記念日)と改名され、1955年のクーデターでは自国施設を砲撃している。
      その後も幾度となく任務をこなし、フェニックス改めヘネラル・ベルグラノと共に1978年に退役するまで同海軍の象徴として君臨し続けた。
    • 退役後もアルゼンチンの地に留まっていたヌエベ・デ・フリオだが、ついに1983年に解体が決定し、かつての仇敵であった日本の地でその生涯を終えたのだった。
      • 因みにその1年前の1982年、フォークランド紛争の最中にヘネラル・ベルグラノは英国原潜コンカラーの雷撃により沈没している。
じゃあイギリスは?
  • 日米に遅れて重巡洋艦の整備に着手し始め、植民地への通商路保護とその間の居住性確保のために排水量に比して大型の船体を持つ重巡洋艦グループたるカウンティ級*40の建造に踏み切ったイギリス。だがその設計思想は日米の巡洋艦とは異なるものであった。
    • 弾薬庫だけは111mmの装甲ボックスで固めていたものの、これを大型の船体全体に施しては排水量が超過してしまうのでそれ以外は25mmの超軽装甲で済ませている。これでは駆逐艦の砲撃くらいしか防げない。これをどうにかしようと大戦中に114mmの装甲を追加したら今度は凌波性と速度が悪化した上に乾舷も下がって先輩と同じく水族館状態に。
      ただし排水量に比して艦体が大きいために予備浮力が大きく、攻撃が入る割にはなかなか沈まないタフな艦であった。実戦において上記の機関部の装甲が問題になる事はなく、数多くの武勲艦を輩出しているクラスでもある。例えるならば北斗の拳のハート様か。
    • このような割り切った防御構造に踏み切ったのは条約を遵守しつつ高い航洋性を目指した結果であった。十分な装甲を施した日本の巡洋艦は条約で定められた排水量をたびたび違反超過してしまっている。
    • 後続に防御をまともにしつつ安上がりにするため主砲塔をカウンティ級から1基削減して小型化したヨーク級の建造に踏み切ったものの、性能が古鷹型とどっこいどっこいになってしまった上に1割程度しか節約にならず。
      イギリスは二番艦であるエクセターを最後に、旧式化した軽巡洋艦の更新の必要などから軽巡洋艦に傾注。そのうち重巡よりイギリスの巡洋艦運用にマッチしている「超軽巡」が出現し、最終的に軽巡洋艦に一本化してしまった*41
      • イギリスが8インチ砲艦を作らなくなったのは用兵的に不要だったからではなく、後述の様に条約で新しく作れなくなったために6インチ砲艦を整備するしかなかったという点も大きい(実際条約明けを睨んで重巡の設計自体は続けていたし……)*42
      • またイギリス海軍にとって第一次大戦後初の軽巡であるリアンダー級はエクセターをベースに設計されており、その系譜はリアンダー級の縮小型であるアリシューザ級や防空巡洋艦であるダイドー級に引き継がれていった。
  • イギリスの巡洋艦運用思想は日米のような単純な艦隊決戦戦力以外に、「有事に際して素早く現場に展開できる、そこそこ有力な即応警邏戦力」としての性格も強かったため、そのニーズに応じた結果質より量の政策を取ることとなったと言える。その特性はシュペー追撃戦やビスマルク追撃戦、北岬沖海戦などドイツ海軍との重要な戦闘で遺憾なく発揮され、カタログスペックでは劣るものの実戦において有効な重巡洋艦戦力を揃えていたと言えよう。
    なお本来の巡洋艦の使い方としてはイギリスの使用法が正しく、日本やアメリカの巡洋艦設計の方が異端とも言えた。
  • ちなみに日本重巡の運用思想はかの変態英国海軍提督ジョン・アーバスノット・フィッシャー海軍卿が当初提唱していた巡洋戦艦…もとい戦闘巡洋艦*43の運用思想そっくりだったりする。氏が日本重巡の戦果を見たらどう思うのだろうか。


  • また「世界最古の重巡」ホーキンス級については、いずれも数奇な運命をたどることになった。
  • 1番艦として建造されていたキャベンディッシュは建造中に航空母艦に設計変更され、艦名がヴィンディクティヴとなった(これにより2番艦だったホーキンスがネームシップに)。
    • 竣工時の姿はフューリアス同様艦橋の前後に飛行甲板がある状態であり、フューリアス共々航空機運用における重要な情報(全通甲板の必要性など)を提供した。
    • そして1924年には再改造され、他の姉妹同様7.5インチ砲搭載の巡洋艦に戻されたが、軍縮条約後の36年には4.7インチ砲を搭載した練習艦となり、39年に戦争が始まると工作艦に改装され、その状態で戦争を生き延び余生を送った。
  • 3番艦のローリーは竣工からわずか1年で難破、座礁し失われた(1922年解体)。
  • 実はローリー以外の4隻については搭載砲を7.5インチ単装砲7基からヨーク級同様の8インチ連装砲3基に直す案(つまり古鷹のような改装案)があった。
    • 改装が検討された理由は人力装填に起因する7.5インチ砲の発射速度の遅さで、これは7.9インチ砲弾を人力装填していた古鷹でも悩まされていたことなのは上記の通り。
    • だが弾薬庫の問題*44や改装費用の問題からカウンティ級の就役が優先され没になっている*45
  • そしてホーキンス級4隻の運命を大きく変えることになる出来事こそ、他ならぬ重巡の枠組みを定義したロンドン海軍軍縮条約だった。
    • 6.1インチを超える7.5インチ砲を搭載していたホーキンス級の姉妹達は、重巡(カテゴリーA)に分類された。
      • これによって困ってしまったのはイギリス海軍だった。何せ14万6800トンの重巡枠のおよそ4分の1を他国に劣る(しかも旧式の)7.5インチ砲艦で占められてしまったのだ。
      • そこでイギリス海軍はホーキンス級4隻の主砲をリアンダー級と同等の6インチ連装砲4基に変更&近代化改装することで重巡から軽巡に「降格」して枠を空け、空いた枠で8インチ砲艦を新造することを目論んだ。
      • だが最終的にホーキンス級の4隻が重巡枠に入ることが確定してしまい、空いた枠で新造艦を作る計画は頓挫。枠を空ける意味もなくなったため軽巡改装案も破棄される。
    • 古鷹のような近代的重巡に生まれ変わることができず、さりとて6インチ砲を積んだ軽巡として新たな道を歩むこともできなかったホーキンス級は、不遇な立ち位置になってしまったことは否めない。
      • その後ヴィンディクティヴとエッフィンガムは練習艦となり、ホーキンス、フロビッシャーも練習艦にすべく武装が撤去された。
  • だが工作艦となったヴィンディクティヴを除く3隻(ホーキンス、エッフィンガム、フロビッシャー)は、戦争開始によって巡洋艦の頭数が必要となったことで再び巡洋艦として活用されることになる。
    • エッフィンガムは6インチ単装砲*469基を積んだ「軽巡洋艦」として再武装され、ホーキンス、フロビッシャーは元の7.5インチ砲艦に戻された。この時高角砲や機銃が新調され、それなりの対空火力も手に入れている(後期にはレーダーも追加)。
    • これら3隻は砲火力や対空火力を生かして船団防衛に従事し、ノルウェーの戦いでエッフィンガムが失われたものの、ホーキンスとフロビッシャーはノルマンディー上陸作戦の支援に参加しつつ戦争を生き延び、そして波乱に満ちた生涯を終えたのだった。
フフッ、さすがライミーは体を張った Witz が得意ね!! 我が国のアドミラル・ヒッパー級の洗練された姿を見なさい!!

