|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.527|
|&attachref(./527.png,nolink);|>|Valiant(ヴァリアント)|>|Queen Elizabeth級 戦艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|73|~火力|74 / 91|
|~|~装甲|72 / 90|~雷装|0|
|~|~回避|25 / 54|~対空|40 / 87|
|~|~搭載|12|~対潜|0|
|~|~速力|低速|~索敵|15 / 47|
|~|~射程|長|~運|35 / 85|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|90|~弾薬|110|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|3|>|>|[[38.1cm Mk.I連装砲]]|
|~|3|>|>|[[Swordfish(水上機型)]]|
|~|3|>|>|未装備|
|~|3|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Valiant'' → [[Valiant改]](Lv73)|
|>|>|>|>|~図鑑説明| 
|>|>|>|>|LEFT:Queen Elizabeth級戦艦、Valiantだ。&br;そうだな、Force H、そして地中海艦隊、さらに東洋艦隊の一翼として、太平洋戦域にも出動した。まあ、僕は戦艦だからな。当然の責務だ。ああ、姉貴か……凄い奴ではあるが。まぁ、気をつけるさ。今度は。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:華崎文嘉、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:華崎文嘉、イラストレーター:コニシ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Valiant/定型ボイス]])
#table_edit(Valiant/定型ボイス)
~

#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Valiant/時報ボイス]])
#table_edit(Valiant/時報ボイス)
~

#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Valiant/季節ボイス]])
#table_edit(Valiant/季節ボイス)
~

//セリフ一覧内における外国語の解説の記述方式について→https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%AD%B0%E8%AB%96%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF/%E8%89%A6%E5%A8%98%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95%E4%B8%80%E8%A6%A7%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
}}

*ゲームにおいて [#game]
-2024夏イベント前段作戦『[[Operation Menace]]』E2にてドロップ艦として初登場。
-[[Swordfish(水上機型)]]を装備可能。他の水上爆撃機は装備不可。
--上位種となる[[Swordfish Mk.III改(水上機型)]]、[[Swordfish Mk.III改(水上機型/熟練)]]も装備できない。

//**装備ボーナスについて [#bonus]


//**性能比較表(?より転送)  [#comparison]


**アップデート履歴 [#update]
-2024/07/27:[[イベントドロップ艦>Operation Menace/E2]]として実装。
-2025/05/12:[[大型艦建造]]で建造可能になった。
--[[Warspite]]を秘書艦にして、戦艦レシピで回すことが条件となる。

**キャラクター設定について [#character]
-4隻目のイギリス戦艦。2016年夏イベントで初のイギリス艦娘として[[Warspite]]が実装されて以来、実に8年ぶりのクイーン・エリザベス級戦艦実装となった。
-一人称は「僕」。[[最上]]・[[皐月]]・[[時雨]]・[[Z1]]・[[初月]]・[[松風]]に続く7隻目の僕っ娘にして、初の僕っ娘戦艦である。&color(silver){つまり[[&color(silver){アブルッツィ};>L.d.S.D.d.Abruzzi]]は僕っ娘を演じていた事になった};
