|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.372|
|&attachref(./372.png,nolink,私がRodneyよ。ちょっとだけ……待った?);|>|Rodney(ロドニー)|>|Nelson級 2番艦 戦艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|81|~火力|72 / 102|
|~|~装甲|73 / 93|~雷装|0|
|~|~回避|21 / 44|~対空|24 / 83|
|~|~搭載|5|~対潜|0|
|~|~速力|低速|~索敵|12 / 43|
|~|~射程|長|~運|23 / 89|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|95|~弾薬|145|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|1|>|>|[[16inch Mk.I三連装砲]]|
|~|1|>|>|[[16inch Mk.I三連装砲]]|
|~|1|>|>|未装備|
|~|2|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Rodney'' → [[Rodney改]](Lv50)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:Nelson級戦艦、二番艦、Rodneyよ。ものすっごい働いたわ。本国艦隊勤務からあのドイツ戦艦の捜索追撃戦、地中海、北アフリカ、ノルマンディー上陸作戦まで、ずっと働き詰めだったんだから!ビックセブンの中でも相当なもんでしょ?私のことも、きっと覚えていてね。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:金元寿子、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:金元寿子、イラストレーター:コニシ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Rodney/定型ボイス]])
#table_edit(Rodney/定型ボイス)
~

#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Rodney/時報ボイス]])
#table_edit(Rodney/時報ボイス)
~

#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Rodney/季節ボイス]])
#table_edit(Rodney/季節ボイス)
~

//セリフ一覧内における外国語の解説の記述方式について→https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%AD%B0%E8%AB%96%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF/%E8%89%A6%E5%A8%98%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95%E4%B8%80%E8%A6%A7%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
}}

*ゲームにおいて [#game]
-2023夏イベント後段作戦『船団護衛!輸送航路防衛戦』E7にて報酬艦として初登場。
[[Warspite]]、[[Nelson]]に次ぐ3隻目のイギリス戦艦にして、[[長門]]・[[陸奥]]・Nelson・[[Colorado]]・[[Maryland]]に続く6隻目の「ビッグ7」の実装である。
これにより、艦これに登場していないビッグ7はコロラド級戦艦のWest Virginiaだけとなった。
-[[Nelson]]同様''特殊攻撃が可能''。Nelsonと共通の仕様のためあちらのページを参照のこと。
&color(silver){巷ではロドニータッチ、ミジンコタッチなどと呼ばれている。};
-[[16inch Mk.I三連装砲]]、[[20連装7inch UP Rocket Launchers]]、[[Spitfire Mk.I]]の開発が可能。こちらも[[Nelson]]と同様。
-史実で雷撃した事があり[[深海時代>欧州妹姫]]には開幕雷撃(しかも第一艦隊から)までやってきたが、雷装0にナーフされているため残念ながら雷撃戦には参加しない。
-ドロップ時に「ちょっとだけ……待った?」と言っているが、実装には''姉の実装から数えて5年の歳月が掛かっていたりする''。
-姉と同じく図鑑上ではビックセブンと誤字になっている。
//**装備ボーナスについて [#bonus]


//**性能比較表(?より転送)  [#comparison]


