Bismarck

Last-modified: 2020-06-02 (火) 01:27:00
No.171
私はビスマルク型戦艦のネームシップ、ビスマルク。よおく覚えておくのよ。Bismarck(ビスマルク)Bismarck級 1番艦 戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久90火力64 / 88
装甲67 / 83雷装0
回避33 / 63対空18 / 48
搭載16対潜0
速力高速索敵16 / 42
射程8 / 69
最大消費量
燃料90弾薬110
搭載装備
438cm連装砲
415cm連装副砲
4未装備
4未装備
改造チャート
BismarckBismarck改(Lv30) → Bismarck zwei(Lv50+改装設計図) → Bismarck drei(Lv75+改装設計図)
図鑑説明
ドイツの誇るビスマルク級超弩級戦艦のネームシップ、それが私よ。
ドイツらしい重厚かつ美しいデザインでしょう?いいのよ、もっと褒めても。
この海でも縦横無尽に活躍するわ。期待しなさい!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:遠藤綾、イラストレーター:島田フミカネ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

セリフCV:遠藤綾、イラストレーター:島田フミカネ
入手/ログインGuten Tag(グーテンターク)*1.
私はビスマルク型戦艦のネームシップ、ビスマルク。
よおく覚えておくのよ。
母港/詳細閲覧Gut(グート)*2. 私、ビスマルクの出番ね。
気安いわね。どうしたの。
母港/クリック時提督、貴方の艦隊は少し規律が緩んでいるようね。私が一から教えてあげるわ。
母港/詳細閲覧(新年)提督、新年も頑張っていきましょう。もちろん私は、いつだって頑張ってるわ!
母港/詳細閲覧(Xmas)今年もクリスマスの季節なのね、早いわね。……さ、プレゼント渡していいわよ。
ケッコンカッコカリ(反転)Admiral(アトミラール)*3、どうしたの?そんな真剣な表情で・・・・・・
これを私に?・・・そっ、そう、も、貰ってあげても良いわ。わ、悪いけど、もう返さないわよ?絶対・・・
ケッコン後母港(反転)Admiral、何事もあまり頑張り過ぎちゃだめよ。気分転換も、大事なのよ?
編成戦艦ビスマルク、抜錨!出撃するわ!
出撃戦艦ビスマルク、抜錨!出撃するわ!
ビスマルクの戦い、見せてあげるわ!
遠征選択時Danke(ダンケ)*4.
アイテム発見Danke.
開戦艦隊戦か・・・腕が鳴るわね!
航空戦開始時
夜戦開始逃がさないわよ・・・甘く見ないで!
攻撃艦隊戦か・・・腕が鳴るわね!
さあ、かかってらっしゃい!
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃Feuer(フォイヤー)*5!
小破ぐぅっ!
小破/旗艦大破やるわね・・・!
中破/大破やられた・・・!舵は!?舵は大丈夫!?・・・なら、まだやれるわね・・・これからよ!
勝利MVP私が一番ですって?何言ってるの、あたりまえじゃない。良いのよ?もっと褒めても。
帰投作戦終了、艦隊が母港に帰還したわ。
補給ありがとう。これでまた戦えるわ。
改装/改修/改造良いわね。Danke.
Danke schön(ダンケシェーン)*6
Danke.
入渠(小破以下)少し艤装の修理が必要ね。
入渠(中破以上)ごめんなさい、少し休むわ。後は頼むわね。
建造完了新しい艦が就役したようね。
戦績表示どうなの?状況は好転してる?
轟沈(反転)また、ブレスト沖に還るのね・・・十分に撃ち合ったわ・・・満足、よ・・・・・・
時報にて実装
放置時もう~!この私を放置するなんて、貴方も相当偉くなったものね!出撃とか演習とか付き合ってあげたっていいのよ!?

ゲームにおいて

  • 2014年3月14日のアップデートと共に実装された、初の海外艦の1隻。同時実装されたのは他に、Z1Z3
  • 入手方法は海外艦(Z1)と邂逅後「ある条件下」における【大型艦/新型艦建造】で入手可能。現在の所、他に常設での入手方法はない。
    • 一応正確な条件としてはZ1orZ3を秘書艦にして大型建造のみで入手可能。
      なお建造時間は5時間と長門型と同様。
      • Prinz EugenU-511(呂500)・Graf Zeppelinを旗艦にして建造できるかは要検証だが建造報告自体が乏しく、期待できない模様。
        またBismarck旗艦での2隻目建造も同じく期待できない模様。
    • 有志により、「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)」のE-7のボスでドロップが確認された。ドロップが確認された例は初めて。
      更に、かのライン演習作戦がモチーフになった「抜錨!連合艦隊、西へ!」のE-5でもドロップ報告が上がっている。
  • 実装直後はBismarck改までしか改造できなかったが、「さらなる改装も用意しています」と言うアナウンスもされていた。
    その後、2014/4/23のアップデートでBismarck zwei、2014/9/26のアップデートでBismarck dreiが実装された。
    • 「zwei」(ツヴァイ)は2、「drei」(ドライ)は3を表すドイツ語であるため、それぞれを「改二」「改三」と呼ぶこともある。

  • 金剛型と比較すると、未改造でもスロットが4つ、耐久は二回り、装甲は一回りほど優秀だが、対空はかなり低い。その他の性能や燃費は若干劣る。
    • 速力:高速、入渠時間の倍率、フィットする主砲の口径などが金剛型と共通している。
      • 高い耐久のため、深手を負うと修理鋼材や入渠時間が嵩みやすい。
      • 耐久の高さにより小破判定の範囲が大きく、修理時間倍率が1.5と控えめのため明石を最も有効に活用できる艦娘のひとり。ただし耐久が多いほどカスダメも大きくなるので一長一短。
    • なお、Bismarck zweiまでは金剛型と比べていろいろ劣る面があるが、唯一の改三戦艦であるBismarck dreiになると性能が大幅に向上する。その代わり燃費は大幅に悪化するが…。

  • カードイラストではあまり気にならないが、執務室での存在感は扶桑を上回るかもしれない。
  • レアリティは大井改二などと同じSホロ。詳細は艦船/レアリティ,レアリティのページにて。
  • 提督たちからの愛称は色々あるが、最近は「ビス子」と呼ばれることが多い。乳酸菌たっぷりのクリームサンドビスケットとは何の関係もないので注意。

小ネタ

  • 新生ドイツ海軍が送り出した超弩級戦艦ビスマルク級1番艦。
    • ヴェルサイユ条約を再軍備宣言で破棄して、英独海軍協定(Anglo-German Navy Agreement)*7で堂々と大型艦が造れるようになり、建造されたのが本級戦艦。姉妹艦には2番艦ティルピッツ(未実装)が存在。
      ドイツ第三帝国最初で、そして最後の超弩級戦艦である。
      • 前級のシャルンホルスト級戦艦(未実装)はもともと旧式戦艦代替の装甲艦(通称ポケット戦艦)から発展し、上記協定で大型化を事後承諾された艦なので、戦艦としては色々と不満足。本艦こそがドイツ新戦艦のスタンダードとなる、筈だった。
      • 協定に従えばティルピッツに加えて、あともう1隻で保有枠がいっぱいになる予定だったが、有名な「Z計画」によってこの協定もまた破棄される。
        そして起工されたのが、16inch砲(約41cm)搭載のH級戦艦。後日さらに暴走発展していき、ついには20inch砲(約51cm)、14万トンの化け物戦艦H44にまで至る。これらの未成戦艦全てがビスマルクをタイプシップとしたものだった。
      • 設計が固まる前に終戦を迎えたため非公式プランで終わってしまったが、H45もある。80cm主砲8門、24cm副砲12門、64万トン。もはや軍艦と呼ぶのもおこがましい非常識性能
      • ただしこれらは起工に至ったH41を除けばほぼ全て「研究の為の研究」レベルの作業でしかなく、設計者達は世界最強戦艦を夢見る事が出来ただろうが結果として後世に何かを残す事もなく、本気で無意味な作業でしかなかった事には留意すべきだろう。
        何しろドイツ海軍が根拠地とする軍港では設備や深さからH41ですら運用限界ギリギリなのである。
  • 本級に限らず、ドイツ戦艦は通商破壊戦に投入するための軍艦と一般に理解されているが、これは少なくとも設計・構想の観点からは誤解である。彼女らの任務はバルト海や北海の制海権獲得であり、当初の仮想敵はポーランドや北欧諸国とソ連といったところ。具体的には北欧諸国の海防戦艦*8や、ソ連・フランスの弩級戦艦である。
    • これら仮想敵を相手にドイツ戦艦が求められた能力は、大航続力ではなく高速巡航速力だった。少ない戦力を効率よく機動させ、1対1なら劣勢が免れない敵相手に集中して戦うための能力である*9。高速巡航ということは、他国より燃料消費の激しい運用が必然的に求められ、それに対応するための機関・燃料で通常の巡航運用をすれば他国より大航続力になる、ということなのだ*10
    • そもそもの想定戦場が本国にごく近しいバルト海や北海なのだから、効果が出るまで時間のかかる通商破壊戦の出る幕は本来ない筈だった。しかし知られる通り、ドイツ海軍は全くの準備不足で開戦を迎えた。絶対的に劣勢な海軍に取れる道は、通商破壊しかなかったのである。