--7隻揃ったことで僕っ娘で遊撃部隊が編成可能にもなった。
-衣装のケープ付きロングコート風の上衣はネイビーブルー、ノースリーブ風のインナーを身に着け、ニーソックスは黒。全体的にウォースパイトよりも装飾を抑えたデザインになっている。
-Warspiteと同じく玉座型艤装を装着しているが、優雅に腰掛けている姉とは異なり、起立して艤装の背もたれを畳んだ戦闘展開状態となっている。また、レガリア風艤装は宝珠のみ所持していない。
-姉のWarspiteのことを「姉貴」と呼ぶ。
-図鑑ではQE級戦艦となっているが、何故か何番艦かは書かれていない。
ちなみにWarspiteは図鑑で2番艦となっている。%%下記QE級の起工、竣工日一覧で見ると起工日基準となり、それで合わせると3番艦になる。%%''&color(silver){下記「QE級の起工、竣工日一覧」では進水日、竣工日でもWarspiteは2番目なので、艦これ内でのQE級の順番が「起工日」基準なのかは判断できません};''起工日基準だと3番艦、進水日基準だと4番艦、竣工日基準だと5番艦になる。
-2025年10月現在、ゲーム内では後述のとおり史実での戦友であり、自身の最期にも関わってしまった[[リシュリュー>Richelieu]]に触れる台詞はないが、2024年秋頃にカレー機関にて艦娘Radioに登場した際に[[&color(silver){MC};>由良]]&color(silver){のお陰で声帯の妖精さんに都合がつくので};リシュリューと再会している。
&color(silver){これゲームじゃなくてカレー機関でやってしまっていい話だったんだろうか};

**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2024/12/03のアプデで、Xmasmodeが実装された。
#fold(限定グラフィック:Xmas mode){{
限定グラフィック:Xmas mode
&attachref(./527_Xmas.png,nolink,);
}}

*小ネタ [#neta]
#fold(略歴){{
}}
-クイーン・エリザベス級戦艦(以下QE級と呼称)の1隻として計画された。1913年1月31日、フェアフィールド社・ゴーヴァン造船所で起工され、1914年11月4日進水、1916年2月19日に就役した。姉妹艦のうち最後に就役した艦である((起工年でいえば姉妹艦バーラム、マレーヤの方が後になる))。
#fold(QE級の起工、竣工日一覧){{
|艦名|起工日|進水日|竣工日|戦没・除籍日|
|クイーン・エリザベス|1912年10月21日|1913年10月16日|1915年1月15日|1948年7月7日(除籍)|
|ウォースパイト|1912年10月31日|1913年11月26日|1915年3月8日|1947年4月19日(除籍)|
|バーラム|1913年2月24日|1914年10月31日|1915年10月19日|1941年11月25日(戦没)|
|ヴァリアント|1913年1月31日|1914年11月4日|1916年2月19日|1948年3月19日(除籍)|
|マレーヤ|1913年10月20日|1915年3月18日|1916年2月1日|1948年4月12日(除籍)|
}}
-艦名の「ヴァリアント(Valiant)」は「勇敢な」の意味で、本名を襲名した艦としては5代目に当たる((1825年に発注されたが計画中止になった3等戦列艦を含めれば6代目。))。艦のモットーはその名から「Valiant and Vigilant」(勇敢で用心深く)
--戦後、「ヴァリアント」の名は1966年に就役したヴァリアント級原子力潜水艦のネームシップへと受け継がれた。イギリス初の純国産の原潜で、2番艦は「ウォースパイト」だった。1994年退役。
そして現在、イギリス最新鋭のドレッドノート級原子力弾道ミサイル潜水艦の2番艦として「ヴァリアント」が2019年に起工、建造中である。こちらも3番艦が「ウォースパイト」と命名されている。
--余談ながら、軍艦以外でも「ヴァリアント」の名を冠した航空機と戦車が知られている((航空機の方は、1955年にイギリス空軍に就役した四発ジェット戦略爆撃機、ヴィッカース・ヴァリアント。同時期に就役したアヴロ・ヴァルカン、ハンドレ・ページ・ヴィクターと共に「3Vボマー」と称され、1950~60年代のイギリス核戦力を担った。爆撃機型の他に偵察機型・空中給油機型・多用途爆撃機型も製造され、1965年まで運用された。))((戦車の方は、第二次世界大戦中にイギリス陸軍が試作したA38ヴァリアント歩兵戦車。27tの軽量車体で正面装甲114mmの重装甲という欲張った性能の突撃戦車として計画されたが、操縦装置が操縦手を負傷させかねないほど危険等々の欠点が続出して開発中止され、「イギリス史上最悪の戦車」と酷評される失敗作となってしまった。唯一の試作車は「恐るべき教訓を学生に教えるため」の教材として陸軍戦車技術学校で保管され、現在は英ドーセット州ボービントンの戦車博物館にて展示されている。))。