**アップデート履歴 [#update]
-2023/08/28:[[イベント報酬艦>船団護衛!輸送航路防衛戦/E7]]として実装。

**キャラクター設定について [#character]
-姉Nelsonの「余」に対して一人称は「私」。史実で姉以上の武勲を挙げた艦にしては意外と普通である。
姉のことは入手やログインでは「姉」と呼んでいるが、普段は「姉さん」と呼んでいる。
会話は普通だが、「木っ端ミジンコ」等少々%%古い%%独特な言い回しが見えることも。
-衣装はNelsonに近いデザインだが、上衣がロングコート風になるなど[[長門改二]]に似た重厚な姿。Nelsonと同じく[[改>Rodney改]]になると色が一部変化する。
艤装はNelsonと同じく主砲を片方に集中した形態だが、主砲側の大型艤装が左側となり、ポージングと合わせてNelsonと対称形になっている。また、艤装のディテールもNelsonより少し細かい。
//**期間限定グラフィック [#graphic]
*小ネタ [#neta]
**艦歴 [#zd1456aa]
-日本に戦艦[[陸奥]]保有を認める代償としてイギリスが建造した、[[ネルソン>Nelson]]級戦艦の2番艦。ワシントン軍縮条約を順守した条約型戦艦である。(詳細については[[陸奥]]や[[ネルソン>Nelson]]の項を参照)
-日本語での表記は他に「ロドネー」「ロドネイ」とも。表記揺れの激しい艦で、戦前から3つ(ロドニー、ロドネー、ロドネイ)の呼び方があり、日本海軍でも混在していた。どれも正解である。
--模型メーカー「タミヤ」の1/700ウォーターラインシリーズでは「ロドネイ」(1974年発売)を採用した。
-艦名は、初代ロドニー男爵ジョージ・ブリッジス・ロドニー((1719年2月13日生まれ。アメリカ独立戦争時のイギリス海軍提督。アメリカに組したスペインとの「サン・ビセンテ岬の月光の海戦(帆船時代では珍しい大規模な夜戦)」や、同じくフランスとの「セインツの海戦」等で活躍。1782年に爵位と領地を男爵位を賜り初代ロドニー伯となる。1792年5月24日没))にちなむ。
--「ロドニー」の名を冠するイギリス軍艦は6代を数えるが、その内3代目の戦列艦以降がジョージ・ロドニーに由来する。また、巡洋戦艦フッドの姉妹艦として建造予定だったアドミラル級巡洋戦艦3隻の予定艦名の一つが「ロドニー」だった。((他二つは「アンソン」「ハウ」で、後にキング・ジョージ5世級戦艦の艦名となった))((因みにフッドの艦名の由来となったサミュエル・フッド提督はロドニー提督麾下でアメリカ独立戦争を戦ったが、この二人、実は前々から面識があり仲が悪かったのだとか))
- 艦のモットーは"Non Generant Aquilae Columbas"。英語にすると"Eagles do not breed doves"。&color(silver){鷲が鳩を産んだ、かな? ……ふふっ、ないない!};
-- 先述のロドニー男爵家の紋章に描かれたモットーが受け継がれている。

-1922年12月28日、姉妹艦のネルソンと同日にキャメル・レアード社バーケンヘッド造船所で起工。1925年12月17日、ロドニーは国王ジョージ5世の長女、プリンセス・ロイヤル((イギリス君主の長女に授けられる終身名誉称号。現在は故エリザベス2世の長女アン王女が同称号を有する))・メアリー王女が臨席するなか進水。1927年11月10日に竣役した。
--メアリー王女は後に同じ船台で建造されたキング・ジョージ5世級戦艦プリンス・オブ・ウェールズの進水式にも立ち会っている。王女は「素敵な名付け子を二人も持てた」と大いに喜んでいたという。