:そもそも何で欲しがったの?

  • ナチス政権下のドイツも1934年に重巡洋艦の計画を始める。それがアドミラル・ヒッパー級である。
    20.3cm砲連装4基8門装備で、シャルンホルスト級、ドイッチュラント級の建造経験を経ての設計だったため、設計自体はビスマルクより洗練され、まとまった艦である。
    • ところがここに問題があった。ヒッパー級はまるっきり日本重巡そっくりの艦隊型巡洋艦だったのである。
      WWII勃発時、ドイツ海軍はまとまった戦力を整えることができず、結局通商破壊に終始するが、ヒッパー級は航続力が劣ったためシャルンホルスト級やドイッチュラント級と共同作戦ができなかった。
      たとえ大洋艦隊の再建が間に合ったとしても、ビスマルクの足を引っ張ったであろうことは想像に難くない。(当初想定された戦場、バルト海や北海、大西洋での運用に限ればビスマルクなどの足は引っ張らなかったのではという意見もある。)
    • そもそも、ロンドン条約に参加していないドイツが8インチ砲を上限とする、まるっきり条約型巡洋艦でしかないヒッパー級を建造したことが不自然なんである。確かにイギリスに通告する必要があったとはいえ、だいたいが排水量の方は4,000トンも誤魔化していたのに主砲口径を少しデカくしたぐらいでなんのことやら。
      しかも起工した翌年には軍備上の制約はすべてヒトラーがちゃぶ台返ししてしまうのである。(アドミラル・ヒッパー級はフランスなどの条約型巡洋艦に対抗できる艦として計画されたとされる。)フランスの重巡洋艦の装甲が比較的薄いことは秘密だ。
    • このため、数々の武勇伝を残す艦が多い第三帝国期のクリーグスマリーネの中で、3隻だけ完成したこの重巡洋艦の評価は、一等低い。
      • ただし1番艦の「アドミラル・ヒッパー」、3番艦の「プリンツ・オイゲン」はともに通商破壊戦や船団襲撃などで活躍はしており、特にオイゲンはライン演習作戦やチャンネル・ダッシュに参加、東部戦線での陸軍支援で相当な功績を残した武勲艦である。また終戦まで生き延びた幸運艦でもあり、核の炎にも耐えた。最期は曳航中に座礁、転覆した。味方に突っ込んで危うく引きちぎりかけた挙句14時間近く食い込んだままだったりドジもしているが
        2番艦「ブリュッヒャー」?4番艦以降?聞くな*47
博愛の国の重巡達
  • ワシントン海軍条約後、各国が条約上限ギリギリを攻める巡洋艦(いわば重巡洋艦)を作っている最中、フランス海軍も同様に重巡の建造に踏み切った。
  • そして最初に建造したのはデュケーヌ級であったが、初挑戦の重巡ということもあり課題は多々あった。
    • 特に問題だったのは防御力で、条約内の排水量に収めつつ速力33ノットを達成しようとした結果、甲板装甲30mm、舷側装甲は弾薬庫・舵機室のみ30mmの装甲板で囲う*48だけと、まさに紙を通り越して無装甲としか言いようがない脆さになってしまった(装甲配置図)。
    • ただし機関はシフト配置を採用し生存性を高める工夫はされていた。
  • 装甲の薄さはフランス海軍内部でも問題視されており、次に建造したシュフラン級では舷側装甲50~60mm、甲板装甲30mmとそれなりの装甲が用意され、デュケーヌ級同様シフト配置により生存性向上を狙った。
    • 装甲重量の捻出のために機関が削減され(12万→9万馬力)、その結果速力はデュケーヌ級の33ノットから2ノット低下し31ノットとなった。
    • シュフラン級は年1隻ずつ建造され、防御力の弱さを改善するために後の艦ほど改正がなされており、同型艦であるにもかかわらず防御力や設備に差が生じている。
  • そして最後に建造されたアルジェリーは、イタリア海軍のザラ級に対抗するために建造された。
    • ザラ級への対抗から、防御へは細心の注意が払われた。
    • 全溶接構造の採用と船殻重量・機関部重量の削減によって捻出した2,600tの装甲重量をフル活用し、結果舷側装甲120mm、主甲板装甲80mmとそれまでのフランス重巡どころか条約型重巡随一の防御力を有するに至った。
      • シュフラン級から更に機関出力が落とされた(9万→8万4千馬力)ものの、同時に船体形状を改善したことで速力も最高で32.9ノットを記録、また航続距離も前級の4,600海里から8,500海里まで大幅に伸びた。
      • 一方で機関重量削減のため、それまで続いてきたシフト配置は廃止した。

  • まさに攻・防・速を兼ね備えたフランス重巡の集大成として生まれたアルジェリーであったが、彼女の運命は2つに割れた祖国の運命に翻弄された。
    • フランス降伏後、連合軍に鹵獲されたデュケーヌ級2隻(デュケーヌ、トゥールヴィル)とシュフランが自由フランスに所属したのに対し、アルジェリーと残りのシュフラン級(コルベール、フォッシュ、デュプレクス)はヴィシー・フランス側となった。
    • だが1942年11月27日のトゥーロン港へのドイツ軍侵攻に伴い、鹵獲を防ぐためにあの水母やシュフランの妹達含む他のヴィシー・フランス所属の艦艇と共に自沈。その生涯を終えた。
      • 爆破されたアルジェリーの船体は20日間燃え続けたという。
      • その後43年3月18日にイタリア海軍によって一部が浮揚されたが、残りの部分は1944年3月7日に再び爆撃され沈められた。
    • 失敗作とされたデュケーヌ級2隻が、自由フランス軍に所属し終戦まで生き延びたのは運命のいたずらとしか言いようがない。
    • アルジェリーの拡大発展型として20.3cm三連装砲を搭載したサン・ルイ級が1939年に計画されたが、フランス降伏により幻に終わった。
パスタの国の重巡達