**第一次世界大戦~ユトランド海戦 [#la693a70]
-竣役時、世界は第一次世界大戦の真っただ中で、彼女は直ちに「第5戦艦戦隊」に編入される。同戦隊は第一次世界大戦開戦時はポートランドを拠点とする前弩級戦艦で構成する旧式戦艦部隊だったが、QE級が完成すると順次それらに更新され、ヴァリアントの配属によって新鋭高速戦艦5隻で構成する英海軍有数の新鋭部隊となっていた。
--戦艦にしては当時高速であった24ノットをだせるQE級だけで構成している第5戦艦戦隊は、巡洋戦艦と同じ運用ができると判断され、ヴァリアント編入から間もない5月12日に英海軍の編成に改定が行われ、それまで「大艦隊(Grand Fleet)((日本の「連合艦隊」に類する組織。「連合艦隊」の部内略号が(Conbined Fleet)のCFではなく、GFなのはそういうわけである。但し連合艦隊は既存の「第一艦隊」「第二艦隊」はそのままで、それを統一指揮する組織として存在しているが、大艦隊の場合は編成されるとそれまであった艦隊(本国艦隊など)は消滅して全てが「大艦隊」に統一される。また「連合艦隊」は「日本海軍の主要艦隊が集まった主力部隊」というイメージがあるが、英海軍の場合は「大艦隊」は主力部隊ではあるが、これに属さない主要艦艇で編成される艦隊も多く存在する))」に所属していた第5戦艦戦隊は、デヴィッド・ビーティー中将指揮下の「巡洋戦艦艦隊(Battle Cruiser Fleet)((当時英海軍が保有する3個巡洋戦艦戦隊を中核に1915年2月に編成された高速艦隊。なおユトランド海戦後の1916年11月29日に「巡洋戦艦部隊(Battle Cruiser Force)」に改名している))」に配属替えとなっている。
---但し、第5戦艦戦隊とトレードという形でサー・ホレース・フッド少将率いる「第3巡洋戦艦戦隊」が大艦隊に配属替えとなっている。同戦隊はユトランド海戦では大艦隊の指揮下で出動し、独海軍を大艦隊の元で誘致しようと動く巡洋戦艦艦隊を支援すべく先行、道中で独軽巡「ヴィースバーデン」を撃破し、更に巡洋戦艦艦隊と共に遁走する独海軍を追撃するが、独偵察部隊((英海軍での巡洋戦艦艦隊に相当する巡洋戦艦部隊))の反撃をもろに受けたフッド座乗の旗艦「インヴィンシブル」が轟沈((ドイツ艦隊を追撃中に霧が晴れてしまい、艦影がドイツ艦隊から丸見えになった事で集中砲火を浴びた末に弾薬庫への直撃弾で轟沈した。なお、同海戦ではイギリスは3隻の巡洋戦艦を失っているが、いずれも弾薬庫への直撃弾で轟沈しており、巡洋戦艦という艦種の存在意義が問われる事となる。))し、フッド提督も戦死した。
-1916年5月31日、ヴァリアントら第5戦艦戦隊はユトランド沖海戦に参加する。だがビーティー中将指揮下になって間もない第5戦艦戦隊((1番艦クイーン・エリザベスは修理でドック入りしていたため、この時は他の4隻が参加している。旗艦はバーラム))は、海戦冒頭からミスを犯す。独偵察部隊が近くにいると察したビーティー提督が北東への変針と増速を命じたが、第5戦艦戦隊はその信号を見落としてしまい、大きく遅れてしまう。
--15時25分に独偵察部隊を発見した巡洋戦艦艦隊は、同航戦態勢をとり砲撃戦を始める。だが第5戦艦戦隊は遅れた事が響いて当初は砲戦には参加できなかった。戦力は英巡洋戦艦6隻に対して独巡洋戦艦は5隻と互角だったが、開始から1時間もたたない16時5分に第2巡洋戦艦戦隊の「インディファティガブル」が主砲塔天蓋を射抜かれ弾火薬庫誘爆によって轟沈、ビーティー座乗の「ライオン」も主砲塔を射抜かれて大破((こちらは致命傷を負った砲塔指揮官のフランシス・ハーヴェイ少佐が絶命寸前に「弾火薬庫への扉の閉」「弾火薬庫への注水」を命じて対処できたので誘爆は免れた。))し、劣勢となる。
--その直後、遅れていた第5戦艦戦隊が漸く到着して砲撃を開始、劣勢の巡洋戦艦艦隊を救援する。逆に劣勢となった独偵察部隊は、独主力艦隊の方へ誘い込もうと東へ転進し英側をはこれを追跡する。だがその間にも英巡洋戦艦の被害は増し、16時25分、今度は第1巡洋戦艦戦隊の「クイーン・メリー」が主砲塔を射抜かれ誘爆轟沈、インディファティガブルと同じ運命をたどってしまう。
-損害が増すなか、ビーティーは撤退を装いながら、逆に独艦隊を英大艦隊のもとに誘致しよう考え、16時30分過ぎに反転北上を指示する。だがここでも第5戦艦戦隊はミスを犯す。反転を「一斉回頭((タイミングを合わせて所属艦が一斉に反転する方法))」ではなく「逐次回頭((先頭を進む旗艦が反転したら、続く艦艇はその位置にたどり着き次第、同様に反転していく方法))」と考えて麾下艦艇に命じてしまったため、巡洋戦艦艦隊が一斉回頭で全艦が瞬時に北へ針路を変えて離脱していく中、第5戦艦戦隊だけが敵前で時間をかけながら順番に針路を変えていく状態となり、敵中に孤立してしまう。