-就役後、ロドニーは第二次世界大戦が始まる1939年9月までの戦間期を、姉のネルソンと共に本国艦隊や大西洋艦隊で活動している。
--1931年に発生した大西洋艦隊所属の水兵らによる「インバーゴードン反乱」事件では、ロドニー乗員もネルソン乗員らと共に参加している。
--また1937年5月20日に行われた「ジョージ6世戴冠記念観艦式」では、本国艦隊旗艦だったネルソンと共にホスト国イギリスの中心艦艇として参加している。
---日本からは重巡[[足柄]]が参列している。ネルソンとロドニーを直接目の当たりにした日本艦艇は、恐らく足柄だけであろう。
---当時の記事((ハワイで日本人移民の為に発行されていた「日布時事」より))によると、観閲するジョージ6世の座乗するヨット「ヴィクトリア・アンド・アルバート」を出迎えるイギリス海軍、参列各国の艦艇は9列に並び、中央のE列に地中海艦隊(先頭は旗艦「クイーン・エリザベス((因みに参列した各国代表は汽船ストラスモアに乗船していたが、日本代表として参列した秩父宮雍仁親王と勢津子妃だけ、クイーン・エリザベスに乗船して参加したという))」)、ロドニーら本国艦隊はその横のF列に並び((先頭は旗艦のネルソンで、その次にロドニーが配置された))新国王を祝福した。
-観艦式を経ても日本との関係は悪化していくばかりであった。そうした中でイギリスも東アジアにおける植民地防衛の強化のため、シンガポールを根拠地とする「太平洋艦隊」を新編することが計画され、ロドニーもそれに加わる事が検討されたが、結局実施される事はなかった。
--元々大英帝国の極東方面の海軍戦力として「東洋艦隊((中国艦隊、東インド戦隊、オーストラリア戦隊の3部隊からなる艦隊。司令部はシンガポール))」が存在したが、戦力としては極東の海軍大国となった日本と渡り合えるものではなかった。
---第一次世界大戦後の国力の衰退で本国周辺と地中海の海軍戦力の維持で手いっぱいのイギリスは、日本との戦いとなった場合はその第一線に立つのは新たな盟友アメリカに期待していた((極東に植民地をもつ国は他にオランダ・フランスがあるが、オランダはフランスとの長年の抗争で疲弊して国力軍事力を低下させており、海軍戦力は軽巡洋艦の[[De Ruyter]]などが中核で、しかも戦力の殆どを数少ない植民地である極東に配置しているという状態だった。フランスも軽巡1隻か2隻しか配備していない。))。だがアメリカ海軍の拠点は遠く本国西海岸((ハワイ真珠湾に移動するのは1940年))にあり、フィリピンを拠点とするアジア艦隊は重巡[[ヒューストン>Houston]]が主力艦という警備部隊であった((いちおう潜水艦は十数隻いたし、アメリカ陸軍航空隊(フィリピンの基地航空隊)と連携すれば、時間稼ぎにはなると計算されていた。))。結局、アメリカ太平洋艦隊が到達するまでの時間を稼ぐために戦力の増強が検討され、太平洋艦隊設置計画はその流れの中で生まれた話であった。
--イギリス太平洋艦隊の編制案は幾つか報道されていた。大改装した15インチ砲戦艦(つまりクイーン・エリザベス級)5隻を基幹戦力として日本海軍の14インチ砲戦艦を圧倒し、ネルソンとロドニーで[[長門]]と[[陸奥]]を牽制するという方針だったようだ。&color(gray){実現していたら、日・米・英のビッグ7が太平洋に集結することになる。何も起こらない筈もなく…};

***第二次世界大戦開戦 [#ebc9a35b]
-1939年9月、第二次世界大戦が勃発する。本国艦隊第2戦艦戦隊に所属していたロドニーはスカパ・フローに移動、出動に備えた。ドイツ海軍はポケット戦艦や仮装巡洋艦を大西洋に放って通商破壊作戦を実施、11月23日ドイツ大型艦2隻((イギリス側はドイッチュラント級装甲艦(ポケット戦艦)と判断していたが、実際はシャルンホルスト級戦艦であった))が出動した事を掴み((仮装巡洋艦ラワルピンディがフェロー諸島沖で2隻と遭遇し撃沈されたが、その際救援無電をうっており、それを傍受した軽巡洋艦ニューカッスルが急行、ラワルピンディの生存者救助をしていたシャルンホルストを発見した。))ロドニーらも捜索に出動するが発見できず空振りに終わった。
--ロドニーはこの捜索中に舵を故障し、帰投後にドック入りを余儀なくされた。本国艦隊旗艦だったネルソンも12月4日に機雷に接触して損傷、7か月もの長期間戦線離脱を余儀なくされた((そのため本国艦隊旗艦は[[ウォ―スパイト>Warspite]]が引き継いだ。))為、イギリス海軍は主力戦艦2隻を一気に前線から失ってしまった。