  • 第一次大戦後、最大の敵であったオーストリア=ハンガリー帝国海軍が解体され、イタリアの仮想敵はもう一つの隣接国であるフランス海軍となった。
    • 戦間期のイタリア海軍艦の設計思想は、概ねこのフランス海軍に対抗するためにあったといっても過言ではない。
  • 1920年代後半のフランス海軍はデュケーヌ級重巡の他、当時高速かつ軽巡並みの砲力を持つ大型駆逐艦*49を次々と就役させており、イタリア海軍はこれらに対抗すべく6インチ砲を搭載したコンドッティエリ型軽巡洋艦*50を整備していた。
    • そしてコンドッティエリ型軽巡に加え、条約ぎりぎりの砲口径である8インチ砲を搭載した重巡として建造されたのがトレント級である。
      • トレント級は大型駆逐艦に対抗する速力を確保した一方で、舷側装甲70mm、主甲板装甲50mmとやや控えめになっていた。
      • 仮想敵である大型駆逐艦やデュケーヌ級は総じて軽装甲であり、やられる前にやるという分かりやすい設計思想であった。
    • だがフランス海軍は装甲の薄さを改善したシュフラン級も建造しており、砲撃戦になった場合装甲の薄いトレント級では不利になるのではないかという懸念が生じた。
      • そこで機関を削減して雷装を廃止し、舷側装甲を100~150mm、主甲板装甲70mmに増強したザラ級が建造されることになる。
    • トレント級が高速でザラ級が低速とされることが多いが、戦闘時の速力はトレント級が31ノット*51に対しザラ級が30~31ノット*52と大差ない。
      • 試験時の速力もトレント級が35.6ノットに対しザラ級が35.2ノットと大差ない。ただ機関出力はトレント級が15万馬力に対しザラ級は9万5千馬力と大きく差があった。

  • こうして計6隻の重巡を揃えご満悦のイタリア海軍であったが、ある事件が起こる。
    • 戦艦ジュリオ・チェザーレの長期改装に伴い空席となった主力艦隊旗艦の座にポーラを一時的に置くことになったのである。
      • 末っ子であったポーラは他の姉妹艦と異なり戦隊旗艦設備を有していたため、このような形で配置転換となった。
    • このことがイタリアが重巡戦隊を3隻2組の形とし、ザラ級よりもむしろトレント級に近いボルツァーノが建造された理由と言われている(ポーラを抜いたザラ級3隻と、トレント級2隻+ボルツァーノでちょうど2戦隊になる)。
      • だが一方で「7番目の重巡」ボルツァーノの建造については、それまで重巡建造から除け者にされていたアンサルド社*53の強いロビー活動があったためとも言われている*54
      • また防御に優れたシュフラン級を憂慮してザラ級を整備したイタリア海軍であったが、司令部の間には依然として「速度は防御より重要」という考えが罷り通っており、
        その結果ボルツァーノはザラ級を踏まえた改良点*55を取り入れつつ、トレント級に準拠した低防御艦(舷側装甲70mm、主甲板装甲50mm)になってしまった。
        装甲を削り、出力をトレント級と同等に戻して速力を33ノット*56としたものの、削った防御を補っているとは言い難く、艦隊の船乗りからは「見事に成功した過ち*57」と揶揄された。
遅れて来た赤い妹と革新者になり損ねたお寝坊さん
  • 第二次世界大戦期は目立たなかったが、アメリカ重巡同様、戦後の巡洋艦の設計・運用思想として古鷹を継いだ存在に赤い妹ソ連赤色海軍巡洋艦キーロフ級が存在する。
    • キーロフ級はイタリア軽巡ライモンド・モンテクッコリ級を叩き台とし、ソ連初の近代巡洋艦として設計が進められた。
      つまり、他の重巡同様キーロフもまた計画段階では15.2cm砲を搭載した軽巡洋艦だった。これにはソ連自身は海軍軍縮条約に参加していないものの、ソ連の国際的地位を考えて条約型の枠内にとどめるという配慮*58があった。*59
    • ところがいざ15.2cm砲を探してみると、開発年次が1906年と言う、ソ連の水準で見てもギャグのような存在しかなかった。極東の海軍は同じ時期の砲最新鋭軽巡に搭載していたりするのだが。
      結局、条約締結国におけるカテゴリーBを逸脱することを承知で、帝政ロシア時代に発注された前条約時代の軽巡洋艦「クラースヌィイ・カフカース」に搭載されていた60口径18cm砲を3連装として搭載することになった。(ただし同一砲架に3門全てを載せているため3門同時射撃しか出来ず、また狭い砲間隔から砲弾同士が干渉し散布界が広いという欠点があった。)
    • この軽巡洋艦をはるかに逸脱する重火力のため、キーロフ級はジェーン海軍年鑑など世界的にはカテゴリーA(重巡洋艦)とされることになった。
      なおソ連海軍には「重巡洋艦」「軽巡洋艦」のカテゴリー区分が正式に存在したことはないようである。
      • ちなみにこの「クラースヌィイ・カフカース」、実は重巡洋艦の初代になり損ねた艦だったりする。
        というのもこの艦、ロシア内戦で工事が先延ばしされた際に13cm砲13門から中口径砲4門への改造が行われることになったのだがその計画ではヴィッカーズ社製20.3cm砲(しかも短砲身ではなく50口径の長砲身)が採用される予定だったのである。採用こそ1905年と古いもののその性能は重巡のそれと遜色なく、さらに戦艦の中間砲や装甲巡洋艦の主砲として運用された信頼性の高い砲であった。
        が、造船局から「砲が大きすぎるだろ」というツッコミを入れられ、新設計の60口径18cm砲を搭載することになってしまった。しかし新しい砲は優秀な砲であり、同規模の古鷹程ではないとはいえ強力な巡洋艦として就役している。惜しむらくは就役が条約型重巡が跋扈し始めた1932年進水から16年ロシア内戦終結から10年とあまりに遅すぎたことであろう。彼女が眠っている合間に世界は一変してしまっていたのである。