-敵前で孤立、しかも1隻ずつ眼前で反転していく彼女らに、独艦隊は集中砲撃を浴びせ旗艦だったマレーヤは7-8発の命中弾と60名近い戦死者を出し、2番艦だったヴァリアントも命中弾を受けている。3番艦[[ウォースパイト>Warspite]]は前を行くヴァリアントと衝突しそうになり舵を切ったが、直後に舵が故障して動かなくなり、敵前でぐるぐる回ってしまう事態となる。後世「&color(red){''ウィンデイコーナー''};」と称される事件の始まりである。
--危機的状況となった第5戦艦戦隊だが、ウォースパイトは13発もの砲弾を浴びながら舵の修理に成功、ヴァリアントら僚艦も彼女を支援しつつ戦場を離脱した
---当時のドイツ海軍では巨砲の搭載には消極的で、英米が35㎝クラス、38㎝クラスの主砲を搭載するのが主流となっていたこの頃でも、28㎝クラスや30㎝クラスの主砲を主流としていた((独海軍が35㎝砲を飛び越えて38㎝砲搭載の戦艦「バイエルン」級を竣工させるのはユトランド海戦からちょうど1か月後の1916年6月30日である))。実際巡洋戦艦にしても参加した5隻のうち、28センチ砲装備艦が3隻、残る2隻も30センチ砲装備艦であり、防御力の劣る英巡洋戦艦ならまだしも38㎝砲クラスの防御性能をもつQE級に一撃で大ダメージを与えることは困難であり、これがウォースパイトを仕留めきれなかった一因だったともいえる。
---攻撃力が劣る一方でドイツ海軍の戦艦・巡洋戦艦は英米のそれらと比べて長距離航行を割り切ったために防御性能が高く、非常に「撃たれ強い」性能だった。ユトランド海戦でも序盤から戦い続けた英独の巡洋戦艦でその差がはっきりと出ており、イギリス巡洋戦艦は主砲塔などを簡単に射抜かれて轟沈したり大破する艦が続出したが、一方で独巡洋戦艦は自身らより遥かに巨大な砲弾が命中しているのに耐え抜き、全艦が戦場離脱に成功している(旗艦リュッツォウのみ、離脱後力尽き自沈している)。
#fold(ユトランド海戦での独巡洋戦艦損害状況){{
|艦名|命中弾|状況|その後|
|リュッツォウ(偵察部隊旗艦)|主砲弾10発、魚雷1本命中|艦首への浸水で艦尾が徐々に浮き上がり航行不能|生存者収容後魚雷により処分|
|デアフリンガー|主砲弾21発命中|大破|生還、4か月後戦列復帰|
|ザイドリッツ|主砲弾21発、魚雷1本命中|リュッツォウ同様艦首に浸水⇒[[当時の写真>https://en.wikipedia.org/wiki/SMS_Seydlitz#/media/File:Seydlitz_badly_damaged.jpg]]|ヴィルヘルムスハーフェン湾口に座礁する形で生還。3か月後戦列復帰|
|モルトケ|38.1㎝砲弾4発、15㎝砲弾1発命中|中破|生還、2か月後戦列復帰|
|フォン・デア・タン|38.1cm砲弾、34.3cm砲弾を各2発ずつ被弾|一時全主砲が11時間も使用不能となる。|生還、2か月後戦列復帰|
※ザイドリッツはリュッツォウと同じ状況となり航行不能、しいては沈没の危険が高かったが、満水となった艦首部で[[1番砲塔下の弾薬庫の密閉に成功した>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84_(%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E6%88%A6%E8%89%A6)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:SMS_Seydlitz_state_01_06_1916.svg]]ことで浮力を維持し生還する事ができた。この戦訓を受け、後年のレイテ沖海戦で艦首に大きな被害を受けた戦艦[[武蔵]]に対し、護衛についていた重巡洋艦[[利根]]艦長の黛治夫大佐から「ザイドリッツの戦例にかんがみ、艦首浮力の保全に努められよ」とのアドバイスがあった。
}}
--またこの時第5戦艦戦隊と同様に集中砲撃を受け大破航行不能となっていた装甲巡洋艦ウォーリア((大艦隊に所属する第1巡洋艦戦隊所属。大艦隊の前衛として先行し、戦場に到着後は独巡洋艦らと交戦していたが、独偵察部隊の格好の目標となり僚艦2隻(旗艦のディフェンスとブラック・プリンス)は撃沈され、ウォーリアも大破航行不能となっていた))が、ウィンデイコーナーが始まった事で独偵察部隊の砲撃が其方に向けられた事でウォーリアの乗員の多くが脱出に成功、最終的には乗員約800名のうち743名が水上機母艦「エンガディン」に救出されている。
-散々な目にあった第5戦艦戦隊だが、巡洋戦艦よりも強靭な防御力を持つ戦艦であった事もあり、沈没艦を出すことなく18時30分ごろにはジェリコー提督率いる大艦隊と合流し、以後はそれと共に行動した。海戦後の8月24日、修理を終えたウォースパイトも合流してスカパ・フローでの夜間砲撃演習を実施したが、帰路ウォースパイトが移動中の姉妹艦ヴァリアントの横腹に衝突する事故が起こっている。
**戦間期 [#pabd7a1a]
-第一次大戦後、ヴァリアントは大西洋艦隊や地中海艦隊に所属した。ワシントン海軍軍縮会議では姉妹艦共々保有が認められた。