-1940年、修理を終えたロドニーは戦線に復帰する。この頃ドイツはスウェーデンから鉄鉱石などの資源を輸入する際に積み出し港となる中立国ノルウェーへの侵攻を企図していた。それを察知したイギリスも妨害を企図した機雷施設や、「獲られるぐらいなら」とばかりにスウェーデン・ノルウェー両国への侵攻まで計画していた。
だが1940年4月9日未明に、ドイツ軍が「ヴェーザー演習作戦」を発動、ノルウェー、デンマーク両国に侵攻を開始したため先を越されてしまう。
--ロドニーは本国艦隊の戦艦ウォースパイト、ヴァリアント、空母フュ―リアス、重巡洋艦ヨーク、デヴォンシャ―、バーウィック他と共にノルウェーへ出撃。4月9日、ノルウェー南部でドイツ空軍の空襲を受けたロドニーは500㎏爆弾1発を被弾するが不発だった。
-連合軍はナルヴィクで孤立したドイツ軍を撃滅するためノルウェーに上陸し一進一退の攻防が続く。だが欧州戦線でフランスが降伏し、連合軍はダンケルクから撤退する事になったため、ノルウェーのイギリス軍も撤退が決定する。
--6月より撤退作戦「アルファベット作戦」が始まるが、ノルウェー沖海戦でイギリス空母[[グローリアス>Glorious]]がシャルンホルストらドイツ戦艦に捕捉され、駆逐艦2隻と共に撃沈されるなどの被害が出る((船団に被害はなかった))。
-一連の北欧での戦いでロドニーは同僚たちと比べて武勲を得る機会はなかった。退却後はドイツ軍のイギリス侵攻に備えてロサイスに移動した。ドイツ海軍はポケット戦艦やシャルンホルスト級戦艦などを使用した通商破壊戦を継続し、イギリス海軍はその対応に追われる事になる。

-10月下旬、ポケット戦艦アドミラル・シェーアが大西洋に進出、11月15日、HX84船団が襲われ補助巡洋艦ジャーヴィス・ベイと商船5隻が沈められた。ロドニーは戦艦ネルソン、巡洋戦艦フッド、レナウン、レパルスらと捜索に出動するが発見できなかった。その後イギリス海軍は輸送船団1つにつき戦艦1隻を護衛でつける事を決定。ロドニーは12月までの間イギリスとカナダ間の船団護衛任務に従事した。
-1941年1月下旬、ギュンター・リュッチェンス提督が指揮する艦隊が大西洋へ進出、通商破壊作戦「ベルリン作戦」を開始した。
--シャルンホルスト級戦艦はUボートと連携して大西洋を暴れまわった。3月16日、シャルンホルスト級戦艦が撃沈した連合国輸送船の乗組員救助を行っている真っ最中に、護衛部隊のロドニーが接敵した。
--この時ロドニーのハミルトン艦長は接近する2隻((リュッチェンス提督座乗の戦艦グナイゼナウと姉妹艦シャルンホルスト))が敵か味方か判別できず、「艦名を知らせよ」と問いただした。リュッチェンス提督は船団にネルソン級戦艦がいる事を知る。
--戦艦といってもシャルンホルスト級は28.3㎝砲搭載の他国でいうところの巡洋戦艦であり、40㎝砲を搭載し、それに耐え得る装甲を持つロドニーに太刀打ちできない。リュッチェンス提督はイギリス軽巡洋艦エメラルドの識別番号を返信し、ロドニーが発砲を控えた隙に遁走する。騙されたと気づいたロドニーは直ちに追撃にかかるが最大速力は23ノットでしかなく、31ノット以上はでるグナイゼナウらには追いつくことは出来なかった。