    • ただし、スペイン内戦中に地中海で反政府派海軍が暴れてその被害を被ったため、これに対処する高速軽巡が必要とされ、後に主砲も新たに設計しカテゴリーB相当の高速巡洋艦チェパエフ級、戦後の1950年代になってその改良型のスヴェルドロフ級が建造されている。
      • 現在、スヴェルドロフ級の一隻であるミハイル・クトゥーゾフが黒海のノヴォロシースクにて保存されている。
        またそれ以外にも同級の最終艦ムルマンスクが解体曳航中に座礁し、近年までノルウェーの海岸に放置されていたのが有名である。
  • 戦間期のロシア・ソ連巡洋艦の特徴として、舷側に並んだ単装高角砲があるが、キーロフ級もこれを踏襲し、原型にはない新装備として追加された。
    この結果3連装砲塔3基に多数の高角砲と、キーロフ級は他国の条約型重巡と比しても非常にまとまった巡洋艦となった。
    準同型艦のマクシム・ゴーリキー級と合わせて6隻が建造されたが、ソ連唯一の超弩級戦艦「ソヴィエツキー・ソユーズ」が未完のまま大戦が終結しキャンセルされたため、第二次世界大戦時のソ連を代表する軍艦となった。
  • さて重巡洋艦を保有したソ連は、戦後になってさらに航空巡洋艦も建造する。キエフ級である。
    しかしこれは最上のような水上機や、それに代わる存在であるヘリコプターの運用を前提としたものではなく……
    簡単に言うとミサイル巡洋艦の片舷に飛行甲板の"棚"を作りつけた構造と言うような姿をしていた。
    • この為西側の人間は「巡洋艦と言うには余りに常識外れで、さりとて空母と言うには火砲やミサイルの装備が過剰、戦艦と言うほどでもないし……」というキエフ級の扱いに未だに頭をひねっている。
    • とは言え、空母としては普通のCTOL戦闘機が運用できたわけではなく、能力的にも制限のあるVTOL戦闘攻撃機Yak-38の運用に特化していた。
    • 古鷹と最上と龍驤を足して1.8くらいで割っちゃったキエフ級は、その見た目の特異さとは裏腹に能力そのものは西側でも認められるところであった。しかし、その末路はどの子孫たちよりも屈辱的なものであった。
      • ソ連崩壊後の経済的混乱から、外貨獲得のために1番艦「キエフ」、2番艦「ミンスク」は中華人民共和国に売却された。しかしそこでの任務とは、軍艦ではなく、テーマパークの施設だったのである……
      • 逆に未成のまま消えゆくかと思われた4番艦「バクー」はインド海軍に売却、全通甲板のCTOL軽空母「ヴィクラマーディティヤ」として2014年に完成、姉たちをテーマパークにしやがったアホな連中に目を光らせている。
  • 古鷹に直接関係のあるものではないが、日露戦争時に編成された初代第六戦隊(艦これで有名な第六戦隊は六代目にあたる)に所属していた防護巡洋艦「和泉」*60は世界初の防護巡洋艦として有名である。
    • 防護巡洋艦とは機関部のみに装甲を施し石炭庫を舷側防御の代替とした巡洋艦の一形態であり、軽巡洋艦の前段階に当たる。ロンドン条約以前の軽巡洋艦を重巡洋艦の前世代と定義するならば重巡の二世代前の巡洋艦であり、言うなれば和泉は古鷹のお婆ちゃんのようなものである。
    • 六代目と同じく旧式巡洋艦によって編成されていた初代であったが日本海海戦においてはバルチック艦隊との7時間に渡る接触と連合艦隊への通報*61という重要な役目を果たし、同海戦の勝利に重要な貢献を果たしている。
      凱旋編成では第六駆逐隊(こちらも初代。春風初雪時雨初春の4隻。当然ながら艦これに実装されている艦ではなく、いずれも"初代"神風型駆逐艦。)*62を指揮下に加えている。何でこうも6が多いんだ…
  • 進水式を誕生日とするならば、古鷹の誕生花はカランコエ
    花言葉は「幸福を告げる」「あなたを守る」「おおらかな心」「たくさんの小さな思い出」
    • その他にラナンキュラス(「とても魅力的」「晴れやかな魅力」「光輝を放つ」「美しい人格」)、ユッカ(「すべてを持つ」「勇壮」)、バラ(「愛」「美」、さらに色や本数によって膨大な数)と彼女らしいものが並ぶ

この艦娘についてのコメント

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 鎮守府調査隊、重巡洋艦のいいところを話そうとして断られたとこの古鷹かわいい・・・ -- 2019-05-17 (金) 22:33:27
  • 母港で「また提督でしたか」で済ませるとか、提督に対してお人好しすぎるだろ…今更な人には今更なんだろうけど。 -- 2019-05-23 (木) 00:18:52
  • 何回も出てきてタシュ堀の邪魔するのやめてください -- 2019-06-24 (月) 00:29:07
    • 素晴らしく運が無いな、君は(CV:秋元羊介) -- 2019-06-24 (月) 18:37:34
  • ペンサコラに言及してるところ「クロスーロド作戦」になってるよ -- 2019-07-30 (火) 07:34:23
    • クロスロードに修正しました(1個前の修正者さんの誤字っぽい)。今月ちょいちょい小ネタの修正が入ってるみたいだけど、その辺の真偽はさっぱりなので気になる人はチェックよろしくです。 -- 2019-07-31 (水) 08:00:06
  • 古鷹がいたら飯何杯でも食える -- 2019-07-30 (火) 22:21:08
    • 節子、それ古鷹やない。ふりかけや -- 2019-07-31 (水) 08:03:45
      • いや、古鷹という名の料理かも知れんぞ? -- 2019-07-31 (水) 19:07:16