--この頃、大英帝国にとって悩みの種の一つは、「地中海を再び『我らが海』に」とのスローガンを掲げるムッソリーニ首相とイタリアだった。1935年にイタリアとエチオピア帝国の間で戦争がおこると、イギリス海軍は主力艦をジブラルタル、マルタ島、アレクサンドリアに配備してイタリア海軍を牽制した。ヴァリアントも出動している。イタリア側は海軍力で圧倒的に劣勢なので、空軍に力を入れて対抗した。((英側は16インチ砲搭載の[[Nelson]]と[[Rodney]] 15インチ砲のQE級戦艦4隻とR級戦艦4隻を揃える。イタリア側は、[[Conte di Cavour]]など弩級戦艦4隻。[[Littorio]]などは建造中。これでは勝てない。))
-この間、QE級は2度にわたる近代化改修工事を受けるが、姉妹艦全てがこの改装を受けれたわけではなかったので、第二次世界大戦が始まったころにはその容姿が大きく異なるようになった。
--1回目の改装は1926年から1927年にかけて行われた。煙突の集合煙突化、バルジの装着、対空火器の増設などが主な改装だが、ヴァリアントでは戦時中に設置された「X」砲塔((イギリスでは前部砲塔をA、B、C、中部砲塔をP、O、R、後部砲塔をX、Y、Zと呼称する。日本式に言うと、[[長門]]型の場合、第三砲塔となる。))上の航空機滑走台をカタパルトに換装、水中魚雷発射管4門のうち2本の撤去なども行われた。
--1934年からはより艦容を一新する2回目の改装がウォースパイトから開始される。新規建造されるキング・ジョージ5世級のテストベッドも兼ねて行われたQE級の改装は多岐にわたり、機関の換装、装甲の強化、艦橋を箱型艦橋にするなど艦容は様変わりした。次いでヴァリアントとクイーン・エリザベスが改装に入るが、そのさなかに第二次世界大戦が勃発したため、結局バーラムとマレーヤは2回目の改装を受けることは出来ず、結果姉妹艦ながら艦容が大きく異なる事態となった。
---近代化改装が行われた3隻も、ウォースパイトは順番が早かったため、ヴァリアントやクイーン・エリザベスとは細部がかなり異なっている。例えば、ウォースパイトは6インチ副砲と砲郭が一部残されて4インチ高角砲が搭載されたのに対して、2隻は6インチ砲が全て撤去され、4.5インチ両用砲の砲塔が設置された。
**第二次世界大戦 [#g9dad69b]
-二度目の大戦勃発した直後の1939年11月に改装を終えたヴァリアントは、まずイギリス周辺や北海で、本国艦隊の[[Rodney]]や[[Sheffield]]などと哨戒や船団護衛、ノルウェー戦に従事した。
-つづいて北アフリカ戦線に移動、地中海での船団護衛などに従事した。1940年7月3日にはH部隊としてメルセルケビール海戦に参加、アルジェリアの主要港「メルス・エル・ケビール」に停泊していた[[Commandant Teste]]など、ヴィジー政権下の仏艦艇に砲撃を仕掛けた。大型駆逐艦[[Mogador]]にも15インチ砲弾1発が命中、相手は爆雷が誘爆して大破した。&color(silver){フッド、ヴァリアント、レゾリューションの誰かが発射した主砲弾ということになる};
-8月末からは地中海艦隊に移動、タラント空襲ではウォースパイトやマレーヤと共に空母イラストリアスの護衛に従事している。オーストラリアの軽巡[[Perth]]も地中海艦隊に加わった。
-1941年1月、1人の士官がヴァリアントの配属となり来艦する。彼の名はフィリッポス・オブ・グリィーク少尉、後に英国女王「エリザベス2世」の王配((女王の配偶者の意))となる「エディンバラ公爵フィリップ」である。
#fold(エディンバラ公爵フィリップ){{
-ギリシャ王国第2代国王ゲオルギオス1世の四男アンドレアスと、バッテンベルク家(英語名マウントバッテン家)((1917年、第一次大戦中の反独感情もあり英語読みに変更した。))出身のアリキ(英語名:アリス((弟にジョージ(第2代ミルフォード・ヘイヴン侯爵)とルイス(後の東南アジア地域連合軍(SEAC)の総司令官、最後のインド総督((その後は労働党政権に対するクーデターの看板に祭り上げられたりされかけた。1979年、IRAの一部勢力に暗殺される。)))がいる)))の長男として1921年6月10日に誕生したフィリッポス(フィリップのギリシア読み)は、ヴィクトリア女王の玄孫((ヴィクトリア女王の次女で、ヘッセン大公国(ナポレオン戦争期に方伯から大公国になったドイツ中部の国)大公ルートヴィヒ4世の妃となったアリスの長女ヴィクトリア(因みに末妹にロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世に嫁いだアリックス[ロシア語でアレクサンドラ]がいる)が、初代ミルフォード・ヘイヴン侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテン(マウントバッテン家はヘッセン大公家の分家で、彼自身はルードヴィヒ4世の従弟にあたる)に嫁いで生れたのがフィリップの母であるアリキである。))でもあり、王位継承権を持つ存在だった。だがギリシア王家はフィリッポス誕生から1年後に起こったクーデターで、父は革命政府より死刑宣告を受けてしまう。母アリキは弟のジョージと連絡を取り救援を要請、英国は軽巡洋艦カリプソを派遣して砲艦外交による圧力をかけ、アンドレアス王子一家を英国に避難させることに成功する。