設計など

  • 設計は1934年に始まり、排水量はイギリスとの合意であった35,000トンを越え42,600トンまで増加したが、公称は当初のまま。満載排水量は50,300トンである。1940年8月竣工。
    • 竣工時点では世界最大の戦艦で、欧州では大戦を通じて最大であったが、後述の通りその実力は巨体に見合うものとは言えなかった。
    • しかし、連合国、特にイギリスの同級に対する警戒心は強く、抑止力としては有効であった。
  • 本級は「新しい旧式戦艦」とも揶揄されるように、設計に古くさい部分を多々持ち合わせた艦である。
    • 設計の下敷きになったタイプシップは帝政ドイツ最後の超弩級戦艦バイエルン。要は第一次大戦の戦艦。
      列強各国がワシントン海軍軍縮条約に基づく大改装や技術交流、軍縮の副産物である実艦実験*11、等で設計理論を発展させていった中、一人取り残されたドイツの哀しい現実がここにある。*12
    • 特に有名なのは舷側装甲の配置要領で、各国の新戦艦が舷側装甲の上端から水平装甲に接続しているところ、ドイツ艦は下端から傾斜装甲を介して水平装甲に接続している。ティルピッツとキング・ジョージ5世の比較*13
      この方式は舷側→傾斜装甲の二重防御で極めて高い耐弾力を示す一方バイタルパートの容積を圧縮してしまうため、特に機関出力が激増した新世代の高速戦艦には不都合なものであった*14
      加えて艦内の重要部分が主水平装甲の上に配置されてしまうという欠点を抱えており、実際に被弾によって艦内通信網が寸断されてしまっている。
      • なお装甲材質は技術立国ドイツの面目躍如たる『ヴォータン鋼』中心で装甲そのものは強固だった、らしい*15
      • ただしヴォータン鋼は他国で言う「高張力鋼」と同種の装甲鈑である。つまり名称が違うだけでドイツ以外の国も同種の装甲鈑を製造している事に注意されたい。
        しかし各所に十分な厚さを張り巡らせていたわけではなく、決して防御力が高いとはいえない*16
    • 他にもスカスカというしかない水中防御や、(これはヨーロッパ共通の傾向だが)主砲塔装甲の薄さなど、一般に信じられている「強靱な防御のドイツ艦」というイメージとは裏腹の設計構造だった。
      • ただし装甲重量は艦全体の39%にも及び、決して防御を軽視しているわけではない。むしろ列強に比べて重視していると言える。あくまでもノウハウの不足が原因で、時流に合わせた適切な配分ができなかったのだ*17
    • このノウハウの不足はWWI敗戦に起因している。ドイツはWWI時には世界第二位の海軍力を誇ったが敗戦でそのほぼ全てを喪失*18、ヴェルサイユ条約でその後の艦艇の保有・建造共に厳しく制限された*19。その状態が条約破棄まで15年以上に渡って続いたために、新世代型戦艦を建造する理論の更新や蓄積が出来なかったのだ。
  • 主砲には、当時フランスやイタリアで建造が進められていた新型戦艦に準じて38cm連装砲が採用された。本砲の詳細については当該記事に譲る。
    • 光学測距儀の精度は当時世界最高。射撃計算機の性能も素晴らしく、方位盤と合わせて射撃指揮装置の計算精度は極めて高かった。
    • 本艦の砲塔は第一から第四まであり、それぞれ「識別名」という個別の名前が付けられている。
      第一砲塔から順に「アントン (Anton)」「ブルーノ (Bruno)」(または「ベルタ (Berta)」)「カエサル (Cäsar)*20」「ドーラ (Dora)」と名付けられている*21
    • ちなみに38cm連装砲4基8門、15cm連装副砲6基12門、10.5cm連装高角砲8基16門というレイアウトは以後のドイツ戦艦に共通するものとなる。H44でさえ主砲が巨大化した以外は同じ武装配置で設計されたのだ。
  • なお姉妹艦ティルピッツは砲熕兵器の他に水上魚雷発射管(駆逐艦などに積んであるアレ)も搭載していた。
  • 機関出力はタービンを限界まで回して150,170馬力で、全力よりかなり抑えられた大和の定格出力(153,553馬力)より低め。
    その大和が本気を出すと168,000馬力を叩き出し、ビスマルクはさらに引き離される。ただし、3軸推進(後述)のため、1軸あたりの機関出力は、大和や翔鶴よりも大きい。
    また、造波抵抗を抑えるアトランティック・バウとバルバス・バウを採用し、長くスマートな艦体は速力30.1ktを発揮する。
    • これほど高速性能を求めたのは、仮想敵のイギリス巡洋戦艦フッド、フランス戦艦ダンケルク級が33kt近い高速艦である事が大きい。彼女らに対抗するには30ktは最低ラインだったのである。
    • 大日本帝国海軍の艦で例えると、長門型や大和型よりも速く、金剛型並みの高速戦艦になる。現代の護衛艦と比べてもまったく引けを取らない。
    • ただし、最高出力で運用すると故障が頻発するため、138,000馬力/29ノット程度が現実的な最大出力である。
    • ドイツ艦は長大な航続力を持っていると思われがちだが、ビスマルクについては極端に長いわけではない。以前はそのような誤解がまかり通っていたが、近年の文献では航続力に関する限り平凡であると再評価されている。
      通常積載に加え追加タンクを装備した場合には燃料8,700t(7,400tとも)を積載し、16ノットで9,280海里、19ノットで8,524海里、28ノットで4,500海里を航行することができた。同世代の欧州戦艦は、12ノット/10,000海里、20ノット/7,750海里のリシュリュー級、燃料満載搭載時に17ノット/16,400海里のダンケルク級と、フランス戦艦はビスマルクを上回り、英国のキング・ジョージV世級は、10ノットで7,000海里、18ノットで4,750海里、27ノットでは3,100海里なのでビスマルクの方が上である*22
      • キングジョージⅤ世級の計画航続距離は10ノットで14,000海里だったのだが、完成してみたらご覧の有様だった。
      • 基準排水量65,000トン、満載排水量72,809トンの某黒鐵の浮かべる城は、6,300tの燃料、19.2ノットの速力で8,221海里航行できることは内緒だぞ?
        機関出力といい航続距離といい、太平洋戦域どうなってるのよ!?
      • アメリカ戦艦は、駆逐艦などの随伴艦に給油するのが作戦運用上の前提であり、燃料タンクは最大限に大きく作られている。その代わり駆逐艦の航続距離は短い。
  • エンジンは55気圧/475度のワグナー式ボイラ12基でブローム・ウント・フォス式ギヤード・タービン3基を駆動する3軸推進である。
    ドイツ海軍の大型艦(戦艦、巡洋艦)は、当時世界的主流の4軸推進ではなく、3軸推進の艦が多い。操舵に気を使う狭いキール運河等を通航するのに便利だったらしい。
    • Z1Z3の項目を見ればわかるように、ワグナー缶は基本性能こそ高いが動作が不安定で、機関の信頼性はあまり高くはないと言える。
      だがそれでも機関不調を頻発させた前級シャルンホルスト級に比べれば、その信頼性はずっと向上している(と言うよりシャルンホルスト級の機関が恐ろしく不安定なだけとも)。
    • ちなみに、大和で28気圧、アイオワで40気圧である。
  • しかし、ビスマルクの足回りには欠陥がいくつか存在した。
    • 一つは採用されていた3軸推進方式であり、船体の中心線上に機関部を配置するためキールが構造的に弱く、特にシャフトが外部に出る後部が脆弱となった。
    • 操艦特性については諸説ある。船体側面の装甲が沈降効果を発揮してローリング軸が移動し、ローリング、ピッチングも少く良好であったという説(広田厚司『ドイツ海軍入門』第7章P155より)。
      両舷側のスクリューが反対向きに回転するため旋回能力が低く、舵機にも問題を生じた為さらに旋回能力は低下したという説(大久保義信『世界の軍艦コレクション』16号P4より)など意見が分かれている。
      • 凄まじく乱暴に補足しておくと、ローリング、ピッチングが少なかったということはヨー安定も高かった可能性があり、そうなると舵の効きは悪くなる。つまり、上2つの説は全く同じ特性の片面づつを取り上げているだけの可能性がある。
      • また、計画当初は革新的技術のターボ・エレクトリック方式を採用して後進速度向上を実現しようとしたが、最終的には堅実で実績のある蒸気タービンが採用されたため、当初ほど後進速度が出せず、狭所では事故防止のため曳航が必要となった。
      • 特徴的なアトランティック・バウにも、欠点として艦首部の浮力低下が生じる副作用があり、荒天時では割れた波が錨鎖穴を通じて艦体前部へ降りかかるという問題が生じるなど弊害も多かった。ドイツは艦首が苦手。
  • とはいうものの、当面の仮想敵であるキングジョージV世級、ダンケルク級、コロラド級、ノースカロライナ級*23には充分対抗可能な能力と言え、そのものは古典的でも充分な設計であったといえる。
    • 35,000トン内外に収まるこれらの艦と比較すると、ビスマルクは常備約45,000トンと重い。その原因は250メートルを超す長い艦体と、全重量の38%(資料によって異なる)に及ぶ装甲の重さにあった。
      実に17,256トンが装甲に割り当てられている*24。これより重い装甲が施されているのは、大和型だけである。
    • 水線下防御についてもビスマルクが完成した時点で本格的に対策していたのは長門型だけである。脱条約時代のキングジョージ5世級やリシュリュー級でも日本ほどは徹底していなかった。
      長門の断面図。キングジョージV世でも間接防御にとどまっている艦底付近まで主装甲が伸びているのが解る。
    • さらに付け加えるなら、ビスマルクがでかくなってしまったというよりも、他国の同クラスの戦艦が無理やり小さくしていたと言った方が正しい。つまり、ワシントン軍縮条約のためである。ドイツの戦艦にも英独海軍協定で同じ3万5千トンの制約が課せられたが、他国の海軍と同じくそれを豪快に無視している。
      この艦容は第一次世界大戦で一度海軍が壊滅しているドイツにとって、国威発揚に役立った。日本では39,000トンを超える長門型が、同じ役割を果たしている。
    • また、事実海底調査で発見されたビスマルクは、詳しくは後述するが、敵の攻撃による損傷以外に自沈作業も行われた形跡があったが、実際には「何とか沈んだ」ダメージであったという。
    • ビスマルクの大きさを無駄と断じることができるようになるのは1941年12月以降、つまり真珠湾攻撃とマレー沖海戦で主役が戦艦から航空機に代わってからである。


