|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.314|
|&attachref(./314.png,nolink,HMS Sheffield 着任します。);|>|Sheffield&nobr{(シェフィールド)};|>|Town級 5番艦 &nobr{軽巡洋艦};|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|38|~火力|25 / 56|
|~|~装甲|16 / 41|~雷装|20 / 40|
|~|~回避|32 / 65|~対空|28 / 70|
|~|~搭載|5|~対潜|38 / 70|
|~|~速力|高速|~索敵|22 / 68|
|~|~射程|中|~運|17 / 79|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|35|~弾薬|60|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|1|>|>|[[6inch Mk.XXIII三連装砲]]|
|~|1|>|>|未装備|
|~|3|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Sheffield'' → [[Sheffield改]](Lv55)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:Town級軽巡洋艦、HMS Sheffield。&br;軽巡といっても、実際は重巡クラスの規模と火力を持つ重武装艦です。&br;北極海での対ソ援助物資輸送船団の護衛、ビスマルクの追撃戦など数々の戦いに参加しました。&br;バレンツ海の戦いでは独艦隊を撃破、船団護衛に成功しています。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:高尾奏音、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:高尾奏音、イラストレーター:コニシ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Sheffield/定型ボイス]])
#table_edit(Sheffield/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Sheffield/時報ボイス]])
#table_edit(Sheffield/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Sheffield/季節ボイス]])
#table_edit(Sheffield/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#game]
-2020年11月28日実装。
--初登場イベント『[[護衛せよ!船団輸送作戦]]』では [[E-2>護衛せよ!船団輸送作戦/E2]] でドロップする。
-図鑑No.は史実で縁の深い[[Ark Royal]]の一つ前で、[[Jervis]]、[[Janus]]とも同一ページになる。
--海外軽巡としては8人目([[Atlanta]]含む)の実装だが、このために番号は一番若くなった。
**運用について [#operation]
-地味にアトランタ砲とその上位版(「[[5inch連装両用砲(集中配備)]]」と「[[GFCS Mk.37+5inch連装両用砲(集中配備)]]」)を搭載した時、ペナルティがない。
--対潜が高く「[[HF/DF+Type144/147 ASDIC>HF/DF + Type144/147 ASDIC]]」と「[[RUR-4A Weapon Alpha改]]」と「[[対潜短魚雷(試作初期型)]]」があれば装備ボーナスも加わりLv22から先制対潜が可能。
--英国艦の為か、「[[Fairey Seafox改]]」と「[[Swordfish Mk.II改(水偵型)]]」を装備するとフィットボーナスが付く。
-2021/02/05のアップデートで英国艦専用[[対空カットイン>対空砲火#antiairfire]]が[[発動可能>https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/1357645300895080449]]となった。
-2024/03/28の2月作戦報酬の配布に合わせて、[[Type281 レーダー]]、[[Type274 射撃管制レーダー]]に限り補強増設に電探を装備できるようになった。
**キャラクター設定について [#character]
-常に落ち着いた、クールな艦娘。一人称は「あたし」もしくは「私」、提督の事は「君」と呼ぶ。
-[[改>Sheffield改]]で実装される時報では、料理上手な一面を覗かせる。
--朝食に焼き立てのパンとマーマレード、昼食にミートパイ、夕食に特製ラムチョップを披露する。いずれも手作りであるとのことで、高い腕前をうかがわせる。
-執務も誠実に取り組むが、生真面目さゆえか振り回されがち。[[Swordfish]]について熱弁する[[Ark Royal]]に閉口し、ラム酒片手に襲来した酔っ払いの[[Nelson]]を追い返している。%%恒例の[[環境音>川内]]((「小さな軽巡がうるさい」と言っている実際Sheffieldと川内では排水量で倍近い差がある。))にも反応しているが、最早何も言うまい。%%
--また、かつて敵対した[[Bismarck]]、そして[[Prinz Eugen]]が友軍であるという事実は非常に衝撃的だったようで、呉越同舟さながらの状態が受け入れ難いのか「眩暈がしそう」と零している。
---動揺しながらもBismarckをアフタヌーンティーに誘おうとするなど、彼女なりに今の仲間たちと上手く付き合っていこうという意思はあるようだ。
-極めて珍しい、夕日に対しての反応が淡白な艦娘。&color(Silver){むしろこれが普通?};
-提督の呼び方は基本的に「君」。しかし、23時の時報では……?