      • 重巡古鷹の料理は実在する。イカのけんちん蒸し蒸しサバの三杯酢、他にも有るかも。 -- 2019-07-31 (水) 19:33:13
      • もう一つ有った、海老カレー。 あと呉に鉄板焼き 古鷹ってお店も有るし確かに飯が進むね。(マジボケ) -- 2019-07-31 (水) 19:42:16
  • 俺はどうして今まで古鷹を使ってなかったんだ。わけがわからないよ。本当に天使じゃないか。 -- 2019-08-29 (木) 13:14:40
  • 浴衣ボイスのところを更新しました!今まで提督にはっきりとした恋愛感情みたいなものを見せてこなかった古鷹がこのセリフを言うとは・・・! -- 2019-09-12 (木) 03:56:01
  • あれ?この子って重巡だったんだ。なぜか軽巡だと思い込んでた。 -- 2019-11-27 (水) 12:11:28
  • 古鷹さん、新年あけましておめでとう。今年もお世話になります -- 2020-01-01 (水) 16:16:23
  • バレンタイングラくっそ可愛いな さすがわいの嫁だ -- 2020-02-11 (火) 00:04:02
    • 不意に出てきてドキッとしたぜ -- 2020-02-13 (木) 00:52:54
  • 「ちょお待てや『不足を感じるような大きさ』いうのはなんやねん」と、どこぞの軽空母さんが宣っておられるが… -- 2020-02-18 (火) 15:47:43
  • 進水日おめでとう古鷹 -- 2020-02-25 (火) 01:09:18
    • 「提督、今年もこの日を迎えられて、古鷹嬉しいです」 -- 2020-02-25 (火) 06:02:26
  • 古鷹型・青葉型・(中略)各艦の能力が上方微修正され…ってまた強化されたんか古鷹さん! 何回目だ…? -- 2020-03-27 (金) 23:01:26
  • ついに古鷹がLv99になりケッコン出来たので記念に。 初心者や消費資材を抑えたい人はぜひ古鷹型を育ててみて下さい。昼夜戦ともに火力は申し分ないのに燃費がとても良く、周回や海域攻略にも使えるので。あと笑顔が凄く天使..可愛い。 -- 2020-04-28 (火) 02:08:05
  • ついに古鷹がLv99になりケッコン出来たので記念に。 初心者や消費資材を抑えたい人はぜひ古鷹型を育ててみて下さい。昼夜戦ともに火力は申し分ないのに燃費がとても良く、周回や海域攻略にも使えるので。あと笑顔が凄く可愛い..天使。 -- 2020-04-28 (火) 02:09:05
    • すいません間違えて2つ挿入してしまいました。ごめんなさい。 1度挿入したコメントって消せないのでしょうか?方法がありましたら教えて下さい。 -- 2020-04-28 (火) 04:17:12
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 古鷹 古鷹改二

古鷹の改二をどんな気持ちで、どれだけ待っていましたか? 

  • 荒れる原因になるような選択肢は削除されることがあります。ご注意ください。
    選択肢 得票数 得票率 投票
    「提督、慌てないで」と言われたので、まったりと 749 25.9%
    とんでもねぇ、待ってたんだ 505 17.4%
    気に留めてなかったけど、改二で掌返しました(土下座) 278 9.6%
    いつか天使が光臨してくれると信じて。光臨したのは大天使だった 150 5.2%
    縁側で古鷹とお茶飲みながら 117 4.0%
    1年以上 106 3.7%
    この気持ち、まさしく愛だ!! 95 3.3%
    一目見たその時から 77 2.7%
    縁側で古鷹と綾鷹飲みながら 51 1.8%
    古鷹が天使だと気づいた時から 48 1.7%
    特に待っていなかったがあまりにも変わりように 47 1.6%
    1億と2千年前から 42 1.5%
    古鷹の史実最後の話を知ってから 40 1.4%
    艦これを続けていれば会えると信じて 39 1.3%
    待ちに待った時が来たのだ。ソロモンよ!私は帰ってきた! 34 1.2%
    例え改二が来なくても使い続けていた 31 1.1%
    うちの古鷹知りませんか? 29 1.0%
    既に諦めてて、せめて追加ボイスだけでもと願ってた 26 0.9%
    左目が疼き始めた時から 24 0.8%
    着任したら実装されてた 22 0.8%
    8千年過ぎた頃からもっと恋しくなって 20 0.7%
    僕の(ゲットじた重巡の)初めての艦(ひと)なんです。 20 0.7%
    まあ、そうなるな 18 0.6%
    木曽の雷巡化を見てから期待してた 16 0.6%
    選ばれたのは、古鷹です 15 0.5%
    必要ない 14 0.5%
    こんなにも長く時間がかかってしまった… 12 0.4%
    スケベティック 12 0.4%
    結婚してください 12 0.4%
    クエ消化の為 10 0.3%
    初めての建造でお迎えしてから 10 0.3%
    古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹 10 0.3%
    左目の光を浴びたときから・・・イエスマイロード 10 0.3%
    選ばれたのは古鷹でした 10 0.3%
    古鷹山を仰ぎつつ 9 0.3%
    生まれる前から 9 0.3%
    衣笠さんが改弐になたときから 9 0.3%
    NKT... 8 0.3%
    まあ、そうなるな(黒インナー仲間的な意味で) 8 0.3%