戦歴・戦果

  • 【練度について】
  • ビスマルクの乗員の練度は不十分だったとされることもあるが、ライン演習作戦直前の「戦時日誌」(後述)の記述を見る限り、少なくともリンデマン艦長を満足させるだけの域には達していた。
    • 就役前の40年6月頃から各種の訓練が開始。40年10月半ば、訓練を視察したリンデマンは乗員の達成度を評価している。40年12月9日から艦はハンブルクで最終工事に入った。
    • 最終工事は41年1月24日までに終了したが、キール運河の閉塞や厳冬の影響で缶室に異常を来したことなどにより、結果的に3月6日までハンブルクを離れることが出来なかった。
      • この時期、厳冬のため訓練が行えなかった、とされることがあるが誤り。外気温が-15度に達して缶室に問題を起こした当の1月27日にも訓練は行われている。
    • その後、海軍司令部が当初よりも3~4週間作戦計画を早めたため、リンデマンは、新たに訓練の終了期限を4月末と定めている(「戦時日誌」3月19日)。
      • この頃かなり激しく訓練が行われていたことは「間近に迫った任務のため、時間はまったくすべて艦の訓練に利用しつくされた」(「戦時日誌」41年4月1日-15日)とリンデマンが述べていることからも分かる。
    • 3月6日にハンブルクを出港した後、キールへの入渠を経て対艦対空射撃訓練などが集中的に行われた。ただし、本格的な洋上訓練が実施できたのは前年のテスト中(40年11月)を除けば4月からである。洋上での燃料補給、第25Uボート戦隊、プリンツ・オイゲン、リュッツォウとの共同訓練などが行われたのも、ようやく4月に入ってからだった。
  • これらの訓練の結果をリンデマンは次のように評している。
    • 「乗員の練度は、平時における主力艦の演習への準備状態と比べても遜色のない域に達している。少数の者をのぞいて乗員のほとんどに実戦の経験はないが、来るべき戦闘にむけても私には特に不安はない。彼らなら実戦を苦もなくやり遂げてくれるだろう。ここに至ってようやく、ビスマルクの戦闘力と乗員の到達した練度によって相手がたとえどのような敵であろうとも、少なくとも同等の力があると我々皆が確信を抱くに至った」(「戦時日誌」41年4月28日)。
      • 一部では、1941年4月28日の戦時日誌にリンデマン艦長の手によって「ビスマルクの乗員は敵より練度で劣っている」と書かれているとされていた。
      • 対空射撃訓練は計90分前後しか出来ず、マニュアルも充分な数が供給されなかったという。