//-造形・艤装や艦娘の性格・台詞回し等についての小ネタを記載してください。
**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2021年12月10日アップデートで、[[艦娘【Xmas】mode>https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/1469269029374525445]]が実装された。
--上着を赤と白のケープに変え、下も暖かそうではあるが身体のラインが出る服になっている。
イギリス艦の軽巡以上がつけている胸の薔薇も、いつもより大きく赤が強いものに変えている。
---後手で隠しているのはプレゼントだろうか。
--艤装は簡易版になっているだけでなく、主砲や腰回りの色が赤に塗られている。
-
#fold(限定イラスト:Xmasmode){{
限定イラスト:Xmasmode
&attachref(./314_Xmas.png,nolink,き、君……これをあげる。);
}}
*小ネタ [#neta]
#fold(略歴){{
略歴
|~1935|1.31|ヴィッカース・アームストロング社ニューカッスル・ウォーカー造船所にて起工|
|~1936|7.23|進水|
|~1937|8.25|就役|
|~1938|7-8|レーダー搭載工事によりイギリス海軍初のレーダー搭載艦となる|
|~1940|11.27|スパルティヴェント沖海戦|
|~1941|2.8|グロッグ作戦(ジェノヴァ砲撃作戦)|
|~|3.30|オラン沖でヴィシーフランス空軍と交戦し損傷|
|~|5月末|ビスマルク追撃戦|
|~1942|3.4|アイスランド沖で触雷大破|
|~|11.8~|トーチ作戦(北アフリカ上陸作戦)|
|~|12.31|バレンツ海海戦|
|~1943|9.9|アバランチ作戦(イタリア本土上陸作戦)|
|~|12.26|北岬沖海戦|
|~1944|4月~|ティルピッツ攻撃戦|
|~1945| ~5月|ボストンで改装|
|~1946| ~6月|ポーツマスで改装|
|~1946|6月~|アメリカ西インド艦隊旗艦|
|~1949||本国で改装|
|~1956||大規模近代化改装&映画出演|
|~1958||地中海艦隊|
|~1959||予備役編入・ポーツマスで司令部直属艦として練習艦扱い|
|~1966||練習艦・宿泊艦任務から引退。ベルファストと交代|
|~1967||解体|
}}
-元ネタはイギリス海軍タウン級/サウサンプトン級軽巡洋艦「シェフィールド」。艦名はイギリス中部の工業都市シェフィールドから命名された。
--愛称は「''Shiny sheff''」(ピカピカのシェフ)。
---通常真ちゅうで作られている艦内の手すりやドアノブなどがステンレスで作られていたのが愛称のもとになっている。ステンレス製になったのは一つには手入れの簡素化という理由もあったが、名前の由来になったシェフィールド市が鉄鋼業の街で、ステンレス製品の生産が盛んであることと無関係ではなかった。艦内のステンレス製品にはシェフィールド市のメーカー製品も多く使われていたという。&color(Silver){%%しかし次代はアルミ部材を多用していたせいで%%};
---特に艦上で時刻を知らせる重要な船鐘はシェフィールドのHadfields社で鋳造され、シェフィールドの職人によって彫刻された特別製の逸品が寄贈された。
--街の名前を持つ艦艇はそれまでにも存在したが、シェフィールドは18世紀の産業革命で大きく発展した新しい都市なのでこの「シェフィールド」まで艦名に使われていない。
--艦名に市の名前が付くのは名誉なことでもあったので、市当局は第一次世界大戦前の建艦競争時代から「新造艦にうちの名前を!」と運動していた。シェフィールドに名前が決まると上記したようにシェフィールドの町からステンレス製の部品や備品を装備したり、時には絹製の軍艦旗(これも市製)や町の人々からいろんなものを貰えるなど気合の入れようが違うのが分かる逸話もある。