-一家は義姉マリー・ボナパルト((ナポレオン・ポナパルトの弟リュシアンの曾孫で作家・精神分析学者。アンドレアスの兄ゲオルギスと結婚していた))の所有するパリ郊外サン=クルーの別荘に滞在し亡命生活を送ったが夫婦関係は悪化、父は南仏モンテカルロで放蕩生活を送り、母は持病の難聴が悪化したうえに統合失調症になったり、サナトリウムに入院する事態となる。そこで叔父のジョージが親代わりとなり、フィリッポスをその手元で育てることになり、1928年に渡英、ハンプシャー州にあるチームスクールに入学した。1933年からはドイツのシューレ・シュロス・サレムへ進学したが、当時当校は親ナチ派と反ナチ派の対立が深まっていた。フィリッポスは反ナチ派で、ナチス式敬礼を批判したためナチス党員とトラブルとなり、ほどなく帰国する事態となる。
--その後フィリッポスはスコットランドに設立された全寮制パブリック・スクールであるゴードンストウン校に入り、そこでヨットの操法を教わったことを契機に海軍軍人を志すようになる。
-1939年、フィリッポスはダートマス海軍兵学校へ進学する。同年7月22日、兵学校を訪問した英国王ジョージ6世一家の接待役に急遽選ばれたフィリッポスは、王女エリザベス(当時13歳)・マーガレット(当時9歳)の世話をする。
--テニスで遊んだりしてもてなしたフィリップは、のちにエリザベス2世の公式伝記に「一目ぼれ」と書かれるほどの印象を彼女に与えたという。その後フィリッポスは兵学校卒業後、戦艦ラミリーズでの勤務を経て1941年1月よりヴァリアントで勤務することになるが、その頃よりエリザベス王女と文通をするようになり、愛情をはぐくむようになったという。そして第二次世界大戦後の1947年2月に、フィリッポスはイギリスに帰化して「フィリップ・マウントバッテン」となり、同年7月9日にはエリザベス王女との婚約を発表、11月20日に結婚した。
---結婚の時点で父アンドレアスはヴィシーフランス政権の監視を受け1944年にモナコで死去、ドイツ貴族に嫁いでいた姉たちは事故死した1人を除き存命だったが、当時の反独感情もあり出席できなかったため、フィリップの肉親で参列したのはサナトリウムから退院後に王族ながらアテネに戻り、ナチスドイツ占領下で赤十字で働きながら貧しい市民や迫害を受けるユダヤ人を助けていた母アリスだけだった。その後彼女は正教会の修道女となり、イギリスで余生を過ごした。
-結婚後のフィリップは病身の国王ジョージ6世の名代として海外訪問を行うエリザベス王女を支え共に海外を回っていった。1952年2月6日、国王が崩じた時も夫妻はオセアニアに向かう途上だった。知らせを最初に受けたのはフィリップで、彼はエリザベスを夜中に庭に連れ出して、誰もいない落ち着いた中で父王の崩御を伝えたといわれている。
--エリザベスがイギリス女王となったことで、フィリップの立場も激変、結婚式で姉たちが参列できなかった出来事があったように、イギリス国内の反独感情は未だ大きく、政治家の中にもフィリップを排除しようとする考えの人々は多かった。そのため当初はかつてのヴィクトリア女王の配偶者アルバート王子のような「王配(Prince Consort)」の称号は与えられず、即位後の1957年になって「Prince of the United Kingdom」の称号が与えられている。また王朝名となる女王一家の姓は「ウィンザー(Windsor)」((こちらも1917年にサックス=コーバーグ=ゴータ家から改名した。旧名はアルバート公の実家の英語読みである。))のままであり、フィリップの当時の姓である「マウントバッテン(Mountbatten)」に変わらなかった。王配でありながら機密書類閲覧権もなく席次も30位、フィリップ自身、こういった自身の状況を怒りを込めて「王室のメンバーを生むためのアメーバでしかない」と発言したともいわれている。
//アメーバというか、種馬であるが、妻エリザベスが生産からレースまでひっくるめた競馬好きということを考えたら言えなかったであろう。
---こうした中で夫妻は王室改革などを少しずつ実施していく。時には対立することもあったがフィリップ自身も積極的に公務を行い、自身の立場も改善されていった。子女教育では厳格な手法(とくに長男チャールズに対する態度など)を批判される事もあったが、おじのルイスが暗殺されてショックを受けていたチャールズにルイスに関して話が弾んだことから交際が始まり、その交際が発覚してマスコミ取材の猛攻を受けてしまっていたダイアナ・スペンサーの立場を憂い、息子に「婚約」か「破談」かの二択を迫って婚約の決断の後押しをしている。二人は1981年に結婚しているが、チャールズは初恋の人のカミラ・シャンドが忘れられなかったのか、1996年に離婚している。1997年にダイアナが事故死したこともり、2005年にカミラと再婚している。