    フルタカエル降臨は聖書にも書き示されてるから 8 0.3%
    8千年過ぎたころからもっと恋しくなった 1億と2千年あとも 7 0.2%
    いつか第六戦隊任務やるんだ…そしてずっと母港の片隅にいた 7 0.2%
    なんという僥倖!生き恥を晒した甲斐があったというもの! 7 0.2%
    全世界の神と仏に祈ってました 7 0.2%
    待ってない 7 0.2%
    (性格が)天使だなって思ってたら(容姿も)天使になって舞い降りた 6 0.2%
    嫁だ!!!!!!!!!!!!! 6 0.2%
    強靭!無敵!最強! 6 0.2%
    2013年の4月から 5 0.2%
    もっとだ!!もっと!!もっと輝けぇーーーーーーー!!! 5 0.2%
    ロリに目覚めた時から 5 0.2%
    南瓜とるてさんの古鷹を見てから 5 0.2%
    FA古鷹ZZの画像を見たときから 4 0.1%
    一億年と二千年前からあっいっしってっる~ぅうううう! 4 0.1%
    放置ボイスがアホの子っぽくて可愛いと感じた時から 4 0.1%
    東京が死んで僕が生まれた時から 4 0.1%
    生命が始まった時すでに古鷹改二は確定していた 4 0.1%
    逆にもっと待ちたかった 4 0.1%
    選ばれたのは、古鷹でした。 4 0.1%
    ★ゲッタン★ 3 0.1%
    これが重巡洋艦なんですよ 3 0.1%
    古鷹がまず出ない 3 0.1%
    古鷹さんかわいいはコモンセンスだよね 3 0.1%
    古鷹はデマゴーグに負けないと信じて 3 0.1%
    悪く無さそうだし探しにいこうか 3 0.1%
    旗艦を庇うシステムが導入されてから 3 0.1%
    洗練されたその黒インナーをもっと愛でたい気持ちで、1年間も 3 0.1%
    禁断の古鷹実を齧った時から 3 0.1%
    この世が始まったときから 2 0.1%
    古鷹と数多の戦場を駆け巡りながらその時を待っていた 2 0.1%
    古鷹を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない 2 0.1%
    愛さえあれば時間なんて関係ない 2 0.1%
    時は来たれり!!古ちゃん、アイアンボトムに嵐を起こせ! 2 0.1%
    4コマの探照灯ペカーを見た時から、常時ワクテカしつつ 2 0.1%
    おかえり、古鷹・・・ 1 0.0%
    やっぱり古鷹はいいな。 1 0.0%
    初めて作ったプラモデルだった 1 0.0%
    古鷹に目覚めた時から 1 0.0%
    振り返れば古鷹がいた 1 0.0%
    その他
    投票総数 2895

過去のアンケート

古鷹を好きになった理由はどれ?
投票終了しました。多数のご投票ありがとうございました。

投票結果(無編集・長い為折り畳んでいます)

天使な性格87432.8%
見た目がストライク2188.2%
初期に出会い運命を感じた1846.9%
史実1786.7%
古鷹だから1626.1%
かわいいから1144.3%
声・セリフ913.4%
ゴツい艤装と小柄な少女のギャップ833.1%
重巡への誇り793.0%
かっこいい艦装612.3%
一目惚れ522.0%
ここ(Wiki)のせい491.8%
ワレアオバ461.7%
最早言葉など不要。宿命である。421.6%
加古が先に来て、その後に一番艦を拝みたくなった401.5%
優しさに満ち溢れた眼差し331.2%
キュートなおめめ321.2%
へそ250.9%
左目ライトになるじゃん?240.9%
選ばれたのは古鷹でした210.8%
CVが好き200.8%
姉属性200.8%
低燃費180.7%
二次創作(古鷹青葉)経由160.6%
艤装に刻まれた古鷹の文字130.5%
加古の姉だから120.5%
設計思想120.5%
オッドアイ好きなので110.4%
やったね!100.4%
大艦巨娘主義 弐の古鷹が素敵100.4%
提督の冬休みの私服(冬服)の天使さに100.4%
優等生100.4%
重巡の良さを知ってもらおうと、頑張り屋さんなところ90.3%
天使そのものだから90.3%
言葉は不要70.3%
名前の由来の場所に縁がある70.3%
UGUME60.2%
アホ毛をつんつんしたくなるから60.2%
フライフェイス60.2%
私の姉になってほしい女性だ60.2%
目からビーム!60.2%
優しい心60.2%
友人の影響60.2%
ふるふる・たかたか50.2%
同じ艦隊の仲間が好きだから40.2%
なんとなく30.1%
加古8隻集めてからようやくお出ましだった20.1%
加古と間違えた20.1%
最初に育てた重巡だから10.0%
首元と太腿10.0%
赤く熟れたほっぺたがたまらない10.0%
目が光っててかっこいい10.0%
投票総数2664-
  • 今回のアンケートには初霜のアンケート作成者及びハツシモスキーの方々の多大なるご助力を賜りました。この場を借りて御礼申し上げます。

*1 重巡一番艦の起工日は古鷹12月5日、青葉2月4日、高雄4月28日。
*2 キャンベラ(HMAS Canberra、D33)
*3 クインシー(USS Quincy、CA-39)、アストリア(USS Astoria、CA-34)、ヴィンセンス(USS Vincennes、CA-44)
*4 S-44(USS S-44、SS-155)。
*5 一応、ワシントン条約の後に条約いっぱいの巡洋艦を計画してはいたのだが、1番艦「ケント」の起工は1924年であり、少なくとも時系列的には加古型の通告を受けてから起工していることになる。