--艦のモットーは「Deo adjuvante proficio」(我ら神の助けとともに邁進す)。
---このモットーはシェフィールド市のモットー「Deo Adjuvante Labor Proficit」(我らの働きは神の助けによって成功する)((もっと俗っぽく言うと、「俺らには神様がついてるから大丈夫」的な感じ))から取ったもの。また艦の紋章もシェフィールド市の紋章の一部である「交差する8本の矢」になっている。
---シェフィールド市の婦人会から特製の絹製軍艦旗が贈呈されたほか、備品のワインコースターや煙草入れなども市の企業で製造されて贈呈されたという話が残る。
--シェフィールドはナイフなどの刃物生産で特に知られており、同じく刃物で有名なドイツのゾーリンゲン(Solingen)、日本の関(Seki)と並んで「刃物の3S」と呼ばれている。
-度重なる戦闘に参加しながら戦争を生き抜いただけでなく、近代化改修によって1960年代まで現役で((ただし最後は練習艦兼宿泊艦ではあるが))活動し続けた強運の艦でもある。
--戦功と強運から、艦名は現在に至るまで3隻の艦艇に引き継がれている。2代目のシェフィールドは1975年就役の42型駆逐艦でフォークランド戦争で戦没((アルゼンチン海軍所有のシュペール・エタンダールから発射された「エグゾセ」による攻撃。これが、世界初の「対艦ミサイルによる艦船の撃沈」として記録されている。これを記念してか、ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館に、フランス海軍機が展示されている。南米の果てでも、英仏はガチンコやっていたのである…))((ちなみにこの際の退艦時に乗員がモンティ・パイソン制作映画「Monty Python's Life of Brian」のED曲「Always Look on the Bright Side of Life」を勇気付けに歌っており「後代がモンティ・パイソン絡みネタが有る」という部分が[[Ark Royal]]と共通していたりする))、3代目は1988年就役の22型フリゲートで2003年に無事退役(チリ海軍に売却され現役)、4代目は現在建造予定の26型フリゲートに命名される予定である。
#fold(2代目タウン級について){{
2代目タウン級について
-イギリスはロンドン海軍軍縮条約以降まず[[リアンダー級>Perth]]を建造、次に小型化しコストを下げた植民地警備用のアリシューザ級を建造した。
しかしアリシューザ級を4隻ほど計画したところで日本とアメリカが[[最上]]型・[[ブルックリン級>Brooklyn]]の建造を開始。これらに対抗するためイギリス海軍でも基準排水量9100トン・6インチ砲12門級の大型軽巡の建造に乗り出す。これがタウン級である。
建造開始当初は前級までと同じく神話の登場人物から名づける予定だったが、途中で(第1次大戦時に建造した初代タウン級巡洋艦同様に)街(タウン)の名前から命名することになり、1番艦「サウサンプトン」と2番艦「ニューカッスル」は建造中に改名している((当初の艦名はそれぞれ「ポリフィーマス」「マイノーター」の予定だった。))。
タウン級は途中で船体や装甲などの設計を改良しつつ全10隻が建造された。そのため建造時期によって前期型「サウサンプトン」級5隻、中期型「グロスター」級3隻、後期型「エディンバラ」級2隻のサブタイプに分けられることもある。「シェフィールド」はこのうちの前期型のうちの1隻である。
-タウン級は全体的な設計はリアンダー級の(正確に言えばその改良型である[[パース>Perth]]級の)拡大発展型としつつ、より外洋での航洋性を重視して艦首の乾舷が高い長船首楼型船体を採用した。
また連装砲塔で12門もの主砲を載せると全長が長くなりすぎるので、新設計の3連装砲塔×4基として短縮を図った。