***ビスマルク追撃戦 [#c31b78d7]
-5月、ロドニーはカナダへ向かう兵員輸送船ブリタニック((ブリタニックは旧ホワイト・スター・ライン社がキュナード社との合併前に最後に建造した客船で、徴用されて兵員輸送任務に従事していた。ブリタニックの名は3代目である(2代目はオリンピック級客船の3番船で、1912年4月15日に氷山に衝突して沈んだタイタニックの姉妹船)。))の護衛を命じられる。
ロドニーはカナダ到着後、アメリカのボストンへ向かい改修を受ける予定だった((機関故障が発生し、片舷一軸推進となっていた))。真珠湾攻撃を受ける前のアメリカは中立を宣言していたが、枢軸陣営(ドイツ、イタリア)との激戦で損傷したイギリス軍艦の修理を引き受けていた。&color(gray){中立とはいったい・・・}; だが任務途上の5月24日、ロドニーはドイツ戦艦ビスマルク追撃戦への参加を命じられた。
--ドイツ海軍は新鋭戦艦[[ビスマルク>Bismarck]]と重巡洋艦[[プリンツ・オイゲン>Prinz Eugen]]の2隻を大西洋に派遣、通商破壊戦を実施しようとした。スウェーデンからの通報((ビスマルクとプリンツ・オイゲンを発見して通報したのは[[ゴトランド>Gotland]]であった。))でこれを知ったイギリス海軍は巡洋戦艦フッドと完成したばかりの戦艦プリンス・オブ・ウェールズを派遣、4隻は24日にデンマーク海峡((グリーンランドとアイスランドの間の海峡))で遭遇して交戦する。
---この遭遇戦でフッドは第二煙突と後部マストの中間にビスマルクの主砲弾が命中して轟沈、プリンス・オブ・ウェールズも滅多撃ちにされて撤退、第1ラウンドはイギリス側の完敗に終わった。しかしビスマルクもプリンス・オブ・ウェールズの砲撃で燃料タンクが破損したため作戦を中止、プリンツ・オイゲンと別れてフランスへ針路を向けた。
-イギリス海軍の象徴として永らく親しまれていたフッドを失い復讐に燃えるイギリス海軍は、付近のありとあらゆる艦艇にビスマルク追撃を指示、命令を受けたロドニーも護衛任務を駆逐艦エスキモーに委ね、残りの駆逐艦3隻を率いて直ちにビスマルク追撃に移った。
--この時ドイツ艦隊を率いていたのは1月にロドニーに一杯喰わせたリュッチェンス提督。ロドニーとしては借りを返す絶好の機会でもあった。
-5月26日、ロドニーと本国艦隊司令長官ジョン・トーヴィー大将座乗の戦艦キング・ジョージ5世が合流。ここで2隻は燃料の欠乏しだした駆逐艦を分離して追撃を継続する。
--ビスマルクは最大速力30ノット以上の高速艦であり、鈍足なロドニーがいるイギリス艦隊が追いつける可能性はゼロに近かった。だがH部隊の空母[[アーク・ロイヤル>Ark Royal]]から発進した[[ソードフィッシュ>Swordfish]]雷撃隊がビスマルクを攻撃した際、魚雷1本がビスマルクの舵に命中。ドイツ空軍の航続圏外ギリギリでビスマルクは行動の自由を失ってしまう。
-5月27日朝、ビスマルクは戦艦キング・ジョージ5世、ロドニー、そしてロドニーらと別に追撃していた重巡洋艦ノーフォーク((第1巡洋艦戦隊旗艦、23日夜にビスマルクを発見後、これを追尾していたが25日未明に見失う。必死の捜索の結果27日8時頃にビスマルクに追いつき、少し遅れて追いついたロドニーらと攻撃に参加した))、ドーセットシャー((ノーフォークの姉妹艦。フッド沈没時は輸送船団SL74を護衛をしており、追撃の命は受けていなかったが、26日の偵察報告でビスマルクを攻撃できる位置にいる事を知った艦長の独断で追撃。ロドニーらが攻撃開始後に到着し参加した))の4隻に捕捉される。