---2017年8月に一切の公務を終えて引退。2021年4月9日、世界がコロナウイルスの脅威に脅かされる中、ウィンザー城にて薨去した。99歳没。翌2022年9月8日にはエリザベス女王も後を追うように崩御した。結婚生活は74年に及び、イギリスの君主で結婚60周年以上を迎えたのは、エリザベス2世、フィリップ王配が史上初であった。
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-「のちのイギリス女王の王配」を乗せたヴァリアントは、1月にリビアのバルディアへの艦砲射撃を実施。エクセス作戦では、ドイツ空軍のJu87によりイラストリアスが大破、ウォースパイトが小破、ヴァリアントが至近弾を受けた。3月にはマタパン岬沖海戦に参加。夜戦でザラ級重巡洋艦3隻と駆逐艦2隻を共同で撃沈した。
--海戦終盤、クレタ島マレメから発進した[[ソードフィッシュ>Swordfish]]2機がイタリア艦隊輪形陣を捕捉、夜間雷撃を行い重巡洋艦[[ポーラ>Pola]]が被雷、航行不能になる。ポーラ救援の命を受けた第1巡洋艦戦隊の2隻([[ザラ>Zara]]、フィウメ)は駆逐艦4隻と共に現場に急行する。だがそこにウォースパイト、ヴァリアント、バーラムが到着し砲撃を開始、ザラ、フィウメは瞬く間に炎上、フィウメはほどなく沈み、ザラは接近した英第14駆逐戦隊の[[ジャーヴィス>Jervis]]の雷撃でとどめをさされた。随伴の駆逐艦も悉く沈み、ポーラ自身もジャーヴィスとヌビアンが雷撃で沈め、こうしてイタリア艦艇は全滅した。
---尚、くだんのフィリッポス少尉はこの海戦でサーチライトの操作で武勲をあげ、「ギリシア十字勲章」を受賞している。
-5月にはクレタ島の戦いに参加、ここではドイツ空軍の絶え間ない空襲に晒されたヴァリアントは損傷を受け、大破したウォースパイトが戦線離脱、代わりに長姉のクイーン・エリザベスが合流し、バーラムと共に3隻で行動する。
--11月25日、第一戦闘戦隊として3姉妹で行動していたヴァリアントだったが、ハンス=ディートリヒ・フォン・ティーゼンハウゼン中尉率いるドイツ軍潜水艦「U331」の雷撃を受けてしまう。旗艦バーラムの左舷に3本の魚雷が命中して横転、その後大爆発が起こりバーラムは沈没した。バーラムは姉妹艦唯一の損失となり、その姿は映像に撮られ現在もyoutubeで見ることができる⇒[[その時の映像>https://youtu.be/PmTZ-R4QM1E?si=PU21t06RGlZtWIYu]]
--災難はそれでは終わらなかった。バーラム沈没から間もない12月19日、クイーン・エリザベスと共にアレクサンドリア入港中、ヴァリアントはイタリア軍の人間魚雷マイアーレの奇襲攻撃を受けて大破着底してしまった。この攻撃ではクイーン・エリザベスも大破着底、港内にいたジャーヴィスも隣のタンカーが爆破された影響で損傷している。
---因みにイタリアの人間魚雷は日本海軍が戦争末期に開発した「回天」とは異なり、潜水服を着用した乗員数名がまたがり水中行動する潜水艇の一種で、体当たり兵器ではない。潜水艇で接近後、乗員が備え付けの爆薬を目標艦艇の艦底に設置し、安全域に離れた後に爆発させるものであり、当然ながら泊地等に停泊中の艦艇を狙うことになる、いわば特殊工作任務のための潜航艇である。
#fold(アレクサンドリア港攻撃:アブルッツィとの関係){{
-1941年12月19日、潜水艦シレから発進し、イタリア海軍の潜水特殊部隊「デチマ・マス」の隊員たちが乗る人間魚雷は、密かに夜にアレクサンドリア港へ潜入して目標に向かって進んだ。ヴァリアントを攻撃したのは、優秀な潜水隊員で貴族でもあったルイージ・ドゥランド・デ・ラ・ペンネ大尉と部下のエミリオ・ビアンキ二等潜水兵曹の2人だった。しかし、途中でビアンキが酸素中毒や疲労が原因で浮上してしまい、残ったデ・ラ・ペンネは悪戦苦闘しながらヴァリアントの下の海底に機雷を設置して浮上し、2人は発見されて捕まった。
--2人はヴァリアントの艦長チャールズ・モーガン大佐たちの尋問を受けたが、名前以外は一切答えなかった。おそらく爆弾を仕掛けたと思われたので、爆発したら真っ先にやられるであろうヴァリアントの艦底に近いところへ監禁したが、それでも1時間半黙秘し続けた。そして爆発の直前、デ・ラ・ペンネはモーガン大佐に宛てて伝言を頼んだ。「あなたの艦は5分以内に吹き飛びますよ」。
--すぐに避難が命じられたが、機雷が爆発してヴァリアントは大破着底した。幸いにして、乗員は無事でデ・ラ・ペンネとビアンキも生き残ることができた。一説には、本来艦底に設置する機雷を海底に設置したため爆発の威力が下がったともいわれる。