工期とコストの削減のため、それ以外の搭載兵装はほとんどが既存の砲・機銃・魚雷を搭載している。
防御面も重視され、水線部・機関部の最も厚いところで114mmと、(数値上では)重巡洋艦クラスの重装甲を施した。
--ただし、厚いのはいわゆるバイタルパート部のみでそれ以外は軽巡相応と言える装甲。&color(Silver){%%イラストでもお胸あたりがガッチガチ%%};
--また船体の装甲は厚めだがサウサンプトン級では砲塔は弾片除け程度の装甲しかなく((これ自体は日米も大差はないのだが))、中期型のグロスター級で装甲が追加された。
-後期型のエディンバラ級はさらに武装を強化する予定で、主砲を4連装にするつもりで船体を拡大した。イギリスの軽巡では初めて基準排水量1万トン越えを果たしたのだが、しかし肝心の4連装砲塔を実用化出来なかったので3連装に戻し、その分拡大して広くなった甲板に対空兵装を積んだ。
-機関配置もパース級同様シフト配置を採用し、前後の煙突が離れているのが外観上の特徴である。機関部はパーソンズ式タービン4基4軸推進、アドミラルティ水管式ボイラー4基で75000馬力、最高速力は32ノット。
--さらに、索敵能力の強化のため、イギリスの巡洋艦としては初めて水偵の専用格納庫を前部煙突の基部に装備した。搭載したのはスーパーマリン・ウォーラス。
---しかし艦橋・煙突と一体化した上部構造物が大きすぎて目立つ、と一部で不評もあったという。「サウサンプトン」が地中海で爆撃により沈んだ時には地中海艦隊司令長官カニンガム大将が「サウサンプトン級はいい船ですが、あのでかい格納庫が爆撃のいい的になっています」とパウンド海軍卿に手紙で愚痴ったという逸話が残っている((ただし、実際には空襲で沈んだのは2隻だけである))。
---後期型のエディンバラ級では煙突の位置が変更されて若干小さくはなった。
-タウン級10隻のうち、「サウサンプトン」「グロスター」が地中海で空襲により撃沈。「マンチェスター」は地中海でイタリア軍魚雷艇の雷撃により大破自沈。「エディンバラ」が北海でドイツ軍潜水艦の雷撃により航行不能となり雷撃処分。計4隻が戦没し、残った6隻は近代化改修を受けつつ1950年代末期に退役した。
~
-なお上述のように本ゲームのタウン級は2代目で、初代は第一次大戦時に総勢21隻が建造された。
--2代目の内「グラスゴー」「グロスター」「リヴァプール」「ニューカッスル」「サウサンプトン」「バーミンガム」は初代からの襲名である。
--第一次大戦では少なからざる戦勲を上げ、戦間期に順次除籍されていったが、第二次大戦時には就役が一番遅かった「アデレード」のみが残存、オーストラリア海軍として大戦に参加後((開戦時にオーストラリア海軍が保有していた軽巡は[[パース>Perth]]級3隻とアデレードの4隻。))の1949年に解体された。
---特にオーストラリア海軍に所属していた「シドニー」は、悪名高い通商破壊艦だった軽巡エムデンの撃沈・ドイツ帝国海軍飛行船L43との史上初の本格的艦対空戦闘などを経験し、その誉れ高さから今もシドニー市に舳先やマストが保存されている。
}}
#fold(「シェフィールド」の艦歴){{
「シェフィールド」の艦歴
**艦歴 [#d847c05a]
1935年1月31日、ヴィッカース・アームストロング社のニューカッスル・ウォーカー造船所で起工。翌36年7月23日進水、1937年8月25日に就役。ちなみに艦これ実装艦では[[ネルソン>Nelson]]が同郷である。
1938年7月の改装で79Y型対空警戒レーダーが追加搭載。イギリス海軍で初めてレーダーを装備した艦艇となった。
1939年9月の大戦勃発時には第18巡洋艦戦隊に属して北海~デンマーク海峡をパトロールするがドイツ艦との触接は無し。
1940年は1月末に悪天候で損傷し、修理が終わった3月から4月にかけてノルウェー救援作戦に参加するが、この作戦は失敗。