  • 【ライン演習作戦】
  • 1941年5月18日、重巡プリンツ・オイゲン*25と共に、カナダとイギリスとをつなぐ北大西洋航路での輸送船団襲撃を企図した「ライン演習作戦」に出撃。
    これがビスマルクにとって最初で最後の作戦となった。
    • 18日夜、諜報員の情報を元に出撃した英空軍偵察機にノルウェーで停泊中を発見され位置を報告される。
    • しかし姿をくらましたため、21日、スカパーフローに停泊していた英本国艦隊:巡戦フッド、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、キングジョージ5世、空母ヴィクトリアスらが大西洋進出を阻止すべく出撃を開始。
      • 同年1月には、戦艦シャルンホルスト・グナイゼナウの2隻で同様の通商破壊作戦「ベルリン作戦」を行っている。
        今作戦と同じリュッチェンス提督の指揮下で出撃し、それまでにもポケット戦艦による通商破壊に苦しんでいた英側も同じトーヴィー提督が本国艦隊(戦艦3隻含む22隻)を迎撃に向かわせたが、二隻はこれを躱しビスマルク達同様のルートで大西洋に進出。
        二ヶ月で計約5万tを水底に叩きこみ、総計22隻11万5千tを拿捕・撃沈した。
      • 今作戦はシャルンホルストはまだ修理中で、グナイゼナウは参加予定だったが直前の爆撃によりドック入り、ティルピッツもまだ訓練中だった為、延期も検討されたが諸々の情勢と気候を鑑みてビスマルクとプリンツ・オイゲンの二隻での出撃となった。シャルンホルストらは敵船団護衛に戦艦がいれば戦闘を回避し逃げていたが、今作戦ではビスマルクが敵戦艦を引き付ける間にプリンツ・オイゲンが船団を襲うという策が立てられていた。
      • 尚、道中でイギリス艦隊2隻に捕捉された際に、牽制射撃で主砲を発射した際 自身の砲撃の衝撃でレーダーを破損している。
  • 【デンマーク海峡海戦】
    • 23日午後7時22分、ノルウェー海を渡りグリーンランドに達し、アイスランドとの間:デンマーク海峡を通過していた両艦を張っていたイギリスの哨戒部隊重巡2隻(「ノーフォーク」、「サフォーク」,ウォーク少将指揮)が発見、追尾する。
      この情報を元に、英海軍の象徴「マイティ・フッド」こと世界最大最強の巡洋戦艦フッド*26、及び最新鋭戦艦というより未完成艦プリンス・オブ・ウェールズ(以下PoW)*27と護衛のE級駆逐艦6隻を迎撃に向かわせた。
    • 翌24日、グリーンランド沖でイギリス艦隊が先にドイツ艦隊を発見、先制攻撃を加えた。英艦隊はT字戦法に持ち込む事を企図していたが、25~17km程でほぼ並走する同航戦となってしまい、巡戦の弱点を長時間さらす事となった。また、英艦隊ははじめ先行するプリンツオイゲンをビスマルクと誤認してしまっていた。このアドミラル・ヒッパー級は意図的にビスマルク・シャルンホルスト級に艦影が似せられていた。
    • ドイツ艦隊はフッドに対して集中砲火を加え、第三斉射で夾叉(射撃指揮所に命中説もある)、海戦勃発から約8分後の第五斉射がフッドの後部弾薬庫を直撃*28
      同日午前6時37分、同艦は艦隊司令部を道連れに一瞬のうちに文字通り爆沈した。*29  この間僅か12分。おい、ホントに初陣かよ。
      その後のドイツ艦隊の集中砲火により艦橋等に被弾し艦長以外の艦首脳部もほぼ全滅していたPoWは、主砲の故障が決め手となって撤退した。就役したばかりで公試前の戦艦を引っ張りだすとか無茶だろ・・・。まぁKG5級の主砲は故障多発なのは内緒。
      • 撤退したPoWは哨戒部隊と共に重巡のレーダーを頼りに友軍誘導の為にビスマルクを追尾、触接を保った。
      • 撃沈された巡戦フッドだが、全長は大和と僅か1m差で当時最大、排水量もビスマルクが偽っていた為に公称では世界最大、戦歴もメルセルケビール海戦で共同で仏戦艦3隻撃破など十分と、まさに英海軍の象徴であった。それが一瞬で喪われたと言うニュースはすぐさまヨーロッパ中を駆け巡りイギリスに大きなショックを与えた他、米ルーズベルト大統領も「次は米国が攻撃の標的になるのでは」と非常に神経質にさせられた。
      • この結果ビスマルクは自身の誕生まで世界最大を誇っていた同艦種を撃沈するという先代殺しの偉業を成し遂げたわけだが、このような事例は戦艦以外も含む軍艦史上でも異例中の異例であり、少なくとも第二次世界大戦で唯一の事例である。
      • プリンツ・オイゲンの撮影した撃沈の瞬間がこちら
    • 海軍切っての砲術の権威であるビスマルクのリンデマン艦長はPoW撃沈を確信し追撃を繰り返し主張したが、リュッチェンス提督*30は、当初の命令である通商破壊の任とリスク回避を優先しそれを認めなかった。艦長は戦術的勝利を求め、提督は戦略を重視した結果だ。また提督は、前任の提督が命令に背き自主的な作戦行動をした結果、大戦果(シャルンホルスト姉妹による英正規空母撃沈)を挙げたにも関わらずクビにされたため、命令遵守が最大の行動規範となっていた。
      またビスマルクも損傷し、特にタンク損傷で深刻な燃料不足に陥った為、作戦を中断。僚艦プリンツ・オイゲンと分かれて大西洋を渡りドイツ占領下のフランスへ直行しようとした。*31
  • 【ビスマルク追撃戦】
    • しかし、復讐に燃える英国海軍が大西洋で使用可能な全ての軍艦(戦艦7隻正規空母2隻含む総計47隻)を動員して*32ビスマルクを追撃。てめえは俺を怒らせた。
      • あえて日本に置き換えるなら(実際の戦力は異なるが)、海軍の象徴長門と最新鋭艦武蔵で迎撃に出たら一瞬で撃沈&大破され返り討ちにされた様なものである。英国がブチ切れるのもそりゃ仕方ない。
      • 異様な動員数だが、海軍大国の総力戦にしては少なく感じる。これは英国が地中海艦隊・東洋艦隊など世界各地にその戦力を分散していたから。
      • ちなみに正規空母2隻と言えば聞こえはいいが、ヴィクトリアスは就役してまだ1か月で艦載機は15機しかなかったりする。PoWに続きまたか*33
    • 同24日の豪雨の夜、装甲空母ヴィクトリアス航空隊が出撃。荒天の夜間に唯一攻撃可能だった布張りで時代遅れ感が半端ないが英国の主力であり続けた傑作複葉雷撃機、ザ・英国面ソードフィッシュ艦攻隊*34の追撃を、魚雷1本命中されるもなんとか退けた。
      25日午前3時2分、大回頭によりPoWらのレーダー探知圏を脱し、その速力を活かし触接を振り切る。
      しかし26日午前10時30分、捜索にあたっていた飛行艇に発見されるも、追尾していた本国艦隊では追い付けない為、地中海艦隊から巡洋戦艦レナウンと共に駆け付けていた正規空母アークロイヤル*35
      先程のヴィクトリアスの3倍以上もの艦載機を持って航空攻撃による足止めを画策。
      だが、第一次攻撃隊は追尾していた味方の英軽巡を誤認し攻撃してしまった。
      夜になり再度準備を整えた空母アークロイヤルの第二次攻撃隊のソードフィッシュ艦攻隊がビスマルクに襲来。
      • 当たった魚雷は2本。うち左舷中央に命中した魚雷はわずかに浸水させたのみだが、別の魚雷が不運にも偶然ビスマルクのスクリューと舵機室を破壊。舵が固定されてしまい、速度低下・操舵不能となった。*36
        逃げ切れるはずだったその足を止められてしまい、実質、この一発がビスマルクの運命を決めてしまった
      • フランスを前にして大西洋で足を止められてしまった事により、救援に向かっていたドイツ空軍・潜水艦隊の攻撃圏内にも入れなかった。
      • 中破時のセリフはこれが元ネタであろう。
      • ソードフィッシュ迎撃の際、ビスマルクは攻撃機の進入速度に合わせて砲弾が至近距離で炸裂する当時最新式の対空砲で迎撃した。ところが、旧式な布張り複葉機ソードフィッシュの進入速度が対空砲の入力下限をさらに下回る低速だったため、ビスマルクの放った対空砲弾のほとんどはソードフィッシュのはるか前方で炸裂してしまった。なんだあの変態複葉機。
    • 26日深夜には、船団護衛の任を捨て駆けつけ、触接を保ち足止めする為に戦艦に戦いを挑んだ第4駆逐隊トライバル級駆逐艦5隻*37を正確な砲撃で退けるも*38
      27日早朝、払暁と共に満を持して現れた、長門陸奥と共にビッグセブンの一翼を担ったロドニーと、PoWの姉である本国艦隊旗艦キング・ジョージ5世*39ら主力艦隊に捕捉され戦艦2隻・重巡2隻から命中弾400~600発以上*40*41をお見舞いされて戦闘不能になる。*42早期に射撃指揮所の照準装置を破壊され、各砲塔が個別に照準を定めていたため、ロドニーに至近弾を与えるのが精一杯の反撃であった。
      攻撃側である英兵達は、かくも堂々たる強大な軍艦が無残に痛めつけられいく様を見ているのが辛かったと証言したほか、司令長官トーヴィでさえ、『あの船には、乗っていたくないな』と幕僚に零したという
      それでも辛うじて浮かんではいたのだが、*43そこでとどめとばかりに雷撃を受けてビスマルクは遂に力尽きた。*44
      艦長は砲撃戦を生き延びたが、沈没の際に艦首で敬礼しつつ海中に没した
      英海軍の総力を挙げた4日間に及ぶ追撃戦は、こうして決着した。ロイヤルネイビーの本気を見るのです!

    • ちなみにこれ太平洋戦争開戦前である。真珠湾攻撃はこの半年後。
  • しかしここで熱くなりすぎたイギリスは、日本の参戦が迫っているというのに東洋艦隊にまわす予備兵力を失ってしまった。何とかまわしたPowだがビスマルクとの交戦の傷が癒えきっていなかったという。
    結果、フィリップス提督はなんだか動きの怪しい新型戦艦と紙装甲の巡洋戦艦、それに後は捨てるだけという旧式化した巡洋艦と駆逐艦(厳密には既に第一線の用途からはずされていた)で、日本海軍に挑まされるのである。
    こんな無理ゲーが攻略できるはずもなく、日本軍の航空攻撃によってPoWは僚艦1隻と提督と共に、開戦早々沈むこととなる。