---この後、枢軸国側にクイーン・エリザベスとヴァリアントが行動不能だと知られないように偽装作戦が行われた。偽の喫水線を描いたり、後甲板で軍楽隊が演奏したり、艦内でパーティーを行ったりした(ただし、2隻が大破したのは結局バレた)。モーガン大佐は元潜水艦士官出身だったが、(真偽は怪しいが)あるパーティーで別の海軍士官から「貴官は今でも潜水艦がお好きなようですな」とヴァリアントが着底したことを揶揄われたとか。
-デ・ラ・ペンネとビアンキは捕虜になったが、1943年にイタリアが降伏すると、イタリアは南に逃げた元のイタリア王国政府と北部のムッソリーニ率いる枢軸国のイタリア社会共和国に分かれて内戦状態になった。そしてデ・ラ・ペンネとビアンキを含むアレクサンドリア港攻撃に参加した6人は、今度は連合国側のイタリア共同交戦海軍の特殊部隊マリアッサルトに加わって戦った。特にデ・ラ・ペンネは、[[グレカーレ>Grecale]]とともに重巡洋艦ゴリツィアやボルツァーノへの攻撃にも参加している。
--アレクサンドリア港攻撃の功績で、隊員たちはイタリアで最高の軍事勲章である武勇黄金勲章が授与された。1945年3月にデ・ラ・ペンネに勲章の授与式が行われた際、彼に勲章を渡して勇気を称えたのは、他ならぬ元ヴァリアント艦長のモーガン中将だった。
---戦後もデ・ラ・ペンネとビアンキはイタリア海軍で活躍し、デ・ラ・ペンネは下院にあたる代議院議員も長く務めた。デ・ラ・ペンネは1992年、ビアンキは2015年に亡くなり、特に後者は103歳の大往生だった。彼らの名前は駆逐艦ルイージ・ドゥランド・デ・ラ・ペンネ、フリゲート艦エミリオ・ビアンキにそれぞれ命名されている。
-戦後の1962年、アレクサンドリア港攻撃のヴァリアントを題材にしたイギリス・イタリア合作の戦争映画「巨艦いまだ沈まず」(英:The Valiant、伊:L'affondamento della Valiant)が公開された。この映画ではモーガン大佐をイギリスの名優ジョン・ミルズが、デ・ラ・ペンネをイタリアの俳優エットーレ・マンニが演じた。
--そして、映画の制作当時ヴァリアントはもう解体されていたため、映画の撮影にあたって代役として用いられたのがイタリア海軍を退役した[[アブルッツィ>L.d.S.D.d.Abruzzi]]だった。既にアブルッツィも解体が決まっていたため、迷彩塗装など手を加えられて「出演」している。アブルッツィのボイスで女優と言っているのはこれが理由である。アブルッツィもマタパン岬沖海戦に参加しているので、敵味方を越えた奇縁といえよう。
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-南アフリカのダーバンで半年近くの間を修理に要したヴァリアントは、1942年中旬より戦線復帰、6月にはH部隊に所属し、シチリア島上陸作戦(ハスキー作戦)やサレルノ上陸作戦(アヴァランチ作戦)を支援した。
-1943年になるとイタリアが降伏し、ドイツ海軍も北海に追い込まれて地中海はほぼ連合空の勢力圏となった。そのためインド洋に戦力を派遣することが可能となった英海軍は、東洋艦隊に大規模な戦力を配備する。ヴァリアントもクイーン・エリザベスや巡洋戦艦レナウン、[[ヴィクトリアス>Victorious]]らイラストリアス級航空母艦、フランスの[[リシュリュー>Richelieu]]、アメリカの[[サラトガ>Saratoga]]らと共に、蘭印インドネシアの日本軍に対する攻撃作戦に参加する。
--ヴァリアントの最期は、リシュリュー絡みであった。イギリス東洋艦隊に編入されていたフランス海軍のリシュリューは、全長約250m、満載約47,000トンもある。イギリスは1944年7月に「Admiralty Floating Dock 23」という5万トン級艦を入渠可能な浮きドックを建造した。この新造浮きドックをセイロン島のトリンコマリーに設置する。リシュリューが入渠する前に、とりあえずヴァリアント(全長195.1 m)がAFD23に入渠した。1944年8月8日、AFD23の崩壊に巻き込まれてヴァリアントは艦体が折れ、船体中央部のスクリュー軸2本と主舵を損傷した。&color(silver){やれやれ。「&ruby(セ・コム・サ){C' est comme ça};」ってことかな?…};
--応急処置の後本格的な修理を行うため8ノットでアレクサンドリアに回航されたがスエズ運河を通行する前に座礁してしまう。そのままでスエズ湾の通過は困難と判断されたヴァリアントは喜望峰経由でイギリスに回航しなんとかイギリスに帰国するが、復旧は不可能と判断され、1945年7月に退役する。結局第二次世界大戦終結を現役としてみることはなかった。その後1948年3月にスクラップとして売却、1950年に解体された。
-ヴァリアントは第一次世界大戦の戦功で1個、第二次世界大戦における戦功で8個の戦闘名誉章 (Battle Honours) を受章した。

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