更にイギリス海峡の警備を行った後H部隊に移動となりジブラルタルに向かう。以降、[[アークロイヤル>Ark Royal]]と戦陣を共にする。
地中海では数度にわたるマルタ島救援輸送作戦に参加。11月27日のスパルティヴェント岬沖海戦ではイタリア巡洋艦隊と砲火を交えているが、戦果・損害共になかった。
1941年も引き続きH部隊の一員として地中海で活動。2月にはジェノヴァ砲撃作戦に参加する。
3月には北アフリカ・オラン沖でヴィシーフランス空軍と沿岸砲台からの攻撃で損傷。ジブラルタルで修理を行う。
***ビスマルク追撃戦 [#u52a0deb]
そして5月、マルタへの輸送作戦から帰った直後のH部隊も[[ビスマルク>Bismarck]]追撃戦に駆り出され、戦艦「レナウン」空母「アークロイヤル」と共にビスマルク捜索に出撃する。
5月26日10時半、カタリナ飛行艇がビスマルクを発見。もっとも近い位置にいたH部隊から一番足の速いシェフィールドが接近を命じられ、ビスマルクをレーダーでとらえられる位置に移動する。
14時半ごろアークロイヤルの放った第一次攻撃隊のソードフィッシュが飛来……したのだが、このソードフィッシュ隊はシェフィールドをビスマルク(あるいは[[プリンツ・オイゲン>Prinz Eugen]])と誤認して雷撃してしまう。
幸いなことに半数ほどの魚雷は海面に投下された時点で爆発し、残りの魚雷も操艦でなんとか回避した。
さらに接触を続け追撃艦隊を誘導し続けていたが、午後9時過ぎにビスマルクからの砲撃を受けて上甲板とレーダーが破損したため後退。ビスマルクはその後到着した追撃艦隊によって撃沈された。
H部隊はジブラルタルに帰投し再びマルタ輸送作戦(ロケット作戦)に投入される。作戦終了後、一時的にH部隊を離れて大西洋上でUボートの補給船を撃沈。
その後6月から7月にかけてロサイスでドック入りし、284型/285型管制レーダーの搭載と対空機銃の増強を行う。
地中海に戻り、9月25日にはマルタ輸送作戦(ハルバード作戦)に参加、10月には軽巡「ケニア」((クラウン・コロニー級))とともに再びUボート補給船を撃沈。
本国帰還を命じられ、12月に対ソ連向け輸送船団PQ5船団の護衛に付く。以後北海・北極海中心の活動に移る。
-この対ソ連向け輸送船団は、レンドリース法に基づいて、イギリス・アメリカから各種兵器や軍需物資をソ連に輸送する船団のことで、援ソ船団ともいう。1941年から運行が始まり、最初は損害もほとんどなかったのだが、1942年夏になると損害が急増する。
特にこの後の[[PQ17船団>護衛せよ!船団輸送作戦/E3]]は戦艦「[[ワシントン>Washington]]」・空母「[[ヴィクトリアス>Victorious]]」を含む米英連合50隻以上の護衛部隊を投入しながら、ドイツの投入した200機以上の爆撃機と潜水艦と護衛部隊の不手際によって24隻もの輸送船が沈められた。続くPQ18船団も13隻の輸送船を失った。
1942年3月4日 PQ12船団護衛中、「シェフィールド」はアイスランド北東部で触雷。人的損害は最小限にとどめられたものの、大浸水により艦後部の電源を喪失。6ノットの低速でアイスランドに何とか戻り、応急修理後ニューカッスルで修理を受ける。修理中に新型の281型対空レーダーへの換装を行った。
7月末、艦隊に復帰。10月から11月にかけて北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)に参加。東部隊に属し上陸船団の護衛と上陸支援を行う。
この間数回にわたる空襲を受け、同じ支援部隊にいたモニター艦「ロバーツ」が大損害を受けたりしたがシェフィールドには損害はなかった。
***バレンツ海海戦 [#l3049457]
トーチ作戦終了後は本国に戻され、再び対ソ連輸送船団JW51A/B船団の護衛を命じられる。軽巡「ジャマイカ」((クラウン・コロニー級))、駆逐艦3隻((ビーグル、マッチレス、オポチューン))とともにR部隊を編成し、ロバート・L・バーネット少将の旗艦となった。