--リュッチェンス提督にとっては2ヶ月ぶりのロドニーとの再会だった。だが2か月前と違い彼が乗るのは行動の自由を失った手負いのビスマルクであり、今度はロドニーから逃げる手段がなかった。&color(gray){知らなかったのか・・・? ロドニーからは逃げられない!};
--午前8時47分、距離22kmで砲撃戦が始まった。午前9時にはロドニーの主砲弾がビスマルクの前部1、2番砲塔の間に着弾して2基とも使用不能となった。また前部主砲射撃指揮所もノーフォークの砲撃で破壊され、ビスマルクは早々に砲撃力を半減されてしまう。
--劣勢となったビスマルクだが、後部の射撃指揮所と後部3、4番砲塔の主砲で反撃。第3斉射がロドニーを夾叉し、砲弾の断片が右舷の高角砲射撃方位盤室に被害を与えている。ロドニーは主砲斉射の度に船体に損傷が出た((ネルソン級独特の主砲塔配置などの構造上の問題が、主砲の発射のたびに船体に損傷を与えたと言われている))が、かまわず砲撃を続けていた。
--キング・ジョージ5世も装備されたばかりの探索用レーダーを射撃用に転用して砲撃を行った。ビスマルクの3番主砲搭に命中弾を与え、砲弾は貫通しなかったが射撃不能に追い込んでいる。その後も砲撃を続けるが同級特有の砲塔故障に悩まされ((一時は全主砲が使用不可能となり、副砲のみで撃ち合ったりもしていた))、以後効果的な砲撃は出来ないままに終わった。
-9時30分ごろ、ロドニーの主砲弾がビスマルクの4番砲塔に命中、バーベット部分が貫通されて火災が発生した。緊急注水が行われ爆沈の危機は逃れたがビスマルクは全主砲塔が砲撃不能となり、戦闘能力をほぼ喪失した。
--因みにロドニーはこの戦闘中、艦首水中発射管から24.5インチ魚雷を合計8本発射、うち1本がビスマルクの左舷中央部に命中したのを観測している。多数の砲弾も周囲に落着していたため正確な確認は不可能だったが、もしこの観測が正しければ「戦艦が他の艦を雷撃して命中させた唯一の戦例」ともいわれている((戦艦が敵艦を雷撃した戦例はこの他にも1943年12月26日の北岬沖海戦において、戦艦シャルンホルストが水上魚雷発射管から魚雷1本をイギリス側の戦艦デューク・オブ・ヨークに向けて発射したと思われる事例(イギリス側の目撃情報からの推測。ドイツ側はシャルンホルストは沈み乗員も殆ど戦死したため確定していない)があるが、これは命中していない))
-無数の砲弾を浴びたビスマルクの上部構造物は残骸と化し、火災も発生する。だがイギリス艦隊が接近して砲撃していたため中々沈まず((これはイギリス艦隊が接近して砲撃したため、射撃が水平射撃となってビスマルク船体の喫水線下にダメージを与える事が出来ず、浸水が軽微だった事が原因))、最後は重巡ドーセットシャーの雷撃で沈んだ。リュッチェンス提督は砲撃戦の最中に戦死し、艦長のエルンスト・リンデマン大佐は退艦を拒否して艦と運命を共にした。
--イギリス艦隊はフッドの復仇に成功したが、ロドニーは燃料が足りなくなったのでノーフォークと共にスコットランドのクライド基地へ向かい、補給の上改めてボストンに向かい修理・改修を受ける。