*6 当時の日本海軍では一等巡洋艦や二等巡洋艦の区別は排水量で行われていた。
*7 ホーキンス級の想定された敵に対抗するため大口径砲を搭載するという発想は、オマハ級に対抗するため大口径砲を積んだ古鷹型と似た部分もある。ホーキンス級の性能は古鷹型よりも大型なこともありそこまで劣る性能ではなかったという主張もあるが、プレ・ドレッドノートスタイルのホーキンス級とドレッドノートスタイルの古鷹型を比べてこの評価は「5,500トン型軽巡と阿賀野型では、実は両者の戦闘力は同等」と言ってるようなもの(川内型の主砲は7門、阿賀野型の主砲は6門)で適当ではない(ここで言うドレッドノートスタイルの意味が主砲の単一口径や主砲を中心線上に配置したという意味であれば、ホーキンス級もドレッドノートスタイルと言えるかもしれない)。竣工時の比較ではホーキンス級の片舷指向門数は6門と古鷹型と同じであり、装甲厚は古鷹型とほぼ同等。ただ、主砲の砲弾重量で劣るので火力では古鷹型に及ばないとの意見もある。
*8 ロンドン条約以後の米海軍においてCAは重巡洋艦を示すものであるが、ロンドン軍縮条約以前の米海軍では第一次大戦後に艦種記号改正がされた際に装甲巡洋艦を示すものとされていた。6インチ砲搭載の防護巡洋艦(カテゴリーC)として建造されたセントルイス級が装甲巡洋艦(1920年カテゴリーCAに変更)にカテゴライズされた理由は不明であるが、他の艦のカテゴリーCL(軽巡洋艦)などへの統合に伴う書類上の処置と、ワシントン条約での日本の反発を和らげる目的があったと思われるとの推測があるが定かではない(セントルイス級は建造時で、定格時の排水量9,700トンで、1922年のワシントン条約における「巡洋艦」カテゴリのボーダーライン上にあった。ちなみに日本も似たようなことはやっており、軍縮条約体制下では旧式の装甲巡洋艦を雑役艦である「海防艦」に分類していたが、1942年の「海防艦」の定義変更に伴い「一等巡洋艦」に変更している。)。ロンドン軍縮条約締結時には退役していたがこれは米海軍における「退役」(所謂モスボール状態)であり日英の基準と異なったため(日英では退役とはすなわち海軍籍を離れることを言う)、ロンドン軍縮条約にはセントルイス級3隻が米海軍の保有枠に含まれている。セントルイス級のミルウォーキーは事故でワシントン条約前に除籍されており、ロンドン軍縮条約時の保有枠に含まれていたかについては不明な部分がある。
*9 散布界は狭ければよいという訳ではないが、正確な照準で射撃した場合の加害確率は向上する。逆に散布界が広い場合照準誤差が大きかったり射撃後に目標が転針しても命中を得られる可能性が出る他、対飛行場などの対地射撃時には優位に働くこともある。
*10 単に20cm連装砲が未完成だったという説あり。
*11 15.2cm砲弾でも苦労したのに20cm砲弾とか無理ですよ先生!当然現場には不評で、後の大改装の際に20.3cm連装砲に換装された。
*12 一応砲弾を砲塔に上げるのは機力だったものの、装填が人力メインではあまり意味がない。装填だけにしても、屋外ならともかく狭い室内では無理ゲーである。
*13 上記のように乾舷が低く、ちょっとした波でも舷窓を通して海中がよく見えるから。
*14 下級士官の憩いの場である士官次室もスクリューシャフトの振動のせいで騒音・振動地獄だった。そりゃ古鷹型がマシに見える。
*15 ちなみにこれが改善されたのは夕張から。
*16 これは省力化よりも装薬の連鎖誘爆で弾薬庫にまで被害が及ぶのを防ぐ意味合いのほうが強い。後に青葉も同様の様式に改められている。
*17 ただし機関部の中央隔壁は撤去できなかった。これは船体強度上の問題もあるが青葉の時点で船体重心の危険さが限界に近いレベルであり、バルジ等も考慮してもこれ以上船体が軽量化するのは危険だったというどうしようもない事情による部分が大きい。そしてこの隔壁が彼女の命を奪う切っ掛けにもなってしまった。
*18 ちなみに青葉と衣笠は九四式高射装置
*19 三段式甲板はともかく金剛型は主砲配置が換わったわけでもなく、それに比べたら古鷹加古は素人目にだって別モンだろう……。
*20 福井静夫著『日本巡洋艦物語』より。
*21 この時は夜戦であり、重巡『アストリア』は鳥海麾下分艦隊の砲撃を受け絶賛炎上中だった。撃沈フラグである。
*22 ただしこの後退時、米空母の搭載機の損害率は22%を超えていた。指揮官は「アメリカ版原忠一」ことフランク・ジャック・フレッチャーで、ソロモン支援への再開に消極的だったとされている。これには日本の基地航空隊の戦力を警戒したことやニミッツから空母の喪失を極力さけてほしいと要請されていたことが関係しているとされる。その後第二次ソロモン海戦で龍驤の生死をかけた一発芸に一杯喰わされた彼は最前線から遠ざけられ、ハルゼー・スプルーアンスの体制にかわっている。手探り状態の空母同士の戦闘で当時のフレッチャー少将は最も空母戦の経験のある指揮官の一人であった。フレッチャーが更迭された理由として消極的な指揮が要因とされるが、一説にはキング合衆国艦隊司令長官との間に不和があったのが原因の一つとされている。ニミッツ太平洋艦隊司令長官はフレッチャーを前線に戻すように要請したが実現しなかった。
*23 さらに付け加えるならワスプにとっては死への片道切符しか用意されていなかった
*24 火災も併発しあと一歩で弾薬庫爆発、場合によっては撃沈まで持ち込むところであったが、破孔からの浸水で消火されてしまい果たすことはできなかった。
*25 これでも早く沈んだと言われている。平賀設計の特徴である缶室の中央隔壁のため片舷への集中浸水に弱いという欠点がもろに出た結果となった。
*26 この通信士はコロンバンガラ島沖海戦の働きにより瑞鶴の電探指揮官に栄転。その後も戦争を生き延び終戦を迎えている。