-前述した夏季援ソ船団の相次ぐ大損害に、米英ソは船団を一時中止し、天候が悪く航空機も潜水艦も活動が阻害される冬に改めて輸送船団を編成することにしていた。JW51A/B船団はこの仕切り直しの第一陣であった。
--しかし冬だから安全というわけでもなかった。北からの流氷・結氷によって迂回が出来ず、夏の船団よりも沿岸に少し近い航路を取らなければいけなかったし、ソ連側の港も不凍港のムルマンスクだけしか利用できない。つまりドイツ側も待ち伏せが可能なのだ。
--さらに、荒天で船団や艦艇に被害が出る恐れもあった。JW51B船団も12月28日に嵐で輸送船5隻と護衛艦艇2隻が船団からはぐれ、行程が遅れている(合流を諦めてそのままムルマンスクに向かった輸送船もいた)。
--もちろんドイツ軍も黙視してはおらず、艦隊司令官クメッツ提督は潜水艦による哨戒線を張り、発見次第水上艦隊を出撃させる作戦を取った。この作戦はレーゲンボーゲン(虹)作戦と命名された。
R部隊はこの輸送船団に直接張り付いて護衛するのではなく、輸送船団の針路上で敵艦隊の出現確率が一番大きいノルウェー北部海域を往復巡回して敵襲に備える、間接護衛任務を命じられた。
輸送船16隻・駆逐艦6隻などからなるJW51A船団とR部隊は12月25日に無事にコラ湾に到着。27日、帰路となるRA51船団と、JW51Aに続航してくるJW51B船団(輸送船14隻、駆逐艦6隻、コルベット2隻、掃海艇1隻)の間接護衛としてバレンツ海に出撃する。最初は軽巡2隻駆逐艦2隻で出撃した((駆逐艦ビーグルはRA51船団の護衛に残した))が、駆逐艦2隻は航続距離の都合で途中で分離・帰国し、2隻の軽巡洋艦だけで巡回を続けた。
-12月30日、哨戒線のドイツ潜水艦「U-354」が船団を発見。クメッツ提督は重巡「リュッツオウ」((元装甲艦「ドイッチュラント」級1番艦。開戦後に改名し艦種類別が変更された。))、「アドミラル・ヒッパー」((アドミラル・ヒッパー級1番艦。「オイゲン」の姉))・駆逐艦6隻に出撃を命じる。途中で艦隊を二手に分け、「ヒッパー」と駆逐艦3隻は北から、「リュッツオウ」と駆逐艦3隻は南から船団の予想航路に接近した。
12月31日朝8時過ぎ、ヒッパー隊の駆逐艦「フリードリヒ・エッコルト」((1934A型(Z5型)12番艦。))がJW51B船団を発見し友軍を呼び寄せる。少し後に船団側もヒッパー隊を発見し救援を求める緊急通信を発信する。その後の、2隻沈没1隻大破の損害を出しつつ耐えきった護衛隊の奮戦ぶりは有名だが、シェフィールド自身の戦いではないのであえて詳しくは触れない。気になった方は調べてみてほしい。大変燃える。
この時「シェフィールド」は巡回2往復目に入っていた。JW51B船団からの有力なドイツ艦隊の接近を知らせる緊急通信を受信し、即座に救援に急行した「シェフィールド」と「ジャマイカ」の前に、船団を襲う「ヒッパー」隊が出現する。
11時35分、「シェフィールド」と「ジャマイカ」は「ヒッパー」に対して砲撃を開始。吹雪と視界不良の中で「ヒッパー」に数発の命中弾を得て、いくらかの浸水とボイラーへのダメージを負わせて速力を低下させることに成功する。
-輸送船団に集中していた「ヒッパー」とクメッツ提督にとってこれは奇襲になった。一方「リュッツオウ」隊は船団の東側から接近して砲火を浴びせたが、こちらも煙幕と天候悪化で攻撃に失敗した。
クメッツ提督は「巡洋艦がいるなら駆逐艦も来るはずだ」と考え、輸送船団へのこれ以上の攻撃を断念し全艦に撤退を命じる。
しかし駆逐艦「フリードリヒ・エッコルト」と「リヒャルト・バイツェン」((1934型(Z1型)4番艦。「[[Z1]]」「[[Z3]]」の妹。))がR部隊を「ヒッパー」と「リュッツオウ」だと誤認して接近。「シェフィールド」は「エッコルト」に多数の命中弾を負わせて撃沈し、「バイツェン」を撃退する。