  • 建造にあたって国威発揚のために大宣伝を行い、また、ドイツの科学力や知識の粋を集めた戦艦だったため、沈没によってドイツ海軍は物心共に多大な損害を受けた。
    • 艦娘としての運は、初陣での戦没と舵機室への不運すぎる一発などで若干不運寄りとされている模様である。
      だが第二次世界大戦で最も活躍した戦艦のひとつでもあるのも事実である。
      • なお、最後の海戦の被害からもっとも耐えた艦と考える人もいるが、大戦初期と後期では攻撃兵器の技術進歩が著しい為、一概にそうとは言えない(それでも凄い事には変わりないが)。
    • しかしこのビスマルク一隻に全英海軍が翻弄された経験から、「北海の孤独な女王」こと同型艦ティルピッツは大いに警戒され、実際の出撃は少ないながら現存艦隊*45として援ソ船団の障害となり英本国艦隊をスカパーフローに釘付けにするなど絶大なる存在感を発揮。『ティルピッツ一隻が戦略上の大きな障害となっている』と元海軍大臣である首相チャーチルに説かせる程に英国を悩ませ続ける事になる。
      • 連合軍はソ連に援助物資輸送船団を送っていたが、ティルピッツの影とUボート・爆撃に怯え延期を繰り返し外交問題にまで発展している。
        中でもPQ17船団は、ティルピッツや重巡洋艦を含むドイツ艦隊出撃の『誤報』に際し、護衛部隊(重巡5隻、駆逐10隻など)には勝ち目がなく警戒部隊(戦艦デューク・オブ・ヨーク、ワシントン、空母ヴィクトリアス、他重・軽・駆逐艦17隻)は迎撃に間に合わないと判断され全て撤退、船団は一網打尽になるのを避けるべく解散した。結果、無防備の船団はUボート・航空機の餌食となり壊滅。22隻の商船と積荷:戦車430台、航空機210機、車輛3,350両、そして物資約10万トンが失われた。これにより援ソ船団は更に滞る事になる。
      • このティルピッツに対して英国は20回以上の攻撃作戦を実行するが、対空砲火やティルピッツの堅牢な装甲の前に悉く失敗。*46遂には6t爆弾トールボーイ*47を投入するも、1発では外洋航行能力を奪えたが撃沈はできず、追加で3発お見舞いしてようやく大破・転覆させる事ができた。
  • またビスマルク撃沈の功労者である空母アークロイヤルは真珠湾の直前の1941年11月13日潜水艦U-81の雷撃を受け、翌14日力尽き横転沈没した。
    赤城加賀・レキシントン・サラトガと並びビッグ5*48と称された英国の大型空母に、他の4隻が授かった「空母の時代」という栄光を見せずに仕留めたのである。ドイツ海軍の意地もすごいもんである。
  • 欧州最大の戦艦であり、短いながらもWWII有数のド派手な戦歴から日本人にとっての大和同様に世界では知名度・人気共に非常に高い。
  • その『初陣で英海軍の象徴であった当時世界第二位の巨艦を撃沈』し、『海軍大国のほぼ全兵力との大追撃戦』を演じ、『撃破に戦艦・重巡からの数百発の命中弾を要した』という頑強さを示したというその特異な戦果・戦歴と、その戦歴・イメージに反し設計には古臭い部分を持つ、故に毀誉褒貶が激しく、その評価が現在に至るまで論争の的となっている艦でもある。
    • ディスカバリーチャンネル「軍艦トップ10」ではビスマルク級戦艦が第7位にランクインされている。
      • このランキングだが、「カタログスペック」よりも「実際に役に立ったか」が明確に重視されており、カタログスペックでは戦艦としては最高傑作級であった大和などはランクインしていない。*49
        その中にランクインしたビスマルク級の戦術的・戦略的評価が欧米の専門家の間でも高く評価されている証左と言えるだろう。
  • ビスマルクは現在フランス・ブレスト沖の4,700mの海底に眠っており、1989年にロバート・バラード*50が発見した。
    なおタイタニック号の沈没地点を公表したために遺品が持ち去られたことを鑑み、発見者であるバラードは正確な場所を公表してはいない。
    • だが後に映画監督ジェームズ・キャメロンによる調査・報告ドキュメンタリーが作成された。
      このドキュメンタリーはソフト化されているため、興味のある提督諸氏は観てみるのも良いかも。
  • 艦名の由来は泣く子も黙る鉄血宰相ビスマルク侯爵。本名Otto Eduard Leopold Fürst von Bismarck-Schönhausen(オットー・エドゥアルト・レオポルト・フュルスト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン)。
    • このドイツ史上最も偉大な宰相の孫娘その人が進水式でビスマルクにその洗礼名を授けた。進水式の盛り上がりの頂点は、総統などが現れた時ではなく彼女が登場した時であった。ビスマルクの名がドイツ国民にとっていかに重要なものだったかを示すエピソードと言えるだろう。
    • 日本の軍艦と違い、人名が由来となっている。これはむしろ艦名基準に人名以外から取る事、と決められた日本の基準が異例的*51なもので、海外に目を向ければ、人名を付けられた艦は珍しいものではない。
    • ニューギニア島北東に鉄血宰相ビスマルク侯爵から名前を取った「ビスマルク海」および「ビスマルク諸島」という場所がある。
      この海域はかつて「ダンピールの悲劇」と呼ばれた『ビスマルク海海戦』が行われた場所である。この海戦の詳細は白雪朝潮時津風のページを参照するといいだろう。
    • 「ビスマルク」としては2代目。
      初代は1877年進水・1878年竣工のコルベット、ビスマルク級のネームシップで、第一次世界大戦後の1920年に廃艦となっていた。
      • 似た名前で「フュルスト・ビスマルク(Fürst Bismarck)」という艦がある。フュルストは侯爵の意味で、ビスマルク候爵、すなわち同一人物(鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルク)に因んだ艦名である。
        こちらは軍艦としては2回(1897年進水・1900年竣工の装甲巡洋艦と、計画だけで未成に終わったマッケンゼン級巡洋戦艦4番艦)、商船として2回使われている。
      • ちなみに、上記の「ビスマルク海」に因んだ軍艦も存在する。アメリカ海軍の護衛空母「ビスマーク・シー(Bismarck Sea)」である。
        1944年に進水し、1945年に硫黄島沖で日本軍航空機の特攻を受けて沈没した。
  • Prinz Eugenの左肩に描かれているのと同様に、ドイツ艦であるビスマルクには艦の紋章がある。これは艦名の由来であるオットー・フォン・ビスマルクのビスマルク家の紋章が元になっている。
    • この様にドイツ海軍の艦艇はそれぞれに艦ごとの紋章があり、艦名の由来となっている人物・都市などの紋章が元になっている。他の艦の紋章も見てみたい人はこちらへ

  • 以下、ビスマルクに関する逸話。

【ビスマルクの幸運の黒猫の逸話】

ビスマルクの幸運の黒猫の逸話

  • 配備されたビスマルクにある日、黒猫が着任(?)する。
    黒猫といっても口元から胸元までが白く、まるでマスクを被ったような猫だった。
    愛嬌のある顔で乗員達には可愛がられ、当時のビスマルクの宣伝にはこの猫も紹介されており、割と知られていた。
    この猫の肖像画
    • 最初の飼い主がこの猫に与えた名前は今日知られていない
      • 当のドイツ人はこの猫を「Schiffskatze(船猫)」とか「Bordkatze der Bismarck(ビスマルクの船端猫)」と呼んでいる。
    • ネズミ捕り水兵とかマスコットと云われているが、この猫の出自や採用の経緯はよく分かっていない。水兵であったかも定かでは無い。
      • ちなみに動物を兵士に任命したり階級を与えるのは広報やジョークの一種という面もあるが、本質は自他国の法令における動物の防疫規定(を名目にした規制当局の妨害)を「人間に準ずる兵士」として回避するため(例:Google:兵隊クマ)である。
  • そしてビスマルクは1941年5月27日にイギリス海軍総力での猛攻で、ほとんどの乗員と共に沈没。
    ビスマルク追撃戦に参加していたイギリス海軍の駆逐艦コサックが、漂うビスマルクの残骸の上に一匹の猫を発見し、救助する。
    コサックの乗員は、「こいつはビスマルクのマスコット猫じゃないか!」と猫を見て驚いた。
    激しい戦火の中を無傷で生き残り救助された猫の運をあやかろうと、ネズミ捕り係兼マスコットとして駆逐艦コサックは猫に「オスカー」と名付け、飼うことになる。
    ここからオスカーの復讐が始まる。
  • そのイギリス海軍駆逐艦コサックは、その5ヵ月後の1941年10月24日にドイツ潜水艦の雷撃を受けて2日後に沈没する。オスカーは運良く退艦出来た一団に連れ出されていて生き残った。
  • その後、オスカーはジブラルタル基地にて、ビスマルクの舵を壊した空母アーク・ロイヤルに着任することになる。が、3週間後の1941年11月13日に同艦もドイツ潜水艦の雷撃により沈没する。
    そしてオスカーは、またしても残骸の上で漂っているところを随伴するL級駆逐艦ライトニングに救助され、L級駆逐艦リージョンに乗って基地に戻る(この二隻も後に沈むことになる)。
  • オスカーを乗せた艦が全て沈むので、流石にイギリス海軍も何あの猫怖い慎重になり、ジブラルタルの基地に降ろされ地上勤務になる。
    基地ではネズミ捕りの名人として活躍し、三度生還するほどの幸運を持っているという事も含めて、(改名されたオスカーの名前がサムなので)”不沈のサム”と言われ可愛がられていた。
    戦後、「不沈と呼ばれるくらいだから大丈夫」と寄港していた輸送船とともにベルファスト海軍基地に移動する事になる。何事もなく船は無事に到着し、預けられた基地で穏やかに余生を過ごした。
    そして1955年に、黒猫オスカー水兵は共に戦った戦友達の所へ旅立った。
  • 不沈猫と呼ばれているが、不沈なのはオスカー君本人だけで、オスカー君が乗った軍艦は全て沈んでいるのである。(オスカー君を乗せて沈まなかったのは非軍籍の貨物船だけだった)。
  • アークロイヤルが雷撃された11月13日は、第二次世界大戦の各国海軍においては変なジンクスの残る日となった。
    • 翌1942年11月13日。あのソロモンの悪夢のワンマンショー開催。
    • 1944年11月13日。木曾マニラ湾で大破着底。しかし物理的な撃沈には至らず、のちに戦没判定を受けるも戦後浮揚され解体された。