*27 サボ島、フロリダ島、ガダルカナル島の3つの島に囲まれた地域。アイアンボトム・サウンドに眠る艦艇の八割以上が集中している。
*28 ちなみにその数キロ東には霧島が眠る、もしくは鎮座している。
*29 日露戦争時の旅順港閉塞作戦の指揮官。同作戦で戦死し、日本海軍の軍神第一号となった。
*30 実際巡洋戦艦の大元は日本重巡と同じく偵察巡洋艦であり、進化の果てに同じものが待っているのは至極当然であったといえる。
*31 従前、米軍は最上型が重巡の船体として建造されていたことを知らなかったとされていたが、近年ブルックリン級も8in Mark.9連装砲に換装する案があったという説も流れている。
*32 阿賀野型が回帰したように見えるのは水雷戦隊旗艦を務める5,500トン型の更新が予定されていたことや予算の関係もある。次型の改阿賀野型では大型化している
*33 アメリカ巡洋艦はブルックリン級以降魚雷を廃止していたことも大きい。この時期のアメリカ巡洋艦は砲力を重視していた。水雷戦隊の旗艦として建造されたアトランタ級は魚雷を装備していた。これらの巡洋艦は数次の建艦計画で建造が承認されており、不経済だから打ち切られたというよりも必要数が揃ったためとする説も存在する。
*34 南米三国に売却された艦は長く三国海軍の象徴として君臨し、長い艦では1990年代まで現役にあった
*35 こんごう(III)型の原型とされる。
*36 もっとも極東の某国は20,000トン超・全通飛行甲板付の「駆逐艦」を建造しているが。
*37 機械室を吹き飛ばされて航行不能になり、おまけに漏れ出た油に引火し火達磨になってしまい、撤退のために青葉よろしく島の一角にカモフラージュしながら修理する有様であった。アメリカ版ソロモンの狼である。東京ローズからはどこかの不死身空母よろしく「グレイゴースト」呼ばわりまで受けている。
*38 というか、“アレ”である……。
*39 ちなみに彼女はサボ島沖夜戦で古鷹と火砲を交えている。
*40 ケント級、ロンドン級、ノーフォーク級の3サブクラスに分類されることが多い
*41 20年代後半にはノーフォーク級の改良型としてサリー級が、第二次大戦中には1万6500トンの重巡洋艦の建造がそれぞれ計画されるが、いずれも最終的には中止になった
*42 イギリスはカウンティ級だけで11隻、ヨーク級や後述のホーキンス級含めると17隻の重巡を保有しており、数だけ見れば米(18隻)とほぼ同数だった。
*43 巡洋戦艦の原語はbattlecruiserであり、厳密には戦闘巡洋艦が正しい。なんで戦艦に変換されたかはこの紅茶戦艦のインパクトのせいであろう。
*44 容量の関係でカウンティ級に比べ弾薬搭載数が少なく火力が劣ったうえ、防御も脆弱だった。
*45 https://togetter.com/li/859766、2019/10/02確認
*46 防空巡洋艦に改装されたC級軽巡の主砲を再利用したもの
*47 ブリュッヒャーは北欧方面侵攻作戦の最中の1940年4月9日、ノルウェー軍の地上要塞からの砲雷撃であえなく撃沈。4番艦ザイドリッツは空母改装計画もあったが未完成のまま終戦を迎えた。5番艦リュッツォウは未完成状態でソ連に売却されペトロハヴロフスクと改名、独ソ開戦により完成度70%でレニングラード攻防戦に投入され撃沈されたが1年後に復活し終戦を迎えた後、練習艦・海上兵舎と役割を変えながら1958年まで現役であった。
*48 この方式は「ボックス・シタデル」と呼ばれ、当時のフランス巡洋艦標準の防御形式だった。
*49 ゲパール級、エーグル級など。秋月型クラスの船体に5500t級軽巡の14cm砲とほぼ同等の13.8cm砲を多数搭載した化け物艦。
*50 アルベルト・ディ・ジュッサーノ級~ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ級までの総称。これらは全てルネッサンス期などのイタリアの著名な傭兵隊長の名にちなんで命名されたことからこう呼ばれる。日本で言う所の5500t級のような呼び名。
*51 Maurizio Brescia, Mussolini’s Navy: A Reference Guide to the Regia Marina 1930-1945, p.72, 2012
*52 Maurizio Brescia, Mussolini’s Navy: A Reference Guide to the Regia Marina 1930-1945, p.76, 2012
*53 それまでの6隻の重巡は全てOTO社とSST社(後にRoma等を建造するCRDA社の前身)によって建造されていた。
*54 Maurizio Brescia, Mussolini’s Navy: A Reference Guide to the Regia Marina 1930-1945, p.80, 2012
*55 53口径の20.3cm砲の採用、水上機カタパルトの位置変更や煙突と艦橋の一体化など
*56 Maurizio Brescia, Mussolini’s Navy: A Reference Guide to the Regia Marina 1930-1945, p.80, 2012
*57 un errore splendidamente riuscito
*58 また、ソ連は英ソ海軍協定によって第二次ロンドン条約の質的制限などを受け入れていた。
*59 ぶっちゃけ言うと、ヨシフおじさんはアドルフおじさん以上に海軍を軽視していた。
*60 元チリ海軍巡洋艦「エスメラルダ」、日清戦争に伴う戦力増強のため1895年1月8日に同海軍より購入。
*61 「敵艦見ユ」「敵艦隊二百三地点ニ見ユ 敵ハ東水道ニ向カウモノノ如シ」。この通報で連合艦隊は出撃している。
*62 艦これに実装されている神風型は2代目。