その後「ヒッパー」と「リュッツオウ」は一時R部隊を挟撃できるポジションに着いたものの、(存在しない)駆逐艦の雷撃を警戒しすぎて決定打を出せず、R部隊もさらなる敵増援がある事を警戒して近寄らず、両者ほぼ同時に戦闘を打ち切った。
--結果として、ドイツ艦隊は護衛の駆逐艦隊とR部隊の奮闘に阻まれて船団の輸送船を一隻も撃沈できずに終わり、%%ちょび髭おじさん%%ヒトラーはこの結果に大激怒。一時は「海軍司令長官クビ!''巡洋艦以上の大型艦全部解体して資材にしちまえ!''」と息巻いたが、新しく司令長官になったデーニッツ元帥が根気強くとりなして何とか収めた。
1943年前半はそれまでの酷使からか、あちこちの調子が悪くなりドックと海を行き来する羽目になる。
まず2月、船団護衛中に悪天候で砲塔1つを全損する損傷を負う。3月から5月までの修理中に航空艤装を撤去し跡地に対空機銃を増設した。
6月11日には掃海艇と衝突。中央部に小損傷。下旬に復帰しシチリア上陸作戦のために移動する船団の護衛任務に就くが、今度はボイラーが不調になり任務後ドックに逆戻り。
8月にビスケー湾で封鎖突破船狩りをした後、9月から10月はイタリア本土上陸作戦(アバランチ作戦)の支援にあたる。11月にはオランでカイロ会談に向かうルーズベルト大統領の座乗艦として訪れた「[[アイオワ>Iowa]]」を出迎えている((日付的には例のアイオワ誤射事件の数日後である))。
***北岬沖海戦 [#wc15e8f5]
12月、本国に戻るとまた対ソ連輸送船団護衛任務を命じられ、姉妹艦「ベルファスト」と重巡「ノーフォーク」と第10巡洋艦戦隊を組んで出撃する。
戦隊司令官はバレンツ海海戦で「シェフィールド」に座乗したバーネット中将で、今度は「ベルファスト」が旗艦になった。
-イギリス本国艦隊司令長官フレーザー中将はこの時、ノルウェーにいるドイツ巡洋戦艦「シャルンホルスト」を脅威と考え、護衛部隊を増強していた。
護衛部隊は船団を直接護衛する駆逐艦とコルベットの戦隊、やや離れた位置で間接護衛する駆逐艦戦隊、海域全体を哨戒しつつ襲撃に備える巡洋艦戦隊「フォース1」、さらに少し離れた位置にいて急行するフレーザー中将直卒のキングジョージ5世級戦艦「デューク・オブ・ヨーク」と軽巡「ジャマイカ」と駆逐艦からなる「フォース2」の4つに分けられた。
バーネット中将の戦隊は「フォース1」として、海域を通過するJW55A/B船団((スコットランド→ソ連))とRA55A/B船団((ソ連→スコットランド))の間接護衛に当たることになった。
-一方のドイツ海軍も機会あればこれらの輸送船団を襲撃することを狙っていたが、9月に戦艦「ティルピッツ」が航行不能に追い込まれて修理中であり、積極的な攻勢には出ずらかった。
現場指揮官であるエーリヒ・バイ少将は駆逐艦と潜水艦((作戦前に他方面に引き抜かれてしまった))での襲撃を考えていたが、海軍司令長官デーニッツ元帥から水上艦隊全力での襲撃を命じられ、「シャルンホルスト」と駆逐艦5隻での出撃を余儀なくされた。
しかしドイツ艦隊の出撃はイギリス艦隊に偵察と無線傍受で察知されていた。逆にバイ少将はイギリス艦隊の位置も規模も知ることなく両者は接近した。
12月26日朝、「シャルンホルスト」は駆逐艦を散開させ捜索攻撃を命じる。一方ドイツ艦隊を捜索していた「フォース1」の3隻のレーダーは%%ぼっち%%単独行動する大型艦を捉えた。「シャルンホルスト」はレーダーを作動させておらず、3隻が0926時に射撃を開始するまで接近に気づかなかった。
この交戦でフォース1のいずれかの艦が放った砲弾が「シャルンホルスト」のレーダーを破壊。以後の射撃は目視で行わなければならず、命中率は大きく低下した。
一旦距離を取ったフォース1だが、12時ごろに再び「シャルンホルスト」をレーダーで探知し攻撃を再開。反撃により「ノーフォーク」のレーダーと主砲が破壊され後退するが、一方の「シャルンホルスト」のバイ少将は戦艦を含む敵艦隊に迎撃されたと誤認、全艦隊に撤退を命じた。