    つまり連合軍にとってケチのつく日だったのである。
    当日の夕立乗員の異常なハイテンションと言い、とうとう沈められなかった木曾と言い、オスカー君からなんか授かっていたのかもしれない。

  • 但し、「不沈猫オスカー」の伝説は作り話?とも言われている。
    • 関係する各艦の乗組員は誰もその存在を知らない。
    • 確実にそうだ、とされる写真が一枚もない(現在伝わっている猫の絵は全て別の猫が元)

    以上が理由となっている。

  • ちなみに太平洋戦争でオスカーと言えば、陸軍の中島一式戦闘機『隼』の連合軍コードネームである。零戦に比べて火力では劣るものの、硬いわ高速でも機動性に優れるわ、イヤな相手だったといわれる。
    • また英軍がオスカー君につけたサムは烈風の連合軍コードネームであるが……まったくロイヤルネイビーってのはやることなすこと、なんかひとつ間が抜けてんだよな。

【忠誠を誓った騎士U-556の話】

忠誠を誓った騎士U-556の話

  • ビスマルクが公試の後に改修と調整のため、ハンブルクに戻った時、並んで繋留されていたのが同じ造船所で生まれたVIIC型*52潜水艦U-556であった。
    U-556はその艤装作業の間中ビスマルクの軍楽隊の練習を聴かされ、就役式をあの軍楽隊に演奏して貰って祝えたら、と誰もが思うようになっていた。
    しかし断られては困るので、艦長達が知恵を絞り腕をふるってつくり上げたのが、中世の騎士の特定のレディに対する誓いにならって、壮麗なるビスマルクに身命を賭して尽くすという宣誓状だ。
    それは自らもパーツィファル(アーサー王伝説に登場する騎士、パーシヴァル)とあだ名されたヴォールファールト艦長*53が、騎士の姿でビスマルクに襲いかかる魚雷や航空機を防ぎ、あまつさえ小さなU-556がビスマルクを曳航して見せる様子をいかにも時代がかった装飾の大判の紙に描いた、ユーモア溢れるもので、以下の通り記されていた
    「我らU556(500トン)一同はここに大洋、海、湖、河、小川、池および細流の支配者たるネプチューンに、我らの兄、戦艦ビスマルク(42,000トン)を水上、水中、陸上および空中でどのような状況下でも助けようと望むことを宣言する。ハンブルク、1941年1月28日、U556の艦長および乗組員」
    ビスマルク艦長は大笑いしてこれを受け取り、これを士官室に総統とビスマルクの写真と並んで掲げさせた。
    こうして巨大戦艦と小さなUボートの艦長同士の友情が育まれる事となった。
    U-556の就役式が、ビスマルク軍楽隊の演奏のおかげで華やかなものになったのは勿論の事である。
  • ある日、ビスマルクの副砲訓練の際、U-556が先に2,3発射たせてもらえないかと頼んで来た。すぐに許可が出たが、なんとU-556はその初弾で曳航された標的のど真ん中を貫いてしまった。
    U-556は気まずい思いをしたが、ビスマルク艦長は「見事ナリ。願ハクハ大西洋上ニテモソノ手練ヲ発揮サレンコトヲ…騎士十字勲章ヲ期待ス」と信号を送り、騎士精神溢れたU-556艦長も「ワレラ両艦一体トナリテ敵ニアタリ、共ニ騎士十字勲章ヲ授ケラルルコトヲ切望ス」と返した。
  • 1941年5月1日。はじめての任務をおびたU-556は「貴艦ノ旅立チノ日メグリキタルトモ、ゴ安心アレ。ワレラ誓ツテ御身ノ安泰ヲハカラン」と送り出撃していった。それまでにも他の潜水艦で戦果を挙げていたU-556艦長はこの出撃中の5月6日・10日・20日に合わせて6隻の艦船を撃沈、出撃中に騎士十字勲章を授かっている。
    大戦果を挙げてフランスに凱旋しようとしていたまさにその時、事件は起きた。
  • 5月26日、U-556に誓いを果たす機会が舞い降りた。「英国海軍に追撃されているビスマルクを支援せよ」との命令が全Uボートに下されたのだ。
    自らもフランスに向かっていたU-556は、偶然にも潜望鏡でビスマルクを追撃する空母アークロイヤルと巡洋戦艦レナウンを視認。2隻とも護衛の駆逐艦も連れていなければ、ジグザグ運動もしておらず、潜水艦乗りにとっての夢の様な状況で、騎士十字勲章も授かった手練中の手練であった艦長の腕なら2隻の撃沈は確実だった……魚雷さえあれば。
    U-556は一ヶ月に及ぶ船団襲撃任務を終えてまさにその帰投中。艦船6隻を撃沈したばかりの同艦には魚雷が一本も残っておらず、最後の一本も「もっと大物の為に残しておくべきだ」と言う部下の意見を退けはぐれ者の小船に使ってしまっていた。
    発射管のすぐ先を通り過ぎて行く特大の獲物が、自らの忠誠を誓ったレディを攻撃しに行くのを、U-556はただ眺めやる事しか出来なかった。
    そして、ここで取り逃した空母アークロイヤルの攻撃隊が、貴婦人の運命を決める魚雷を放つ事となってしまった。
  • それでもU-556はビスマルクに追いすがり、その第4駆逐隊との戦いを目撃。艦長は日誌に「照明弾の発射も、ビスマルクの砲火も見える。こんなに近くにいるのに何の手助けも出来ない、酷い気分だ」と記している。
    せめて出来るだけのことはしようと、ひたすら触接を続行。味方の誘導のために位置情報を報告し続けたが、帰投分の燃料すら尽きかけたため、友軍潜水艦(U-74)に後を託して泣く泣く海域を離脱。
    これが貴婦人と忠誠を誓った騎士の永遠の別れとなってしまった。
  • 5月27日早朝、カタパルト故障のため戦闘日誌を運ぶ艦載機を射出できなくなったビスマルクは、西部管区司令部に対し潜水艦を派遣するよう依頼している。
    これを受けて27日午前7時から午前8時にかけてU-556に「ビスマルクの戦闘日誌を受領せよ」という命令が出された…のだが。
    この時U-556は海域を既に離脱した後。しかも燃料節約の為に水中航行中で、正午に再浮上するまでその命令を受信できなかった。命令受信後、U-556は即座に「その任務、U-74に移譲してくれ!」と主張したが、時既に遅し。
    ビスマルクは10時39分に沈んだ後。U-74の合流は間に合わず、同艦が回収できていたのはビスマルクの沈没音とその生存者3名だけだった。
  • ビスマルク艦長に授与されるはずだった騎士十字章は未亡人に渡された。U-556艦長は友人であったビスマルク艦長と共にそれを授かるという願いと、貴婦人を守ると言うU-556の誓いを果たす機会の両方を失った。
    • 余談だが、艦隊司令官リュッチェンス提督の無電による推挙により、5月27日未明にフッド撃沈の功労者、ビスマルク砲術長アーダルベルト・シュナイダー中佐に騎士十字章が授与されている。シュナイダー中佐が艦と運命をともにする直前のことである。

日本海軍の所有していたドイツ製巡洋艦

日本海軍の所有していたドイツ製巡洋艦

  • ドイツのフルカン・シュテッティン社製の装甲巡洋艦「八雲」。
    六六艦隊計画の主力艦として日本海軍がドイツに発注した唯一の軍艦であり、明治33年(1900年)に竣工した。
    艦娘たちの大先輩であり、おばさま?金剛とは11歳違い。
    • ドイツに発注されたのはイギリスに艦艇発注を集中させないための政治的な配慮から。同様に六六艦隊計画で建造された装甲巡洋艦「吾妻」もフランス製。
  • 20センチ砲4門速力20ノットを誇る戦艦に次ぐ攻撃力と高速で航続力を持つ装甲巡洋艦である。
  • 日露戦争では第2艦隊に所属し黄海海戦、日本海海戦に参加。
    第1次大戦では青島攻略戦に参加しインドネシア方面の通商保護・警備任務を行う。
    その後は長期遠洋航海の実習船となる。
    太平洋戦争では高角砲や機銃を設置した浮き砲台として使われ、終戦まで生き延びている。
    戦後は特別輸送船として復員輸送に従事。昭和22年(1947年)に舞鶴港にて解体される。
    • 竣工当時の色は白だったが明治34年より黒色に。
    • 兵装はイギリス・アームストロングのエルジック製。規格統一と効率化のため。
  • 太平洋戦争を生き延びた日露戦争参加艦は「浅間」や「敷島」などが存在したが、いずれも航行は不能であり、「八雲」は唯一航行可能状態にあった艦であった。
  • この他日本海軍のドイツ製の軍艦では、日清戦争の戦利艦として接収された戦艦「鎮遠(同じくフルカン・シュテッティン製)」や、シーヒャウ社で製造された蒸気水雷艇などがある。