***マルタ島への補給作戦 ~ 廃艦[#b7404b1c]
-1941年9月、修理を終えたロドニーはH部隊の所属となる。25日、戦艦ネルソン、プリンス・オブ・ウェールズ、空母アーク・ロイヤル等と共にマルタ島への輸送船団を護衛する「ハルバード作戦」に参加。26日にイタリア空軍の空襲を受ける。ネルソンはイタリア空軍雷撃機により艦首に被雷して離脱。さらにイタリア海軍の[[リットリオ>Littorio]]や[[アブルッツィ>L.d.S.D.d.Abruzzi]]が出動してきたので、プリンス・オブ・ウェールズとロドニーは護衛部隊([[シェフィールド>Sheffield]]など)と共に艦隊決戦に備えた。だがイタリア側は英船団の護衛部隊が予想外に強力であったため撤退し、連合軍の作戦は成功した。
--その後ロドニーは11月に本国に帰還。1か月ほどアイスランドで警備任務に従事した後、ドック入りして修理・改修が行われる。

-1942年5月、修理・改修を終えたロドニーはH部隊に復帰する。8月11日、危機的状況にあったマルタ島への増援輸送作戦「ペデスタル作戦」が実施される事になり、戦艦ネルソン、空母[[ヴィクトリアス>Victorious]]、インドミタブル、イーグル等と共に参加する。
--この作戦でイギリス海軍は枢軸側の激しい空襲を受け、Uボートも攻撃に加わり、空母イーグル、軽巡洋艦マンチェスター、カイロ、駆逐艦フォアサイト、輸送船9隻を喪失という大損害を負った。ロドニーも8月12日夜、損傷艦だらけになった主力護衛部隊と共にジブラルタルに引き返した。しかし燃料枯渇に苦しむイタリア海軍は空軍との連携が悪くて進撃する事ができず、8月13日にマルタ島に輸送船3隻、タンカー1隻が到着し、補給を許してしまった。8月14日には輸送船ブリズベン・スター((船首がちぎれかけるなど大破し、チュニジアのハンマメット湾に停泊して修理。ヴィシー政権の港長が入港し拘留されるよう求めてきたが、船長が断るとあっさり引き下がった。))も入港を果たす。
---これ以降連合国側のマルタ島防備体制は盤石になり、イタリア海軍はトブルクへの輸送を中止。ロンメル元帥率いるアフリカ装甲軍への補給は絶望的となり、10月23日からの第二次エル・アラメイン会戦でイギリス軍はアフリカ装甲軍に勝利する。

-その後も1943年7月のシチリア島上陸、9月のサレルノ上陸の支援任務や、1944年6月のノルマンディ上陸作戦の支援など、多くの作戦に支援として参加する。だが1942年以降オーバーホールなしで156,000海里以上の距離を長期間行動していたロドニーは故障が頻発し、老朽化も進んでいた。
--ムルマンスクからのRA60船団の護衛がロドニーの最後の任務となった。1944年10月5日にスカパ・フローに戻り12月に予備役編入、繋留された状態で終戦を迎えた((ノルマンディー上陸作戦後にフィラデルフィア海軍造船所(アメリカ)で近代化改修を受けたネルソンは1946年10月まで現役))。
-1945年12月2日、ロサイスに移動し、ドック入りして船体の状態が調査された。1948年2月に英国鉄鋼公社へ売却され、3月26日よりインヴァーカイシング市のトス.W.ウォード社でスクラップとして解体された。


*この艦娘についてのコメント [#comment]
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#pcomment(./コメント1,reply,30)
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''&size(16){[[&color(white,orange){提案意見掲示板};>提案意見掲示板]]からのお知らせ};''
-ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、''[[wiki内神社]]というページが設置''されました!ぜひご利用ください。
----
-&size(13){''&color(Red){建造成果の報告は[[建造レシピ]]内にあるコメント欄に、&br;ドロップ報告に関しては[[出撃ドロップ]]内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。};''};