「シェフィールド」は追撃を行うが、途中でプロペラシャフトが1本故障して落伍。肝心なところで運がないあたりが幸運艦の割に運が低めに設定されている理由かもしれない。
「ベルファスト」がその後も単艦で「シャルンホルスト」をレーダー探知しつつ追跡。「デューク・オブ・ヨーク」率いるフォース2が来援して「シャルンホルスト」を撃沈する。
故障したプロペラシャフトの修理を終え、1944年3月から5月にかけてノルウェーのフィヨルドに引きこもっていた戦艦「ティルピッツ」を空母艦載機で襲撃する一連の作戦に空母護衛艦として参加するが、戦果は僅少であった。6月にはワンダラー作戦((ノルマンディー上陸作戦の一環としてノルウェー方面へ侵攻するように見せかける空襲作戦))に護衛艦として参加する。
その後はアメリカのボストンで翌年5月まで長期間のドック入り。この間にヨーロッパ戦線は終結し、6月にイギリスに帰投した後も射撃統制装置の大改装に入った。
***戦後 [#o45ed15b]
-1946年6月から1954年までは主にアメリカ・西インド艦隊に配属され、一時的に旗艦を務めもした。本国艦隊や地中海艦隊でも活動し、1953年にはエリザベス女王戴冠記念観艦式に参加した。
この間1949年と1954年に小改装工事を行い、1956年からの近代化大改装では通信設備の増強に伴うマストの変更、NBC兵器戦闘に対応した艦橋の密閉化・除染装置の追加等を行った。同じ内容の近代化改修が姉妹艦「ベルファスト」にも行われた。
1957年から地中海艦隊に復帰、1959年に予備役入りしたが、同時期に行われていたほかの艦((マイノーター級軽巡「スウィフトシュア」。ただし改修は途中で放棄され退役))の改修との兼ね合いで1960年に一時的に現役復帰し、その後はポーツマスで練習艦兼宿泊艦として使われた。
1964年に廃艦待ちリストに載せられ、1966年に宿泊艦任務からも退いた後、保存運動が盛り上がったことから保存のための調査も1966年に行われた。しかし、艦の状態が保存に適さないと判断されて1967年に解体された。
--シェフィールド市から贈呈されたステンレス製の船鐘は解体後にシェフィールド市に寄贈され、現在もシェフィールド大聖堂に保存されている。
-「シェフィールド」の最後の宿泊艦任務を受け継いだのは同じタウン級最終10番艦の「ベルファスト」であった。「ベルファスト」はその後1970年に退役。こちらも一度は解体待ちになるが「シェフィールド」同様に保存運動が行われた結果、船体の状態もよかったこと、他に第二次大戦時の大型艦がほとんど残っていなかったことなどもあり博物館船となることが決定。現在もロンドン市内、ロンドン塔対岸のテムズ川岸で余生を送っている。
// 重複記述削除
-1955年にはドイツ装甲艦「アドミラル・グラフ・シュペー」の最期を描いた映画「戦艦シュペー号の最期」(原題では「The Battle of the River Plate(ラプラタ川の戦い)」)に出演しリアンダー級軽巡「エイジャックス」役を演じた。
-ちなみに「シュペー」役にはアメリカ海軍のデモイン級重巡「セーラム」、重巡「エクセター」役には「シェフィールド」と何度も戦陣を共にした軽巡「ジャマイカ」、そして軽巡「アキリーズ」は大戦後インドに譲渡されて「デリー」と改名していたアキリーズが本人役で出演している。
--しかし&color(Silver){同じリアンダー級のはずのアキリーズとエイジャックス(シェフィールド)が全然別の艦だし、重巡のはずのエクセター(ジャマイカ)がエイジャックスより小さい};のは気にしてはいけない。
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&color(Red){''ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、[[wiki内神社]]というページが設置されました!ぜひご利用ください。''};