この艦娘についてのコメント

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • そろそろビスマルク来ないかなー -- 2019-08-16 (金) 03:05:33
  • ブレスト沖… -- 2019-08-19 (月) 10:50:29
    • 時報で言及のあるシャルンホルスト来るかな? -- 2019-08-21 (水) 22:48:50
      • イタリアに向かう様なので残念ながら… -- 2019-08-23 (金) 13:46:45
      • シャルンホルストならもう実装されてるだろ(それは別人) -- 2019-09-21 (土) 01:12:47
    • またもやビス子さん大盤振る舞いだろうか?4人もいるから、さすがに5人目は… -- 2019-08-23 (金) 21:18:46
    • 実は子供のころ読んだ本にあったポケット戦艦が好きなんですけどね。そしたら「ドイツにそんな戦艦ない」と言われまして。それじゃあポケット戦艦は実装されず俺の片思いで終わるんでしょうか? -- 2019-10-13 (日) 15:42:00
      • ドイッチュラント級をポケット戦艦なんて呼んでたの日本くらいなのでその返しが来てもおかしくはないね。戦艦と言うより「戦艦の砲を積んだ重巡」なので、来るとしても多分重巡枠でしょうね。 -- 2019-10-13 (日) 17:00:24
      • ドイッチュラントやアラスカは別のゲームだと戦艦扱いされてる事も珍しくないのでゲーム中でどうなるかは最終的にゲーム都合次第。とはいえ当のドイツ海軍では最終的に重巡洋艦へ艦種変更されているのでそれに倣うなら重巡扱いになるが。……もっとも彼女らの場合、実用上の最大速力26ノットだが公試では28ノット出しており低速か高速かという艦これ的に分類に困る問題をもう一つ抱えていたりするのだが。 -- 2019-10-14 (月) 09:36:18
      • 「pocket battleship」というのは若干の蔑意を込めてイギリスのメディアが使いだした表現。日本もドイツと親しくなかった頃は「袖珍戦艦」とか「豆戦艦」と呼んでたりする。なお運用者であるドイツ海軍が、この艦級を戦艦に類別したことはない。 -- 2019-10-17 (木) 15:28:19
      • なお同級3隻のうち長女は28ノット、次女は28.3ノット、三女のシュぺーに至っては29.5ノットを公試で発揮しているから、艦これに出るなら高速になって欲しい(唐突な希望の表明) -- 2019-10-17 (木) 15:34:58
      • 大口径砲装備可能な重巡枠だと一部遠征において編成の幅が広がるだろうな -- 2019-10-17 (木) 16:33:05
      • 詳しく説明してくれた人たちありがとうございました。ちょっと特殊な重巡枠での実装を期待しよう。しかし3葉の話を聞くと英国はおろか嘗ての同盟国日本艦にもイジられそうなw -- 枝主? 2019-10-20 (日) 16:08:59
      • シュペー伯達は戦艦と巡洋艦両方で使えるクラスになると面白いよね (^Q^ -- 2020-02-15 (土) 13:22:43
  • 秋イベにドイツ艦を出さしてくれー!ビスマルクを! -- 2019-11-29 (金) 14:39:47
    • 出したきゃ史実特効無視して好きに出せばいい。「ドロップして欲しい」というなら「出さしてくれ」じゃなくて「出してくれ」な。その場合は建造しろ。 -- 2019-11-29 (金) 14:48:07
    • 別にどっちでもよくね -- 2019-12-05 (木) 22:26:15
  • この話し方しな「た」きゃ -- 2019-12-05 (木) 22:35:10
  • 返信出したきゃコメを無視して好きに見て流せばいい。出す側なら「出さしてくれ」で合ってるぞ。なんで「出す」目線で言ってんだ。「建造しろ」じゃなくて「建造したらかしてみては」な言葉遣い。その場合ここに書くかよ。その場合返信自重しろ。ってあなたの書き方で書いてみた笑笑 -- 2019-12-05 (木) 22:55:27
    • 草 -- 2019-12-14 (土) 10:22:28
  • すげー今さらなんだけど「らきすた」見ててみゆきさんと中の人が同じ事に気付いた あんな御淑やかなビスマルクもいいのではないかと新たな道が見えたよ -- 2020-01-05 (日) 19:28:25
  • 6年回し続けてやっとでました -- 2020-01-14 (火) 03:05:06
    • おめでとうございます! -- 2020-01-14 (火) 08:51:56
  • 2/18、NHKBS-P/3ch「ザ・プロファイラー」ビスマルクが登場!!(先行ツイッター集はこちら)ビス姐さんの"名づけ親"にしてドイツ中興の英雄のどデカい生きざまをトクとご覧あれ!! -- 2020-02-15 (土) 11:31:20
  • 弊社としましてはフミカネ氏が三越ビスマルクや特別グラを描いてくれることを期待しております -- 2020-02-15 (土) 12:09:23
    • 三越のHP後段(第二ラウンド)に望みを繋ぎましょ -- 2020-02-15 (土) 14:01:52
    • コーヒーとかビールとかドイツと関係のあるものがちょくちょく出るからそろそろ起用されてほしい ワインでもいい -- 2020-02-21 (金) 15:07:09
    • フミカネ神はベルリン奪還作戦で忙しいから今年は無理じゃないかな?来年には期待したいけど -- 2020-02-21 (金) 16:08:18
  • さすがにコイツは聞き捨てならぬ!ビスマルク姐さん、コレホントですかい!? -- かぼちゃ大王? 2020-03-06 (金) 21:33:26
  • 重い上に防御も低い 誇張が全てをものがったてる -- 2020-03-25 (水) 17:38:22
  • この記事を読んだビスマルク、すっごくシブイ表情で「んんん~むぅ・・・、とっても悔しいが、このヤーパンの先生の言われる通りだ。--提督も我等も、過去から深く、かつひいき目ナシに謙虚に学ばねば未来の指針は見えない--ということだな。」 -- 2020-04-12 (日) 18:47:27
  • 昨日着任されました。でも、うちの艦隊は設計図が現在半年待ちだから今年中にドライに出来るだろうか。 -- 2020-04-30 (木) 00:50:42
  • やっとこさレーベGETして速攻で大建して手に入れた。これから育てるのが楽しみ -- 2020-05-29 (金) 14:57:53
  • KGV「ドイツだったら蹴る…日本でも蹴る…」ビスマルク「…」大和「…」 -- 2020-06-02 (火) 01:27:00
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*1 こんにちは
*2 いいわ
*3 提督
*4 ありがとう
*5 撃て・砲撃 本来は「火」を意味する。
*6 どうもありがとう Dankeよりも丁寧な言い回し。
*7 詳細はリンク先を。簡単に言うとドイツはイギリスの35%の保有枠を認めて貰った。実はこれ、戦艦と空母に関する限り、フランス・イタリア=イギリスの33%よりも多い。なおUボートについては特例で35%の保有枠内であれば45%もOK。後にさらに制限が緩和され、同じ条件で100%=イギリスと同規模まで認められた。
*8 沿岸防衛用の戦艦で、巡洋艦並の排水量に大口径の主砲を搭載していた艦が多かった。喫水線が浅く、航続距離が短いので遠洋航海には不向き……なのだが、ロシアのバルチック艦隊はこれらの艦までも日本海海戦に投入。結果、1隻が撃沈され、2隻が鹵獲されてしまった。
*9 例えば有名なポケット戦艦は、単艦なら海防戦艦にやや不利、弩級戦艦相手では敗北必至だが、数隻が連携して当たれば勝利を得られる程度の性能を与えられた。
*10 資料を見ると、ドイツ艦の航続力は19ノットとか20ノットといった高い速力で設定されているのがわかる。普通は14~18ノットが多い。またポケット戦艦やH級が採用したディーゼル機関は蒸気タービンに比べて出力は低いが高速での巡航が得意という特徴を持つ。
*11 例えば、加賀の戦艦時代の姉妹艦土佐も実験で沈められている。
*12 当時の新戦艦に導入された新機軸は「多重防御の放棄」「集中防御の徹底」「三連装・四連装砲塔の採用による砲塔数削減とバイタルパート短縮」「副砲と高角砲の統合」等。このどれもが“軽量化のための工夫”である事に注目。そしてビスマルクにはそれらが一切ない。巨大化するのも、その割に性能が普通レベルに留まるのも当然である。
*13 斜線部が「守れていない」エリア。ティルピッツの装甲の非効率ぶりが際立つ。
*14 この方式で高速を狙うなら、リソース自体を大きくするしかない。つまり性能の割に巨大な艦になってしまう。
*15 英国の戦後調査では英・独の装甲材質はほぼ同等で、米国が25%程度劣るとしている。日本が大和で使ったVH鋼は戦時中の改良により強化され、英国の現用装甲に対して13%の品質有利を示し、世界最高だったという資料もある。ただし、実戦で米艦の防御が特別弱かった実例もないし、日英独の装甲が強力という証明もない。
*16 舷側装甲の最大値は320mm。しかし垂直配置であり、同レベルの厚さながら傾斜させていたフランスのリシュリューや、垂直ながら381mmもの厚さを誇るイギリスのキング・ジョージ5世等と比べて見劣りするのは否めない。
*17 第二次大戦でフランスを征服した後、リシュリューの設計図を入手したドイツは早速H級の改良に採り入れている。
*18 WWIに敗戦した時点では相当数の艦船が残っていたが、それらの艦船が戦勝国に賠償艦として分配される事を嫌い、イギリス海軍の根拠地スカパ・フローで全艦自沈してしまった。なお、その際にZ旗が旗艦のマストに翻っている。
*19 ドイツ海軍が保有できた艦艇は前弩級戦艦6隻・軽巡洋艦6隻・駆逐艦12隻・水雷艇12隻のみであった。
*20 厳密に言えば「ツェーザー」。日本語読みでは言いにくいので文献上は「カエサル」が普通。
*21 要はABCD。聞き間違いを防ぐためのフォネティックコードの親戚みたいなもの。ビスマルクに限らず他の艦の主砲でも同様に呼ばれた。ただし平時には海戦名・過去の艦名・都市名を用いた艦もある。当然これらは開戦と同時にABCD式へ変更された。
*22 イタリア戦艦は最新鋭のリットリオ級で燃料搭載量4,210トン。14ノット/4,700海里、16ノット/4,580海里、20ノット/3,920海里、30ノット/1,770海里とぶっちぎりの最下位だそしてアイオワ級は燃料搭載量7892トン。15ノット/14,890海里、20ノット/11,700海里、25ノット/9,600海里、サウスダコタ級は15ノット/15,020海里、ノースカロライナ級は15ノット/16,320海里、未建造したモンタナ級戦艦は15ノット/15,000海里で予定。
*23 コロラド級、ノースカロライナ級は日本のせいで14インチ砲戦艦の計画を16インチ砲に変更したものであり、どちらも16インチ砲対応防御を満たしておらず、ビスマルク級の38cm砲への防御には不足していたと思われる。
*24 アイオワ級は全重量の35%、17,056トンである。
*25 「アドミラル・ヒッパー」級重巡の3番艦。様々な作戦を乗り越え終戦まで生き延びた幸運艦。敗戦後はビキニ諸島に移動させられるが、長門や酒匂を沈めたあの光にすら耐えて最期まで意地を見せた。
*26 ワシントン条約の例外で、ビスマルク竣工まで20年以上世界最大の軍艦であった。全長は大和と僅か1m差。当時世界一有名な戦艦であり、「マイティ(強大な)・フッド」の愛称の通り、英海軍の象徴として国民から絶大な人気を誇った。
*27 まだ公試前でヴィッカース社の工員が乗っていた。
*28 ユトランド海戦での戦訓を顧みず、雑に積み上げてた副砲弾薬に引火・誘爆の末に轟沈した説もある。
*29 巨大な火柱を噴き上げ大爆発し船体が二つに折れ轟沈。乗組員約1,400名のうち生存者はわずか3名のみであった。
*30 ギュンター・リュッチェンス大将。ナチス嫌いで、総統の前でも海軍式の敬礼で通すなどしていた。特に海軍はナチスと距離を置く気風が強かった。
*31 プリンツ・オイゲンはこの後無事帰還し、上記の通り戦後まで生き延びた。
*32 包囲網を敷く為、本国艦隊で船団護衛についていた戦艦3隻も船団を放置して呼び戻し、地中海艦隊からも戦艦1隻・空母1隻を呼び寄せ、大西洋の全兵力を投入。ビスマルク1隻の追撃戦に、計100隻弱の艦艇が関わった。これはユトランド沖海戦のドイツ海軍参加艦艇の総数に匹敵する。
*33 全機発艦した攻撃機に至ってはたったの9機。とは言え装甲空母故に元から軽空母並みの36機が限度だったりする。ちなみにアークロイヤルは最大72機で当時48機搭載
*34 複葉機だがレーダー搭載。布張り故に損傷に強く、ビスマルク戦で一機は【175箇所被弾】しながら無事に帰還。わけが分からないよ。さすが妖精さん(フェアリー社)製はおかしい。
*35 ヴィクトリアス等イラストリアス級のプロトタイプ的存在でありながら、第二次世界大戦中の欧州で最大、かつ搭載能力も最大を誇る空母で、ヴィクトリアスの2倍以上の格納庫面積を持つ。
*36 操舵不能となる事態は恐ろしく、比叡を舵故障で喪失した後の日本軍艦の写真で艦尾右舷側に観える“大きな木板”は、艦の後ろに流して使う「応急舵」である。
*37 余談だが、旗艦駆逐艦のコサックは過去に捕虜輸送中の独タンカーのラム(電)アタックを回避し接舷、乗り込んでの白兵戦により捕虜救助している。いつの時代??
*38 駆逐艦が接近する度に夾叉され、長い追撃戦の後ながらビスマルクの砲撃は力強く正確で、近づけないと報告している。ビスマルクからの相次ぐ夾叉弾の弾片により英駆逐隊は3名の死者を出した。
*39 後に太平洋艦隊に配属され、日本本土への艦砲射撃も行った。
*40 霧島がロドニーと同じ16インチ砲戦艦ワシントンから食らい自沈に追い込まれた命中弾は9発。
*41 近距離からの砲撃で砲弾の多くが水線以上に命中し、浮力をあまり失わなかったのが浮かび続けた要因とされる。
*42 余談だが、ロドニーはこの戦闘で魚雷を発射している。ロドニーは命中を主張しているが、命中していれば戦艦が戦艦に魚雷を当てた史上唯一の事例。それでなくとも最後の事例である。
*43 この段階で自沈命令が出たらしく、「ビスマルクは撃沈されたのではなく自沈したのだ」と言う主張の根拠となっている。2002年、ジェームズ・キャメロン監督のチームが実施した残骸調査では英軍の魚雷の破孔が水密区画を破っていないことが判明した。
*44 ただしほぼ同時刻に自沈用爆薬が起爆されたとの情報もあり、さらに着底の際に海底火山の斜面を滑落した衝撃で艦底部をほぼ亡失していることも相まって沈没原因の完全な特定には至っていないのが実情である。
*45 温存した艦隊の潜在的能力で、敵海上活動を妨害し戦力を吸収する。
*46 いずれの作戦でもまとまった戦力を投入せず、散発的な攻撃に終始したのが失敗の要因。例えば2回実行された航空攻撃で投入された戦力はいずれも50機足らずで、マレー沖で100機余りの爆撃機を投入した日本軍や、大和武蔵に数百機以上の艦載機で反復攻撃を行った米軍と比べると貧弱極まる戦力であった。成功した作戦もあり、X艇と呼ばれる小型潜水艇を用いた奇襲作戦ではティルピッツに大損害を与えることに成功している。
*47 46cm砲用九一式徹甲弾と比較した場合、重量4倍弱、炸薬量70倍超と言うバケモノである。
*48 このビッグ5の内、終戦まで生き残れたのはサラトガだけであった。そのサラトガも長門や酒匂、プリンツ・オイゲンと共にビキニ環礁で核の閃光の中に消え去る。なお追撃戦の彼女の僚艦ヴィクトリアスは、姉妹で唯一ジェット機時代まで運用された。
*49 ランキングは;1位アイオワ級戦艦、2位ニミッツ級空母、3位クィーンエリザベス級戦艦、4位タイコンデロガ級巡洋艦、5位フレッチャー級駆逐艦、6位ノースカロライナ級戦艦、7位ビスマルク級戦艦、8位エセックス級空母、9位ポケット戦艦、10位フッド級巡洋戦艦。
*50 タイタニック号を発見した事で有名な海洋考古学者。霧島綾波も彼の調査で発見された。
*51 実際、師匠とも言える英国から「お前らは艦名でハイクでも詠むつもりか(意訳)」と呆れられた
*52 7C型、U-511の該当するIX型より小型の艦。
*53 極めて余談だが、彼の出身地はなんと日本の石川県金沢市。